コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

ダルビッシュ有

大人の菅野智之、子どもの澤村拓一でいいのか

プロ野球はキャンプ真っ盛り。
ルーキーのなかで目を引くのは、菅野智之(すがの・ともゆき)の落ち着きだ。
1年間のブランクを埋めようと入れ込んで当然なのに、そうした様子がみじんも感じられない。
同学年のなかに1軍でそれなりの成績を残した選手がいる。
しかし、菅野智之は焦っておらず、いたって冷静に自分と向かい合う。
決して簡単なことでない。

⇒2013年2月3日「プロ野球12球団キャンプ地巡り…人気は大谷翔平」はこちら。

⇒2013年1月31日「小笠原道大という生き方」はこちら。

対照的なのは澤村拓一(さわむら・ひろかず)。
素晴らしい力を持ちながら、生かし切れていない。
ストレートに対する考え方を間違えている。
直球、それも剛速球を投げることが目的となっている。
今シーズン、原辰徳監督が抑え転向を臭わせ、澤村拓一を揺さぶった。
頭を冷やして2シーズンを振り返り、ストレートに対する考え方を改めなさいということだろう。
実際、澤村拓一は21勝21敗と、貯金はゼロである。
先発投手としての貢献はそれほど大きくない。

子どもの澤村拓一に対し、大人の菅野智之。
澤村拓一は菅野智之の教育係でなかったか(不確か)。

菅野智之は東海大3年生、世界大学野球選手権のキューバ戦で自己最速の 157キロマークした。
それ以来、この記録とともに紹介されてきた。
しかし、本人はスピードにこだわっていない。
それは、両リーグを通じて最高の投手陣を誇る巨人キャンプでの投球練習にはっきりと表れている。
WBC出場メンバーなど仕上がりの早い周囲に惑わされず、あくまでも自分の流儀とペースで着実に階段を上っている。

本格派投手と、大きな期待が寄せられる即戦力ルーキーが最初につまずく主因がスピードへの過剰意識である。
澤村拓一も一貫して直球の速さにこだわり、出来がきわめて不安定だった。

菅野智之は、ゆったりとした動きから腕をしっかりと振り、力のあるボールを低めに投げ込む。
阿部慎之助が初めてボールを受けた後で報道陣に語ったのは、「軸になるピッチャーになってほしい」だった。
最高のほめ言葉だ。
菅野智之は主戦級の雰囲気、それも大物の風格さえ漂わせる。
川口和久投手総合コーチもべたぼめ。
多くの野球評論家が二けた勝利を予想する。

私は、菅野智之はケガがなければ新人王は固いと思う。
ひょっとして15〜20勝。
同じ背番号「19」をつけていた上原浩治のように新人で巨人の勝ち頭となり、セ・リーグで最多勝に輝くかもしれない。
ちなみに、上原浩治は新人の1999年、20勝4敗で最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率を制し、史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成した。
また、新人王と沢村賞を獲得した。

菅野智之はブランクとされた1年間にメジャーを含めた野球を見つづけ、ストレートはボールのキレ、ピッチングは低めへのコントロールが決定的に重要との結論を得た。
実は、上原浩治がそうだった。
菅野智之は変化球を織り交ぜたブルペンでの投球練習そのものがクレバーである。
柳ブルペン捕手が「球が速くて何でも投げるのはダルビッシュ有くらい」「抜ける球が1球もない」と絶賛した。

原辰徳監督はドラフト会議で1位指名が確定した夜、菅野智之に背番号19のユニフォームを着せた。
「迷わずこの番号に決めました」。
上原浩治の姿と重なって見えたのか。
菅野智之は1年目から巨人のエースとして活躍する可能性がある。

                       ◇

私は先日、澤村拓一が今シーズン、「脱力投球」をテーマに掲げていると知った。
力んで棒球になり、幾度も痛い目を見た昨シーズンの反省を踏まえてのものだろう。
澤村拓一もよく考えていたのだ!
今シーズンは先発としての価値と適性を問われる。
結果を出せないと自分の希望を押し通せず、中継ぎや抑えに回らざるをえない。

澤村拓一は1年下の菅野智之の存在がとてもいい刺激になっている。
二人が巨人の投手陣を引っ張っていきそうだ。

◆書き加え1(2月7日)

