コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

タチアナ・タラソワ

羽生結弦はフィギュアスケートの神なのか

タラソワの褒め言葉が的確、秀逸
「音楽を細胞レベルで感じている」

フィギュアスケート男子シングルの羽生結弦がGPシリーズ第5戦「ロシア杯(ロステレコム杯)」に出場しました。
フリースケーティング(FS)の当日午前の公式練習で負傷したにもかかわらず強行出場して勝利を収めました。
深刻な診断でしたのでジャンプ構成の難度を落として臨みましたが、それでもミスを連発しました。

さて、羽生結弦は本大会のショートプログラム(SP)「秋によせて」で素晴らしい演技を見せました。
ほぼノーミスの出来であり、新採点ルールで初となる 110超えをあっさりと果たしました。

私は衝撃的な高得点もさることながら究極の完成度に感動しました。
競技と芸術のこれ以上ありえないという融合の域に到達しています。
フィギュアスケートファンを魅了する力は、これまでの選手でナンバーワンでしょう。

実況アナウンサーは「どんな言葉でも言い表せません。まったくの天才です」と絶叫しました。
2002年ソルトレイクシティ五輪金メダリスト、ロシアのアレクセイ・ヤグディンは「フィギュアスケートの神ですね」と賛辞とともタチアナ・タラソワに語りかけました。
(私も氷上に降り立つ神だと思います。)
それに対し、「こんな天才を世界にくれた日本にありがとう」と感謝しています。
さらに、「音楽を自らの一つひとつの細胞レベルで感じている」と評しています。

この「褒め言葉」は実に的確でした、秀逸でさえあります。
(私もまったくそのとおりだと思いました。)
タチアナ・タラソワは当時、ジョニー・ウィアの代表作「秋によせて」の振り付けを担当しました。
それを羽生結弦が目の前で最高の表現力で披露してくれました。
狂乱に近い喜びようでした。

思い返してもすごい演技でした。
現地に留まらず、世界中に大興奮が広がりました。

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◇◆◇

羽生結弦に関するブログは以下のとおり。

⇒2018年11月20日「羽生結弦に奇跡の復活は期待できない」はこちら。

⇒2018年11月19日「羽生結弦は棄権するわけにいかない」はこちら。

⇒2018年11月18日「羽生結弦にほれぼれ、ため息の出る美しさ・・・」はこちら。

⇒2018年11月5日「羽生結弦は演技構成を変更、飽くなき向上心と挑戦」はこちら。

⇒2018年11月4日「羽生結弦はけがなく、北京五輪へ試運転」はこちら。

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羽生結弦に「奇跡の復活」は期待できない

全日本選手権も世界選手権もなし
羽生結弦は今シーズンを休養に充てる

フィギュアスケート・グランプリ(GP)シリーズ第5戦「ロシア杯」男子シングル。
羽生結弦はフリースケーティング(FS)の公式練習で古傷の右足首を負傷しました。
私は映像を見ましたが、倒れ方がよくありません。

試合後に本人が語ったところによれば、瞬時にジャンプ構成の練り直しを考えたそうです。
(深刻だったのです。)
そして、痛み止めを服用し、試合に強行出場しました。
私には無謀としか思えませんが、その理由も明らかにしました。

まず、GPシリーズでの勝利が目的でもなく、GPファイナルへの進出が目的でもなかったということです。
プログラムの難度を大幅に落としましたが、他の選手との力の差が大きいので勝ってしまいました。

「昨シーズンのNHK杯での右足首の負傷以降、靭帯が弱いというか、もろいというか」。
ちょっとした衝撃にも耐えられないようです。
ドクターの診断は「3週間の安静」。
この時点でGPファイナルはもちろん全日本選手権も棄権するほかにありません。

激痛に苦しむ羽生結弦をリンクへ向かわせたのは、思い入れの強いロシア杯だったからでした。
FS「Origin」は憧れのトリノ五輪金メダリスト、ロシアの皇帝、エフゲニー・プルシェンコの代表作「ニジンスキーに捧ぐ」へのオマージュです。
その母国で棄権するという退路を絶ちました。
「何をしたくて、何を削るかを考えた」うえで、出場が覚束ない全日本選手権でなくこの大会を選びました。
中盤からジャンプのミスが増えましたが、魂のこもった演技を見せてくれました。
(彼らしいのは確かですが、「美談」かどうかは判断が分かれるでしょう。)

ミックスゾーンでタチアナ・タラソワに抱き締められ、涙を流しました。
それほど辛い出場だったのでしょう。
羽生結弦は会見場に松葉づえを突く、痛々しい姿で現れました。
大きな代償を覚悟し、ロシア杯にかけました。

「奇跡の復活」などという言葉を使い、GPファイナルは無理でも全日本選手権の出場を期待するマスコミを見受けます。
この状態で練習をさせたら、「選手生命」が完全に終わってしまいます。
私は年内と言わず、今シーズン(残り)を完全に休養に充てるべきだと考えます。

この選手はオリンピックの表彰台の天辺が一番似合います。
あそこは専用席といえます。
2022年北京五輪での3連覇だけを見据え、しっかりと治療と調整を行ってほしい。
力が突出しており、私は十分に勝てると思います。

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◆書き加え(11月18日)

ウェブで小塚崇彦が記した「喜べない羽生らしいV」というコメントを読みました。
同感です。
ファンの一部や番組の関係者ならともかくとして、スポーツメディアや評論家まで再起不能になりかねない強行出場を称賛するのは良識を欠きます。
まともな意見をようやく見つけた気がします。

◆書き加え(11月29日)

日本スケート連盟は、羽生結弦がGPファイナルを欠場すると発表しました。
ロシア杯では松葉杖で表彰式に現れましたので当然といえます。
年末の全日本選手権も欠場するでしょう。

もともと出場不能な状態で五輪連覇を果たしたのですから、今シーズンは完全休養に充てるべきでした。
そうでないと「現役引退」へのカウントダウンを早めます。
実績が豊富なベテラン選手ほど、蓄積した疲労や治癒しない負傷を抱えています。
ましてシーズン序盤からエンジンを全開する必要はさらさらありません。
私は稀代のフィギュアスケーターだと思っていますので、残念で深刻な結果です。

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浅田真央、GPシリーズ&ファイナルは無敵

フィギュアスケートのグランプリシリーズ(GPシリーズ)開幕戦「スケートアメリカ」が行われている。

女子シングルのショートプログラム(SP)。
「体が動いている」「心の状態がよい」と語っていた浅田真央が 73.18点で首位に立った。
SPは、初恋をテーマに、愛に満ちた演技を意図したショパンの「ノクターン」。
振付は、ローリー・ニコル。

冒頭のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)は着氷がやや乱れた。
が、3回転ジャンプ、3回転−2回転の連続ジャンプは決まった。
浅田真央はスケート技術、ステップ、表現力など、すべての項目で出場選手のトップだった。
演技後、キス&クライで自然と笑顔が弾けた。

全米選手権2連覇中のアシュリー・ワグナー(米国)が 69.26点で2位につけた。
昨シーズンに世界ジュニア選手権を制し、今シーズンにシニアデビューとなるエレーナ・ラジオノワ(ロシア)が 67.01点で3位に入った。

