私は長年、職業講師として講演や公開セミナー、企業研修などを通じて社会人に対する実務教育に携わってきた。
21世紀に入ってからひしひしと実感するのは、知識学習・受験勉強を中心に回ってきた戦後教育の弊害である。
これは高学歴の若手ほど顕著といえる。
とにかく「知りたがる」「教わりたがる」。
私が行う講演やセミナー、研修はそうした人たちが不満を感じるものであってほしい。
コンテンツの作成では、彼らに「ストレス」が残るように心がけている。
すなわち、「知識汚染度」さらに「頭でっかち度」を問う。
私がMBAで受け持つ「実践営業論」の授業やテストでも同じ。
彼らはきれいに問題を解き、すっきりと答を出せないと面白くない。
つまり、自分の頭がよくなったという錯覚を抱けないと納得しない。
成果をもたらす行動に興味がないので、授業料ばかり払わされる。
事業者の宣伝に載せられ、勉強を「自己投資」とごまかす人が後を絶たない。
それは単なる支出である。
行動へ移して成果を上げ、報酬に変えたとき、初めて自己投資と呼べる。
私にはカネを払って学ぶという発想がない。
それでは親のすねをかじる学生の意識とたいして変わらない。
カネをもらって学ぶというのが社会人の基本姿勢だろう。
すなわち、できない仕事に挑み、その経験から学ぶ。
「トリプルアクセル」でなくてよい。
「ダブルアクセル」を試みよ。
まずは壁にぶつかる。
そして、悩み、苦しみ、考え抜き、それでもどうしても分からなければ、だれかに教わったり、本で知ったりする。
「教わる」「知る」は、「行う」の後工程である。
そうした気持ちを大切にし、ときに講演やセミナーを活用するなら、よく身につくと思うのだが…。
私は職業教育の現場で戦後教育の弊害と闘っている。
◇
起業にしろ、経営にしろ、営業にしろ、それらに関する知識をどんなに詰め込んだところで、無限の現実に対応できない。
勉強が好きな人ほど、知識に現実を合わせようとする。
もちろん不可能なので、いつまで経っても行動を起こせない。
起業家養成を謳うMBAの学生の起業率が低いのもうなずける。
自分の知識と外部の現実をつなぐのが「イマジネーション」である。
「クリエイション」と並び、イマジネーションが失われている。
Copyright (c)2011 by Sou Wada
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21世紀に入ってからひしひしと実感するのは、知識学習・受験勉強を中心に回ってきた戦後教育の弊害である。
これは高学歴の若手ほど顕著といえる。
とにかく「知りたがる」「教わりたがる」。
私が行う講演やセミナー、研修はそうした人たちが不満を感じるものであってほしい。
コンテンツの作成では、彼らに「ストレス」が残るように心がけている。
すなわち、「知識汚染度」さらに「頭でっかち度」を問う。
私がMBAで受け持つ「実践営業論」の授業やテストでも同じ。
彼らはきれいに問題を解き、すっきりと答を出せないと面白くない。
つまり、自分の頭がよくなったという錯覚を抱けないと納得しない。
成果をもたらす行動に興味がないので、授業料ばかり払わされる。
事業者の宣伝に載せられ、勉強を「自己投資」とごまかす人が後を絶たない。
それは単なる支出である。
行動へ移して成果を上げ、報酬に変えたとき、初めて自己投資と呼べる。
私にはカネを払って学ぶという発想がない。
それでは親のすねをかじる学生の意識とたいして変わらない。
カネをもらって学ぶというのが社会人の基本姿勢だろう。
すなわち、できない仕事に挑み、その経験から学ぶ。
「トリプルアクセル」でなくてよい。
「ダブルアクセル」を試みよ。
まずは壁にぶつかる。
そして、悩み、苦しみ、考え抜き、それでもどうしても分からなければ、だれかに教わったり、本で知ったりする。
「教わる」「知る」は、「行う」の後工程である。
そうした気持ちを大切にし、ときに講演やセミナーを活用するなら、よく身につくと思うのだが…。
私は職業教育の現場で戦後教育の弊害と闘っている。
◇
起業にしろ、経営にしろ、営業にしろ、それらに関する知識をどんなに詰め込んだところで、無限の現実に対応できない。
勉強が好きな人ほど、知識に現実を合わせようとする。
もちろん不可能なので、いつまで経っても行動を起こせない。
起業家養成を謳うMBAの学生の起業率が低いのもうなずける。
自分の知識と外部の現実をつなぐのが「イマジネーション」である。
「クリエイション」と並び、イマジネーションが失われている。
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