ポール・ポッツがゴールデンウィーク(GW)に東京、横浜、大阪で行われる「読売日響グランドコンサート」に出演するため、1年ぶりに来日する。
今回はフルオーケストラをバックに、最新アルバム「ニュー・シネマ・パラダイス 〜ベスト・ムービー・ソングス」の収録曲を中心に歌う。
曲目は、「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」「ゴッドファーザー 愛のテーマ」「ジェルソミーナ」などが予定されている。
彼の代表曲「誰も寝てはならぬ」も…。
指揮は渡邊一正。
チケットの一般発売は2月6日に始まった。
日本での人気は根強いのか。
◆東京公演
日時/2011年4月28日(木)午後7時開演
会場/Bunkamuraオーチャードホール
※GW前日。
◆横浜公演
日時/2011年4月29日(金)午後2時開演
会場/横浜みなとみらいホール
◆大阪公演
日時/2011年5月1日(日)午後2時開演
会場/ザ・シンフォニーホール
問い合わせは、読売新聞東京本社文化事業部へ。
TEL:03−3561−6346
PC:info.yomiuri.co.jp/event/music/
以下に、「ポール・ポッツの歌唱レベルを問う…実力評価」と題する2010年10月11日のブログを収める。
◇◆◇
ネット上で、ポール・ポッツの歌唱は音楽大学の学生レベルという指摘があった。
私は吹き出してしまった。
もしそうなら、音大生は皆オーディションで優勝し、成功者だらけになる。
この人は、歌唱のテクニックを問題にしているのだろう。
が、それは教室内での評価である。
プロ歌手に対して的外れ。
そもそも技巧の優劣を気にしながら音楽を聴いているとしたら、気の毒。
音楽は、どれくらい感動させられるかがすべて。
この点において、ポール・ポッツは大きなエネルギーを備えている。
彼は、世間に知れ渡ったアリアを得意とするポピュラー歌手である。
オペラ歌手と横並びで比較するのは愚かしい。
ただし、ポール・ポッツがいつまで人々を魅了できるかは不明。
経済的に恵まれたので、家族の生活を守るといったモチベーションが働きにくい。
それはひとえに歌うことへの情熱、そして希求を持ちつづけられるかどうかにかかっていよう。
そうはいっても…。
ジャンルを問わず、タレントは競争が熾烈だ。
次々と登場し、あっという間に消滅する。
3年、人気を博したら凄い。
5年、注目を保てたら素晴らしい。
10年、関心をつなぎ止められたら大変なことだ。
ポール・ポッツはすでに3年の実績を有している。
聴き手に感動を与えられなくては不可能。
以下に、「ポール・ポッツに思う」と題する2009年8月22日〜23日のブログを収める。
ついては、原稿を一本にまとめ、かつ大幅に修正した。
◆◇◆
イギリスに「ブリテンズ・ゴット・タレント」という公開オーディション番組がある。
歌やパフォーマンスなどジャンルを問わず、埋もれた才能の発掘を目指す。
その模様はユーチューブの動画でも配信され、大勢の人々の目に触れる。
近年は世界中のマスメディアがこぞって取りあげるようになり、膨大なアクセスを得るものも…。
毎年決勝が行われ、2007年に優勝したのがご存知「ポール・ポッツ」である。
冴えない風貌でステージに登場したケータイショップの店員は場違いで、自信がなさそう。
私には半ベソのように映る。
ところが、「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」の曲が流れた途端、姿勢と表情が一変する。
予選会場の「ミレニアム・ホール」を埋め尽くす2千人を熱狂させた。
そして、準決勝、決勝へ進み、栄冠に輝く。
そのプロセスはとてもドラマチックだった。
ポール・ポッツは、審査員長格でありプロデューサーのサイモン・コーウェルに後押しされ、プロ歌手へ転身した。
同年、アルバム『ワン・チャンス』でデビュー。
世界で3百万枚(現在、4百万枚)を超えるセールスを記録した。
文字どおり、一夜で運命が変わった。
私は音楽に関しては素人だが、思うところがあったので述べたい。
さて、私は画質も音質も劣悪なユーチューブの動画に心を揺さ振られ、体が熱くなった。
「素晴らしい!」の一言。
大勢がポール・ポッツの歌に涙を流している。
妻思いのポール・ポッツは、これでダメなら歌を諦めるとの覚悟でオーディションに臨んだようだ。
自らの夢にきっぱりと引導を渡すつもりだったのか。
予選の「誰も寝てはならぬ」には、歌うことへの強い情熱と深い祈りがこもっている。
圧倒的な感動は、最初にして最後となるチャンスにかけた気迫が招いたのでないか。
人生の夕暮れに佇む私が言うのは気恥ずかしいが、ポール・ポッツの歌に触れておおいに勇気づけられた。
「人生の苦労にムダなことなど一つもない」。
動画に寄せられたコメントの大半は好意的であり、ポール・ポッツを誉め称えている。
だが、辛口なものもある。
予選でポール・ポッツが審査員に「オペラを歌う」と答えたせいか、ルチアーノ・パバロッティなどが引き合いに出されている。
ルチアーノ・パバロッティは幼少期からオペラに親しんで育ち、声楽の教育を受けて若くしてデビュー、テノール歌手の頂点に登り詰めたプロフェッショナルである。
かたやポール・ポッツは地方都市の聖歌隊やオペラ劇団などで歌っていたアマチュアにすぎない。
受けたとしてもボイス・トレーニングが中心である。
両者は生い立ちが違う。
私は、ポール・ポッツを彼と比べることに、ましてこき下ろすことに何の意味があるのかと思う。
実際、私はオペラ歌手では経験したことのない、大きな感銘を受けた。
ポール・ポッツは、予選で観衆を総立ちにさせ、暮らし向きが変わりはじめたようだ。
周囲から支援の手が差し延べられた?