菅野智之は「カーブが好不調のバロメーター」と語った。
カーブは全身を使い、下半身が粘れないと、うまく抜くことができない。

桑田真澄のような大きく縦に割れるドロップカーブが持ち味だ。
かつては堀内恒夫や江川卓など、カーブを決め球にするエースがいた。

菅野智之は多彩な球種を持つが、150キロ前後の直球と110キロ前後のカーブの緩急差がピッチングの生命線なのだとか。
カーブをうまく投げられるときは、他の球も調子がいいらしい。

ブルペンでの投球練習で直球の後にカーブを投げているのもそのせいだ。

                      ◇◆◇

澤村拓一と菅野智之に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年11月6日「澤村拓一MVP、やせがえる久保田千寿」はこちら。

⇒2012年10月26日「菅野智之、晴れて読売巨人軍入団…ドラフト単独指名」はこちら。

⇒2011年12月4日「沢村拓一、山口鉄也・松本哲也・長野久義に続く新人王」はこちら。

⇒2011年11月21日「菅野智之、入団拒否…勇気ある決断を擁護する」はこちら。

⇒2011年11月5日「横浜DeNAベイスターズ、原辰徳監督就任、菅野智之1位指名なら人気回復!」はこちら。

⇒2011年10月29日「菅野智之…巨人油断、ドラフト一本釣り詰め甘く大失態」はこちら。

⇒2011年10月27日「菅野智之、巨人を逆指名…長野久義、澤村拓一に続け!」はこちら。

⇒2011年10月23日「菅野智之は横浜と巨人が指名…ドラフト会議12球団1位予想」はこちら。

⇒2011年6月7日「澤村拓一の面構えとオーラ…真っ向勝負の魅力!」はこちら。

⇒2011年4月21日「澤村拓一、巨人黄金伝説の扉を開ける」はこちら。

⇒2011年2月12日「沢村拓一は伝説の投手になれ…城之内邦雄」はこちら。

⇒2011年2月11日「沢村拓一に開幕投手テスト…巨人原辰徳監督」はこちら。

⇒2011年2月7日「沢村拓一が宮崎牛に舌鼓…巨人1軍キャンプ」はこちら。

⇒2011年2月4日「沢村拓一15番、斎藤佑樹18番…実力はどちら?」はこちら。

⇒2011年2月3日「勝ち星予想…沢村拓一・斎藤佑樹・大石達也」はこちら。

⇒2010年11月14日「東海大・菅野智之は巨人、興南・島袋洋奨は中央大」はこちら。

⇒2010年11月12日「沢村拓一は巨人の開幕投手、即沢村賞も…」はこちら。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

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大谷翔平、日本ハム経由でメジャー入団か

私はドラフト会議の直前、岩手・花巻東高校の 160キロ右腕・大谷翔平投手がメジャー挑戦をきっぱりと表明したことに驚いた。
日本球界を背負う逸材とされてきた。
何と勇敢かと・・・。
同時に、あまりに無謀でないかと・・・。

メジャーの何球団かは大谷翔平が十分に通用すると踏んでおり、獲得に熱心だ。
私は素人なので、彼がどのくらいの期間でメジャーに上がれるかは分からない。
大学生がいきなり挑戦するのも至難だと思うが、高校生はリスクがすごい。
取り返しのつかない決断になる可能性がある。

私がもっと驚いたのは、その大谷翔平を北海道日本ハムファイターズがドラフト1位で強硬指名したことだった。
東北楽天イーグルスなど他球団はその動きに追随しなかった。

日本ハムは幾度か球団として地ならしを行ったうえで、栗山英樹監督が本人と両親に会った。
その直後、「翻意させるために来たわけでなく、大谷君の夢をどうやったら手伝えるかを説明した」と記者団に語った。
見事な殺し文句である。
そのうえで、日本のファンに応援してもらってから大リーグに挑戦するのも選択肢の一つだと訴えた。
私は営業の教育指導に携わっているが、説得をやめ、納得を引き出せと述べている。
また、いかなるセールストークも顧客のために発せよ、と・・・。
栗山英樹監督はこのセオリーが分かっているのだろう。

また、「選手は家族」が持論であり、交渉の場で「翔平」とファーストネームで呼んだ。
親しみを込め、二人の距離を縮める。
白鴎大学経営学部教授だったこともあり、頭とセンスが抜群にいい。

