コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

スポーツ&アスリート

平野美宇は東京五輪金メダルに一番近い

先月行われた卓球アジア選手権の女子シングルス。
平野美宇が史上最年少で優勝を飾っています。
中国開催というアウエーのなかで中国選手を3連破したことに私はびっくりしました。

準々決勝で世界ランク1位、2016年リオデジャネイロ五輪女王、丁寧をフルゲームの末に倒しています。
準決勝で世界ランク2位、朱雨玲をストレートで下しています。
決勝で世界ランク5位、陳夢をストレートで破っています。

本人も中国選手に勝てると思っていなかったようです。
とくに丁寧に勝ったことは大金星であり、相当な自信をつけました。

国際卓球連盟はホームページで「中国の支配を打ち破り、卓球界を驚かせた」と称えています。
ニューヒロインとして脚光を浴びることになりました。

平野美宇は昨年10月の卓球女子ワールドカップ(W杯)を日本選手として初めて制しています。
その後は中国に武者修行に出かけ、トップクラスの選手のほぼ全員と戦いました。
中国選手団と生活をともにし、苦手意識が消えたようです。
が、目を見張る成長ぶりは、日本女子が団体で銅メダルを獲ったリオ五輪で補欠に回った悔しさがバネになっているはずです。

平野美宇はウエートトレーニングなども取り入れ、相手のミスを待つ姿勢から攻め立てる戦法に改めました。
1月の卓球全日本選手権では決勝で石川佳純を破り、史上最年少となる16歳9か月で初優勝を果たしました。

しかし、4月の卓球韓国オープンでは準決勝でその石川佳純に敗れています。

⇒2017年5月1日「石川佳純は黙っていない」はこちら。

卓球世界選手権が今月、ドイツで行われます。
平野美宇はむろん、女子シングルスで優勝を狙っています。

また、伊藤美誠との「みうみまペア」で知られていますが、この大会には石川佳純との「かすみうペア」で臨みます。
女子ダブルスで優勝を狙っています。



私は平野美宇に「メンタルが強い」という印象を持っています。
2020年東京五輪の日本代表に一番近いところに立ったような気がします。
有利な母国開催ですので金メダル獲得も視野に入ってきました。

⇒2017年2月1日「平野美宇は嫌われる・・・卓球女子エース」はこちら。

卓球は国技といえる中国は平野美宇を最大の脅威として徹底的にマークすることでしょう。
弱みを分析して「攻略法」を考案してきます。
これからは互いの研究合戦にもなります。

3歳で卓球を始めた平野美宇は5歳のときに地元メディアの取材に対し、「オリンピックで金メダルを獲りたい」と語っています。
勝負強さを大舞台でいかんなく発揮してほしいと思います。

◇書き加え(5月7日)

先日、国際卓球連盟から最新の世界ランキングが発表されています。
平野美宇は11位から自己最高位の8位に上がりました。

ちなみに、石川佳純は4位から6位に下がっています。
(3年後へ向けて技術を見直しているようです。)
また、伊藤美誠は8位から10位に下がっています。
東京五輪が近づくにつれ、3選手の世界ランキングも上がっていくことでしょう。

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石川佳純は黙っていない

卓球韓国オープン、女子シングルス。
世界ランク4位の石川佳純は準決勝でアジア女王・平野美宇にストレート勝ちを収め、雪辱を果たしました。
卓球全日本選手権の決勝で4連覇を阻まれていました。

この大会では第一人者のプライドが爆発しました。
気迫を込めた攻めが平野美宇を圧倒しました。
石川佳純は猛烈な負けず嫌いですから、「黙っていない」というところを見せつけました。

世界ランク11位の平野美宇に連敗するわけにいかないという意地もあったと思います。
女性に対して適切な表現といえませんが、勝負どころでは「雄叫び」を上げています。

その石川佳純は決勝で世界ランク3位、シンガポールのフォン・ティエンウェイと戦いました。
接戦を繰り広げましたが、勝負どころでミスが出ては勝つことができません。
2016年リオデジャネイロ五輪で倒した相手でした。

石川佳純は今月ドイツで行われる卓球世界選手権に平野美宇や伊藤美誠などと出場します。
本人は金メダルを目指すと語っています。

普段はとてもかわいい子だけれど、気合の入った試合では別人の表情を見せます。
トップクラスのアスリートは皆そうした面を持っているにしろ、大きなギャップが魅力の一つです。

◇◆◇

石川佳純に関するブログは以下のとおり。

⇒2017年1月30日「石川佳純がまさかの敗北に茫然自失」はこちら。

⇒2016年8月18日「石川佳純投げキス、福原愛号泣・・・重圧からの解放」はこちら。

⇒2012年8月5日「石川佳純はかわいい…日本卓球女子」はこちら。

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高梨沙羅はオーラがない

高梨沙羅は「記録より記憶に残る選手になりたい」との願いをずっと抱いてきました。
2018年平昌冬季五輪と同一ジャンプ台で行われたワールドカップ(W杯)で通算53勝という最多勝利に並んでいます。
外国選手に交じれば少女のように見える小柄な彼女が歴史に名前を刻んだのです。

20歳でメイクを行うようになって大人の女性らしさが出てきましたが、それでも素朴な面影を残しています。
(それが彼女の魅力でもあります。)
会った人から「普通だね」とよく言われるそうで、本人も「オーラ」がないことを気にしています。
謙虚な人柄で、競技を離れるとやわらかな表情をしていますから、そう見えるだけのことです。
「余計なお世話です」と言ってあげましょう。

確かにオーラを生まれ持った人がいます。
しかし、それはたいてい後天的に備わります。
高梨沙羅がこのまま勝利を順調に重ねていけばオーラはおのずと増していきます。
私はW杯通算百勝も可能と考えています。
本人や周囲が気づかないだけで、それらしい気配は漂いはじめています。

イチローと同様、高梨沙羅はウオーミングアップの段階から人を寄せつけません。
8歳から凄まじい集中力で練習に打ち込んできました。
アスリートに限らず経営者でもそうですが、勝利に並々ならぬ執念を燃やす人には怖さがあります。

高梨沙羅の最大の成功要因は突出した「努力」だそうです。
(イチローもそうでした。)
ほかに4歳からバレエで培ったバランス感覚と柔軟性です。
さらに人間離れした精密な飛躍です。
加えてとても低い助走姿勢です。
彼女が受ける空気抵抗は世界のトップクラスの選手と比べてきわめて小さいそうです。

高梨沙羅はこうした優れた要素をいくつか合わせ持つから、とんでもない記録を打ち立てることができたのでしょう。
もう普通の女の子と呼ばせませんよ。

◇◆◇

高梨沙羅に関するブログは以下のとおり。

⇒2017年2月26日「高梨沙羅W杯53勝も一発勝負で結果を残せず」はこちら。

⇒2017年1月21日「高梨沙羅、楽しく飛べない五輪本番」はこちら。

⇒2016年12月8日「高梨沙羅W杯勝利、通算最多53勝へ」はこちら。

⇒2016年10月22日「浅田真央と高梨沙羅の限界…五輪メンタル」はこちら。

⇒2016年9月28日「高梨沙羅、土性沙羅にあやかり五輪金メダル」はこちら。

⇒2014年2月12日「高梨沙羅、ソチ金メダルならず…ジャンプ女子」はこちら。

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高梨沙羅W杯53勝も一発勝負で結果を残せず

ノルディックスキーの女子ジャンプ。
ワールドカップ(W杯)第18戦が韓国・平昌で第17戦に引き続いて行われました。
高梨沙羅(たかなし・さら)が優勝を飾って今シーズン9勝目、通算53勝目を挙げました。
絶対女王も大きなプレッシャーに苦しみ、通算49勝目を挙げてから予想しない時間がかかりました。
これにより男子ジャンプのオーストリアのグレゴア・シュリーレンツァウアーの持つ歴代最多勝利記録に並びました。
素晴らしい! おめでとう!

今大会は、2018年平昌冬季五輪のテスト大会を兼ねていました。
高梨沙羅は1回目の2位から外国選手を逆転しました。
第17戦では伊藤有希が1回目に1位の高梨沙羅を逆転しました。
その代わりといっては何ですが、高梨沙羅は2シーズン連続4度目の個人総合優勝を決めています。

本人によれば、調子は悪かったそうです。
インタビューで語った最大の課題は「勝ちたい試合にピークもっていく」ことでした。
狙って勝てるようにならないと、五輪の表彰台で頂点に立つのは難しい。
自ら精神的な成長が必要と総括しました。

二人とも平昌五輪の本番会場でいい感覚をつかむことができました。
日本女子は2枚看板で臨めるのが心強い。
どちらかが金メダルを獲ってくれるでしょう。
とくに高梨沙羅は絶対的な本命とされた2014年ソチ冬季五輪で喫した惨敗の悔しさを晴らすつもりです。

間もなくフィンランドで世界選手権が開かれます。
これまで伊藤有希も高梨沙羅も銀メダルに留まり、日本女子は勝利を収めていません。
どうか頑張ってほしい。

◆書き加え(2月25日)

この記事はかなり前の書き溜めです。

私は高梨沙羅が世界選手権で念願の初優勝を果たすだろうと思っていました。
W杯通算53勝という偉業を成し遂げ、精神的に強くなっているという前提でした。
関係者やファンも優勝候補の筆頭と見ていました。
ところが、4度目となる世界選手権でも金メダルをつかめませんでした。

しかも、1回目で逆転が可能な2位につけながら2回目で3位に落ちました。
今シーズンで一番の目標としていた今大会で銅メダルに終わり、オリンピックの大舞台に不安を残しました。

オリンピックを前に伊藤有希が急成長を遂げています。
高梨沙羅はこのところ大事な試合で勝てないどころか、彼女の順位を上回れないようになりました。
試合後に「情けない」とこぼし、悔し涙を止められません。

高梨沙羅は「勝ちたい試合にピークを持っていくのが課題」と語っています。
それを克服しようと努めてきたはずですが、とりわけ緊張と重圧の高まる「一発勝負」で結果を残せません。

私は端的に「メンタルが課題」ととらえるほうが結果はよくなると思います。
平昌五輪までに1年弱が残されており、かならず強化を図れるはずです。
他の選手を圧倒する技術を備えていてもメンタルが揺らいでは生かせません。

大勢から愛される高梨沙羅が実力をいかんなく発揮できますよう・・・。

◆書き加え(2月25日)

高梨沙羅が試合後に「自分を見失った」と明かしています。
平常心で臨めれば勝てる選手ですから、当然といえる反省の弁です。

逆転優勝のかかった2本目で力みが出てバランスを崩したそうです。
「悔しいというより落胆。同じことを繰り返している自分が情けない」。

救いなのは、高梨沙羅が「内面の弱さ」を自覚し、しかも口にしていることです。
理想像と遠く、自らをコントロールしきれていません。
「根本的なところから変えないといけない」と誓いました。

