コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

アルツハイマー発症

個別経営相談が土日も夜間も続く

8月は「猛暑」から「冷夏」に急変しました。
私はクライアントの仕事が集中し、気候の変化についていくのが大変でした。
社員が顧客や見込客に用いるだけで収益を大きく伸ばせる営業ツールの作成がとりわけ多かったです。
背景は、購買意欲が高まる市場環境でしょう。
何とか納期を守ることができ、ほっとしています。

長らく業績の低迷にあえいできた内需企業・地場企業が景気回復の追い風を受け、大きく動き出していることを実感します。
私は、今週から来週にかけ、昼間は丸一日のセミナー、夜間は3〜4時間の個別経営相談が続きます。
ほとんどが地方からお見えになる社長です。
土日も昼夜もびっしりというのは64歳の私には堪えますが、頑張ります。

相談内容が月を追って前向きになってきました。
社長の情熱や野望が復活し、新事業の開発に加え、新会社の設立が増えています。
多忙な経営者の手をほとんど煩わせることなく、そのすべてを丸ごとお引き受けしています。
もちろん、儲かる新事業、儲かる新会社でなくては意味がありません。
限界まで知恵を絞っています。
「プロは恐ろしいくらい凄いですね」「胸が熱くなりました」「新会社の計画書を読んでいて心が震えてきました」「勇気と希望が湧いてきました」などと面と向かって言われ、うれしくなりました。

私自身もおおいに活性化し、体は疲れていますが、毎日が楽しくて仕方ありません。
刺激に満ちた仕事のおかげで、家系のアルツハイマーもいまのところ発症していません。
あすの夜もあさっての夜も零細企業と中小企業の社長の新会社の立ち上げの相談に乗ります。
あすの夜もあさっての夜も零細企業と中小企業の社長の新会社立ち上げの長時間相談に乗ります。
深夜に及ぶのでないでしょうか。

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父は認知症入所棟へ…特養老人ホーム都筑の里

きのうのブログ、「火葬炉の父の名前『憲作』に気づく」に続いて・・・。

⇒2013年9月17日「火葬炉の父の名前『憲作』に気づく」はこちら。

93歳の父は先週、2013年9月11日に老衰で永眠しました。
急速に進んでいた「アルツハイマー病」が特養施設の入所後に決定的に進み、だれも何も分からなくなりました。
あっという間…。
父は植物人間に近い状態でしたが、生来の「生命力」で十年ほど生きつづけました。
痴呆(ボケ)のほかは何一つ悪いところがなく、体が素晴らしく丈夫でした。
私たちが「もうダメかなぁ」と思った幾度かの危機も乗り越えていきました。

両親はどちらも深刻な痴呆の家系でした。
私は顔などが父にそっくりですので、アルツハイマー発症は時間の問題と覚悟を決めています。
私は、父が衰えはじめた50代後半を過ぎ、62歳に達しています。
ここ数年、自分の記憶がどんどん曖昧になっています。
そこで、父が亡くなった機会に父について、母について綴っておこうと思います。
このブログですでに述べている可能性があります。
また、それと内容に食い違いや矛盾が生じるかもしれません。
原則として、古い記事のほうが正しいはずです。
しかし、その後に分かったり思い出したり気づいたりした事柄もありますので、新しい記事のほうが間違っているとも言い切れません。

                       ◇

父は2002年(不確か)に「特別養護老人ホーム都筑の里(センター北)」に入所しました。
この特養施設には認知症患者の入所棟が設けられています。
父は痴呆が進み、それまでもデイサービス(通所介護)を利用していました。
ときに母もつきあったかもしれません。

母は2004年8月に「昭和大学横浜市北部病院(センター南)」に入院しました。
この大学病院には病気(おもにガン?)の治療を目的とした医療でなく、症状(おもに苦痛?)の緩和を目的とした、人生の終末を迎えるための緩和ケア病棟が設けられています。
病棟に入ってほどなく亡くなる方が多いなかで、母は1年くらい頑張りました。
私は、医師にも看護師にも驚かれました。
母は、生きることへの執着が凄まじかったです。

私は2005年8月14日、母の死期が近づいていると感じ、富山・滑川の妹の家族を呼び寄せました。
いよいよ病状が悪化した9月3日、再び妹の家族に声をかけました。
9月4日、都筑の里のスタッフに協力してもらい、父を病床に連れてきて母と対面させました。
母はとても喜びました。
父はわずかな時間でしたが、差し迫った状況が飲み込めたようでした。
母の手を握らせると、涙を流しました。
私が見た父の最初の涙でした。
個室がもっとも盛りあがった瞬間です。

