コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

ゲゲゲの女房

てっぱんの失敗、瀧本美織の涙

NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」。
私はすっかりご無沙汰している。
「てっぱん」のファンもさることながら、朝ドラ自体の熱心なファンがいて番組を支えているのだろう。
国民人気を博した松下奈緒主演の「ゲゲゲの女房」の後を受け、高い視聴率でスタートを切った。
私はその後どのように推移しているか知らないが…。

先だって「てっぱん」を久し振りに見た。
といっても、ながら視聴。
間が空いたので、内容が飲み込めない。
もともと骨太の思想というかストーリーのない朝ドラだが…。

私は、この朝ドラのシナリオに疑問を感じてきた。
幾度も述べているが、あまりに強引である。
偶然を脚本上でことごとく必然に塗り替えるやり方は目に余った。

それと、もう一つ。
お好み焼屋の開店は「てっぱん」が半ばを過ぎる年明けに持っていってほしかった。
あくまで個人的な希望。
この朝ドラのゴール辺りに開店が置かれていると思い込んでいた。
3分の2を超える2月くらいがよかったのでは…。

「がんぼたれ(男勝り)」の孫・村上あかり(瀧本美織)と「いけず(意地悪)」の祖母・田中初音(富司純子)の確執は、それなりに見応えがあった。
体当たりの新人女優と百戦錬磨のベテラン女優の演技の取り合わせも面白かった。

二人の間に氷解ムードが漂いはじめてから「おのみっちゃん」の開店に至るまでが一瞬で進行してしまった印象が残っている。
特別なゴールはないはずであり、急ぐ必要はなかったように思う。
制作陣はなにゆえに焦ったのか。

さまざまな人間ドラマが絡み、紆余曲折があって、村上あかりが苦労すればするほど、開店の感動は大きくなった。
私はあれっと拍子抜けした。
失敗では?

この朝ドラには、まだいくつかの山場が用意されているのだろう。
そうでなくては来年3月下旬まで視聴者をとても引っ張っていけない。
ひょっとして「てっぱん」の最後にビッグサプライズが仕込まれているのかなぁ・・・。

「てっぱん」は視聴者の涙を絞り取ることにより続いているドラマである。
そして、主演の瀧本美織はその点において天才的である。
私は歴代のヒロインをすべて知っているわけでないが、彼女に肩を並べる女優を思い出せない。

「てっぱん」は、制作の裏側が透けて見えるのが最大の難点である。
スタッフの立場からは「苦労」ということになるが、お茶の間の視聴者はしらけるかもしれない。

                      ◇◆◇

連続テレビ小説「てっぱん」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年10月9日「てっぱん瀧本美織の涙、安田成美・遠藤憲一の味」はこちら。

⇒2010年10月10日「葉加瀬太郎・ひまわり、近藤良平・てっぱんダンス」はこちら。

⇒2010年10月12日「ピエロ瀧本美織…てっぱん・強引・マイウエイ」はこちら。

⇒2010年10月16日「てっぱん瀧本美織、前輪に笑顔、後輪に泣き顔」はこちら。

⇒2010年10月20日「てっぱん・瀧本美織、ひたむきな演技が最大の魅力」はこちら。

⇒2010年10月23日「てっぱん瀧本美織、人生の哲学と真理を語る」はこちら。

⇒2010年10月23日「てっぱんの踊りは人を幸せにする…近藤良平」はこちら。

⇒2010年10月27日「てっぱん見どころは富司純子か瀧本美織か」はこちら。

⇒2010年11月8日「近藤良平てっぱんダンス、あれは私です」はこちら。

⇒2010年11月9日「てっぱんの息切れと名言、瀧本美織の演技」はこちら。

⇒2010年11月20日「富司純子が本領発揮…てっぱんを仕切る凄み」はこちら。

⇒2010年11月21日「てっぱんダンス…瀧本美織はだれと踊るのか?」はこちら。

⇒2010年11月23日「第1回てっぱんダンス収録会…大阪城公園集合」はこちら。

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貧しさのなかに幸せが息づく…昭和30〜40年代

先だって「貧幸(ひんこう)」について述べた。
北海道・富良野で自然とともに暮らす脚本家・倉本聰(聡)が実感を込めて語った言葉である。
人生哲学といってよい。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

私は、物質的な豊かさが増すにつれ、精神的な豊かさを感じにくくなったように思う。
昔は、後者をあえて意識することも追い求めることもなかった。
貧しさのなかに幸せが息づいていた。

なかでも日本人が敗戦から立ち直りつつあった昭和30年代〜40年代。
うろ覚えだが、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が描いたのは、この辺りが中心でなかったか。
あっけらかんとした社会だったと記憶している。

⇒2010年11月19日「松下奈緒が茶の間に届けた『ゲゲゲの貧幸』」はこちら。

叶わないと知りつつ、あの頃に戻りたいと思うことがある。
私が単に年を取っただけの話?

ところで、このブログは書き溜め記事が主体になる。
私はときに1〜2年前の走り書き(素材)を仕上げてアップする。
以下は、それ。

                       ◇

食べるものにも不自由する貧乏はつらい。
だれだってそうした状態は避けたい。
生活に苦労はないに越したことはない。

が、長い人生では厳しい時期が訪れる。
人により幾度も…。

私自身はちょっとしたことでも幸せを感じられる貧乏は嫌いでない。
確かに困りはする。
しかし、心が落ち着く。

幸せとは大げさなものでなく、ささやかなものだ。
幸せとはめったに得られないものでなく、いつもそばにあるものだ。
自分がそれに気づけるかどうか。

貧しいとき、幸せは現れやすい。
心が澄んでいるからか。

豊かなとき、幸せは霞みやすい。
心が濁っているからか。

おそらく幸せはだれにもほほ笑んでいる。
気づく機会が多いのが貧しい人。
そう考えると、老後にいくらか希望が湧いてくる。

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第1回てっぱんダンス収録会…大阪城公園集合

きょうは「勤労感謝の日」。
祝日。
大阪城公園で「第1回てっぱんダンス収録会」が開催される。
NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」の番組公式サイトでの呼びかけ「踊ってみたい人、集まれ!」に応じ、大勢が詰めかけるのでなかろうか。
きっと盛りあがる。
この会場は、私が大阪出張の際にしばしば宿泊するホテルからいつも一望している。

私は仕事に追われ、可憐な瀧本美織がヒロイン・村上あかりを演じる「てっぱん」そのものはなかなか見られない。
テレビをつけていたとしても音声を聞く程度。
しかし、葉加瀬太郎の「ひまわり」が流れ、近藤良平の「てっぱんダンス」が始まると、つい手を止めてしまう。
オープニングが気になって仕方ないのだ。

⇒2010年10月23日「てっぱんの踊りは人を幸せにする…近藤良平」はこちら。

私のお気に入りの“踊り手”は以下のとおり。
額の汗をぬぐい、一息つく小学生の男の子。
鰹節(かつおぶし)をひらひらする呉服屋(?)の若女将(?)。
「トン! トン! トン!」のポーズをする魚屋(?)のおっちゃん。
腕を組んで回る若い男女。
実は、この男性は何を隠そう私である。

⇒2010年11月8日「近藤良平てっぱんダンス、あれは私です」はこちら。

作曲も振付も最高!
地元に留まらず周辺、さらに各地から朝ドラ「てっぱん」ファンが駆けつけるのでは…。
元気なら自家用ジェットで大阪城公園へ飛んでいき、パラシュートで踊ってみたい。
このところわが家の物置でホコリをかぶっている。

しかし、私と妻は体調不良。
きょうは二人並んで1時間の入念なボディケアを施してもらう。
日頃の頑張りが足りないせいか、だれも褒めてくれない。
そこで、自らにプレゼントを贈ることにした。
長年の無理がたたり、夫婦ともに体がぼろぼろ…。
とくに仕事と家事をこなしてきた妻が弱っている。

以下に、「てっぱんダンス…瀧本美織はだれと踊るのか?」と題する2010年11月21日のブログを収める。

                      ◇◆◇

NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」。
バイオリニスト・葉加瀬太郎(はかせ・たろう)が手がけたテーマ曲「ひまわり」の美しさ、そして振付師・近藤良平(こんどう・りょうへい)が手がけた「てっぱんダンス」の温かさ。
絶妙な取り合わせ!
楽曲と踊りは傑作である。

⇒2010年10月10日「葉加瀬太郎・ひまわり、近藤良平・てっぱんダンス」はこちら。

そして、ヒロイン・村上あかり役の「瀧本美織(たきもと・みおり)」が体当たりの演技を見せる。
ちっこいが、大きな情熱とエネルギーがほとばしる。
それと、この子は抜群にうまい。
おまけに感極まって、いつもうるうるしている。
とてもチャーミング!

⇒2010年10月20日「てっぱん・瀧本美織、ひたむきな演技が最大の魅力」はこちら。

瀧本美織の脇をベテラン女優2人(富司純子、安田成美)、ベテラン男優2人(竜雷太、遠藤憲一)ががっちりと固める。
説得力の強い中村玉緒(なかむら・たまお)の語りの力も動員し、ハチャメチャなシナリオ(脚本)をほとんどカバーしてしまう。

⇒2010年10月27日「てっぱん見どころは富司純子か瀧本美織か」はこちら。

すべてが“力技”で成り立つ画期的な朝ドラである。
それもそのはず、テーマ曲「ひまわり」が完成し、それがヒロインのキャラクター(性格)を決定づけた。
シナリオはさらに後工程。
視聴者も強引さに慣れてきた?

⇒2010年11月20日「富司純子が本領発揮…てっぱんを仕切る凄み」はこちら。

さて、おとといの昼休み、近藤良平がコンドルズのメンバーを率いてNHKの「金曜バラエティー」に出演し、「てっぱんダンス」の実演・特訓を行った。
私は仕事の途中だったので、テレビ画面をほとんど見られなかった。
会場は中高年が中心だが、全員が立ちあがり一緒に踊りを楽しんだ。
皆、笑顔がこぼれ、幸せそう。

先のブログ「葉加瀬太郎・ひまわり、近藤良平・てっぱんダンス」で述べたとおり、「てっぱんダンス」は大げさなのに自然。
面白おかしく、どこか切なく、それでいてうれしい。
私は内臓を熱くされ、すっかり感動してしまった。
楽曲の高揚と相まって、「鉄板」を介した人々の交流が深まっていく。
さらに、村上家の家族の絆、あかりと祖母の絆が深まっていく。

やはり先のブログで、私は「てっぱん」のテーマ音楽とダンスがどれくらい大勢の視聴者を巻き込んでいけるかが、この朝ドラが人気を得るうえで大きなカギを握ると述べた。

NHK(制作陣)も同じ考えのようで、総合テレビを中心に、「てっぱんダンス」の一大キャンペーンを展開しはじめた。
枠はミニ番組「NHKプレマップ」。
「てっぱんダンス・ひとり編(2分)」「てっぱんダンス・グループ編(2分)」「てっぱんダンス・全部編(5分)」を12月末まで繰り返し放送するようだ。

おそらく「てっぱん」の前の朝ドラ「ゲゲゲの女房」のヒロイン・松下奈緒(まつした・なお)が紅組司会を務める大みそかの「NHK紅白歌合戦」でピークに持っていこうとしているのでは…。
近藤良平やコンドルズが登場するか。
それどころか紅白の出演者全員が踊るかもしれない。
となると、当然、瀧本美織もうるうるしながら踊ることに…。
かわいいだろうなぁ。

「てっぱん」公式サイトには、振付を担当した近藤良平による「てっぱんダンス(正規版)」の教則映像が公開されており、膨大なアクセスを得ている。
「解説付き」に加え、素人が練習しやすいように左右の「反転版」が用意される。
しかも、それぞれ一人編と二人一組編。
恐ろしく親切である。
さらに、コンドルズ(メンバー)によるアレンジバージョンも用意される。

NHKは本気になり「てっぱんダンス」をはやらせようとしている。

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松下奈緒が茶の間に届けた「ゲゲゲの貧幸」

きのうのブログで、倉本聰(聡)がつくった「貧幸」という名言を取りあげた。
半生を振り返り、これほど自分の実感にぴったりする言葉はない。
貧しくても幸せな暮らしのすがすがしさ…。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

その大切さを改めて気づかせてくれたのがNHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」である。
私にとり人生の教科書だった。
ありがとう。

島根・安来の娘が、言葉を交わしたこともない男といきなり東京・調布で結婚生活を始める。
しかも、収入のほとんどない極貧状態。
家財道具などはことごとく質札に変わっていた。
そのうえ、夫は不気味な妖怪漫画を描いている。

ヒロイン・武良布枝は地獄のような暮らしを運命として受け入れ、愚痴一つこぼさず、仕事に打ち込む夫を支えつづけた。
食べ物にも不自由する毎日…。
世間的な常識では、これ以上の不幸はないように思える。
しかし、水木しげる(武良茂)との半生は喜びと誇りに満ちていた。
夫婦は笑いながら生きていった。

⇒2010年11月5日「松下奈緒の紅白司会、水木しげるの文化功労者」はこちら。

この難しい役どころを、キャリアの浅い松下奈緒と向井理のフレッシュコンビが好演した。
二人は結局「貧幸」を茶の間に届けて視聴者の共感を呼び、国民的な人気を博した。
ついにNHK紅白歌合戦の紅組の司会者に抜擢された。

⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。

⇒2010年9月18日「紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?」はこちら。

⇒2010年11月11日「ずばりテレビの買い時…紅白・松下奈緒が見たい」はこちら。

以下に、「頑固親父とちゃぶ台」と題する2009年6月6日のブログを収める。
わずかに手を加えた。

                      ◇◆◇

私は昭和26年(1951年)生まれ。
「頑張れば豊かになれる」。
戦後の高度成長と軌を一にして生きてきた。

まもなく58歳。
人生の夕暮れに差しかかり、遅きに失した感は否めないが、今回の空前の不況(リーマンショック)はとりわけ「消費」を見詰め直すとてもよい機会になった。
そう、要らないものにどっぷりと浸かっている自分がいた。

思い起こせば50年前、新潟県直江津市の生家にはちゃぶ台とたんすくらいしかなかった。
近所も同じで、生活は貧しかった。
大半の家庭では最低限の衣食住がようやく揃ったにすぎないが、だれも不便や不満を感じていなかった。
あの頃がとても懐かしい。

昔、マンガやアニメ、ドラマなどで、頑固親父がちゃぶ台を引っ繰り返すシーンが出てきた。
あながちつくり話でなかろう。
これには2つの時代背景があったのでないか。
第1に、怒りをぶつけるにも家のなかにモノが少ない。
第2に、怒りを伝えるには大事なものを滅茶苦茶にするのがよい。
となると、壊れにくく、しかもインパクトの大きいちゃぶ台。
何せ皆いつも腹を空かしており、食事の時間を待ち望んでいた。
それは、家長がときどき自分の権威を家族に誇示するための儀式だったのかもしれない。

…やがて、国民所得の上昇と歩調を合わせるように、いろいろなものが登場する。
私たちの身の回りにモノ、とくに家電製品があふれはじめた。
文明の利器。
そして、それらが徐々に家族を遠ざけ、さらに友人や知人を遠ざけた。
人類を幸せにするはずだった豊かな社会の実現が、人同士の距離をどんどん押し広げていった。
それが私の戦後にほかならない。

いまや自宅や自室に時間をつぶせる環境が整った。
私たちは一日、だれかとじかに接しなくても、モノといくらでも過ごせる。
退屈しない。
昨今はパソコンなどを通じ、人とふれあった錯覚まで楽しめるようになった。

私は、当時のがらんとした“すがすがしさ”を大切にしたいと思う。
それに近い環境だったのが、上京後しばらくして始めた東小金井での一間暮らし。
文字どおりの「赤貧」。
敷きっ放しの煎餅布団以外、何もなかったといってよい。

