コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

直江津

首都圏新潟県人会の盛りあがりが凄まじい

生まれ故郷の直江津・新潟が大好き

昨夜は小伝馬町のツインバード工業のアンテナショップ「Gate CAFE」で開催されたフェイスブックの「首都圏新潟県人会」に初参加しました。
私は、生まれ故郷の直江津市(現上越市)を含め、出身地の新潟県が大好きで、この集まりに以前から興味を持っていました。

今回は会場が会社(銀座)の近くということ、またフリーランスの私が37年ほど前に勝負をかけて仕事場を構えたのが小伝馬町(同社至近)だったこともあり、思い切って伺うことにしました。
私は文字どおり「年中無休」で働いており、ちょっと遅刻してしまいました。

66歳の私も元気とパワーをいただく

初参加の方も大勢おられたはずですが、交流がとても活発で、凄まじい盛りあがりでした。
互いに大声で話さないと内容が聞き取れないほどです。
66歳の私ですが、元気とパワーをいただきました。

ただし、私は講師という職業柄、インフルエンザで講演やセミナー、研修を休むということが絶対に許されませんので、皆さんと距離を置いて壁際の椅子にいじけたように座っていました。
(今年は珍しく二八の2月が立て込み、セミナーと研修がびっしりと入っています。)

私は首都圏新潟県人会に、々▲好廛譟次↓▲肇蹇璽繊↓首かけマスクの感染予防3点セットで臨みましたが、効き目はどうでしょう。
インフルエンザの潜伏期間は2〜3日のようです。
いまのところ変化はなく都心で仕事(納期)に追われています。

熱気とエネルギーを新潟の活性化へ

タイミングが合えば、また伺おうと思っています。
私は新潟のなかでも「直江津」の市街地の衰退がもっとも深刻だと感じます。
(55年以上前には商店街の雁木の下を行き交う人でおおいに賑わっていました。)
地元と首都圏の新潟県人会の方々と協力し、何らかの地域貢献を行えるようにしたい。
具体的に述べれば、おもにAIやロボットなどの最先端分野を中心にした「起業部会」を裏方としてサポートしたい。
(私自身も昨年、老骨に鞭打って日本ロボコム株式会社とロボットビジネス勉強会を立ちあげました。)

この集まりの熱気とエネルギーを新潟県の産業経済の活性化に寄与する新事業や新会社につなげられるなら、私にとって最高の喜びと誇りです。

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昔の上京は鈍行での大変な長旅でした・・・

昔はそれはそれは大変な長旅でした。
1951年生まれの私にその記憶が残っているのは1950年代後半から1960年代初頭の数年です。
列車がSL(蒸気機関車)でのろく、移動にとんでもない時間を要しました。
暑い季節は窓を閉めておくわけにいかず、煙が石炭の灰とともに容赦なく入ってきました。

背面が垂直の座席は恐ろしく固く、座り心地が最悪でした。
(背板だったかもしれません。)
さらに、前の座席との間隔が狭く、大人だと膝がぶつかり、脚が窮屈でした。
体が痛くても疲れても、姿勢を崩しようがありません。
ほとんど身動きが取れない状態で、ひたすら耐えなければなりませんでした。
(こうした座席はわりと近年までありましたが、10時間に迫る乗車では珍しいはずです。)

記憶が曖昧ながら、信越本線の鈍行(各駅停車)で直江津駅から上野駅へと向かいました。
(やがて「急行」に乗るようになったはずです。)

山間地帯を抜け出して関東平野に出ると一気に視界が広がりました。
高崎駅(高崎市)は最初の都会、東京の入口という印象でした。
団塊の世代の方ならお分かりいただけるでしょう。

目的地(終着駅)にたどり着いたわけでもないのに、胸をなでおろしました。
小学生の私だけでなく、両親も同じだったと思います。

気が遠くなるような道中、横川駅で「峠の釜めし」を土瓶入りの緑茶と買い求めることが唯一の楽しみでした。
ウィキペディアによれば、「駅弁=折詰」という常識を打ち破った峠の釜めしが発売されたのが1958年でした。
直江津小学校の2年生に当たります。

手元に写真が残っていれば、当時をいくらか振り返れます。
例えば、上京が何回だったか、東京で何を楽しんだかなどです。
しかし、私は1990年代後半(40代後半)以前の記録を何一つ持っていません。
誕生、幼児、園児、小学生〜高校生、社会人、結婚・・・。
いつ頃か分かりませんが、卒業文集も卒業アルバムも卒業証書も失いました。
亡くなった両親の昔の写真もありません。

老いが深まるにつれて、過去を懐かしく感じる気持ちが膨らんでいます。
当時に戻れると思っていませんが、手がかりがないのはさみしいかぎりです。
死ぬ前に写真でもいいから会いたい人がたくさんおり、触りたい暮らしがたくさんあるのです。

生きた記録を大切にしなかったことを悔やんでいます。

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直江津の映画館…日本映画の全盛期

昭和26年(1951年)生まれの私は先だって、Huluで1957年の「喜びも悲しみも幾歳月」と1954年の「二十四の瞳」を“ながら視聴”しました。
どちらも松竹映画ですが、両親と見たかもしれません。
しかし、私の記憶は幼稚園の年長くらいからですので、少なくとも「二十四の瞳」を覚えているはずがありません。
昔は東京に数年遅れで地方都市に映画がかかったのでしょうか?
それとも情操教育の一環として直江津小学校で見たかもしれません。
悲しいかな、すべてがあいまい・・・。

私はたまたま、昭和32年(1957年)の直江津市に4つの映画館があったことを知りました。
「直江津銀座劇場」「直江津第一劇場」「直江津東映劇場」「みなと劇場」。
当時は人口3万人未満(?)の地方都市でした。

日本映画は1950年代前半〜半ばが全盛期のようです。
戦後、数少ない娯楽として大衆に愛されたのでしょう。
ちなみに、黒澤明の「七人の侍」は1954年の作品でした。
彼の代表作であるとともに、映画の黄金期の代表作でした。

私は両親と映画館に足を運んだ記憶がいくらか残っています。
しかし、映画館のなかの独特な雰囲気とにおいはわりとはっきりと覚えています。

当時、真行寺幼稚園前の自宅(呉羽紡績直江津支所)と直江津小学校の通学路の途中に映画の看板屋がありました。
道路(雁木)に面したガラス戸を開け放し、広い土間(コンクリート?)で映画館にかける横位置の大看板を巧みな筆さばきで描いていました。
私は下校時に足を止め、ほれぼれするような職人技に見入っていました。
まもなく上映される映画のタイトルと象徴的なシーン、そして主演の役者などでした。
看板屋の斜め向かいに映画館があった気がしますが、勘違いでしょうか。
直江津東映劇場?

おそらく半世紀以上隔てて「喜びも悲しみも幾歳月」と「二十四の瞳」に触れ、直江津小学校時代の両親と暮らしの思い出がぼんやりとよみがえり、とても懐かしくなりました。
戻れるものなら戻りたい・・・。

◇◆◇

生まれ故郷・直江津に関するブログは以下のとおり。

⇒2016年4月15日「直江津駅乗降客激減…北陸新幹線開業」はこちら。

⇒2014年10月20日「直江津小学校同窓会…半世紀振り」はこちら。

⇒2013年10月7日「直江津駅は北陸新幹線が通らない」はこちら。

⇒2012年7月13日「直江津港はエネルギー港湾へ…佐渡沖石油・天然ガス田」はこちら。

⇒2012年7月10日「直江津市街の衰退…北陸新幹線開業」はこちら。

⇒2011年11月10日「直江津駅から上野駅まで各駅停車の旅…直江津に関するブログ」はこちら。

⇒2010年7月25日「直江津祗園祭花火大会、山車集結の賑わい」はこちら。

⇒2010年5月1日「鱈めしと磯の漁火は名作駅弁…直江津」はこちら。

⇒2010年4月30日「直江津マイミクとセピオーラで歓談」はこちら。

⇒2010年4月29日「特急はくたか、強風で全面運休」はこちら。

⇒2010年4月8日「大正期の洋館・いかや旅館…直江津」はこちら。

⇒2010年3月20日「校歌を歌ってみなさい…就活・面接」はこちら。

⇒2010年3月17日「卒業式シーズン…大人への通過儀礼」はこちら。

⇒2010年3月11日「心にぽっかり穴…直江津小学校卒業式」はこちら。

⇒2010年3月10日「直江津ホテルハイマートに宿泊予約」はこちら。

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直江津駅乗降客激減…北陸新幹線開業

生まれ故郷の新潟・直江津は北陸新幹線の開業により交通の要衝の地位を奪われ、衰退に拍車がかかっていました。
7年前に訪れたときも驚きましたが、言葉を失うほどの深刻さです。
何せ土曜日の日中に商店街を歩いていて、だれにも出会いません。
それ以前に、商店がほとんど閉まっています。

私が今回もっともショックを受けたのは、直江津駅の乗降客が激減したことでした。
ホームや改札口までさみしくなりました。

商店街の活性化が大事なのは否定しませんが、もっと大事なのは地元での雇用だと痛感しました。
とくに若い世代向けの職場を増やさなくては、人口減少に歯止めをかけられません。
そうでなくては商店街に賑わいも取り戻せません。
自治体(行政)の支援を得て、有志が抜本的な解決に乗り出すことが急務になっています。

私は新会社の設立と創業後の成長を請け負っており、そのノウハウを上越市の再生にいくらかでも生かせないかと考えているところです。
職業人生の最後に、ふるさとにささやかな貢献を果たしたいという気持ちはあるのですが・・・。

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直江津小学校同窓会…半世紀振り

2014年の今年は東京五輪(第18回夏季オリンピック)開催から50年が経ったということで、テレビで特集番組が組まれたり、ちまたで記念イベントなどが催されたりしている。
それにより、1951年(昭和26年)生まれの私が直江津小学校(新潟県)を卒業したのは、その東京オリンピックが行われた1964年だったことに気づいた。
自分のなかで卒業と五輪開催の年が一致しなかったのだ。
あくまで伊那中学校1年の出来事だった。

私は前日に父の転勤にともなって伊那市(長野県)に引っ越したため、卒業式に出られなかった。
このときの無念はいまだに引きずっている。

⇒2010年8月13日「直江津小学校卒業式…半世紀の無念とは?」はこちら。

という事情もあり、かねてより同級会、それが無理なら同窓会に参加したいと思っていた。
今年が卒業半世紀の節目に当たることは早くから気づいており、ひそかに期待していた。

私は直江津小学校で1〜2年は加藤先生、3〜4年は渡辺先生、5年は高山先生、6年は小林先生が担任だった。
2年単位だが、6年になるときに高山先生が他校へ移られた。

私はその後、転校と引っ越しを繰り返し、すべての卒業証書や卒業文集、卒業アルバム、そしてすべての記念写真やスナップ写真などをなくしており、半生の記憶がかなり消えた。
にもかかわらず、直江津小学校の担任だけは名前を覚えている。
よほど学校生活が楽しかったのだろう。

高等学校(高校)は同窓会や同級会が行われるところもある。
しかし、中学校はほとんど行われない。
まして、小学校は行われるところはないのか。

私は、半世紀振りの同級会でクラスメイトと再会を果たすという願いが叶わなかった。
薄情で申し訳ないが、名前を思い出せるのは1人になっている。

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直江津駅は北陸新幹線が通らない

そうこうするうちに、北陸新幹線が12月1日から長野駅〜黒部宇奈月温泉駅間で走行試験に入る。
2015年春(2014年度末)の開業へ向け、沿線の機運が急速に盛り上がっていく・・・。

北陸新幹線の開業に賛否両論があることは、私も知っている。
地元へのメリットとデメリットがあり、それも土地によって比重が違う。
損失ばかりと考える地域や住民も少なくない。

が、北陸地方にゆかりの深い私としては、まずは喜びたい。
他界した母も父も朝日町(泊)⇒入善町⇒滑川市に暮らしていた時期が長く、北陸新幹線の開通を心待ちにしていた。
私はグリーン車に乗せてやれなかったのが心残りである。

とはいえ、私の生まれ故郷の直江津市(現上越市)が一気にすたれるのが怖いし、さみしい。
すでに旧市街地は閑散としている。
半世紀前(〜1964年3月に直江津小学校を卒業)の賑わいはまったく失せてしまった。
さらに、直江津駅は北陸新幹線が通らないので、交通の要衝の地位を完全に明け渡すことになる。
駅前の2軒の立派なホテルは生き残っていけるのだろうか。
名物の駅弁も危うい・・・。

                      ◇◆◇

生まれ故郷・直江津に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年7月13日「直江津港はエネルギー港湾へ…佐渡沖石油・天然ガス田」はこちら。