意志が強く、頭のいい子なのでやってのけるでしょう。

◇◆◇

高梨沙羅に関するブログは以下のとおり。

⇒2017年1月21日「高梨沙羅、楽しく飛べない五輪本番」はこちら。

⇒2016年12月8日「高梨沙羅W杯勝利、通算最多53勝へ」はこちら。

⇒2016年10月22日「浅田真央と高梨沙羅の限界…五輪メンタル」はこちら。

⇒2016年9月28日「高梨沙羅、土性沙羅にあやかり五輪金メダル」はこちら。

⇒2014年2月12日「高梨沙羅、ソチ金メダルならず…ジャンプ女子」はこちら。

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稀勢の里、大甘の横綱昇進条件(基準)

大関稀勢の里が初場所で初優勝を成し遂げました。
14日目、星一つの差で追う横綱白鳳が敗れ、幾度も挑みながら叶わなかった悲願の優勝がついに現実のものとなりました。
最終的には14勝1敗でした。

横綱審議委員会が出席者全員の賛成で大関稀勢の里を第72代横綱に推薦することを決めました。
千秋楽の結びの一番で白鵬に土俵際まで追い詰められながら逆転勝ちを収めたことがやはり大きかったようです。
記者に天国の師匠、元鳴戸親方(元横綱隆の里)が力を貸したのかと聞かれると、「そういうこともあるのかなと思います」と語りました。
この勝利で異を唱える委員がなくなりました。

稀勢の里は綱取りの場所とされていたわけでありませんでした。
はっきり言うなら、横綱昇進条件(基準)を満たしていません。
しかし、昨年は年間最多勝であり、安定感が際立っていました。
また、30歳の勢の里は休場が平成26年初場所千秋楽の1日だけです。



これを受け、日本相撲協会は番付編成会議を開き、全会一致で稀勢の里の横綱昇進を正式に決めました。

私は稀勢の里の出身地である茨城県牛久市の近くで暮らしたことがあり、とても親近感が湧きます。
心も体も元気ということですから、長く務めてほしいです。

私は相撲ファンとは呼べませんが、朝潮(3代)と柏戸、北陸出身の輪島を応援しました。
日本の国技なのに日本の横綱がいなくて不甲斐ないとずっと思っていました。

私は記憶があいまいですが、貴乃花の横綱昇進が不当なくらい厳しかったという印象を受けました。
それと比べて、稀勢の里の横綱昇進は大甘でした。
しかし、相撲ファンが日本出身横綱の誕生を心から願い、強く後押ししたということでしょう。

私としては、次は若い日本出身横綱の誕生を望みます。
その際は昇進条件を厳格に適用してほしいと思います。

◆書き加え(1月27日)

この記事はかなり前の書き溜めです。

横綱稀勢の里が1月27日、東京・明治神宮で「奉納土俵入り」を行いました。
初披露した「雲竜型」は同じ二所ノ関一門の芝田山親方(元横綱大乃国)が指導しました。
この雲竜型は大鵬、千代の富士、貴乃花も採用しています。
また、化粧まわしは、元横綱初代若乃花が約60年前に締めていたものを着用しました。
太刀持ちは弟弟子の小結高安、露払いは同門の幕内松鳳山が務めました。

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平野美宇は嫌われる・・・卓球女子エース

全日本卓球選手権の女子シングルス。
決勝は2年連続で石川佳純と平野美宇の対決になりました。

昨年は石川佳純が危なげなく4―1で勝利を収め、3連覇を成し遂げました。
今年は大方の予想に反し、平野美宇が4―2で初優勝を飾りました。
16歳9か月での優勝は佐藤利香の17歳1か月を上回る史上最年少記録になります。
見事に雪辱を果たし、両手を突き上げた派手なガッツポーズで喜びを爆発させました。

試合後のインタビューで「今回優勝しないと最年少にならない。絶対に優勝したいと思っていた」と語りました。
聞きようによっては、実にふてぶてしい発言です。

平野美宇はウェートトレーニングに初めて取り組みました。
また、昨秋に中国スーパーリーグで武者修行を行いました。
その成果が表れたのか、石川佳純を圧倒しました。
10月のワールドカップ(W杯)で中国勢以外で初となり、大会史上最年少となる16歳での優勝を飾り、世界で通用するとの手応えを感じていました。

おっとりとした性格の平野美宇が劇的に変わったきっかけは、2016年リオデジャネイロ五輪で代表入りを逃し、補欠に甘んじたことでした。
同い年の伊藤美誠が団体で銅メダルを獲得したのをスタンドで観戦するだけで、歓喜の輪に加われませんでした。
これで、もともとの「負けず嫌い」に火が着きました。

平野美宇は全日本選手権後にNHKのスポーツ番組に出演し、「嫌われてもいいと思えるようになった」という趣旨の発言をしました。
あっけらかんで、怖いものなしといった表情です。

アスリートは勝利がすべてと割り切り、ほしかった好感度にこだわらなくなりました。
そして、「優勝を狙う」などと公言し、自分を鼓舞しつづけました。
彼女はそうでありませんが、嫌われることをエネルギーに変えて戦うというのもありだと思います。
(講師やコンサルタントとしての私は嫌われることを大切にしてきました。)

リオ五輪以降の平野美宇にとくに目立つのは、果敢な攻撃姿勢です。
相手のミスを待たず、先手を取って畳みかけます。
石川佳純との決勝ではバックハンドの強打を両サイドに散らし、打点の高い強烈なスマッシュを打ち込みました。
女王を防戦一方に追いやっています。

平野美宇はこのまま卓球日本女子のエースに君臨するのでしょうか。
勢いもあり、母国開催の2020年東京五輪では中国選手を倒して金メダルを獲るかもしれません。

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石川佳純がまさかの敗北に茫然自失

全日本卓球選手権の女子シングルス決勝。
女王の石川佳純がまさかの敗北を喫しました。

私は、普段と本番のギャップがすごい彼女の大ファンです。
滅茶苦茶可愛いのに、試合では気迫がみなぎり、いや鬼気迫り、怖いくらいです。

決勝は2年連続で石川佳純と平野美宇の対決になりました。
(この16歳は、なぜか2016年リオデジャネイロ五輪の代表入りを逃しましたが、とても強い。)
昨年は石川佳純が危なげなく4―1で勝利を収め、3連覇を成し遂げました。

しかし、今年は2−4で戦後3人目となる4連覇を逃しました。
積極的に攻め込んでくる平野美宇に押されっ放しで、完敗に近い内容でした。
とくに平野美宇のリターンに圧倒され、主導権と攻撃力を封じ込まれました。

試合後は茫然自失です。
「正直、何が起こったか分からない感じ」「実力では負けないと思っていたので悔しい」と語りました。

全日本選手権シングルスにおける敗北は2013年決勝で、年上の福原愛に2―4で敗れて以来のことです。
石川佳純は自分を倒したいという若い選手に追われてきました。
この敗戦によりプレッシャーから解き放たれ、来年は挑戦者として臨めます。
そう本人は気持ちを切り替えました。

私は長らく卓球日本女子を引っ張ってきた福原愛に母国開催の東京五輪にぜひとも出場してほしいと考えてきました。
ところが、石川佳純でさえ出場が厳しくなるかもしれないと思いました。
平野美宇と伊藤美誠のほかにも有力な選手が現れるのでしょうか・・・。

◇◆◇

石川佳純に関するブログは以下のとおり。

⇒2016年8月18日「石川佳純投げキス、福原愛号泣・・・重圧からの解放」はこちら。

⇒2012年8月5日「石川佳純はかわいい…日本卓球女子」はこちら。

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高梨沙羅、楽しく飛べない五輪本番

ノルディックスキー・ジャンプ女子の高梨沙羅(たかなし・さら)。
ワールドカップ(W杯)で2年連続の総合女王を狙っています。
1月13日現在、ライバルをまったく寄せつけずに6戦5勝、通算49勝を挙げています。
男子のグレゴア・シュリーレンツァウアー(オーストリア)が持つ歴代最多の通算53勝まで4勝と迫っています。

高梨沙羅はライバルが苦しむ悪条件でも集中力を失うことなく飛べているように見えます。
牧野講平トレーナーによれば、理想の動きを体に染み込ませ、寸分の狂いなく繰り返せる「再現力」を備えています。
これまで指導した浅田真央や前田健太をしのぐということです。

高梨沙羅は1月14〜15日に札幌、20〜21日に山形・蔵王で行われるW杯4連戦に臨みます。
昨年と同様に国内4連勝を果たせば、記録到達の快挙です。
1996年10月8日生まれで成人になったばかりなのに・・・。
今後次第ですが、男女を通じてだれも抜くことのできない不滅の通算勝利数を記録するかもしれません。
(私はその可能性が大きいと考えています。)

年末年始は半年ぶりに北海道上川町の実家に戻っています。
雑煮や年越しそば、祖母の煮物をいただいて英気を養いました。
2月に世界選手権も行われます。

W杯を「楽しく飛べる」と語る無敵の高梨沙羅ですが、2018年平昌五輪でそうした精神状態を保てれば、2014年ソチ五輪で逃したオリンピック金メダルをつかめます。
(本人は忘れ物をしたような不思議な気分でしょう。)

前回もそうでしたが、今回も筆頭候補というより絶対的な本命です。
だれも疑わない状態で勝利を収めるのは、おそらくきわめて難しいことです。

◆書き加え(1月15日)

このブログは相当前の書き溜め記事です。
高梨沙羅がW杯通算勝利50勝目前の札幌大会2戦でまさかの足踏みとなりました。
満を持して臨みましたが、「焦りもあったと思う」と語っています。
「日本でいい結果をという気持ちがあった」と悔しがりました。

⇒2016年10月22日「浅田真央と高梨沙羅の限界…五輪メンタル」はこちら。

私が思い浮かべたのは、勝って当然のソチ五輪での失敗ジャンプでした。
きょう(15日)もそうでしたが、表彰台さえ逃しています(どちらも4位)。
今回は節目の大会となるはずでしたが、その緊張と重圧に負けたことになります。
それにより類まれな「再現力」が狂いました。

高梨沙羅は平昌五輪で「メンタル」が最大の課題でしょう。
私は、楽しく飛んで勝つ彼女が楽しく飛べないオリンピック本番が心配です。
本命とされる選手は狙って勝てないと金メダルを逃します。

蔵王大会でぜひとも巻き返してください。

◆書き加え(1月20日)

高梨沙羅が蔵王大会第1日で再び足踏みです。
私は「今度こそ」と思っていましたので、驚きました。
伊藤有希が札幌大会第1日に続いてW杯2勝目を飾っています。

◇◆◇

高梨沙羅に関するブログは以下のとおり。

⇒2016年12月8日「高梨沙羅W杯勝利、通算最多53勝へ」はこちら。

⇒2016年10月22日「浅田真央と高梨沙羅の限界…五輪メンタル」はこちら。

⇒2016年9月28日「高梨沙羅、土性沙羅にあやかり五輪金メダル」はこちら。

⇒2014年2月12日「高梨沙羅、ソチ金メダルならず…ジャンプ女子」はこちら。

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高梨沙羅W杯勝利、通算最多53勝へ

ノルディックスキーW杯(ワールドカップ)ジャンプ女子。
高梨沙羅(たかなし・さら)が圧巻の開幕2連勝を飾りました。
開幕前に「W杯は全戦全勝を目指す」と宣言していました。
2季連続4度目の個人総合優勝へ向けて、その言葉どおりに幸先のいいスタートを切りました。

