コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

病気・加齢・痴呆

役員退任・・・株主総会

かつてお世話なった方、わりと最近までお世話になった方が、6月の株主総会で役員を退任されました。
そうした状態が毎年のように続いており、気づくと私より年上の役員はおおよそ去っていきました。
さみしいかぎりです。
皆、仕事がお好きな方ばかりでした。

同時に、自分の現役時代も終わりに近づいているとの思いが湧いてきます。
私に残された十年ほどの職業人生のラストステージで何ができるだろう。
そんなことを考えながら働き、そして生きています。

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ショック! 介護保険証が届いた!

自宅に戻ると、妻が「ショックだった」と言いながら、郵便物を見せてくれました。
差出人は横浜市都筑区役所。
中身は私の「介護保険 被保険者証」。

そういえば、もうすぐ65歳になります。
いわゆる高齢者に属するのです。

私自身もショックでした。
一気に年を取りました。

50代前半までは自分のどこかに「まだ若い」という気持ちがありました。
ところが、50代半ばでがくっと、60代突入でどかんと体力が落ちました。

実は、60代半ばを迎える今年に入り、ますます老いを痛感することが多くなりました。
四捨五入で70歳か・・・。

「介護保険証」が届くと、職業人生の残りを意識せざるをえません。
痴呆が目前に迫っているのかもしれません。

余談。
「濱ともカード」が同封されていました。
おそらく横浜市内の特定の商業施設や店舗などで利用できる優待証でしょう。
カードに金色で「寿」の文字があしらわれており、センスの悪さが私の気持ちをさらに暗くします。

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咳き込むと納骨堂の広告…スマホ感知

私が激しく咳き込みはじめた頃から、都内のあちこちの「納骨堂」の広告が一気に表示されるようになりました。
技術の進化は恐ろしいほどです。
最近のパソコンやスマホは人間の咳まで感知できるようになったのですね。

ビジネスは先手必勝かもしれません。
しかし、私的には、咳き込んだらとりあえず医者を表示してくれるとうれしいです。

「空気清浄器」の広告が一気に表示されると思うと、うかうかおならもできません。
この息苦しさはいったい何でしょう。

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喘息の発作? 呼吸困難に・・・

日曜日の深夜から月曜日の早朝にかけ、激しい咳に苦しみました。
喘息の発作に近い状態で、呼吸困難に陥りました。
肺が軽い炎症を起こしており、そのうちに熱が出てきました。

実は、昨年11月頃にアレルギー性の鼻炎にかかるとともに咳が出るようになりました。
疲労の蓄積、寒暖の差などで症状が一気に悪化することもあるそうです。

私は3〜4日安静にしていなければなりません。
金曜日までの予定をキャンセルするなどし、お客さまにご迷惑をかけることになりました。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

一時は話もできないひどさでしたが、薬が効き、午後から電話でのやり取りが何とか行えるようになりました。
しかし、咳による極度の睡眠不足に加え、薬による副作用で猛烈な睡魔に襲われています。
頭のなかに幕が張っている感じで、意識がもうろうとしています。

私は一日も早く体調を整え、仕事などの遅れを挽回するつもりです。
なお、検索連動型広告の納品は予定どおり終えました。

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どうか、お元気で・・・

私は先月、昔お世話になった中小企業のオーナー社長を訪ねました。
何と四半世紀ぶりです。
専門市場でトップシェアを誇るまでに成長し、大きな社屋に移転していました。

私が今日の仕事に就いているのは、社長のお陰です。
仕事の喜びはもちろん、営業さらには企画の楽しさを知ることができました。

私は面と向かって感謝の気持ちを伝えたいと思いながら、忙しさにかまけて先延ばしにしてきました。
社長がそろそろ現役を退く年齢に達しており、最後の機会と考えてお会いしました。

感無量です。
社長から温かい言葉もかけていただきました。
昔とまったく変わらない優しいお人柄でした。

同社を退くとき、こちらから社長に握手をお願いしました。
「どうか、お元気で・・・」。
私はそう伝えるのが精一杯で、危うく涙がこぼれるところでした。

ずっと引っかかっていた胸のつかえが取れました。

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手帳にスケジュールを記せる幸せ

2016年版の能率手帳がきのう届きました。
毎年この時期に真新しい手帳に触れると、心がわくわくします。

私は来年に65歳を迎えます。
四捨五入により70歳になりますので、今年と気持ちがまったく違ってくるでしょう。

同級生はすでに大半が職に就いていません。
取締役もおそらく65歳で定年です。
オーナー社長や自営業者を除き、ほぼ全員が仕事を離れることになります。
家族や友人、近隣や地域社会との交流など、残りの人生を自由に楽しんでおられることでしょう。
しかし、仕事がお好きですと、一抹のさみしさを感じることでしょう。

私はただちに来年の仕事のスケジュールを書き入れられる幸せをかみしめています。
世の中に自分の力を必要としている方々がまだいらっしゃるからです。

私はいまのところ、両親の家系であるアルツハイマーを発症していません。
やりがいの大きい仕事に追われる充実した毎日を送っています。
77歳まで手帳に予定を記せる現役でありたいと思います。

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人間ドック入り⇒がん検査

私は、銀座移転後の無理が重なって体調を崩し、1日の「人間ドック」に入りました。
恐ろしく丈夫なはずの胃腸に相当な違和感がありましたので、「がん」かもしれないと覚悟を決めていました。
(肝臓の裏側の背中辺りもはれが引きません。)

実際、先生(医師)は私に胃カメラの画像を見せながら、「かなりダメージを受けています。これは健康診断というレベルでありませんね」とおっしゃいました。
素人目にもひどく荒れ、傷んでいるのが分かりました。
そこで、肝臓を含め、がん検査も行いました。

・・・ところが、「何の問題もない」と診断され、喜ばなければならないのに拍子抜けしてしまいました。

私は、両親の家系であるアルツハイマーを発症しなければ、まだまだ現役を続けられそうです。

幸い、講演や公開セミナー、企業研修はもちろん、クライアントの受託業務を猛烈に抱えており、自分にさらにムチを入れようと思います。
どれも日本一の高品質を目指しています。

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北陸新幹線グランクラスに父と母を!

北陸新幹線の開業が来週に迫りました。
私は新潟(現上越市)で生まれ、富山(魚津高校)を出ており、感無量です。

父が地元での就職を勧める際、「新幹線が通る」と得意気に語っていたことが鮮明に思い出されます。
私が20代、約40年前のことです。

父も母もずっと楽しみにしていましたが、まったく間に合いませんでした。
当初の開業予定は延びに延びました。

私は父と母を「グリーン車に乗せてあげたい」と思っていました。
グランクラスの設定を知ったのは最近ですが、迷わずそうしました。
北陸新幹線の開業は嬉しさと悔しさが入り混じっています・・・。

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戒名の位…父は居士、母は大姉にする

きのうのブログ、「父は認知症入所棟へ…特養老人ホーム都筑の里」に続いて・・・。

⇒2013年9月18日「父は認知症入所棟へ…特養老人ホーム都筑の里」はこちら。

私は、浄土真宗の寺と葬儀場を兼ねた建物の地下1階につくられたロッカー式納骨堂の墓を持っています。
通常の墓と同様、家族が代々、遺骨を納められます。
ロッカー式と記しましたが、正確には佛壇形式の家族墓所です。
上部は仏壇になり、下部は骨壺が6つ入ります。
この寺は、後継者が絶えても「無縁墓」として合葬しない方針を打ち出しています。

私は、バブル崩壊後しばらくして前妻が亡くなったときに買い求めました。
おそらく3百万円は支払いました。
こうしたことに疎く、しかも切羽詰まっていましたので、言われるままに契約を交わしました。
東京の一等地、なかなか見事なつくりとはいえ、値段が高すぎます。
いまなら百万円もしないでしょう。

先週、父が亡くなり、戒名をつけることになりました。
この戒名は宗派によりいくらか異なりますが、「位」が設けられています。
「浄土真宗」には位が2つしかありません。
先に亡くなった母が「大姉」でした。
そこで、釣り合いが取れるよう、父は「居士」にしました。
ちなみに、亡くなった前妻(先妻)も「大姉」でした。
戒名についても、先方に勧められるままに位を決めました。
私が両親の葬儀を経験する前に、前妻は3人の子どもを残して先立ちましたので、何も考える余裕がありませんでした。
相場は年々下がっているようですが、読経料込みでお布施は結構な金額になります。