…そして、私に出会いがあった。
彼女は大家の目を忍んで通ってきた。
すぐに半同棲へ…。

部屋が狭いうえに隔てるものが何一つなかったから、じかにふれあえる。
一緒にいるときは話をするか、エッチをするか、どちらか。
いつもくっついて暮らしていた。

無人島で二人きりだと、人は愛しあうしかない。

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大杉漣、演技への怒涛の情熱とエネルギー

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
このドラマでヒロイン・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)の実の父・飯田源兵衛を演じたのが、大杉漣(おおすぎ・れん)である。
熱が入ると、アドリブが飛び出す。
松下奈緒はとっさに応じなくてならない。
それが厳格な父と向かい合う娘の緊張をお茶の間に伝えた。
さすが。

ゲゲゲの女房では、大杉漣は役者としてのキャリアが浅い松下奈緒と向井理(水木しげる役)を見守り、導いた。
温かい。

⇒2010年9月22日「大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係」はこちら。

先頃、大杉漣の姿がライブ会場にあった。
視線の先は、ゲゲゲの女房の主題歌「ありがとう」を歌ういきものがかりの吉岡聖恵。
懐かしそうな表情を浮かべていた。

⇒2010年11月2日「吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ」はこちら。

先日、松下奈緒が紅白歌合戦の紅組の司会者に選ばれた。
白組の司会者は「嵐」の5人グループ。
松下奈緒はそれに対抗すべく、「ゲゲゲの家族」を応援に呼びたいと語った。
夫の向井理はもちろん、父の大杉漣もかけつけよう。
日本の大みそかが盛りあがる。

⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。

大杉漣は、「あるがままに」が座右の銘。
故笠智衆の言葉らしい。
「スタジオパークからこんにちは」での発言を聞いても分かるとおり、飾らない人柄である。

ウィキペディアなどによれば、大杉漣はスポーツと音楽の分野に多くの趣味を持つ。
なかでもサッカーとフォークに凝っている。
40代には「大杉漣バンド」を結成した。
また、いまでも「夢はプロのサッカー選手」と語る。
地元そして国内外のサッカー(チーム)に精通しているだけでなく、自らピッチに立ってプレーしている。

                       ◇

大杉漣は、スタートが演劇活動だった。
22歳、別役実作品『門』の「娼婦を買いに来る客A」役で舞台デビューを果たした。
1974年、太田省吾が創設した転形劇場に初期メンバーとして参加し、ここでの活動に打ち込んだ。
途中、日活ロマンポルノや新東宝のピンク映画などに数年出演した。
大杉漣は転形劇場が1988年に解散するまで、全公演に出演している。
37歳で活動基盤を失ったが、多くの実績と幅広い人脈により演劇活動を続けた。

私は大杉漣の足跡を追いかけながら、収入の確保、生活の維持にとても苦労したのでないかと思った。
食べていけない時期が長く、また幾度も訪れたはずだ。

やがて、北野武監督の作品に出演したことがきっかけになり、映画界で演技派として注目を集めるようになった。
国内各映画賞の助演男優賞を受賞している。
さらに、テレビドラマの主役や主要キャストとして出演することが多くなった。
今日では広く知られる。

大杉漣は活動領域の広さ、出演本数の多さ、役柄の多様性はずば抜けている。
役者として演じることに対し、怒涛の情熱とエネルギーを持つ。
バイタリティの塊。

⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。

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松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦

大みそか恒例、NHK紅白歌合戦。
第61回の司会者が文化の日に発表された。
紅組は、うわさどおり松下奈緒に決まった。
本人は幾度か否定したが、かなり早い段階で固まっていたのでないか。
NHKからそうした打診はまったくないという発言が不自然だった。

⇒2010年9月18日「紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?」はこちら。

松下奈緒は抜群に美しく、しかも背が高い。
さらに“華”がある。
表情が豊か、大きく笑うと非常に魅力的。
夏の紅白「思い出のメロディー」でもそうだったが、ステージ上に大輪の花が咲いた印象であり、とにかく目立つ。
ゆえに、周囲を食ってしまう。

食われたい人、この指止まれ。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

私は歌を聞かず、歌手をほとんど知らないが…。
松下奈緒を上回るオーラを放つ歌手を思い浮かべられない。
国民的なイベントとはいえ、司会は引き立てる立場だ。
松下奈緒は頭がよいので、それは百も承知。
実際、会見では「司会としてできるかぎりサポートしていくことを心がけ、素敵な一夜にしたい」と抱負を語った。
出場歌手を支える役目に徹すると…。

「素敵な一夜にしたい」。
くぅ〜。

松下奈緒は、朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」のヒロインとして、村井布美枝役を演じた。
「ゲゲゲの鬼太郎」でお馴染みの人気漫画家・水木しげるの妻、武良布枝の人生をモチーフにしたドラマであり、このブログで数十回は取りあげた。

かたや、白組は「嵐」。
老いた私は嵐をまるで知らない。
メンバー5人全員で務めるというから驚き。
グループが司会に起用されるのは初めて。
松本潤は「名司会はできないが、5人ならではのチームワークで盛りあげていきたい」と意気込みを語った。

嵐の5人に1人で対抗する松下奈緒は「ゲゲゲの家族を呼ぼうかな」と、応援を頼む意向を示した。
となると、夫の向井理(村井茂役)はオーケーカード持参でかけつけよう。
いつも節約を心がけているぞ。

⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。

それと、実の父の大杉漣(飯田源兵衛役)もオタマ持参で駆けつけよう。
熱くなるとアドリブが増えるぞ。

⇒2010年9月22日「大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係」はこちら。

ひょっとすると、義理の母の竹下景子(村井絹代役)と義理の父の風間杜夫(村井修平役)も…。

⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。

すでに述べた理由で、私は松下奈緒が一人でも嵐とバランスは取れると思う。

それにしてもNHKはよく考えている。
松下奈緒と互角に張り合える個人はいないと判断したのだろう。
彼女が発するオーラに、だれも太刀打ちできない。

今年の紅白歌合戦は、司会者に一番視線が集まるという点において画期的である。
松下奈緒は衣装を含め、意図的に抑えるのでないか。

私自身はそんなことを気にする必要はないと考える。
NHKの責任だ。
松下奈緒には遠慮なく輝いてほしい。
紅白歌合戦で勝つのは、白組でも紅組でもなく、松下奈緒で決まり。

私は半世紀近くろくに番組を見ていないが、今年はどうだろう?
松下奈緒、そして吉岡聖恵が出るとなると、心は乙女のように揺れるのでした。
いきものがかりによるゲゲゲの女房の主題歌「ありがとう」を短い舌で歌うチャーミングなボーカルである。

⇒2010年11月2日「吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ」はこちら。

司会の人選はフレッシュだ。
NHK紅白歌合戦は12月31日午後7時半から始まり、テーマは「歌で つなごう」。
松下奈緒の「ゲゲゲの女房」、そして瀧本美織の「てっぱん」もいくらか意識したフレーズか。
私は、「歌で」と「つなごう」が離れているのが気がかり。
う〜ん。

◆書き加え1(11月4日)

松下奈緒がJAバンクの新キャラクターに選出されたようで、CMに出演している。
私は、彼女に余裕のようなものを感じた。
うまくなっている。
役者は経験だなぁ。

半年に及ぶ朝ドラの主演という大役をこなし、試練を乗り越え、松下奈緒は一回りも二回りも大きくなった。

⇒2010年9月20日「松下奈緒と向井理の魅力と伸び代、居場所」はこちら。

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吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
その主題歌は、男女混成3人のボーカルグループ・いきものがかりによる「ありがとう」。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

先日深夜、私がたまたま日本テレビにチャンネルを合わせたとき、「Music Lovers」という音楽番組をやっていた。
名曲ライブ。
そこで歌っていたのがいきものがかりの吉岡聖恵である。
朝ドラ主題歌は幾度も聞いたが、本人を見るのはおそらく初めて。
かわいい女の子が精一杯、心を込めて歌っている印象。

「ありがとう 竜田揚げ … 手洗いしてさ」。
吉岡聖恵は舌足らずなところがあり、よく聞き取れなかった歌詞がテレビ画面の下に流れていた。
このブログで幾度か述べたとおり、平成の名曲である。

⇒2010年9月23日「水木プロダクション創立20周年記念謝恩パーティー」はこちら。

いきものがかりは昔、オリジナル曲が乏しいこともあり、路上ライブでは世間に知れ渡った楽曲をカバーしていた。
その1番が小坂明子の「あなた」だったとのこと。
すると、中高年が足を止めて聞いてくれたらしい。

確かに、あなたの曲調は、このグループの持ち味である甘くて切なくて温かい歌唱とマッチしている。
いきものがかりはファンの年齢層が非常に幅広い。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵『ありがとう』」はこちら。

ライブ会場では、ゲゲゲの女房で飯田源兵衛役を演じた大杉漣が最前列からステージを見上げていた。
収録当時を思い出していたのでなかろうか。
私と同じ昭和26年(1951年)生まれだが、若々しくてかっこいい。
実は、中学校も高校も一緒。
男優なので当然ともいえるが、やはり生き方が潔かったからだ。

⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学校・城北高校出身」はこちら。

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ポール・ポッツの運命を変えた「結婚力」とは?

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
ほとんどカネにならない漫画に打ち込む村井茂(水木しげる。武良茂)を村井布美枝(武良布枝)は懸命に支えつづけた。
夫に尊敬と信頼を寄せ、連れ添うことに誇りを抱いていた。
水木しげるの成功の影に、妻の存在があった。

著名人の家庭でなくても、夫婦とはそうしたものだ。
互いの頑張りが噛み合ったとき、初めてちょっこし前へ進める。

                       ◇

「ラストチャンス」と言い聞かせ、自ら運命を切り開いたポール・ポッツ。
夢だったプロ歌手として世界各国を飛び回っている。
日本にも幾度か訪れ、多くのファンを持つ。

ポール・ポッツの成功の陰に、妻の存在があった。
彼が「ブリテンズ・ゴット・タレント」で栄冠を勝ち取るまでの半生が、ユーチューブの動画で紹介されている。
日本のテレビ局が番組用にドラマ仕立てにした映像を公開している。
私はそれを繰り返し見た。

そして、妻の力なくしてポール・ポッツのブレークはなかったと確信した。
歌を諦めないよう彼を励ましつづけただけでなく、ぎりぎりの生活を支えた。
この女性と結婚したことが、ポール・ポッツの人生に「奇跡の大逆転」をもたらした。
そういう意味では、彼女とネット上で巡り合い、そこに特別な“縁”を感じ取ったポール・ポッツも凄い。

私たちは、ポール・ポッツの幸運に目を奪われやすい。
彼は自ら運命を切り開いたのだ。
ただし、その機会は一人でつかんだものでない。
妻がポール・ポッツの運命を変えたともいえよう。

さらに私は、結婚は始まりにすぎず、大切なのはその後の互いの思い遣りと努力だと改めて気づかされた。
「自分は相手に何をしてあげられるか?」。
二人は、結婚の継続にとり不可欠かつ根源的な問いかけを決して忘れなかった。
不遇のどん底でも“夫婦の絆”が切れない道理である。

よい結婚は、たとえささやかであっても、二人にかならず幸せをもたらす。
それは、いわば「結婚力」。
相手に“与える”との決意。
生涯をともに歩む覚悟が生み出す特有の力だろう。

ところで、数年前から「婚活」が注目を集めている。
就職活動を「就活」と縮めるように、結婚活動を略した言葉。
社会に定着した感がある。
それくらい結婚が難しくなったのだ。

結婚相談所が行う「お見合いパーティ」を含め、男女の出会いの場がいろいろ設けられている。
しかし、結婚にたどり着ける確率は高くない。
相手から“得る”という思惑が強すぎるせいだ。

結婚はもちろん、人生、得ようとして得られることはない。
だれもが得たいと望んでいるのだから…。
得ようとして得られるなら、私たちはとっくにあり余る幸せを手に入れている。
が、かならずしもそうなっていない。
婚活では、相手に“与える”ことに徹すればよい。
得るなど、与えた結果にすぎない。

婚活はゲームでない。
うまくやろうとしたら、お仕舞い。
仮に結婚につなげたとしても、ほどなく破綻を迎える。
婚活において第一に問われているのは、自分の姿勢である。
その相手に何をしたいか、何ができるかを突き詰めて考えることだ。

                       ◇

女性も意欲と能力があれば、男性と対等に働ける環境が整いつつある。
外で働く妻を“主夫”が内で支えるケースが日本でも出てきた。
そこまでいかなくても若い世代を中心に「イクメン」が増えている。

いまや結婚の形、家庭のありようもどんどん変化している。
こうでなければならないと、古い規範や価値観に閉じ込めることはできない。
私たちは自由であるべきだ。

大事なのは、夫婦が相手への貢献を誓うこと。
実践は容易でないが、その気持ちは忘れずにいたい。
ならば、長くて険しいデコボコ道を二人で何とか歩んでいけよう。

                       ◇

このブログは、2009年8月23日の「結婚力」に思い切って手を加えた。

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連休は鬼太郎茶屋から深大寺、神代植物公園へ

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が終了した。
松下奈緒と向井理の新鮮な演技が話題を呼んだ。
視聴率の上昇とともに、水木しげる(武良茂)ゆかりの鳥取県境港市、武良布枝ゆかりの島根県安来市に多くの観光客が訪れた。
地元の業者や商店はかなり潤った。
しかし、世間の関心はあっという間に移ろう。
元の静けさに戻るのに、それほど時間はかからないだろう。

                       ◇

さて、山陰の2都市に負けないくらい注目を集めたのが、水木しげる夫妻が暮らす東京都調布市だった。
漫画家としての大半を、そして結婚生活のすべてをここで送った。
水木しげるは名誉市民の称号を贈られている。
内助の功を認めて夫婦に贈るという計らいがあれば、女性の心をがっちりとつかめたはずだ。
朝ドラ後ならそうなったかもしれないが、顕彰式は2008年3月6日だった。

ゲゲゲの女房では「深大寺」が二人の初デートの場所になった。
山号は浮岳山。
浅草・浅草寺に次ぐ都内第二の古刹とか。
そして、門前に店を構えるのが、民放でも紹介された築40年余の木造建築「鬼太郎茶屋」。
店内はレトロな雰囲気が漂う。
また、朝ドラの最後に市内の各所が映し出された。
市内を走るバスや深大寺に通じる道は人が急増した。
名物の「深大寺そば」が食べられる店では休暇並みの賑わいだった。

調布市では水木作品のパネル展を催したり、商店街ごとにキャラクター(オブジェ)を置いたりして、朝ドラで盛り上がった人気を何とかつなぎとめようと躍起である。
今後も「ゲゲゲの街」として全国にアピールしていく。

私が驚いたのは、調布市が2010年3月6日に「ゲゲゲの鬼太郎」が市民であることを証明する「特別住民票」を交付したことだ。
グッド・アイデア!
長友貴樹市長が交付式で着ぐるみの鬼太郎に手渡した。
弟・武良幸夫が駆けつけ、「放浪してきた鬼太郎もこれで腰を落ち着かせられそう」とメッセージを寄せた。
世帯主は目玉おやじ。
本籍は水木しげるの出身地、鳥取県境港市。
服装や超能力といった特徴まで記載されるというから、サービス精神が旺盛である。
2010年9月末日まで、市役所で希望者に無料で配布されて好評を博した。

水木しげるは妖怪漫画の第一人者として、日本人に親しまれてきた。
また、調布に根を下ろし、住人に親しまれてきた。
調布市が水木しげるとその作品にあやかって“町おこし”を進めるのは分からないわけでない。

が、深大寺とその周辺のうっそうとした自然が立派な観光資源である。
私は足を運んでいないが、前妻によれば「神代植物公園」は素晴らしい。
鬼太郎や妖怪をモチーフに通りを飾るとか、ネーミングを揃えるとか、それはそれ…。
例えば、深大寺そばも最終的に味の勝負である。
地域ぐるみでメニューのブラッシュアップが欠かせない。

私はこの土地の歴史や風土ならではの観光振興策を大切にしてほしい。
手っ取り早いものに飛びつくと、すたれるのも早い。

ブームを仕掛けた側がブームに振り回された事例は、枚挙にいとまがない。

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頑張るから・・・妻と子に誓う

私はわりと最近まで、脇目も振らず突っ走ってきた。
一度も立ち止まっていない。

しかし、頑張ろうという意志、頑張らなくてはという義務感を持っていたわけでない。
家族の生活を守るといった意識もなかったのでは…。
自然に頑張れた。
したがって、それが凄いと思ったことはない。
当たり前だった。