ドラフト1位指名の高校生が直接米球界に飛び込んだ例はない。
そうなると数年のマイナー暮らしが避けられない見通し。
プロ野球の2軍と比較できないくらい過酷で熾烈な下積みが待ち受ける。
ならば、卒業後すぐに1軍で実績を残し、マイナーを飛ばしてメジャーの舞台に立つほうが確実である。
そして、その道を選ぶなら、ダルビッシュ有を送り込んだ日本ハムがもっとも適する。
球団としても「メジャー登竜門」というイメージが定着すれば、今後のドラフトで優位に立てる。

「何度も来ると迷惑をかけてしまう」。
栗山英樹監督は自らが交渉に出向くのは最初で最後と語った。
周到に考えられた作戦とシナリオに、難攻不落と思われた大谷翔平の気持ちが大きく揺れている。

彼が米国で活躍の場をつかめなかったとして、現行ルールでは3年間プロ野球と契約できない。
最悪の場合、そのまま野球人生を終える。

父親は本人の意思を尊重するとしながらも、卒業即メジャー挑戦に否定的だった。
栗山英樹監督との面談後、「一野球選手のために進路を一緒になって親身に考えてくれた」と感激した。
これで外堀は埋まった・・・。

大谷翔平は夢を押し通してパイオニアとなるのか。
それとも翻意するのか。
早ければ12月上旬に結論を出す。

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澤村拓一MVP、やせがえる久保田千寿

テレビで観戦したいと思っていたプロ野球日本シリーズ。
私の一番のお気に入り・ダルビッシュ有がメジャーに移ってしまった。
が、三番のお気に入り・澤村拓一が出る(二番のお気に入りは田中将大)。
しかし、仕事に追われ、スポーツニュースを見るくらいしかできなかった。
生中継と異なり、ゲーム展開の醍醐味は感じられない。

澤村拓一は中田翔に3ランを打たれ、MVPを取り損ねたらしい。
内角攻めに遠慮があったのか?

◆木曜日(11月1日)
私は2カ月に及ぶ無謀な頑張りのせいで全身の疲労と痛みが重なり、体調が悪い。
そこで、錠剤を何種類か服用した。
その際、水と間違えて日本酒をガブッといってしまった。

前夜、久し振りに熟睡したくて日本酒を大きなマグカップで飲んだことを忘れており、2杯目がかなり残っていたのだ。
私は50代後半から外でまったく飲まない。
昔から自宅ではアルコールを口にしない。
前夜は特別だった。

朝から一段と気分がすぐれない。
そこで、一句。

やせがえる 久保田千寿で クスリ飲む  三茶

このところ自分でも怖いくらい俳句の腕前が上達した。

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北島康介、無類の勝負強さ、怪物から化け物へ…ロンドン五輪

私は、それほど重くない仕事とはいえ、月曜日の締め切りを3本抱えており、間に合わせるのに必死。
頭から湯気が昇っている。
連日、夢のなかでうなされ、すぐに目が覚めてしまう。
今年は遅咲きの桜も、見ないうちに終わりそう・・・。

私はすっかり世相に疎くなっているが、そろそろダルビッシュ有が登板するはずだ。
現役時代を知る投手でナンバーワンと考える。
お気に入り。

ところで、オリンピック4冠の北島康介。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。

⇒2011年6月9日「北島康介、ロンドンオリンピックへの苦闘と挫折」はこちら。

北島康介は、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪に続いて2012年ロンドン五輪の日本代表になった。
私は代表選考会を兼ねた日本選手権をスポーツニュースで見た。
百メートルは余裕のゴール。
得意の2百メートルは立石諒に追い上げられたものの逃げ切った。
これにより日本の競泳選手では史上初の4大会連続出場を決めた。
素晴らしい。

北島康介は依然として男子競泳平泳ぎの第一人者だった。
強じんな意志を持ち、壮絶な努力をいとわない。
また、自らを客観的に眺め、オリンピックで勝つための戦略を定めて計画を立てられる。
4年に一度の大舞台での無類の勝負強さはそこから生まれる。