高梨沙羅は15歳の2012年3月にW杯初勝利を上げてから、通算46勝を収めました。
出場75試合で46勝ですので、勝率は6割超えです。
また、これまでに表彰台を逃したのはわずか9戦です。
表彰台の中央はとうに定位置になっています。
女子で2位、アメリカのサラ・ヘンドリクソンは13勝ですので、その強さは群を抜いています。

通算46勝は男子で「鳥人」と呼ばれたフィンランドのマッチ・ニッカネンに並び、男女を通じて歴代2位という記録です。
高梨沙羅がこの調子で勝ち進めば今シーズンに男子でオーストリアのグレゴア・シュリーレンツァウアーの通算最多53勝に届くかもしれません。
ちなみに、彼女は開幕戦を制した3シーズンのすべてで個人総合優勝を飾っています。

競技から話がそれますが、高梨沙羅は先ごろ20歳になりました。
もともと可愛く、笑顔が素敵でしたが、大人の女性らしい雰囲気が漂いはじめました。
本人によれば、「すっぴんはできない」とのこと。

スキージャンプは選手生命、したがって現役生活がフィギュアスケートより長い。
単純に男子と比べられませんが、レジェンドと称される葛西紀明が44歳にして活躍を続けています。
高梨沙羅には2018年平昌冬季五輪、2022年北京冬季五輪はもちろん、その先もずっと頑張ってほしいと思います。

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福原愛、東京五輪代表入りに黄信号

福原愛はリオデジャネイロ五輪卓球女子団体で銅メダルを獲得しました。
直後に台湾代表の江宏傑と結婚し、夫の練習拠点のドイツを中心に生活しているようです。
いまは休養中ですので、2017年世界卓球選手権の代表選考会を兼ねる来年1月の全日本卓球選手権を欠場します。
代表は選考基準に沿って選ばれますので、それを満たさないと出られません。

一緒に銅メダルを獲った石川佳純(いしかわ・かすみ)は卓球のワールドツアーの「スウェーデンオープン」の女子シングルスで優勝しました。
次戦はワールドツアーのグランドファイナルに出場します。

また、16歳の伊藤美誠(いとう・みま)と平野美宇(ひらの・みう)が力をつけています。
一緒に銅メダルを獲った伊藤美誠は卓球のワールドツアーの「オーストリアオープン」の女子シングルスで優勝しました。
卓球の世界ジュニア選手権に出場します。

リオ五輪代表になれなかった平野美宇は卓球の中国スーパーリーグに参戦し、好成績を収めました。
卓球の世界ジュニア選手権に出場します。

65歳の私は「みうみま」という言葉を知り、思い浮かべたのが「みようみまね」です。
舌をかみそうな「みうみま」を調べたら、平野美宇と伊藤美誠の「美宇美誠」でした。
二人は幼少期からライバルでありながらダブルスを組んできました。

平野美宇と伊藤美誠は世界ジュニア選手権出場の出国時に書類不備がありました。
そのせいで現地到着が大会直前になったようです。
おおいに張りきっていただけに気の毒でした。
今大会の表彰台を期待するのは酷かもしれません。
(卓球女子団体は日本が大会5連覇中の中国に勝利し、6大会ぶりに優勝しました。)

福原愛に話を戻します。
彼女は第一人者として長く活躍しただけでありません。
日本における今日の「卓球人気」を築いた功労者でもあります。
強かっただけでなく、「愛」という名前のとおりに大勢のファンに愛されてきました。

その福原愛が若い世代の台頭により、2020年東京五輪の代表入りに黄信号が灯っています。
このままいくと、石川佳純、伊藤美誠、平野美宇の3選手で決まりそうです。
(二人のほかに十代半ばの有望選手がいるかどうか、私は知りません。)

スポーツの世界は厳しく、実力が落ちれば容赦ありません。
私は福原愛に母国開催のオリンピックにぜひとも出場してほしいと願っています。

◇◆◇

福原愛に関するブログは以下のとおり。

⇒2016年9月9日「福原愛は金メダル級の幸せ・・・江宏傑と結婚」はこちら。

⇒2016年8月18日「石川佳純投げキス、福原愛号泣・・・重圧からの解放」はこちら。

⇒2016年8月17日「福原愛五輪川柳…卓球女子団体の感動」はこちら。

⇒2016年8月10日「冴えわたる福原愛・・・別人の強さ」はこちら。

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福原愛は金メダル級の幸せ・・・江宏傑と結婚

卓球女子日本代表の福原愛(ふくはら・あい)が今月初めに都内で婚姻届を提出しました。
相手は、卓球男子台湾代表の江宏傑(こう・こうけつ)、同い年の27歳です。
2016年リオデジャネイロ五輪の卓球女子団体で銅メダルを獲得したことで踏ん切りをつけたのでしょう。
国籍は変更せず、二人とも現役を続行します。
(2020年東京五輪への出場を目指すはずです。)

福原愛は腰を痛めて昨年1月の全日本選手権を欠場しました。
それを江宏傑が励ましたのがきっかけでした。
(私も励ましておけばと悔やんでいます。)

福原愛は今年4月にブログで交際を明らかにし、8月のリオ五輪が終わるまでは競技に集中するとしていました。
しかし、遠距離でも愛だけはしっかりと育んできたようです。
(ずるい。)

実際、リオ五輪では個人戦で夢を逃したものの、団体戦で主将として12歳年下の相棒を支えました。
銀から色を落としましたが、2012年ロンドン五輪に続くメダル獲得は立派の一言です。
戦い終えた福原愛は「ほんとうに苦しいオリンピックでした」と胸の内を語りました。
昔の「泣き虫愛ちゃん」に戻っていました。

福原愛は3歳9か月から卓球の英才教育を施されました。
そして、早熟の天才としてテレビ番組で派手に扱われ、世間の関心と注目を浴びつづけました。
しかし、自分を見失うことなく練習の努力を限界まで積み重ね、競技力はもとより人間力を高めていきました。
例えば、試合後で疲れていても気配りを怠らず、ファンのサインや記念撮影の求めに応じる人柄と態度が誠実さを尊ぶ日本国民の共感を呼びました。

福原愛は卓球大国を倒すことが表彰台の頂点に立つ条件と考え、2005年から2年間、中国トップリーグでもまれました。
現地に溶け込む姿勢、ひたむきなプレイ、くったくのない笑顔は反日感情の強い中国国民のなかでも支持を広げました。

だれからも愛されてきたのです。

福原愛は「福」も「愛」も「原っぱ」のように大きい。
二人で歩みはじめた長い人生において、どうか金メダル級の幸せを勝ち取ってください。
おめでとう!!

◇◆◇

福原愛に関するブログは以下のとおり。

⇒2016年8月18日「石川佳純投げキス、福原愛号泣・・・重圧からの解放」はこちら。

⇒2016年8月17日「福原愛五輪川柳…卓球女子団体の感動」はこちら。

⇒2016年8月10日「冴えわたる福原愛・・・別人の強さ」はこちら。

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神野大地・・・がたがたの箪笥に預金を!

納期仕事のデスクワークがはかどらず、焦る私を見かね、大晦日に妻がマウスとマウスパッドを買ってきてくれました。
すると、反応がよくなり、気持ちよく作業が進められます。
どちらも消耗品ということを再認識させられました。
お陰で溜まった仕事をだいぶ片づけられました。
とはいえ、まだ残っており、集中力を高めて取り組みたいと思います。
「仕事始め」があすに迫っており、一瞬で終わった年末年始休暇でした。

ところで、箱根駅伝・・・。
青山学院大学は往路も復路も強かった!
大本命の駒澤大学と有力な優勝候補の東洋大学をまったく寄せつけない圧勝です。
全選手(10人)が危なげなく走りきりました。
関係者の皆さま、おめでとうございます。
私が応援していた明治大学は4位でした。
近い将来、やってくれると信じています。

レースを振り返れば、青学は5区の山登りの選手が凄かったですね。
神野大地(かみの・だいち)が「新・山の神(山登りの神)」となりました。
名前が素晴らしすぎます。
不滅と言われた自身の記録(コース変更により参考記録)を塗り替えられた柏原竜二(かしわばら・りゅうじ)は、これで山の神という称号から解放されると喜んだようです。
今日まで重圧に追いかけられていたのでしょう。

青学はここでの大きな「貯金」が復路の選手に余裕と勇気を与えました。
彼の快走を見て、私は思いました。
「がたがたの箪笥に預金を! ぱさぱさの人生に潤いを!」。
今年はこれをスローガンにします。

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箱根駅伝復路、明治頑張れ!

正月の風物詩「箱根駅伝」は、青山学院大学が往路優勝を成し遂げました。
ここまでやるとは正直、思いませんでした。
おめでとう!

私は5年中退なので母校と呼べませんが、応援していた明治大学が2位に入りました。
復路はひょっとすることを期待しています。
頑張れ!

優勝候補の筆頭というか大本命・駒澤大学がつまずきました。
5区・山登りの選手は、個人競技ならとっくに棄権していたでしょう。
しかし、箱根駅伝は団体競技です。
自分のほかに往路と復路で9人の選手が走ります。
しかも、自分を含めた10人の選手の背景に、出場できなかった百人前後の仲間がいます。
たすきを途切れさせるわけにいかないのです。

その思いが箱根駅伝に大きな感動を生みます。

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松井智靖、北魁道の頑張り…箱根駅伝・明治大学

第89回箱根駅伝が行われた1月2日と1月3日。
快調に3位を走り、2位をうかがう明治大学(明大)が9区の松井智靖で失速、10区の北魁道で苦戦。
2人ともふらふら〜。
タスキをつなげられるか、ゴールにたどり着けるか、私ははらはらさせられた。

明治大学は7位に終わったが、10人の選手それぞれがよく頑張った。
5年連続で次大会のシード権を獲得した走りに大きな拍手を送りたい。
お疲れさま・・・。

⇒2012年1月3日「明治大学・鎧坂哲哉と東洋大学・柏原竜二…箱根駅伝エース」はこちら。

なお、私は5年中退なので、明治大学を母校と呼べない。
学歴詐称になると困る。
正確に述べれば、中退扱いか、除籍扱いか、それもはっきりしない。

⇒2011年1月3日「東洋柏原竜二の復活、明治5位の健闘…箱根駅伝」はこちら。

ところで、私は古豪の日本体育大学(日体大)の全選手の気迫に満ちた走りに感動した。
山のぼりの5区でトップに立つと、その後は危なげなく逃げ切った。
2位以下の追い上げが予想された復路で、3人の4年生が全員区間2位の快走を見せ、10度目の総合優勝を果たした。
予選会(ノーシード)からのVは1997年の神奈川大学以来、史上2校目という快挙だった。
前年に史上最悪の19位に沈んだ日本体育大学は選手の生活を含めた「チーム改革」に取り組み、それが実を結んだ。
おでめとう!