⇒2012年7月10日「直江津市街の衰退…北陸新幹線開業」はこちら。

⇒2011年11月10日「直江津駅から上野駅まで各駅停車の旅…直江津に関するブログ」はこちら。

⇒2010年5月1日「鱈めしと磯の漁火は名作駅弁…直江津」はこちら。

⇒2010年4月30日「直江津マイミクとセピオーラで歓談」はこちら。

⇒2010年4月29日「特急はくたか、強風で全面運休」はこちら。

⇒2010年3月20日「校歌を歌ってみなさい…就活・面接」はこちら。

⇒2010年3月17日「卒業式シーズン…大人への通過儀礼」はこちら。

⇒2010年3月13日「駅弁甲子園ハイマート鱈めし(再録)」はこちら。

⇒2010年3月11日「心にぽっかり穴…直江津小学校卒業式」はこちら。

⇒2010年3月10日「直江津ホテルハイマートに宿泊予約」はこちら。

⇒2009年9月21日「漁師まかない飯…直江津漁港」はこちら。

⇒2009年8月30日「関川と荒川…直江津を流れる川」はこちら。

⇒2009年8月29日「筑紫もち、信玄餅、出陣餅、三つ巴」はこちら。

⇒2009年8月16日「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」はこちら。

⇒2009年8月15日「絶品駅弁! 直江津ハイマート鱈めし」はこちら。

⇒2009年8月8日「夏の風物詩・花火大会ランキング」はこちら。

⇒2009年8月4日「上杉謙信・出陣餅と武田信玄・信玄餅」はこちら。

⇒2009年7月24日「感激! 生まれ故郷・直江津から…」はこちら。

⇒2009年7月22日「46年前の皆既日食」はこちら。

⇒2009年4月5日「意外、人口最多は新潟県」はこちら。

⇒2009年4月4日「桜の名所、高田城址と高遠城址」はこちら。

⇒2008年2月26日「上越・高田の観桜会…日本三大夜桜」はこちら。

⇒2008年2月17日「故郷・直江津にマイミク」はこちら。

⇒2007年4月25日「生まれ故郷・直江津へ自分探しの旅」はこちら。

⇒2007年3月11日「NHK・桜井洋子さんの活躍が励み」はこちら。

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直江津港はエネルギー港湾へ…佐渡沖石油・天然ガス田

先日のブログ「レアアース、使い切れない埋蔵量…海底資源大国日本」に続いて・・・。

⇒2012年7月11日「レアアース、使い切れない埋蔵量…海底資源大国日本」はこちら。

日本は海に囲まれている。
先だって、石油・天然ガス田といい、レアアース鉱床といい、久しぶりに明るい話題に接した。
「海底資源」は手付かずなのだろうか?
実は、たくさん眠っていたりして・・・。

以下は、石油・天然ガス田について・・・。

経済産業省が新潟県・佐渡の南西約30キロメートル沖の日本海海底を2013年4月から試掘し、石油・天然ガスの埋蔵量を調査すると発表した。
石油・天然ガス田の可能性がある面積は約 135平方キロメートルで国内最大級。
JR山手線内側の2倍であり、中東の中規模油田並みらしい。
日本の排他的経済水域(EEZ)内の水深約1100メートルの海底。
そこから約2700メートル下の「椎谷層」「寺泊層」と呼ばれる砂岩層まで掘削して埋蔵量を調べる。 

試掘は来年4〜6月の3カ月間の予定。
政府が「JX日鉱日石開発」と「独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構」に委託する。
経産省は地元の漁業関係者らと漁業権などの調整に入った。

今回の調査で石油や天然ガスの埋蔵を確認したわけでない。
地層構造を精密に把握できる3次元物理探査船「資源」による調査で、石油や天然ガスのたまりやすい「おわん型」の地層だと判明した。
商業化のめどは、10年後の2023年以降。

先日のブログで、北陸新幹線の開業により直江津は交通の要所の地位を失うと述べた。
この石油・天然ガス田は直江津からもきわめて近い。
直江津は陸だけでなく海の交通の要所でもある。

そう、「直江津港」。
古くから重要な港湾として栄えた。
北海道、佐渡、九州への航路の拠点だったが、国内航路の廃止や減便が相次ぎ、国際貿易港でありながら貨物の取扱量が減少していた。

しかし、2012年に中部電力による火力発電所、2014年に国際石油開発帝石によるLNG受け入れ基地が稼動する。
直江津港は、エネルギー港湾に活路を見出そうとしている。

もし、商業ベースに乗る石油・天然ガス田が見つかれば、直江津市街は賑わいを取り戻せるかもしれない。

私が子ども(直江津小学校)の頃、一番楽しみにしていた「直江津祗園祭」が7月下旬に行われる。
花火大会と舟形屋台が売りだ。

⇒2009年8月16日「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」はこちら。

以下に、「直江津市街の衰退…北陸新幹線開業」と題する2012年7月10日のブログを収める。

                      ◇◆◇

私の生まれ故郷・旧直江津市(現上越市)の中心市街地の衰退がすさまじい。
先だって統計データを見たが、わずか10年間で相当な人口の減少。
私が一番ショックを受けたのは、店舗数の激減と販売額の急落である。
目を疑う数字が並んでいた。

新潟と富山の両県に縁が深い私なので、「北陸新幹線」が開業するのは心情としてうれしい。
が、そうなると、直江津市街の凋落は決定的になりそうだ。
上越市には「上越駅(仮称)」が新たに設けられるが、場所は直江津から遠く離れた脇野田である。
直江津は交通の要所の地位を明け渡すことになる。
さみしいかぎり…。
なお、新駅の名称は「上杉謙信駅」になる?

私は3年前の夏休み、妻と子どもに初めて生まれ故郷を見せた。
直江津が大好きなのだ。
しかし、日中も店舗が閉まり、活気がなく、街がさびれていた。
何せ住民(通行人)の姿が見えない。

北陸新幹線は2014年に開業とか…。
これは不確かであり、2015年という情報もある。

                       ◇

新幹線の開業は地元の期待が高まり、不安や危惧の声がかき消される。
実際には、経済面を含めてマイナスになることが少なくない。
自分や家族が暮らす街にプラスになるか、自分や家族と次世代にプラスになるかは判断がきわめて難しい。

私が見るところ、九州新幹線の開業は九州の富を福岡が吸い上げる構図になっている。
福岡は先だって、人口で京都を抜いた。
街には明るさがあふれる。

                       ◇

何かの調査で、関西圏と考える富山県人のほうが多かった。
しかし、北陸新幹線の開業により、関東圏と考える富山県人のほうが多くなる。
富山は同じインスタントラーメンが関東風と関西風の2種類の味付けで売られている。
味でも境目なのだ。
こうした嗜好も変わるだろう。

⇒2007年11月24日「富山なまりに、母を思い出す」はこちら。

関西圏と考える石川県人が圧倒的に多いが、これにより関東圏と考える人が次第に増えていくだろう。

                      ◇◆◇

生まれ故郷・直江津に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年7月10日「直江津市街の衰退…北陸新幹線開業」はこちら。

⇒2011年11月10日「直江津駅から上野駅まで各駅停車の旅…直江津に関するブログ」はこちら。

⇒2010年5月1日「鱈めしと磯の漁火は名作駅弁…直江津」はこちら。

⇒2010年4月30日「直江津マイミクとセピオーラで歓談」はこちら。

⇒2010年4月29日「特急はくたか、強風で全面運休」はこちら。

⇒2010年3月20日「校歌を歌ってみなさい…就活・面接」はこちら。

⇒2010年3月17日「卒業式シーズン…大人への通過儀礼」はこちら。

⇒2010年3月13日「駅弁甲子園ハイマート鱈めし(再録)」はこちら。

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⇒2009年9月21日「漁師まかない飯…直江津漁港」はこちら。

⇒2009年8月30日「関川と荒川…直江津を流れる川」はこちら。

⇒2009年8月29日「筑紫もち、信玄餅、出陣餅、三つ巴」はこちら。

⇒2009年8月16日「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」はこちら。

⇒2009年8月15日「絶品駅弁! 直江津ハイマート鱈めし」はこちら。

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⇒2009年4月5日「意外、人口最多は新潟県」はこちら。

⇒2009年4月4日「桜の名所、高田城址と高遠城址」はこちら。

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直江津市街の衰退…北陸新幹線開業

私の生まれ故郷・旧直江津市(現上越市)の中心市街地の衰退がすさまじい。
先だって統計データを見たが、わずか10年間で相当な人口の減少。
私が一番ショックを受けたのは、店舗数の激減と販売額の急落である。
目を疑う数字が並んでいた。

新潟と富山の両県に縁が深い私なので、「北陸新幹線」が開業するのは心情としてうれしい。
が、そうなると、直江津市街の凋落は決定的になりそうだ。
上越市には「上越駅(仮称)」が新たに設けられるが、場所は直江津から遠く離れた脇野田である。
直江津は交通の要所の地位を明け渡すことになる。
さみしいかぎり…。
なお、新駅の名称は「上杉謙信駅」になる?

私は3年前の夏休み、妻と子どもに初めて生まれ故郷を見せた。
直江津が大好きなのだ。
しかし、日中も店舗が閉まり、活気がなく、街がさびれていた。
何せ住民(通行人)の姿が見えない。

北陸新幹線は2014年に開業とか…。
これは不確かであり、2015年という情報もある。



新幹線の開業は地元の期待が高まり、不安や危惧の声がかき消される。
実際には、経済面を含めてマイナスになることが少なくない。
自分や家族が暮らす街にプラスになるか、自分や家族と次世代にプラスになるかは判断がきわめて難しい。

私が見るところ、九州新幹線の開業は九州の富を福岡が吸い上げる構図になっている。
福岡は先だって、人口で京都を抜いた。
街には明るさがあふれる。



何かの調査で、関西圏と考える富山県人のほうが多かった。
しかし、北陸新幹線の開業により、関東圏と考える富山県人のほうが多くなる。
富山は同じインスタントラーメンが関東風と関西風の2種類の味付けで売られている。
味でも境目なのだ。
こうした嗜好も変わるだろう。

⇒2007年11月24日「富山なまりに、母を思い出す」はこちら。

関西圏と考える石川県人が圧倒的に多いが、これにより関東圏と考える人が次第に増えていくだろう。

◇◆◇

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直江津駅から上野駅まで各駅停車の旅…直江津に関するブログ

私は先週金曜日から土曜日にかけ、書斎で延々と仕事…。
数本の締め切りがほぼ同時期に重なり、間に合わせられるか綱渡りの状態・・・。
朝方ベッドにそのまま横たわり、20分程の仮眠を取った。
そして、ルーシー・ヘンシャルの「I Dreamed A Dream(夢やぶれて)」を聴いて眠気を吹き飛ばし、仕事を再開。
かのスーザン・ボイルが歌い、一躍世界中に広まったミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌だ。

ところが、簡素な昼食を取って腹が満たされたら、頭というか意識がもうろうとし、コンテンツの作成がさっぱり進まなくなった。
まずい。
よほどのことがないかぎり頼らないようにしている「ユンケル黄帝ロイヤル」に、とうとう手が延びてしまった。
仕事を中断することは許されない。

つけっ放しのテレビ東京から「ローカル線 秋の駅弁旅」という番組が流れてきた。
いまや、各駅停車で沿線の名物駅弁を楽しむのは、最高の贅沢である。
私はせわしない日常に押し潰されており、のんびりとした旅行に憧れてしまう。
仕事としてでなく、どこかへ行きたいとつくづく思う。

実は、講演や公開セミナー、企業研修で数えきれないくらい地方へ出向いたが、どの土地もまったく知らない。
なぜなら、目的地の駅と開催会場と宿泊ホテルの3カ所のほかは行ったことがない。
それも徒歩よりもタクシーのほうがずっと多い。
たいてい時間的にぎりぎりなので名所を訪れたり、街並みをぶらっとしたりする余裕が持てないのだ。

私は眠気覚ましのコーヒーを飲んでいて思い出した。
いまから半世紀以上前、子どもの頃、新潟の直江津駅から上野駅まで信越本線で10時間前後かけて行ったことがある。
おそらく昭和32〜33年、直江津小学校1年生。
記憶が非常に曖昧だが、各駅停車、そして乗り継ぎなし。
でも、この時代に鈍行でそんな長距離列車があったのか、どうもはっきりしない。
また、急行があったはずなのに、なぜそうしたのか。
それとも急行で10時間前後?

