コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

スターの宿命

石原裕次郎と木村拓哉、孤独の宿命

スターが役者を務めるうえでもっとも邪魔なのは、自分自身の圧倒的な存在感だろう。
容易に打ち消せるものでない。
それが共演者の持ち味を飲み込む。
ときにシナリオのよさをぶち壊す。

自分だけ目立てばよいアイドル映画やアイドルドラマならともかく、それでは「作品」と呼べるレベルに達しない。
演技の努力よりも、素の個性や魅力のほうがまさった結果である。
観客や視聴者は、作品を見ているのでなく、スターを見ている気分になる。
その出演作品は、どれも代わり映えがしない「一本調子」という批判にさらされる。

私は映画が好きだ(1951年生まれ)。
小学生時代と日本映画(邦画)の黄金期がほぼ重なる。
当時は年に何度かは家族で映画館へ行った。
何せ「娯楽の殿堂」と呼ばれていた。
大学進学で上京して今日までは仕事に追われっ放しだった。
それでも、ときどきスクリーンで、わりとテレビ画面で楽しんできた。
「映画ファン」と名乗る資格はないが…。
私は昔からスターの映画が好きになれなかった。
何かの折に目に入ったものを除き、ほとんど見ていない。

当時はスターのために映画を量産しても、映画館を観客で埋め尽くすことができた。
その代表格が「石原裕次郎」だった。
押しも押されもせぬ戦後最大のスター。
いまだに全国にファンどころか信奉者がいる。
石原裕次郎がスクリーンで自分のかっこよさを表現できることが興行的に大事だった。
例えば、存分に暴れられるシーンをつくれば、観客は酔いしれた。

石原裕次郎の持ち前の個性が前面に出てくるので、映画を見たい私は退屈だった。
子ども心に“大根役者”だと思った。
歌はもっと退屈だった。
これからというところで亡くなったが、私は80年代に入り、テレビドラマを通じてようやく好きになった。
映画「太陽の季節」(1956年)で始まり、テレビドラマ「太陽にほえろ!」(〜1987年)で終わった。
まさに「昭和の太陽」。

「美空ひばり」は石原裕次郎と双璧だった。
国民的なアイドルであり、歌手だけでなく役者としても大活躍を見せた。
愛称は「御嬢(おじょう)」。
私はやはり映画に面白さを感じられず、苦手だった。
その延長で、歌まで嫌いだった。
ところが、晩年のわずか2曲で美空ひばりが大好きになった。
「愛燦燦」(1986年)と「川の流れのように」(1989年)。
石原裕次郎と同じ、満52歳での他界。
多忙な芸能活動で心身を酷使したのだろう。

二人にやや遅れて登場したのが、清楚なイメージの「吉永小百合」だった。
可愛さと聡明さにあふれていた。
文芸物を志向しており役者らしかった。
1960年代、浜田光夫とのコンビによる純愛&青春映画は大ヒットを巻き起こした。
「青い山脈」「愛と死をみつめて」など。
だが、私はアイドル映画の退屈さを感じていた。
吉永小百合はまぶしいほどの華があり、出演作品は彼女のためにあった。
しかし、いつしか姿が消えた(私の目に触れなくなった)。
かなりの間があって再登場したとき、スターとしての存在感に役者としての円熟味が加わり、美しくなっていた。
私は感動し、大好きになった。

こうしたスターと趣が異なったのは「高倉健」。
生まれは1931年と、一番早い。
どの出演作品でも「健さん」であり、スターだ。
しかし、素の存在感を漂わせながらも、高倉健は役者として主人公を演じきった。
私は彼の名を知らしめた“ヤクザ映画”を見ておらず、1970年代後半の映画から。
ゆえに、先の三人とは比べられないか…。
高倉健は40代半ばを過ぎていた。
不器用な男の役が多かったが、演技は巧みだった。
私は映画そのものを楽しめた。