決勝までの間にレッスンを積むことができたせいか、歌がうまくなった。
また、身だしなみが格段によくなった。
しかし、デビュー後を含め、いまだに予選を超えられないのでないか。
大勢が流した涙は、歌のうまさに対してでない。
ゆえに、ポール・ポッツが初心を忘れたとき、その歌は魅力を失うはずだ。
私は、彼の人生を貫く「愚直さ」が心を打ったのだと考えている。
とはいえ、いったんプロ歌手として歩み出した以上、容赦ない評価にさらされる。
初めは半生と重ね合わせて聴いてくれた人々も、やがては歌自体を味わいたいというふうに変わる。
あれから2年を経て動画に寄せられるコメントはどんどん厳しさを増している。
そうしたコメントのなかには、彼がつかんだ栄冠に疑問を呈するものもある。
オーディションの決勝はたいてい接戦であり、審査は困難を極める。
出場者の年齢がまちまちな場合には、将来性を加味するかどうかでも結果は違ってくる。
まして横一線では、だれが勝ったかを判定するというより、だれに勝利を与えるかを決断することになろう。
そして、勝利は幸運に恵まれない限りもたらされない。
しかし、もっと大事なのは、その幸運は努力を惜しまない人にしか訪れないこと。
歌もさることながら執念ともいえる努力に対して授けられた褒美でなかったか。
その執念が気迫となり、オーディション会場に乗り移った。
この世に懸命に頑張る人は星の数ほどいるが、その多くはこれといって報われているわけでない。
ポール・ポッツは代表選手として選ばれた。
私たちにまれに天使が舞い降りてきてもよいのでは…。
「ブリテンズ・ゴット・タレント」の審査結果に異議を唱えることもない。
ポール・ポッツの歌に目くじらを立てることもない。
私は的確なジャッジだったと思う。
ところで、私は日本語のほかは理解不能。
それでも感じるのは、ポール・ポッツの発声法が関係するのかどうか、言葉が分かりにくいのだ。
歌詞の明瞭さは大事なのでは?
やはりユーチューブで、ミュージカル出身のサラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を聞いて、そんな印象を持った。
彼女の歌唱の巧みさはもとより言葉の美しさに痺れた。
ポール・ポッツは、とりあえずワン・チャンスを生かし、好きな歌を仕事にしたいという夢を叶えた。
しかし、どのようなプロ歌手としてやっていくのか、今後の立ち位置が難しくなろう。
現状は中途半端だ。
アルバム『ワン・チャンス』の驚異的な売り上げは、デビューのご祝儀のようなもの。
ポール・ポッツへの、大勢の期待の表れである。
渾身のエールを送られたら、それに何とか応えたいところ…。
年齢的にも「オペラ」を究めるのは不可能?