ところが、50代半ばを過ぎた頃からそれが急に難しくなった。
還暦を来年に控えた現在では頑張ろうとしても頑張れない状態が続いている。

私は再婚し、子どもが小さい。
前妻の子ども3人の世話をしてくれた妻は今後が長い。
その心配をしなくてならない。
私はいま人生で一番の頑張りどきを迎えている。

勤続疲労(といっても自営業)と老化が主因となる体力の低下と体調の悪化に苦しんでいる。
テレビに出演していた大橋巨泉だったか、男にも「更年期障害」があると教えられた。
また、「ゲゲゲの女房」の水木しげる(村井茂)の姿に、ここ数年間は自分にとり「スランプ」だったと気づかされた。

私は、家族に頑張ってほしいと頼まれたことはない。
まして、尻を叩かれたことはない。
しかし、妻は私の様子を案じたり、私の仕事振りにイライラしたりしているはずだ。
黙って耐えているが…
私にはその気持ちが痛いほど分かる。

そこで先日、妻と子どものそれぞれに対し、私は「頑張るから…」と、あえて口にした。
はっきり家族に誓うとともに、自分に言い聞かせた。
これ以上、不安を与えたくなかったのだ。
少なくとも胸の内は伝えておこうと…。
子どもは私の目を見て小さくうなずいた。
やはり気にしていたのだ。
ごめん。

私は心の底から家族のために頑張りたいと思う。
それはおそらく、だれにとっても最大の喜びでなかろうか。

暗いトンネルを早く抜け出したい。

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松下奈緒と向井理、ゲゲゲの女房の演技に思う

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
きのうのブログで、番組公式サイトに掲載されていたクランクアップ前日の松下奈緒のインタビューを取りあげた。
きょうのブログはそれに続いて…。

⇒2010年9月27日「松下奈緒が『ゲゲゲの女房』を振り返った」はこちら。

さて、ヒロイン・村井布美枝役の松下奈緒、そして夫・村井茂(水木しげる)役の向井理。
あくまで「ゲゲゲの女房」のファンとして、二人の演技について率直に述べた。
私は素人にすぎず、「演技評価」は行えない。

先のインタビューによれば、松下奈緒は朝ドラの経験を通じて演技に対する考え方が変わった。
それまで、このシーンはこう演じると決めていた。
が、その場の空気に身を任せることがあってよい。
両方のメリハリが大切だと…。

キャリアが別次元なので当たり前とはいえ、ベテランが絡むシーンで力量の差が歴然とした。
非常に乱暴な言い方になるが、風間杜夫と古手川祐子はへたに演じた。
大杉漣と竹下景子はうまく演じた。
4人の役どころが関係しているのは承知。

風間杜夫と古手川祐子は松下奈緒を引き立てるために…。
大杉漣と竹下景子は松下奈緒を教え導くために…。
私は、若いヒロインに対するベテランの心配りを感じた。
いずれも主役を演じた実績を持つ俳優である。
やはり「へたに」「うまく」は語弊がある。
前の二人は主役を支え、後の二人は主役を励ました。

NHKの朝の顔、看板ドラマ番組「ゲゲゲの女房」において、松下奈緒と向井理は頑張った。
二人の最大の魅力は素人っぽさだった。
それが村井布美枝と村井茂のおおらかな生き方とマッチしていた。

いまや10代どころか幼少期から専門的な訓練を受け、さらに経験を積んでいる役者が珍しくない。
彼らはそれに人生をかけている。
松下奈緒も向井理も役者に憧れ、役者を目指してきた人とは明らかに違う。
松下奈緒は必死だったと振り返っており、そこにうそはない。
が、私はどこかに余裕を感じた。

私は、向井理のほうが演技としてはいくらか上だったと思う。
本人のキャラクターが水木しげるの役づくりに有効だった可能性はあるが…。
また、主役と準主役の立場や責任の違いも関係していよう。
決して気楽と言わないが、重圧は別物である。

役者は役柄と台本を与えられる。
そして、考えて演じる。
必須だ。
しかし、それが視聴者に伝わったら一流でない。
実際、考えて演じるだけだと、つくりものになってしまう。
私はときどき松下奈緒に演技を見せられている気分になった。
人は考えると、周囲に緊張感をばら撒く。
役者が考えたら、視聴者はくつろげない。

松下奈緒は“華”そのもの。
努力で身につけられるわけでなく、先天的な要素が大きい。
このブログで述べたとおり、彼女の本質はスターである。
それが「ゲゲゲの女房」で一気に開花した。

⇒2010年9月25日「ゲゲゲの女房エンディング…松下奈緒&向井理」はこちら。

私は朝ドラを見て、これは大物が登場したと興奮した。
しかも、女優としては異例の長身だ。
目立つ。
さらに、役柄と演技の幅が限られる。
つくる側は今後、主役以外に松下奈緒を起用しにくい。
ところが、制作費の削減によりドラマは本数が減少し、仕事はそうそうない。
演技を究めるには場数が欠かせないし、さまざまな役柄をこなさなくてならない。
前途は多難だろう。

松下奈緒は多彩な才能を有する。
女優として大成できるかという問題もさることながら、本人がその道にエネルギーを傾けるかは微妙である。
「ゲゲゲの女房」のヒロインに対する自己評価はどうなのだろう?
彼女は聡明であり、意外な判断を下すかもしれない。
それは向井理も同じだ。

私は、彼女のいろいろな道を思い浮かべてみた。
選択肢は多いが、どれも掘り下げが大変だ。
松下奈緒は広さに対し、深さに欠ける。
自分がもっとも魅力を発揮できる領域をどうつくっていくのか、私は興味がある。
それとも持ち前の度胸と根性で切り開き、成し遂げるのか?

かたや向井理はつかみどころがない。
成り行きに任せてきたように見えなくもない。
専門的な論文を書いたり、バーテンダーや店長を務めたり、路上でスカウトされたり…。
役者へのこだわりはいかばかり。
松下奈緒ほどでないが、才能は幅広い。
が、願望と目的志向の強い彼女と対照的である。
それとも“どん欲さ”が表に現れないだけなのか?
オーケーストアのカード野菜をメーンに、ときどきカード魚を添えた食事だった(信憑性なし)。

◆書き加え1(9月29日)

「ゲゲゲの女房」は、演じる側からすれば、それほど簡単でなかろう。
高名な漫画家の妻が書いた自伝が原案だ。
しかも、健在。
また、朝ドラとしては深い内容を持つ。
夫婦と家族の成長物語であり、人生そのものに通じる。

松下奈緒も向井理も結婚を知らない。
ただ、「ゲゲゲの女房」のストーリーは、役者としての経験の浅い二人に味方した。
村井茂と村井布美枝の夫婦は、不自然でぎこちない関係からスタートしたからだ。
よそよそしく、噛み合わない。

そう演じたのか、そうなったのか…。
両方だろう。

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水木しげる夫妻(武良茂・布枝)の自然体

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
あすの放送が最終回である。
大好評・高視聴率での終了を祝し、水木しげる夫妻(武良茂・布枝)が午後1時5分からNHK番組「スタジオパークからこんにちは」にゲストとして出演した。
詳しくは後ほど。

きのうのブログ「水木プロダクション創立20周年記念謝恩パーティー」で記したように、私が一番印象に残ったのは水木しげる(村井茂。向井理)が妻・村井布美枝(松下奈緒)に着物を新調しなさいと言ったシーンだった。
布美枝は長年、自分のことにろくにカネをかけなかったに違いない。

私の妻がそれだ。
実は、前の妻も同じだった。
使うカネがなかったというほうが正確か。
が、あったとしても、使わなかったはずだ。
やはり化粧品は口紅一本。

私が悔いるのは、わが家にゆとりが生まれる前にガンで亡くなったことだ。
服くらい買ってやりたいと思っていたが、甲斐性がなくて叶わなかった。

前妻の命日が12月14日。
妻の誕生日が12月14日。
二人ともありがとう。

私は「ゲゲゲの女房」の主題歌、いきものがかりの「ありがとう」を聞くたびにじ〜んとする。
この楽曲には、自分を信じてついてきてくれた妻の献身に対する感謝がある。
にもかかわらず、「人生谷あり谷あり」。
実際はなかなか報いられない。
この楽曲には、救いがある。

⇒2010年9月23日「水木プロダクション創立20周年記念謝恩パーティー」はこちら。

                       ◇

さて、「スタジオパークからこんにちは」は、向井理と松下奈緒でなく、水木しげる夫妻。
武良茂は88歳の高齢に達しており、それを考慮したのか録画。

今回は珍しくスタジオを飛び出し、水木しげるの仕事場を訪れた。
TBS番組「ぴったんこカン・カン」で紹介された例の事務所である。
同局の看板アナウンサー・安住紳一郎が司会進行を務め、このブログでも3回取りあげた。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

仕事場は壁が棚になっており、鬼太郎や妖怪などのグッズで埋め尽くされている。
二人のソファーから少し離れ、次女・悦子も立ち会った。
朝ドラでは村井喜子(荒井萌)。
現在は社員、マネジャーのようだ。
番組には登場しなかったが、長女・尚子は社長。
朝ドラでは村井藍子(青谷優衣)。

水木しげるは自然体。
飾らない生き方を貫いてきた。
それがインタビューの受け答えに現れる。

水木しげるは現在、非常に規則正しい生活を繰り返している。
10時起床。
そして11時に出勤。
自宅から仕事場まで1キロメートル強の距離だが、30分〜1時間かける。
散歩気分。
途中、屁を一発、ときに二発こく。
これは譲れないお決まり。
散歩の途中、かならずウンコをする犬がいる。
行き帰り、本屋に寄ることも…。
自分の本を買うためだ。
これは半分本気、半分冗談。
高名な漫画家はユーモアを忘れない。
それ以上に、シャイ。

私は「若い人」などの小説で知られる石坂洋次郎を思い出した。
晩年、散歩の途中で立ち止まり、足を開き加減にして屁をこくことが日課だった。
氏は、愛読者の大半が若い女性。
オナラはやめてくださいと懇願する手紙が届いたそうである。
ちなみに、水木しげるは定位置に座り、屁をこく。
凄すぎる!
幸い、体は浮き上がらない。

武良茂・布枝は番組で「夫婦」についても語った。
同感。
私は結婚するとは、相手の欠点や短所を受け入れることだと思う。
この世に完璧な人間など一人もいない。
少なくともそういう覚悟で踏み切った。
恋愛結婚の最大の問題は、見合い結婚でないことだ。
相手への期待が膨らみ、相手への諦めが足りない。
愛があるという理由で結ばれると、愛が覚めたという理由で別れやすい。
あまりに幼い。

布枝は見合い後5日で結婚して上京し、夫が漫画に打ち込む姿にいきなり圧倒された。
それは壮絶な光景だったろう。
武良家は極貧期が長かった。
夫が精魂を傾けて描いた作品がやがて評価され、人気に火がついた。
「来るべきときが来て … うれしかったです」。
この言葉に実感がこもっていた。
また、「来るべきときが来て」に、夫に対する信頼と尊敬がいささかも揺るがなったことが見て取れる。

しかし、水木しげるは当然だと語った。
自分の作品に絶対の自信を持っていたのだ。
朝ドラのスタートとともに、強い追い風が吹いた。
ブームは、働かなくてもカネが入るから好きだと…。

自然体とは、風変りということ。
皆、生きるために、食べるためにそれを放棄する。
世間や職場でやっていけない。
自然体はもっとも難しい。

布枝は水木しげるを支えつづけて来年で50年、半世紀になる。
二人の絆はきわめて強い。
収録中、夫が発した言葉が誤解を生まないよう、配慮を忍ばせた。
会話の端々から意思と聡明さが伝わってきた。
素晴らしい!
布枝は決して地味で我慢強いだけでない。
また、収録中、ときどき夫の腿に手を置いた。
愛情を示すとか安心を与えるとかはもちろん、手で軽く叩いたり力を加えたりしながらブレーキをかけ、夫をコントロールしているのだ。

私は思う。
布枝という存在がなければ、水木しげるは漫画家としてここまでの成功を収められなかった。

その意味で、息子の見合いを強引に進めた武良琴江、娘の結婚を即座に促した飯塚藤兵衛が果たした役割はきわめて大きい。
朝ドラでは村井絹代(イカル。竹下景子)、飯田源兵衛(大杉漣)。

あしたは最後。
涙なしに「ゲゲゲの女房」を見られるだろうか?

(敬称略)

◆書き加え1(9月24日)

このブログで、株式会社水木プロダクションは自宅から駅の近くの事務所(仕事場)に引っ越したと書いた。
が、まだ自宅に置かれているのかもしれない。
そこでアシスタントが漫画を描いている可能性がある。

スタジオパークからこんにちは、ぴったんこカン・カン。
両番組で映し出された事務所には漫画を描く机は置かれていないのでは…。

◆書き加え2(9月24日)

午前11時にアップしたブログに手を加えた。
ドラマの内容であやふやだった部分がだいぶはっきりした。

⇒2010年9月24日「ゲゲゲ松下奈緒から、てっぱん瀧本美織へ」はこちら。

◆書き加え3(9月24日)

私は深夜近く妻に教えられた。
今晩7時〜11時頃までTBSテレビで「ぴったんこカン・カンスペシャル」「中居正広のキンスマスペシャル」の2番組が「ゲゲゲの女房」を取りあげた。
通常はそれぞれ1時間くらいなので、今回は特別企画。
正確には、両番組に6分間のフラッシュニュースを挟み、10時54分まで。
前者には松下奈緒が登場し、ピアノ演奏も披露した。
安住紳一郎は鋭く切り込めたのか。
後者には水木しげる夫妻が登場し、スタジオが騒然とした。
といっても調布市の水木プロダクションとの中継らしい。

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」はあす最終回を迎える。
他局の番組に便乗した格好。
何せ国民的人気を博した。
そういえば、TBSの代名詞はドラマだった。
制作費が削られ、昔話…。
テレビ局は視聴率が低迷し、なりふり構っていられないという業界事情が背景にありそうだ。
もう一つは、秋の番組改編期。

私は番組を知っていたとしても、仕事に追われて見る余裕がなかった。
しかし、妻がすべて録画したという。
気が利く。
この朝ドラの終了後になってしまうが、見てみたい。

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ゲゲゲ松下奈緒から、てっぱん瀧本美織へ

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
放送はあすが最終回。
「水木プロダクション創立20周年記念謝恩パーティー」は無事終わった。

長女・藍子と次女・喜子は、父に20周年おめでとうと花束を渡した。
茂は受け取った花束をかたわらの布美枝に渡した。
「お母ちゃんがおらんかったら、ここまでやってこれんかった」(台詞は曖昧)。
布美枝は言葉が出てこない。
私もそう思う。

⇒2010年9月23日「水木プロダクション創立20周年記念謝恩パーティー」はこちら。

その翌日、近所の人たちがお祝いに駆け付けた。
極貧の貸本漫画家時代から水木しげる(村井茂。向井理)と村井布美枝(松下奈緒)の二人を応援した。
最大のプレゼントは、若い工員・小林太一(鈴木裕樹)を連れてきたこと。
布美枝が最初に出会った、夫の漫画の読者だった。
貸本屋「こみち書房」に通い、水木しげるの新作が出るのを楽しみにしていた。
いまは工場長である。

その「こみち書房」は東京オリンピックの開会式当日、ひっそりと千葉へ引っ越した。
太一は千葉に寄り道し、店を切り盛りしていた田中美智子(松坂慶子)の手紙を預かってきた。
最近店を畳んだ際、本の間から見つかった当時の貼り紙が添えられていた。
すっかり変色している。
布美枝は手に取り、感無量…。
また、亀田質店の亀田達吉(徳井優)も一緒だった。
水木しげるは当時、質札が分厚い束になった。

水木プロダクションは調布にしっかりと根を張っていた。

秋風が吹きはじめた9月末、安来から父・飯田源兵衛(大杉漣)が亡くなったという知らせが届いた。
静かに涙を流す布美枝に、水木しげるは家族全員で送ろうと伝えたのだった。

                       ◇

NHKは「ゲゲゲの女房」の高視聴率の反動を恐れているようだ。
次(平成22年度後期)の朝ドラ「てっぱん」の予告に力が入る。
きょうの放送終了後のあさイチで、ブームのホットケーキを取りあげる際に「てっぱん」とこじつけた。
かなり無理がある。
あの手この手で視聴者の期待感の高揚を図る。

番組の責任者や担当者、スタッフ、そして出演者、とりわけ主役・ヒロインの村上あかりを演じる瀧本美織は、大きなプレッシャーを感じているはずだ。
新人女優とのこと。
ベテラン共演者も同じだろう。
1週目の放送からいきなり大きな山場が訪れるようだ。
あかりが出生の秘密を知ってしまう。

収録が行われているNHK大阪放送局スタジオ。
9月17日に松下奈緒が訪れ、瀧本美織にバトンタッチが行われた。

第1回の放送は9月27日月曜日。
乞うご期待!