⇒2010年12月14日「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」はこちら。

北島康介はとうにピークを過ぎた29歳。
ロンドンオリンピックで金メダルが獲れればもちろんうれしいが、私は決勝に進出するだけでも快挙だと思う。
百メートルか2百メートルで3連覇を達成することがあれば「怪物」を通り越して「化け物」と表現するしかない。
これまで大きな勇気と感動を与えてくれた北島康介には、ロンドンオリンピックを存分に楽しんでもらいたい。

⇒2011年6月30日「北島康介の勝負脳、浅田真央の脱皮計画を応援しよう!」はこちら。

名選手が名コーチになると限らない。
しかし、北島康介は間違いない名コーチになると考える。
オリンピックで結果を残せる選手を育ててほしい。

私は、北島康介と高橋大輔が互いの活躍に刺激され、オリンピックへの情熱を再燃させたことを思い出した。
実績十分の二人は、台頭著しい若手のなかに身を投じて厳しい戦いに挑む。
いや、それどころか若手を引っ張っている。
「人間力」が突出する。

⇒2011年6月24日「北島康介と高橋大輔、五輪への思い再燃…現役続行」はこちら。

私にとり、浅田真央とイチローは「畏敬」の対象である。
見ているとつらくなるが見てしまう。

⇒2012年4月1日「浅田真央、ライバルと戦う前に自分に負ける…世界選手権」はこちら。

⇒2009年9月15日「イチロー、心が折れる」はこちら。

北島康介と王貞治は「尊敬」の対象である。
憧れの気持ちが混ざる。

高橋大輔は「親愛」の対象である。
要は、好きだ。
世界フィギュア選手権後、世界フィギュア国別対抗戦での主将に任命された。
日本チームをまとめ、優勝へ導いていくはずだ。
故障の羽生結弦に代わり出場する小塚崇彦に頑張ってほしい。

⇒2012年3月31日「高橋大輔は別格、芸術性の高い熟練の演技で魅了」はこちら。

ちなみに、長嶋茂雄は別格。
選手時代から監督時代まで、突き抜けた存在でありつづけた。
私が子どもの頃の世相を明るく照らした太陽(おひさま)であり、まぶしかった。
多分に神格化されているが、そうでなければ戦後最大のヒーローは生まれなかった。
スーパースターとは、そういうもの。

⇒2009年9月25日「ONの時代…両雄並び立つ奇跡!」はこちら。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
私が考えていた以上の快挙である。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年4月5日「溺れる浅田真央は内村航平をもつかむ…立て直しのヒント」はこちら。

⇒2012年4月4日「浅田真央抜き視聴率…フィギュア国別対抗戦放送予定」はこちら。

⇒2012年4月1日「浅田真央、ライバルと戦う前に自分に負ける…世界選手権」はこちら。

⇒2012年3月29日「浅田真央、半伽思惟像のほほえみ…世界フィギュア選手権」はこちら。

⇒2012年3月25日「浅田真央は頂点へ…世界フィギュア選手権2012放送予定」はこちら。

⇒2012年2月12日「浅田真央、ソチオリンピックで金メダルはムリ・・・」はこちら。

⇒2012年1月11日「浅田真央、女王復活のシナリオ…世界フィギュア選手権2012」はこちら。

⇒2011年12月28日「浅田真央、視聴率の化け物…日本唯一のスーパースター」はこちら。

⇒2011年12月26日「浅田真央優勝、天上の母へ金メダルのクリスマスプレゼント」はこちら。

⇒2011年12月25日「浅田真央、全日本選手権感動大賞(女子部門)決定!」はこちら。

⇒2011年12月24日「浅田真央、明るい受け答え…笑顔に隠す深い悲しみ」はこちら。

⇒2011年12月23日「浅田真央の調子…全日本フィギュア選手権5度目の優勝へ」はこちら。

⇒2011年12月15日「浅田真央、全日本選手権2011出場…母・匡子さんへの供養」はこちら。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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巨人1位指名は長身左腕・松本竜也投手…香川・英明高校

きのうのブログ「菅野智之…巨人油断、ドラフト一本釣り詰め甘く大失態」に続いて・・・。

⇒2011年10月29日「菅野智之…巨人油断、ドラフト一本釣り詰め甘く大失態」はこちら。

プロ野球ドラフト会議2011(新人選手選択会議2011)。
最大の目玉・菅野智之投手の単独指名は固いと思われていた読売巨人軍(ジャイアンツ)は、北海道日本ハムファイターズの想定外の重複指名に慌て、うろたえた。
この時点で競合抽選の行方は決まった。
当たりくじを引く運は巨人から逃げていった・・・。