素人の私でさえ、ポール・ポッツは声量も技量も及ばないと察しがつく。
したがって、高音を押し出すと平板になり、低音で抑えると聞こえづらい。
目一杯歌おうとするためか歌唱に深さやニュアンスが乏しく、プロ歌手としての“色気”を欠く。
オペラ歌手と張り合わなければならない理由は一つもなく、私はもっとマイクの使い方に通じるべきだと思う。
少なくとも手に持ったほうがよい。
ポール・ポッツよ。
コメントのなかには、消え去るのは時間の問題との指摘もあった。
どうか独自の世界を築いてほしい。
そして、これから先も私たちをあたたかい感動で包み込んでほしい。
それは、世界中のごくごく普通の人々に夢と希望を与えつづけること。
私はポール・ポッツの成功を切に願う。
Copyright (c)2011 by Sou Wada
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今回はフルオーケストラをバックに、最新アルバム「ニュー・シネマ・パラダイス 〜ベスト・ムービー・ソングス」の収録曲を中心に歌う。
曲目は、「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」「ゴッドファーザー 愛のテーマ」「ジェルソミーナ」などが予定されている。
彼の代表曲「誰も寝てはならぬ」も…。
指揮は渡邊一正。
チケットの一般発売は2月6日に始まった。
日本での人気は根強いのか。
◆東京公演
日時/2011年4月28日(木)午後7時開演
会場/Bunkamuraオーチャードホール
※GW前日。
◆横浜公演
日時/2011年4月29日(金)午後2時開演
会場/横浜みなとみらいホール
◆大阪公演
日時/2011年5月1日(日)午後2時開演
会場/ザ・シンフォニーホール
問い合わせは、読売新聞東京本社文化事業部へ。
TEL:03−3561−6346
PC:info.yomiuri.co.jp/event/music/
以下に、「ポール・ポッツの歌唱レベルを問う…実力評価」と題する2010年10月11日のブログを収める。
◇◆◇
ネット上で、ポール・ポッツの歌唱は音楽大学の学生レベルという指摘があった。
私は吹き出してしまった。
もしそうなら、音大生は皆オーディションで優勝し、成功者だらけになる。
この人は、歌唱のテクニックを問題にしているのだろう。
が、それは教室内での評価である。
プロ歌手に対して的外れ。
そもそも技巧の優劣を気にしながら音楽を聴いているとしたら、気の毒。
音楽は、どれくらい感動させられるかがすべて。
この点において、ポール・ポッツは大きなエネルギーを備えている。
彼は、世間に知れ渡ったアリアを得意とするポピュラー歌手である。
オペラ歌手と横並びで比較するのは愚かしい。
ただし、ポール・ポッツがいつまで人々を魅了できるかは不明。
経済的に恵まれたので、家族の生活を守るといったモチベーションが働きにくい。
それはひとえに歌うことへの情熱、そして希求を持ちつづけられるかどうかにかかっていよう。
そうはいっても…。
ジャンルを問わず、タレントは競争が熾烈だ。
次々と登場し、あっという間に消滅する。
3年、人気を博したら凄い。
5年、注目を保てたら素晴らしい。
10年、関心をつなぎ止められたら大変なことだ。
ポール・ポッツはすでに3年の実績を有している。
聴き手に感動を与えられなくては不可能。
以下に、「ポール・ポッツに思う」と題する2009年8月22日〜23日のブログを収める。
ついては、原稿を一本にまとめ、かつ大幅に修正した。
◆◇◆
イギリスに「ブリテンズ・ゴット・タレント」という公開オーディション番組がある。
歌やパフォーマンスなどジャンルを問わず、埋もれた才能の発掘を目指す。
その模様はユーチューブの動画でも配信され、大勢の人々の目に触れる。
近年は世界中のマスメディアがこぞって取りあげるようになり、膨大なアクセスを得るものも…。
毎年決勝が行われ、2007年に優勝したのがご存知「ポール・ポッツ」である。
冴えない風貌でステージに登場したケータイショップの店員は場違いで、自信がなさそう。
私には半ベソのように映る。
ところが、「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」の曲が流れた途端、姿勢と表情が一変する。
予選会場の「ミレニアム・ホール」を埋め尽くす2千人を熱狂させた。
そして、準決勝、決勝へ進み、栄冠に輝く。
そのプロセスはとてもドラマチックだった。
ポール・ポッツは、審査員長格でありプロデューサーのサイモン・コーウェルに後押しされ、プロ歌手へ転身した。
同年、アルバム『ワン・チャンス』でデビュー。
世界で3百万枚(現在、4百万枚)を超えるセールスを記録した。
文字どおり、一夜で運命が変わった。
私は音楽に関しては素人だが、思うところがあったので述べたい。
さて、私は画質も音質も劣悪なユーチューブの動画に心を揺さ振られ、体が熱くなった。
「素晴らしい!」の一言。
大勢がポール・ポッツの歌に涙を流している。
妻思いのポール・ポッツは、これでダメなら歌を諦めるとの覚悟でオーディションに臨んだようだ。
自らの夢にきっぱりと引導を渡すつもりだったのか。
予選の「誰も寝てはならぬ」には、歌うことへの強い情熱と深い祈りがこもっている。
圧倒的な感動は、最初にして最後となるチャンスにかけた気迫が招いたのでないか。
人生の夕暮れに佇む私が言うのは気恥ずかしいが、ポール・ポッツの歌に触れておおいに勇気づけられた。
「人生の苦労にムダなことなど一つもない」。
動画に寄せられたコメントの大半は好意的であり、ポール・ポッツを誉め称えている。
だが、辛口なものもある。
予選でポール・ポッツが審査員に「オペラを歌う」と答えたせいか、ルチアーノ・パバロッティなどが引き合いに出されている。
ルチアーノ・パバロッティは幼少期からオペラに親しんで育ち、声楽の教育を受けて若くしてデビュー、テノール歌手の頂点に登り詰めたプロフェッショナルである。
かたやポール・ポッツは地方都市の聖歌隊やオペラ劇団などで歌っていたアマチュアにすぎない。
受けたとしてもボイス・トレーニングが中心である。
両者は生い立ちが違う。
私は、ポール・ポッツを彼と比べることに、ましてこき下ろすことに何の意味があるのかと思う。
実際、私はオペラ歌手では経験したことのない、大きな感銘を受けた。
ポール・ポッツは、予選で観衆を総立ちにさせ、暮らし向きが変わりはじめたようだ。
周囲から支援の手が差し延べられた?