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大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
昭和60年(1985年)、株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)に朗報が舞い込んだ。
「ゲゲゲの鬼太郎」が3度目のテレビアニメ化。
強い上昇気流が巻き起こった。
アシスタントを含め、家族全員で喜んだ。
水木作品(漫画)の点々のスペシャリスト・菅井伸(柄本佑)も健在。
ドラマ上とはいえ、一生点々を打ちつづけかねない。

その矢先、父・飯田源兵衛(大杉漣)が脳梗塞で倒れたという電話が入り、村井布美枝(松下奈緒)は急きょ安来に帰った。
水木しげる(村井茂。向井理)は締め切りを抱え、見舞いに行けない。
多忙だと、あちこちに不義理を働く。

源兵衛はこのアニメ化を、家族も動員しながら近隣に触れ回った。
婿自慢!
私の父は、私が著者として、やがて講師として活躍するようになると、滑川・天望町のご近所や町内会で本やセミナーパンフレット、新聞・雑誌記事を見せて回った。
親はありがたい。

                       ◇

私はびっくりした。
大杉漣は、源兵衛が元気な頃と“声色”まで使い分けていた。
まったく違うのだ。
生命力の衰えた、高齢の病人。
ホント、凄い。

私には、大杉連は、役者の道を歩みはじめた若い松下奈緒と向井理に教育を施しているように思えた。
後進(後に続く者)に対し、何というやさしさ!
苦労人だ。

病床の源兵衛が娘と二人きりで会話を交わしたシーンに涙を流した視聴者も少なくなかったろう。
布美枝の結婚後初では…。
いや、結婚前もなかった?
こうした時間を生涯持てない親子が珍しくない。

私はドラマに感動した。
それ以上に、大杉漣に感動した。

⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。

◆書き加え1(9月21日)

ゲゲゲの女房は、月曜日から最終週に入った。
テーマは「ありがとう」。
安来地方の方言で「だんだん」?

サラリーマンなら定年を迎える年齢に達した水木しげるは相変わらず年中無休で頑張っている。
それも布美枝の地味な支えがあったからこそ。

布美枝は実家に3日程いた。
兄嫁・飯田邦子(桂亜沙美)が家事と両親の世話をやってくれている。
布美枝は源兵衛に追い返されるようにして調布の自宅に戻ってきた。
「一家の主婦が軽々しく家を開けたらいかん」。
父も娘も心のどこかでこれが最後になるかもしれないと思っていた。
次はない・・・。

娘は自分を見守ってくれた父への感謝を噛み締めながら、いとまを告げた。
父は不自由な体を押して仏壇の前に行き、娘の幸福を願って手を合わせた。
親子の絆は何と強いのだろう。

翌春、雄玄社(講談社)の編集者・北村(加治将樹)が数年振りに水木プロダクションを訪ねてきた。
文芸誌の編集部から漫画の現場に復帰し、編集長に就任することになったのだ。

◆書き加え2(9月22日)

北村が水木しげるに切り出したのは、月刊誌に加えて週刊誌での連載だった(うろ覚え)。
また、締め切り地獄に…。
現有戦力では仕事を回していけず、アシスタントの補強が急務である。

そんな折、菅井伸は新人賞に応募した作品(漫画)が入選した。
20年に及ぶ地道なアシスタント経験が報われ、ついに独立…。
しかし、水木プロダクションに留まり、一生点々を打ちつづけることを望んだ。
こうしたスタッフが人気漫画家の創作活動を支える。
菅井が去るものと覚悟を決めていた水木しげるは喜んだ。

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松下奈緒と向井理の魅力と伸び代、居場所

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
人気の朝ドラは今週で終了する。
国民に愛された松下奈緒(まつした・なお)と向井理(むかい・おさむ)が今後どのように成長していくのか、私は気になっている。
二人はとても素敵なコンビだった。
あくまで印象にすぎないが、肉食系女子と草食系男子。

実際、木曜日に放送されたNHK「スタジオパークからこんにちは」では、松下奈緒が率直な胸の内を明かした。
私には一瞬ためらったように見えた。
そうか、俳優は親密な夫婦を演じるなかで、それも役柄に徹するほど距離が縮まっていく。
ましてゲゲゲの女房は収録が10カ月に及んだ。
ドラマと現実の境が曖昧になる?

⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。

スタジオパークで、松下奈緒は視聴者の質問に、好きな食べ物は「ホルモン」「焼き肉」と即答していたっけ…。

                       ◇

ところで、「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」と題する2010年8月23日のブログに対し、丁寧なコメントが寄せられた。
以下に、原文を紹介しよう。
なお、ネーム(?)の掲載は控える。

「ゲゲゲの女房のブログを検索していてこちらにたどり着きました。このTV物語に和田様ご自身の歩んできた道をオーバーラップさせておられる記事に感動しております。
さてこの記事で少し残念だったのが、東京音大が偏差値39の、誰でも入れる大学なのか?と書いておられるところです。
芸術系の大学はどこも、英数国などの偏差値よりも実技ができるかどうかが入試の決め手です。彼らは実技に関しては、入試に向けて厳しい訓練を積みます。松下奈緒も相当ピアノの研鑽を積んだはずです。
東京音大のピアノ科は有名です。東京芸術大学に次ぐ大学の1つです。
模試の偏差値は受験者数が少なければ、あまりあてにはなりません。模試は、一般大学志望者が受けるものです。東京音大を受験する人で、模試を受ける人が少ないために、偏差値が低く出ているのではないかと思います。芸術系の大学を偏差値で判断する人はいないと思います…
音楽系の人たちは、実技のレベルに加えて、入学後につきたい教員がいるかどうかが大学決定に重要なようです。普通は入学前に、入学後につきたい先生がいるかどうか調べて、指導を受けて受験するそうです。そういう志望校の決め方は、一般大学では大学院レベルからですね。
僭越ながら、今回の記事が少し残念だったので、書き込みさせていただきました。けれど、このブログは楽しみに拝読しております。」。

以上。
真摯な意見だ。

私は、美術・音楽を問わず、芸術系の大学受験は実技を中心に、きわめて広い意味での実技試験だけにすべきだと考えている。
国語や英語の学力は判定しないのか?
大丈夫、設問や解答の仕方に工夫を施せば、それはかなり見極められる。
従来型の学科試験はいらない。
ブログの偏差値39うんぬんは、むろん松下奈緒への賞讃である。

このブログで再三述べているが、私は現在の学校教育、とくに受験勉強をまったく評価していない。
偏差値など糞食らえ!

私自身、MBAで学生(社会人)を指導し、幸いにも強い支持を得ている。
私の講義を選んでくれた学生に述べているのは、「私の授業は取るに足らない。私の授業を信じてならない。自分の頭で考えなさい」「私は頭が悪くて教えられない。皆さんは幸せ者だ。自分の頭で考えるしかない」。
これは、先頃刊行の共著『起業の教科書』(東洋経済新報社)にも記している。
起業の教科書 ―次世代リーダーに求められる資質とスキル私は講義で常識を述べているにすぎない。
が、学生から衝撃を受けたといった意味不明の反響が多く寄せられる。
ありがたい。
やはり同書で、MBAは取るに足らない、エリートは授業を受けるな、勉強をするな、本を読むなと記している。
あれ、これはMBAから出した本だった。
講師を首になるかもしれないぞ。

このブログは、おもに次世代が考える材料、そこまでいかないとすれば考えるきっかけを提示している。
その程度にすぎない。
私の講演もセミナーも同様。
これも繰り返し述べた。

また、先のブログの偏差値50うんぬんは、むろん己への失望である。
一つとして打ち込めなかった。
これも再三述べているが、半生を振り返って総括すれば、何もかも中途半端だった。
私は自分の成績が気に食わない。

なお、コメントが寄せられたのは、以下のブログ。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

以下に、「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」と題する2010年8月23日のブログを収める。
ただし、思い切って手を加えた。
言葉を大幅に補い、より踏み込んで記したつもり。

                      ◇◆◇

私は先日、NHK総合テレビ「第42回 思い出のメロディー」をつけっ放し。
何事も中途半端な私は、例により“ながら視聴”。
歌を聞きたかったわけでない。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でヒロイン・村井布美枝(武良布枝)を演じる松下奈緒を拝みたかった。
私はこの朝ドラの虜になっているのだ。
むろん、松下奈緒の虜にも…。

私と同年齢・三宅裕司との司会は堂々としていた。
昭和に活躍したベテラン歌手とのやり取りは気後れがない。

松下奈緒はロングドレスに包んだ全身からオーラを放っている。
ステージに大輪の花が咲いたみたいで、とても美しい。
モデル並み(モデルらしい)。
ゲストを食ってしまいそう。
実際、口が大きく開き、速く動く。
パクッ!
目と合わせ、彼女のチャームポイントだ。

ピアノのソロ演奏が素晴らしい。
坂本九の「見上げてごらん夜の星を(作詞:永六輔、作曲:いずみたく)」を弾いた。
忙しいはずなのに、いつ練習したのだろう。
その必要はないのか(ピアニストらしい)。

私は、25歳の松下奈緒の多彩な才能に圧倒された。
この子は大物である。
しかも、まだまだ伸び代を残していそう。
同時に、ますます謎が深まった。

そこで、ネットで少し調べてみた。
東京音楽大学卒業。
知らない名前だ。
うん? 入学試験の偏差値39点(駿台模試)?
競争率1.0倍?
だれでも入れる?

49点の間違いでないかと思ったが…。
39点は簡単に取れないぞ。
この数値に憧れを感じた。
私自身は50点以下を取った記憶がない(実際は不明)。

松下奈緒はいわゆる受験勉強をまったくしなかったのか。
それは極論すれば暗記である。
青春の浪費…。
彼女はそこに価値を見出せなかった。
ならば目もくれないという態度は異端だ。
たいていは受験勉強を我慢して続け、生気を抜き取られる。
入学時は老いている。
ゆえに、有利な会社に収まることくらいしか考えつかない。

松下奈緒は少なくとも高校時代まではやりたいことだけをやってきたのだろう。
もっとも不自由な時期をもっとも自由に楽しんだ。
確かに“自生”の趣が漂う。
天高くそびえた。
同番組で「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を披露した熊倉一雄は彼女を見上げていたぞ。

偏差値39点の大学出身者が世の中で目覚ましい活躍を遂げている。
いやー、痛快だ。
これで「中退」なら申し分なかった。
有名大学に入れば無難と考える時代はとうに終わっている。
松下奈緒の存在は学歴信奉を問題にしていないようで、小気味いい。

本人のオフィシャルウェブサイトがあった。
ブログもマメに更新していた。
が、多くの芸能人がそうであるように、内容はありきたり。
ファン商売の厳しさが伝わってくる。
ソッポを向かれたらお仕舞いなのだ。

また、ウィキペディアによれば、バスト86センチメートル(cm)。
公称サイズと断り書きが添えられており、本人が発表したものか?
私は、NHKの深夜番組で“谷間”への憧れは男よりも女のほうが強いと知って驚いた。
女性のタレントはスリーサイズの表記を半ば強制される。
微乳の人はつらかろう。
私はこの数値にムリを感じた。

人はだれしもコンプレックスを抱える。
とりわけ若い頃には屁みたいなことで思い悩んだりする。
が、それを克服したとき、深みや優しさが備わる。
松下奈緒は、例えば身長やバスト、成績などに引け目を持っていたかもしれない。
彼女が完璧なプロポーションを有した東京芸術大学卒業のエリートだったら、ここまでの成功は収められなかったようにも思う。
現代的で快活な松下奈緒に、ふと古風な恥じらいを見つけることがある。
ときどき覗くコンプレックスは彼女の美しさを際立たせる。

ゲゲゲの女房で水木しげる(村井茂。武良茂)を演じる向井理についても当てはまりそうだ。
明治大学農学部生命科学科卒業。
遺伝子工学を専攻し、第29回国際動物遺伝学会議のベストポスターアワード賞を受賞した。
在学中からバーテンダー、卒業後は店長をやったらしい。
彼はかならずしも目指した道を歩めなかったのかもしれない。

28歳。
こちらは飄々としていて、つかみどころがない。
ゲゲゲの女房では、それほど演技を感じさせない。
考え抜いた結果なのか、素なのか。
役づくりへの貪欲さが表に現れない。
わりと頻繁にオーケーストア(?)の清浄綿を用い、ギラギラした情熱を拭き取っているのか。
顔にアブラが浮かばない。

松下奈緒も向井理も、私たちが描きがちな女優や男優のイメージからどこか外れている。
役者経験の浅さが関係するにせよ、プロに徹し切れない魅力は新鮮に映る。
二人はこう生きなくてはならないとか、こう働かなくてはならないとかいった息苦しさと縁がない。
彼らは大人になる過程で、世渡りのための固定観念を刷り込まれなかった?
保身や損得の感情が身についていないように思う。
どうかユルユルで羽ばたきつづけてほしい。

私は、二人が長く俳優を続けるかどうか皆目分からない。
己に対する思い込みもなければ、決め付けもない。
案外早く違った居場所を見つける可能性がある。

二人は決して感謝を忘れない。
タレントはファンに支えられているから当然だろう。
しかし、それはそれ…。
所詮、自分の人生、だれも責任を取ってくれない。
わがままの気持ちよさを貫くことだ。

                      ◇◆◇

人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。

⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。

⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。

⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。

⇒2010年9月8日「水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!」はこちら。

⇒2010年9月9日「水木プロダクション爆笑アシスタント募集広告」はこちら。

⇒2010年9月10日「調布・水木プロダクション社長…家族経営の幸せ」はこちら。

⇒2010年9月11日「鳥取境港と島根安来…ゲゲゲの女房観光ブーム」はこちら。

⇒2010年9月12日「水木しげる、フリーランスの恐怖…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年9月16日「村井藍子は教員、松下奈緒はスタジオパーク」はこちら。

⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。

⇒2010年9月18日「紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?」はこちら。

⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。

◆書き加え1(9月18日)

美しい松下奈緒を取りあげたブログ。

私は、「糞」と「屁」という言葉を使っていた。
いかん、いかん。
下品だから、嫌われるのだ。

Copyright (c)2010 by Sou Wada

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紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
放送は1週間後の25日に終了。
この朝ドラにのめり込んできたので、一気にさみしくなる。
自分の結婚後の歩みを再現してくれているようだった。

私は当時、フリーランス。
まずはその日の食べ物を手当てする、次いで最低の衣食住を叶える、そして人様の水準に追いつくことを目指した。
悩んだり苦しんだりする余裕がなかった。
家族の生活を支えられるかどうか…。
無我夢中だったせいか、この頃は「青春」という形容がしっくりする。
前妻は専業主婦だったこともあり、なるようにしかならないと達観していた。
どれだけ救われたか。