⇒2010年1月2日「往路健闘明治、5区で6位…箱根駅伝」はこちら。

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澤穂希、FIFA女子最優秀選手賞…なでしこジャパン

FIFA(国際サッカー連盟)はスイスのチューリッヒで年間表彰式を行った。
2011年女子年間最優秀選手に日本代表「なでしこジャパン」のMF澤穂希(さわ・ほまれ)が選出された。
アジア勢の受賞は男女を通じて史上初。
同賞は、FIFAに加盟する世界各地の代表チームの監督とキャプテン、サッカー担当記者の投票に基づく。

澤穂希は15歳で日本代表にデビューし、わが国の女子サッカーを引っ張ってきた。
これまでに 176試合に出場し、歴代最多となる80ゴールをマークしている。。
女子ワールドカップ(W杯)に5回出場した。
昨年のドイツ大会ではキャプテンとしてチームをまとめ、日本の優勝に寄与した。
決勝のアメリカ戦での神がかりの同点ゴールは日本中を歓喜させた。
MVP(最優秀選手)と得点王に輝いた。
その後はロンドンオリンピック(五輪)のアジア最終予選を勝ち抜き、出場権をつかんだ。

⇒2011年8月28日「沢穂希の神がかりゴール…なでしこジャパンW杯初制覇」はこちら。

澤穂希は授賞式のスピーチで喜びを語った。
「名誉ある賞をいただけたのは、監督やコーチ、チームメート、家族や友人など、サッカーに携わってくれたすべての方々のおかげです」。
そして、さらなる精進を誓った。

また、FIFA女子年間最優秀監督に佐々木則夫が選出された。
日本人監督の受賞は史上初。

日本勢がダブル受賞する快挙・・・。
今夏のロンドンオリンピックでの金メダル獲得に弾みがついた。

さらに、FIFAフェアプレー賞が日本サッカー協会に贈られた。
東日本大震災に直面しながらW杯で勇気を示したことなどが評価された。

⇒2011年6月26日「なでしこジャパン澤穂希、川島永嗣の眼光…W杯」はこちら。

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明治大学・鎧坂哲哉と東洋大学・柏原竜二…箱根駅伝エース

きのうのブログ「憧れの湘南は大丈夫か?…東海地震巨大津波が市街地を襲う」に続いて・・・。

⇒2012年1月2日「憧れの湘南は大丈夫か?…東海地震巨大津波が市街地を襲う」はこちら。

このブログに対し、新年早々、縁起でもないと思った方がおられるでしょう。
しかし、家族や身内がそろう正月こそ、地震や津波の発生時の対応についてじっくりと話し合うべきだと、私は考えます。
東日本大震災を教訓にすると言うのはたやすいです。
が、それは行政の問題として片づけるのでなく、私たち一人ひとりの問題として捉えなくは意味も効果もありません。

                       ◇

さて、湘南は正月の風物詩「箱根駅伝」のコースになっています。
その開催が危ぶまれたのが、関東大震災が発生した1923年(大正12年)9月1日の年明けの大会でした。
当地は壊滅的な被害を受けました。
しかし、関係者とコース沿いの自治体・住民の尽力により、わずかにコースを変更しながらも開催にこぎ着けました。
そして、優勝を飾ったのが明治大学でした。
この地震は、きのうのブログで触れた「首都直下地震(南関東直下地震)」とも「東海地震」とも震源が異なります。
巨大地震の巣窟はいくつか存在するということです。

                       ◇

私はきのう、早朝から仕事をしながらも「箱根駅伝」が気になり、テレビをつけっ放しにしていました。
正式名称は、第88回東京箱根間往復大学駅伝競走。
私は事前予測を知りませんでしたが、今年は早稲田大学・東洋大学・駒澤大学の3校を中心に優勝争いが展開されると思っていました。
5年間在籍した明治大学(中退なので母校と呼べない)を応援していますが、やはり関心は往路の最終区間、箱根の山のぼりです。
標高差 864メートルを一気に駆け上がる“天下の険”。
新・山の神「柏原竜二」の走りも今年が見納めになりますので・・・。

「箱根駅伝」をテレビで楽しむ側からすれば、東洋大学が5区でトップから5分弱の遅れでタスキリレーを受ける展開がもっとも面白いです。
柏原竜二が前を走る選手を並ぶ間もなく追い抜いていくサマは圧巻です。

今年の往路は私の期待(?)に反し、東洋大学が初めて5区にトップで入ってきました。
私は、柏原竜二は追いかける展開が得意だと考えていました。
これは案外、走りにくいかもしれない…。
柏原竜二は大会前に自身が持つ区間記録更新(1時間17分8秒)を口にしていましたが、その可能性は薄れた…。

私の心配をよそに、柏原竜二は素晴らしい快走を見せました。
彼はトップでのタスキリレーに「走る前から涙が出そうになった」と振り返りました。
結局、1時間16分39秒の驚異的な区間新記録を樹立し、史上8人目の4年連続区間賞を獲得しました。
5区では1974〜1977年の大東大学・大久保初男以来の快挙です。
柏原竜二はやはり怪物でした。

私が意外だったのは、「山の神」と呼ばれたのは大久保初男でなく、順天堂大学の今井正人ということでした。
2004年の1年生ではエース区間の2区を走り、2005年の2年生から5区に回って3年連続区間賞を獲得しました。
今井正人と柏原竜二はともに福島県浜通りの出身です。

東洋大学は2年ぶりの総合優勝を狙っています。
昨年は早稲田大学に21秒という史上最少の差で敗れました。
全員が悔しさを胸に、王座奪回を誓って厳しい練習を積んできました。
そして、その東洋大学を引っ張ってきたのが、キャプテンの柏原竜二でした。

1、2年生では区間新記録をあっさりとマークしましたが、3年生の昨年は春先に右ひざを故障して万全の状態で臨むことができませんでした。
柏原竜二はトップでタスキリレーを受けたこともあり、2位以下に5分以上の大差をつけて往路のゴールテープを切りました。
何度かこぶしを突き上げながら…。
有終の美を飾りました。

                       ◇

箱根駅伝の出場校から名前が消えていた明治・・・。
ところが、復活を果たし、年々順位を上げてきました。
また、ラグビーも最悪期を脱しつつあります。
私は今年の箱根駅伝をかなり楽しみにしていました。

明治大学は往路の最終区間で早稲田大学と抜きつ抜かれつの2位争いを繰り広げました。
惜しくも3位になりましたが、健闘しました。

いまインターネットで調べたら、明治大学は3強の牙城を崩すダークホースとされていました。
私は知りませんでした。

4年生の鎧坂哲哉は昨年7月、ロンドン五輪1万メートルの参加標準記録Aを突破し、日本学生記録を更新しました。
箱根駅伝での快走に大きな期待が寄せられていましたが、昨年11月以降に座骨神経痛を訴え、レース前に往路から外れました。
それでも5選手がエースの欠場をカバーしました。
鎧坂哲哉は最終10区を走るとのこと。
賭けに近い選手起用のようにも思いますが・・・。
ぜひ頑張ってほしい!

先ほど「箱根駅伝」の復路がスタートしました。
往路で大きな貯金をつくった東洋大学は勝負の定石を無視し、6区、7区と、選手は最初から飛ばしています。
それくらい酒井俊幸監督は選手に信頼を寄せているのでしょう。
これは明らかに復路優勝、つまり完全優勝を狙っています。
はたして?

◆書き加え1(1月4日)

鎧坂哲哉が逆転で3位に飛び込みました。
明治大学はよく頑張りました。
3位と4位では印象がまったく違います。

が、鎧坂哲哉の走りをもうちょっと映してほしかったです。
昨年の王者・早稲田大学をいつ逆転したかも分かりませんでした。
あんまりです・・・。

あの展開では、最終区間の最大の焦点は3位争いだったと思います。
5位以下と大きな差があり、しかもシード権争いに早めにメドがつきましたから・・・。
私は怒っています。

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沢穂希の神がかりゴール…なでしこジャパンW杯初制覇

女子サッカー、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会。
日本代表「なでしこジャパン」は世界一に輝いた。
日本2(PK3−1)2米国。

日本は0−1の後半36分にMF宮間あやのゴールで同点に追いついた。
延長前半14分に勝ち越しを許したが、延長後半12分にMF沢穂希のゴールで再び同点に追いつき、PK戦へ。
そのPK戦はGK海堀あゆみの好守などで3−1とし、初制覇。
日本は米国に過去3分21敗と未勝利だった。
男女を通じ、初めて世界大会の優勝を果たした。
東日本大震災に見舞われて苦しむ日本人に勇気と感動、元気を与えてくれた「なでしこジャパン」に感謝したい。

女子サッカーは国民の関心と人気が爆発的に高まり、ニュース番組などに露出する機会が増えた。
テレビをほとんど見られない私が幾度も目にしたくらいだ。
「なでしこジャパン」は「国民栄誉賞」を贈られた。
1977年の創設以来18人が受賞しているが、団体の受賞は初めて。
大小さまざまな表彰が行われ、選手たちは引っ張りだこに…。

                       ◇

世界ランク1位の米国との決勝戦。
実力で上回る米国は前半に点を取れず、焦りが生じた。
0−0で後半を迎えるのは日本が狙った展開だった。
1−1で延長戦へなだれ込んだ。
上出来・・・。

ほとんどの日本人が敗戦を覚悟した延長後半12分、沢穂希が宮間あやの左コーナーキックを右足で合わせた。
ボールはネットを揺らした。

「絶対に諦めない」。
私はありきたりな表現しかできないが、勝利への執着が奇跡の同点ゴールを呼び寄せた。
文字どおり“神がかり”だった。

直前に打ち合わせを行ったとはいえ、あそこまで見事に決まってしまうとは・・・。
日本は長身の米国選手とのヘディング勝負を避け、低いボールを落とすポイントを決めた。
その狙いもタイミングもどんぴしゃ。
沢穂希がゴール前の集団からするりと抜け出し、相手守備陣の前に割って入った。
そして、蹴り込まれたボールにジャンプした足で触った。
入れたのか、入ったのか、素人の私には分からない。
おそらく入れた。
しかし、サッカーの神様が微笑んでくれなければ入らなかった。
私は運まで味方につけた、凄まじい執念に鳥肌が立った。
あのような場面を想定して猛練習を繰り返してきたに違いない。
PK戦に持ち込んだところで、勝負の決着はついていたのかもしれない。
結局、沢穂希の同点ゴールが世界一の座を手繰り寄せた。

紙吹雪が派手に舞うなか、優勝トロフィーを高々と掲げた沢穂希の笑顔が目に焼き付いた。
日本代表での国際Aマッチ通算ゴール数は男子の釜本邦茂を上回り、前人未到の「80」に達した。
初の得点王と最優秀選手(MVP)に輝いた。

                       ◇

「沢穂希(さわ・ほまれ)」という名前からして奇跡である。
親が「穂希」には「五穀豊穣」と「希望」の意味を込め、「ほまれ」には「名誉となることを成し遂げる人になってほしい」との願いを込めたようだ。

沢穂希は小学校から都内の男子強豪クラブで“天才少女”としてプレーし、15歳から日本代表の中心選手として君臨した。
苦節18年。
女子サッカー界を背負ってきた。
五輪は3大会、W杯は5大会に出場している。
途中、日本女子サッカーの低迷期、米国でプレーし、スピードと判断力を磨いた。
沢穂希のサッカー人生は日本女子サッカーの歴史と重なる。

「サッカー人生の集大成としてメダルを取りたい」と意気込んで臨んだワールドカップ(W杯)ドイツ大会。
頂点に立ったことにより、当面の現役引退は消えた。
2012年ロンドン夏季五輪への期待が一気に高まった。
もちろん、欲が出た選手らはオリンピックで金メダルを狙う。
2008年北京夏季五輪で4強に入っている。

このブログは優勝の翌日か翌々日に書きかけた記事(素材)を仕上げてアップした。
凄い試合だった・・・。

                      ◇◆◇

なでしこジャパン・沢穂希に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年6月26日「なでしこジャパン澤穂希、川島永嗣の眼光…W杯」はこちら。

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北島康介の勝負脳、浅田真央の脱皮計画を応援しよう!