                       ◇

大波乱が起こった今年のドラフト会議。
私がつくづく思うのは、横浜ベイスターズは菅野智之を1位指名すべきだったということ。
このブログで述べたとおり、失うもののない横浜は“やけくそ作戦”が正しい。

なぜなら、菅野智之は一貫して地元(神奈川県)である。
相模原市出身。
東海大学付属相模高校を経て東海大学野球部に所属。
強い愛着心は持っているはずだ。

横浜が交渉権を獲得すれば、入団した可能性は十分にあった。
少なくとも日本ハムよりもかなり高い。
同一リーグ(セ・リーグ)の巨人に対して遠慮があったのか。
横浜では巨人ファンのほうがはるかに多い。
その反発も恐れたのか・・・。

が、ゴールデンルーキー・菅野智之の入団により、実力も人気も落ちるところまで落ちたチームを立て直すきっかけになったことは確かだ。
本人も家族もしぶしぶ理解を示したかもしれない。
横浜は非常に惜しいチャンスを逃した。

このブログでやはり述べたとおり、藤岡貴裕投手の1位指名では勝ち目がなかった。
世間がアッと驚く果敢な挑戦で、まったく違った展開が開けた?
実際、横浜はドラフトの成果がきわめて低調である。
地元に暮らす私は、この球団に闘争心を感じない。

                       ◇

ところで、巨人。
菅野智之の交渉権獲得に失敗すると、将来性重視の指名に切り替えた。
外れ1位は香川・英明高校の松本竜也投手。
横浜ベイスターズとの競合・抽選に勝った。
弱腰の横浜にくじ運はなかった。

松本竜也はこの1年でもっとも成長したと評される 193センチの長身選手だ。
にもかかわらず、上半身と下半身をバランスよく使える強さが備わる。
高校球界屈指の大型左腕として、多くの球団が外れ1位指名や2位指名の候補にリストアップしていた。

松本竜也は恵まれた体格から投げ下ろす直球で三振が取れる。
2年生まで安定感に欠けており、無名だった。
3年生になってから制球力が増して夏の甲子園を沸かせ、スカウトの注目を集めた。
粗削りの魅力があり、将来性は十分。

松本竜也はまず体づくり。
1軍のマウンドに立つには3年くらいかかりそう。
記者会見で菅野智之に関する質問も飛んだが、「僕を獲ってよかったと思ってもらえるように頑張りたい」と負けん気の強さをのぞかせた。
もっとも、本人の憧れは入団1年目で5勝を挙げた日本ハムのダルビッシュ有であり、それを超えたいと抱負を語った。

巨人では過去に荒木大輔の外れ1位の斎藤雅樹が押しも押されもせぬ大エースに育った。
甲子園出場を果たしていない。
斎藤雅樹は藤田元司監督の助言でサイドスローへ転向した。
やがて、3試合連続完封勝利を含む11試合連続完投勝利の日本記録を達成するなど20勝をマークした。
「ミスター完投」と呼ばれるまでに・・・。

松本竜也も素晴らしいエースになる可能性がある。
結局、巨人は全体に将来性重視のドラフトになった。
ファンが落胆するほど悪くないのでは…。
それと、澤村拓一という本格派右腕が入団したばかり。
来シーズンにはエースに育っていることだろう。
なお、松本竜也は日本人の左腕投手で球界最長身となる。

私は、この球団にどうしても入りたいという気持ちが分からないわけでない。
そうした思いも大切だろう。
しかし、多くの球団が1位指名候補に挙げる有力選手なら、2〜3年の遠回りは覚悟しなくてならない。
ちなみに、巨人では内海哲也も長野久義もそうだった。

                      ◇◆◇

菅野智之に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年10月29日「菅野智之…巨人油断、ドラフト一本釣り詰め甘く大失態」はこちら。

⇒2011年10月27日「菅野智之、巨人を逆指名…長野久義、澤村拓一に続け!」はこちら。

⇒2011年10月23日「菅野智之は横浜と巨人が指名…ドラフト会議12球団1位予想」はこちら。

⇒2010年11月14日「東海大・菅野智之は巨人、興南・島袋洋奨は中央大」はこちら。

                      ◇◆◇

澤村拓一に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年10月19日「澤村拓一、森麻季と結婚、エースナンバー18番を背負う」はこちら。