なぜだろう、私はこの時期のなかでも“極貧”のときの記憶がもっとも懐かしい。
また、心を癒される。
不思議・・・。

                       ◇

さて、「NHKウイークリーステラ」。
今週号は、まもなく放送が終了するゲゲゲの女房のヒロイン・村井布美枝を演じる松下奈緒が表紙を飾った。
大きな目に意志と知性が輝き、非常に美しい。
人は笑顔が似合うが、彼女はとくに…。
約10カ月にわたる撮影を振り返り、「ほんとうに幸せな時間だった」と語った。
幸せとは、無我夢中になれたという意味と、共演者などに助けられたという意味がありそうだ。

また、「ステラ特別企画 主演対談」が組まれた。
連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の松下奈緒と大河ドラマ「龍馬伝」の福山雅治である。
いずれもNHKの看板ドラマ番組。
二人は1年近くNHKに通いながら話す機会がなかった。
対談は、松下奈緒がクランクアップ直前、福山雅治が収録残りわずかの時点で行われた。
いま大人気の二人が近況とドラマ、音楽への思いを語った。

ところで、NHKの年末恒例歌謡番組「紅白歌合戦」の司会の人選が話題に上りはじめている。
現時点で取り沙汰されているのが、松下奈緒と福山雅治。

松下奈緒はすでにNHKの看板歌謡番組「思い出のメロディー」の司会を三宅裕司とともに経験した。
適性と実力を存分に証明してみせた。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

ゲゲゲの女房は、視聴率が初回は史上最低だったが、じりじりと上昇し、現在は20パーセント前後を記録することもある。
また、松下奈緒はゲゲゲの女房に関連し、NHKの「スタジオパークからこんにちは」や「あさイチ プレミアムトーク」など、さまざまな番組に出演している。
地上デジタル放送普及キャンペーンのための小品「いちごとせんべい」にも…
これはドラマ仕立て。
ゲゲゲの女房で水木しげる(村井茂)を演じる向井理と老舗の煎餅屋「ささき」の夫婦役。
NHKへの貢献度が抜群に高い。

松下奈緒は話が来れば引き受けるはずだ。
彼女はどん欲だし、大舞台で気後れしない。

福山雅治は龍馬伝のヒーロー・坂本龍馬(竜馬)を演じる。
私は芸能界に疎く、彼は歌手だと思っていた。
たまたま大河ドラマをちらっと見たときに、演技が達者なので驚いた。
役柄とはいえ、凄まじい気迫が画面から伝わってきた。
本職の俳優にまったく引けを取らない。
才能かなぁ…。

福山雅治は昨年、16年振りに紅白歌合戦に出場した。
もちろん歌手として。
野外中継ながら、この間の視聴率を跳ね上げた実績を持つ。
また、龍馬伝は高視聴率を記録している。
やはりNHKへの貢献度が高い。
歌手と司会を兼ねた先例はあるのか?

ステラでのヒロインとヒーローの対談は大晦日への伏線か。
今年の紅白歌合戦の司会者は、紅組が松下奈緒、白組が福山雅治で決まり?
話題性MAXのベストコンビだ。

それとも、白組が向井理で決まり?
こちらは朝ドラの夫婦なので、相性は文句なしだ。
ただし、戦(いくさ)の大将に分かれる。
3人とも長身。
だれに落ち着くか、NHKの正式発表が待ち遠しい。

私は何十年も紅白歌合戦を見ていない。
例外は、中島みゆきが富山・黒部のトンネルのなかで歌ったシーンくらいかなぁ。
いきものがかりは出場するか。
ゲゲゲの女房で半年近く聞きつづけた「ありがとう」。
私は吉岡聖恵が歌っているところを一度も見ていない。
舌足らずが愛らしさと親しみを増す。
朝ドラの主題歌は名曲である。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

紅白歌合戦を初めから終わりまで通して見ていたのは半世紀前、雪に埋もれた生まれ故郷の新潟県直江津市(現上越市)がおそらく最後…。
大晦日と元日、ミカンを盛ったカゴが掘り炬燵に載っかっていた。
手の平と顔が黄色く変色するくらい食べた。
贅沢…。

直江津小学校時代、この日だけは両親に夜更かしを許された。
紅組が勝つと母は喜び、父は悔しそう。
白組が勝つと父は喜び、母は悔しそう。
ボクチンは男の子(♂)。
そして番組が終わると、自宅の斜め向かいの真行寺(幼稚園)に除夜の鐘を突きに行った。

私は今年の紅白歌合戦が気になってきた。
楽しみ…。

                      ◇◆◇

人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。

⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。

⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。

⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。

⇒2010年9月8日「水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!」はこちら。

⇒2010年9月9日「水木プロダクション爆笑アシスタント募集広告」はこちら。

⇒2010年9月10日「調布・水木プロダクション社長…家族経営の幸せ」はこちら。

⇒2010年9月11日「鳥取境港と島根安来…ゲゲゲの女房観光ブーム」はこちら。

⇒2010年9月12日「水木しげる、フリーランスの恐怖…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年9月16日「村井藍子は教員、松下奈緒はスタジオパーク」はこちら。

⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。

◆書き加え1(9月16日)

私は、営業セミナー受講者の提案書の添削に追われ、へろへろの状態…。
一人ひとりの作品を丹念に読み込んだうえでコメントを添えるので、大変な時間がかかってしまう。
ほかに雑用をいっぱい抱える。
目が回る忙しさ…。

さて、先だって、私のユーチューブの動画が「著作権侵害」に該当するとして削除されていた。
仰天!
グーグルからの通知(メール)で知った。

「あなたの動画(土光敏夫 講演TV賢人編)が権利を侵害しているとの通報をNHKから受けたため、この動画がアクセス不能になったことをお知らせします。
注意:侵害行為を繰り返していると判断されたアカウントは、削除される場合があります。今後この侵害行為を避けるには、権利を所有していない動画をすべて削除してください。また、著作権を侵害する動画をアップロードしないでください。
詳しくは著作権に関するヒントをご覧ください。
この申し立てが誤っている、または当該コンテンツの使用許諾を得ているとお考えの場合は、異議申し立て通知を提出することもできます。
この手続きにより、著作権侵害に関して虚偽の申し立てや不誠実な申し立てを行った場合、国によっては法的に不利な結果になる可能性があります。」。

ご丁寧に警告文まで添えられており、これ以上行うと全動画が削除される?
かなり怖い文面である。

私は講師そして著者の端くれだ。
MBAで学生も指導している。
職業柄、著作権には細心の注意を払っているつもり。
これまで著作が「提案営業(ソリューション)研修」などのコンテンツに用いられ、心と頭を痛めてきたからだ。

今回対象となったのは、先のメールのとおり、私が講演を行っている「土光敏夫(講演TV賢人編)」の映像である。
クリックすると、「この動画は、NHKさんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました。」と表示される。
恥ずかしい、犯罪者になった気分。

私はむろん、著作権侵害だと自覚しているならアップしない。
どうしても思い当たらないのだ。
それ以前に、動画の内容はNHKやその番組と何の関係もないはずだ。

「和田創 講演TV 賢人に学ぶ 動画一覧」はこちら。

NHKのことだから、タイトルを検索するだけで中身も確認せずに申し立てを行っていると思えない。
例えば、「土光敏夫」「TV」。
グーグルについても申し立てを受けて機械的(自動的)に削除していると思えない。
う〜ん、腑に落ちないなぁ…。

どの個所が著作権侵害に該当するのか尋ねてみたいが、いったん受理(処理)されてしまうと、それをくつがえす手続きがわりと面倒なようだ(未確認)。
かなり先になるが、仕事が一段落したところで・・・。
当面、放っておくしかない。

自分が気づかずに著作権侵害をやってしまう可能性がないわけでない。
今後の参考のためにも問い合わせる。
その結果、私に非があったということが判明するかもしれない。
ごめんなさい。
やはり、どこかでNHKの権利を侵害しているのだろう。

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松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
「・・・好きでした」。
きのうの「スタジオパークからこんにちは」で、松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた。
どのような意味合いで口にするにせよ、勇気のいる言葉だ。
私は年甲斐もなく、ドキドキ…。

さて、村井絹代(イカル。竹下景子)は夫・村井修平(イトツ。風間杜夫)が一人取り残されても生活に困らないよう、料理など家事の特訓を行った。
自分が先立つと信じて疑わなかった。
が、自分が置いていかれた。

⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。

絹代は、水木しげる(村井茂)の母・飯田ミヤコ(古手川祐子)に、修平が生きているうちは文句ばかり言っていたと振り返った。
そして、夫がいなくなったさみしさは、子どもでも孫でも埋められないと涙をこぼした。
イカルの嵐みたいなエネルギーを受け止められたのは、どこか頼りないイトツゆえだ。
柳に風。

私は、前の妻も、いまの妻もそうだが、夫婦の“取り合わせ”は不思議だとつくづく思う。
それは連れ添った当人にしか分からない。

長女・村井藍子は家から通える小学校の3年生の学級担任になり、充実した日々を過ごしていた。
娘も父も大喜び。

⇒2010年9月16日「村井藍子は教員、松下奈緒はスタジオパーク」はこちら。

NHK番組「スタジオパークからこんにちは」に松下奈緒が出演した。
何度目?
高視聴率を誇るだけに、通路は大変な人だかり。
熱烈な拍手で迎えられた。

松下奈緒によれば、「ゲゲゲの女房」は8時に皆でオンエアを見てから撮影へ。
なるほど、すーっと入っていきやすい。
向井理とは、ドラマでの夫婦関係の深まりとともに親しみが増していった。
当初は、村井茂と村井布美枝が結婚に至った経緯を踏まえ、他人行儀な雰囲気が漂うよう、会話を交わすことも控えた。
二人の隔たりを大切にした。

松下奈緒は「向井さん」でなく「お父ちゃん」と呼んでいたらしい。
“収録期間”という断りがついたが、「向井さんが好きでした」。
そこまでドラマにのめり込んでいた。
また、子役を含め、ほんとうの家族のような“絆”が育まれていった。
さらに、夫婦を支えてくれた周囲の人たちとも…。
山本むつみのシナリオの魅力がそれくらい大きく、すべての出演者を虜にした。
元を辿れば、武良茂と武良布枝の半生が波乱万丈であり、しかもそれを乗り越えて漫画史上に立派な功績を残したからだ。
夫婦はどのような苦難に直面しても、決して勇気と誇りを失わなかった。

松下奈緒は視聴者の質問に答え、好きな男性のタイプも教えてくれた。
キャーッ。

なお、番組では「ゲゲゲの女房」の思い出の名場面がいくつか紹介された。
向井理も映像で出演し、松下奈緒が右腕を取った感触がいまだに残っていると明かした。
力がこもっていたのだ。
私がこの朝ドラでもっとも感動した例のシーン。
実は、向井理も感動していた。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

松下奈緒が村井布美枝と一体化し、しかも村井茂と本物の夫婦になった瞬間である。
夫を守ろうとする凄まじい気迫が伝わってきた。
交際なし、見合い直後の結婚から始まった二人だったが、互いの信頼と愛情は揺るぎないものへ…。

番組では、テーマソング(主題歌)「ありがとう」のピアノバージョンが披露された。
彼女は作曲家、ピアニストだ。
ちなみに、肩書は「女優・アーティスト」だった。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

                       ◇

「ゲゲゲの女房」が終わると、私は気が抜けてしまいそう。
毎日見られないが生活の張り、心の支えになってきた。
朝ドラに限らず、私が見たすべてのドラマのなかでもっとも印象に残っている。
私の半生の苦闘に通じるところが多く、胸に響いた。

大きな楽しみを失い、途方に暮れる人が大勢現れるのでなかろうか・・・。

◆書き加え1(9月17日)

株式会社水木プロダクションのマネジャー、村井光男(永岡佑)がくしゃみをした瞬間にぎっくり腰になった。
私は吹き出してしまった。

実は15年程前、深いソファーから立ちあがりかけた中腰の状態で大きなくしゃみをした。
直後、身動きがまったくできなくなった。
全身に激痛が走り、脂汗が流れた。
重いぎっくり腰だった。

記憶が曖昧になってきたが、1週間は寝たきり。
もちろんトイレに行けない。
また、手先にまで痛み(しびれ)が出た。
ハシを使えない。
パジャマのボタンをかけられない。
ホント、ひどかった。
確か、通常の生活に戻るのに半月近くを要した。

私は懐かしく(?)思い出した。

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調布・水木プロダクション社長…家族経営の幸せ

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
苦しいことが多くても、それを乗り越えていく夫婦と家族の絆、さらに周囲の人々との絆がリアルに描かれる。
向井理と松下奈緒は、偉大な漫画家・水木しげる(武良茂。村井茂)とその妻・武良布枝(村井布美枝)の半生を懸命に演じている。
ドラマが進行し、実年齢との隔たりが大きくなってきた。
役者の経験が浅い二人にとり、老け役は簡単でない。
私は、放送が残りわずかになり、さみしい。

                       ◇

さて、ウィキペディアの記載をもとに推測すると、調布市の「株式会社水木プロダクション」は身内で経営している。

旗揚げから長い間、水木しげる(武良茂)本人が代表取締役社長を務めていたと思われる(不確か)。
しかし、現在は長女の尚子(村井藍子)が社長に就いている。
また、次女の悦子(村井喜子)は社員である。
父の血を引いたのか、著書『お父ちゃんと私−父・水木しげるとのゲゲゲな日常』を刊行している。
実の弟・武良幸夫(村井光男)はゼネラルマネジャーである。
朝ドラでも水木プロダクションの事務のほか、水木しげるの秘書に近い役割を担っている。
漫画など仕事(注文)の受け付け、そしてスケジュールの管理など。
実の兄・武良宗平(村井雄一)の娘夫婦は、鳥取県境港市の水木プロダクション中国支部を任されている。
ここは、水木しげるが育ったふるさとだ(生まれは大阪)。
ゲゲゲの女房の追い風も受け、漫画家にして妖怪研究家・水木しげるをテーマもしくはモチーフにして町おこしを図っている。

株式会社水木プロダクションは、文字どおりの「家族経営」である。
いまはおそらく著作権などの管理を主体としている。
いまだに漫画のアシスタントを置いているのだろうか?

それにしても水木しげるは膨大な作品を残している。
怠け者の私は、その量に圧倒される。
アシスタントを雇い、分業制を敷いたとしても、自らが壮絶な努力を積み重ねなくては絶対に不可能!
水木しげるは右利きだから、左腕を失ったのはそれほど影響がないような気がする。
が、仕事の効率は非常に悪くなるはずだ。
作家でない私でさえデスクワークで何かと左手を使っている。
また、貸本漫画家時代から1966年に「講談社児童漫画賞」を受賞して“売れっ子”になるまで一人でほとんど描いていた。
この年に株式会社水木プロダクションを設立した。

身内にどうやら漫画家はいないようだ。
とすると、全員が水木しげるの“実績”を土台に食べていることになる。
いやぁ、凄いっ!