さて、寺が戒名をつけるに当たり、「人となりを一言でいえば…」と尋ねてきました。
ところが、私は情けないことに簡潔な言葉で括れず、返事に詰まってしまいました。
このとき、父はわりとつかみどころがないと思いました。

だれから聞かされたかは忘れましたが、父は戦時中に軍隊で「堅パン」と呼ばれていました。
「尊敬半分、揶揄半分」というより、からかいの比重が大きいのかもしれません。
「憲作」という名前の「憲」が父の生き方を決めたようです。
「堅パン」は、融通がまったく利かないということでしょう。
実際、父は曲がったこと、間違ったことが大嫌いでした。
嘘偽りのない人生を歩みました。

また、父は淡々としていました。
自分の気持ちや感情を表にほとんど出しませんでした。

父はとても子煩悩でもありました。
母もそうでした。

父も母も兄弟が多く、長男と長女として大切にされたせいか、エリート意識を持っていました。
母もいくらかそうでした。
両親は「(お)にいさん」「(お)ねえさん」と周りから呼ばれていましたので…。
昔は長男と長女を立てるのが当たり前だったのかもしれません。
以上。
父の人となりの説明になったかどうか・・・。

両親は、私が横浜・港北ニュータウンに呼び寄せるまで、富山県滑川市常光寺天望町で暮らしました。
かつての実家に住む妹にこの話をしたとき、「一言でいえば、おだやかだった」と返され、意外でした。
男の私と女の妹では、父の印象がだいぶ違うのです。

私は直江津小学校時代まで、ときどき父から注意を受けました。
父がほんとうに厳しく叱ったのは一回です。
まさに激昂でした。
私が、隣(裏)の家の2階に引っ越してきて間もない小さな子を連れ出し、帰りが真っ暗になったときでした。
二人は気が合い、私は自分の一番好きな直江津から郷津にかけての砂浜をずっと歩き、戻るのが遅くなったのです。
(母は何かにつけ、買い物や掃除などの家事を命じました。)

しかし、父はそのほかは好きにさせてくれました。
母も同じでした。
子育ては、基本のしつけを押さえつつ、放任状態でした。
うるさいことはまったく口にしませんでした。
私が根っからの自由人なのも、これと無関係でないでしょう。

妹が迷うことなく口にした「おだやか」という表現はそれなりに的を射ている気がしてきました・・・。

⇒2013年9月16日「父の訃報にほっとする・・・大往生」はこちら。

⇒2013年9月17日「火葬炉の父の名前『憲作』に気づく」はこちら。

⇒2013年9月18日「父は認知症入所棟へ…特養老人ホーム都筑の里」はこちら。

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父は認知症入所棟へ…特養老人ホーム都筑の里

きのうのブログ、「火葬炉の父の名前『憲作』に気づく」に続いて・・・。

⇒2013年9月17日「火葬炉の父の名前『憲作』に気づく」はこちら。

93歳の父は先週、2013年9月11日に老衰で永眠しました。
急速に進んでいた「アルツハイマー病」が特養施設の入所後に決定的に進み、だれも何も分からなくなりました。
あっという間…。
父は植物人間に近い状態でしたが、生来の「生命力」で十年ほど生きつづけました。
痴呆(ボケ)のほかは何一つ悪いところがなく、体が素晴らしく丈夫でした。
私たちが「もうダメかなぁ」と思った幾度かの危機も乗り越えていきました。

両親はどちらも深刻な痴呆の家系でした。
私は顔などが父にそっくりですので、アルツハイマー発症は時間の問題と覚悟を決めています。
私は、父が衰えはじめた50代後半を過ぎ、62歳に達しています。
ここ数年、自分の記憶がどんどん曖昧になっています。
そこで、父が亡くなった機会に父について、母について綴っておこうと思います。
このブログですでに述べている可能性があります。
また、それと内容に食い違いや矛盾が生じるかもしれません。
原則として、古い記事のほうが正しいはずです。
しかし、その後に分かったり思い出したり気づいたりした事柄もありますので、新しい記事のほうが間違っているとも言い切れません。

                       ◇

父は2002年(不確か)に「特別養護老人ホーム都筑の里(センター北)」に入所しました。
この特養施設には認知症患者の入所棟が設けられています。
父は痴呆が進み、それまでもデイサービス(通所介護)を利用していました。
ときに母もつきあったかもしれません。

母は2004年8月に「昭和大学横浜市北部病院(センター南)」に入院しました。
この大学病院には病気(おもにガン?)の治療を目的とした医療でなく、症状(おもに苦痛?)の緩和を目的とした、人生の終末を迎えるための緩和ケア病棟が設けられています。
病棟に入ってほどなく亡くなる方が多いなかで、母は1年くらい頑張りました。
私は、医師にも看護師にも驚かれました。
母は、生きることへの執着が凄まじかったです。

私は2005年8月14日、母の死期が近づいていると感じ、富山・滑川の妹の家族を呼び寄せました。
いよいよ病状が悪化した9月3日、再び妹の家族に声をかけました。
9月4日、都筑の里のスタッフに協力してもらい、父を病床に連れてきて母と対面させました。
母はとても喜びました。
父はわずかな時間でしたが、差し迫った状況が飲み込めたようでした。
母の手を握らせると、涙を流しました。
私が見た父の最初の涙でした。
個室がもっとも盛りあがった瞬間です。

妹がそのまま病室に残り、病床につきっきりでした。
が、3泊目にどうにも疲れてしまい、昭和大学横浜市北部病院の真正面の「ホテルアトラス(センター南)」に入り、シャワーを浴びて体をちょっと休めた間のことでした。
母は2005年9月7日朝に永眠しました。
人生の後半(1968年〜)は生活と闘い、晩年は病気と闘いました。

9月8日、都筑の里のスタッフに協力してもらい、父を母の遺体が安置されている「奉斎殿・葬儀の板橋(十日市場)」に連れていきました。
私や関係者が、父は葬儀に立ち会うのは困難という判断を下したからです。
また、父は何よりボケることを恐れ、恥じていました。
とくに兄弟や親戚に自分の姿を見られたくなかったでしょう。
私がその思いを汲みました。
なお、当時、自宅のそばの「奉斎殿・葬儀の板橋(都筑)」はできていませんでした。

そして、霊安室で、私も妻も妹も驚く出来事が起こりました。

私が父に棺(柩)に納められた母を見せ、父に母が亡くなったことを告げたときでした。
父は我に返った表情で、「えらいすまんことをしたのう(不確か)」とつぶやきました。
私が見た父の最後の涙でした。

父は十秒くらいで無表情に戻りました。
時間はもっと短かったかもしれません。
父は、決して楽でなかった生涯をともにした母の死という、もっともつらい現実と情景を見たくなくて、心にシャッターを下ろしたのだと、私は考えました。

私は、痴呆が決定的に進んだ父がこの言葉を発したことがいまだに信じられません。
妻の死を悟り、しばらく悲しみに暮れるのなら分かりますが…。

「えらいすまんことをしたのう」。
父の一言には、母の死に至る互いの経緯と事情が込められているからです。
「そばにいてやれなくて…」「放っておいて…」。
父は、自分を責めつつ、母に謝っています。
脳裏に、取り返しのつかない悔恨の念がわいたのでしょう。

両親が、そして家族がひどく苦しいとき、自分の気持ちをしまっておけない母がしばしば父に突っかかりました。
が、それでも、私も妹も二人はとても仲がよかったと思っています。
病床での対面時の母の大きな喜び、死後の対面時の父の深い悲しみに、夫婦の揺るぎない絆と愛情が凝縮されています。

⇒2013年9月16日「父の訃報にほっとする・・・大往生」はこちら。

⇒2013年9月17日「火葬炉の父の名前『憲作』に気づく」はこちら。

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火葬炉の父の名前「憲作」に気づく

きのうのブログ、「父の訃報にほっとする・・・大往生」に続いて・・・。

⇒2013年9月16日「父の訃報にほっとする・・・大往生」はこちら。

先週水曜日、長らく施設(都筑の里)に入所していた父が93歳、老衰で亡くなりました。
私はバタバタになり、予定どおりに仕事を進められませんでした。
大幅な遅れを取り戻さなくてなりません。
今週も引き続き、猛烈に頑張ります。
62歳でそれができる自分に、幸せを感じます。