⇒2011年10月17日「澤村拓一、ぶっちぎりセ・リーグ新人王…巨人4年連続選出」はこちら。

⇒2011年6月7日「澤村拓一の面構えとオーラ…真っ向勝負の魅力!」はこちら。

⇒2011年4月21日「澤村拓一、巨人黄金伝説の扉を開ける」はこちら。

⇒2011年2月12日「沢村拓一は伝説の投手になれ…城之内邦雄」はこちら。

⇒2011年2月11日「沢村拓一に開幕投手テスト…巨人原辰徳監督」はこちら。

⇒2011年2月7日「沢村拓一が宮崎牛に舌鼓…巨人1軍キャンプ」はこちら。

⇒2011年2月4日「沢村拓一15番、斎藤佑樹18番…実力はどちら?」はこちら。

⇒2011年2月3日「勝ち星予想…沢村拓一・斎藤佑樹・大石達也」はこちら。

⇒2010年11月12日「沢村拓一は巨人の開幕投手、即沢村賞も…」はこちら。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

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沢村拓一15番、斎藤佑樹18番…実力はどちら?

日本ハムファイターズの1軍キャンプ地、沖縄・名護では、ゴールデンルーキー斎藤佑樹にちなんで「310円」に設定されたさまざまな商品が出現(?)している。
おもに記念品や土産物。
しかし、地元が「佑ちゃんフィーバー」にかける期待は大きく、かなり無理があってもこじつけで商品をつくってしまう。
ホテルも連日、満室だとか・・・。

ところで、9球団がキャンプを張る沖縄県では、星野仙一監督が就任した楽天イーグルスも人気である。
さらに、20日から読売ジャイアンツ(巨人)が那覇市で2次キャンプを張る。
地元が盛りあがるのは間違いない。
斎藤佑樹という国民的なスターと合わせ、これらがもたらす経済効果は凄い。
観客数は昨年の2倍に達するかもしれない。

日本ハムファイターズは梨田昌孝監督がキャンプ初日にダルビッシュ有を開幕投手に指名した。
5年連続。
絶対的エースなので当然の判断ながら、表明が早すぎないか。
「斎藤佑樹を開幕投手に…」という私の願いは崩れた。
もう少し長く夢を楽しみたいところ。

以下に、「斎藤佑樹エースナンバー18番で開幕投手へ」と題する2010年11月6日のブログを収める。

                      ◇◆◇

けさのブログ「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」の続き。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

早稲田大学野球部のドラフト1位トリオ(3投手)に、指名球団の幹部が次々と挨拶に訪れた。
東京都西東京市の早大硬式野球部合宿所。

まず、広島カープ・福井優也は大学時代と同じ背番号「11番」が提示された。
同球団には同学年のエース、いまやセ・リーグを代表するピッチャーに成長した前田健太がいる。
先発完投型投手の最高栄誉「沢村賞」に輝いたばかり。
二人は切磋琢磨が見込まれる。

次いで、西武ライオンズ・大石達也は宮崎秋季キャンプから緊急帰京した渡辺久信監督の訪問を受けた。
これはうれしい。
自分は6球団重複指名という実感が湧いたはずだ。
この監督がくじを引き当てた。

取りは、やはり斎藤佑樹。
事前に3球団で訪問順が話し合われていたのか。
日本ハムファイターズ・斎藤佑樹は、いきなりエースナンバー「18番」を背負う。
本人の可能性の大きさ、球団の期待の大きさ、ファンの人気の大きさを考えれば当然か。
私は違和感を持たない。

斎藤佑樹は臆することなくエースナンバーを受け入れた。
自覚は十分、立派な態度である。
「北の大地で君の力が必要」と梨田昌孝監督が書き添えた当たりくじを、山田正雄GM(ゼネラルマネジャー)から手渡された。

さらに、ダルビッシュ有が2008年まで4年間使った後は空けておいた千葉・鎌ケ谷の合宿所「勇翔寮」の 404号室をあてがう。
大物新人それも黄金ルーキーの“出世部屋”とされており、球団はVIP待遇で迎え入れる。
斎藤佑樹にとり最高のプレゼントになった。
彼は先輩エースのダルビッシュ有に学びたいと語っていた。