私が尊敬する北島康介。
2012年ロンドン夏季五輪(オリンピック)に挑んでいる。
まずは日本代表に選ばれること。
が、彼の場合はその先を目指しており、表情台にのぼること、さらに金メダルを獲ること。
年齢を考えると、勝ち目の厳しい戦いだ。
ゆえに、彼の偉大さが一層際立つ。

北島康介は大勝負に滅法強い。
もっとも苦しい準備段階を含めたメンタルは驚異的といってよい。
平たく言えば「勝負度胸」がずば抜けている。
これが競泳男子平泳ぎで奇跡の4冠をもたらした。

が、その彼がかつてゴール前に失速するという失敗を繰り返していた。
そこで、「勝負脳」を鍛えた。
この概念を提唱したのは、脳外科の第一人者・林成之教授。
氏は、北京オリンピックの日本代表競泳チームに脳の専門家として参加した。

世界のトップアスリートは、肉体や技術の強化はもちろん、精神の鍛錬に努めている。
これが今日の常識、「メンタルトレーニング」「脳トレーニング」。
自分の能力を最大限に発揮する脳の活用法を知っていないと表彰台、とくに頂点に立てない。

氏によれば、人は「ゴールが目前」と思った瞬間、失速する。
したがって、何か挑戦を行っているとき、ゴール自体を目標に設定するのでなく、その先をゴールに設定する。
北島康介に対する処方箋は、結局これだった。
ゴールにタッチし、電光掲示板の数字をしっかりと確認すること!

脳と心のメカニズムは科学的に解明されていない部分が多いが、私は自分自身に思いが及んだ。
仕事の締め切りに追われていて、これで何とか間に合いそうだと胸をなで下ろしたらエンジンブレーキがかかることは無数に経験している。
知的生産性ががくっと落ちてしまうのだ。

私はここ数年、自分商品の開発など、新たなタスクに挑んできたが、何一つやり遂げられなかった。
自分商品とは、営業コンサルタントとして試行錯誤の末に確立した収益向上・業績拡大のセオリーとメソッドを教材にブラッシュアップすること。
つまり、職業人生の集大成の一つ。
私は仕事をさぼったわけでない。
すべて息切れし、中途半端な状態で止まってしまった。

これは昨夏、ひょんなことから「更年期障害」が原因と判明した。
女性に特有の病気と勘違いしていた。
しかし、それだけでない。
タスクの終盤の胸突き八丁で挫折し、ゴールテープを切ることができなかったのだ。
私も「勝負脳」の考え方を取り入れることにした。

これまでは新商品を完成にこぎ着けることをゴールに設定していた。
そうでなく、発売記念パーティで挨拶に立つことや、自分へのご褒美である休暇(旅行)を楽しむことをゴールに設定すべきだった。

人は、顕在意識で鞭を入れても、潜在意識で達成間近を感じていたら失速するようにできている。
要は、頭と心が緩む。

半生を振り返り、和田創は緩々・・・。

私が畏敬する浅田真央は2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で栄冠をつかむべく、スケーティングの脱皮計画を実行に移している。
今シーズンも苦しみそうだ。
温かく見守っていこう。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
私が考えていた以上の快挙である。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート・グランプリ(GP)シリーズ&ファイナルに関するブログは以下のとおり。

⇒2010年12月11日「村上佳菜子は僅差3位、織田信成は後退2位」はこちら。

⇒2010年12月9日「真央二世・村上佳菜子、安藤美姫と頂点を競う」はこちら。

⇒2010年12月8日「安藤美姫はエロい大輪を咲かせよ…神秘的セクシー」はこちら。

⇒2010年12月7日「高橋大輔は心に訴えない…内臓を揺さぶる泥臭さ」はこちら。

⇒2010年11月28日「イケメン小塚崇彦に足りないもの…GP圧勝」はこちら。

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なでしこジャパン澤穂希、川島永嗣の眼光…W杯

サッカーの話題が私の耳に入ってくる。
きょう開幕するサッカー女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会。
世界ランキングを過去最高の4位に上げた「なでしこジャパン」は初優勝を目指し、6大会連続で出場する。
16チームが参加。
日本代表はスピードと組織力を磨き、2008年北京夏季五輪(オリンピック)で4位に入り、メダルまで後一歩の力をつけている。
ワールドカップでは機敏なパス回しと緊密な連係により、体格とパワーで勝る強豪国に立ち向かう。

日本代表は1次リーグのグループBで、6月27日にニュージーランド戦、7月1日にメキシコ戦、7月5日にイングランド戦を行う。
いずれも格下なので、勝ちあがるだろう。

「なでしこジャパン」の主将(キャプテン)はMF澤穂希(沢穂希。さわ・ほまれ)。
1993年からW杯5大会連続出場となる32歳(INAC)。
眼光が鋭く、闘争心が表情に出ている。
澤穂希は選手生活の集大成としたいと抱負を語っていた。
有終の美を飾れるだろうか。

                       ◇

ところで、私はJリーグの発足時、サッカーがこれほどまでに日本人から支持されるようになるとは夢にも思わなかった。
プロ野球の人気をだいぶ前に超えたということはないのだろうか。

先だってNHK総合テレビに川島永嗣が出演していた。
それが何の番組か、どんな内容か、私は分からない。
テレビに映った彼の顔、そして目は、試合中と打って変わってとても穏やかだった。

以下に、「守護神・川島永嗣の目力と映画・大魔神の睨み」と題する2011年2月1日のブログを収める。

                      ◇◆◇

サッカー・アジアカップの決勝戦。
日本代表は延長戦前半に得点し、単独最多となる4度目の優勝を果たした。

堅守が光ったが、私が驚嘆したのはGK川島永嗣の神がかりのファインセーブである。
オーストラリア代表からすれば、決定的なチャンスを2度封じられたことになる。

川島永嗣は、ペナルティキックやPK戦で自分のポジションを確認するかのように足を踏ん張り、両手を広げる仕草をする。
あるいは、敵を威圧するかのように…。
彼に限らず、ゴールキーパーはたいていそうかもしれない。

が、川島永嗣はその際の眼光がとくに鋭い。
試合直後のインタビューでは興奮しているせいか、目を一杯に開き、目玉をギョロつかせる。
私は、その表情をどこかで見た記憶があるが、どうしても思い出せなかった。

それがようやく判明した。
長野県・伊那中学校時代に見た大映映画「大魔神」だった。
特撮時代劇。
大魔神はそこに登場する“守護神”の名称である。
戦国時代、穏やかな表情の石像が悪事に怒り、恐ろしい相貌にに一変する。
大魔神は目を一杯に開き、まばたきをしない。
そして、血走った目玉をギョロつかせ、悪人を追い詰める。

守護神・川島永嗣の目力は、映画・大魔神の睨みにそっくりだ。
1対1に持ち込んだキューウェルが決められなかったのは、川島永嗣の気迫に圧倒されたからか・・・。

日本代表の勝因は、ザッケローニ監督の采配、チームのまとまり、控えを含めた選手個々の頑張り。
決勝戦に関しては、とくにDF長友佑都の突破力とGK川島永嗣の防御力が大きく貢献した。
素晴らしい戦いぶりだった。

ところで、サッカーアジア杯日豪決勝戦の平均視聴率は33.1パーセント、瞬間最高視聴率は37.5パーセントだった(ビデオリサーチ調べ。関東地区)。
関西地区は若干高い。
これはテレビ朝日系列の数字。
私の書斎のテレビでは映らないが、NHKBS1も生中継したはずだ・・・。

日本代表は1月31日、ドーハから成田空港着と関西空港着の2便に分かれ、凱旋帰国した。
おめでとう。
お疲れさま。

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北島康介と高橋大輔、五輪への思い再燃…現役続行

先だって、このブログ(ライブドア版)の読者がメッセージ機能を用い、丁寧な感想を寄せてくれた。
それが女性なので、私は余計にうれしい。
仕事で接することがほとんどない。
日本とくに日本企業は依然として「男社会」である。
私は筆箱(古い?)にラブレターを見つけた気分・・・。

以下に、その全文を紹介しよう。
実は、本人には木曜日のブログで取りあげると連絡を差しあげたが、私が仕事に忙殺されて今日にずれ込んだ。
お詫びしたい。

                       ◇

はじめまして。
いつも和田さんのブログを楽しみに読ませていただいています。
多岐にわたる好奇心と、それぞれの事象へのバランスのよい分析を読みたくて・・・。
また、今回はどんな分野の解析をされているのかとワクワクしながら開いています。

最近のブログで印象に残ったのは、少し前の東電だけが悪者になることへの違和感。
それと、北島康介選手のロンドン五輪挑戦の記事でした。

東電については、私の兄が同社の技術者として福島第一・第二原子力発電所(原発)の建設にかかわりました。
その後、廃棄物処理の先進国である南アフリカで視察中に交通事故に合い、亡くなっています。
東電原発事故への私の考えは身びいきからのものだと思っていました。
しかし、和田さんからも自分に近い意見をお聞きすることができ、溜飲を下げました。

東電(会社)の事後対応に関しては歯がゆい気持ちで見守っていますが、現場で命がけで処理に当たる方たちへは心からエールを送りたいと考えます。

そして、北島選手のこと。
私も彼の挑戦するまなざしに魅力を感じているのですが、もう一人注目しているのがフィギュアスケートの高橋大輔選手です。
以前、CSで二人が対談したとき、北島選手は高橋選手の活躍を見て五輪への思いを再燃させたと語っていました。
また、北島選手の金メダルを見た高橋選手が子どものように羨ましがっていたのが印象的でした。

先頃の世界フィギュアスケート選手権でのエッジ・アクシデントを受けてソチ五輪までの現役続行を表明した高橋選手。
私は、あのときの金メダルへの思いが再び植えつけられたのだと思いました。

バレエの熊川哲也さんとの対談では、同じけがをした人の言葉として、1年後もっと進化した自分がいるはずと言われていました。
そうした考えの土壌があり、世界選手権のアクシデントがきっかけとなって、ソチへの思いが芽生えたのだと思いました。

