日曜日、テレビ東京の「ネオスポーツ」、阪神タイガースからドラフト2位(2順目)指名を受けた東海大相模(東海大学付属相模高等学校)の一二三慎太が登場していた。
まずは投手に挑戦する。
その結果により、打者に転向するかもしれない。
バッティングセンスは非凡だ。
私は神奈川県の横浜市に暮らす。
東海大相模は同県の相模原市。
万年Bクラスというか、このところ万年最下位(?)の横浜ベイスターズに入団して活躍してくれればうれしいと思っていた。
彼は大阪の出身だった。
以下に、「一二三慎太は投手か打者か…阪神タイガース」と題する2010年11月11日のブログを収める。
◇◆◇
私は先々週後半、品川プリンスホテルのアネックスタワー(旧エグゼクティブタワー)に宿泊していた。
全室にゆったりとしたベッド(クイーンサイズ? キングサイズ?)が備わっており、欧米人でも窮屈さを感じない。
ほとんどがビジネスマン1名の利用だ。
とてもきれいでセクシーな女の子が館内を歩いていることがある。
私も幾度か声をかけられた。
目の保養になる。
◇
さて、木曜日の夕方、周辺が騒がしい。
後で知ったのだが、隣のグランドプリンスホテル新高輪で「2010年プロ野球ドラフト会議」が行われていた。
午後5時〜8時。
12球団の首脳とスカウトはもとより報道陣が大勢詰めかけていたのだ。
ところで、東海大相模高校の一二三慎太が阪神タイガースから2順目で単独指名を受けた。
2位指名。
これも後で知ったのだが、彼は大阪の出身。
一二三慎太はドラフト会議の終了後、実は阪神ファンだったと明かした(不確か)。
私は横浜に住んでおり、横浜ベイスターズに入ってくれればと思っていた。
負け癖が染みつき、セ・リーグのお荷物球団になっている。
横浜の恥である。
住生活グループによる球団買収の話が持ち上がり、しかも流れたばかり。
ファンも選手もつらいし、落ち着かない。
そうでなければ、東海大学へ進んで読売ジャイアンツに入るのではと思っていた。
原辰徳監督と同じ道を歩む…。
横浜ベイスターズも読売ジャイアンツも逸材を逃した?
3順目以降の指名を予定していたのか。
それとも…。
⇒2010年8月22日「夏の甲子園、決勝の残酷…東海大相模・一二三慎太」はこちら。
一二三慎太はバッティングが大好きで、非凡なセンスが光る。
夏の甲子園では打率5割を大きく超えた。
他球団はおもに打者として評価していたが、阪神タイガースは投手として育成する方針のようだ。
本人はどちらでもと発言したことがあるが、本音は投手で勝負したい?
ドラフト会議の結果はそうした意向に沿うものであり、喜んでいるだろう。
おめでとう。
一二三慎太は球種の豊富さと直球の速さをあわせ持つ。
夏の甲子園の地区予選(神奈川県大会)からサイドスロー(横手投げ)に転向し、秋からオーバースロー(上手投げ)に戻した。
本人は模索している状態。
したがって、一二三慎太は投球フォームが固まっていない。
1軍に上がるまでに2〜3年はかかりそう。
将来のエースに育ってほしいところ。
◆書き加え1(11月7日)
一二三慎太は6日、阪神タイガースから指名の挨拶を受けた。
私は、その際のマスコミに対するスカウトの発言が気になった。
どうやら打者としての可能性(魅力)も捨てきれないようだ。
球団はじっくりと見極めていくつもりか…。
一二三慎太は、甲子園球場のマウンドに立つことを望んでいるだけでない。
夢はでっかく、完封&決勝本塁打。
1973年、江夏豊は延長11回を無安打無得点(ノーヒットノーラン)に抑え、サヨナラ本塁打を放った。
自分一人で試合を決める!
何と欲張りな…。
実際、毎日懸命に打ち込みを行っている。
打順が9番でない投手。
一二三慎太は7番や8番を打つかもしれない。
また、代打に出てくるかもしれない。
考えただけで、わくわくする。
一二三慎太はフォームが固まれば、直球の速度も変化球のキレも大幅に増すだろう。
すでにサイドスローで時速 150キロメートルをマークしている。
大器である。
12球団で出番がもっとも早いのが横浜ベイスターズだった。
地元の私は残念・・・。
国内フリーエージェント(FA)権を行使する内川聖一内野手など、主力選手がどんどん抜けていきそう。
⇒2010年5月1日「尾花高夫、横浜ベイスターズを再生」はこちら。
⇒2009年9月28日「横浜の恥…開国博、ベイスターズ」はこちら。
Copyright (c)2010 by Sou Wada
←応援、よろしく!