斎藤佑樹がオープン戦で実績を残して開幕投手に選ばれるなら、札幌ドームは天井を破るほどの大歓声が沸き起こるはずだ。
ダルビッシュ有はプライベート問題とメジャー移籍という事情を抱えており、その可能性がないと言いきれない。
また、そうしたチーム状況なれば、日本ハムファイターズは来シーズンの優勝候補の筆頭に挙げられる。

斎藤佑樹の「18番」は、「15番」の読売ジャイアンツ・沢村拓一にいい刺激となった。
公家に後れを取るものか、武士の負けん気をメラメラ燃やしそう。
沢村拓一には、学生時代に一番厳しいトレーニングに耐えたのはオレだという自負とプライドがあるだろう。

早大のドラ1トリオは全員が先発要員である。
学生時代はチーム事情で抑えに回っていた大石達也がとくに喜んでいるのでないか。

なお、東京六大学野球秋季リーグを慶応大学との半世紀ぶりの優勝決定戦の末に制した早稲田大学は、13日開幕の「明治神宮野球大会」に出場する。
このため、3投手が金銭など具体的な条件提示を受けるのはそれ以降。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

⇒2010年11月3日「斎藤佑樹は輝かしいスター、大舞台が似合う」はこちら。

⇒2010年11月3日「早慶優勝決定戦、斎藤佑樹と大石達也は登板?」はこちら。

◆書き加え1(11月7日)

福井優也は1年の浪人期間があった。
前田健太と同学年と言えない。

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斎藤佑樹は1軍キャンプで滅多打ち、プロで通用?

あっ、しまった。
いつの間にか「斎藤佑樹」が「斎藤祐樹」に変わっていた。
昨年11月のブログは大丈夫だったが、12月に入って間違いはじめた。
ホント、恥ずかしい。
言い訳にもならないが、私の妹は「祐子」。
過去にさかのぼって文字を直すことにした(妻に直してもらう)。

日本ハムファイターズのドラフト1位ルーキー・斎藤佑樹投手は2月1日から25日まで沖縄県名護市で行われる1軍キャンプに帯同する。
対外試合が組まれるので、実戦デビューを果たしそうだ。
私は非常に楽しみ。

本人は、「KOされたい」という趣旨の発言を行った。
プロの打者のレベルを体感しておきたいのだろう。
つまり、斎藤佑樹は開幕1軍と心に決めている。
頼もしいこと!

新人は入れ込み、キャンプで飛ばす。
1軍の切符がかかっているから当然だ。
が、斎藤佑樹は落ち着いており、しかもクレバーである。
私はプロで十分に通用すると見る。

名護キャンプでは、首脳陣からマイペース調整を許されている。
斎藤佑樹が見据えるのは公式戦登板だ。
名護キャンプでは練習試合も7試合行われる。

おそらくセ・パ12球団のキャンプインは2月1日(私はうとい)。
今年は新人、とくに投手に逸材が揃っており、初日からマスコミとファンがヒートアップするはずだ。
開幕が待ち遠しい。

◆書き加え1(1月29日)

千葉・鎌ケ谷での新人合同自主トレーニングが終わった。
この間、大勢のファンが訪れた。
斎藤佑樹は軽めの練習後、沖縄・名護キャンプへ向けて荷造りを行い、荷出し。
スーツケースたった1個。

31日には沖縄入りだ。

以下に、「斎藤佑樹、期待の重圧…プロでの実力と活躍」と題する2010年12月15日のブログを収める。

                      ◇◆◇

NHK総合テレビで「“ハンカチ王子”と戦った4年間」が放送された。
私は仕事をしており、ときどき聞く程度。
早稲田大学野球部の斎藤佑樹投手に関するドキュメンタリー番組。
本人へのインタビューも含まれる。
ハンカチ王子と戦ったとは、期待の重圧と戦ったという意味だった。

私は大きな期待をかけられたことがない。
半世紀前を振り返れば、直江津小学校(新潟県直江津市)の高学年の頃はそれなりに活躍(?)した。
児童会長、鼓笛隊隊長、勉強、絵…。
60年近い人生で一番輝いていた。
親の期待をいくらか感じた。
しかし、それを面と向かって私に示さなかった。
うれしそうにしていた。
立派である。
ただし、親戚にはかなり自慢したらしい。