                       ◇

浅田真央は、2010年バンクーバーオリンピック(冬季五輪)で韓国のキム・ヨナ(金妍児)に敗れた。
直後に2014年ソチオリンピック(冬季五輪)で金メダルを獲ると誓い、佐藤信夫コーチの指導を仰ぐことにした。
重点的な取り組みは、円滑さを欠いた滑りの矯正、そして成功率の落ちた高難度ジャンプの立て直しである。
その過程でなかなか結果を出せず、自信を失ったり、スケートがいやになったり、地獄を味わった。

浅田真央は、大会直前に現地入りするのが通例だった。
十分な練習時間を取るには国内が有利との判断である。
しかし、現地入りを早め、時差調整に余裕を持たせた。
その代わり、近郊のリンクで練習を重ねた。
佐藤信夫コーチが本大会前、浅田真央の精神的な成長と仕上がりの順調さを口にしていた。

浅田真央が本番会場での公式練習に姿を現したのは、SPの前日だった。
そして、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)や2連続3回転ジャンプを跳んでみせた。
観客から拍手が起こった。

オリンピックシーズン、そして現役最後のシーズン。
競技人生の集大成を願う浅田真央は、これまでのスロースターターを返上し、最初からソチ仕様で臨んでいる。
この演技構成は、大舞台でもほとんど変えないとの方針。
なお、本大会後にローリー・ニコルのいるカナダへ移動し、SPの振り付けを若干手直しするらしいが・・・。

フリースケーティング(FS)は、自らの半生の表現を意図したラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。
振付は、タチアナ・タラソワ。
先だってのジャパンオープンは、フリーで135.16点の自己ベストをマークした。
浅田真央は、プログラム全体にレベルアップとパワーアップが図られた。
人間的な成熟はあるにしろ、これまで見られなかった穏やかな表情が彼女の手応えの大きさを表している。

浅田真央は、GPシリーズとGPファイナルでは無敵になるだろう。

◆書き加え1(10月21日)

女子シングルのフリースケーティング(FS)が終わった。
浅田真央が最終滑走で2百点越えの高得点で優勝を飾った。
また、GPファイナルを含むGP7大会の完全制覇を成し遂げた。
おめでとう!

SP首位の浅田真央はフリーでも1位だった。
冒頭のトリプルアクセルで転倒してしまった。
しかし、その後の3回転フリップ、ルッツ、ループをきれいに決めた。
さらに、ステップとスピンで加点した。

1位は、浅田真央、204.55点。
2位は、アシュリー・ワグナー(米国)、193.81点。
3位は、エレーナ・ラジオノワ(ロシア)、183.95点。

4位は、エリザベータ・トゥクタミシェワ(ロシア)、176.75点。
5位は、サマンサ・シザリオ(米国)、167.98点。
6位は、マエ・ベレニス・メイテ(フランス)、167.35点。

浅田真央は全日本選手権で優勝を果たし、ソチオリンピックの代表切符を危なげなくつかむだろう。

◆書き加え2(10月21日)

浅田真央はジャンプにミスが出たようだ。
冒頭の転倒でリズムが乱れ、その後のジャンプの一部は回転数を落としたりした。
また、ジャンプの踏み切りや回転不足を厳しく判定された。

得点は、バンクーバーオリンピックでの自己ベストに迫った。
しかし、このとき、キム・ヨナは大きく上回った(不確か)。

ソチオリンピックでキム・ヨナが本調子なら、この得点では勝てない。
浅田真央は今シーズンのプログラムを完璧に滑り、何とか互角という戦いになる。
それは彼女が一番よく分かっている。

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2013年10月13日「浅田真央の人気、高橋大輔の人気」はこちら。

⇒2013年10月12日「浅田真央の伸び代…キム・ヨナの高得点」はこちら。

⇒2013年10月10日「浅田真央調子…ソチ五輪へ開き直りと悟り」はこちら。

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⇒2013年10月6日「フィギュア日本女子代表選考レースは混戦」はこちら。

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浅田真央、ソチで高得点へ…タラソワ振り付け

私は8月最終週から長期出張を繰り返している。
昼間は公開セミナーで講師を務めるか企業で教育指導に当たり、夜間はおもにクライアントへの納品仕事(デスクワーク)を行っている。
時間的にも精神的にも体力的にもテレビを見る余裕がない。
番組をつけっ放しにするだけなら体力はいらないが、とことん追い詰められると、そうしたことも忘れてしまう。

さて、浅田真央が今シーズン初戦のフリースケーティング(FS)で非公認ながら自己ベストを更新した。
日本、欧州、北米の3地域対抗戦として「さいたまスーパーアリーナ」で行われたフィギュアスケートの「ジャパンオープン」である。
1チームは4人、男女各2人で構成。
競技はフリーのみ。

日本は、浅田真央、村上佳菜子、高橋大輔、小塚崇彦の布陣だった。
そして、2年連続6回目の優勝を飾った。
浅田真央の活躍が大きかった。

浅田真央は昨シーズンの後半と同じ、序盤にトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)と2連続3回転ジャンプを跳ぶ構成で臨んだ。
冒頭のトリプルアクセルはオーバーターンで着氷が乱れた。
要素は認定されたが、出来栄え評価で減点された。
2連続3回転ジャンプは後半が2回転ジャンプになった(不確か)。
本人は不安を感じていたようだ。
しかし、矯正中のどこかおっかなびっくりのジャンプを脱した。
浅田真央は大きなミスを犯さずに滑りきった。

とくに自ら課題としていたスピンとステップは最高評価のレベル4を取った。
浅田真央はシーズンオフの練習の成果をそれなりに出せたという手応えからか、演技後、そしてキス&クライで笑顔が弾けた。
まもなく出場する「グランプリ(GP)シリーズ2013」につながる出来といえよう。

浅田真央は4月に引退を表明し、今シーズンを競技人生の集大成と位置づけている。
最後のフリーの曲はロシアの作曲家、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」だった。
力強くダイナミック。
バンクーバーオリンピック(冬季五輪)シーズンで滑ったのは、やはりラフマニノフの「鐘」だった。
当時、五輪の失敗を直後の世界選手権で取り戻したが、浅田真央の表情が晴れることはなかった。

「鐘」に続き、フリーの振り付けはロシアのタチアナ・タラソワ。
今シーズンの青を基調とした衣装もタラソワ。
ソチオリンピック(冬季五輪)ということもあり、ロシア・フィギュアスケート界の大御所に依頼したのか。
本番で有利に働く。

浅田真央は、表示された得点に驚いた。
出来から予想した得点をだいぶ上回ったようだ。
このプログラムを練習と実践で滑り込み、自分のものにすることができるなら、ソチオリンピックの舞台で相当な高得点を出せそう。
本人もファンもそんな期待を抱いたのでないか。
ソチオリンピックへ向け、まずまずのスタートを切った。

なお、五輪代表選考レースの総括となる年末の「全日本フィギュア選手権2013」、そして来年の「世界フィギュア選手権2014」はこの「さいたまスーパーアリーナ」で行われる。

