スターと役者は違う。
スターは、“人気(度)”を表す言葉。
夜空に煌めく星であり、陽光に輝く華である。
ミスター・ジャイアンツ、ミスター・プロ野球と称された長嶋茂雄を例に出すまでもなく、斯界で頂点に立っていなくてならないが、最高のプロでなくてもよい。
スターという職業はない。
それは“存在”だ。
役者は、“職業(度)”を表す言葉。
自分に宛がわれたシナリオの登場人物になりきる職人である。
演じるなかで、素の自分はかき消される。
王貞治は最高のプロとしてホームランを量産する打者に徹した。
ついに本塁打の世界記録を更新した。
役者という存在はない。
それは“評価”だ。
スターに対し、役者を期待するのは筋違いである。
それをはみ出してしまう、超えてしまうから「スター」なのだ。
スターは、役目や役割といった枠に収まりきれない、厳しい宿命を負う。
長嶋茂雄も王貞治も現役を退いた後、「監督」に就いた。
王貞治は苦悩の末、選手を捨て、監督に変わった。
自分が演じるべき、新たな役目と役割に気づいたのだ。
ついに名監督へ。
長嶋茂雄はスターを捨てられなかったし、ファンのためにも捨てるつもりはなかった。
極論すれば、現役時代も「選手」でなかった。
長嶋茂雄は半生を通じ、選手でも監督でもなく、スターでありつづけた。
◇
芸能界にあえて飛び込む人は、だれもが持っている目立ちたいとの願望が突出して強いのが普通である。
そうでなくては、熾烈極まりない競争社会の現実に弾き返され、すぐに挫折する。
俳優も同じ。
世間から「役者」と認められるには、どれくらい血と汗を流さなければならないだろう。
まして、「スター」と呼ばれるには…。
全身、努力の塊。
しかし、スターに努力は必須だが、努力はスターを保証しない。
そこにいるだけで放つ、オーラのようなものを身にまとうことが条件だ。
先天的な資質が絡むのでないか。
活躍の時代は異なるが、石原裕次郎と木村拓哉がそれ。
続きは、あした。
以下は、木村拓哉に関する私の一連のブログ。
⇒11月28日「木村拓也と木村拓哉の名言に感動」はこちら。
Copyright (c)2009 by Sou Wada
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スターは、“人気(度)”を表す言葉。
夜空に煌めく星であり、陽光に輝く華である。
ミスター・ジャイアンツ、ミスター・プロ野球と称された長嶋茂雄を例に出すまでもなく、斯界で頂点に立っていなくてならないが、最高のプロでなくてもよい。
スターという職業はない。
それは“存在”だ。
役者は、“職業(度)”を表す言葉。
自分に宛がわれたシナリオの登場人物になりきる職人である。
演じるなかで、素の自分はかき消される。
王貞治は最高のプロとしてホームランを量産する打者に徹した。
ついに本塁打の世界記録を更新した。
役者という存在はない。
それは“評価”だ。
スターに対し、役者を期待するのは筋違いである。
それをはみ出してしまう、超えてしまうから「スター」なのだ。
スターは、役目や役割といった枠に収まりきれない、厳しい宿命を負う。
長嶋茂雄も王貞治も現役を退いた後、「監督」に就いた。
王貞治は苦悩の末、選手を捨て、監督に変わった。
自分が演じるべき、新たな役目と役割に気づいたのだ。
ついに名監督へ。
長嶋茂雄はスターを捨てられなかったし、ファンのためにも捨てるつもりはなかった。
極論すれば、現役時代も「選手」でなかった。
長嶋茂雄は半生を通じ、選手でも監督でもなく、スターでありつづけた。
◇
芸能界にあえて飛び込む人は、だれもが持っている目立ちたいとの願望が突出して強いのが普通である。
そうでなくては、熾烈極まりない競争社会の現実に弾き返され、すぐに挫折する。
俳優も同じ。
世間から「役者」と認められるには、どれくらい血と汗を流さなければならないだろう。
まして、「スター」と呼ばれるには…。
全身、努力の塊。
しかし、スターに努力は必須だが、努力はスターを保証しない。
そこにいるだけで放つ、オーラのようなものを身にまとうことが条件だ。
先天的な資質が絡むのでないか。
活躍の時代は異なるが、石原裕次郎と木村拓哉がそれ。
続きは、あした。
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