ところで、私は火葬場(横浜市北部斎場)の火葬炉の前に表示された父の名前「憲作」を見て、それは父の職業人生、さらに人生を決したことに気づきました。
ぼんやりと分かってはいましたが・・・。

父は大正8年(1919年)、入善町椚山の貧農(おそらく小作農)に生まれました。
長男です。
私は、若くして亡くなった祖父(父の父)をまったく知りません。
が、この名前には、祖父の長男に対する特別の思いというか期待が込められているのでないでしょうか。
「憲作」は、農家の後継ぎにしようとする名前でありません。
「憲」は「基本となる掟」「憲法」の意味があり、それを「作る」となると大変なスケールです。

昔、長男は一家の職業の跡取りになりました。
保守的な村社会のなかの農家の長男ならなおさらです。
にもかかわらず、父は大阪へ出て書生暮らしを始め、法律専門学校に通いました。
卒業はできなかったようですが、その事情や理由は分かりません。
苦労は筆舌に尽くしがたいものだったでしょう。

父が法律家を目指したのは確かです。
少なくとも法律に関わる仕事に就こうとしました。
ひょっとすると、政治家になりたかったのかもしれません。
それもこれも親がつけた名前「憲作」が影響を及ぼしていると、私は火葬場で考えたのでした。
いまとなっては父にも母にも尋ねられませんが・・・。

父は、エリート意識が強く、プライドが高い人でした。
それは半端でなく、自分の兄弟に対してもそうでした。
いや、自分の兄弟に対して一番はっきりと表れました。
家を飛び出したからには偉くなるとの気持ちを抱きつづけていたのでしょう。
「立身出世して故郷に錦を飾る」という言葉が生きていた時代です。
そうでなくては、自分の兄弟にも、実家の近所にも、椚山の住民にも顔向けできないと・・・。

父は、呉羽紡績、東洋紡績(呉羽紡績を実質、吸収合併)、YKK(吉田工業)で職業人生を終えました。
どうやら当時(戦後)の一流企業、地元(富山)の一流企業に勤めることで自尊心を保とうとしました。
どこか見栄や面子にこだわっており、ちっぽけに思えます。
が、それは父の能力と境遇で叶えられた精一杯だったのでしょう。
私は胸が熱くなります。

父は、自分が大阪へ出ていくときに見送ってくれた祖母(父の母)の顔を忘れられないと、私に一度だけ語ったことがあります。
女手一つで育ててくれた母を捨てる罪悪感を持ったのでしょうか。
それとも、母に楽をさせたいとの願いが強かったのでしょうか。

祖母がどのような思いで見送ったかは分かりません。
私たちがときどき椚山の実家を訪れたとき、祖母が私たちの暮らす直江津に訪ねてきたとき、父への祖母の接し方は他の兄弟(私の叔父・叔母)への接し方と明らかに違いました。
とても誇らしげでした。
おそらく父は生涯、心の底で名誉を欲していました。

私は、日本経済新聞社の奨学生制度を利用して明治大学へ進学するために夜行列車で上京するとき、入善駅のホームで見送ってくれた父の顔を覚えています。
時代も環境もまるで違いますが、父はかつての自分の姿とだぶらせていたのでしょう。

また、だれから聞かされたかは忘れましたが、父は戦時中に軍隊で「堅パン」と呼ばれていました。
「尊敬半分、揶揄半分」というより、からかいの比重が大きいのかもしれません。
やはり「憲作」という名前が人生観の根っこにあったのです。

私は、父が燃やされる頃になり、宿命と生きざまがいくらか腑に落ちた気がしました。

⇒2013年9月16日「父の訃報にほっとする・・・大往生」はこちら。

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父の訃報にほっとする・・・大往生

私は先々週から先週にかけ、息をつく暇もない状態でした。
おもに昼間は教育指導の仕事に当たり、夜間はホテルと書斎でクライアントからの受託業務の締め切りに追われました。
疲労が溜まり、背中の張りと腰の痛みに苦しみました。

途中、(2013年)9月11日、福岡でのセミナーの終了後、妻が「父が老衰で永眠した」と知らせてくれました。
昼頃に亡くなっていましたが、私に伏せていました。
10月に満94歳を迎えるところでしたので、大往生と呼べるでしょう。

私は40代後半に講師の道を本格的に歩みはじめた際、父母に「親の死に目に会えない仕事」と告げました。
両親はむしろそれを誇らしく思っているようでした。
なかでも父は、私の顔写真やセミナー(講演)内容などが記されたパンフレット、新聞・雑誌での案内(広告)を近所や職場の方々、親戚に見せて回ったようです。
つきあわされた人は興味を感じるはずもなく、さぞかし迷惑だったことでしょう。

父は、エリート意識が強く、プライドが高い人でした。
自分がボケることを何よりも恐れ、もっとも恥じていました。
昔、祖母が深夜に国道8号線を徘徊し、交通事故で痛ましい最期を遂げました。
父は痴呆の家系だということを自覚していました。

私は2000年夏(不確か)、老いた両親を富山・滑川から横浜・港北ニュータウンに呼び寄せました。
2年後(不確か)、私は父の様子に明らかな異変を感じました。
それでも父は母に対し、私に心配をかけるからそうした症状を話さないように命じていました。
周りはとうに気づいていましたが、父はボケをだれにも隠し通そうとしました。

しかし、痴呆が一気に深刻化しました。
体は元気で、力がみなぎっていましたので、家族の手に負えなくなりました。
父は施設に入所してほどなく、富山から見舞いに訪れる妹のことが分からなくなりました。
あんなに可愛がっていたのに…。
妹は落胆して帰っていきました。
まして、横浜で身の回りの世話をした妻のことは真っ先に分からなくなりました。
妻は私に代わり、骨を折ってくれました。
面倒なこと、大変なことは、一手に引き受けたのです。

私は妹と十歳、年齢が離れていましたので、施設で話しかけると、父はかすかに反応を示しました。
が、それも数年前まででした。
父は入所後に体力が衰え、動くこと、やがて立つことができなくなりました。
そして、食事の時間のほかは植物人間のように眠りこけていました。

私は父の訃報に接し、ほっとしました。
父は、本能に近い生命力だけで生きながらえている状態でした。
いつ亡くなっても不思議でないと、何年か前に医者から告げられていました。
私は、廃人となった父を見るたび、本人は非常に不本意だろうと、複雑な思いを抱いてきました。
頭が確かなときに「尊厳死」が選べるなら、父は迷わずにそうしたと断言できます。
ただし、私は、痴呆後の父を支えてくれた施設や病院の方々の尽力に感謝こそすれ、それを否定するわけでありません。
心よりお礼を申しあげます。

父は、痴呆を除き、悪いところがありませんでした。
人生で病気らしい病気を経験していません。
骨が丈夫で、自分の歯でした。虫歯も見つかりません。
私が仕事に相当な無理が利くのも、父親譲りの健康と体力のせいです。
父がボケなければ、優に百歳を超えて生きたと思います。

ところで、母は2005年9月7日に他界しました。
父を誇りにしていた母は、老いと痴呆がひどくなる父にいら立ち、声を荒げました。
ときに激しく罵りました。
人は長く生きるにつれ、不甲斐ない姿をさらすようになります。
自らのガンの進行に苦しんでいた母は、父の醜態に我慢がならなかったのでしょう。

母はもともと気性が激しく、冷静で淡々としたところのある父と一緒になったおかげで、自分をかろうじてコントロールできました。
対照的な性格は、夫婦の妙といえます。
その両親の最大の共通点は「子煩悩」でした。
家族の生活を守ろうと、必死に働きつづけました。
体が強くなかった母は病気や苦痛と闘いながらでした。
また、長男と長女の組み合わせであり、二人とも兄弟に負けたくないとの気持ちが大きかったのでないでしょうか。
私には過剰と思えるエリート意識やプライドは、育てられた環境が主因かもしれません。

この世ではいろいろありましたが、二人はとにかく仲がよかった・・・。
わがままな母は「来るのが遅い」と怒っていたはずです。
これでまた父と新しい暮らしを始められます。
そう思うと、私は喜ばずにいられません。

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腰痛と背筋痛…痛み止めの注射と座薬が効く!