余談・・・。
浅田真央はとてもきれいだし、体が一回り大きくなった。
ソチオリンピックが近づくにつれて緊張感が表れるにしろ、全体的にほんわか、ふっくらとした印象を受けた。
滑りの矯正に苦しんでいた頃は、ぎすぎす、ぴりぴりとしていた。
人間的な成熟を増し、熾烈な競争のなかでも心のゆとりを保てるようになったせいだろう。

                      ◇◆◇

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⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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浅田真央、SPもフリーもエキシビションも新プログラム

浅田真央は「エアウィーヴ」の新CMの発表会の席上、フィギュアスケート選手としての記者会見に応じた。
そして、来季(今秋〜来春)へ向けた準備について語った。

ショートプログラム(SP)、フリースケーティング(FS)ともにプログラムを一新する。
カナダに渡り、ローリー・ニコルのもとでSPの選曲と振り付けを済ませた。
「ミュージカルのように明るくて元気」「前に進んでいる気分」らしい。
当地で、エキシビションのプログラムも固めた(不確か)。

近日中にロシアを訪れ、タチアナ・タラソワのもとでフリーの選曲と振り付けを行う。

浅田真央は先だっての世界フィギュアスケート選手権で6位と惨敗を喫した。
来季は2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)の前年に当たる。
佐藤信夫コーチの指導で取り組んできた滑りの修正を終え、ジャンプの安定感を取り戻したい。
もちろん、それだけでは悲願の金メダルに手が届かない。
浅田真央は、ジャンプの構成を中心に、得点を大幅に伸ばすことを追い求めるはずだ。
来季はソチへの手応えをつかんでほしい。

                       ◇

浅田真央は記者にロンドン五輪(オリンピック)の注目選手を問われた。
ちょっと考え、メール友達のレスリングの吉田沙保里、同じ中京大学の陸上ハンマー投げの室伏広治の二人を挙げた。

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浅田真央の肉球、アメショーのトリプルアクセル

私が講演などの長期出張から戻って真っ先に行うのは、自室のフウ(アメリカンショートヘア♀)への挨拶。
本人は私に探してほしいらしく、ベッドの向こうに隠れていたりする。
かわいい・・・。

私は見つけ出し、フウの手(前足)の匂いをかぐ。
いわゆる「肉球」。
我が家に戻ってきたという実感を持てる。
これを「変態行為」と思う人は、猫好きでない。
また、猫が心を許した飼い主に見せるおなかは感触といい、匂いといい、形容しがたい安ど感が得られる。

                       ◇

私は倒れ込むように眠ったと思ったら、4時ジャストに目が覚めた。
このところ目が回る忙しさ。
睡眠時間が極端に少ない戦闘モードがずっと続いている。
気が張り詰めているせいか、何とか持ち堪えている。
いつか反動がどかーんと出るのでないかと正直、心配・・・。
自分でも恐ろしいくらい、仕事に集中できている。

ただし、ブログに時間をまったく割けない。
心の余裕がないのだ。

                       ◇

ところで、浅田真央は2011年〜2012年シーズンへ向けて準備にかかっているはずだ。
それどころか練習を再開しているかもしれない。
昨シーズンから取り組んでいるスケーティングとジャンプの見直しとレベルアップは順調に進んでいる?
世界フィギュアスケート選手権モスクワ大会での惨敗を受け、浅田真央が得点源として代名詞の3回転半ジャンプ(トリプルアクセル)に、主流の2連続3回転ジャンプを加えるとの報道に接した。
トリプルアクセルはほとんど成功しておらず、主要大会ではプログラムにとても組み込めない。

安藤美姫、高橋大輔、小塚崇彦ら一流選手に、オフはほとんどないのだろう。
世界の舞台で戦うことは大変である。

以下に、「荒川静香と浅田真央、天才少女の重圧と低迷」と題する2011年5月5日のブログを収める。

                      ◇◆◇

世界フィギュアスケート選手権2011。
ロシア大会の放送を行ったフジテレビのスタジオ解説を務めたのが2006年トリノ冬季五輪(オリンピック)金メダリストの荒川静香だった。
いまは華やかなアイスショーに活躍の舞台を移している。

男女を通じ、日本のフィギュアスケート界に最初の栄冠をもたらした。
国民人気をさらに高め、フィギュア王国を築くうえで彼女が果たした貢献は絶大だった。
歴史に名を刻んだ。

1998年長野冬季五輪(オリンピック)で初出場を果たしながらも、満足のいく結果を得られなかった。
女子は1枠であり、16歳の彼女にどれほどの重圧がかかっただろう。
まして、ファンの期待が爆発する自国開催。
逃げ出したかったかもしれない。
16歳といえば、いまの村上佳菜子と同じ。
このシーズンの世界フィギュアスケート選手権も1枠だった。
3枠が当たり前のように感じる現在と状況がまったく違う。

それが尾を引いたのか、荒川静香は低迷が続く。
2002年ソルトレイクシティ冬季五輪(オリンピック)では出場さえできなかった。
気持ちを立て直せなかったのだ。
2004年世界フィギュアスケート選手権で日本人として10年ぶり3人目の優勝を果たした。
このときに用いたのが、例の「トゥーランドット」。
その後もいま一つ調子が上がらなかったが、トリノオリンピックの最後(3人目)の切符を全日本フィギュアスケート選手権でつかんだ。

荒川静香は2回目のオリンピック出場では開き直り、楽しく参加することを大切にして勝利を収めた。
24歳は五輪女子フィギュア史上最年長の記録。
昨今は10代が中心である。
日本の頂点も凄いが、世界の頂点に立つというのは、どういう感覚か。
おそらく苦しみ抜いて栄冠をつかんだ選手にしか分からない。
4年間に世界にただ一人。
荒川静香は以前から競技よりもショーのほうに魅力を感じると話していた。
即、プロ転向。

韓国のキム・ヨナ(金妍児)も苦しみ抜いて2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)で勝利を収めた。
1年ぶりの国際試合復帰となった2011年世界フィギュアスケート選手権ロシア大会の表彰台で流した涙がそれを物語っていた。

日本のフィギュアスケート界ではだれも金メダリストの荒川静香に並んでいない。
実は、アジア選手でも初めてだった。
あまりにも偉大な功績である。

以下に、「浅田真央と荒川静香、金メダルの苦闘」と題する2010年2月24日のブログを収める。

                      ◇◆◇

バンクーバー冬季五輪(オリンピック)は終盤に差しかかった。
フィギュアスケート女子シングルが始まる。
きょうがショートプログラム(SP)、あすがフリー。
日本人の注目が一番高い種目だろう。
2006年トリノ五輪で唯一のメダルが、女子フィギュアでの荒川静香(あらかわ・しずか)の金メダルだった。

私は先日、NHK「スポーツ大陸」を見た。
例により、ながら視聴。
日本経済新聞のテレビ欄に、「荒川静香 前年9位からの大逆転 栄光を生んだ選択とは」と記されていた。
インターネットで調べたら、過去の番組の再放送だった。
「大逆転スペシャル 栄光への選択 〜トリノ五輪 荒川静香〜」。
日本人初の金メダルを獲得した荒川静香。
確かに奇跡だったが、まぐれでなかった。
番組では、会心の勝利へ向けた苦悩と苦闘の足跡を紹介していた。

