20世紀までに知識の時代は終わった。
21世紀からは行動の時代に入っている。
とくに経済や市場が成熟した日本は閉塞感に覆い尽くされている。
知識に頼って頭を巡らしたところで、ほとんど分からない。
体を張って行動に踏み切るしかない。
すなわちリスクを取る。
知識はないよりもあったほうがましという程度であり、行動を起こしている人しか成果を収めていない。
才能とは、度胸である。
以下に、「日日創造、生涯挑戦」と題する『月刊営業人』2008年1月号の巻頭言を収める。
いくらか手を加えた。
◇◆◇
一流の店で厳しい修行を積んだ料理人が、満を持して自分の店を出す。
腕が確かなら、独立はさほど難しいことでない。
さて、開店。
近隣で話題にのぼり、地元で評判になる。
「やれやれ」。
主(あるじ)は胸をなで下ろす。
そして、数年は繁盛が続く。
ところが、いつしか空席が目立つように…。
一人、また一人と、客が離れていく。
十年も経たずに、その他大勢の店に埋もれてしまう。
料理がマンネリに陥った結果である。
とくに料理人が“守り”に入ると、味はどこまでも落ちる。
私は思う。
料理人に限らず、仕事のプロフェッショナルは、顧客へ小さな「サプライズ」を提供しつづけなければならない。
そのサプライズとは、生涯挑戦の姿勢から日日創造される産物である。
そう、ちょっとした感動!
実際、客の舌はどんどん肥える。
ビジネスでも同様で、顧客の期待水準は年々上昇する。
ちなみに、「日日創造、生涯挑戦」という言葉は、私がつくった座右の銘である。
職業人生のメインテーマといってよい。
著書を何冊か出した頃、読者にサインを求められると、私は生意気にも一筆添えていた。
…ビジネスでもっとも難しいのは、好ましい状態を「長く続ける」こと。
次々とライバルが出現する以上、現状の維持は大幅な後退である。
やがて、消滅へ…。
結局、好ましい状態を長く続けるとは、創造を繰り返すことなのだ。
「挑戦を忘れたとき、人も組織も老いていく」。
かつての名門企業、いまの日本がそれである…。
「存在の輝きは、無限の創造連鎖からもたらされる」。
◇
と、締め括ったものの、当の私がいま一つピンと来ないので、引き続き考えてみたい…。
まず、無限と連鎖に、意味の重複がある。
「無限の創造連鎖」は、単に「無限の創造」か「創造の連鎖」とすれば済む。
私は「無限の創造連鎖」に、たゆまぬ「破壊(否定)⇒創造」のニュアンスを織り込みたかったようだ。
また、「連鎖」では「つながる」だけで、「高まる」ことにならない。
もっとも「バリューチェーン」などという言葉もあり、これには価値の付加や向上がともなう。
私は「連鎖」に、上昇する「スパイラル」のイメージを塗り込めたかったようだ。
結局、言いたかったこと。
「存在の輝きは、たゆまぬ破壊(否定)と創造という、上昇するスパイラルによってもたらされる」。
しかし、これだと、ひどくつまらなくなってしまう。
「存在の輝きは、無限の創造連鎖からもたらされる」。
あっ、岡本太郎の顔が浮かんできたぞ…。
やはり、このままでよい。
要は、「つくる人しか輝けない」。
世の中を見回してもそうだ。
⇒2009年9月21日「岡本太郎の言葉と生き様」はこちら。
ところで、創造する人に何か共通した傾向はあるか?
その一つは、「きのうと違わない己を恥じる」こと。
自分はいったい何をやっていたのだろう、と…。
なお、「きのう」だが、文字どおり昨日であったり、あるいは去年であったりする。
若いほど短くなる。
年齢に関係なく10年は不可、3年も問題。
また、個人だけでなく企業についても同様。
私は、わずかでも「きのうより高みにいたい」と願う。
そのため、「日日創造、生涯挑戦」を座右の銘にしている。
また、「できることは、もうやらない」を仕事の戒めとしている。
出版界の革命児、幻冬舎・見城徹社長が言い切った。
「迷ったら、前に出る」。
名言だ。
気迫に圧倒される。
「挑戦しないと、心のさみしさが癒やされない」とも…。
この気持ちは、私にもいくらか分かる。
◇
ところで、考える人は起業家に向かない。
南極探検家の西堀栄三郎に有名な言葉がある。
「石橋を叩けば渡れない」。
これは「起業」についても当てはまる。
起業はリスキーなので、手続きを踏んできちんと考えれば、否定的な結論に落ち着く。
「石橋を叩いたら渡る勇気を持て」とも…。
考えたら起業せよ。
⇒2009年9月29日「西堀栄三郎の言葉と生き様」はこちら。
起業への踏ん切りは、サラリーマン経験が短いほどたやすい。
会社からある程度の保障を与えられる生活に慣れてしまうと、無意識でそれを求めるようになる。
起業は、抑えがたい衝動だ。
知力より行動力の為せる業。
私は「考えてから歩く」のでなく、「歩きながら考える」。
ときに「歩いてから考える」。
だが、私が巡り合った成功者の大半は、「走りながら考える」。
いや「走ってから考える」。
起業する際には、「志⇒情熱⇒行動⇒思考」の順序がいいのでは?