つねに原点から自分を進化させていく北島選手。
若手の台頭目覚ましい男子シングルであえて厳しい闘いに臨もうとしている高橋選手。
私はお二人から目が離せません。

はじめてのメールで長々と失礼しました。
これからも楽しみにしています。

                       ◇

以上。
心より感謝したい。

彼女の東電原発事故に関する思いは非常に複雑だ。

さて、文面から力量が伝わってくる。
こうした読者は、きのうのブログ「浅田真央の肉球、アメショーのトリプルアクセル」(ライブドア版)のようなタイトルに眉をしかめているのかもしれない。
正しくは、「アメショーの肉球、浅田真央のトリプルアクセル」。
が、そもそもタイトルになっていない。
皆さん、ごめんなさい・・・。

私はブログで幾度も述べているが、人の好き嫌いをなるべく表明しないように努めている。
「嫌い」と思った瞬間、その人のいいところまで見えなくなってしまうのが怖いし、またそれでは自分もつまらない。
どんな人にもいいところと悪いところがある。
逆に言えば、私は好き嫌いが極端に激しい。
自分への戒めである。

浅田真央とイチローは「畏敬」の対象である。
見ているとつらくなる。
でも、見てしまう。
二人はいまもがいている。
北島康介と王貞治は「尊敬」の対象である。
憧れの気持ちが混ざる。
高橋大輔は「親愛」の対象である。
要は、好きだ。
お気に入りなので、ブログでつい称賛してしまう。

私は彼らを応援している。
とくに現役続行を選んだ北島康介と高橋大輔を・・・。

ちなみに、長嶋茂雄は別格。
私の気持ちを表す言葉が見つからない。
多分に神格化されているが、でなければ戦後最大のヒーローは生まれなかった。
スーパースターとは、そういうもの。
長嶋茂雄は選手時代から監督時代まで、つねに突き抜けた存在だった。

NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)は半世紀の節目を迎えた。
現在、井上真央主演の「おひさま」が放送されている。
戦後の世相を明るく照らし出したのが、長嶋茂雄という太陽(おひさま)だった。
まぶしかった。

話を戻して・・・。
私は女性読者からお褒めの言葉をいただいたものの、年明け以降、なかでも1〜2カ月はブログにエネルギーを割けない。
もともと「分析」は得意でないが、ましていまは「解析」と呼べるレベルにまったく達していない。

昨今の政治の混迷と政治家の堕落、東日本大震災後の復興、エネルギー政策の見直しなど、社会的な関心事項について私なりに思うところがないわけでない。
しかし、ブログで取りあげるには、それなりに考える時間が必要であり、現状では不可能である。

私は来月還暦を迎え、それ以降を「サードキャリア」と位置づけている。
数年がかりで準備もいくらか重ねてきた。
今年度の下期以降、新テーマの講演やセミナー、研修が徐々にデビューする。
また、来年度以降、それらが急速に広まっていくと思われる(希望的観測)。

多忙な状態は現役を引退するまで続くはずだが、とくに2012年3月までがコンテンツ作成のピークとなる。
長丁場だ。
すでに素材はおおよそ揃っており、おもに編集と加工によりブラッシュアップを図る。
が、何事も“仕上げ”が一番大変である。
マラソンにたとえれば35キロメートル地点を過ぎて上り坂に差しかかる辺り。
登山なら胸突き八丁。

ここでの頑張り次第で、講演やセミナーの出来が極端に左右される。
講師自らが苦闘を乗り越えてこそ、参加者(受講者)や主催者(事務局)に大きな満足を与えられる。
私は、なるべく感動を与えたいと欲張っている。

                       ◇

余談。
現役復帰後のクルム伊達公子は心の底からテニスを楽しんでいる。
試合に出場できること自体がうれしそう。
それが表情にも全身にも、インタビューなどの言葉にもはっきりと表れている。

こうした心境にたどり着くまで、選手として人間としてどれほどの苦難を味わってきたのだろう。
私は、クルム伊達公子に突き抜けたすがすがしさを感じる。

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北島康介、ロンドンオリンピックへの苦闘と挫折

私は北島康介の面構えが好きだ。
高い目標を胸に秘めているからだろう、何かに取り組むとき、何かを語るとき、目が強い光を放ち、キラキラ輝いている。

北島康介はこれまで夏季五輪(オリンピック)を目指し、かならず挑戦の期間を設けてきた。
それは苦闘と挫折を意味する。
私には、北島康介が意図的に自分を“どん底”に突き落としているように思える。
失敗がもっとも成功に近い。
彼は挫折なくして表彰台の頂点に立てないと考えている。
その結果が五輪4冠である。

28歳の北島康介は2012年ロンドン五輪(オリンピック)への挑戦を明言した。
頭が下がる。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
快挙だ。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

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04wadasouken-20110714-s

石川遼、チャリティー精神も一級品…賞金全額寄付

男子プロゴルフの石川遼が米ジョージア州オーガスタで、今季の獲得賞金全額を東日本大震災の被災者支援のために寄付すると発表した。
対象は、彼が出場する海外メジャー4試合、そして日本ツアー全試合。
さらに、試合で1バーディーを奪うたびに10万円を寄付する。
プロゴルファーにとり生活の糧となる賞金をすべて寄付するというから、私は仰天した。
要は、年間の労働対価をすべて義援金に充当し、徹底的に社会貢献を行う。
それも20社近いスポンサーを抱える一番の人気選手だからこそ。
彼でなければなしえない、大胆かつ立派な決断であろう。

石川遼は、「トータルで2億円を目指す」と力強かった。
プロ転向後、賞金は3年連続で1億円を超える。
イーグル以上を含むバーディーは3年平均で3百を大きく上回っており、これだけで優に3千万円を超える。
賞金王となった一昨年並みの活躍ができれば、総額は2億円を超える。

父やスポンサーなどと相談したとはいえ、石川遼は19歳。
大地震・大津波が起こったときは渡米しており、支援活動を始めるまでに時間がかかった分、プランは練った。
石川遼は、義援金を震災直後に一度送るのでなく、自分の成績と連動して送ることにした。
被災者は長い戦いになると語り、ともに戦っていきたいと述べた。
マインドもアクションも一過性でなく、シーズンを通じて支援を続ける。

石川遼は今季、米ツアー5試合のうち3試合で予選落ちを味わった。
マッチプレーは初戦敗退を喫した。
挑戦3年目にして大きな壁にぶつかった。
3年連続出場のメジャー第1戦、4月7日開催の「マスターズ・トーナメント」から義援金の積み立てをスタートさせる。
「苦しんでいる皆さんへ獲得賞金を渡せると思えば、気合が入る」。
被災地復興への願いを一打一打に込める。
私にできるのは、その石川遼のプレーを応援するくらいだ。

なお、従来行ってきた1バーディーに付き1万円、1イーグルに付き2万円を積み立て、ジュニア育成団体へ寄付する活動は継続する。
石川遼はパーフェクト、凄すぎる。

メジャーリーグでは、イチローが1億円、松坂大輔が百万ドル(8千万円強)を寄付した。
松坂大輔は継続支援も表明した。
石川遼と並び、チャリティー精神も一級品である。

◆書き加え1(4月4日)

義援金に関するブログの内容が前後している。

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東海大相模優勝…74安打は春のセンバツ最多

第83回選抜高等学校野球大会決勝。
夏の甲子園(西宮)に対し、春の甲子園と呼ばれる。
春夏通じて初の決勝進出の九州国際大付と、夏春連続決勝進出の東海大相模の対戦になった。

第90回全国高校ラグビーフットボール大会決勝。
近鉄花園ラグビー場(東大阪)。
桐蔭学園と東福岡の対戦は昨年と同じ顔合わせ。

⇒2011年1月16日「桐蔭学園ラグビー部、初優勝の歓喜、今後の課題」はこちら。

高校ラグビーも、高校野球も、私が暮らす神奈川県勢と、私が一番訪れる福岡県勢がぶつかった。
高校ラグビーは両校優勝。
高校野球は東海大相模が「6−1」で、11年ぶり2度目の優勝を飾った。
夏を含めると3度目の甲子園制覇。
神奈川勢の優勝は2006年の横浜以来、5年ぶり6度目。
また、春夏を通じて「神奈川−福岡」の決勝対決は9試合で、神奈川が7勝2敗。

東海大相模は準決勝、先発全員の21安打を放ち、履正社を「16−2」で圧倒した。
優勝した2000年以来、11年ぶり4度目の決勝進出を決めた。
しかも、春夏通じて史上初の1試合2本のグランドスラム(満塁弾)の快挙。
4回に2年生の森下翔平、7回に3年生の田中俊太が放った。
田中俊太は、父も兄も東海大相模で、夏と春の甲子園に出場。
打撃センスが光る。
昨夏の決勝で興南に「1−13」で大敗し、相手チームの積極性を胸に刻んで今大会に臨んだ。

九州国際大付は、昨秋の神宮大会王者・日大三に「9−2」で打ち勝って初の決勝進出を決めた。

東海大相模は決勝、3回に田中、佐藤の適時打で2点を先行。
4回に渡辺の適時打、5回に佐藤の2点本塁打で加点。
7回に菅野のソロ本塁打でダメ押し。
九州勢の大会4連覇を阻止した。
試合後、主将・佐藤は「守り勝った野球」と語った。
得点(打撃)に目を奪われやすいが、確かにそうかもしれない。
先発の左腕・長田が踏ん張り、6回からエース・近藤が頑張り、強打の九州国際大付を1点に抑えた。

九州国際大付は全5試合を完投した三好が本調子でなかった。
9回二死に加藤の適時打で意地を見せた。
試合後、若生正広監督は、夏の甲子園での雪辱を誓った。

                       ◇

東海大相模は昨年、エース・一二三慎太が中心の守りのチームだった。
が、新エース・近藤正崇が昨年11月末に左足首を手術した。
門馬敬治監督は「5点を取れる打線にしないと、センバツで勝てない」と踏んだ。
「アグレッシブベースボールを貫こう」。
そこで、選手に1日千スイングを課すなどした。
その努力が実り、打線は大会通算最多の74安打を記録した。
72年ぶりの更新。
優勝、おめでとう!