母は江戸っ子。
親戚のうちに遊びにいくことが確か休暇の直前に決まり、切符を取れなかった?
さらに、父が甘く見ていたせいか、座席にありつけなかった。
おそらく始発だった?
幾度も「失敗した」というようなことをつぶやいていた。
小さかった私はとてもつらかったので、覚えているのだろう。
通路もびっしり、トイレもいけないほどで、それは地獄だった。
懐かしい思い出だ。
昔の人は恐ろしく辛抱強かった・・・。

これも記憶が曖昧だが、途中で少なくとも私くらいは座れたのかもしれない。

このときは不明ながら、上京時の駅弁は横川駅の「峠の釜めし」とほとんど決まっていた。
製造・販売は「荻野屋(おぎのや)」。
ウィキペディアによれば、1958年(昭和33年)2月1日発売と記されている。

                      ◇◆◇

生まれ故郷・直江津に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年5月1日「鱈めしと磯の漁火は名作駅弁…直江津」はこちら。

⇒2010年4月30日「直江津マイミクとセピオーラで歓談」はこちら。

⇒2010年4月29日「特急はくたか、強風で全面運休」はこちら。

⇒2010年3月20日「校歌を歌ってみなさい…就活・面接」はこちら。

⇒2010年3月17日「卒業式シーズン…大人への通過儀礼」はこちら。

⇒2010年3月13日「駅弁甲子園ハイマート鱈めし(再録)」はこちら。

⇒2010年3月11日「心にぽっかり穴…直江津小学校卒業式」はこちら。

⇒2010年3月10日「直江津ホテルハイマートに宿泊予約」はこちら。

⇒2009年9月21日「漁師まかない飯…直江津漁港」はこちら。

⇒2009年8月30日「関川と荒川…直江津を流れる川」はこちら。

⇒2009年8月29日「筑紫もち、信玄餅、出陣餅、三つ巴」はこちら。

⇒2009年8月16日「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」はこちら。

⇒2009年8月15日「絶品駅弁! 直江津ハイマート鱈めし」はこちら。

⇒2009年8月8日「夏の風物詩・花火大会ランキング」はこちら。

⇒2009年8月4日「上杉謙信・出陣餅と武田信玄・信玄餅」はこちら。

⇒2009年7月24日「感激! 生まれ故郷・直江津から…」はこちら。

⇒2009年7月22日「46年前の皆既日食」はこちら。

⇒2009年4月5日「意外、人口最多は新潟県」はこちら。

⇒2009年4月4日「桜の名所、高田城址と高遠城址」はこちら。

⇒2008年2月26日「上越・高田の観桜会…日本三大夜桜」はこちら。

⇒2008年2月17日「故郷・直江津にマイミク」はこちら。

⇒2007年4月25日「生まれ故郷・直江津へ自分探しの旅」はこちら。

⇒2007年3月11日「NHK・桜井洋子さんの活躍が励み」はこちら。

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直江津祗園祭花火大会、山車集結の賑わい

あすから4日間にわたり直江津祗園祭(祇園祭)。
私はこの時期、直江津小学校時代(半世紀前)をかならず思い出す。
地域全体を巻き込んだ唯一のイベントの到来を待ち侘びた。

去年は雨にたたられた。
気温も上がらなかった。
今年は梅雨明けが早く、日本海側の地域に特有の夏の暑さが爆発した。
が、日本気象協会の週間天気によれば、上越(高田)は26日〜29日は快晴というわけにいかない(23日17時発表)。
曇〜曇時々晴。
降水確率は40〜30%。
しかも確度がやや低い予報。
要は、自信がないのだ。
何とか持ち堪えてくれますように…。

上越まつりは7日間にわたり、前半は高田地区、後半は直江津地区で行われる。
その中日、直江津地区では関川(荒川)を下ってくる神輿を屋台と花火が盛大に迎える。
「直江津祇園祭」の幕開け。
盛り上がるのは直江津地区。

私は当時、真行寺幼稚園前の自宅兼事務所(オフィス)、呉羽紡績(後に東洋紡績に吸収合併)支所に暮らしていた。
夕食が終わり、花火の音が聞こえると、幼い頃はおそらく親に手を引かれ、直江津小学校時代は親とともに会場へ向かった。
徒歩7〜8分。
決して広くない道の真上に大輪が開いた。
次第に音が体全体に響くようになる。
懐かしい思い出だ。

あす26日はその花火大会。
私は飛んでいきたい気分。
童心に返り、御幸町の屋台を引く…。

以下に「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」と題する2009年8月16日のブログを収める。

◇◆◇

私が子どもの頃もっとも楽しみにしていたのは、直江津祗園祭(祇園祭)。
それはもう待ち焦がれた。
7月26日〜29日の4日間(当時は不明)。
梅雨明けのタイミングと重なる。
直江津市が高田市などとの市町村合併を経て上越市となった現在、「上越まつり」の一部という位置づけ。
祭は1週間、前半の3日間は高田地区で、後半の4日間は直江津地区で行われる(これは昔から変わらないらしい)。

そして、直江津祗園祭の始まりを華かに告げるのが直江津花火大会。
いまは「上越まつり大花火大会(直江津地区)」。
5千発の打ち上げ、10万人の人出(当時は不明)。
人口3万人の小都市だったから規模は決して大きくないが、地域住民には最大のイベントだった。
花火大会の会場周辺に、後に述べる舟形屋台(山車)が集結して祗園囃子を奏でる様子は壮観である。
八坂神社(祗園社)から高田地区へ貸し出していた神輿(みこし)が両地区を流れる関川を船で下り、直江津地区に戻ってくる。
神輿の関川河口(花火大会会場)の到着に合わせ、ナイアガラとスターマインの豪華競演が繰り広げられる。

直江津地区の19町内会(当時は不明)がそれぞれ1台、装飾を凝らした舟形屋台(山車)を持っている。
昔、直江津は北前船の寄港地として栄え、千石船が絶え間なく出入りしていた。
舟形屋台はそれをかたどったもの。
これを各町内会の小学生がロープで引っ張る。
掛け声は、男の子が「わっしょい」と発し、女の子が「よいやさ」と受ける。
ニュアンスとしては「わぁーっしょい」「よいやさぁ〜」。

当時、直江津小学校の私も御幸町の舟形屋台(山車)を引いた。
かなりの重労働。
まして夏場なので汗だくになるが、それでも嬉しくて仕方がなかった。
「ご苦労さん」ということで、確かビニール袋に入った駄菓子が配られた。
しかし、それが目当てでない。
ひょっとすると、祗園祭に直江津小学校の鼓笛隊もパフォーマンスを披露したのでないか。
ならば、私は隊長だったので、先頭で指揮棒(指揮杖)を振っている。
記憶が曖昧。

この舟形屋台(山車)の後ろに太鼓が2つ据え付けられており、大人が叩く。
その後ろに笛を吹く大人数名が従う。
日が暮れて青っぽい提灯に明かりが灯ると、舟形屋台は優雅で幻想的な雰囲気に包まれる。
私は子ども心に、とても美しいと感じた。
ちなみに、祗園は京都八坂神社の旧称、祗園祭は京都八坂神社の祭礼。
知らなかった。

直江津祗園祭の4日間の大雑把なスケジュールは以下のとおり(当時は不明)。
1日目は、神輿が関川河口に到着。花火大会が開催。舟形屋台(山車)も会場周辺に集結。
2日目は、舟形屋台が市街巡回。
3日目は、舟形屋台が市街巡回。民謡流し(佐渡おけさのパレード)。
4日目は、舟形屋台がメーンストリート(八坂神社付近の商店通り)に集結。1台ずつ八坂神社に御饌米(おせんまい)を奉納。舟形屋台が解散(各町内会へ)。
なお、奉納では重い俵を担いだ大人が、露店が両脇を埋める八坂神社の百メートル強の参道を本殿目がけ、一気に駆ける。
なかなか勇壮!

私がグーグルで検索したら、生まれ育った直江津を深く愛する方のホームページが見つかった。
小学生、高校生、大学生、青年会と祗園祭にのめり込んだ経験が成長の糧となったと述べている。
氏は、さらに祗園祭が果たしてきた教育面の効用に言及し、その重要性を強調している。
祗園祭は長らく直江津地区で学校とは別の、地域社会のなかでの“学び”の機会になっていたとのこと。

近年、若者が祗園祭を支える青年会に入りたがらず、また小学生が少なくなり、永続が危ぶまれるのだとか…。
そのため、大人が担ってきた太鼓と笛を、中高生を含めた子どもが受け持つように…。
町内会によっては舟形屋台(山車)を引く小学生がほとんどいない。
また、地方衰退と人口減少の影響が祗園祭の沿道に現れている。
舟形屋台が集まっても人出が少なく、かつての熱狂が失われている。
地域住民の祗園祭に対する関心がかなり下がった。
私が子どもの頃は皆、祗園囃子が聞こえてくるだけで家の外に飛び出し、舟形屋台を探し歩いた。

ところで、私は「直江津屋台会館」ができたことは知っていたが、食べ物の屋台が揃う、観光客向けの飲食施設をイメージしていた。
何と食い意地が張っているのか。
そうでなく、祗園祭で繰り出される19町内会の舟形屋台(山車)を収蔵・展示しておくためにつくられた施設だった。
となると、明るい照明のもとですべての舟形屋台を四方八方から眺められる。

私は元気なうちに、直江津祗園祭を4日間じっくりと楽しみたい。
子どもの頃に覚えた胸の高鳴りを、もう一度取り戻したいのだ。
夢は叶うか?
両親と一緒というわけにいかない…。

◇◆◇

直江津祗園祭に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月8日「夏の風物詩・花火大会ランキング」はこちら。

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ホテルハイマートの駅弁「鱈めし」に関するブログは以下のとおり。

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かなざわ総本舗「出陣餅」に関するブログは以下のとおり。

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マムシに咬まれた! 原稿が終わった!

私はきのう、おととい、ブログを更新できなかった。
自分に課しているので、とても悔しい。
金曜日から日曜日(正確には月曜日)まで、仮眠を取るくらいで仕事に追われっ放しだった。

実は、「実践営業論」の講師を務めるSBI大学院大学(MBA)の依頼で、東洋経済新報社から出版される“起業本”の原稿を執筆していた。
同校の北尾吉孝学長や教授陣など総勢12名による共著であり、私は30ページを割り当てられていた。
このブログに掲載した記事を選択・編集・加工して原稿に仕立てればよいのだが、私一人が大幅に遅れていた。
締め切りは5月6日であり、全体の進捗管理を行う同校の事務局に多大な迷惑をかけていた。

それがついに完了!
即、事務局にメール添付送信。
原稿が終わりホッ。
怠け者の私は、こうした機会でもなければ永久に本を出せなかった。
周囲から強制され、なおかつ締め切りに追い立てられないと頑張れない。
我ながら情けない。

想像していたより大変だったのは、原稿のボリュームのせいだった。
共著にしばしば見られるが、1ページの文字数がかなり多く設定されていた。
通常の単行本の3分の1に相当すると、書き終えてから分かった。
私は70ページ分を受け持ったことになる。

初体験の共著に、競争心が猛烈に刺激された。
自分のなかに負けず嫌いなところがあると気づかされた。
他の先生の原稿は見られないものの、一番の出来になるように気合いを入れた(実際は不明。気持ちの問題)。
私に“共著”は合っている。

何よりもうれしいのは、このブログの記事が本に変わること。
書店に並ぶのは7月中旬、59歳の誕生日の前後だろうか(不確か)。
自分へのバースデープレゼントである。

もう一つ気づいたのは、このブログの記事で8冊分くらいの本を仕立てられることだ。
営業本2〜3冊、経営本、起業本、創造(企画)本、仕事本、学習(教育)本、講師本。
もっとも、だれかが私の尻をビシビシ引っぱたいてくれればの話だが…。



知人の福田剛大氏と先週、NPO法人営業実践大学の公開セミナーでお会いした。
“名刺”に特化した営業コンサルタント。
「原稿が終わりました。名刺本が7月か8月に出ます」。
声が弾んでいた。
彼にとり初の著作だ。
おめでとう!
一通り書き終えてから仕上がるまで長い月日がかかった。
出版社のOKが出たのだ。

氏を営業実践大学のゲストに招いたのはだいぶ前だ。
失礼ながら、こわごわ講義を行っていた。
これがきっかけになり営業雑誌で連載を行った。
それがきっかけになり営業本(名刺本)を出す。
私は感慨深いものがある。
次世代の営業講師や営業コンサルタントが育ってほしい。



やはり初の著作を出そうと頑張っている知人を励ましたくて電話をかけた。
直江津(新潟県上越市)の池田秀敏氏。
“図解”に特化した業務改革コンサルタント。
やはり営業実践大学のゲストに招いた。
さらに会報『月刊営業人(えいぎょうびと)』にボランティアで1年間計11回の大連載をやっていただいた。
毎号かなりのページ数だ。
文字数は単行本1冊分を優に超える。
それを仕上げ、出版社から刊行したいと奮闘している。