恐らくスターにはスターならではの苦悩がある。
そもそもスターはきわめて頭がよい。
映画とは何かを理解しているはずだ。
が、できあがった作品に、当人は言葉を失う。
監督やスタッフ、俳優(共演者)と力を合わせてつくったつもりなのに、自分の映画になってしまっている。
役者として“演技”を行ったのに、それを自分の“オーラ”が覆い隠しているでないか。
スターが背負う宿命だ。
それゆえに、スターの熱狂的なファンが生まれる。

ファンがつくるスターには、おのずと限界がある。
スターがファンをつくるのだ。

スターは自分の努力では何ともしがたい苦い経験を味わってきた。
したがって、かならず周囲への“気配り”の人となる。
その根っこに負い目がある。
「孤独」の深さは、想像が及ばない。
スターの代償。
だれが長嶋茂雄の孤独を理解したろうか。
それをいくらか察していたのは、王貞治。

                       ◇

スターは偉大だ。
とはいえ、スターのために映画をつくって成功が保証される時代はだいぶ前に終わった。

役者の活躍の舞台がテレビへ移り、その背景が都会の日常生活へ置き換わったとき、自然なたたずまいで登場したスターがほかならぬ「木村拓哉」だった。

こう述べると、木村拓哉を石原裕次郎と比べるなど、とんでもないと叱られるかもしれない。
「木村拓哉は粒が小さい」。
当たり前だ。
なぜなら、昔のスターと今のスターはファンの人数がまったく違う。
それは当人の問題というより、私たちの価値観や嗜好が多様化し細分化した結果である。

俳優でも歌手でもスポーツ選手でも、かつてのお化けのようなスターはもはや生まれない。
粒が小さいのでなく、世の中が変わったのだ。

私は、木村拓哉は現代のスターだと思う。

続きは、後日。

以下は、木村拓哉に関する私の一連のブログ。
⇒11月28日「木村拓也と木村拓哉の名言に感動」はこちら。
⇒12月4日「スターと役者…木村拓哉に思う」はこちら。

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スターと役者…木村拓哉に思う

スターと役者は違う。
スターは、“人気(度)”を表す言葉。
夜空に煌めく星であり、陽光に輝く華である。
ミスター・ジャイアンツ、ミスター・プロ野球と称された長嶋茂雄を例に出すまでもなく、斯界で頂点に立っていなくてならないが、最高のプロでなくてもよい。
スターという職業はない。
それは“存在”だ。

役者は、“職業(度)”を表す言葉。
自分に宛がわれたシナリオの登場人物になりきる職人である。
演じるなかで、素の自分はかき消される。
王貞治は最高のプロとしてホームランを量産する打者に徹した。
ついに本塁打の世界記録を更新した。
役者という存在はない。
それは“評価”だ。

スターに対し、役者を期待するのは筋違いである。
それをはみ出してしまう、超えてしまうから「スター」なのだ。
スターは、役目や役割といった枠に収まりきれない、厳しい宿命を負う。

長嶋茂雄も王貞治も現役を退いた後、「監督」に就いた。
王貞治は苦悩の末、選手を捨て、監督に変わった。
自分が演じるべき、新たな役目と役割に気づいたのだ。
ついに名監督へ。

長嶋茂雄はスターを捨てられなかったし、ファンのためにも捨てるつもりはなかった。
極論すれば、現役時代も「選手」でなかった。
長嶋茂雄は半生を通じ、選手でも監督でもなく、スターでありつづけた。

                       ◇

芸能界にあえて飛び込む人は、だれもが持っている目立ちたいとの願望が突出して強いのが普通である。
そうでなくては、熾烈極まりない競争社会の現実に弾き返され、すぐに挫折する。

俳優も同じ。
世間から「役者」と認められるには、どれくらい血と汗を流さなければならないだろう。
まして、「スター」と呼ばれるには…。
全身、努力の塊。

しかし、スターに努力は必須だが、努力はスターを保証しない。
そこにいるだけで放つ、オーラのようなものを身にまとうことが条件だ。
先天的な資質が絡むのでないか。

活躍の時代は異なるが、石原裕次郎と木村拓哉がそれ。

続きは、あした。

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⇒11月28日「木村拓也と木村拓哉の名言に感動」はこちら。

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

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