私は水曜日から連日予定していたCD商品の録音を先延ばしにした。
理由は、重い腰痛と背筋痛である。
とはいえ、確実によくなっている。

私は火曜日まで立ちっ放し・しゃべりっ放しの講演・研修・セミナーが続いていた。
自宅にときどき戻るくらい。
この間、痛み止めと筋肉のコリ(緊張)解消の薬を1日4〜5回は飲んだ。
原則として1日3回(毎食後)の服用である。
また、身動きがほとんど取れない非常時に痛み止めの注射に頼った。
激痛が走るときは講義の直前に痛み止めの座薬を用いた。
「ぎっくり腰」に近い状態でも注射と座薬はかなり効く。
むろん、「中山式コルセット」に加えて「オカモト骨盤ベルト(天然ゴム)」を巻いたうえで…。
腰回りを盤石に固めないと、講師の激務を果たせない。

しかし、常用は厳禁と考えていた。
いまは注射も座薬も用いていない。
薬も1日1〜2回飲むくらいに留めている。
実際、胃薬が処方されたにもかかわらず、胃がボロボロになった。
痛み止めは強い。
要は、神経をマヒさせるのか。

私はここ数日、下肢の牽引とウォーターマッサージベッドでのコリ解消、そしてリハビリテーションに努めている。
脊椎を伸ばすための足を着きながらのぶら下がり(?)、下半身の柔軟性を高めるためのストレッチ、背筋と腹筋、下肢の筋力を増すためのごく軽い運動、そしてウォーキング。
さらに、灸。
できそうなことはすべてやった。
いくらか動きがスムーズになり、痛みが和らいできた。

大幅に遅れたCD商品の録音に、一日も早く取り組みたいと思う。

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インフルエンザ接種で熱・咳・鼻水が出ました

おはようございます。
きょうは大みそかです。
ふるさとに帰省した方、旅行に出かけた方も大勢おられると思います。
どうか一年の締め括りの日にふさわしい時間をお過ごしください。
私は年明け5日の電子教材の発売が迫り、もうろうとした意識で延々と仕事をやっています。
商品(コンテンツ)は完成した状態ですが、自分が望むレベルをクリアすべく、最終仕上げに取り組んでいます。
かぜの熱が下がらず、休養を取りたいところですが、それでは間に合わせられません。
既存顧客から事前注文も入っていて、必死です・・・。

                       ◇

私はおととい、子どもに誘われ、急きょ「インフルエンザ接種」に参戦しました。
医者が大混雑で、仕事を2時間中断することになったのは痛かったです。
が、講師は何があっても寝込むことが許されないので、毎年かならず接種を受けてきました。
年明けは講演などが立て込んでおり、ちょうどいい機会でした。
私は注射が嫌いですが、子どもの手前、泣きませんでした。
待合室では具合の悪そうな老若男女が大勢いました。
インフルエンザがすでに流行っているのでしょうか?

そのときは気づきませんでしたが、たまたま風邪気味のところにインフルエンザの接種を受けたらしく、当日夜から具合が悪くなりました。
あるいは、極度の疲労で抵抗力が落ちていたのかもしれません。
喉が痛み、熱が上がりました。
咳が出て、鼻水も出ました。
インフルエンザのような症状です。
仕事の追い込み期についていません。
それもこれも日頃の行いが悪いからです。

連日正味で16〜18時間くらい頑張らないと・・・。
最悪の年末になってしまいました。

                       ◇

今年一年、私の拙いブログに大勢の読者が訪れてくれました。
感謝の気持ちを込め、年末・年始はとくに手間をかけた記事をアップしようと張り切っていましたが、この様です。
しばらくはブログの更新もままなりません・・・。

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創生水の健康回復効果を実感…運命的な出合い

あすから2泊3日で福岡。
九州地区の社長など、役員を対象とした講演会。
演題は、「経営トップのための営業変革セミナー」。
会場は、財団法人九州生産性本部セミナー室。
おかげさまで会場の限界に近い参加申し込みが寄せられた。
熱気が凄そうだ。

きょうは2007年3月29日の記事にいくらか手を加えてアップ。

                      ◇◆◇

「人は水、水は命」。
人は、年を重ねるにつれて比率は低下するが、体の60〜70パーセントくらいは「水」でできているそうだ。
この水が「健康」の回復や維持、増進にとり、重大なカギを握る。

90年代半ば以降、私は1年の大半を公開セミナーや企業研修の講師として駆けずり回り、疲れ切っていた。
ヤンマーディーゼルの安藤豊久専務(当時)と、カレーライスの昼食をご一緒したときの話。

専務が見かね、ある水の存在を私に教えてくれた。
これが「創生水」との運命的な出合いである。
ご自分の手帳を開き、注文先の電話番号をテーブルに備えつけの紙ナプキンに書き移した。
「この水を飲んでごらん」。
筆記具がボールペンなので、手渡されたナプキンは穴だらけだった。

私は戸惑った。
水を飲んで健康になれるとはとても思えない。
この光景を、いまでも鮮明に覚えている。

それから数カ月が過ぎた頃だろうか。
飼っていたアメリカンショートヘア「クロ」が重い心臓病とガンにかかっていることが判明した。
日に日に衰弱し、どうすることもできない…。
例の水の話が、ふと脳裏をよぎった。
しかも、私はなぜか紙切れを捨てていなかった。
信頼する動物病院からは助からないと宣告されていたが、ダメでもともとという気持ちで「創生水」を取り寄せ、飲ませはじめた。
家族が集まり、今晩で見納めという危篤状態を乗り切ってからは、徐々に回復していった。
病気が病気なので完治はしなかったが、8年も生き延びるとは…。
やがてほかの猫にも飲ませるようになり、皮膚病が治るとか、腸が整うとか、驚くほどの体調の変化を目の当たりにした。
その効果を実感させられた。

好意から教えてくださった安藤専務には大変失礼だが、病気に「あれがいい」「これが効く」という類の“体験談”を、私は信じたことがなかった。
仮にそうした事例が事実だとしても、それは暗示の効果、つまり気持ちの問題に違いない…。
ところが、創生水を飲んでいることを知らない動物の病気が明らかによくなる。
「体の過半を占める水は、生命力を大きく左右する」と悟った。

私は「創生水」を飲みつづけている。
その名前にも、不思議な縁のようなものを感じる。
また、体調不良で苦しんでいた大手物流企業の社長に飲んでもらった。
因果関係は分からないが、ほどなく元気を取り戻した。

さらに、ガンが進行していた実の母に飲ませた。
医者の診断より命が大幅に延びた理由の一つではなかったか。
私は、安藤専務に深く感謝している。

高い水を飲んでいた大臣が、国会でヤリ玉にあがっている。
水の威力を実感するような出来事を経験したのだろうか。
ちなみに「創生水」は1箱一升瓶6本入り。
水そのものはおそらく無料で、配送料だけを支払うというイメージである。
水道水を除けば、一番安い?

わが家は、1回で20箱前後を注文する。
階段しかない団地の最上階なので、佐川急便のセールスドライバーが汗まみれになって届けてくれる。
健康に不安を感じる方は、ぜひ「創生水」で検索してみては…。
タダの水で、健康を取り戻せるかもしれない。
試してみて、損はないはずだ。

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妻が嘔吐と下痢、微熱…ノロウイルス食中毒を疑う

先週木曜日、三井住友銀行系列のシンクタンク・SMBCコンサルティングで講演を行った。
「90分営業塾 変革を起こすリーダーの条件」。
多忙な師走、まして営業関係者は得意先や取引先との忘年会のピークとぶつかる。
私は参加者が集まるか心配だったが、12月半ばとしてはまずまずの人数だった。

ところで、講演会場の半蔵門へ行くために久し振りに東急田園都市線(地下鉄半蔵門線)に乗り、マスクをしている人が多くて驚いた。
大半は風邪の予防が目的なのかもしれない。
私は近くで咳き込んでいる人がおり、気になった。
そろそろ警戒が必要な時期である。

                       ◇

先週金曜日の夜、私は腹痛、そして下痢を起こした。
人はウイルスが体内に入ると、弱い部分に影響が出やすい。
私は、胃はすごく丈夫、腸もそれなり。
例えば、風邪のウイルスで下ったとしても、まず吐かない。
その代わり、目、とくに右目が痛くなる。
実は、朝から右目がつらかった。
潜伏期間があるはずなので、前日に風邪をうつされたということでなかろう。

妻が先週水曜日に嘔吐と下痢でぐったりし、センター南駅前のシティクリニックにかかった。
微熱も出た。
私はインフルエンザ、さもなくば「ノロウイルス」を疑ったが、通常(?)の胃腸(?)のウイルスと判明。
点滴を受けたこともあり、すぐに元気になった。

私は、妻のウイルスをうつされたかと思ったが、翌日(先週土曜日)には下痢も目の痛みも治まった。

                       ◇

最近、ニュース報道でノロウイルスによる食中毒をよく耳にする。
いまネットで調べたら、冬場を中心に「急性胃腸炎」を引き起こす。
神奈川県では「ノロウイルス食中毒警戒情報」が発令されていた。
感染力が非常に強く、しかもごく少量のウイルスで発病するとのこと。
抵抗力が弱い人は重症化しやすく、ときに命を落とす。
決して侮れない病気である。

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ついにボケたか…位置と方向が不明で迷子

おととい夜、センター南の「PCデポ港北本店」で故障したパソコンの無料診断をやってもらっている待ち時間、駅の周辺で簡単な夕食を取ることにした。
急いでいたので、近道・・・。

ところが途中、自分がどこへ向かってどこを歩いているか、さっぱり分からない。
1〜2年前までよく歩いた場所だ。
道のつながりが頭のなかで混乱し、位置と方向が不明。

妻に何度説明を求めてもピンと来ない。
子どもは呆れ顔。
家族が一緒でなければ迷子になった?