実は、4月下旬に直江津駅前のホテルセンチュリーイカヤで歓談の機会を持ったばかり。
ところが、電話の向こうの声が冴えない。
聞けば、退院したばかりという。
何と氏の実家がある上越市大島区(長野県寄り)の山合いに山菜採りに行き、マムシに咬まれて入院していた。
人が少ないところへ分け入った。
命に別条はなかったが、重症だった。
小さなお子さんがおり、奥さまは心配されたのでは…。

氏からゴールデンウィークに自生のウドが届けられた。
信じられないくらい立派だ。
早速炊き込みご飯などにしていただいたが、香りが素晴らしい。
過去にも2回いただき、そのたびに天然のうまさに感動してきた。
店頭で売られているものとまったく比べられない。

しかし、このウドは大島区で採ったものだった。
今回の件を知ってしまった以上、来年からは辞退したい。
早く元気になり、原稿へ向かってほしい。

私は半世紀近く前まで旧直江津市に住んでいたが、市内で山菜を採った記憶がない。
そうした場所がなく、「変だなぁ」と思っていた。
謎が解けた。
氏は旧大島村に足を運んでいたのだ。
ありがとう、わざわざ。

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人生の出陣の御守…受験・就活・婚活

出陣餅1私は直江津駅で「出陣餅」をみやげ(土産)に買った。
妻と子のリクエスト。
製造元は新潟県上越市の「かなざわ総本舗」。
中身は個別包装(個装)されており、それぞれに3切れの小さな餅が入っている。
米どころ新潟県産米を用い、しかも草餅である。
春一番の新芽のよもぎ(ヨモギ)が加えられる。
出陣餅2草餅のかすかな苦みが、濃厚で芳醇なきな粉(キナコ)と見事にマッチする。
酷似したみやげに「桔梗信玄餅」と「筑紫もち」がある。
製造元は前者が山梨県笛吹市の「桔梗屋」、後者が福岡県福岡市の「五十二萬石本舗(如水庵)」。

出陣餅33商品はいずれも戦国時代の名将に因んでおり、筑紫もちは黒田如水。
とくに出陣餅と信玄餅は、上杉謙信と武田信玄の「川中島の戦い」になぞらえられ、どちらが本家かという話題で盛りあがる。
家族で食べた感想を話し合った結果、ぶっちぎりで「出陣餅」に軍配が上がった。
出陣餅4もっとも庶民的で分かりやすい“風味”のせいか…。
3商品を同時に食べられれば、違いがもっとはっきりするように思う。

さて、出陣餅はどのように食べるのか?
黒蜜のミニボトルが埋め込まれたスペースに黒蜜を流し込んできな粉を餅に絡める方法を試みたが、容器が小さくてよくかき混ぜられない。
出陣餅5たっぷりのきな粉が外にあふれ出てしまう。
結局、個装の風呂敷(ビニール)を開いたうえにすべてをぶちまけていただいた。
餅を転がすうちに見栄えが悪くなった。
正しい食べ方というのはないが、基本は“小皿”を使うべき。
私はせっかちで横着なのだ。
出陣餅6きな粉をまぶしていたら、口に唾液が溜まってきた。
黒蜜も量が多いので、好みに応じて加減した。

ところで、一悶着が起こった。
私が買い求めた出陣餅は10個入りだった。
3人家族で分けると、1個余る。
これをだれが食べるか、信玄に議論が行われた。
そして、腰痛を抱えながらみやげを持ち帰った私が食べるのがよいという判決が下された。
私だけ、オ、スマン4個。

かなざわ総本舗のホームページ

出陣餅7かなざわ総本舗「出陣餅」。
上杉謙信が川中島の戦いを前に兵へ餅を与えて奮い立たせたとの故事に由来する。
ホームページには、入学(受験)、入社(就活)、結婚(婚活)など、人生の出陣(門出)に食してほしいと記されている。
上越みやげ出陣餅は、私たちに力を授けるとともに勝利(成功)を呼び込む“御守”である。
送料がかかるが、全国どこからでも取り寄せが可能。

かなざわ総本舗の通販サイト

お祝い事などにお奨め。
私はとてもおいしいと思う。

◇◆◇

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◆書き加え
いま気づいた。
菓子折り(パッケージ)のなかに「出陣餅しおり」が入っていて、「御召上り方」が図版と文章で示されていた。
私の食べ方でよかったのだ。

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鱈めしと磯の漁火は名作駅弁…直江津

きのうのブログ「直江津マイミクとセピオーラで歓談」の続き。
私は2年間お世話になった真行寺幼稚園を訪ねた後、JR直江津駅へ向かった。
横浜に帰宅するためだ。
その前に“大仕事”が残っている。

ハイマート火曜日の夜は直江津駅前の「ホテルハイマート」に宿泊する予定だった。
しかし、北陸本線が糸魚川付近の強風のために全面運休となり、黒部駅で足止めを食らった。
妻が私に代わってキャンセルの電話を入れたところ、営業の方が丁寧に対応してくださった。

鱈めし1私は以前、「にっぽん駅弁列島」というテレビ番組で、駅弁づくりに情熱を傾けるホテルハイマートの山崎邦夫社長の存在を知った。
今回、名物の駅弁をホテルの部屋で食べたいと張り切っていたのだ。

その夢は将来に取っておくとして、私を含めた家族3人の夕食に買って帰りたかった。
鱈めし2賞味時間が短いはずなので、ホテルのフロントに尋ねた。
そして、直江津駅の構内で「鱈めし」「さけめし」「磯の漁火」を購入した。

自宅に戻ったのが午後7時前。
妻も子どもも待ち侘びていた。
せっかくなので3種類を楽しもうと、分け合いながらいただく。

さけめし1「鱈めし」は絶品。
タラは硬めに仕上げられており、歯の弱い人は途中で噛むのがしんどくなるかも…。
タラコがおいしい。
私はこれが一番気に入った。
やや男性向け。

食べやすさでは断然「さけめし」。
なぜかサケはマイルド。
さけめし2だれにも好まれそう。
イクラが添えられている。
妻と子どもはこれが一番気に入った。
「おいしい!」。

鱈めしもさけめしもおかずとご飯の相性が素晴らしく、おおいに食が進む。
おかずは“具材”に近い。
米のうまさが引き立ち、名前に「めし」を押し出したのもうなずける。
いかにも米どころ新潟の駅弁。
むろんコシヒカリ。

磯野漁火1「磯の漁火」は酒好きに好まれそう。
何のことはないおにぎりがおいしい。
かなりの大きさなので、頬張る感じ。
中身はウメとサケ。
おかずはつまみにもなる、荒っぽい調理。
サザエ煮など、磯の風味が際立つ。
磯野漁火3ニシンのコンブ巻きは持っていかれた。
車窓から日本海を眺めながら食べるのがよい。
私はこれも気に入った。
かなり男性向け。

ホテルハイマートの駅弁は「地産地消」。
土地で取れたものを土地で用いる。
私は、生まれ故郷・直江津の味を堪能することができた。

山崎邦夫社長の志と人柄が反映されており、おいしさを追い求めていながら迎合が感じられない。
魂が込められた、シンプルかつストレートな駅弁である。
大衆受けを狙っていないところにも、私は好感が持てた。
ブームを意識した新商品が相次いで開発されるなか、無骨でさえある。
これこそ真の贅沢。

浮ついた旨味を拒み、色彩も地味に抑えている。
グルメでもおしゃれでもない。
総じて硬派、男っぽい出来だ。
最高!

私はホテルハイマートの駅弁に「名作」という言葉を贈りたい。
これからも新しい作品を全国へ発信していただきたい。



一連のブログは以下のとおり。

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◇◆◇

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◆書き加え

ブログにアップした直江津ホテルハイマートの駅弁の写真。
購入後、直江津駅から越後湯沢駅までほくほく線、東京駅まで上越新幹線、新横浜駅まで東海道新幹線、自宅までタクシーと乗り継いだ。
しかも、私は腰に激痛が走り、かつパスファインダーのキャリーバッグを引きずっていた。
荷物でいっぱいの状態…。
家族の夕食に気をつけて運んだつもりだったが、弁当の中身(おかず)が片寄ってしまったようだ。
もっとバランスよく盛りつけられていたはず。
心を込めてつくってくださった方に申し訳ないことをした。

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直江津マイミクとセピオーラで歓談

きのうのブログ「特急はくたか、強風で全面運休」の続き。
ホテルアクア黒部に緊急宿泊した私は目覚めて一番にテレビのスイッチを入れた。
地元のニュースを見たら、北陸本線は通常どおり運行している。
糸魚川近辺の強風が治まり、胸をなで下ろした。

魚津駅2私は午前11時半に直江津駅前でマイミク2名と歓談の機会を持つ約束をしていた。
ところが、それに間に合う「特急はくたか」が黒部駅でなく一駅戻った魚津駅しか停車しない。
黒部駅の窓口できのうの事情を話したところ、そのための乗車券を購入することなく各駅停車で魚津駅へ。
20分程の待ち合わせ時間をホームで過ごした。
魚津駅1私は富山県立魚津高校の卒業であり、この駅は2年生の2学期から3年生の3学期(といっても受験校だったので、3学期はほとんど通学しなかったと思う)まで乗り降りした。
基本的なつくりは当時と変わっていないのでは…。
「蜃気楼」の看板はかけられていなかった?

当時も駅の奥のほうに富山地方鉄道の新魚津駅があった。
ただし、昔は国鉄(現JR)の高架橋(線路橋)が地鉄まで延びていた(不確か)。
それが消えている。
魚津駅3人気の宇奈月温泉へはこちらから。

はくたかが全面運休になったお陰で、私は魚津駅のホームで懐かしい思い出に浸ることができた。
家庭が崩壊していた富山時代だったが、最近ようやく受け入れられるようになった。
が、両親にとっては長い地獄の入り口にすぎなかった。
人生でもっとも辛い十数年でなかったか。
私と妹のために歯を食い縛って頑張ったに違いない。

                       ◇

直江津駅私は、はくたかで11時過ぎに直江津駅に降り立った。
目の前に、幾度か宿泊したホテルセンチュリーイカヤ。
2階のレストラン「セピオーラ」で森川義明氏と池田秀敏氏のマイミク2人と2時間にわたりランチを楽しむ。
私と森川氏、森川氏と池田氏は初対面。
皆すぐに打ち解けられた。
例により私はしゃべりすぎ。
ごめん!

直江津駅前その後、私は一人、半世紀以上前に通った「真行寺幼稚園」を予告なしに訪ねた。
アメーバブログで知り合った「おぼうさん」にご挨拶したいと思ったのだ。
小さなお子さんの世話をしていたご本人にお目にかかれてよかった。
ブログどおりの人柄が伝わってきた。
母君からお茶を飲んでいくように熱心に勧められた。
どこの馬の骨とも分からない私に対し、何という優しさ。
私は帰りの都合があり、お断りした。
振り返ると、家のなかからお土産2つを持って追いかけてくる。
私は再び感動。
おぼうさんが「迷惑だから…」と割って入った。
2年間お世話になった真行寺幼稚園。
呉羽紡績(現東洋紡績)の支所兼自宅と、狭い道路を挟んだ斜め向かいにあった。
直江津小学校卒業まで、私の遊び場はおもに真行寺だった。
やんちゃな子どものことだから、かなりご迷惑をかけたはず。

直江津駅で途中下車し、ホントよかった。
皆さまと再会できますように…。

                       ◇

⇒2010年4月29日「特急はくたか、強風で全面運休」はこちら。

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大正期の洋館・いかや旅館…直江津

先日のブログ「苦戦議員の駆け込み寺としての新党」について、マイミクの「げらっち」氏からコメントが寄せられた。
以下に紹介しよう。

河野太郎さんの幹事長代理登用は遅きに失するといったところです。

谷垣さんは総裁選では「全員野球」とか「みんなでやろうぜ」などのフレーズを多用しました。
が、実際はその言葉と程遠いものでした。
参謀か選挙プランナーの入れ知恵にすぎないことが見抜かれてしまい、白々しさだけが残りました。

谷垣さんは優秀な方だと思いますが、いかんせん花がないし、いまの自民党にふさわしいリーダーではありません。
必要なのは、河野さんのような異端児。
私は、自民党が無難な谷垣さんを総裁に選んだ時点で、改革とか再生とかは無理だろうと思いました。
多様性がないと生き残れないのは政党のみならず企業にも通じるでしょう。