決勝までの間にレッスンを積むことができたせいか、歌がうまくなった。
また、身だしなみが格段によくなった。
しかし、デビュー後を含め、いまだに予選を超えられないのでないか。
大勢が流した涙は、歌のうまさに対してでない。
ゆえに、ポール・ポッツが初心を忘れたとき、その歌は魅力を失うはずだ。
私は、彼の人生を貫く「愚直さ」が心を打ったのだと考えている。
とはいえ、いったんプロ歌手として歩み出した以上、容赦ない評価にさらされる。
初めは半生と重ね合わせて聴いてくれた人々も、やがては歌自体を味わいたいというふうに変わる。
あれから2年を経て動画に寄せられるコメントはどんどん厳しさを増している。
そうしたコメントのなかには、彼がつかんだ栄冠に疑問を呈するものもある。
オーディションの決勝はたいてい接戦であり、審査は困難を極める。
出場者の年齢がまちまちな場合には、将来性を加味するかどうかでも結果は違ってくる。
まして横一線では、だれが勝ったかを判定するというより、だれに勝利を与えるかを決断することになろう。
そして、勝利は幸運に恵まれない限りもたらされない。
しかし、もっと大事なのは、その幸運は努力を惜しまない人にしか訪れないこと。
歌もさることながら執念ともいえる努力に対して授けられた褒美でなかったか。
その執念が気迫となり、オーディション会場に乗り移った。
この世に懸命に頑張る人は星の数ほどいるが、その多くはこれといって報われているわけでない。
ポール・ポッツは代表選手として選ばれた。
私たちにまれに天使が舞い降りてきてもよいのでは…。
「ブリテンズ・ゴット・タレント」の審査結果に異議を唱えることもない。
ポール・ポッツの歌に目くじらを立てることもない。
私は的確なジャッジだったと思う。
ところで、私は日本語のほかは理解不能。
それでも感じるのは、ポール・ポッツの発声法が関係するのかどうか、言葉が分かりにくいのだ。
歌詞の明瞭さは大事なのでは?
やはりユーチューブで、ミュージカル出身のサラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を聞いて、そんな印象を持った。
彼女の歌唱の巧みさはもとより言葉の美しさに痺れた。
ポール・ポッツは、とりあえずワン・チャンスを生かし、好きな歌を仕事にしたいという夢を叶えた。
しかし、どのようなプロ歌手としてやっていくのか、今後の立ち位置が難しくなろう。
現状は中途半端だ。
アルバム『ワン・チャンス』の驚異的な売り上げは、デビューのご祝儀のようなもの。
ポール・ポッツへの、大勢の期待の表れである。
渾身のエールを送られたら、それに何とか応えたいところ…。
年齢的にも「オペラ」を究めるのは不可能?
素人の私でさえ、ポール・ポッツは声量も技量も及ばないと察しがつく。
したがって、高音を押し出すと平板になり、低音で抑えると聞こえづらい。
目一杯歌おうとするためか歌唱に深さやニュアンスが乏しく、プロ歌手としての“色気”を欠く。
オペラ歌手と張り合わなければならない理由は一つもなく、私はもっとマイクの使い方に通じるべきだと思う。
少なくとも手に持ったほうがよい。
ポール・ポッツよ。
コメントのなかには、消え去るのは時間の問題との指摘もあった。
どうか独自の世界を築いてほしい。
そして、これから先も私たちをあたたかい感動で包み込んでほしい。
それは、世界中のごくごく普通の人々に夢と希望を与えつづけること。
私はポール・ポッツの成功を切に願う。
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