私は、これってボケだろうかと思った。
恐れていた「アルツハイマー」が始まっているのか。
かなりやばいかもしれない。

港北ニュータウンは区画整理が行われ、ややこしい道路は一本もない。

私は、いまは特別養護老人ホームに入所する父が十年近く前に迷子になったことを思い出した。

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91歳の父は眠ったまま…誕生日のプディング

きょうは父の91歳の誕生日。
私と妻は特別養護老人ホームへ。

父は数年前からだれも分からなくなった。
やがて、こちらが話しかけても、とんちんかんな言葉が返ってこなくなった。
ほとんど無反応。
このところ眠ったまま。

⇒2010年9月29日「わが子を忘れる…アルツハイマー」はこちら。

父は提携病院にしばらく入り、先だって施設に戻ってきた。
入院中も眠ったまま。

父は固形物を食べられないと施設の職員から聞かされていたので、私と妻はデパートの地下食品売り場でトロトロのプディングを買った。
味は申し分なし。
これなら大丈夫か。

今年からは「ウイダーinゼリー」の世話になる機会が増えていた。

⇒2009年11月8日「介護の現場は壮絶…特養職員に感謝!」はこちら。

父は衰えがひどかったが、数カ月でさらに進んだ。
急速。
担当者が食べ物をすりつぶし、液体に近い状態にして食べさせてくれる。
いまの問題は、担当者が口に入れたとしても、本人がそれを飲み込まないことである。

脳は体をコントールしているはずだ。
ということは、父は生物としての本能さえ働かなくなったのでないか。

妹は、両親のかつての実家に暮らす。
富山・滑川。
私も妹も覚悟はしている。

⇒2010年9月28日「陽気に『グッド・バイ』…尊厳死と安楽死」はこちら。

父のベッドのそばに、妹が米寿に贈った感謝の色紙が置かれている。
人は、ここまで素直な言葉をなかなか綴れない。
父は幸せだ。

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わが子を忘れる…アルツハイマー

私は「脳」について、基礎的な事柄さえ分かっていない。
ネットで調べるのは後日行うとして…。
脳はいくつかの部分から成り立っているはずだが、仮に1つのボール状だとする(えらく乱暴)。
おそらく古い記憶は中心部に蓄積される。
そして、新しい記憶は外縁部に書き込まれる。

2003年頃だったか、父の痴呆がどかんと進んだ。
目つきが一変し別人、生活が不能になった。
父を横浜・港北ニュータウン、昭和大学横浜市北部病院に連れて行った。
そして、脳のMRI写真(?)を見た。
委縮が深刻だった。
それにともない、新しい記憶から失われていった。

私は再婚である。
父は最初に、食事の世話などをしていた妻のことが分からなくなった。
あっ、その前に子どものこと。

やがて、いつも気にかけていた妹のことが分からなくなった。
私と10歳程違う。

母は末期がんで同病院の緩和ケア病棟に入っていた。
いよいよ先が短くなった。
特別養護老人ホームの職員の助けを借りて面会させた際、父はごく短時間ながら母と分かった。
声は聞き覚えがあったのか、母の呼びかけにいくらか応じた。
私には父の表情が和んだように思えた。
自宅で暮らしていたとき以来だ。

後日、やはり助けを借りて霊安室の棺のなかの母と対面させた際、「すまんことをした」とつぶやいた。
奇跡が起こった。
事態を飲み込んだ。
私は父が流す涙を初めて見た。

夫婦の愛、そして絆が一瞬、父に正気を取り戻させた。
感情の起伏の激しい母は父に当たったり、父がボケてからは怒鳴ったりすることが多かった。
しかし、長い目で見れば、とても仲のいい夫婦だった。
父は20〜30秒後、いつもの無表情に戻った。

父は私のことを最後まで覚えていてくれた。
母が亡くなり、2人兄弟だから当然か。
それもいまは・・・。

                       ◇

私はやがて脳が縮みはじめる。
すでに物忘れがひどくなった。

そうなると、真っ先に分からなくなるのが、再婚後の子ども。
中学校に進学したばかり。
私が46歳の年に生まれた。
したがって、早く大きくなってほしいとの気持ちが働く。
同時に、小さいままでいてほしいとの気持ちも…。
次いで、妻。

ほどなく前妻の3人の子ども。
そして、前妻。
20年近く前、ガンで亡くなった。
私は「自分だけは死ねない」という思いが頭を離れなかった。
片親が考えることは同じはずだ。
そう誓っても、人は死ぬときは死んでしまう。

最後は、妹、両親…。

私は、残された時間が多くないと焦っている。
頭がしっかりしているうちに話しておきたい。
が、難しい年頃なので迷惑そう。
私は「ボケるわけにいかない」という思いが頭を離れない。
子どもはまだ小さいのだ。
そう誓っても、人はボケるときはボケてしまう。
そこで、ブログに雑文を綴っている。

私がこの子を忘れるのは、いつか?

⇒2010年9月23日「陽気に『グッド・バイ』…尊厳死と安楽死」はこちら。

きょうのブログと関連性がある。

◆書き加え1(9月21日)

ブログを書き終えて数日後、恥ずかしくなった。
「脳」に関する記述はあまりに危ない。
少しは調べるべきだった。

「おそらく古い記憶は中心部に蓄積される。そして、新しい記憶は外縁部に書き込まれる。」。
「委縮が深刻だった。それにともない、新しい記憶から失われていった。」。

私は写真を見て、脳の委縮が外縁部で起こった印象を持ったが、中心部で起こった可能性がある。
どちらでも? それとも、どちらかで?

新しい記憶から失われていったという件(くだり)もあやふやである。
父は痴呆が進むにつれ、私が知らないくらい古い話をするようになったので、そう思った。

ならば、「古い記憶は中心部に、新しい記憶は外縁部に…」という件もちんぷんかんぷんである。

何もかも疑わしく、記述は信憑性がない。
脳についてはご自分で調べていただきたい。

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陽気に「グッド・バイ」…尊厳死と安楽死

父は重度のアルツハイマーだ。
90歳を超えており、家族の記憶を完全に喪失した。
長年連れ添った母がだいぶ前に亡くなったことも知らない。

父は尊厳死が認められれば、それを選択したはずだ。
富山・入善の祖母が深夜に国道8号を徘徊し、悲惨な事故死を遂げた。
祖父は若い頃に亡くなったので、痴呆の家系かどうか分からない。
しかし、父はボケることを非常に強く恐れていた。
一つは、自分のプライド。
もう一つは、家族の負担。

いまは自らの意思で生きているわけでなく、生物としての肉体が生きているという状態である。
意味不明の話はもとより、片言さえ口にしなくなった。
それを見るのがつらくて、富山・滑川の妹は父が入居する施設を訪ねることをためらう。
遠方からやってきても、何の反応も示さないため、肩を落として帰っていく。

私は、父とそっくり。
そちらの血をおもに引いた。
来年は還暦であり、アルツハイマーの発症は時間の問題だろう。
父は50代半ばでボケが始まった。
私は、ときどき届く手紙でそれを感じた。
抑制の効いた文章、端正な文字が乱れ出したのだ。
「おやじ、年を取ったなぁ」と当時は思ったが、アルツハイマーの初期だった?
母はガンで亡くなったが、もっと生きていればやはりアルツハイマーの発症は避けられなかったろう。
祖母がひどく、母はそちらの血をおもに引いた。