新党ブームに関しても、竹下派分裂⇒細川・羽田内閣の時代を思い出します。
新党の粗製乱造や離合集散を見た国民が冷やかなのは仕方ないですね。

みんなの党は英語表示では「Your Party」だそうです。
上越市の元市長の宮越馨さんは、みんなの党の新潟県支部長に就任されたそうです。
市長選に三連敗して政治生命は絶たれたと思いましたが、まだやる気みたいですね。
この方は故渡辺美智雄元副総理の秘書をされていた関係で、渡辺代表と親しいみたいですね。

以上。
コメント、ありがとうございます。

谷垣総裁は順風時、しかも維持を得意とする実務型の政治家でなかろうか。
恐らくその限りにおいて優秀なのだろう。
非常時のリーダーに不可欠な資質というか条件は「覚悟」である。
安全運転を心がけようとするほど、事態を悪化させる。

民主党政権の相次ぐ敵失のお陰で助かっているが、谷垣自民党は本来ならとっくに分解・倒壊している。
運のいい総裁だ。

⇒2010年4月6日「苦戦議員の駆け込み寺としての新党」はこちら。

⇒2010年4月5日「舛添要一と渡辺喜美が、あなたの党」はこちら。

げらっち氏は、私の生まれ故郷・直江津市(現上越市)に暮らすマイミク。
年齢も隔たり、面識はない。
先月、彼から新潟日報の切り抜き記事が送られてきた。
「変わる上越 直江津ぶらり編」。

そこには直江津小学校時代の思い出につながる写真が載せられていた。
三角屋根の直江津駅、八角塔の「いかや旅館」など。
前者は、長期出張帰りの父をしばしば母と出迎えに行った。
後者は、地元大工の技を結集した大正初期の洋館であり、長らく直江津のシンボルだった。
懐かしい!
感謝。

私は4月27日に富山第一ホテルで北陸経済研究所(北経研)が主催する「営業変革トップセミナー」の講師を務める。
対象は地場企業の社長など経営幹部。
その帰路に直江津駅で途中下車して一泊する。

翌日、げらっち氏と歓談の時間を持つことが決まっている。
ホテルセンチュリーイカヤ(旧いかや旅館)の2階「レストラン・セピオーラ」が落ち着く。
リーズナブルなランチをご一緒したい。
このときにできれば、もう一人のマイミク、さらにアメーバブログの友人をお誘いしたいと思っている。
私は、ライブドアブログをミラーサイトとしてアメーバ、FC2、ヤフーに展開している。
願いが叶えば、世代の異なる4人が集う。
楽しそう!

先の切り抜きのなかに、私が今回初めて宿泊する「ホテルハイマート」の駅弁「鱈めし(たらめし)」と、それを開発した山崎邦夫社長が取りあげられた記事が含まれていた。
私は直江津の名物駅弁「鱈めし」「磯の漁火」などを買うつもり。
仕事で北陸へ出かけるのだけれど、旅行・観光の気分だ。

                       ◇

2010年参院選(予想)に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年2月2日「自民惨敗、みんな躍進…参院選予想」はこちら。
⇒2010年2月17日「渡辺喜美みんなの党勝利…参院選予想」はこちら。
⇒2010年3月17日「歴代最低の総裁が自民党を消滅させる」はこちら。
⇒2010年3月23日「民主から自民を跳び越え、みんなへ」はこちら。

                       ◇

直江津途中下車に関するブログは以下のとおり。

⇒2007年4月25日「生まれ故郷・直江津へ自分探しの旅」はこちら。
⇒2008年2月17日「故郷・直江津にマイミク」はこちら。
⇒2009年8月30日「関川と荒川…直江津を流れる川」はこちら。
⇒2010年3月10日「直江津ホテルハイマートに宿泊予約」はこちら。


ホテルハイマートの駅弁「鱈めし」に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月15日「絶品駅弁! 直江津ハイマート鱈めし」はこちら。
⇒2009年9月21日「漁師まかない飯…直江津漁港」はこちら。

かなざわ総本舗「出陣餅」に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月4日「上杉謙信・出陣餅と武田信玄・信玄餅」はこちら。
⇒2009年8月29日「筑紫もち、信玄餅、出陣餅、三つ巴」はこちら。
直江津祗園祭に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月8日「夏の風物詩・花火大会ランキング」はこちら。
⇒2009年8月16日「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」はこちら。

直江津小学校時代に関するブログは以下のとおり。

⇒2007年3月11日「NHK・桜井洋子さんの活躍が励み」はこちら。
⇒2008年2月26日「上越・高田の観桜会…日本三大夜桜」はこちら。
⇒2009年4月4日「桜の名所、高田城址と高遠城址」はこちら。
⇒2009年4月5日「意外、人口最多は新潟県」はこちら。
⇒2009年7月22日「46年前の皆既日食」はこちら。
⇒2009年7月24日「感激! 生まれ故郷・直江津から…」はこちら。
⇒2010年3月11日「心にぽっかり穴…直江津小学校卒業式」はこちら。
⇒2010年3月17日「卒業式シーズン…大人への通過儀礼」はこちら。
⇒2010年3月20日「校歌を歌ってみなさい…就活・面接」はこちら。

◆書き加え
このブログは水曜日の午後8時にアップする予定だったが、私の連絡ミスできょうにずれ込んだ。
いつもメールで送った原稿を秘書か妻にアップしてもらっている。

私はときに1〜2週間分、まれに1カ月分を書き溜めている。
たいていは数日分。
また、数カ月〜1年前の素材を仕上げることもある。
そうしたストックをベースにブログを更新している。
ライブドアやFC2、アメーバは予約機能があり、それをフルに活用している。
むろん、時間が取れるときは、なるべく当日分をプラスするようにしている。

さて、3人をお誘いして直江津で昼食を楽しもうと思ったが、何せ平日。
お一人から難しいとのご連絡をいただいた。
すでに予定が入っており、動かせないのだ。
とても残念…。

4月28日は私を含めたマイミク3人の“オフ会”となった。
待ち遠しいなぁ…。

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2010年4月公開講座

心にぽっかり穴…直江津小学校卒業式

私は人生で一度も「卒業式」を経験していない。
直江津小学校では、卒業式の前日に長野県伊那市へ引っ越した。
私が愛してやまない生まれ故郷での最後は悲惨だった。
心にぽっかり穴が開き、それは半世紀近くを経たいまも埋まっていない。
呉羽紡績(現東洋紡績)は父親の転勤をなぜ遅らせてくれなかったのか?

直江津小学校には楽しくしかも誇らしい思い出しか残っていない。
私はこれ以降、輝きを放てなかった。
ささやかな栄光はこの時代に集中しているのだ。

私は6年生全員による投票を経て「児童会長」に選ばれた。
ほかに立候補者がいて、選挙演説を行った記憶がある。
当時、級長でもそうだったが、児童会長は成績が上位の子どもが就いた。
また、直江津小学校では「鼓笛隊」に力を入れており、私は先頭でバトン(指揮棒、指揮杖)を振った。
さらに中核の学校であったため、直江津市内の全小学校が集まるイベントでは、私が壇上に立って総指揮を執った。
それは壮観な眺めだった。

6年生は何度か全クラス揃って卒業式の練習。
松・竹・梅・桃の4クラス(学級名はひらがなだったかもしれない)。
おおよそ1クラス50人、計2百人。
私はその都度、教室にポツンと取り残された。
担任の先生が、卒業式に出席できない私に練習をやらせては可哀想と判断したのだろう。
教室の窓を開けると体育館から先生や児童のマイクの声、そして歌声などが聞こえてきた。
このときの寂しさを忘れられない。
仲のいい友だちが大勢いたのに、自分一人になった気分だった。
ただし、引っ越し前にクラスで別れの挨拶を行うことはできた。

私は卒業式で皆と一緒に6年間親しんだ校歌を力一杯歌いたかった。
無念…。

両親はこの件をどう考えていたのか。
一度聞いてみたいと思っているうちに、それも叶わなくなった。
現在では、仮にそうした命令を受け入れざるをえないにしても、私と母親は2日遅れで移動するのでないか。
しかし、そうした発想がまったくなかった。
家長に従う。
どちらかがホテルに泊まるなどとんでもない。
引越だって“お任せパック”はなく、家族の手で梱包も開梱も行うしかない。
記憶が曖昧だが、列車で移動した私たちと並行するようにトラックが走行していたのでないか。
あるいは、コンテナが貨物列車で輸送されていたか…。

私たちが伊那に着いて間もなく、荷物も届いたと思う。
疲れていたが、当日夜の生活に困らぬよう、一部は開梱を行ったのでないか。

日本海を眺めながら育った私にとり、2〜3千メートル級の山々に挟まれた伊那(盆地)は息苦しさを覚えた。
そして、西も東も分からない土地で伊那中学校に入学した。

入学式だったか始業式だったか、クラス分けが発表された。
3年間、担任も級友も変わらず。
同じクラスになった生徒が気さくに話しかけてきた。
人懐っこい顔をしている。
自宅がすぐそばと分かり、一緒に帰った。
私は不安が和らいだ。
互いにどれほど行き来しただろう。
やがて伊那が好きになった。

2009年10月16日のブログ「リニア中央新幹線は伊那谷ルート!」
むろん、私情にすぎず、その正当性を述べたものでない。
リニアの目的を考え、かつ特性を生かすなら、結論は議論するまでもない。
が、伊那中学校の卒業式に出席できなかった私は思うのだ。
リニア中央新幹線は伊那谷ルート!
これで決まり。
異議なし。

伊那中学校入学直後、私は人生の奥深さを教えられた。
大人の勉強…。
人はつまらないことを覚えていたりする。
級友がよそ者の私に「伊那盆地を反対から読め」と、偉そうに命じた。
けがれを知らない私は感動に身震いした。
それ以来、縮まったまま。
厚い氷に閉ざされた頂きは、ついに日の目を見ることがなかったとさ。
己の生涯と重なる。

                       ◇

余談。
高校以降はともかく、小学校や中学校の校舎は木造に尽きる。
人に優しく、味わいが深い。
直江津小学校も伊那中学校もそうだった。
古い建物を大切に使った。
雑巾掛け(ぞうきんがけ)をやったっけ。
木が乾いたのか、それともすり減ったのか、節目や木目が目立った。

校舎がコンクリート製だと愛着が湧きにくい。
とりわけ廊下や階段の印象が薄い。
不思議。

人間の基礎ができる年齢の学校生活は木造がマッチしているのでは…。
私は、どこかで教育の荒廃とつながっている気がしてならない。

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直江津ホテルハイマートに宿泊予約

直江津駅前の「ホテルハイマート」に宿泊を予約した。
小さな地方都市のありふれたビジネスホテルであり、取り立てて騒ぐほどのこともない。
むろん観光客も利用する。
料金は低廉。

が、私にとり格別の喜びがある。
生まれ故郷だからだ。
直江津小学校の卒業式前日に長野県伊那市へ引っ越してから半世紀近い歳月が経つ。
還暦を来年に控え、ふるさとの土を踏めること自体が嬉しいのだ。
体を長らく酷使してきており、こうした機会がいつ最後になってもおかしくない。

これまでは隣接する「ホテルセンチュリーイカヤ」に宿泊してきた。
屋内・室内は快適であり、「レストラン・セピオーラ」での食事にも満足した。
今回はホテルハイマートにお世話になる。
その理由は以前、直江津駅で購入した「鱈めし(たらめし)」「鮭めし(さけめし)」のうまさ。
前者は、「全国駅弁甲子園 親子弁当対決優勝!」とのこと。
私は食べ損ねたが、妻と子によれば両方とも名品らしい。
「おいしい!」を連発しながら、それぞれ半分ずつ分け合った。

実は、ホテルハイマートには、ユニークな駅弁づくりに情熱を傾ける名物社長がいる。
山崎邦夫氏。
そのことをBSジャパン(テレビ東京系のBSデジタル局)の「にっぽん駅弁列島」という番組で知ったのだった。
毎週、一つの駅弁にフォーカスし、つくり手と開発秘話を紹介している。
私は間抜けな話ながら、この番組で取りあげられた肝心の駅弁が何だったか思い出せない。
しかし、山崎邦夫社長の愛情が詰まった駅弁をホテルの自室か北越急行ほくほく線の「特急はくたか」の車内で味わってみたい。
私が気になるのは、「鱈めし」と「磯の漁火(いそのいさりび)」。
直江津の海岸は砂の「浜」であり、石や岩を連想させる「磯」という言葉がしっくりこない。
だが、「磯の漁火」は情景を掻き立てられ、食欲もそそられるネーミングだ。

なお、ホテルセンチュリーイカヤはリストラの一環で駅弁事業から撤退し、直江津駅の駅弁を手がけるのはホテルハイマート1社になった。

私は、直江津みやげにかなざわ総本舗(新潟県上越市)の「出陣餅」、くさのやの「謙信笹だんご」を買うつもり。
荷物になるため、最小のパッケージ。
家に持ち帰れば、瞬時に消えるのでないか…。
出陣餅が信玄餅、筑紫もちと決定的に異なるのは、草餅(よもぎ餅)であること。
山梨県と福岡県の地元の方々に許していただきたいが、私は出陣餅が一番おいしいと思う。

                       ◇

私は4月27日、富山市の財団法人北陸経済研究所(北陸銀行シンクタンク)が主催する北経研経営セミナーで講師を務める。
過去2回は「提案営業セミナー」を開催したが、今回は「営業変革トップセミナー」。
地元の中堅・中小企業の社長や取締役、営業幹部を対象とした内容。

私は北経研から仕事をいただくと、富山へ行くのに、富山に帰る気分になる。
帰省のワクワク感…。
私は魚津高校の卒業であり、北陸でのセミナーは格別。
北陸銀行は当然、両親も利用していた。

そして、北経研の帰路に直江津駅で途中下車し、一泊している。
翌日、直江津小学校の同級生を訪ねたり、NPO法人営業実践大学の会員やSNSのフレンドと歓談したり、生家の周辺や市街を散策したりする。
今回はどこへ出かけようか…。
低い雁木(がんぎ)の下の狭い通路を歩くだけで、幼い頃の暮らしの光景が甦ってくる。
若い頃の両親の面影にも会える。
懐かしい。

いまネットで調べていたら、番組で取りあげられたのは「磯の漁火」と判明。
食べるぞっ!