売れる前の食べるものにも困る貧しさ、売れた後の支出の急増、中だるみ期の仕事がない状態…。
半生は苦難の連続だった。
が、朝ドラの原案となった武良布枝の自伝『ゲゲゲの女房』は副題が「人生は……終わりよければ、すべてよし!!」である。
2008年3月の刊行(実業之日本社)。
素晴らしい晩年を迎えられた。

長女が社長、次女が社員…。
職場で大勢の家族に囲まれる。
水木しげるは人生最高の幸せと喜びを噛み締めていることだろう。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。

⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。

⇒2010年9月8日「水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!」はこちら。

⇒2010年9月9日「水木プロダクション爆笑アシスタント募集広告」はこちら。

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水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(武良茂。向井理)が極端なスランプに陥ったのは、1980年代の初頭らしい。
ウィキペディアに、妻・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)が外で働くと切り出すほどのピンチだったと記されている。
それは、戦後の高度成長の「最後の十年」の始まり。
世の中、あらゆる面で合理性が追求されていた。
水木しげるにとり逆風になったのかもしれない。
主因は第1にブームの反動、第2に作品のマンネリと思われるが、鬼太郎人気、妖怪人気が急速にしぼんだ。

さて、月曜日の放送は、1984年(昭和59年)4月。
水木しげるの父・村井修平(風間杜夫)は急に衰えた。
元気がなく、頭もいくらかボケた。
死への親近感を口にしはじめた。
もう十分に生きたというように…。
人はそろそろ休みたくなる。
母・村井絹代(竹下景子)も交番に保護され、布美枝が引き受けた。
親はかなりの高齢である。

私は2000年頃、富山・滑川に暮らす両親を横浜・港北ニュータウンに呼び寄せた。
実際の面倒は妻が見てくれた。
あるとき、父が小学校に保護されているという連絡が警察から入った。
かなりの距離だ。
迷いながら歩いているうちに、自宅からどんどん遠ざかったのだろう。
妻が迎えに行くと、校長室のソファーで普段どおり茶を飲んでいたという。
プライドの強い父なので、内心恥じたはず。
地理に不案内ということもあるが、やはりボケが進んでいたのだ。
私は、この事件(?)を思い出した。

1922年3月生まれの武良茂は62歳に、1932年1月生まれの武良布枝は52歳に達している。
朝ドラでは、向井理も松下奈緒もメイクが若すぎる印象を受ける。
ムリに年を取らせると、かえって違和感が大きくなるからか…。

水木しげるは妖怪事典が世に出て、仕事の注文が戻りつつあった。
再び手応えを感じていた。
暇なときに一点ずつ描いた渾身の「妖怪画」は、漫画というよりイラスト。
村井布美枝によれば、怖くなる出来栄えだった。
点々のアシスタント・菅井伸(柄本佑)が異様に張り切ったのでないか。

妖怪は、実在しない。
大勢に印象づけるには「妖怪」をシンプルに描きたい。
が、それにリアリティを与えるには「背景」を精緻に描きたい。
点々は、妖怪漫画(イラスト)の第一人者、水木しげるに不可欠の描画要素である。
アシスタント、万歳!

                       ◇

このブログは原則として、ゆとりのあるときに書き溜めた原稿を数日から1カ月ほどのスケジュールに落とし込み、マネジャー(秘書)にアップしてもらっている。

そこに、外出時や出張時、移動中の空き時間に記したブログがはさみ込まれる。

「ゲゲゲの女房」に関するブログに限らないが、時間の流れが前後したり入り組んだりすることが頻繁に起こる。
ご容赦いただきたい。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

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⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。

◆書き加え1(9月7日)

村井絹代が交番に保護されたのは、迷子になったせいでなかった。
マナーの悪い若者を注意し、それでも言うことを聞かなかったので杖を振り回した。
心臓が悪かったはずだが、元気一杯である。

水木しげるは妻に対し、長女・藍子が大学を卒業したら会社(水木プロダクション)を手伝わせたいと語った。
わりと早くからそうした考えを温めていたのか。

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水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
先週土曜日の放送だろうか、「漫画家魂」という言葉が飛び出した。
水木しげる(武良茂。村井茂。向井理)を尊敬している、かつての少女漫画家の卵・河合はるこ(南明奈)が使った(不確か)。
私にも少し分かる。
作家は厳しい仕事であり、それに本気で打ち込むなかでおのずと身につく。

「石の上にも三年」という諺(ことわざ)がある。
しかし、私自身の職業人生を振り返り、年数が短すぎるように思う。
達人なら、一ケタ違うと言うかもしれない。
仕事を究めるとは、その職業ならではのスピリットをつかむことだ。
水木しげるは漫画家魂を置き忘れていたことに気づかされた。

                       ◇

水木しげるは、教員(先生)になった河合はるこから子どもたちに話をしてほしいと持ちかけられ、迷った末に引き受けた。
そして、小学生と遠足へ出かけた。
そこで、自身は「小豆洗い(あずきあらい)」と出会い、会話を交わした。
小豆洗いは「おれたちを描いてくれ」と仕事を発注した。
このままでは妖怪の存在が消えてしまうと、水木しげるに訴えたのだ。
ただし、報酬は払ってくれない。
長くて暗いスランプのトンネルをくぐり抜けた瞬間である。

水木しげるは仕事でなく、自らの使命として、これまで世話になってきた妖怪を一点一点精魂込めて描く決意を固めた。
ライフワークになりそうだ。
出版を引き受けるところがあるかどうか分からない。

マネジャーの村井光男(永岡佑)が、経営の非常事態に注文以外の仕事をやっていられないと案じた。
「何を言っている。こんなときだから、やるのだ…」。

幸い、暇なときは仕込みができる。
いや、暇なときしか仕込みができない。
フリーランスに限らず、ピンチはチャンスである。
松下幸之助は、「好況よし、不況さらによし」と語った。
不況期には、好況期にやれないことが可能になると…。
そのとおりだ。

これが後に『水木しげるの妖怪事典 正・続』『水木しげるの世界妖怪事典』などとして刊行され、仕事の幅をおおいに広げることになった。
そして、水木しげるは「妖怪研究家(者)」としての地位と名声を確立した。

また、創作への意欲が湧いてきたのか、貧乏時代を綴る決意も固めた。
だいぶ前に出版社から依頼が来ており、それを保留していたのだった。
昭和の歴史を生きてきた数奇な人生が知られ、再びブームを巻き起こすきっかけになった。

                      ◇◆◇

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水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
先週木曜日、金曜日の放送は感動的だった。
スランプに陥った水木しげるを、皆が気遣った。
以下に多くの台詞を引用したが、記憶が曖昧だ。
また、概して台詞が長く、その一部しか記していない。

水木しげる(村井茂。向井理)は暇を持て余している。
それが、母・村井絹代(竹下景子)に知れた。
同居だから当然といえ、親は子どもがいくつになっても気になる。
母は、村井布美枝(松下奈緒)に「苦しいのは走るのを急にやめたとき。がっくりせんように…」と、言葉を託した。
これまでは息子の分だけだったが、二人に精をつけなさいとうなぎを買ってきた。
しかも、差し入れ(自己負担)。
父・村井修平(風間杜夫)も布美枝に「まだ先は長いけん、ここらで一休みしたほうがいい。養生が大事だ…」と…。

妖怪の絵を描くこともある次女・村井喜子は、大好きな父に「妖怪が住めない世の中は、人間だって住みにくいよね…」。
後日、布美枝も夫に「河童が住めない世の中は、人間だって住みにくい…」。
さらに、喜子は中学校の修学旅行で「目々連」を見た話をした。
これは落ち込む父を喜ばすための“作り話”だったのか?

水木家に不遇時代から作品を高く買っていた戌井慎二(梶原善)が訪ねてきた。
水木しげるの理解者であるとともに、その作品を世間に知らしめたくて零細出版社を立ち上げるほどのファンである。
戌井は大失敗を幾度か味わいながらも妻の資金協力を得て、貸本漫画家時代の水木作品を復刻したいと申し入れた。
しかし、水木しげるは「ゲゲゲの鬼太郎」は人気がなくなり、自分の名前では売れないと答えた。
戌井は、「率直に言って、最近の作品は物足らない。でも、水木さんがこのまま終わるわけがない。本物は消えない。スランプなら、存分に苦しんでください。突破口は開けます…」。

戌井の渾身の忠告と激励に、水木しげるは目が覚めた。
そして、売れている間に見失ってしまった何かを懸命に探しはじめた。
スランプ脱出、復活へのノロシである。

梶原善は、その名が示すとおり、人のよさ、真っ直ぐな気持ちが伝わってくる。
戌井慎二の役柄を見事に演じている。
穏やかな性格だが、こと漫画に関しては愚直なだけでなく熱血漢である。

                       ◇

私の両親は、私の仕事が忙しいと健康(体)を案じ、暇だと生活(収入)を案じた。
私がフリーランスの職人であり、昼も夜もなく、収入の保障もなかったからだ。
40歳以前のマーケティングプランナー、40歳以後の営業講師は、どのような体制で仕事(注文)をこなそうと、本質的に“個人商売”“先生商売”である。
会社勤めの両親には到底理解できない職業、そして働きぶりだった。
心配ばかりしていた。

                      ◇◆◇

人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。

⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。

⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

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水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(武良茂。向井理)は半世紀近く東京都調布市に暮らしている。
そして、仕事を続けてきた。

2008年3月、ついに「調布市名誉市民」の称号を贈られた。
文化の興隆と市の発展に寄与した功績が認められたのだ。
朝ドラでは一時期、水木しげるは「悪書追放運動」により苦しめられた。
大勢が振りかざす「社会正義」はしばしば危うい。

水木しげるは、その漫画作品とともに調布市の名物になっている。
とりわけ、もっともポピュラーな「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターたち…。

                       ◇

かつて株式会社水木プロダクションは自宅にあった。
朝ドラでも大きな看板がかけられている。
いまは京王線調布駅徒歩3分程の場所へ移っている。
TBSテレビ「ぴったんこカン・カン」で放送された建物内の通路の印象ではオフィスビルであり、ドアの印象ではマンションである。
どちらだろう?
いずれにしろ、高名な漫画家の仕事場というより事務所といった性格でなかろうか…。

また、自宅は場所が変わっていない。
水木しげるは家の増改築が趣味だったようだ。
ウィキペディアによれば、気が向くままに手を加えた結果、トイレ5カ所、浴室3カ所、階段5カ所の2階建て、一部3階建てになったと記されている(現在は不明)。
朝ドラでも村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)が「迷路みたい…」と、来客に申し訳なさそうだった。
家のなかで迷子になるとは、いかにも妖怪漫画の第一人者にふさわしい。
ユーモラスだ。

2階は現在、本人が数十年かけて収集してきた世界各国の精霊の彫像、民芸品などの展示室になっているようだ。
売れない時代にも漫画を描く資料としてスクラップを行っていた。

                       ◇

調布市には、ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターがボディに描かれた「鬼太郎バス」が運行されている。
また、調布駅北口の天神通り商店街には、ゲゲゲの鬼太郎など妖怪のオブジェが並ぶ。
さらに、「ぴったんこカン・カン」でも紹介された深大寺。
水木しげると武良布枝が最初のデートで訪れた思い出の場所である。
むろん、結婚後のこと。
その門前に「鬼太郎茶屋」が営業している。
私が前妻と初デートを楽しんだのも深大寺。
ただし、うっそうとした森(林)へ。

私は調布の鬼太郎の名所に出かけてみたい。
せっかくなので、とびきりうまい「深大寺そば」を食べたい。

ゲゲゲの女房の放送が始まり、視聴率が伸びるにつれ、水木しげる夫妻は街を歩いていて周囲から声をかけられることが多くなった。
調布市民から大変な人気を得ている。
高齢なだけに、戸惑いもあろう。

長年にわたる血の滲むような努力が、地元はもとより世間から認められた。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

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水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
妻が、今晩のTBSテレビ「ぴったんこカン・カン」はこれに関連する内容だと教えてくれた。
そこで、私は仕事に追われながら、ときどき横目で画面を見た。

前回は、安住紳一郎と石塚英彦が調布市の水木プロダクションを訪れ、水木しげる夫妻と対面した。
自宅でなくマンションの一室だった。
また、ゲゲゲの女房で水木しげる(村井茂。武良茂)を演じる向井理があき竹城と新垣結衣、安住紳一郎にプロ並みの手料理を振る舞った。

今回は、「清水ミチコと行く 水木夫婦ゆかりの地巡り」。
冒頭に前回放送されなかった水木プロダクションでの収録分が紹介された。
私は、水木しげるが「80点主義」ということを知り、共感と親近感を覚えた。
ちなみに、私は何事も「70点」を理想とし、頑張ってきた。
人生にこれで満点ということはない。

次いで、清水ミチコが安住紳一郎と水木しげるのふるさと・境港、そして武良布枝のふるさと・安来を訪ねた。
どちらもゲゲゲの女房が大ヒットしたおかげで、観光客が劇的に増えた。
あちこちが土産物屋に早変わりしている。

私は日本海に面した新潟県直江津市(現上越市)に生まれた。
差別につながるからか、「裏日本」という表現が用いられなくなった。
私自身はこの呼称が気に入っていた。
裏日本の街の雰囲気が境港と安来から漂い、心が落ち着くとともに懐かしさが込み上げてきた。

安住紳一郎はTBSのアナウンサーだが、タレント並みの実力と魅力を備えている。
お笑い芸人などにまったく引けを取らない。
ゲストというより、彼の力で「ぴったんこカン・カン」を引っ張っている。
最近、明治大学出身者の活躍が目立ち、私は嬉しい。
向井理もそう。

                       ◇

松下奈緒は「ゲゲゲの女房」の撮影完了後、村井布美枝(武良布枝)の実家がある安来を訪れた。
当の飯塚家はもとより、地元の人々から熱烈な歓迎を受けた。
そして、その様子がNHKテレビ「あさイチ」の「プレミアムトーク」で放送された。

以下に、「松下奈緒『ゲゲゲの女房』撮影秘話…あさイチ」と題する2010年8月28日のブログを収める。

                      ◇◆◇

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
私は最近幾度か見られず、ストーリーが分からなくなってしまった。
村井布美枝は、仲がとくによかった弟(飯田貴司)を亡くしたようだ。
最期に間に合わなかった。
安来の実家から調布の自宅に帰り、独り号泣した。
村井茂(水木しげる)は締め切りを抱え、葬儀に出られなかった。

私はプロ講師になったとき、富山で暮らす両親に対して死に目に会えないと告げた。
満更でもない様子で、黙ってうなずいた。
いつも応援してくれた。

私は新聞社や雑誌社が主催する講演やセミナーをずいぶんと引き受けた。
富山は読売新聞の中興の祖、正力松太郎(大正力)の出身地である。
両親は同紙に掲載された「読売経営セミナー」の告知記事を切り抜いていた。
私の顔写真入り。
近所や知人に見せて回ったらしい。
いくらか親孝行ができた。

ネットのNHK番組表(金曜日)に、当日の“おすすめ”としてゲゲゲの女房のあらすじが載っていた。
弟の葬儀が終わり、布美枝は両親や兄夫婦ら家族と別れを惜しみつつ実家から自宅に戻る。
傷心の布美枝を夫や子ども、義理の両親がやさしく気遣う。
弟が手入れしてくれたミシンを見たら、布美枝はこの世を去った弟に対する思いが込みあげる。

号泣のシーンは、これか?

                       ◇

きのうの朝ドラに続き、松下奈緒が「あさイチ」の「プレミアムトーク」に出演した。
10カ月に及ぶ撮影を無事に終えたせいか、ほっとした表情が浮かぶ。
緊張の連続であり、直後は虚脱感に襲われたはずだ。
1週間経ったいまも喪失感を引きずっているだろう。
就寝前など、さみしさを噛み締めているのでないか。

冒頭は、ゲゲゲの女房の撮影秘話というか裏話。
松下奈緒は、存命のヒロイン(武良布枝)を演じる際のプレッシャーと苦悩を語った。
不安だらけ…。
何とか覚悟が決まり、撮影が始まる。
すると、自分が村井布美枝にどんどん同化していった。

私がゲゲゲの女房でこれまでにもっとも感動したシーンが、松下奈緒にとり村井布美枝と一体になれたと感じたときだった。
父(大杉漣)に対し、夫(向井理)をかばった、あの場面。
もちろん台詞(せりふ)なのだが、自分の心の底から出た言葉だった。
その際に夫の腕を取ったのは、演技でなく無意識だった。
松下奈緒も驚く自分の変化だった。
妻になり切っていた。
朝ドラの大仕事を乗り切れそうという手応えをつかんだのでないか…。

松下奈緒はゲゲゲの女房のクランクアップの2日後、島根県安来市へ向かった。
村井布美枝(武良布枝)の実家がある。
大塚町の飯塚家。
5代にわたり酒屋を営んでいる。
布枝の兄家族から温かく招き入れられた。
大役の苦労をねぎらわれ、演技の素晴らしさをほめられ、松下奈緒は感無量…。

また、近所の住人が大勢集まり、大きな拍手を送った。
子どもたちも…。
松下奈緒は地元に帰った気分を味わえた。
「第二のふるさと」である。

なお、3歳から続けてきたピアノ演奏をスタジオで披露した。
様になっている。
私は楽曲の名前と説明を聞き逃した。
武良布枝のイメージを表現した?
だとしたら、自ら作曲した?