難しい問題があるにしろ、私個人は日本で一日も早く「尊厳死」が認められることを願う。
死んでいくのに周囲や次世代に重石を残したくない。
そう考える高齢者が少なくないのでは…。
ならば、危機的な国家財政もいくらか救われる。

私は家族と普段どおり話し、普段どおり笑いながらこの世を去りたい。
最期を人生の締め括りと考えており、一番楽しくあってほしい。
陽気に「グッド・バイ」。

人生谷あり谷あり。
苦しみの連続だ。
せめて最後は安楽死。

⇒2009年11月8日「介護の現場は壮絶…特養職員に感謝!」はこちら。

好評を博したブログである。
「ありがとう」の気持ちを綴った。

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君の股間がかゆい…デリケアエムズ池田模範堂

この夏の暑さは尋常でなかった。
人類が地球環境を破壊したツケが回ってきたのでないかと本気で思うほど、世界中で異常気象が頻発した。
新興国が先進国を追うように高度成長を続けており、この先、激しい気候変動が起こりそうだ。
繁栄と幸福をもたらすとされた文明が私たちに牙をむきはじめている。

私は例年、秋口に夏バテの症状が出る。
還暦間近の今年は、8月中旬にグロッキーになった。
猛暑、いや酷暑に体力の低下と体調の悪化が加わったためだ。
気力まで萎えてしまい、廃人のよう…。

さて、先日のブログで、私は玉袋(正式名称は不明)の「汗疹(あせも)」をこじらせ、オロナインH軟膏のお世話になったと述べた。
かゆさを通り越し、痛い。
丁寧に塗り込んだら、赤いブツブツは3日程できれいに消えた。
万能薬だ。

⇒2010年8月24日「ガマの油並みの効用…オロナインH軟膏の実力」はこちら。

机の上に、ちょっとしか使っていないオロナインH軟膏のチューブが転がっている。
次の出番はいつか?

昔、大塚製薬の成績優良者を対象に営業セミナーを行ったことを思い出した。
短時間なので、講演に近い。
記憶が曖昧だが、参加者は都道府県代表(選抜)かもしれない。
営業講師として軌道に乗った頃だった。
とても懐かしい。

ところで…。
先日のブログは、おそらく先月に記した。
私はたいてい数日分、ときに1〜2週間分、まれに1カ月分を書き溜める。

先月下旬(?)、私は大げさなCMをたまたま目にした。
股間のかゆみの専用薬が登場していたのだ。
確かに思春期以降の大人の男女に膨大な“潜在ニーズ”がありそうだ。

「夏は股間がかゆくなる」。
オフィスで大勢のサラリーマンが雄々しく歌う。
私は見事なハーモニーに身震いし、涙した。

商品は「デリケアエムズ」。
発売は「ムヒ」でお馴染みの池田模範堂。
由緒の正しいそうな社名だ。

笑えるCMだが、実際に塗るところをイメージすると案外みじめである。
エムズ開脚、なんちて。

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ガマの油並みの効用…オロナインH軟膏の実力

アメリカンショートヘア・ブラックスモーク♀の「フウ」。
通常は真っ黒だが、フウは濃いグレー。
渋谷・松濤に暮らしていた頃、私の部屋で生まれた。
大手町・日経ビジネススクールで講師を務め、へとへとになって自宅に戻ってきたら5匹…。
両親のクロ(ブラックスモーク♂)とモモ(シルバータビー♀)はペットショップで購入。
去勢手術が遅れ、子どもができてしまった。

近所のヤマザキ動物専門学校の生徒と子どもの友人に差しあげ、とても喜ばれた。
しかし、1匹もいなくなったら、苦労して生んだモモがかわいそうと妻が主張し、ひ弱そうな1匹を手元に残した。

フウは私の部屋で暮らす。
すべてがマイペースであり、食事も一回に取れる量が少ない。
他の猫と一緒にできない。
フウは寝相の悪い私を避け、おもにイスで眠る。
私が出張などで帰ってこないと悟ると、深夜過ぎに妻の部屋へ行ってベッドで眠る。

フウは13歳になり、猫としては高齢。
心細いせいか空調(冷房)のせいか最近、私のベッドで眠ることが多くなった。
大の字の股間に収まろうとする。
また、机で仕事中の腿(もも)で丸まろうとする。

猫の体温は高い。
私は玉袋(正式名称は不明)が汗まみれになる。
7月の猛暑も一因か、おそらく「汗疹(あせも)」をこじらせたようだ。
かゆくてかゆくて…。
居ても立ってもいられず深夜、コンビニで「オロナインH軟膏」を買ってきた。
「皮ふ疾患・外傷治療薬」と記されている。 

赤くはれあがったブツブツは2〜3日で解消・・・。

                       ◇

ところで、「オロナイン」の名前は半世紀前、私が小学生の頃には世間に知れ渡っていた。
何と息の長い商品だろう。
売れ筋しか扱わないコンビニの店頭に置かれているとは驚きである。
優良企業・大塚製薬の実力を感じさせられる。
なお、老いた私は「オロナミン(C)」とごちゃごちゃになる。
こちらも同社の超ロングセラー商品。
オロナミンのネーミングは、オロナインがベースになっているようだ。
私が混乱するのも当然か…。

私は改めてオロナインH軟膏の効能書きを見て、びっくりした。
ガマの油売りの口上並み。
極端に言えば、何にでも効く。
「にきび・吹出物・はたけ・やけど(かるいもの)・ひび・しもやけ・あかぎれ・きず・水虫(じゅくじゅくしていないもの)・たむし・いんきん・しらくも」。
30〜50年前によく見聞きしたりかかったりした懐かしい(?)皮膚疾患の名前がずらっと並ぶ。
オロナインH軟膏の実力は図抜けている。

しらくもの少年といんきんの中年の立場からすれば、これほど心強い味方はない。
が、しらくもといんきんの立場からすれば、これほど手強い敵はない。
オロナインH軟膏により、彼らは人生の行き場を失う。
悲痛な叫びが、私には聞こえてくる。
オー・マイ・ゴッド!

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アレルギー性鼻炎でせき込み、疲労困憊

私はひどいことになっている。
しばらくおとなしかった手湿疹が一気に悪化した。
アトピー性の皮膚炎だ。
右手の平がこわばり、表面が割れて血が流れる。
無意識に掻いているようだ。
これまでは効いたメンソレータムの「メディクイック」では症状が治まらない。
また、左手の甲にイボ(?)が出はじめた。

疲労の蓄積と気候の変動で、体の抵抗力が落ちたためでなかろうか。

同じ頃、アレルギー性の鼻炎を発症した。
うすい鼻汁が絶えず出てくる。
それ自体は騒ぐほどでないのだが、この鼻みずがなぜか気管支のほうに流れ込み、せきが止まらない。
ときにくしゃみも止まらない。
肺の負担が大きく、エネルギーの消耗が進む。

私がもっとも参ったのは、眠りにつけないことだ。
うとうとすると、せき込む。
翌日(当日)が丸1日のセミナーだと焦る。
が、すぐに午前3〜5時。

私は、睡眠時間が極端に減り、抵抗力が大幅に落ち、せきがさらに激しくなるという悪循環に1カ月以上苦しんでいる。

40代前半、猛烈なせきから大量の喀血が起こった。
新宿・河田町の東京女子医大(東京女子医科大学病院)に緊急入院。
このときは死を覚悟した。
前妻を亡くした後だったので、残される3人の子どものことで頭が一杯であり、不思議と恐怖心は湧かなかった。
血液が片側の肺に溢れ、それが片側の肺にかなり流れ込んだらしい。
両方の肺が血液に浸かっていたら助からなかったと言われた。
かろうじて命を取り留めた。

いまは一日中せき込む。
気をつけないと、二の舞になりそう…。

私は最近うつ伏せに寝るようにした。
アレルギー性鼻炎とのつきあい方がいくらか分かってきたところだ。
疲労困憊の状態から抜け出せるだろうか。

加齢などにより抵抗力が衰えると、さまざまな病気が現れる。
がんもその一つだ。
ヘビースモーカーの私は、かかるとしたら肺がんか…。

                       ◇

酷暑が続く。
今週はタカクラホテル福岡で泊まり込みの「提案営業研修」を行う。
合宿なので時間が長い。
本来なら昼と夜、それぞれ講師が必要だ。
主催は財団法人九州生産性本部(九州生産性大学)。
3泊4日、何とか無事に乗り切りたい。