高い志と大きな情熱を持ち、「行いながら考える」「行ってから考える」。
平たく言おう。
正しいと信じるなら、突き進む。
なかでも起業に関しては、学習者のわりに実践者が少ない。
MBAなどで起業を目指して猛烈に勉強し、せっかく修了したのに行動を起こさない。
彼らがつぎ込んだ時間とカネの大きさに比べ、「起業率」は目を疑うほど低い。
起業の知識と起業の行動に、さほど関連性はない。
学ばないと行えない人は、起業家に不向きである。
つまり、「起業は知識でなく勇気から始まる」。
人は、現実より知識が先行すると、迷いが膨らみやすい。
結果として「臆病者」に…。
学び方を間違えると、知識が「力」にならず、行動から遠ざかってしまう。
幻冬舎・見城徹社長の名言を思い起こしてほしい。
…私は、満たされないものを埋めようとして起業するのかもしれない。
その意味で、「起業は自己確認であり、自己表現である」。
また、資本主義社会は「自信」を土台とする。
心のなかは不安だらけでも、それを拭い去り、一歩を踏み出す人に味方する世界である。
◇◆◇
最初の原稿は以下のとおり。
3本のブログを編集加工した。
⇒2007年11月16日「「日日創造、生涯挑戦」」はこちら。
⇒2007年11月20日「つくる人しか輝けない」はこちら。
⇒2007年11月21日「考える人は起業家に向かない」はこちら。
◆書き加え1(9月1日)
私は先頃、ビジネス系の老舗出版社「東洋経済新報社」から『起業の教科書』という共著を出版した。
SBI大学院大学(MBA)の教官12名が執筆。
私が担当したのは2万4千字、通常の単行本の4分の1以上の分量である。
題して、「起業を円滑・確実にする営業力 〜出会いと巻き込みによる成功法」。
基本テーマは「営業発のネットワーク型起業」であるが、「創造」についても言及している。
以下は引用。
「創造とは、失敗の体験のゴミ捨て場に咲いた一輪の花だ。失敗を養分にして育まれるのが『創造性』である。」。
素晴らしい!
自画自賛。
ぜひお読みいただきたい。
⇒2010年7月23日「『起業の教科書』刊行…SBI大学院大学」はこちら。
Copyright (c)2010 by Sou Wada
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21世紀からは行動の時代に入っている。
とくに経済や市場が成熟した日本は閉塞感に覆い尽くされている。
知識に頼って頭を巡らしたところで、ほとんど分からない。
体を張って行動に踏み切るしかない。
すなわちリスクを取る。
知識はないよりもあったほうがましという程度であり、行動を起こしている人しか成果を収めていない。
才能とは、度胸である。
以下に、「日日創造、生涯挑戦」と題する『月刊営業人』2008年1月号の巻頭言を収める。
いくらか手を加えた。
◇◆◇
一流の店で厳しい修行を積んだ料理人が、満を持して自分の店を出す。
腕が確かなら、独立はさほど難しいことでない。
さて、開店。
近隣で話題にのぼり、地元で評判になる。
「やれやれ」。
主(あるじ)は胸をなで下ろす。
そして、数年は繁盛が続く。
ところが、いつしか空席が目立つように…。
一人、また一人と、客が離れていく。
十年も経たずに、その他大勢の店に埋もれてしまう。
料理がマンネリに陥った結果である。
とくに料理人が“守り”に入ると、味はどこまでも落ちる。
私は思う。
料理人に限らず、仕事のプロフェッショナルは、顧客へ小さな「サプライズ」を提供しつづけなければならない。
そのサプライズとは、生涯挑戦の姿勢から日日創造される産物である。
そう、ちょっとした感動!
実際、客の舌はどんどん肥える。
ビジネスでも同様で、顧客の期待水準は年々上昇する。
ちなみに、「日日創造、生涯挑戦」という言葉は、私がつくった座右の銘である。
職業人生のメインテーマといってよい。
著書を何冊か出した頃、読者にサインを求められると、私は生意気にも一筆添えていた。
…ビジネスでもっとも難しいのは、好ましい状態を「長く続ける」こと。
次々とライバルが出現する以上、現状の維持は大幅な後退である。
やがて、消滅へ…。
結局、好ましい状態を長く続けるとは、創造を繰り返すことなのだ。
「挑戦を忘れたとき、人も組織も老いていく」。
かつての名門企業、いまの日本がそれである…。
「存在の輝きは、無限の創造連鎖からもたらされる」。
◇
と、締め括ったものの、当の私がいま一つピンと来ないので、引き続き考えてみたい…。
まず、無限と連鎖に、意味の重複がある。
「無限の創造連鎖」は、単に「無限の創造」か「創造の連鎖」とすれば済む。
私は「無限の創造連鎖」に、たゆまぬ「破壊(否定)⇒創造」のニュアンスを織り込みたかったようだ。
また、「連鎖」では「つながる」だけで、「高まる」ことにならない。
もっとも「バリューチェーン」などという言葉もあり、これには価値の付加や向上がともなう。
私は「連鎖」に、上昇する「スパイラル」のイメージを塗り込めたかったようだ。
結局、言いたかったこと。
「存在の輝きは、たゆまぬ破壊(否定)と創造という、上昇するスパイラルによってもたらされる」。
しかし、これだと、ひどくつまらなくなってしまう。
「存在の輝きは、無限の創造連鎖からもたらされる」。
あっ、岡本太郎の顔が浮かんできたぞ…。
やはり、このままでよい。
要は、「つくる人しか輝けない」。
世の中を見回してもそうだ。
⇒2009年9月21日「岡本太郎の言葉と生き様」はこちら。
ところで、創造する人に何か共通した傾向はあるか?