                       ◇

過去2回の直江津途中下車に関するブログは以下のとおり。

⇒2007年4月25日「生まれ故郷・直江津へ自分探しの旅」はこちら。
⇒2008年2月17日「故郷・直江津にマイミク」はこちら。
⇒2009年8月30日「関川と荒川…直江津を流れる川」はこちら。

ホテルハイマートの駅弁「鱈めし」に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月15日「絶品駅弁! 直江津ハイマート鱈めし」はこちら。
⇒2009年9月21日「漁師まかない飯…直江津漁港」はこちら。

かなざわ総本舗「出陣餅」に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月4日「上杉謙信・出陣餅と武田信玄・信玄餅」はこちら。
⇒2009年8月29日「筑紫もち、信玄餅、出陣餅、三つ巴」はこちら。

直江津祗園祭に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月8日「夏の風物詩・花火大会ランキング」はこちら。
⇒2009年8月16日「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」はこちら。

直江津小学校時代に関するブログは以下のとおり。

⇒2007年3月11日「NHK・桜井洋子さんの活躍が励み」はこちら。
⇒2008年2月26日「上越・高田の観桜会…日本三大夜桜」はこちら。
⇒2009年4月4日「桜の名所、高田城址と高遠城址」はこちら。
⇒2009年4月5日「意外、人口最多は新潟県」はこちら。
⇒2009年7月22日「46年前の皆既日食」はこちら。
⇒2009年7月24日「感激! 生まれ故郷・直江津から…」はこちら。

                       ◇

直江津のホテルハイマートの駅弁・弁当は以下のとおり。

◎鱈めし(全国駅弁甲子園 親子弁当対決優勝!) 1100円
◎鮭めし 1100円
◎磯の漁火 1150円
◎親子にしん(雑誌 大人の週末「横綱」獲得!) 900円
◎かにずし 900円
◎するてん(要予約) 1000円
◎甘海老天丼 1000円
◎ほたてごはん 1000円
◎上越後ふるさと弁当 950円
◎愛の御膳…限定弁当(BS1紹介) 1200円
◎愛の直江の津 1100円
◎あいなめの煮付けお弁当…新作 1100円。
いずれも税込。

ほかに駅弁(幕の内弁当)や季節限定弁当がある。

私は「親子にしん」、BS1紹介の「愛の御膳」も気になる。
新作の「あいなめの煮付けお弁当」は煮魚の駅弁か。
だとすると、きわめて珍しい?

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北陸経済研究所20100427

直江津のマイミク…新聞奨学生物語

マイミクの「げらっち」氏。
私の生まれ故郷・新潟県直江津市(現上越市)に暮らす。
「げら」はあの辺りの方言で、「〜したらしい」。

きのうのブログ「いざ新聞配達!…新聞奨学生物語」にメッセージを寄せてくださった。
本人の許可を得られたので、以下に転載する。

ブログの更新、お疲れさまです。
最新のブログ、新聞奨学生の記事は、とても身につまされました。
私の同級生にもおり、これまでに何度も話を聞かされてきました。

昔は国全体がそれほど裕福でなく、そのために進学を諦めたり、働きながら学校に通ったりという話はそこらじゅうにありましたね。

私も決して裕福でない家庭にありながら、親が苦労して大学を出させてくれたことを感謝しております。

カネもモノもない時代の苦労を思えば、いまの不況や円高なども気構えで乗り越えていける力を、我々日本人は持っているのではないでしょうか。

以上。
メッセージ、まことにありがとうございます。

私は「新聞奨学生」と「新聞配達」について、自分の体験を土台にブログを書いている。
若い頃の生活を振り返ることのほかに、もう一つ社会的な意味がある。
実は、新聞の「宅配制度」はそれほど長く続かないだろうと考えている。
それを記録に残しておきたい。

以下は、新聞配達(新聞奨学生制度)に関する私の一連のブログ。
⇒11月24日「日経BP社・日経ビジネスの行く手」はこちら。
⇒11月29日「親を捨てる口実…新聞奨学生物語1」はこちら。
⇒11月30日「奨学金の今と昔…新聞奨学生物語2」はこちら。
⇒12月1日「いざ新聞配達!…新聞奨学生物語3」はこちら。
⇒12月2日「チラシ折り込み…新聞奨学生物語4」はこちら。

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2009年12月公開講座

漁師まかない飯…直江津漁港

私の生まれ故郷、直江津。
その漁港に漁師の賄い飯(まかないめし)がある。
ちょうど1カ月前、8月21日に放映されたテレビ東京「所さんのそこんトコロ」の特別編で知った。
わが人生0557そうなのか…。
スタジオで数名のゲストが食べていたが、とてもおいしそう。
私は“ながら視聴”だったので、肝心の説明を聞き逃してしまった。
恐らく「鯛」を下ろし、熱々のご飯にのせたもの(不確か)。
マグロ丼をタイ丼にした?
名前は? また、味付けはどうやるのだろう?

子どもの頃、浜で地引網を引くのを手伝ったら(実際は迷惑だったかもしれない)、漁師が魚をくれたことを思い出した。
そのおいしかったこと!
番組で紹介されたまかない飯は、地元ではそれなりの名物らしい。
直江津を訪れる機会があれば、ぜひ食べてみたい。
きっと和食処などでメニューとして取り入れられているはず。

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関川と荒川…直江津を流れる川

私は直江津を流れていた川の名前があやふやになり、グーグルのマップで調べた。
そして、いくつかのブログで「関川」という言葉を用いた。
しかし、どうもしっくりしない。

いま、関川の河口にかかった「荒川橋」という名前に触れ、思い出した。
昔は「荒川」だったはず。
川の名前が変更されるなどということがありえるのか?

真行寺幼稚園あっ、グーグルで「関川と荒川」と題する興味深い記事が見つかった。
アメーバブログ「直江津の真行寺」。
主(管理人)は、私が通った「真行寺幼稚園」の園長、中戸賢裕氏。
呉羽紡績(後に東洋紡績)の支所兼自宅と、道路を挟んだ斜め向かいにあった。
直江津小学校直江津小学校の頃に遊んだ方だろうか?
記憶が曖昧。

さて、中戸賢裕氏のブログによれば、直江津を流れる川は上流では関川と言い、下流では荒川と言っていた。
なるほど、日本最長の「信濃川」は、上流の長野県では「千曲川」と呼ばれる。
だが、荒川の改修問題が起こり、建設省が荒川橋と直江津橋のきわに「関川」という看板を立てた。
地元の新聞やテレビも関川と呼ぶようになった。
そうした経緯があった模様。

確かに、人の名前と同じく固有名詞である。
住民感情を無視し、歴史と親しみのある川の名前を変更するのはいかがなものか。
ちなみに、関川は「せきがわ」と読むそうだ。
中戸賢裕氏は、ひいお爺さま・中戸賢亮氏の著作『直江津こぼれ話』(北越出版、1974年刊)を引用しながら述べている。
直江津小学校卒業まで直江津で過ごした私にとり、関川はやはり「荒川」である。



きょうのブログは盆休み前の執筆(私はまれに1カ月分ほど書きためることがある)。
その後、中戸賢裕氏「直江津の真行寺」を読者登録。
その際のやり取りで判明したことがあり、書き加えたい。
私が直江津小学校の頃に遊んだのは、中戸賢裕氏のお父さまだった。
真行寺の現住職である。
私はそそっかしい。

ホテルセンチュリーイカヤ4月、富山・財団法人北陸経済研究所で公開セミナーの講師を務めた帰路に直江津駅で途中下車し、ホテルセンチュリーイカヤに宿泊。
翌日、短時間ながら市街を散策。
真行寺幼稚園はとても立派になっていて、近くの駐車場に送迎バスが何台か…。
地元で果たしてきた貢献の大きさが伝わってきた。
現在、同幼稚園は規模の拡大にともない、私がかつて住んでいた家の真向かいにある。
数メートル幅の道路を挟むだけ。
ただし、その家は更地に変わっている。

真行寺私が当時、おもに遊んだのは真行寺。
寺と幼稚園が一続きの建物だった?
私は冬場を除き、近所の仲間と真行寺の空き地(境内というべきか?)で野球や缶蹴り、鬼ごっこなどをして楽しんだ。
大声を出したり、ボールを打ち込んだり、壁を汚したり、かなり迷惑をかけたかもしれない。
度が過ぎたのだろう。まれに注意を受けた記憶があるが、強く叱られたことは一度もない。
私たちを温かく見守ってくれたことになる。

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筑紫もち、信玄餅、出陣餅、三つ巴

筑紫もち1先だって博多駅の売店で「筑紫もち」を買い求めた。
以前、知人から上越の「出陣餅」をいただき、とてもおいしかった。
しかし、妻が昔食べた甲府の「信玄餅」の模倣でないかと言い出した。
直江津をこよなく愛する私がネットで調べるうちに、「筑紫もち」「桔梗信玄餅」「出陣餅」という似たような土産物が存在することが分かった。
順に、五十二萬石本舗(福岡県福岡市)、桔梗屋(山梨県笛吹市)、かなざわ総本舗(新潟県上越市)の製造。
文字どおり、三つ巴の戦い。

私は毎年数回、多いと十回近く福岡を訪れる。
実は、8月上旬に2日間の「提案営業セミナー」を行った際に「筑紫もち」を購入してみた。
ちなみに、同セミナーは財団法人九州生産性本部が主催する「提案営業マネージャー養成コース 全17日間」のうちの8月講座に相当する。
筑紫もち2私のお気に入り、地元の老舗「タカクラホテル福岡」での合宿研修である。

さて、家族で食べて感想を話し合った(といっても、私と子どもは信玄餅を食べていない)。
「筑紫もち」「信玄餅」「出陣餅」、それぞれおいしい。
商品の基本は同じなのだから当然か…。
「出陣餅」のみ、草餅(よもぎ餅)。
妻の一押し。私も子どももこちらに軍配。
しかし、地元の名産品が一番ということになるはず。
以前にも述べたが、“郷土愛”とはそうしたもの。

ただし、私がおやっと思ったのは「賞味期限」。
「出陣餅」は数日だったのに対し、「筑紫もち」は約1カ月。
夏場なのにずいぶん長い。
なぜ、こんなに違うのか?
それとも、私がいただいた「出陣餅」はたまたま賞味期限が迫っていたのだろうか。



妻が後日、申し訳なさそうに切り出した。
筑紫もち3「出陣餅」と「信玄餅」は双子の兄弟。
草餅と餅の違いくらい。
「筑紫もち」は3兄弟。
味がかなり違う。

餅と黄な粉、それぞれの食感がしっかりしているのは「出陣餅」。
素材の風味が際立つ。
また、草餅との相性が抜群によい。

記憶があいまいになっているが、「信玄餅」はそれなり。
ただし、黄な粉の風味と分量が異なる。
出陣餅と差がある。

筑紫もち4そして、「筑紫もち」は「出陣餅」や「信玄餅」とは比べられない。
餅がふわっとして水っぽく、黄な粉もさらっとして大豆特有の風味が乏しい。
大きな差がある。

私が「提案営業」の講師として多くの仕事をいただいてきた福岡、そして九州。
遠慮があり、思ったことを言えなかったようだ。
筑紫もち5甘味にうとい私が、この話題をブログに取りあげるので気を揉んでいた。
妻は話してホッとした様子。

しかし・・・。
「筑紫もち」を製造する五十二萬石本舗は、「五十二萬石如水庵」「如水庵」というブランドを打ち出している。
如水。
洗練を大切にしているということはないか。
包装紙やパッケージはなかなかおしゃれ。
味についてもさりげない優しさを追い求めている?

