コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

アルツハイマー

人間ドック入り⇒がん検査

私は、銀座移転後の無理が重なって体調を崩し、1日の「人間ドック」に入りました。
恐ろしく丈夫なはずの胃腸に相当な違和感がありましたので、「がん」かもしれないと覚悟を決めていました。
(肝臓の裏側の背中辺りもはれが引きません。)

実際、先生(医師)は私に胃カメラの画像を見せながら、「かなりダメージを受けています。これは健康診断というレベルでありませんね」とおっしゃいました。
素人目にもひどく荒れ、傷んでいるのが分かりました。
そこで、肝臓を含め、がん検査も行いました。

・・・ところが、「何の問題もない」と診断され、喜ばなければならないのに拍子抜けしてしまいました。

私は、両親の家系であるアルツハイマーを発症しなければ、まだまだ現役を続けられそうです。

幸い、講演や公開セミナー、企業研修はもちろん、クライアントの受託業務を猛烈に抱えており、自分にさらにムチを入れようと思います。
どれも日本一の高品質を目指しています。

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ついにボケたか…位置と方向が不明で迷子

おととい夜、センター南の「PCデポ港北本店」で故障したパソコンの無料診断をやってもらっている待ち時間、駅の周辺で簡単な夕食を取ることにした。
急いでいたので、近道・・・。

ところが途中、自分がどこへ向かってどこを歩いているか、さっぱり分からない。
1〜2年前までよく歩いた場所だ。
道のつながりが頭のなかで混乱し、位置と方向が不明。

妻に何度説明を求めてもピンと来ない。
子どもは呆れ顔。
家族が一緒でなければ迷子になった?

私は、これってボケだろうかと思った。
恐れていた「アルツハイマー」が始まっているのか。
かなりやばいかもしれない。

港北ニュータウンは区画整理が行われ、ややこしい道路は一本もない。

私は、いまは特別養護老人ホームに入所する父が十年近く前に迷子になったことを思い出した。

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91歳の父は眠ったまま…誕生日のプディング

きょうは父の91歳の誕生日。
私と妻は特別養護老人ホームへ。

父は数年前からだれも分からなくなった。
やがて、こちらが話しかけても、とんちんかんな言葉が返ってこなくなった。
ほとんど無反応。
このところ眠ったまま。

⇒2010年9月29日「わが子を忘れる…アルツハイマー」はこちら。

父は提携病院にしばらく入り、先だって施設に戻ってきた。
入院中も眠ったまま。

父は固形物を食べられないと施設の職員から聞かされていたので、私と妻はデパートの地下食品売り場でトロトロのプディングを買った。
味は申し分なし。
これなら大丈夫か。

今年からは「ウイダーinゼリー」の世話になる機会が増えていた。

⇒2009年11月8日「介護の現場は壮絶…特養職員に感謝!」はこちら。

父は衰えがひどかったが、数カ月でさらに進んだ。
急速。
担当者が食べ物をすりつぶし、液体に近い状態にして食べさせてくれる。
いまの問題は、担当者が口に入れたとしても、本人がそれを飲み込まないことである。

脳は体をコントールしているはずだ。
ということは、父は生物としての本能さえ働かなくなったのでないか。

妹は、両親のかつての実家に暮らす。
富山・滑川。
私も妹も覚悟はしている。

⇒2010年9月28日「陽気に『グッド・バイ』…尊厳死と安楽死」はこちら。

父のベッドのそばに、妹が米寿に贈った感謝の色紙が置かれている。
人は、ここまで素直な言葉をなかなか綴れない。
父は幸せだ。

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陽気に「グッド・バイ」…尊厳死と安楽死

父は重度のアルツハイマーだ。
90歳を超えており、家族の記憶を完全に喪失した。
長年連れ添った母がだいぶ前に亡くなったことも知らない。

父は尊厳死が認められれば、それを選択したはずだ。
富山・入善の祖母が深夜に国道8号を徘徊し、悲惨な事故死を遂げた。
祖父は若い頃に亡くなったので、痴呆の家系かどうか分からない。
しかし、父はボケることを非常に強く恐れていた。
一つは、自分のプライド。
もう一つは、家族の負担。

いまは自らの意思で生きているわけでなく、生物としての肉体が生きているという状態である。
意味不明の話はもとより、片言さえ口にしなくなった。
それを見るのがつらくて、富山・滑川の妹は父が入居する施設を訪ねることをためらう。
遠方からやってきても、何の反応も示さないため、肩を落として帰っていく。

私は、父とそっくり。
そちらの血をおもに引いた。
来年は還暦であり、アルツハイマーの発症は時間の問題だろう。
父は50代半ばでボケが始まった。
私は、ときどき届く手紙でそれを感じた。
抑制の効いた文章、端正な文字が乱れ出したのだ。
「おやじ、年を取ったなぁ」と当時は思ったが、アルツハイマーの初期だった?
母はガンで亡くなったが、もっと生きていればやはりアルツハイマーの発症は避けられなかったろう。
祖母がひどく、母はそちらの血をおもに引いた。

難しい問題があるにしろ、私個人は日本で一日も早く「尊厳死」が認められることを願う。
死んでいくのに周囲や次世代に重石を残したくない。
そう考える高齢者が少なくないのでは…。
ならば、危機的な国家財政もいくらか救われる。

私は家族と普段どおり話し、普段どおり笑いながらこの世を去りたい。
最期を人生の締め括りと考えており、一番楽しくあってほしい。
陽気に「グッド・バイ」。

人生谷あり谷あり。
苦しみの連続だ。
せめて最後は安楽死。

⇒2009年11月8日「介護の現場は壮絶…特養職員に感謝!」はこちら。

好評を博したブログである。
「ありがとう」の気持ちを綴った。

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ボケの恐怖と闘う

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おやじは老いてから、迫りくるボケの恐怖と闘っていた。
陸軍中野学校の出身であり、プライドが高い。
姿勢は抜群、頭脳は明晰!
私が上京してから受け取った何通かの手紙は、それは立派な文章と内容だった。
ワープロのない時代で、手書きは修正や練磨ができない。

私が20代半ば、おやじが55歳を過ぎた頃から少しずつ頭が衰えてきた。
そして60歳に達した頃から明らかにボケが始まった。
自分でもそれをとても気にしていた。

私はその60歳が2年後に迫る。
現時点でボケの治療薬は開発されていないので、間に合わないだろう。

私は今秋、昭和大学横浜市北部病院で脳を診てもらう。
両親が痴呆なので、時間の問題なのだ。
それも恐らくアルツハイマー
私はおやじにそっくりであり、そのおやじは亡くなったおふくろのことも、私と妹のことも何一つ分からない。
悲しい。

私は子どもが小さいうえ、老後の蓄えがないため、まだまだ働きつづけなければならない。
本来なら、毎年検査を受けたほうがよいらしい。

私が暮らす団地でも、頭の真っ白なお父さんが小学生の子どもと歩いている。
授業参観でも、おじいさんのようなお父さんを見かける。
晩婚化が進み、いまや40代での第一子は珍しくない。
私と同様、迫りくるボケの恐怖と闘っている父親は大勢いるのでないか。

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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