天才少女と称され、1998年長野五輪に16歳で初出場を果たした。
その後は明確な目標を持てず、2002年ソルトレイクシティ五輪は出場を逃した。
2004年世界選手権で優勝し、才能が開花した。
が、採点方法の変更も影響してか、2005年世界選手権は9位に終わった。
何とかトリノ五輪の日本代表の座を手にしたが、荒川静香が目指したのは“勝利”でなかった。

「自分の最高の演技をたくさんの人の記憶に残したい」。
荒川静香は大会直前に非常識な決断を行った。
コーチと曲を変更し、得点につながらないイナバウアーを組み込んだ。
なるほど、私はこれで謎が解けた。
日本経済新聞でスポーツ評論家が荒川静香を問題外と酷評していた。

本番では、ショートプログラム3位。
が、完璧なフリーで、大本命とされたロシアのイリーナ・スルツカヤを圧倒した。
ショートプログラムとフリーで自己ベストを更新。
当然、合計でも…。
大逆転で栄冠をつかんだ。

私は番組を通じ、荒川静香が五輪参加に「価値」を見出せなかったと知り、仰天した。
同時に、納得した。
プロフィギュアスケーターとしてやっていくには、デビューのきっかけが必要だ。
それが五輪でのメダル、なかでも金メダル。
彼女は競技でなく演技を究めたかったのだ。
それゆえ、技術と表現のはざまで葛藤した。

このブログで幾度か述べたが、荒川静香は五輪史上もっともエレガントなスケーティングを見せた。
芸術性はともかく、「優雅さ」ではカタリナ・ヴィットを凌ぐ。
私は「美しさ」という言葉を用いたいのだが、美とは何かという話になるとややこしい。
とりわけ驚嘆したのは、平板になりがちな“つなぎ”のスケーティングの豊かな表現力であり、突出した美しさである。
私は感動した。

五輪会場が熱狂に包まれるにつれ、荒川静香のフリーの演技は冴えわたっていった。
リンクで滑るのは、選手でなくアーティスト。
彼女は自らの願望に従い、ライバルと戦うのでなく、大勢に魅せた。

荒川静香にとり、オリンピックでの金メダルは目的でなく手段にすぎなかった。
目指すは、皆に喜んでもらうこと。
が、結局、自分のために滑った。
それが言いすぎなら、自分の夢を叶えるために滑った。

荒川静香はトリノ五輪の前から「引退」を決めていたのだ。
国民の興奮が冷めやらぬなか、やけにあっさりと表明したと思ったら…。
五輪に何の未練もないのだ。
彼女は競技でなく演技の世界で生きたかった。
栄冠を手みやげにプロへ転向した。
そう、金メダルはゴールでなくスタート!

荒川静香は、日本人の感性では理解しがたいところがある。
「自我と自由」を大事にしているからだ。
そして、それを貫く。
大衆人気がいま一つの最大の理由では…。

                       ◇

やはり先日、私はNHKスペシャル「浅田真央 金メダルへの闘い」を見た。
浅田真央(あさだ・まお)は、勝負のカギとなるフリーで、タチアナ・タラソワコーチと五輪の頂点に立つために磨き上げてきたプログラムを披露する。
可憐なイメージを脱ぎ捨て、ラフマニノフの荘厳な前奏曲「鐘(かね)」の曲調に合わせた表情と表現を打ち出すとか…。
こちらも賭けである。

本大会で日本勢はメダルを獲っているが、「金」はゼロ(2月23日午後9時現在)。
国民が無条件で熱狂するのは金メダルだ。
浅田真央はその期待を一身に背負い、本番のリンクに立つ。

私は、まずは自分のために大舞台での滑りを存分に楽しんでもらいたい。
結果は、後からついてこよう。

NHKスペシャル「浅田真央 金メダルへの闘い」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年2月21日「浅田真央、金メダル極秘練習全記録…NHKスペシャル」はこちら。

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安藤美姫とモロゾフコーチ、キスクラの歓喜とハグ

私は「キスクラ」という言葉をどこかで聞いた覚えがある。
「キャバクラ」の形態(業態)の変種か何かだろうと思っていた。
が、そうでなかった、ぞ、と・・・。

「キス・アンド・クライ」の略。
私はおそらくフィギュアスケートの放送で耳にしたのだろう。
昨今、何でもかんでも省こうとする。
暇人ほどそうした傾向が強い。

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」。
昭和の激動期のヒロイン・須藤陽子を、おでこがチャームポイントの井上真央がフツーに演じている。
私がこの朝ドラで感心する一つは、家庭内を含め、会話の言葉の丁寧さである。
「キス・アンド・クライ」と呼ぼう、なるべく。

これは何か?
演技を終えた選手がコーチと一緒に採点(得点)の発表を待つための小さなスペースのこと。
ここでもう一つのドラマが起こる。
主要な大会では、その様子がテレビカメラに映し出される。
選手がこちらに向かって手を振るなど、愛嬌をふりまいたりする。
このコーナーでは歓喜と失意が交錯する。
私は英語がさっぱりで、クライは失意でなく絶叫を意味するのかもしれない(不確か)。

「キス・アンド・クライ」では、ともに苦難を乗り越えてきた選手とコーチが喜びを分かち合う。
優勝が望めそうな高得点が出れば、喜びを爆発させる。
例えば、オリンピックでの荒川静香とニコライ・モロゾフコーチ、世界選手権での安藤美姫とニコライ・モロゾフコーチの接吻(キス)や抱擁(ハグ)。
そうしたシーンを眺めるのは、実にいいものだ。
私は感動を覚える。

                       ◇

念のため。
「キス・アンド・暗い」は誤り。
これだと場末のキャバクラになってしまう。
私は、血気盛んな若者に強く注意を促したい。
全国規模の実地検分を行ったわけでないが、「キスクラ」という名前の「キャバクラ」は存在しないのでは?