私も妻も“庶民”であり、メリハリの利いた分かりやすい味を好む。
「出陣餅」のインパクトに触れた後で、「筑紫もち」に物足りなさを感じた可能性は十分にある。
パンフレットそもそも「2008年モンド・セレクション最高金賞受賞」の商品がおいしくないなどありえない?
あっ、パンフレットに如水庵のこだわりとして真っ先に「水はもっとも大切な原料です。」と掲げている。

・・・私と妻は、それぞれ好みの問題という結論に達した。
やはり地元の土産が最高!

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直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台

私が子どもの頃もっとも楽しみにしていたのは、直江津祗園祭(祇園祭)。
それはもう待ち焦がれた。
7月26日〜29日の4日間(当時は不明)。
梅雨明けのタイミングと重なる。
直江津市が高田市などとの市町村合併を経て上越市となった現在、「上越まつり」の一部という位置づけ。
祭は1週間、前半の3日間は高田地区で、後半の4日間は直江津地区で行われる(これは昔から変わらないらしい)。

そして、直江津祗園祭の始まりを華かに告げるのが直江津花火大会。
いまは「上越まつり大花火大会(直江津地区)」。
5千発の打ち上げ、10万人の人出(当時は不明)。
人口3万人の小都市だったから規模は決して大きくないが、地域住民には最大のイベントだった。
花火大会の会場周辺に、後に述べる舟形屋台(山車)が集結して祗園囃子を奏でる様子は壮観である。
八坂神社(祗園社)から高田地区へ貸し出していた神輿(みこし)が両地区を流れる関川を船で下り、直江津地区に戻ってくる。
神輿の関川河口(花火大会会場)の到着に合わせ、ナイアガラとスターマインの豪華競演が繰り広げられる。

直江津地区の19町内会(当時は不明)がそれぞれ1台、装飾を凝らした舟形屋台(山車)を持っている。
昔、直江津は北前船の寄港地として栄え、千石船が絶え間なく出入りしていた。
舟形屋台はそれをかたどったもの。
これを各町内会の小学生がロープで引っ張る。
掛け声は、男の子が「わっしょい」と発し、女の子が「よいやさ」と受ける。
ニュアンスとしては「わぁーっしょい」「よいやさぁ〜」。

当時、直江津小学校の私も御幸町の舟形屋台(山車)を引いた。
かなりの重労働。
まして夏場なので汗だくになるが、それでも嬉しくて仕方がなかった。
「ご苦労さん」ということで、確かビニール袋に入った駄菓子が配られた。
しかし、それが目当てでない。
ひょっとすると、祗園祭に直江津小学校の鼓笛隊もパフォーマンスを披露したのでないか。
ならば、私は隊長だったので、先頭で指揮棒(指揮杖)を振っている。
記憶が曖昧。

この舟形屋台(山車)の後ろに太鼓が2つ据え付けられており、大人が叩く。
その後ろに笛を吹く大人数名が従う。
日が暮れて青っぽい提灯に明かりが灯ると、舟形屋台は優雅で幻想的な雰囲気に包まれる。
私は子ども心に、とても美しいと感じた。
ちなみに、祗園は京都八坂神社の旧称、祗園祭は京都八坂神社の祭礼。
知らなかった。

直江津祗園祭の4日間の大雑把なスケジュールは以下のとおり(当時は不明)。
1日目は、神輿が関川河口に到着。花火大会が開催。舟形屋台(山車)も会場周辺に集結。
2日目は、舟形屋台が市街巡回。
3日目は、舟形屋台が市街巡回。民謡流し(佐渡おけさのパレード)。
4日目は、舟形屋台がメーンストリート(八坂神社付近の商店通り)に集結。1台ずつ八坂神社に御饌米(おせんまい)を奉納。舟形屋台が解散(各町内会へ)。
なお、奉納では重い俵を担いだ大人が、露店が両脇を埋める八坂神社の百メートル強の参道を本殿目がけ、一気に駆ける。
なかなか勇壮!

私がグーグルで検索したら、生まれ育った直江津を深く愛する方のホームページが見つかった。
小学生、高校生、大学生、青年会と祗園祭にのめり込んだ経験が成長の糧となったと述べている。
氏は、さらに祗園祭が果たしてきた教育面の効用に言及し、その重要性を強調している。
祗園祭は長らく直江津地区で学校とは別の、地域社会のなかでの“学び”の機会になっていたとのこと。

近年、若者が祗園祭を支える青年会に入りたがらず、また小学生が少なくなり、永続が危ぶまれるのだとか…。
そのため、大人が担ってきた太鼓と笛を、中高生を含めた子どもが受け持つように…。
町内会によっては舟形屋台(山車)を引く小学生がほとんどいない。
また、地方衰退と人口減少の影響が祗園祭の沿道に現れている。
舟形屋台が集まっても人出が少なく、かつての熱狂が失われている。
地域住民の祗園祭に対する関心がかなり下がった。
私が子どもの頃は皆、祗園囃子が聞こえてくるだけで家の外に飛び出し、舟形屋台を探し歩いた。

ところで、私は「直江津屋台会館」ができたことは知っていたが、食べ物の屋台が揃う、観光客向けの飲食施設をイメージしていた。
何と食い意地が張っているのか。
そうでなく、祗園祭で繰り出される19町内会の舟形屋台(山車)を収蔵・展示しておくためにつくられた施設だった。
となると、明るい照明のもとですべての舟形屋台を四方八方から眺められる。

私は元気なうちに、直江津祗園祭を4日間じっくりと楽しみたい。
子どもの頃に覚えた胸の高鳴りを、もう一度取り戻したいのだ。
夢は叶うか?
両親と一緒というわけにいかない…。

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絶品駅弁! 直江津ハイマート鱈めし

上越市の直江津駅前に「ホテルハイマート」がある。
率直に述べれば、印象のきわめて薄いネーミングだ。
隣の「ホテルセンチュリーイカヤ」に位負けしている。

余談ながら、ホテルセンチュリーイカヤは私が子どもの頃は「いかや旅館」という木造の古びた洋館だった。
当時は駅舎も木造であり、猫の額ほどの駅前広場にはそれなりの風情が漂っていた。
いまは近代的なホテルに生まれ変わっている。
私は50代になってから仕事ついでほか、3度ホテルセンチュリーイカヤに宿泊した。
屋内と室内はなかなか快適である。
2階の「レストラン・セピオーラ」はミニ会席などがとてもおいしい。深くて品のある味付けだ。
創業百5十年の老舗だけに接客もよく、私のお気に入り。

さて、名前は冴えないホテルハイマートだが、ここの駅弁は飛び切りおいしい。
私は川崎のホテルでBSジャパン(テレビ東京系のBSデジタル局)の「にっぽん駅弁列島」をたまたま見た。
「第12話『磯の漁火』JR北陸本線・直江津駅」。
番組では毎週、一つの駅弁にフォーカスし、つくり手と開発秘話を紹介している。
私が直江津出身ということを別にしても、面白かった。
なお、放送は土曜日午後6時30分から、再放送は金曜日午後10時30分から。

私は番組で、ホテルハイマートの代表取締役社長、山崎邦夫氏を知った。
地元の新鮮な食材にこだわった駅弁づくりに情熱を傾ける名物男らしい。
直江津駅これまでにユニークな駅弁を数多く生み出してきた。

以前、妻と子が直江津駅のホームでホテルハイマート謹製の「鱈めし」「鮭めし」を買い求めた。
前者は、全国駅弁甲子園・親子弁当対決優勝。
そして、ほくほく線の「特急はくたか(北陸・信越本線)」の車内で半分ずつ分け合った。
妻は「こんなにおいしい駅弁は食べたことがない」と驚嘆の声を上げた。
子どもも見事な食べっぷり。
私は喜ぶ二人を横目にがまん。一口、味見をしたかった。
価格は各千百円と安くないが、満足度が高い。
とくに「鱈めし」は絶品とか。

例により、番組は“ながら視聴”。
山崎氏は新しい駅弁をつくると、直江津の海岸に出向いて試食する(不確か)。
テレビに映っていたのは、関川の河口寄りの船見公園か。
ここから眺める夕日のような駅弁をつくってみたいと語る表情は子ども。
それは全国でも珍しい煮魚の駅弁になる?
また、長らく海鮮を用いてきた山崎氏は、これから野菜に挑んでみたいとも…。
次々とアイデアが沸いてくるのだろう。
私は、番組で紹介された「磯の漁火」という舌を噛みそうな名前の駅弁をいつか食べると決めた。

だいぶ先のこととはいえ、北陸新幹線が開業したら、直江津の駅弁は消えてしまう運命か。
交通の要所の地位も明け渡すことになる。
そうでなくても、かつて賑わったメインストリートは店仕舞いが進み、人の行き来が途絶えた。
駅前から荒川橋にかけての商店街は寂れるばかり。
どうかホテルセンチュリーイカヤと競い合い、個性的な駅弁をつくってほしい。



ホテルセンチュリーイカヤいまウィキペディアで知ったので、書き加える。
ホテルセンチュリーイカヤは事業見直しの一環として、2008年に駅弁事業から撤退した。
昔、駅弁はいかや旅館のほうが有名だった?
イカのユーモラスなイラストを施した駅弁があったかもしれない(記憶が曖昧)。
また、それが「いかべん」かどうかも分からない。

もう一つ。
ホテルハイマートのハイマートは、ドイツ語で「Heimat」。
ふるさと、故郷という意味。
そうなのか。
ビジネス客や旅行客が心からくつろげる“ふるさと”のようなホテルを目指しているのだろう。
「名前は冴えない」などと、失礼な。

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上杉謙信・出陣餅と武田信玄・信玄餅

私は甘いものが大の苦手だった。
餡子は体がまったく受け付けない。
恐らく30代半ば頃までケーキやチョコレートさえ食べられなかった。

プランナーとして寝る間を惜しんで働くなかで、疲労時や空腹時に口にするようになった。
そして、40代に立ちっ放し、しゃべりっ放しの講師に仕事が変わってから甘味においしさを感じはじめた。
私は血圧が非常に低く、血糖値も落ちやすい。
頭がくらくらする。

先だって、知人から上越名産の「出陣餅」をいただいた。
製造元はかなざわ総本舗(新潟県上越市)。
私は直江津の出身だが、小学生の頃には「出陣餅」はなかった。
当時、おもな土産物といえば、「笹団子(だんご)」「笹飴(あめ)」「継続団子(だんご)」の3種類(うろ覚え)。
製造元により表記や名前がいくらか異なることも…。
例えば、直江津では「くさのや」「三野屋」などのそれが有名。

さて、「出陣餅」を食べたら、これが結構いけるのだ。
ところが、妻が昔食べた甲府の土産物にそっくりと異議を唱えた。
形や大きさ、味はもちろんのこと、なかの容器の形状、そして食べ方までまったく同じ。
かすかな違いは、こちらが草餅で、向こうが普通の餅。
つまり、安倍川餅。
黄粉に埋もれた3切れの小さな餅に黒蜜を絡め、黄粉まみれにする。

出陣餅はマネッコの汚名を着せられそう…。
そこで、上越をこよなく愛する私はネットで調べた。
確かに存在するではないか。
「桔梗信玄餅」。
製造元は桔梗屋(山梨県笛吹市)。
先に金精軒製菓(山梨県北杜市)が「信玄餅」を出した。
こちらが元祖である。

では、「出陣餅」と元祖の「信玄餅」ではどちらが早いのだろう?
それが肝心。
前者が先との説があり、私は嬉しい。
しかし、おおよそ同じ時期の発売であり、ほんとうのところは分からなかった。

両者は似て非なるもの、生い立ちが違うとの指摘もあった。
だとしても、製造元が互いに相談するか、どちらかが模倣しなければ、瓜二つの土産物ができるわけがない。
真相はいかに?