その一つは、「きのうと違わない己を恥じる」こと。
自分はいったい何をやっていたのだろう、と…。
なお、「きのう」だが、文字どおり昨日であったり、あるいは去年であったりする。
若いほど短くなる。
年齢に関係なく10年は不可、3年も問題。
また、個人だけでなく企業についても同様。
私は、わずかでも「きのうより高みにいたい」と願う。
そのため、「日日創造、生涯挑戦」を座右の銘にしている。
また、「できることは、もうやらない」を仕事の戒めとしている。
出版界の革命児、幻冬舎・見城徹社長が言い切った。
「迷ったら、前に出る」。
名言だ。
気迫に圧倒される。
「挑戦しないと、心のさみしさが癒やされない」とも…。
この気持ちは、私にもいくらか分かる。
◇
ところで、考える人は起業家に向かない。
南極探検家の西堀栄三郎に有名な言葉がある。
「石橋を叩けば渡れない」。
これは「起業」についても当てはまる。
起業はリスキーなので、手続きを踏んできちんと考えれば、否定的な結論に落ち着く。
「石橋を叩いたら渡る勇気を持て」とも…。
考えたら起業せよ。
⇒2009年9月29日「西堀栄三郎の言葉と生き様」はこちら。
起業への踏ん切りは、サラリーマン経験が短いほどたやすい。
会社からある程度の保障を与えられる生活に慣れてしまうと、無意識でそれを求めるようになる。
起業は、抑えがたい衝動だ。
知力より行動力の為せる業。
私は「考えてから歩く」のでなく、「歩きながら考える」。
ときに「歩いてから考える」。
だが、私が巡り合った成功者の大半は、「走りながら考える」。
いや「走ってから考える」。
起業する際には、「志⇒情熱⇒行動⇒思考」の順序がいいのでは?
高い志と大きな情熱を持ち、「行いながら考える」「行ってから考える」。
平たく言おう。
正しいと信じるなら、突き進む。
なかでも起業に関しては、学習者のわりに実践者が少ない。
MBAなどで起業を目指して猛烈に勉強し、せっかく修了したのに行動を起こさない。
彼らがつぎ込んだ時間とカネの大きさに比べ、「起業率」は目を疑うほど低い。
起業の知識と起業の行動に、さほど関連性はない。
学ばないと行えない人は、起業家に不向きである。
つまり、「起業は知識でなく勇気から始まる」。
人は、現実より知識が先行すると、迷いが膨らみやすい。
結果として「臆病者」に…。
学び方を間違えると、知識が「力」にならず、行動から遠ざかってしまう。
幻冬舎・見城徹社長の名言を思い起こしてほしい。
…私は、満たされないものを埋めようとして起業するのかもしれない。
その意味で、「起業は自己確認であり、自己表現である」。
また、資本主義社会は「自信」を土台とする。
心のなかは不安だらけでも、それを拭い去り、一歩を踏み出す人に味方する世界である。
◇◆◇
最初の原稿は以下のとおり。
3本のブログを編集加工した。
⇒2007年11月16日「「日日創造、生涯挑戦」」はこちら。
⇒2007年11月20日「つくる人しか輝けない」はこちら。
⇒2007年11月21日「考える人は起業家に向かない」はこちら。
◆書き加え1(9月1日)
私は先頃、ビジネス系の老舗出版社「東洋経済新報社」から『起業の教科書』という共著を出版した。
SBI大学院大学(MBA)の教官12名が執筆。
私が担当したのは2万4千字、通常の単行本の4分の1以上の分量である。
題して、「起業を円滑・確実にする営業力 〜出会いと巻き込みによる成功法」。
基本テーマは「営業発のネットワーク型起業」であるが、「創造」についても言及している。
以下は引用。
「創造とは、失敗の体験のゴミ捨て場に咲いた一輪の花だ。失敗を養分にして育まれるのが『創造性』である。」。
素晴らしい!
自画自賛。
ぜひお読みいただきたい。
⇒2010年7月23日「『起業の教科書』刊行…SBI大学院大学」はこちら。
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