そうか、キャバクラも「キャバレー・クラブ」の略。
これは許せる、ぞ、と・・・。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート女子・安藤美姫に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年5月3日「世界フィギュア採点のなぞ…安藤美姫の勝利」はこちら。

⇒2011年4月30日「安藤美姫、逆転世界女王!…審査員の粋な計らい」はこちら。

⇒2011年4月29日「浅田真央の連覇か安藤美姫の返り咲きか…世界女王」はこちら。

⇒2011年4月29日「安藤美姫、世界女王へガッツポーズの品格」はこちら。

⇒2011年2月25日「安藤美姫、世界王者返り咲きへ…世界選手権」はこちら。

⇒2011年2月22日「安藤美姫、ため息が出るほど美しく・・・」はこちら。

⇒2011年1月20日「安藤美姫に乗り移る金・荒川静香の優雅」はこちら。

⇒2011年1月18日「安藤美姫とニコライコーチ、ガッツポーズと涙」はこちら。

⇒2011年1月14日「安藤美姫は精神的に安定、元気と明るさが復活」はこちら。

⇒2010年12月28日「安藤美姫と高橋大輔…ぶっちぎりエキシビション」はこちら。

⇒2010年12月8日「安藤美姫はエロい大輪を咲かせよ…神秘的セクシー」はこちら。

⇒2010年11月10日「安藤美姫と小塚崇彦、アベック優勝の注目度」はこちら。

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荒川静香と浅田真央、天才少女の重圧と低迷

世界フィギュアスケート選手権2011。
ロシア大会の放送を行ったフジテレビのスタジオ解説を務めたのが2006年トリノ冬季五輪(オリンピック)金メダリストの荒川静香だった。
いまは華やかなアイスショーに活躍の舞台を移している。

男女を通じ、日本のフィギュアスケート界に最初の栄冠をもたらした。
国民人気をさらに高め、フィギュア王国を築くうえで彼女が果たした貢献は絶大だった。
歴史に名を刻んだ。

1998年長野冬季五輪(オリンピック)で初出場を果たしながらも、満足のいく結果を得られなかった。
女子は1枠であり、16歳の彼女にどれほどの重圧がかかっただろう。
まして、ファンの期待が爆発する自国開催。
逃げ出したかったかもしれない。
16歳といえば、いまの村上佳菜子と同じ。
このシーズンの世界フィギュアスケート選手権も1枠だった。
3枠が当たり前のように感じる現在と状況がまったく違う。

それが尾を引いたのか、荒川静香は低迷が続く。
2002年ソルトレイクシティ冬季五輪(オリンピック)では出場さえできなかった。
気持ちを立て直せなかったのだ。
2004年世界フィギュアスケート選手権で日本人として10年ぶり3人目の優勝を果たした。
このときに用いたのが、例の「トゥーランドット」。
その後もいま一つ調子が上がらなかったが、トリノオリンピックの最後(3人目)の切符を全日本フィギュアスケート選手権でつかんだ。

荒川静香は2回目のオリンピック出場では開き直り、楽しく参加することを大切にして勝利を収めた。
24歳は五輪女子フィギュア史上最年長の記録。
昨今は10代が中心である。
日本の頂点も凄いが、世界の頂点に立つというのは、どういう感覚か。
おそらく苦しみ抜いて栄冠をつかんだ選手にしか分からない。
4年間に世界にただ一人。
荒川静香は以前から競技よりもショーのほうに魅力を感じると話していた。
即、プロ転向。

韓国のキム・ヨナ(金妍児)も苦しみ抜いて2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)で勝利を収めた。
1年ぶりの国際試合復帰となった2011年世界フィギュアスケート選手権ロシア大会の表彰台で流した涙がそれを物語っていた。

日本のフィギュアスケート界ではだれも金メダリストの荒川静香に並んでいない。
実は、アジア選手でも初めてだった。
あまりにも偉大な功績である。

以下に、「浅田真央と荒川静香、金メダルの苦闘」と題する2010年2月24日のブログを収める。

                      ◇◆◇

バンクーバー冬季五輪(オリンピック)は終盤に差しかかった。
フィギュアスケート女子シングルが始まる。
きょうがショートプログラム(SP)、あすがフリー。
日本人の注目が一番高い種目だろう。
2006年トリノ五輪で唯一のメダルが、女子フィギュアでの荒川静香(あらかわ・しずか)の金メダルだった。

私は先日、NHK「スポーツ大陸」を見た。
例により、ながら視聴。
日本経済新聞のテレビ欄に、「荒川静香 前年9位からの大逆転 栄光を生んだ選択とは」と記されていた。
インターネットで調べたら、過去の番組の再放送だった。
「大逆転スペシャル 栄光への選択 〜トリノ五輪 荒川静香〜」。
日本人初の金メダルを獲得した荒川静香。
確かに奇跡だったが、まぐれでなかった。
番組では、会心の勝利へ向けた苦悩と苦闘の足跡を紹介していた。

天才少女と称され、1998年長野五輪に16歳で初出場を果たした。
その後は明確な目標を持てず、2002年ソルトレイクシティ五輪は出場を逃した。
2004年世界選手権で優勝し、才能が開花した。
が、採点方法の変更も影響してか、2005年世界選手権は9位に終わった。
何とかトリノ五輪の日本代表の座を手にしたが、荒川静香が目指したのは“勝利”でなかった。

「自分の最高の演技をたくさんの人の記憶に残したい」。
荒川静香は大会直前に非常識な決断を行った。
コーチと曲を変更し、得点につながらないイナバウアーを組み込んだ。
なるほど、私はこれで謎が解けた。
日本経済新聞でスポーツ評論家が荒川静香を問題外と酷評していた。

本番では、ショートプログラム3位。
が、完璧なフリーで、大本命とされたロシアのイリーナ・スルツカヤを圧倒した。
ショートプログラムとフリーで自己ベストを更新。
当然、合計でも…。
大逆転で栄冠をつかんだ。

私は番組を通じ、荒川静香が五輪参加に「価値」を見出せなかったと知り、仰天した。
同時に、納得した。
プロフィギュアスケーターとしてやっていくには、デビューのきっかけが必要だ。
それが五輪でのメダル、なかでも金メダル。
彼女は競技でなく演技を究めたかったのだ。
それゆえ、技術と表現のはざまで葛藤した。

このブログで幾度か述べたが、荒川静香は五輪史上もっともエレガントなスケーティングを見せた。
芸術性はともかく、「優雅さ」ではカタリナ・ヴィットを凌ぐ。
私は「美しさ」という言葉を用いたいのだが、美とは何かという話になるとややこしい。
とりわけ驚嘆したのは、平板になりがちな“つなぎ”のスケーティングの豊かな表現力であり、突出した美しさである。
私は感動した。

五輪会場が熱狂に包まれるにつれ、荒川静香のフリーの演技は冴えわたっていった。
リンクで滑るのは、選手でなくアーティスト。
彼女は自らの願望に従い、ライバルと戦うのでなく、大勢に魅せた。

荒川静香にとり、オリンピックでの金メダルは目的でなく手段にすぎなかった。
目指すは、皆に喜んでもらうこと。
が、結局、自分のために滑った。
それが言いすぎなら、自分の夢を叶えるために滑った。

荒川静香はトリノ五輪の前から「引退」を決めていたのだ。
国民の興奮が冷めやらぬなか、やけにあっさりと表明したと思ったら…。
五輪に何の未練もないのだ。
彼女は競技でなく演技の世界で生きたかった。
栄冠を手みやげにプロへ転向した。
そう、金メダルはゴールでなくスタート!