                       ◇

このブログでずいぶん前に述べたが、大物の予感はそのとおりになった。
本人が努力を積んだのは間違いないが、私は天賦の才能を感じる。

松下奈緒はそこにいるだけで聡明さがあふれ、それが天然ゆえに周囲を一層明るくする。
大輪の花がぱっと咲いたかのよう…。
ドキドキするほど美しい。

私は今後の活躍が楽しみなのだが、それ以上にゲゲゲの女房が終了することがさみしい。

                      ◇◆◇

松下奈緒と「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

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水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)は漫画の注文がぱったりと途絶えた。
仕事がなければ、こうした会社はつぶれる。

水木しげる(村井茂。武良茂)はずっとアクセルを吹かして職業人生を突っ走ってきた。
食べるのがやっとだったから、仕事漬けの状態。
したがって、人生そのものを突っ走ってきたことになる。

長年の蓄積疲労が噴出したのか、これまで打ち込んできた「妖怪漫画」に価値を見出せなくなった。
それは自分の存在を完全に否定することだ。

水木しげるに大きな異変が起こっていた。
顔から、全身から生気がすっかり失せた。

大変なときは数え切れないほどあったが、つねに前向きに頑張ってきた夫、父…。
それは、家族が一度も見たことのない姿だった。
村井布美枝(武良布枝)はもとより、藍子も喜子も激しいショックを受けた。
「おとうさん、変」。

中学3年生の喜子は勉強が嫌いだから高校に進学しないと言い出した。
皆が家計を心配していた。
水木家に“貧乏神”が戻ってきた。
今度は水木プロダクションまで巻き込む。

布美枝は何もできなくてつらいと、娘たちにつぶやいた。
夫が困っているというのに…。

稼げるのは水木しげる以外にだれもいない。
「先生商売」とはそうしたものだ。
結局、先生がすべて。

私は、意気消沈した松下奈緒と向井理を初めて見た。
夫婦はどんなときにも元気だけは失わなかった。
私がドラマにのめり込んでいるせいか、違和感を持った。
二人に笑顔を取り戻してほしい。

なお、久し振りにアシスタントが登場した。
水木プロダクションの創設時からいる3人のうちの1人「点々」を含め、2人が残っていた。
毎日が仕事場の資料整理である。

私は思い出した。
リーマンショック後に「提案営業研修」に伺った製造業(メーカー)では、毎日が工場の清掃だった。
建物の内外、ガラス、生産ライン、どこも十分にピカピカである。
従業員の不安そうな表情を忘れられない。

                       ◇

息子と同居したいと一方的に押しかけてきたとはいえ、水木しげるは両親がいる。
事務員兼マネジャーの実弟もいる。
重圧が両肩にのしかかっていた。
といっても、左腕が付け根からない。

水木しげるはぎりぎりの精神状態に追い込まれていた。
それを助けられない布美枝はもっと苦しんでいた。
信じるしかない、祈るしかない…。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。
絶頂からどん底へ急降下!

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

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⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

◆書き加え1(9月1日)

水木しげると次元はまったく違うが、私も先生商売である。
ただし、稼げるのは私以外にいないという点は、完全に一致する。
妻は、私が困っても何もできなくて、さぞかしつらかろう。
私に頼るしかない。

水木しげるは「仕事のことに口を出すな」の一点張りだった。
だから、布美枝はまだ救われた。

しかし、私は自分の仕事に対していろいろ言ってほしいし、少しでも手伝ってほしいと考えるほうだ。
とくに知恵を求めている。

そして、それを妻はよく分かっている。
が、私の期待に応えることができない。

そこに妻は苦悩と負い目を感じている。
自分がそれ以外でいかに頑張っているか、私にアピールしたがる。

私は、妻がさぼっていると思ったことは一度もない。
とても感謝している。

私の仕事をいくらか助けてもらいたいと願うのは、ムリな注文なのだろうか?

◆書き加え2(9月1日)

わが家は最多で8人家族だった。
私が両親を呼び寄せた。
さらに、アメリカンショートヘアが5匹。
2000年前後のこと。

ほかに、株式会社和田創研、NPO法人営業実践大学。

当時は講師が私一人であり、すべてを支えたことになる。
どこからそんなエネルギーが湧き出たのか、いまとなっては不思議である。

私は老いた…。

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水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
ドラマの進行につれ、松下奈緒と向井理はいくらか老けた。
メイクが変わった。
二人は声色や表情、姿勢など、演技も変えようとしているが、どこかしっくりしない。
それとも以前のイメージが私に焼き付いているからか…。

さて、水木しげる(武良茂。村井茂)は連載が途絶えた。
読み切りも…。
仕事がなく、手帳はブランク(空欄)のまま…。
徹夜地獄から解放されたと喜んだら、暇地獄に転落した。

フリーランスにとりスケジュールが埋まらないことは、飯が食えなくなることを意味する。
水木プロダクション(調布市。武良茂社長)は経営の非常事態に直面していた。
こうしたプロダクションは、作家(漫画家)個人の人気が業績そして資金繰りに直結する。

読者も視聴者も「妖怪」に飽きてしまった。
もともと実在しない。
熱烈なブームが去ったのだ。

作家と作品が一時的な流行、とくに「社会現象」になると厄介である。
本人にすればコンスタントに売れるのが何より。
人気商売は、人気が爆発すると長続きしにくい。
例外は天才や超人とされる一握りの作家だろう。

加えて、水木しげるは“大スランプ”に陥っていた。
はやりの終焉と作品の低迷はどちらが先というより、両方が絡み合っている。
自信を喪失し、本人が妖怪の存在を疑いはじめた。
実は、売れない頃から漫画を発注し、水木しげるを応援していた人たちは、最近の作品に微妙な変化を感じ取っていた。
どこか違う、何か足りないと…。
彼らは温かく厳しい。

水木しげるは講談社の「少年マガジン」でのデビュー以降、膨大な注文を抱えて締め切りに追い立てられた。
アウトプットだけだと、創造の泉は枯れる。

創造というと、頭や心のなかでつくり出す行為を思い浮かべるかもしれない。
確かにそうなのだが、それを支えるのがインプットである。
これがやせ細ると、作品は質も量も落ちていく。

                       ◇

私は昔、フリーランスのプランナーだった。
「クリエイター」を名乗るほどのことはないが、それでもインプットを重視していた。
納期と連日戦いながらも、新聞や雑誌の記事に触れた。
読む時間は保てなかったが、見ることは怠らなかった。
それしきのことで段違いだ。
当時、定期購読の新聞や雑誌は30種類を下らなかった。
硬いビジネス系から、やわらかいファッション・トレンド系まで多岐にわたった。

私は40歳以降、講師の道を目指した。
1995年2月から異業種交流勉強会「営業実践大学(途中、NPO法人化)」を主宰した。
毎月トップセールスマンなどをゲストに招き、じかに生のノウハウや事例を学んだ(公開講座は2010年9月に終了)。
多大な持ち出しに耐えて続けてきたのは、インプットを重視したためだ。
講師はアウトプットだけになったらお仕舞いと肝に銘じていた。
むろん、最良のインプットは「営業活動」である。
ゆえに、私は講師として多忙になってからも、それに携わってきた。

                       ◇

水木しげるは、これまでの貯えがいくらかあったようだ。
何カ月かはそれで持ち堪えるとして、その先が厳しい。
ドラマではこのところアシスタントが一人も出てこない。
給料を払えなくなった?

還暦前の私は「人生谷あり谷あり」と実感している。
妖怪漫画の第一人者とその妻・武良布枝(村井布美枝)にとっても、案外そうなのか。

以下は、「人生谷あり谷あり」を綴ったブログ。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

ちなみに、朝ドラの原案となった武良布枝の自伝『ゲゲゲの女房』は、副題が「人生は……終わりよければ、すべてよし!!」である。
水木夫妻は「人生は谷ばかり」と実感している?

                      ◇◆◇

人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。

⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。

⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

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水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
私があまり見られないうちに何年か経過していた。
長女・藍子(あいこ)は大学に進学し、二女(次女)・喜子(よしこ)は中学3年生になっていた。
かわいい子役二人が去った。
微妙な小学生(藍子)を演じた女の子は光った。

                       ◇

さて、株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)に異変が起こった。
あれほど殺到していた仕事がパタッと途絶えたのだ。
設立以来、最大の経営危機を迎えていた。
放っておけば倒産…。

アシスタント2名が去ったが、人員を補充する必要がなくなった。
しかし、水木しげる(村井茂。向井理)も妻(村井布美枝。松下奈緒)も、またすぐに忙しくなると思っていた。
切迫感がまるでない。

私は、彼らにしてそうした認識なのだと安心した。
人の子。
だれしも好調期には、それが当たり前になる。
好ましい状態が永久に続くと勘違いしやすい。

広い意味の作家は大変だなぁ。
歌手や俳優、タレント(芸能人)などはもっと。
華やかな人気商売ほど、生活が不安定だ。
彼らの大半は猛烈な嵐に幾度も見舞われる。
大衆は飽きやすく、すぐに関心や嗜好が移ろう。
それをつなぎとめるのは至難である。
また、当人もマンネリに陥りやすい。

私は人気商売でないので、仕事の極端な変動は経験していない。
なかでも急激な落ち込み。
水木しげるが感じたスランプとも無縁である。
それでも40歳までのプランナーもそれ以降の講師も本質的に個人商売であり、それなりに波があった。
潮の満ち引きのように、緩やかに仕事が増えたり減ったり…。

私は根が楽観的なせいか、3年も仕事が好調だと危機感を失ってしまう。
不調をきれいに忘れる。
人は、いいときにしか悪いときに備えられないというのに…。

水木家は再び「貧乏神」に取り付かれるのか?
二人の子どもはカネがかかる年頃だ。
夫婦がかつかつ食べていければいいというわけにいかない。
昔と異なり、身内を含めた社員も抱えている。
非常に大変だ。

水木家に“悪夢”がよみがえろうとしていた。

                      ◇◆◇

「人生山あり谷あり」に関するブログは以下のとおり。

私の半生の実感、「人生は谷ばかり」を綴った。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

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2010年9月公開講座

職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと

このブログを訪れてくれる大勢の読者に感謝する。
ありがとう。

今朝のブログ「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」の内容に関連して…。

私は60歳(来年)までの職業人生の集大成にしようと、本の執筆、そして自分商品の開発にちんたら取り組んでいる。
いくらかムチを入れているものの、ゴールはまだ見えてこない。
それは私そのものである。
満更でもない。

                       ◇

私たちは何事においても目標を持っていたい。
職業人生でも同じだ。
そして、そこに近づく努力を怠らない。
たいていは苦しい道のりである。
真面目な人ほどつらく感じるかもしれない。

あの人に耐えられることが、私には耐えられない。
あの人にやり遂げられることが、私にはやり遂げられない。
でも、他人をうらやまず、自分を責めない。
強さは、人それぞれ。

大切なのは、わずかでも目標に近づいていること。
それが遠すぎたら修正を施せばよい。
これを「いい加減」という。

人は人、私は私。

が、自己の客観視は容易でない。
だからこそ、ときどき歩みを止め、自分を冷静に見詰める時間をつくりたい。

とりわけ弱さ…。
情けない自分、愚かしい自分。
それらを受け入れることから、私は徐々に開けていく。
自分の職業人生をようやく歩み出せるのだ。

凡人が強くなれるのは、弱さを認めたときである。

やめよう、自分を人に大きく見せるのは…。
やめよう、自分を私に大きく見せるのは…。

人は皆その程度でしかない。
私とはいまの私である。
それ以上ではない。
それ以下ではない。

より大事なのは、職業人生における目標設定でなく現状認識である。
だれしも現状を足場にして目標へ向かうので、後者を無視した前者は実現しない。
まれな例外は、強い人。

ところで、人はストレスを感じないとき、もっとも危うい。
自分を守るセンサーが作動していない状態である。
心のなかを覗き込み、問い掛けよう。
「大丈夫かい?」。

                       ◇

私は、アメーバブログで「和田創 人生の寺子屋」を展開している。
ふと浮かんだ人生の感懐を、ポエム調の短文に託している。
更新はまれ。

以下に、「自分を無事に走らせよう。」と題する2010年8月17日のブログを収める。

自分は弱いと感じている方にお読みいただきたい。
また、自分は弱いと思いたくない方にお読みいただきたい。

                      ◇◆◇

アクセルとブレーキ、
そしてハンドルが備わるから、
クルマを無事に走らせられる。
人も同じ。

職業人生は平坦でない。
長いデコボコ道が続く。

安全かつ確実に進むには、
アクセルを吹かすことと同じくらい、
ブレーキを踏むことが大事である。
また、障害を避けたり進路を変えたりするために、
ハンドルを操ることも大事である。

アクセルを吹かしっ放しだと、
クルマの負荷が大きい。
オーバーヒートや故障が起こり、
時を失いかねない。

アクセルを吹かしっ放しだと、
クルマの制御が難しい。
衝突や転落が起こり、
命を痛めかねない。

職業人生は遠く険しい。
息が上がらぬよう、
景色を眺めるもよし、
道草を楽しむもよし。

アクセルを吹かしたままでは、
ブレーキもハンドルも効きにくい。

速度をコントロールしながら、
方向をコントロールしながら、
自分を無事に走らせよう。

                      ◇◆◇

弱い私に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年8月25日「人生の教科書『ゲゲゲの女房』…仕事・夫婦・家族」はこちら。

⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。

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2010年9月公開講座

松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問

私は土曜日夜、NHK総合テレビ「第42回 思い出のメロディー」をつけっ放し(例により、ながら視聴)。
歌を聞きたかったわけでなく、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でヒロイン・村井布美枝役を演じる松下奈緒(まつした・なお)を拝みたかった。
私はこの朝ドラの虜になっているのだ。
むろん、松下奈緒の虜にも…。

私と同年齢・三宅裕司との司会は堂々としていた。
昭和に活躍したベテラン歌手とのやり取りは気後れがない。

松下奈緒はロングドレスに包んだ全身からオーラを放っている。
ステージに大輪の花が咲いたみたいで、とても美しい。
モデル並み(モデルもやっているらしい)。
ゲストを食ってしまいそう。
実際、口が大きく開き、速く動く。
パクッ!
目と合わせ、チャームポイントだ。

ピアノのソロ演奏が素晴らしい。
坂本九の「見上げてごらん夜の星を(作詞:永六輔、作曲:いずみたく)」を弾いた。
忙しいはずなのに、いつ練習したのだろう。
その必要はないのか…。

私は、25歳の松下奈緒の多彩な才能に圧倒された。
彼女は大物である。
これからまだまだ成長していくとの予感がした。

そこで、ネットで少し調べてみた。
東京音楽大学卒業。
知らない名前だ。
うん? 入学試験の偏差値39点(駿台模試)?
競争率1.0倍?
だれでも入れる?

