私は、40代半ばに差しかかる頃から「提案営業」の教育指導に携わる機会が増えた。
当初は「企画」の教育指導が中心だった。
やがて研修やセミナーの講師として一年中、おもに東京以西の各地を飛び回るようになった。
なかでも40代後半から50代前半にかけての7〜8年間は体力の限界との戦いだった。
顧客に対する感謝の念は忘れなかったが、疲れ果てていた。
正直に言うと、私がもっとも脚光を浴びていた時期が、もっともつらい時期だった。
自分では消耗しているという実感しか持つことができなかった。
私は、50代後半からいくらか落ち着きを取り戻し、職業人生の集大成を意識するようになった。
仕事の合間を縫いながら、営業に関わるさまざまな教育指導のコンテンツをまとめはじめた。
とはいえ、そのど真ん中に「提案営業」があることに変わりない。
それは40年を超える働き方、いや働きざまそのもの。
おおげさな言い方になるが、根っこで人生につながっている。
私にとって大きな幸運は、「提案営業」に営業の総合力が求められたことだった。
いずれのコンテンツも、自分が顧客へ働きかけるなかで実践してきたセオリーとノウハウを整理しながら言葉でつづったにすぎない。
数年にわたる地道な努力が還暦を迎える頃に実り、コンテンツのバリエーションが一気に広がった。
現在では、「テレフォン・アポイントメント」「セールストーク」「情報営業」「質問話法」「提案書作成」「プレゼンテーション」「クロージング」「値引き封じ」など、営業に関わる教育指導はおおよそ網羅した。
これらを眺めて思うのは、営業社員は長く険しい職業人生をやっていくためにも「提案営業」を身につけるべきだということ!
余談。
私は両親がアルツハイマーの家系だが、教育指導の内容が毎日変わるようになり、ボケの防止に役立っている。
頭と心が活性化するのだ。
数年前まで「提案営業」を壊れたレコードみたいに伝えていた。
Copyright (c)2013 by Sou Wada
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当初は「企画」の教育指導が中心だった。
やがて研修やセミナーの講師として一年中、おもに東京以西の各地を飛び回るようになった。
なかでも40代後半から50代前半にかけての7〜8年間は体力の限界との戦いだった。顧客に対する感謝の念は忘れなかったが、疲れ果てていた。
正直に言うと、私がもっとも脚光を浴びていた時期が、もっともつらい時期だった。
自分では消耗しているという実感しか持つことができなかった。
私は、50代後半からいくらか落ち着きを取り戻し、職業人生の集大成を意識するようになった。
仕事の合間を縫いながら、営業に関わるさまざまな教育指導のコンテンツをまとめはじめた。
とはいえ、そのど真ん中に「提案営業」があることに変わりない。
それは40年を超える働き方、いや働きざまそのもの。
おおげさな言い方になるが、根っこで人生につながっている。
私にとって大きな幸運は、「提案営業」に営業の総合力が求められたことだった。
いずれのコンテンツも、自分が顧客へ働きかけるなかで実践してきたセオリーとノウハウを整理しながら言葉でつづったにすぎない。
数年にわたる地道な努力が還暦を迎える頃に実り、コンテンツのバリエーションが一気に広がった。
現在では、「テレフォン・アポイントメント」「セールストーク」「情報営業」「質問話法」「提案書作成」「プレゼンテーション」「クロージング」「値引き封じ」など、営業に関わる教育指導はおおよそ網羅した。
これらを眺めて思うのは、営業社員は長く険しい職業人生をやっていくためにも「提案営業」を身につけるべきだということ!
余談。
私は両親がアルツハイマーの家系だが、教育指導の内容が毎日変わるようになり、ボケの防止に役立っている。
頭と心が活性化するのだ。
数年前まで「提案営業」を壊れたレコードみたいに伝えていた。
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