荒川静香は、日本人の感性では理解しがたいところがある。
「自我と自由」を大事にしているからだ。
そして、それを貫く。
大衆人気がいま一つの最大の理由では…。

                       ◇

やはり先日、私はNHKスペシャル「浅田真央 金メダルへの闘い」を見た。
浅田真央(あさだ・まお)は、勝負のカギとなるフリーで、タチアナ・タラソワコーチと五輪の頂点に立つために磨き上げてきたプログラムを披露する。
可憐なイメージを脱ぎ捨て、ラフマニノフの荘厳な前奏曲「鐘(かね)」の曲調に合わせた表情と表現を打ち出すとか…。
こちらも賭けである。

本大会で日本勢はメダルを獲っているが、「金」はゼロ(2月23日午後9時現在)。
国民が無条件で熱狂するのは金メダルだ。
浅田真央はその期待を一身に背負い、本番のリンクに立つ。

私は、まずは自分のために大舞台での滑りを存分に楽しんでもらいたい。
結果は、後からついてこよう。

NHKスペシャル「浅田真央 金メダルへの闘い」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年2月21日「浅田真央、金メダル極秘練習全記録…NHKスペシャル」はこちら。

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浅田真央、やってみないと分からない…修正途上

世界フィギュアスケート選手権2011(モスクワ大会)。
私は仕事に追われ、楽しみにしていた日本選手の演技をじっくりと見られない。
やむをえずスポーツニュースなどで補っている。
デスクワークに集中できるゴールデンウィーク(GW)の10日間は格別に貴重だ・・・。

ところで、このブログを「浅田真央 和田創」「安藤美姫 和田創」のキーワードで訪れる人がいる。
私は何だか気恥ずかしい。
また、「高橋大輔 和田創」「小塚崇彦 和田創」のキーワードで訪れる人がいる。
私はそうした趣味を持たない。

読者に心より感謝する。

                       ◇

さて、浅田真央は2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)で銀メダルを得たというより、金メダルをつかめなかったというほうが実感だろう。
敗北もさることながら、得点で韓国のキム・ヨナ(金妍児)に圧倒的な差をつけられたことがショックだった。
しかし、この現実を真っ先に受け入れたのは浅田真央だった。
即座に滑りの見直しを決断した。
立派な実績を残してきた選手にとり、自己否定は大きなリスクをともなう。
それを繰り返して脱皮と進化を遂げ、五輪4冠を果たしたのが男子競泳平泳ぎの北島康介だった。

浅田真央は佐藤信夫に指導を仰ぐことにした。
成長著しい小塚崇彦を見ているコーチである。
実は、別のコーチのもとで3カ月ほど得点源のジャンプの修正(矯正)に取り組んだ。
そして、シーズン直前の9月から佐藤信夫コーチに一本化した。
ジャンプの基礎となる「スケーティング」に修正の範囲を広げた。
すなわち、根本の立て直し。
それにより姿勢とエッジワークが変わり、滑らかさとスピードが増し、結果としてジャンプがすっかり壊れてしまった(私は専門知識を持たない)。
フィギュアスケートはデリケートなのだ。
今季前半は悲惨な状態だった。
浅田真央は完全主義なので、確信を持てないと滑れない、跳べない・・・。
ミスが重なって暗闇に迷い込み、出口を見つけられなかった。
つらく苦しい期間である。

その浅田真央を「佐藤信夫ファミリー」が支えつづけた。
彼女は同コーチが拠点とする新横浜と名古屋の往復生活を送っている。
ここでは信夫コーチの妻と小塚崇彦の父も見守ることがあるようだ。
彼女は心強い。
ロシアのタチアナ・タラソワコーチは接触の頻度と密度が低く、彼女が満足する指導を受けられなかった。

浅田真央は世界トップクラスの小塚崇彦と練習を一緒に行うので、互いに刺激も得られる。
相乗効果が大きい。
それと、小塚崇彦の精神面の成長は浅田真央の存在が加速させたのでないか。
男はだれだって近くにいる可愛い子にいいところを見せたい。
私は浅田真央が2006年〜2008年に身を投じた米国の環境に馴染めなかったと知った。
おそらく生活を含め、何事にも頑固で不器用なのだ。

浅田真央は現在の環境が落ち着くのだろう。
このところのインタビューでは表情が柔和になり、言葉が自然になってきた。
こちらが息苦しくなるほどの硬さは取れた。
ゆとりが生まれ、ユーモアもいくらか感じられる・・・。
いつも張り詰めていては本番(大会)にもマイナスである。

浅田真央は修正が進んだのか、ジャンプに復調の兆しがはっきりと出てきた。
年末の全日本フィギュアスケート選手権で2位に入った。
すべての動きとポーズが磨かれていた。
最近の練習では代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)も次第に決まり出した。

ただし、佐藤信夫コーチは全体のレベルをもっと上げたいが、新しいことをすると壊れてしまう可能性があると語った。
指導者の苦悩も深い。
浅田真央は修正が終わったわけでなかった。

高橋大輔だけでなく浅田真央も評価する側が難しいこと、つまり得点になりにくいことにこだわりたがる。
表現者としてのフィギュアスケート選手がすべて持っているにしろ、とくに・・・。
私は二人の真骨頂だと思う。
浅田真央が世界フィギュアで優勝できるかどうか分からない。

◆書き加え1(4月29日)

このブログはだいぶ前に書いた。
きのうのブログ「浅田真央の連覇か安藤美姫の返り咲きか…世界女王」の内容と時間が前後している。
書き溜め記事に書き足しなどを行っているうちに、私自身が混乱してくる。
申し訳ない。

⇒2011年4月29日「浅田真央の連覇か安藤美姫の返り咲きか…世界女王」はこちら。

佐藤信夫コーチは、大会2連覇を狙う浅田真央について「非常に難しい。やってみないと分からない」。
万全な状態に程遠い仕上がりを示唆した。
無理な注文かもしれないが、彼女には世界フィギュアで演技を楽しんでほしい。
彼女の場合にはトリプルアクセルが決まると勢いがつき、プログラム全体の出来がよくなる。
が、練習でも成功率が安定していない。

キム・ヨナはバンクーバーオリンピックで抜群の勝負度胸を見せた。
その際、審判や観客に圧勝、敵なしという印象をすり込んだ。
これが案外、世界フィギュアの採点に影響を与えるかもしれない。
彼女は自信に満ち、大舞台で憎らしいほど強い。
練習でもすきが見つからない。
ブランクをまったく感じさせない。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート女子・浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年4月29日「浅田真央の連覇か安藤美姫の返り咲きか…世界女王」はこちら。