妹がそのまま病室に残り、病床につきっきりでした。
が、3泊目にどうにも疲れてしまい、昭和大学横浜市北部病院の真正面の「ホテルアトラス(センター南)」に入り、シャワーを浴びて体をちょっと休めた間のことでした。
母は2005年9月7日朝に永眠しました。
人生の後半(1968年〜)は生活と闘い、晩年は病気と闘いました。

9月8日、都筑の里のスタッフに協力してもらい、父を母の遺体が安置されている「奉斎殿・葬儀の板橋(十日市場)」に連れていきました。
私や関係者が、父は葬儀に立ち会うのは困難という判断を下したからです。
また、父は何よりボケることを恐れ、恥じていました。
とくに兄弟や親戚に自分の姿を見られたくなかったでしょう。
私がその思いを汲みました。
なお、当時、自宅のそばの「奉斎殿・葬儀の板橋(都筑)」はできていませんでした。

そして、霊安室で、私も妻も妹も驚く出来事が起こりました。

私が父に棺(柩)に納められた母を見せ、父に母が亡くなったことを告げたときでした。
父は我に返った表情で、「えらいすまんことをしたのう(不確か)」とつぶやきました。
私が見た父の最後の涙でした。

父は十秒くらいで無表情に戻りました。
時間はもっと短かったかもしれません。
父は、決して楽でなかった生涯をともにした母の死という、もっともつらい現実と情景を見たくなくて、心にシャッターを下ろしたのだと、私は考えました。

私は、痴呆が決定的に進んだ父がこの言葉を発したことがいまだに信じられません。
妻の死を悟り、しばらく悲しみに暮れるのなら分かりますが…。

「えらいすまんことをしたのう」。
父の一言には、母の死に至る互いの経緯と事情が込められているからです。
「そばにいてやれなくて…」「放っておいて…」。
父は、自分を責めつつ、母に謝っています。
脳裏に、取り返しのつかない悔恨の念がわいたのでしょう。

両親が、そして家族がひどく苦しいとき、自分の気持ちをしまっておけない母がしばしば父に突っかかりました。
が、それでも、私も妹も二人はとても仲がよかったと思っています。
病床での対面時の母の大きな喜び、死後の対面時の父の深い悲しみに、夫婦の揺るぎない絆と愛情が凝縮されています。

⇒2013年9月16日「父の訃報にほっとする・・・大往生」はこちら。

⇒2013年9月17日「火葬炉の父の名前『憲作』に気づく」はこちら。

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認知症は大丈夫か?

以前の日本経済新聞夕刊によれば、認知症に備え、思い出をつづる取り組みが始まっているのだとか…。
わが人生0566そのツールとして、すでに「上手に老いるための自己点検ノート」が6百円で販売されている。
これに自分の性格や行動、生活や習慣、趣味など、多岐にわたる事柄を、頭がしっかりしているうちに記しておく。
要は、生い立ちや暮らし振りを含めたプロフィール。

そうした記録が残されていれば、認知症になった人は少しでもフィットしたケアを受けられる。
また、周囲の人はいくらか介護の手がかりを得られる。
わが人生0567何せ痴呆が進むと、本人は家族はもとより自分のことさえ分からない。
患者が何を思い、何を望んでいるかを的確に理解するのは、認知症では不可能に近い。

私は還暦が迫る。
いまにして思うのだが、父は50代半ばからアルツハイマーが緩やかに進んでいた。
一番気にしていたのは自分がボケることだった。
私にとり認知症は他人事でなく、ここ数年は発症の恐怖と闘っている。
両親ともにボケの家系。

わが人生0568私がブログに力を入れている理由の一つもそれ。
痴呆が始まる前に記憶を書き留めておきたい。
自分のために、そして子どものために…。
すでに頭の働きがかなり衰えている。

◆書き加え1
このブログはかなり前の執筆。
両親は富山・滑川の田舎暮らしだった。
日常の買い物でさえクルマ(ケイ)が欠かせない。
私も妹も、そして母も、父の運転が気が気でなかった。
とくに同乗する母は怖かったろう。
結局、私は両親を横浜に呼び寄せた。
同じ心配を持つ家族は非常に多いのでないか。

運転技能の低下もさることながら、軽微な痴呆により高齢者が引き起こす重大事故が増えている。
大半は単純な操作ミス。
今後、行政が中心となり、運転免許の返納を促す制度を充実させていかなくてはならないだろう。

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しかも、私がときどき新しい記事を割り込ませています。
内容が古かったり、順序が変だったりするのはそのためです。

なお、ブログによりぎりぎりのジョーク、成人向けの内容が含まれます。
ご承知おきください。
私は執筆に当たり全人格を投影したいと考えます。
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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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