⇒2010年8月22日「夏の甲子園、決勝の残酷…東海大相模・一二三慎太」はこちら。

⇒2010年11月11日「一二三慎太は投手か打者か…阪神タイガース」はこちら。

⇒2011年1月27日「一二三慎太の夢は江夏豊…完封&決勝本塁打」はこちら。

東海大相模は、打撃はもとより、走塁と守備が素晴らしい。
投手も安定している。
夏の甲子園を制覇する可能性がある。

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三人の“佑者”…斎藤佑樹、長友佑都、本田圭佑

このところ三人の「佑者」に話題が集中した。
もちろん、斎藤佑樹、長友佑都、本田圭佑の3選手。

斎藤佑樹は、日本ハムファイターズというより日本プロ野球界のゴールデンルーキー。
きのうスタートした沖縄・名護の1軍キャンプの一員。
国民的な人気を持つスターである。
これほどの熱狂は、あの松坂大輔以来か。

長友佑都は、先のサッカー・アジアカップで日本の4度目の優勝を手繰り寄せた。
ボレーシュートをゴール左上に冷静に決めたFW李忠成は見事だったが、それをお膳立てしたのは左サイドを突破したDF長友佑都のクロス。
これが決勝点。
彼は「世界一のサイドバックになる」と語っていた。
セリエAの超名門クラブチーム、インテルに移籍することが発表されたばかり。

本田圭佑は、同じくアジア杯における日本の司令塔としてコンスタントな活躍を見せ、大会MVP(最優秀選手)に輝いた。

「佑」の当たり年か・・・。
今年生まれる男の赤ちゃんの“命名”に使われそうだ。

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守護神・川島永嗣の目力と映画・大魔神の睨み

サッカー・アジアカップの決勝戦。
日本代表は延長戦前半に得点し、単独最多となる4度目の優勝を果たした。

堅守が光ったが、私が驚嘆したのはGK川島永嗣の神がかりのファインセーブである。
オーストラリア代表からすれば、決定的なチャンスを2度封じられたことになる。

川島永嗣は、ペナルティキックやPK戦で自分のポジションを確認するかのように足を踏ん張り両手を広げる仕草をする。
あるいは、敵を威圧するかのように…。
彼に限らず、ゴールキーパーはたいていそうかもしれない。

が、川島永嗣はその際の眼光がとくに鋭い。
試合直後のインタビューでは興奮しているせいか、目をいっぱいに開き、目玉をギョロつかせる。
私は、その表情をどこかで見た記憶があるが、どうしても思い出せなかった。

それがようやく判明した。
長野県・伊那中学校時代に見た大映映画「大魔神」だった。
特撮時代劇。
大魔神はそこに登場する“守護神”の名称である。
戦国時代、穏やかな表情の石像が悪事に怒り、恐ろしい相貌にに一変する。
大魔神は目をいっぱいに開き、まばたきをしない。
そして、血走った目玉をギョロつかせ、悪人を追い詰める。

守護神・川島永嗣の目力(めぢから)は、映画・大魔神の睨み(にらみ)にそっくりだ。
1対1に持ち込んだキューウェルが決められなかったのは、川島永嗣の気迫に圧倒されたからか・・・。

日本代表の勝因は、ザッケローニ監督の采配、チームのまとまり、控えを含めた選手個々の頑張り。
決勝戦に関しては、とくにDF長友佑都の突破力とGK川島永嗣の防御力が大きく貢献した。
素晴らしい戦いぶりだった。

ところで、サッカーアジア杯日豪決勝戦の平均視聴率は33.1パーセント、瞬間最高視聴率は37.5パーセントだった(ビデオリサーチ調べ。関東地区)。
関西地区は若干高い。
これはテレビ朝日系列の数字。
私の書斎のテレビでは映らないが、NHKBS1も生中継したはずだ・・・。

日本代表は1月31日、ドーハから成田空港着と関西空港着の2便に分かれ、凱旋帰国した。
おめでとう。
お疲れさま。

◆書き加え1(2月1日)

長友佑都がイタリア1部リーグ(セリエA)の名門・強豪クラブチーム、インテル・ミラノに移籍することが電撃発表された。
インテルは昨季、イタリア勢として初のセリエA(国内リーグ)、コッパ・イタリア(国内カップ)、欧州チャンピオンズリーグをすべて制し、3冠を達成した。
セリエAでは5連覇中。
2010年12月に行われたFIFAクラブ・ワールドカップでは、アフリカ王者マゼンベを破って世界一の栄冠に輝いた。

長友佑都は昨夏、FC東京からセリエAに昇格したチェゼーナにレンタル移籍された。
チーム自体は低迷したが、抜群の運動量と献身的なプレーが注目され、争奪戦が起こっていた。
アジアカップでも日本の4度目の優勝の原動力になった。
欧州に挑戦、わずか半年後の大出世である。

アルベルト・ザッケローニ監督は、かつてインテルの指揮官を務めた。

                      ◇◆◇

サッカー・アジアカップ決勝戦に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年1月29日「本田圭佑は攻撃の要になれるのか…アジアカップ日豪戦」はこちら。

⇒2011年1月30日「GK川島永嗣、キューウェルを止める…奇跡のセーブ」はこちら。

                      ◇◆◇

岡田ジャパン、サムライブルーの戦い振りなどに関するブログは以下のとおり。

⇒2010年6月15日「W杯日本初戦勝利! ウェルカメルーン!」はこちら。

⇒2010年6月27日「W杯日本決勝T進出、前評判を吹き飛ばす」はこちら。

⇒2010年6月28日「W杯人気、デニーズ世界のカレーツアー」はこちら。

⇒2010年6月28日「マラドーナとメッシの関係…W杯記者会見」はこちら。

⇒2010年6月29日「本田圭佑侍ジャパン進化…W杯パラグアイ戦」はこちら。

⇒2010年6月30日「W杯岡田ジャパンの死闘…評価と次期監督」はこちら。

⇒2010年7月2日「岡田監督の進退、遠藤保仁の挑戦…2014W杯」はこちら。

⇒2010年7月4日「W杯日本代表次期監督候補にマラドーナ?」はこちら。

⇒2010年10月18日「岡田武史W杯日本代表監督の名言…カンブリア宮殿」はこちら。

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GK川島永嗣、キューウェルを止める…奇跡のセーブ

昨夕のブログ「本田圭佑は攻撃の要になれるのか…アジアカップ日豪戦」の続き。
私は本田圭佑の不敵な面構えが好きだ。
が、もっと好きなのは、その裏側にあるナイーブな心だ。

さて、サッカーのアジアカップ、日本代表とオーストラリア代表の決勝戦。
私は日本を応援しているせいか、終始攻め込まれている気がして、ハラハラドキドキ。
仕事に追われており、例によって“ながら視聴”のつもりだった。
しかし、手が完全に止まり、画面にくぎ付けになった。
ちょっと目を離しているすきに得点を奪われそうな展開だった。
60歳の心臓に悪い。

日本は2試合連続の延長戦になった。
選手は疲労の色が濃い。
その後半、スピードで突破したDF長友佑都の左クロスを、途中出場のFW李忠成が左足でボレー、先制ゴールを決めた。
これが決勝点。
オーストラリアの猛攻をしのぎきり、単独最多となる4度目の優勝を遂げた。
おめでとうっ!

日本はオーストラリアの高さを生かしたシンプルな攻撃に苦しめられ、序盤からゴールをしばしば脅かされた。
しかし、組織的な守備で得点を許さなかった。
DF陣の踏ん張りが光る。
また、GK川島永嗣はキューウェルとの1対1の絶体絶命のピンチに、奇跡のファインセーブを見せた。
しかも2度。
とくに後半終了間際、私は諦めた。
信じられないっ!

チームが一つにまとまった団結の勝利だ。
司令塔の本田圭佑は今大会のMVP(最優秀選手)に選ばれた。

日本代表は、アルベルト・ザッケローニ監督が就任して8戦負けなし。
初めて臨んだ公式戦を制した。
2013年にブラジルで開催されるコンフェデレーションズカップにアジア代表として出場する。

アジアカップ日豪決勝戦の平均視聴率、そして瞬間最高視聴率はとんでもない数字か。
テレビ朝日とNHKBS1を合算すれば・・・。

以下に、「本田圭佑は攻撃の要になれるのか…アジアカップ日豪戦」と題する2011年1月29日のブログを収める。

                      ◇◆◇

サッカーのアジア王者を決める「アジアカップ」がドーハで開催されている。
25日の準決勝、日韓戦は非常にスリリングな展開だった。
日本代表は前半戦で1対1に追いつき、そのまま後半戦を終えた。
延長戦前半で2対1と勝ち越したが、韓国代表の執念は凄まじく、後半で同点に追いつかれた。
勝負はPK戦にもつれ込んだ。
GK川島永嗣が2人を止めるなどして3−0で制し、29日の決勝へ駒を進めた。

テレビ朝日の生中継の平均視聴率は35.1パーセント、瞬間最高視聴率は40.6パーセントを記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
これは、延長を含む 175分間。
試合終了は日付をまたいだ。

私は仕事に没頭していたが、テレビをつけっ放しにしていた。
チャンスやピンチの場面で大きな声が耳に入る程度。
それでも試合の行方が気になった。
未明の午前2時とか3時とかだったように記憶している。
あれは生中継でなかったのか。
それとも私が時刻を勘違い?

決勝はきょうの深夜、24時キックオフ。
相手は6−0でウズベキスタンに大勝し、初めて決勝に進出するオーストラリア代表。
日本は2大会ぶり、最多となる4度目の優勝を目指す。
FIFA(国際サッカー連盟)ランキングでは日本が29位、オーストラリアが26位。
日本代表は通算成績で分が悪く、5勝(PK勝ち1を含む)7敗6分け。
前回のアジアカップでは準々決勝でぶつかり、1−1からPK戦で下した。

オーストラリアは5試合で日本と同じ13得点。
かたや、6失点の日本に対して1失点。
個々人の体が強く、チームの完成度も高い。
しかし、ザッケローニ監督は公式記者会見で「厳しい戦いを経て、チームは強い集団になっている」と自信をのぞかせた。
「プレーの内容で勝負したい」とも…。
が、準決勝で右足小指を骨折したMF香川真司が離脱するのは痛い。
5試合に先発し、2得点2アシストの活躍だった。
攻撃の要となるMF本田圭佑は自分に大きな期待がかかっていることを百も承知。
最優秀選手候補4人に名を連ねている。
獅子奮迅の働きを見せられるか。

日本がオーストラリアの攻撃力を封じるには、ボールを少しでも多く、少しでも長く支配するほかにない。
大舞台ではチームのまとまりのよさが大事になり、機敏力と合わせて日本が勝る。
何の根拠もないが、日本は3−1で勝つと信じたい。

決勝戦はテレビ朝日では23時54分から、NHKBS1では23時から生放送される。
視聴率はどこまで跳ねあがるだろう。
勝者は、各大陸王者で競う2013年コンフェデレーションズカップ・ブラジル大会に出場する。

◆書き加え1(1月30日)

私はアジアカップ決勝戦の興奮が冷めてきた。
いま午前6時。

私は普段、妻にブログをアップしてもらっている。
このブログは自分でアップした。

予約機能を用い、午前8時にセットした(ライブドアブログ)。
ところが、即公開されてしまった。
慣れないことはやるものでない。

もう一度、セットしてみる。
うまくいくようなら、最初のブログは削除する。

◆書き加え2(1月30日)

あっ、予約に成功。

オーストラリアは日本のゴール前にロングボールを上げてくる。
これが結構、厄介。
国際大会では長身の選手がもう少しほしいところだ。

しか〜し、オーストラリアは単調な攻めが敗因といえるかもしれないなぁ…。

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本田圭佑は攻撃の要になれるのか…アジアカップ日豪戦

サッカーのアジア王者を決める「アジアカップ」がドーハで開催されている。
25日の準決勝、日韓戦は非常にスリリングな展開だった。
日本代表は前半戦で1対1に追いつき、そのまま後半戦を終えた。
延長戦前半で2対1と勝ち越したが、韓国代表の執念は凄まじく、後半で同点に追いつかれた。
勝負はPK戦にもつれ込んだ。
GK川島永嗣が2人を止めるなどして3−0で制し、29日の決勝へ駒を進めた。

テレビ朝日の生中継の平均視聴率は35.1パーセント、瞬間最高視聴率は40.6パーセントを記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
これは、延長を含む 175分間。
試合終了は日付をまたいだ。

私は仕事に没頭していたが、テレビをつけっ放しにしていた。
チャンスやピンチの場面で大きな声が耳に入る程度。
それでも試合の行方が気になった。
未明の午前2時とか3時とかだったように記憶している。
あれは生中継でなかったのか。
それとも私が時刻を勘違い?