⇒2011年4月27日「浅田真央の純粋な狂気に学ぶ…プロ講師の心得」はこちら。

⇒2011年4月24日「世界女王・真央と五輪女王・ヨナ、プライド激突!」はこちら。

⇒2011年4月23日「キム・ヨナの恩返しと現役引退…世界フィギュア」はこちら。

⇒2011年4月22日「世界フィギュア2011日程…浅田真央は勝てる?」はこちら。

⇒2011年4月20日「浅田真央と井上真央、もう一人の真央」はこちら。

⇒2011年4月17日「斎藤佑樹のハラハラ、浅田真央のドキドキ…日本の至宝」はこちら。

⇒2011年4月17日「浅田真央、世界フィギュア2011延期の影響」はこちら。

⇒2011年3月6日「浅田真央は2位じゃダメなんでしょうか」はこちら。

⇒2011年3月2日「浅田真央、キム・ヨナにめらめら…世界選手権」はこちら。

⇒2011年2月26日「真央ちゃんと二人乗り…うれしはずかし」はこちら。

⇒2011年2月24日「浅田真央、世界フィギュアは崖っぷち」はこちら。

⇒2011年2月19日「復調・浅田真央、本場の中華が高速で回転!」はこちら。

⇒2011年2月17日「浅田真央の調子と連覇…四大陸フィギュア選手権」はこちら。

⇒2011年2月6日「浅田真央、バレエ転向の噂…ストナリニ選手権後」はこちら。

⇒2011年2月5日「浅田真央に連覇の期待…世界フィギュア2011東京大会」はこちら。

⇒2011年1月28日「キム・ヨナ、浅田真央への秘策…世界選手権2011」はこちら。

⇒2011年1月27日「浅田真央は小塚崇彦をどう思っているのか?」はこちら。

⇒2011年1月17日「浅田真央と福耳ボールペン」はこちら。

⇒2010年12月29日「浅田真央と30人31脚」はこちら。

⇒2010年12月26日「浅田真央、蝶の舞、2011世界フィギュア選手権代表」はこちら。

⇒2010年12月25日「浅田真央、観衆総立ち、感動の1位発進…全日本」はこちら。

⇒2010年12月23日「村上佳菜子に挑む浅田真央…全日本フィギュア選手権」はこちら。

⇒2010年12月20日「浅田真央はもうあの頃に戻れない」はこちら。

⇒2010年12月18日「浅田真央を取りあげた、いい加減なブログ」はこちら。

⇒2010年12月16日「浅田真央は貯金を使い果たした」はこちら。

⇒2010年12月14日「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」はこちら。

⇒2010年12月11日「浅田真央がかいた汗の量」はこちら。

⇒2010年12月4日「浅田真央、惨敗後インタビューの残酷と地獄」はこちら。

⇒2010年12月2日「浅田真央のリップサービス…マスコミ対応」はこちら。

⇒2010年12月1日「浅田真央はソチ仕様に工事中、勝てなくて当然」はこちら。

⇒2010年11月29日「浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断」はこちら。

⇒2010年11月28日「惨敗・浅田真央は輝きを取り戻せるか?」はこちら。

⇒2010年11月27日「浅田真央、得意なジャンプが壊れる恐怖」はこちら。

⇒2010年11月25日「浅田真央を引き受けた佐藤信夫コーチの胸中」はこちら。

⇒2010年11月23日「浅田真央、ソチ五輪栄冠への長いトンネル・・・」はこちら。

⇒2010年11月21日「浅田真央が流した悔し涙の価値とは?」はこちら。

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浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断

おとといのブログ「浅田真央、得意なジャンプが壊れる恐怖」の続き。

⇒2010年11月27日「浅田真央、得意なジャンプが壊れる恐怖」はこちら。

浅田真央は佐藤信夫コーチのもと、ジャンプを含めた滑りの矯正に取り組んでいる。
より高い次元に到達するうえでの弱点や欠陥を自覚していることになる。
20歳の女の子は、あえて困難に挑戦する道を選んだ。

ネット上の信頼の置けそうな情報によれば、佐藤信夫コーチは技術と芸術のバランスを大切にするとのこと。
基礎を重視し、展望と計画に基づいて指導する。
焦ったところで、オリンピックで勝てないのは確か。
タチアナ・タラソワコーチは浅田真央のそばにいられず、しかもジャンプを見られなかった。
佐藤信夫コーチは彼女に張り付けるし、具体的に教えられる。

浅田真央は自らの意思で行うからいいが、コーチは見守るしかない。
しかも、世間は結果を性急に求める。
佐藤信夫はつらい立場である。

浅田真央は矯正を加速させるに当たり、佐藤信夫と長久保裕による2人コーチ体制を排した。
やはりネット上の情報によれば、ジャンプの修正か改造かで方針が違うらしい。
リスクの大きい後者をためらった?

浅田真央は従来の滑りで立派な実績を残してきた。
佐藤信夫コーチの助言を得ながら、そこに「修正」を加えることでレベルアップを図っていく。

長久保裕はジャンプ専門のコーチとして招かれた。
「改造」は避けられない、ついては長い歳月がかかると考えた模様。
また、鈴木明子のメインコーチであり、そのことへの遠慮もありそうだ。

オリンピックに出場するほどの選手は競技にすべてをかけている。
無我夢中なので、過酷な練習も乗り切れる。
まして金メダルを狙う浅田真央は…。
しかし、コーチはひたすら辛抱…。

私は佐藤信夫がコーチに就任した経緯を知らない。
迷い揺れる浅田真央を見かねて手を差し延べた?
それが「火中の栗を拾う」ことになるかもしれないと思いつつ…。
実際には、あらかじめ覚悟していたよりもっと大変だったのでは…。
NHK杯で敗れただけで、解任を求める声が上がる始末。

オリンピックの表彰台の一番高いところで満面の笑みを浮かべる選手。
猛烈な努力が花開いたわけだが、それを支えていたのはコーチの地獄の苦悩でなかろうか。
そんな気がした。

フィギュアスケートに何の専門知識も持たない私は、コーチに関する一連の判断が浅田真央をいい方向へ導くことを祈るのみ。

続きはあさって、「浅田真央は工事中、勝てないのが当然」のブログで…。

◆書き加え1(11月28日)

浅田真央はNHK杯に続き、フランス大会でも惨敗を喫した。

⇒2010年11月28日「惨敗・浅田真央は輝きを取り戻せるか?」はこちら。

佐藤信夫コーチに対する不満や不信の声が大きくなりそうだ。
救いは、同じ教え子の小塚崇彦がGPシリーズで格段に進化した演技を見せたこと。
2大会とも圧勝を遂げた。
私たちが理解しておかなくてならないのは、コーチの非難は浅田真央を苦しめ、追い詰めるということである。
自らの意思で最終的に指導を要請した彼女が一番心を痛める。
浅田真央を応援するなら行うべきでない。

また、浅田真央に対する失望や揶揄の声が大きくなるかもしれない。
しかし、政治家や評論家などと異なり、選手はそもそも批判の対象でない。
日本の代表候補や代表には強化費や遠征費などの税金が投入されている?
確かにそのとおりだが、批判は選手がやってならないことをやったときに限られる。
競技に懸命に取り組む選手に向けるべきでない。

アスリートは私たちに素晴らしい感動を与えてくれる。
感謝の気持ちを忘れないことだ。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート女子・浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年11月27日「浅田真央、得意なジャンプが壊れる恐怖」はこちら。