まずは投手に挑戦する。
その結果により、打者に転向するかもしれない。
バッティングセンスは非凡だ。
私は神奈川県の横浜市に暮らす。
東海大相模は同県の相模原市。
万年Bクラスというか、このところ万年最下位(?)の横浜ベイスターズに入団して活躍してくれればうれしいと思っていた。
彼は大阪の出身だった。
以下に、「一二三慎太は投手か打者か…阪神タイガース」と題する2010年11月11日のブログを収める。
◇◆◇
私は先々週後半、品川プリンスホテルのアネックスタワー(旧エグゼクティブタワー)に宿泊していた。
全室にゆったりとしたベッド(クイーンサイズ? キングサイズ?)が備わっており、欧米人でも窮屈さを感じない。
ほとんどがビジネスマン1名の利用だ。
とてもきれいでセクシーな女の子が館内を歩いていることがある。
私も幾度か声をかけられた。
目の保養になる。
◇
さて、木曜日の夕方、周辺が騒がしい。
後で知ったのだが、隣のグランドプリンスホテル新高輪で「2010年プロ野球ドラフト会議」が行われていた。
午後5時〜8時。
12球団の首脳とスカウトはもとより報道陣が大勢詰めかけていたのだ。
ところで、東海大相模高校の一二三慎太が阪神タイガースから2順目で単独指名を受けた。
2位指名。
これも後で知ったのだが、彼は大阪の出身。
一二三慎太はドラフト会議の終了後、実は阪神ファンだったと明かした(不確か)。
私は横浜に住んでおり、横浜ベイスターズに入ってくれればと思っていた。
負け癖が染みつき、セ・リーグのお荷物球団になっている。
横浜の恥である。
住生活グループによる球団買収の話が持ち上がり、しかも流れたばかり。
ファンも選手もつらいし、落ち着かない。
そうでなければ、東海大学へ進んで読売ジャイアンツに入るのではと思っていた。
原辰徳監督と同じ道を歩む…。
横浜ベイスターズも読売ジャイアンツも逸材を逃した?
3順目以降の指名を予定していたのか。
それとも…。
⇒2010年8月22日「夏の甲子園、決勝の残酷…東海大相模・一二三慎太」はこちら。
一二三慎太はバッティングが大好きで、非凡なセンスが光る。
夏の甲子園では打率5割を大きく超えた。
他球団はおもに打者として評価していたが、阪神タイガースは投手として育成する方針のようだ。
本人はどちらでもと発言したことがあるが、本音は投手で勝負したい?
ドラフト会議の結果はそうした意向に沿うものであり、喜んでいるだろう。
おめでとう。
一二三慎太は球種の豊富さと直球の速さをあわせ持つ。
夏の甲子園の地区予選(神奈川県大会)からサイドスロー(横手投げ)に転向し、秋からオーバースロー(上手投げ)に戻した。
本人は模索している状態。
したがって、一二三慎太は投球フォームが固まっていない。
1軍に上がるまでに2〜3年はかかりそう。
将来のエースに育ってほしいところ。
◆書き加え1(11月7日)
一二三慎太は6日、阪神タイガースから指名の挨拶を受けた。
私は、その際のマスコミに対するスカウトの発言が気になった。
どうやら打者としての可能性(魅力)も捨てきれないようだ。
球団はじっくりと見極めていくつもりか…。
一二三慎太は、甲子園球場のマウンドに立つことを望んでいるだけでない。
夢はでっかく、完封&決勝本塁打。
1973年、江夏豊は延長11回を無安打無得点(ノーヒットノーラン)に抑え、サヨナラ本塁打を放った。
自分一人で試合を決める!
何と欲張りな…。
実際、毎日懸命に打ち込みを行っている。
打順が9番でない投手。
一二三慎太は7番や8番を打つかもしれない。
また、代打に出てくるかもしれない。
考えただけで、わくわくする。
一二三慎太はフォームが固まれば、直球の速度も変化球のキレも大幅に増すだろう。
すでにサイドスローで時速 150キロメートルをマークしている。
大器である。
12球団で出番がもっとも早いのが横浜ベイスターズだった。
地元の私は残念・・・。
国内フリーエージェント(FA)権を行使する内川聖一内野手など、主力選手がどんどん抜けていきそう。
⇒2010年5月1日「尾花高夫、横浜ベイスターズを再生」はこちら。
⇒2009年9月28日「横浜の恥…開国博、ベイスターズ」はこちら。
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