決勝はきょうの深夜、24時キックオフ。
相手は6−0でウズベキスタンに大勝し、初めて決勝に進出するオーストラリア代表。
日本は2大会ぶり、最多となる4度目の優勝を目指す。
FIFA(国際サッカー連盟)ランキングでは日本が29位、オーストラリアが26位。
日本代表は通算成績で分が悪く、5勝(PK勝ち1を含む)7敗6分け。
前回のアジアカップでは準々決勝でぶつかり、1−1からPK戦で下した。

オーストラリアは5試合で日本と同じ13得点。
かたや、6失点の日本に対して1失点。
個々人の体が強く、チームの完成度も高い。
しかし、ザッケローニ監督は公式記者会見で「厳しい戦いを経て、チームは強い集団になっている」と自信をのぞかせた。
「プレーの内容で勝負したい」とも…。
が、準決勝で右足小指を骨折したMF香川真司が離脱するのは痛い。
5試合に先発し、2得点2アシストの活躍だった。
攻撃の要となるMF本田圭佑は自分に大きな期待がかかっていることを百も承知。
最優秀選手候補4人に名を連ねている。
獅子奮迅の働きを見せられるか。

日本がオーストラリアの攻撃力を封じるには、ボールを少しでも多く、少しでも長く支配するほかにない。
大舞台ではチームのまとまりのよさが大事になり、機敏力と合わせて日本が勝る。
何の根拠もないが、日本は3−1で勝つと信じたい。

決勝戦はテレビ朝日では23時54分から、NHKBS1では23時から生放送される。
視聴率はどこまで跳ねあがるだろう。
勝者は、各大陸王者で競う2013年コンフェデレーションズカップ・ブラジル大会に出場する。

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間寛平アースマラソン、万感のゴール…大阪城

年末にパソコンが破損し、データが消滅した。
私はそれによる仕事の遅れをなかなか取り戻せない。
書き溜め記事が中心のこのブログは実質休止。

以下に、「間寛平、がんに打ち克ちゴールへ…アースマラソン」と題する2011年1月5日のブログを収める。

                      ◇◆◇

マラソンとヨットによる地球一周「アースマラソン」に挑戦中の間寛平がきのう、約2年ぶりに日本の地を踏んだ。
2008年12月17日に大阪・難波を出発し、2009年元日に千葉・鴨川から出航した。
太平洋、北米大陸、大西洋、ユーラシア大陸を自らの足とヨットで突き進んだ。
昨年1月に「前立腺がん」が見つかり、2カ月ほど米国で治療に専念した。
行く手に多くの苦難が待ち受けていたが、間寛平はそれをすべて乗り越えて帰国した。
とりわけ病魔に打ち克ったのは凄い。
スタートからの総距離は約4万キロメートル(海路を含む)。

間寛平は今後、福岡から大阪まで 620キロメートルを走り、1月21日に大阪城音楽堂にゴールする予定。
途中、複数の映画館で凱旋トークイベントを行う。

以下に、「間寛平、人生の地平線をどこまでも走れ」と題する2010年4月25日のブログを収める。
いくらか手を加えた。

                      ◇◆◇

マラソンとヨットで世界一周に挑戦しているお笑いタレントの間寛平。
今年1月に前立腺がんと診断され、経口と注射によるホルモン治療を行いながらマラソンを続けていた。
しかし、体調が思わしくなく、トルクメニスタンで一時中断し、米国サンフランシスコで放射線治療を受けている。
もちろん“完走”するため。
担当医師によると、腫瘍の程度は5段階の4と高いが、2カ月ほどで完治しそう。
再スタートの時期は様子を見て判断する。

アースマラソンは「山あり谷あり」。
間寛平は治療とトレーニングを並行し、一日も早く日本に着けるように頑張りたいと語った。
本人のブログには連日、激励のメッセージが届いている。
間寛平が病魔と闘いながらゴールを目指す姿は、ファンに大きな勇気と感動を与えよう。

人はだれしも“老い”を迎える。
行く末を考えれば不安が膨らみ、来た道を振り返れば悔いが残る。
さまざまな思いが交錯し、心が揺れ動く。
それでも間寛平はひょうひょうとして生きる。

私がやりたくてできないことを、間寛平は代わりにやってくれている。
セカンドライフに誇りと喜びを見出せなくて元気を失いがちな団塊の世代や60代の憧れでもあろう。

「地球を走って一周する」。
ここまで壮大でなくても、一生のうちにこれといった目標を掲げられ、なおかつ実行へ移せる人はどれだけいるだろう。
私たちは何となく歳月を過ごし、気づけば夕暮れにたたずみ、すぐに朽ちていく。

間寛平のチャレンジは、困難そのもの。
入念な準備は当然として、それまでの不断の鍛錬、それに基づく実績の積み重ねがあってこそ可能性が芽生えるし、支援者も現れる。
私には絶対に無理と承知しつつ、うらやましいと思う気持ちがどこかにある。

自然は美しい。
そして厳しい。
吹きすさぶ砂漠、荒れ狂う海原、降り注ぐ太陽…。
行程の大半は過酷極まりないのかもしれない。

間寛平は、人生の地平線をどこまでも走っている。
胸に時折去来する思いは何なのだろう。

還暦間近の私は思う。
垢で汚れてしまった心を空っぽにできたら…。
広辞苑によれば、還暦とは「60年で再び生まれた年の干支に還るからいう、数え年の61歳の称」とある。

私は以前、たまたま見た報道番組で深いため息をついてしまった。
自分の境遇とのあまりに大きな隔たり…。
そこには大海原を背景に、こぼれるような笑顔の間寛平が映し出されていた。

⇒2011年1月4日「間寛平、愛妻と涙の抱擁…アースマラソン日本帰還」はこちら。

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北島康介、ロンドンオリンピックへの進化

年末にパソコンが破損し、データが消滅した。
書き溜め記事が中心のこのブログは実質休止。
私は仕事がパニック状態…。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
私が考えていた以上の快挙である。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート・グランプリ(GP)シリーズ&ファイナルに関するブログは以下のとおり。

⇒2010年12月11日「村上佳菜子は僅差3位、織田信成は後退2位」はこちら。

⇒2010年12月9日「真央二世・村上佳菜子、安藤美姫と頂点を競う」はこちら。

⇒2010年12月8日「安藤美姫はエロい大輪を咲かせよ…神秘的セクシー」はこちら。

⇒2010年12月7日「高橋大輔は心に訴えない…内臓を揺さぶる泥臭さ」はこちら。

⇒2010年11月28日「イケメン小塚崇彦に足りないもの…GP圧勝」はこちら。

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間寛平、がんに打ち克ちゴールへ…アースマラソン

マラソンとヨットによる地球一周「アースマラソン」に挑戦中の間寛平がきのう、約2年ぶりに日本の地を踏んだ。
2008年12月17日に大阪・難波を出発し、2009年元日に千葉・鴨川から出航した。
太平洋、北米大陸、大西洋、ユーラシア大陸を自らの足とヨットで突き進んだ。
昨年1月に「前立腺がん」が見つかり、2カ月ほど米国で治療に専念した。
行く手に多くの苦難が待ち受けていたが、間寛平はそれをすべて乗り越えて帰国した。
とりわけ病魔に打ち克ったのは凄い。
スタートからの総距離は約4万キロメートル(海路を含む)。

間寛平は今後、福岡から大阪まで 620キロメートルを走り、1月21日に大阪城音楽堂にゴールする予定。
途中、複数の映画館で凱旋トークイベントを行う。

以下に、「間寛平、人生の地平線をどこまでも走れ」と題する2010年4月25日のブログを収める。
いくらか手を加えた。

                      ◇◆◇

マラソンとヨットで世界一周に挑戦しているお笑いタレントの間寛平。
今年1月に前立腺がんと診断され、経口と注射によるホルモン治療を行いながらマラソンを続けていた。
しかし、体調が思わしくなく、トルクメニスタンで一時中断し、米国サンフランシスコで放射線治療を受けている。
もちろん“完走”するため。
担当医師によると、腫瘍の程度は5段階の4と高いが、2カ月ほどで完治しそう。
再スタートの時期は様子を見て判断する。

アースマラソンは「山あり谷あり」。
間寛平は治療とトレーニングを並行し、一日も早く日本に着けるように頑張りたいと語った。
本人のブログには連日、激励のメッセージが届いている。
間寛平が病魔と闘いながらゴールを目指す姿は、ファンに大きな勇気と感動を与えよう。

人はだれしも“老い”を迎える。
行く末を考えれば不安が膨らみ、来た道を振り返れば悔いが残る。
さまざまな思いが交錯し、心が揺れ動く。
それでも間寛平はひょうひょうとして生きる。

私がやりたくてできないことを、間寛平は代わりにやってくれている。
セカンドライフに誇りと喜びを見出せなくて元気を失いがちな団塊の世代や60代の憧れでもあろう。

「地球を走って一周する」。
ここまで壮大でなくても、一生のうちにこれといった目標を掲げられ、なおかつ実行へ移せる人はどれだけいるだろう。
私たちは何となく歳月を過ごし、気づけば夕暮れにたたずみ、すぐに朽ちていく。

間寛平のチャレンジは、困難そのもの。
入念な準備は当然として、それまでの不断の鍛錬、それに基づく実績の積み重ねがあってこそ可能性が芽生えるし、支援者も現れる。
私には絶対に無理と承知しつつ、うらやましいと思う気持ちがどこかにある。

自然は美しい。
そして厳しい。
吹きすさぶ砂漠、荒れ狂う海原、降り注ぐ太陽…。
行程の大半は過酷極まりないのかもしれない。

間寛平は、人生の地平線をどこまでも走っている。
胸に時折去来する思いは何なのだろう。

還暦間近の私は思う。
垢で汚れてしまった心を空っぽにできたら…。
広辞苑によれば、還暦とは「60年で再び生まれた年の干支に還るからいう、数え年の61歳の称」とある。

私は以前、たまたま見た報道番組で深いため息をついてしまった。
自分の境遇とのあまりに大きな隔たり…。
そこには大海原を背景に、こぼれるような笑顔の間寛平が映し出されていた。

⇒2011年1月4日「間寛平、愛妻と涙の抱擁…アースマラソン日本帰還」はこちら。

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しかも、私がときどき新しい記事を割り込ませています。
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なお、ブログによりぎりぎりのジョーク、成人向けの内容が含まれます。
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プロフィール
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和田創

和田創研代表
日本ロボコム代表
ロボットビジネス勉強会&交流会主宰
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。クライアントとともに77歳までに百社の設立を目指す(内、自ら11社)。

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面白くないジョークの会会長 

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