49点の間違いでないかと思ったが…。
39点は簡単に取れないぞ。
この数値に衝撃を感じた。
私自身は50点以下を取った記憶がない。

松下奈緒はいわゆる受験勉強をまったくしなかったのか。
とくに暗記。
少なくとも高校時代まではやりたいことだけをやってきたのか。
確かに自生の趣がある。
天高く伸びた。

偏差値39点の大学出身者が世の中で目覚ましい活躍を遂げている。
いやー、痛快だ。
これで中退なら申し分がなかった。
有名大学に入れば無難と考える時代はとうに終わっている。
松下奈緒は小気味いい。

本人のオフィシャルウェブサイトがあった。
ブログもそれなりに更新していた。
また、ウィキペディアによれば、バスト86センチメートル(cm)。
公称サイズと断り書きが添えられており、本人が発表したものか。
テレビ番組で“谷間”への憧れは男よりも女のほうが強いと知った。
女性のタレントはスリーサイズの表記を当然のように求められる。
微乳の人はつらかろう。
私はこの数値に疑問を感じた。

コンプレックスは、それを克服できたとき、人に深みと優しさを与える。
松下奈緒は例えば身長やバスト、成績などに引け目を持っていたかもしれない。
彼女が完璧なプロポーションを持った東京芸術大学卒業のエリートだったら、ここまでの成功は収められなかったように思う。
現代的で快活な松下奈緒にときどき古風な恥じらいを見つけることがある。

ゲゲゲの女房で水木しげる(村井茂)役を演じる向井理(むかい・おさむ)についても当てはまりそうだ。
明治大学農学部生命科学科卒業。
遺伝子工学を専攻し、第29回国際動物遺伝学会議のベストポスターアワード賞を受賞した。
在学中からバーテンダー、卒業後は店長をやったらしい。
彼はかならずしも目指した道を歩めなかったかもしれない。
28歳。
こちらは飄々としていて、つかみどころがない。
ゲゲゲの女房では、あまり演技を感じさせない。
考え抜いた結果なのか、素なのか。

松下奈緒も向井理も、私たちが描きがちな女優や男優のイメージからどこか外れている。
それが新鮮な魅力と映る。
自分にそれほどこだわっておらず、こう生きなくてはならないとか、こう働かなくてはならないとかいった息苦しさがない。
彼らは大人になる過程で、世渡りのための固定観念を刷り込まれなかったように思う。
どうかゆるゆるで羽ばたきつづけてほしい。

◆書き加え1(9月25日)

このブログに後日、読者から丁寧なコメントをいただいた。
それを受け、私はブログをアップした。
以下に、「松下奈緒と向井理の魅力と伸び代、居場所」と題する2010年9月20日のブログをそのまま収める。

                      ◇◆◇

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
人気の朝ドラは今週で終了する。
国民に愛された松下奈緒(まつした・なお)と向井理(むかい・おさむ)が今後どのように成長していくのか、私は気になっている。
二人はとても素敵なコンビだった。
あくまで印象にすぎないが、肉食系女子と草食系男子。

実際、木曜日に放送されたNHK「スタジオパークからこんにちは」では、松下奈緒が率直な胸の内を明かした。
私には一瞬ためらったように見えた。
そうか、俳優は親密な夫婦を演じるなかで、それも役柄に徹するほど距離が縮まっていく。
ましてゲゲゲの女房は収録が10カ月に及んだ。
ドラマと現実の境が曖昧になる?

⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。

スタジオパークで、松下奈緒は視聴者の質問に、好きな食べ物は「ホルモン」「焼き肉」と即答していたっけ…。

                       ◇

ところで、「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」と題する2010年8月23日のブログに対し、丁寧なコメントが寄せられた。
以下に、原文を紹介しよう。
なお、ネーム(?)の掲載は控える。

「ゲゲゲの女房のブログを検索していてこちらにたどり着きました。このTV物語に和田様ご自身の歩んできた道をオーバーラップさせておられる記事に感動しております。
さてこの記事で少し残念だったのが、東京音大が偏差値39の、誰でも入れる大学なのか?と書いておられるところです。
芸術系の大学はどこも、英数国などの偏差値よりも実技ができるかどうかが入試の決め手です。彼らは実技に関しては、入試に向けて厳しい訓練を積みます。松下奈緒も相当ピアノの研鑽を積んだはずです。
東京音大のピアノ科は有名です。東京芸術大学に次ぐ大学の1つです。
模試の偏差値は受験者数が少なければ、あまりあてにはなりません。模試は、一般大学志望者が受けるものです。東京音大を受験する人で、模試を受ける人が少ないために、偏差値が低く出ているのではないかと思います。芸術系の大学を偏差値で判断する人はいないと思います…
音楽系の人たちは、実技のレベルに加えて、入学後につきたい教員がいるかどうかが大学決定に重要なようです。普通は入学前に、入学後につきたい先生がいるかどうか調べて、指導を受けて受験するそうです。そういう志望校の決め方は、一般大学では大学院レベルからですね。
僭越ながら、今回の記事が少し残念だったので、書き込みさせていただきました。けれど、このブログは楽しみに拝読しております。」。

以上。
真摯な意見だ。

私は、美術・音楽を問わず、芸術系の大学受験は実技を中心に、きわめて広い意味での実技試験だけにすべきだと考えている。
国語や英語の学力は判定しないのか?
大丈夫、設問や解答の仕方に工夫を施せば、それはかなり見極められる。
従来型の学科試験はいらない。
ブログの偏差値39うんぬんは、むろん松下奈緒への賞讃である。

このブログで再三述べているが、私は現在の学校教育、とくに受験勉強をまったく評価していない。
偏差値など糞食らえ!

私自身、MBAで学生(社会人)を指導し、幸いにも強い支持を得ている。
私の講義を選んでくれた学生に述べているのは、「私の授業は取るに足らない。私の授業を信じてならない。自分の頭で考えなさい」「私は頭が悪くて教えられない。皆さんは幸せ者だ。自分の頭で考えるしかない」。
これは、先頃刊行の共著『起業の教科書』(東洋経済新報社)にも記している。
私は講義で常識を述べているにすぎない。
が、学生から衝撃を受けたといった意味不明の反響が多く寄せられる。
ありがたい。
やはり同書で、MBAは取るに足らない、エリートは授業を受けるな、勉強をするな、本を読むなと記している。
あれ、これはMBAから出した本だった。
講師を首になるかもしれないぞ。

このブログは、おもに次世代が考える材料、そこまでいかないとすれば考えるきっかけを提示している。
その程度にすぎない。
私の講演もセミナーも同様。
これも繰り返し述べた。

また、先のブログの偏差値50うんぬんは、むろん己への失望である。
一つとして打ち込めなかった。
これも再三述べているが、半生を振り返って総括すれば、何もかも中途半端だった。
私は自分の成績が気に食わない。

なお、コメントが寄せられたのは、以下のブログ。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

以下に、「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」と題する2010年8月23日のブログを収める。
ただし、思い切って手を加えた。
言葉を大幅に補い、より踏み込んで記したつもり。

                      ◇◆◇

私は先日、NHK総合テレビ「第42回 思い出のメロディー」をつけっ放し。
何事も中途半端な私は、例により“ながら視聴”。
歌を聞きたかったわけでない。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でヒロイン・村井布美枝(武良布枝)を演じる松下奈緒を拝みたかった。
私はこの朝ドラの虜になっているのだ。
むろん、松下奈緒の虜にも…。

私と同年齢・三宅裕司との司会は堂々としていた。
昭和に活躍したベテラン歌手とのやり取りは気後れがない。

松下奈緒はロングドレスに包んだ全身からオーラを放っている。
ステージに大輪の花が咲いたみたいで、とても美しい。
モデル並み(モデルらしい)。
ゲストを食ってしまいそう。
実際、口が大きく開き、速く動く。
パクッ!
目と合わせ、彼女のチャームポイントだ。

ピアノのソロ演奏が素晴らしい。
坂本九の「見上げてごらん夜の星を(作詞:永六輔、作曲:いずみたく)」を弾いた。
忙しいはずなのに、いつ練習したのだろう。
その必要はないのか(ピアニストらしい)。

私は、25歳の松下奈緒の多彩な才能に圧倒された。
この子は大物である。
しかも、まだまだ伸び代を残していそう。
同時に、ますます謎が深まった。

そこで、ネットで少し調べてみた。
東京音楽大学卒業。
知らない名前だ。
うん? 入学試験の偏差値39点(駿台模試)?
競争率1.0倍?
だれでも入れる?

49点の間違いでないかと思ったが…。
39点は簡単に取れないぞ。
この数値に憧れを感じた。
私自身は50点以下を取った記憶がない(実際は不明)。

松下奈緒はいわゆる受験勉強をまったくしなかったのか。
それは極論すれば暗記である。
青春の浪費…。
彼女はそこに価値を見出せなかった。
ならば目もくれないという態度は異端だ。
たいていは受験勉強を我慢して続け、生気を抜き取られる。
入学時は老いている。
ゆえに、有利な会社に収まることくらいしか考えつかない。

松下奈緒は少なくとも高校時代まではやりたいことだけをやってきたのだろう。
もっとも不自由な時期をもっとも自由に楽しんだ。
確かに“自生”の趣が漂う。
天高くそびえた。
同番組で「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を披露した熊倉一雄は彼女を見上げていたぞ。

偏差値39点の大学出身者が世の中で目覚ましい活躍を遂げている。
いやー、痛快だ。
これで「中退」なら申し分なかった。
有名大学に入れば無難と考える時代はとうに終わっている。
松下奈緒の存在は学歴信奉を問題にしていないようで、小気味いい。

本人のオフィシャルウェブサイトがあった。
ブログもマメに更新していた。
が、多くの芸能人がそうであるように、内容はありきたり。
ファン商売の厳しさが伝わってくる。
ソッポを向かれたらお仕舞いなのだ。

また、ウィキペディアによれば、バスト86センチメートル(cm)。
公称サイズと断り書きが添えられており、本人が発表したものか?
私は、NHKの深夜番組で“谷間”への憧れは男よりも女のほうが強いと知って驚いた。
女性のタレントはスリーサイズの表記を半ば強制される。
微乳の人はつらかろう。
私はこの数値にムリを感じた。

人はだれしもコンプレックスを抱える。
とりわけ若い頃には屁みたいなことで思い悩んだりする。
が、それを克服したとき、深みや優しさが備わる。
松下奈緒は、例えば身長やバスト、成績などに引け目を持っていたかもしれない。
彼女が完璧なプロポーションを有した東京芸術大学卒業のエリートだったら、ここまでの成功は収められなかったようにも思う。
現代的で快活な松下奈緒に、ふと古風な恥じらいを見つけることがある。
ときどき覗くコンプレックスは彼女の美しさを際立たせる。

ゲゲゲの女房で水木しげる(村井茂。武良茂)を演じる向井理についても当てはまりそうだ。
明治大学農学部生命科学科卒業。
遺伝子工学を専攻し、第29回国際動物遺伝学会議のベストポスターアワード賞を受賞した。
在学中からバーテンダー、卒業後は店長をやったらしい。
彼はかならずしも目指した道を歩めなかったのかもしれない。

28歳。
こちらは飄々としていて、つかみどころがない。
ゲゲゲの女房では、それほど演技を感じさせない。
考え抜いた結果なのか、素なのか。
役づくりへの貪欲さが表に現れない。
わりと頻繁にオーケーストア(?)の清浄綿を用い、ギラギラした情熱を拭き取っているのか。
顔にアブラが浮かばない。

松下奈緒も向井理も、私たちが描きがちな女優や男優のイメージからどこか外れている。
役者経験の浅さが関係するにせよ、プロに徹し切れない魅力は新鮮に映る。
二人はこう生きなくてはならないとか、こう働かなくてはならないとかいった息苦しさと縁がない。
彼らは大人になる過程で、世渡りのための固定観念を刷り込まれなかった?
保身や損得の感情が身についていないように思う。
どうかユルユルで羽ばたきつづけてほしい。

私は、二人が長く俳優を続けるかどうか皆目分からない。
己に対する思い込みもなければ、決め付けもない。
案外早く違った居場所を見つける可能性がある。

二人は決して感謝を忘れない。
タレントはファンに支えられているから当然だろう。
しかし、それはそれ…。
所詮、自分の人生、だれも責任を取ってくれない。
わがままの気持ちよさを貫くことだ。

                      ◇◆◇

「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

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苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念

きのうのブログの続き。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(村井茂。向井理)が作品づくりに注ぎ込む執念は並大抵でない。
それを可能にしたのは、好きな漫画だからこそ!
それと、仕事が来るのでやらざるをえない、家族を支えるために頑張らざるをえないなどの側面も否めない。
何せ40代半ばまで口に入れるものにも困る貧乏暮らしが続いていた。
ようやく得た人気を絶対に手放したくないという気持ちは、収入の保障のないフリーランスに共通するのでは…。
厳しい世界である。

水木しげるは、漫画家が現れては消える様を見てきた。
講談社の少年マガジンの別冊そして本誌にデビューするとき、それを強く肝に銘じた。
いい加減なものは描けない、と…。
苦労人だ。
人気作家になっても、その姿勢は崩れることがなかった。
怒涛のように押し寄せる締め切りと格闘しながら、次々と作品を生み出している。

水木しげるが漫画にかける情熱が本物ゆえに、株式会社水木プロダクションのアシスタントたちも歯を食い縛ってついてきたはずだ。

                       ◇

さて、私は不甲斐ない自分を何とかしようと考えた。
十年程、これといった成果を創出していない。
生みの苦しみは、外部から締め切りなどの強制力が働かないと、なかなか乗り越えられない。

私は根が怠け者であり、さらに性分としてぎりぎりまで追い詰められないと本気になれない。
こうなったら自ら発破をかけ、尻を叩くしかない。

そこで、一大決心!
部屋にスローガンを貼ろう。

私にもっとも必要な言葉は、有名な「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」。
おそらくこれに尽きる。
一代で世界の日本電産グループを築きあげた炎の起業家にして経営者、永守重信(ながもり・しげのぶ)のスピリッツがごく短いフレーズに凝縮されている。

⇒2009年10月8日「永守重信の言葉と生き様」はこちら。

「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」。
しかし、この言葉はあまりにも厳しい。
まともに実践するなら、確実に倒れる。
心の強くない私はとことん追い詰められそう。
むり・・・。

続きは、あさってのブログで…。

                      ◇◆◇

「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

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職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え

おとといのブログの続き…。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(村井茂。向井理)は着実に作品を残しつつある。
高名な漫画家と無名の自分を同列で比べる気は毛頭ないが、私がこの十年で手がけた成果は何かと考えてみた。
そして愕然とした。
たった2点なのだ。

一昨年の夏場以降、北尾吉孝学長のSBI大学院大学(MBA)で「実践営業論」の講義を完成させた。
そのために、A4判5百ページ程度のテキストを書き起こした。
それに基づき、全15時限(全22時間程度)のインターネット授業を撮り終えた。
それに付随し、全5時間(20分×15時限)の試験問題をつくりあげた。
これらはいずれも毎週、授業の進度に追い抜かれそうになりながら並行して取り組んだ。
私は正味4カ月で15回の締め切りを迎えたことになる。
この間、講演などの予定が挟まっており、綱渡りの連続である。
カリキュラム構築の進捗管理を行っていた同大学院大学の事務局は冷や冷やだったのでないか…。
大変な心配と迷惑をおかけした。

それと、今年の4月以降、やはりSBI大学院大学で『起業の教科書』という12名の教官による共同著書を執筆した。
私は通常の単行本の4分の1くらいの文章量を担当した。
GWを潰しても時間が足らず、締め切りをまたぐことになる。

やはりこの2点だけである。
さみしい〜。

何のことはない、絶対動かせないという締め切りが設けられたタスクに限られる。
怠け者の私は、外部の圧力によってしか働いていなかった。
その意味では、企業研修や公開セミナー、講演の講師の仕事も絶対休めないという条件が設けられていた。
情けない。

いかん、いかん、これじゃ〜、いかん。
私は自らの意思と判断で着手したタスクを成し遂げられずにいる。
例えば、著書、自分商品、起業…。

これまでを振り返り、私は極限状態に置かれ、わずかばかりの能力を振り絞ってきたようだ。
これからを考えると、痴呆(ボケ)の発症と進行をいくらか遅らせるかもしれない。

職業人生にとりもっとも大事なのは“締め切り”を設けることなのだ。
そう水木しげるに教えられた気がする。
これは、サラリーマンを含めたすべての社会人に当てはまろう。
でなくては、学習を継続するくらいに留まり、成果を創出するには至らない。

ワタミの渡邉(渡辺)美樹の名言「夢に日付を!」にどこか通じる。
自らを締め切り地獄に放り込めという容赦ない言葉である。
一代で功を成し、名を挙げる人は、実行力と完遂力が突出している。
私はそれに遠く及ばない。

⇒2008年1月3日「渡辺美樹、夢に日付を…」はこちら。

続きは、あすのブログで…。

                      ◇◆◇

「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

◆書き加え1(8月19日)

私はこのところバタバタしており、「ゲゲゲの女房」を何回か見逃した。

村井布美枝(松下奈緒)はいま一つ藍子(長女)の気持ちが分かっていない。
村井家に限らず、親と子の間にはいろいろな面で隔たりがある。
どの家庭でもそうだろう。

しかも親が立派なほど、溝が広がりやすい、ずれが大きくなりやすい。

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和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

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