上杉謙信と武田信玄が土産物合戦をやっていたとは…。
川中島の戦いの延長。
妻は「草餅のほうがおいしい」と言ってくれた。
何せ、くさのやの「笹団子」に目がない。
向こうの方は眉をしかめるはず。
“郷土愛”とはそうしたもの。

何、「筑紫もち」もそっくり?
製造元は五十二萬石本舗(福岡県福岡市)。
私はいま福岡に滞在。
こうなったら買い求めるしかないだろう。

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暗闇に茫然と立ち尽くす私

20080402-01先のブログの続き。
前回の北経研のセミナーでは、前日に妹と富山市で夕食をともにした。
妹夫婦は、両親が滑川市天望町に建てたかつての実家に住んでいる。
父は職業人生で大きな屈辱と挫折を味わったが、母とともにその後の度重なる苦難を乗り越えて、ついに理想の住まいを手に入れた。
決して贅沢でないが、生きる希望と執念が塗り込められた、とてもいい家だった(私は住んでいない)。
全体の造りと間取り、建物の内部と隅々に注意が行き届いていた。
私が東京から戻り、一緒に暮らす日を夢見ているのでないかと思ったことがある。
後年、私はいま暮らす横浜・港北ニュータウンの団地に一戸買い増し、両親を呼び寄せられた。

…話が横道に逸れてしまった。
セミナー当日に生まれ故郷の新潟県直江津市(現上越市)で途中下車した。
私が直江津小学校卒業まで暮らした真行寺幼稚園の前、直江津警察署の裏、呉羽紡績(現東洋紡績)の支所(住宅兼用)に足を運んだ。
しかし、生家はすでに取り壊されていた。
暗闇に茫然と立ち尽くす私。
更地になり、それほど時間が経っているように思えなかっただけに無念。
もう少し早く来られれば…。

木造住宅の寿命は30年。
まして、昔の粗末な造り。
暮らしていた当時も決して新しい建物でなかった。
私が長野県伊那市へ引っ越してから45年近くの歳月が流れていたから当然か。

私はそのまま直江津駅前のホテルセンチュリーイカヤに宿泊した。
翌日、同ホテルで直江津在住のマイミク・池田秀敏氏と歓談した後、帰路に…。
今回も直江津で途中下車して翌日、小学校の同級生、野口製畳店を訪ねたいと思っている。

私は中学、とくに高校を転々とした。
中学3年、東洋紡績による呉羽紡績の吸収合併を境に父が職業人生を転落し、家庭崩壊に直面していた。
大学は中退した。
上京後は食べていくのに精一杯で、まったくと言っていいほど授業に出席していない。ずっと働いていた。
中学・高校・大学は生涯の友人に恵まれやすい。
しかし、私はこの時期がほとんど空白のため、一度も同窓会に参加したことがない。

楽しい思い出に彩られた直江津小学校の同窓会はどうしても出席したかった。
だが、年ばかり取ってしまった。
皆は元気だろうか。
せっかくなので、街もぶらっとしてみたい。
記憶が消えかけているのだ。
それは自分を失うこと。

ところで、直江津小学校でも、私は卒業式の前日に引っ越したのだった。
卒業写真は空中に小さなマルで収まっている。
片隅…。
そのせいであるまいが、私はいまだに確たる居場所を得ていない。

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意外、人口最多は新潟県

新潟県の出身なのに、まったく知らなかった。
お恥ずかしい限り。
かつて人口最多は「新潟県」だった。
しかも長らく日本一の状態が続いていた。

私はSNSのアゴリアに登録している。
その事務局から平日毎朝、メールで「ディリー・ニュース」が送られてくる。
以下は、先日の内容の要約。

明治21(1888)年の人口調査では、1位は新潟県で 166万人、2位は兵庫県で 151万人、3位は愛知県で 144万人、4位は東京都で 135万人。
明治26年の調査でも、新潟県が1位。
明治36年に東京都が 188万人で1位となっている。
稲作に適した気候、そして大阪と北海道を結ぶ北前船航路が太平洋側の航路より豊かというのが主因らしい。
さらに明治8年、新潟県の新津油田で石油精製許可が申請され、本格的に操業が開始されている。
明治27年の日清戦争、明治35年の日露戦争で石油需要が増大し、大正時代には日本第3位の石油会社に成長している。
つまり、食料・エネルギー・流通航路基地として、三拍子揃っていた。
そうした新潟県が政財界に有力な人材を輩出しつづけてきたのも頷ける。

意外・・・。
しかし、思い当たる節がある。
私は全国を転々としたが、新潟県はとても自由な雰囲気だった。
自信に裏打ちされた、どこか突き抜けた明るさがあった。
人々はくよくよ考えたりしない。
その分、重さや深さに欠けるきらいが…。

新潟は北陸に含まれるようだが、富山・石川・福井と明らかに異なり、まして東北とまったく違う。
私が生まれ育った直江津について言えば、それほど方言や訛りがなかったように思う。
『自叙伝』を著した、大正期のアナーキスト、大杉栄は新潟県新発田市で育った。

田中角栄の自伝か何かに、以下のような趣旨の記述があると、だれかから聞かされた(うろ覚え)。
私は母の寝顔を見たことがなかった。
私が起きたときにはすでに田に出て働いていた。
私が寝るときにはまだ土間でわらを打っていた。
これは県民性の「勤勉」を見事に表している。
新潟県人は労働時間が長く、しかもそれを苦としない。
私もそう。

自信の背景は、稲作に適した気候に加えて土壌だろう。
信濃川など、日本海に注ぐ川が広い平野をつくっている。
肥沃な土地なので、まじめに働くなら食べていくのに困ることがなかった。
余談ながら、直江津在住のマイミク・池田秀敏さんが取れたてのコシヒカリを送ってくださる。おいしい。

私は不勉強で確かなことは分からないが、新潟はどこかに攻め込まれたり支配されたりした歴史がないのでないか?
少なくともそうした印象を持っている。

いまは「裏日本」という表現はなくなったらしい。
確かに冬場は雲に覆われ、雪に閉ざされた(子どもの頃は豪雪地帯だった)。
にもかかわらず開放的な風土だった。
私は暮らしていて、田舎の窮屈さとか息苦しさとかを感じなかった。

三波春夫、田中角栄。
新潟県人は自由闊達。

私が直江津で吸ったのは、そうした空気だった。

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「私が・好きな・新潟県」

NHKのBS2に「おーい、ニッポン」という番組がある。
全国の都道府県を一つずつ取りあげ、丁寧に紹介する。1998年にスタートし、すでに2順目に入っているとのこと。
さて、6月3日(日)に「私が・好きな・新潟県」が放映されるというアナウンスを耳にした。
ふるさとの魅力満載の6時間とか。私は初めてテレビ番組を録画しようと思う。
先月25日のブログで触れたように、私は43年振りに生まれ故郷の「直江津」を訪れた。変わったといえば変わったが、変わっていないといえば変わっていない。
その新潟県に、今度は映像を通じて出合える。
きょうは博多駅前のホテルに宿泊。
おやすみなさい。

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生まれ故郷・直江津へ自分探しの旅

きのう、富山での公開セミナーが終わった後、「直江津」へ向かった。といっても、帰路の途中の駅である…。
通常はその日のうちに横浜の自宅に戻るか、次の場所に移る。
このところ疲れ気味で長距離移動が億劫だったこともあるが、せっかくの機会なので生まれ故郷の土を踏んでおきたかった。
また、営業実践大学が発行する『月刊営業人』で連載中の、直江津在住の池田秀敏さんとお会いしたかった。
今年1月の大学セミナーで、「図解商談」の講師を引き受けてくださった。先だっては、横浜の大学事務局を尋ねてくださり、つたないホームページに対し、率直な助言をいただいた。すべてボランティアで、ありがたいことである。
先週は、ご自分で採ったウドを送ってくださった。自生のせいか、青々としていてびっくり。ご自宅の周辺に、豊かな自然がいっぱい残っているのだろう。妻が煮物と炒め物にしてくれたが、そのおいしいこと―。
私は、直江津駅の真ん前、「ホテルセンチュリーイカヤ」に宿泊した。ロータリーが狭いので、歩いて1分もかからない。不確かだが、半世紀前は木造の「いかや旅館」があったのではなかろうか。ビジネスホテルに建て替えられていた。
小さな地方都市に、堂々たる建物である。館内・室内ともに快適で、しかも宿泊費が安い。スタッフは若手主体で、接客は気持ちよい。満足。
そういえば昨日、富山から直江津に向かう「はくたか」で車内販売の幕の内弁当を食べた。これが、同ホテル製だった。名門なのだろう。
私は、池田さんとこのホテルの2階のレストランで午前10時から2時間半ほど、連載原稿の単行本化の打ち合わせを行った。また、老婆心ながら、彼の仕事などについて、思うところをざっくばらんに話した。
私は、池田さんがビジネスの「図解」の分野で成功することを信じている。関心がおありでしたら、「テオリア」「池田秀敏」「仕事の図解」などで検索してください。 
さて昨夜、駅前に立ったら、子どもの頃の記憶が、家族のさまざまな表情や出来事とともに甦ってきた。妹も直江津で生まれたが、幼児だったので記憶はないはずだ。
ロータリーから直線道路沿いに、当時「呉羽紡績」の出張所を兼ねた自宅があった。「真行寺幼稚園」のそば、直江津警察署の裏辺りである。私たちが引っ越して間もなく「東洋紡績」の出張所となる。
ただし、訪ねて悲しくなった。生まれ育った木造家屋が取り壊され、更地になっていた。
私は、暗闇にしばらく立ち尽くす…。
気を取り直し、周辺を歩いたが、商店通りは確実に衰退している。
全国を転々とした私にとって「故郷」と呼べるのは、ここだけである。市町村合併にともない、直江津市は上越市に名称が変わったが、愛着は薄れることがない。それどころか、歳月が経つにつれて強くなる。
私の過去を振り返り、文字どおり無条件で「楽しい」といえる思い出は、すべてここに凝縮されている。私の原点である。
その後、私はどこへ行ってもよそ者という気持ちを、完全に拭い去ることができなかった。次に好きな伊那市においても…。
故郷を離れたとき、私の心に「喪失感」が巣食いはじめ、それは今日まで癒されることがない。それくらい好きだった。
できるならば、小さな子どもを直江津へ連れて行きたい。
そして、私が何よりも愛した「日本海」を見せてやりたい。さらに、一緒に海で遊んでみたい。夏は、自宅から海水パンツ一つで毎日のように通ったものである。全身、真っ黒だった。
…私は齢を重ねるほどに「私」が分からなくなってきている。
センチメンタルな気分に浸りたいというわけではない。先が短くなり、曖昧にしてきた自分を知りたい欲求が募る。
公開セミナーで四国へ渡って驚いた。40代や50代のサラリーマンが長期の有給休暇を取り、「お遍路さん」になっている。
これが「自分探しの旅」なのか。
私の場合、それは自分が生まれ育ち、働き生きたすべての土地を、記憶の糸を手繰り寄せながら訪れることである(40箇所くらい?)。
今回は、最初の一歩。
おやすみなさい。

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NHK・桜井洋子さんの活躍が励み

朝6時を少し回ったところ。NHKで「たべもの新世紀」という番組が(再)放送されている。そこでアナウンサーを務めるのが「桜井洋子」さん。
私が生まれ育った新潟県直江津市(現上越市)の出身である。直江津小学校の、確か3年と4年でクラスが一緒だった。
その当時から、すでに聡明で清潔な印象が強かった。大勢のなかにいても“何か”が違って見えた…。
私は父の栄転により、卒業式の前日に長野県伊那市へ引っ越すことになる。いまでは考えられないが、会社はたった1枚の「辞令」で無茶をする。
なぜ、2日間待ってくれなかったのか。この件は、ずっと心のどこかに引っかかっている。さらに、徳島県小松島市へ…。
ということで、私は直江津と無縁になった。
桜井さんがアナウンサーとしてデビューした頃だろうか。「櫻井」という旧字を用いていたこともあり、私は画面ですぐに彼女と分かった。面影も残っている。
後日、同じ時期に明治大学に在籍していたことも知った。
以来、彼女は同局の看板アナウンサーとして頑張りつづける。この素晴らしい活躍ぶりは、私にとって刺激となり、励みとなった。いや、いまも…。
二人はまったく比べものにならないと重々承知しているが、職業人生で「ライバル」を持てたことは、非常に幸運だった。ただし、こちらが一方的にそう思い込んでいるだけの話である。
もともと怠惰な私から、どれほど努力を引き出してくれただろう。
しかも、私は、NHKと目と鼻の先の「渋谷区松涛1丁目」に長らく住まうことになる。不思議な気持ちだ…。
桜井さんの頑張りは、多くの人々を勇気づけてきた。健康に留意しながら、これからも頑張ってほしい。
いつも応援しています。

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和田創

和田創研代表
日本ロボコム代表
ロボットビジネス勉強会&交流会主宰
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。クライアントとともに77歳までに百社の設立を目指す(内、自ら11社)。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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