⇒2010年11月25日「浅田真央を引き受けた佐藤信夫コーチの胸中」はこちら。

⇒2010年11月23日「浅田真央、ソチ五輪栄冠への長いトンネル・・・」はこちら。

⇒2010年11月21日「浅田真央が流した悔し涙の価値とは?」はこちら。

⇒2010年10月26日「浅田真央の敵、キム・ヨナの敵はだれか?」はこちら。

⇒2010年10月25日「浅田真央を気づかう高橋大輔と村上佳菜子」はこちら。

⇒2010年10月24日「浅田真央、北島康介が最高の教科書…五輪金メダル」はこちら。

⇒2010年10月3日「浅田真央はしっとり大人の“女”へ…20歳の変身」はこちら。

⇒2010年7月3日「浅田真央新コーチ人選、ソチ金メダル条件」はこちら。

⇒2010年4月16日「妹真央を兄大輔が気遣う春の園遊会」はこちら。

⇒2010年3月30日「銀・浅田真央は金・荒川静香より凄い!」はこちら。

⇒2010年3月28日「笑顔がこわばる浅田真央…フィギュア表彰台」はこちら。

⇒2010年3月4日「あきれた浅田真央と高橋大輔の言葉!」はこちら。

⇒2010年2月28日「浅田真央敗因分析、ソチ金へ新コーチ」はこちら。

⇒2010年2月24日「浅田真央と荒川静香、金メダルの苦闘」はこちら。

⇒2010年2月21日「浅田真央、金メダル極秘練習全記録…NHKスペシャル」はこちら。

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浅田真央敗因分析、ソチ金へ新コーチ

フィギュアスケート女子の浅田真央(あさだ・まお)は、2014年ロシア・ソチ冬季五輪(オリンピック)での金メダルを目指し、早くも新コーチ探しに動き出した。
バンクーバー冬季五輪では、宿命のライバル、韓国のキム・ヨナに敗れて銀メダルに留まった。
所属は中京大。
ネットは、二人の選手の今後に関する話題で持ち切り…。

浅田真央は、苦手のショートプログラム(SP)で5点弱の得点差に抑え、得意のフリースケーティングで逆転を狙ったものの、結果は23点強の得点差に広がった。
女王、キム・ヨナの出来栄えが完璧で、つけ入るスキがなかったのだ。
驚くほどの大差をつけられ、完敗を喫した。
しかし、現時点でキム・ヨナと戦えるのは浅田真央しかいないこともはっきりした。
私は、国民の熱狂的な期待に押し潰されず、2選手とも立派な成績を残したと思う。
素晴らしいこと!

浅田真央は表彰式の終了後、ソチ五輪への挑戦を明言した。
気持ちを整理できたのか、表情は晴れやか。
試合の直後、大粒の涙をこぼした。
キム・ヨナに負けたことより、自分で納得のいく演技を行えなかったことが悔しかったのでないか。
バンクーバー五輪で金メダルを獲得したらアマチュアを引退し、プロへ転向するとの噂があった。
私たちはもう一度、オリンピックの大舞台で浅田真央の演技を楽しめる。

                       ◇

このブログで述べたとおり、浅田真央のキャラクターとイメージ、19歳という年齢からして、とくにフリーの選曲はどうだったのだろうと思う。
セルゲイ・ラフマニノフの前奏曲「鐘(かね)」は、荘厳で重厚である。
まず、内容の解釈が難しい。
また、会場の巻き込みが図りにくい。
もっとも浅田真央が勝利を収めていれば、タチアナ・タラソナコーチは称賛を受けたはずだ。
選手とコーチ、最終的に選手が決めることなので、周囲はとやかく言えない。
が、北米開催のオリンピックでは分かりやすさと具体性を大切にしたほうが結果はよかったのでは…。
この選曲は、年齢的にも場所的にもソチ五輪向き。
ラフマニノフはロシアの作曲家、ピアニスト。

タラソワコーチは選手に示唆を与えられるが、手本を示せない。
2006年トリノ五輪金メダリストの荒川静香が大会直前にコーチをかえた最大の理由だ。
また、健康状態が不安だ。
さらに、ロシアに教え子を持つため、オフシーズンの指導が中心になり、試合での現地合流が大半になる。
浅田真央にとり五輪代表選考のラストチャンス、昨年12月の全日本選手権はロシア選手権と重なり、タラソワコーチは来日できなかった。
二人が選手とコーチの関係で戦うのは、3月に行われるイタリア・トリノの世界選手権が最後になりそう。

浅田真央陣営は、日本人コーチを含めて人選に着手する。
ただ、タラソワコーチの指導を評価しており、「総合アドバイザー」として残す模様。
浅田真央の新しい一面をつくり出したのは、事実。
とりわけ表現に幅をもたらした。
今後の競技生活に大きなプラスとなるのは間違いない。
また、タラソワコーチは地元ロシアで豊かな人脈を築いている。
ソチ五輪で有利に働く。

キム・ヨナはショートプログラムとフリーを通し、初めてノーミスで滑った。
演技後は重圧から解放されてほっとしたのか、涙を流した。
韓国人の応援は日本人のそれの比でない。
度を超えている。
キム・ヨナの圧勝の背景に、彼女を支える万全の体制があった。
コーチを含めた3人が役割を分担して精神、技術、表現をブラッシュアップし、滑りを劇的に進化させた。
これが最大の勝因だろう。
ショートプログラム、フリー、合計のすべてで世界歴代最高得点を更新!

キム・ヨナは、外出時にボディガードが必須の人気者。
多くの有名企業がスポンサーにつき、年収は10億円に迫るらしい。
彼女は、百周年を迎える3月の世界選手権で2連覇に挑戦し、大会後に去就を発表するようだ。
アイスショーでの活動を望んでおり、プロ転向がささやかれている。
それでも4年後にアマチュア復帰は可能である。
今大会におけるロシアのエフゲニー・プルシェンコがそうだった。

浅田真央がバンクーバー五輪で銀メダルに終わったのは、選手の資質の優劣で片づけられない。
まして、努力の度合で…。
陣営は総合的かつ客観的に敗因を分析したうえで、勝てる体制を構築してほしい。
ソチ五輪で、浅田真央とキム・ヨナの宿命対決が再燃するかもしれない…。

フィギュアスケートのエキシビションが行われた。
私は、浅田真央の演技を見てつくづく思った。
彼女には“笑顔”が断然似合うと…。
愛らしく、可憐。
浅田真央の敗因に、キム・ヨナに見られる妖艶さが欠けている点を挙げる人がいるが、間違い。
フィギュアは女の色気の闘いでない(キム・ヨナには女優としても活躍できる可能性を感じるが…)。
浅田真央には彼女ならではのよさがある。
それが本大会で圧し殺されてしまった。
残念だ。

                       ◇

バンクーバー冬季五輪に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年2月13日「バンクーバー五輪開幕、日本メダル予想」はこちら。
⇒2010年2月14日「モーグル上村愛子、ソチ3位へ挑戦?」はこちら。
⇒2010年2月16日「男子5百歓喜、長島銀、加藤銅メダル」はこちら。
⇒2010年2月17日「男子フィギュアSP、高橋3位、織田4位」はこちら。
⇒2010年2月18日「日本電産・永守重信、メダルに報奨金」はこちら。
⇒2010年2月19日「高橋大輔、攻めか守りかメダル予想」はこちら。
⇒2010年2月19日「高橋大輔、4回転失敗も銅メダル!」はこちら。
⇒2010年2月21日「葛西紀明、伊東大貴…ラージヒル決勝」はこちら。
⇒2010年2月21日「浅田真央、金メダル極秘練習全記録…NHKスペシャル」はこちら。
⇒2010年2月24日「浅田真央と荒川静香、金メダルの苦闘」はこちら。

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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