◆書き加え1

サザンオールスターズの桑田佳祐(くわた・けいすけ)は私より5歳ほど若い。
それでも50代半ばに差しかかる。

その桑田佳祐に食道がんが見つかった。
幸い、初期。
入院・手術が必要になるが、医師によれば1年後にステージに立てそう。
ファンは胸をなで下ろしているはず。
「死んでも戻ってまいります」とは、いかにも桑田佳祐。

私は何年も人間ドックに入っていない。
やばい・・・。

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営業講師は疲労かボケか、忘れ物ばかり

私は長期出張が度重なり、この間に短時間の講演のほか、さまざまな打ち合わせや所用が挟まる。
腰痛と背筋痛が高じて背中が鉄板のように硬くなり、吐き気に苦しめられている。
胃が原因でないので、胃薬を飲んでもすっきりしない。
毎日がつらい。

私は12年以上前、自宅と会社を渋谷・松濤から横浜・港北ニュータウンに移した。
渋谷での1〜2年と横浜での6〜7年の8年間、なかでも5年間がピークだった。
提案営業の研修・セミナー講師としてブレークした時期である。
社員もいて、彼らの給料を払わなくてならない。
狂ったように働き、命を落とさなかったことが不思議…。
講師として猛烈な日数、さらに時間をこなした。

当時は年間の大半が出張であり、自宅ではだらしなくベッドに横たわっていた。
そうでなくては次の出張へ向け、体力と気力の回復が図れなかった。
“講師商売”は想像を絶する激務であり、しかもキャンセルが許されない。
ずっと緊張を保ちつづけなくてならず、地獄だった。
しかし、そうした状態でも何とか乗り切った。

私は当時と比べると、はるかに負担が軽くなった。
とくに今年に入ってからは新規顧客に関する企業研修と公開セミナーを断わっており、日数が減った。
それでも老いが進み、体調の維持がきわめて難しくなっている。

先週、くたくたの状態で「タカクラホテル福岡」での合宿セミナーに臨んだ。
客室も会場「カトレア」も落ち着き、三度の食事もおいしい。
素晴らしい環境だ。
主催は財団法人九州生産性本部。
コース名は九州生産性大学「提案営業マネージャー養成コース17日間」。

ところが、私はチョンボ!
しかも、過去に例のない3アイテムを忘れた。
のどスプレー、電動歯ブラシ、スマートフォンACアダプタケーブル。
いずれも講師の私にとり必須である。

私は長い講師経験で喉を潰してしまった。
また、歯と歯茎が弱り、ホテル備え付けの歯ブラシが使いにくい。
さらに、スマートフォンは体の一部であり、重要な仕事の連絡のほか、家族とのやり取りに欠かせない。
2日目に電池が切れ、3日目、4日目は使えなくなった。
イライラが募った。

私は還暦が迫る。
忘れ物は疲労のせいか、ボケのせいか、おそらく両方だろう。
慢性の疲労は取れないにしろ、一時的な疲労は仕事を休めば和らぐ。
深刻なのはボケだ。
両親がアルツハイマーであり、父は私の年齢で症状が出ていた。

私は楽天的な性格もあり、カネに無頓着である。
NPO法人ほか社会貢献活動に大きな時間と費用をつぎ込んできた。
ゆえに、老後の備えはこれから…。
アルツハイマーの進行との闘いになるはずだ。
妻はやきもきしていることだろう。
夫婦で悲惨な晩年を迎えそうで、私は早く大きく稼がなければと気持ちが焦っている。

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2010年7月公開講座

毎日が自分との戦いだ

私はヘロヘロ…。
ブログに手間をかけられない。

1週目は個別経営相談会、2週目は広島出張、3週目は福岡出張、4週目は名古屋出張と続き、この間に『月刊トップセミナー』の収録とNPO法人営業実践大学の開催などがはさまる。
自宅にほとんど戻れない。



半年以上中断していた“自分商品”の開発を復活させた。
私はこれで1回目の勝負をかける。
還暦以降の「サードキャリア」への足がかりを築くための挑戦である。

商品の企画については練りあげたつもり。
7月20日の完成を目標にしているが、かなり先まで予定が埋まっており、十分な日程を組めない。
7月末頃にずれ込むかもしれない。
盛夏までバタバタの状態が続く。

私は意志が弱い。
難しいと思うと、かならず挫折する。

重い疲労、腰痛、睡眠不足…。
毎日が自分との戦いだ。

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寿命・余命予測…自分は何歳まで?

私は数年来、すかっとした健康を感じることがなくなった。
つねに体のどこかしら具合が悪い。
年末から風邪気味の状態が続き、しかもこのところ頭と目が疲れ切っている。
実は先日、私が「実践営業論」の授業を担当するMBAの拡大教授会が六本木で行われた。
直前まで参加を諦めていなかったが、体調不良と仕事の積み残しにより取り止めた。
我ながら情けない。

私が今年最大の目標としているのは、おもに経営トップと営業幹部を対象とした「教具・教材メーカー」として事業をスタートさせること。
年を取って肉体労働が厳しくなったせいもあり、製造業に対する憧れが募っていた。

20〜40歳までの業界人(プランナー)としてのスキル。
40〜60歳までのコンサルタントとしてのノウハウ、講師としてのコンテンツ。
それぞれ20年弱、正味の稼働は16〜17年程か。
この両者を融合し、職業人生の総仕上げにできれば…。
それが「教具・教材メーカー」。

ところが、第1弾となる商品の開発がかなり遅れている。
頭の衰えをはっきりと感じる。
第3弾まではベーシックで、サプライズはなし。
本格的な融合は第4弾からなのに、入口で早くもつまずいている。
私はイライラ…。

                       ◇

ところで、先だって、芸能人の「寿命」や「余命」を予測するテレビ番組が行われていた。
私は例により“ながら視聴”。
とくに寿命の番組は内容がまるで分かっていない。
遺伝子検査が根拠(うろ覚え)。

余命の番組は、専門(診療科目)の異なる教授(医者)がチームを組む。
その道の権威の集まりか。
そして、かなりの人数のタレントについて、何歳まで生きられるかを判定した。
人間ドックが根拠(恐らく)。
なかなかリアリティがある。

医学と科学が進歩し、人の寿命を推定できるようになった。
画期的だ。
人間ドックで現在の健康状態を把握し、それに遺伝子(細胞?)の検査結果を加味すると、かなり正確になるのでは…。

私の余命はどれくらいだろう。
それが分かれば、生き方や働き方を変えられるのでないか。
あるいは、“怠け癖”を改められるのでないか。
文字どおり「必死」になろう。
怖い気もするが、自分があと何年生きられるかを知りたい。
子どもがまだ小さいのだ。

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2010年1月公開講座

ボケ防止…活脳手帳は仕掛け満載!

私の目が日本経済新聞の夕刊の広告に反応した。
「ボケない! 記憶力がアップする!」の「ボケない!」に。
私に限らず、高齢者の大半は「痴呆」への恐れを抱いている。
商品は手帳だ。

「新しい刺激を与えていけば、脳は年齢に関係なく活性化していくことがはっきりしてきました…」。
ほんとうだろうか?
この手帳は使うだけで“活脳”になる仕掛けが随所に盛り込まれているのだとか…。

ベストセラー作家にして医学博士の米山公啓が監修。
名称は「活脳手帳」
発売は土屋書店。
定価は1,680円(税込)。

私は、2011年3月に職業人生に一区切りをつける。
もう大きな「能率手帳」は必要がなくなる。

そこで、2011年からこの手帳を使うことにした。
ほかにこの手のものがないか当たってみるが…。
脳科学者の茂木健一郎が手がけている?

もし脳の老化にいくらかでもブレーキをかけられるとしたら画期的だ。

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2009年12月公開講座

介護の現場は壮絶…特養職員に感謝!

私の父は深刻なアルツハイマーで、特別養護老人ホームにお世話になっている。
先日、妻が言う。
「おじいちゃんは顔が女っぽくなった」。
私が返す。
「人間の顔になったのでは…。
わが人生0619人は人間として生まれる。
そして、成長につれて男と女に分かれ、違いがはっきりとしてくる。
肉体面だけでなく精神面でも…。
いわゆる性差。
それは社会面でも…。
男女の役割意識が芽生え、家庭や職場、地域などに及ぶ。
ところが、子どもが巣立ち、仕事をリタイアし、老いが深まるにつれて男女の役割意識が薄れる。
まして認知症が進むと、それが消える。
だから、最後は人間に戻り、土に帰っていく。
男が人間に戻るから、女っぽくなったという印象を持つのでは…」。
妻は納得した様子。

特別養護老人ホームに行くと、入居者の多くが地味な古着を着ていることもあり、性別をつかみにくい。
とくに90歳前後の高齢者は…。

父は先月、90歳を迎えた。
アルツハイマーが進行し、最後まで覚えていた私のことがついに分からなくなった。
生涯の大半を連れ添った母が亡くなったことさえ知らない。
私と十歳近く年が離れる妹はだいぶ前に分からなくなった。
わが人生0620近い記憶から失われていくので…。
両親が横浜・港北ニュータウンに越して来て懸命に面倒を見た妻のことは真っ先に分からなくなった。
生きていながら、家族や兄弟、友人を失う。
それは自分を失うこと。
アルツハイマー患者は、そうした恐怖に震え、孤独と闘う過程を経る。
しかも、その苦悩をだれにも伝えられない。

妹は、富山・滑川の天望町という立山連峰が望める住宅地に建てられた、かつての両親の実家に暮らす。
遠方なので、見舞いはたまに…。
だが、せっかく訪れても父がまったく反応を示さないので、つらそうにしている。
わが人生0621最近、父はとんちんかんな話はもとより片言も口にしなくなった。
沈黙の時間が流れる…。
やがて妹は肩を落として引き上げる。
父は妹を可愛がっていた。

驚くことに父は痴呆を除き、体に悪いところが一つもない。
虫歯もない。
医者が呆れる。
わが人生0622ただし、脳が体をコントロールできなくなり、衰弱が急速に進んだ。
インフルエンザでなくても風邪を引いたら難しいと言われている。
昨年も心肺停止状態から甦った。

先が長くない。
妻に促され、私は90歳の誕生日祝いに複合商業施設「港北みなも」の「スポーツデポ」へ室内着を買いにいった。
父がお世話になっている特別養護老人ホームでは、入居者の金銭的負担が小さくなるようにと、古着のバーゲンを丹念に当たり、着る物の心配までしてくれる。
わが人生0623私は頭が下がる。
妻と売り場で相談し、ナイキやアディダスなどのブランド物を買うことに意味がないとの結論に達した。
ホームでも浮いてしまう。
それに両親ともそうした贅沢を極端に嫌い、つましく生きてきた。
そこで、スポーツデポのPB(プライベートブランド)を選ぶことに…。
NB(ナショナルブランド)の3〜4割の値段で買える。
室内着は立派な上下で6千円以下。
ソックスは4足で千円以下。
バースデープレゼントなのに、何だかケチっているようで申し訳ない。

特別養護老人ホームで働く方々に、どれだけ感謝しても感謝しきれない。
その気持ちをほかに表しようがないので、安い菓子折を幾度か持っていった。
が、決まりを盾にどうしても受け取らない。
わが人生0624押し付けるように置いてくる。
共働きの私と妻は、とてもアルツハイマーの父の面倒を見られなかった。
私は出張ばかり。
妻は職場から戻り、自宅で深夜まで。ときに休日、祝日も。

父が特別養護老人ホームに入居したのは、6年前。
妻が駆けずり回り、しばらく待たされた後に空きが出た。
むろん、それまでもいくつかのホームでデイサービスやショートステイを利用してきた。
わが人生0625ガンに侵されていた母は、父の奇行や徘徊が始まり、心身ともに疲れていた。
父は入居時、かなり体力があり、自由に動けた。
職員は非常に大変だったに違いない。
それと、父はホームに響き渡る大声でよく怒鳴り散らしていた。
職員は言葉を含めた暴力で傷ついたのでないか…。
介護の現場は壮絶だ。

私たちはホームにバースデープレゼントの室内着を届けた。
やはり父は無反応…。
私たちが帰るとき、振り返ると、父の担当者は袋から室内着を取り出し、何も分からないはずの父に一生懸命に説明を行っているでないか。
わが人生0626胸が熱く…。
職員は凄いな。
お世話になります。
ありがとう。

長門裕之と南田洋子。
芸能界の“おしどり夫婦”として有名。
認知症の妻を、夫は最後までつきっきりで介護。
わが人生0627素晴らしい。
深い、深い、深い愛情が伝わってきた。
先頃、訃報に接した。
ご冥福をお祈りする。

このブログは、先日のブログ「人として死んでいく。」(人生の寺子屋)に関連して述べた。

                       ◇

ところで、日本経済新聞によれば「老い支度」をする人が増えている。
すでに本格的な高齢社会に突入しており、当然か。
生前に自分の墓や葬儀を準備しておくだけでない。
わが人生0628何と「遺影」を撮影しておく。
縁起でもないという意識が薄れ、家族はもとより本人が希望するらしい。

先日のブログで、認知症に備えて思い出をつづる取り組みが始まっていることを伝えた。
⇒9月29日「認知症は大丈夫か?」はこちら。

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認知症は大丈夫か?

以前の日本経済新聞夕刊によれば、認知症に備え、思い出をつづる取り組みが始まっているのだとか…。
わが人生0566そのツールとして、すでに「上手に老いるための自己点検ノート」が6百円で販売されている。
これに自分の性格や行動、生活や習慣、趣味など、多岐にわたる事柄を、頭がしっかりしているうちに記しておく。
要は、生い立ちや暮らし振りを含めたプロフィール。

そうした記録が残されていれば、認知症になった人は少しでもフィットしたケアを受けられる。
また、周囲の人はいくらか介護の手がかりを得られる。
わが人生0567何せ痴呆が進むと、本人は家族はもとより自分のことさえ分からない。
患者が何を思い、何を望んでいるかを的確に理解するのは、認知症では不可能に近い。

私は還暦が迫る。
いまにして思うのだが、父は50代半ばからアルツハイマーが緩やかに進んでいた。
一番気にしていたのは自分がボケることだった。
私にとり認知症は他人事でなく、ここ数年は発症の恐怖と闘っている。
両親ともにボケの家系。

わが人生0568私がブログに力を入れている理由の一つもそれ。
痴呆が始まる前に記憶を書き留めておきたい。
自分のために、そして子どものために…。
すでに頭の働きがかなり衰えている。

◆書き加え1
このブログはかなり前の執筆。
両親は富山・滑川の田舎暮らしだった。
日常の買い物でさえクルマ(ケイ)が欠かせない。
私も妹も、そして母も、父の運転が気が気でなかった。
とくに同乗する母は怖かったろう。
結局、私は両親を横浜に呼び寄せた。
同じ心配を持つ家族は非常に多いのでないか。

運転技能の低下もさることながら、軽微な痴呆により高齢者が引き起こす重大事故が増えている。
大半は単純な操作ミス。
今後、行政が中心となり、運転免許の返納を促す制度を充実させていかなくてはならないだろう。

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無料個別相談会20091016









腰痛注意報、発令!

「気温が下がっている」。
私の腰がそう訴えている。
2カ月ほど和らいでいた腰痛がぶり返してきた。
私の持病。
ここ1週間で急速に悪化。
例によりちょっとした動きが不自由に…。
また、びくびくしながらの生活が始まる。

私はバタバタの状態が続き、1週間以上、新聞から遠ざかっている。
世の中の出来事がさっぱり分からない。
頑張って書き溜めたブログも残りわずか。
毎日更新が厳しくなってきた。
アップしたとしても、ちょっとした雑文がいいところ。

あすは丸1日、三井住友銀行系のSMBCコンサルティングで「提案営業セミナー」の講師を務める。
不況浸透と新型インフルエンザ流行を受け、この人気講座もさすがに集客がどかんと落ちた。
私は腰をかばいながらのレクチャーになる。
響くので、大きな声を出せない。

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このブログは、おもに長期出張の移動時や宿泊時などに数日分〜1月分の記事を書き溜め、それを家族に更新してもらっています。
しかも、私がときどき新しい記事を割り込ませています。
内容が古かったり、順序が変だったりするのはそのためです。

なお、ブログによりぎりぎりのジョーク、成人向けの内容が含まれます。
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私は執筆に当たり全人格を投影したいと考えます。
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和田創

和田創研代表
日本ロボコム代表
ロボットビジネス勉強会&交流会主宰
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。クライアントとともに77歳までに百社の設立を目指す(内、自ら11社)。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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