私は世間の注目を集めたことがなく、それがどれくらい大変か分からない。

2006年夏の甲子園決勝戦。
前評判が高くなかった早稲田実業・斎藤佑樹は、大会ナンバーワンの呼び声が高かった駒大苫小牧高校・田中将大とぶつかった。
2日連続の死闘を一人で投げ抜き、しかも田中将大に投げ勝った。
マウンド上で額の汗をぬぐったのがハンケチ。
端正なルックス、知的で清潔な雰囲気…。
「ハンカチ王子」の愛称がつけられ、一躍脚光を浴びた。

⇒2010年11月3日「斎藤佑樹は輝かしいスター、大舞台が似合う」はこちら。

斎藤佑樹は語った。
自分の名前が独り歩きし、イメージがどんどん膨らんでいった。
いわゆる「人気」。
それが早稲田大学野球部に在籍した4年間、ずっとついて回った。
周りからこれでもかと期待を寄せられた。

私は、斎藤佑樹がドラフトに不安を感じていたと知り、驚いた。
プロ野球の自分に対する評価を図りかねていたのだ。
当日、4球団の1位指名に笑みがこぼれた。
そして、運命の抽選くじ(当たりくじ)を引いた球団が日本ハムファイターズだった。

斎藤佑樹は群馬県で生まれ、高校から東京で暮らした。
ゆえに、在京球団、とくに東京六大学野球で活躍した神宮球場を本拠地とするヤクルトスワローズを願う気持ちがいくらかあったかもしれない。
しかし、彼は日本ハムの指名権獲得を心の底から喜んでいるように見えた。
いい男だ。

⇒2010年12月10日「斎藤佑樹は日ハムのユニフォームでいいのか?」はこちら。

番組で、斎藤佑樹は苦悩が深いほうだと知った。
表情をあまり崩さないので、これは意外だった。
汗用と思ったハンカチは涙用だった?

私が期待をかけられなかったということは、私が成果を上げなかったということ。
注目を浴びる立場になれなかったことにさみしさを感じた。

期待は人を変える。
おそらくよい方向へ導く。
問題は、大きな期待がかかったときだ。
それを重圧と感じ、逃げ出したくなる、押し潰される…。
本物や一流になるには、周囲の期待を自分のエネルギーに変えられなければならない。

なお、斎藤佑樹の目標は、子どもたちの目標になること(言葉は曖昧)。
やさしさが伝わってくる。
彼は人間として素晴らしい何かを持っている。

                       ◇

このブログで斎藤佑樹を幾度か取りあげた。
私は野球に限らず、スポーツに関する専門知識がない。

裏づけのない直感にすぎないが、斎藤佑樹はプロ野球で活躍する。
ダルビッシュ有が抜けるだろう再来期、日本ハムのエースに育っている。

現時点での実力は、読売ジャイアンツのドラフト1位指名・沢村拓一のほうがだいぶ上だ。
しかし、すでに投手として成長しており、ほぼ完成品。
それに比べ、斎藤佑樹はかなり伸び代が残っているのでは…。

乱暴を承知で、このブログで述べた。
開幕一軍などとケチくさいことを言わず、開幕投手に起用してほしい。

⇒2010年11月6日「斎藤佑樹エースナンバー18番で開幕投手へ」はこちら。

プロ野球人気に陰りが出て久しい。
それくらいのファンサービスが用意されてもよい。
なぜかパ・リーグが注目選手をどんどん引き当てている。
セ・リーグと人気が逆転する日が近い?

⇒2010年11月12日「沢村拓一は巨人の開幕投手、即沢村賞も…」はこちら。

あくまで直観だが、沢村拓一はそれくらいの実力を持っている。
当然、新人王。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

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斎藤佑樹、期待の重圧…プロでの実力と活躍

NHK総合テレビで「“ハンカチ王子”と戦った4年間」が放送された。
私は仕事をしており、ときどき聞く程度。
早稲田大学野球部の斎藤佑樹投手に関するドキュメンタリー番組。
本人へのインタビューも含まれる。
ハンカチ王子と戦ったとは、期待の重圧と戦ったという意味だった。

私は大きな期待をかけられたことがない。
半世紀前を振り返れば、直江津小学校(新潟県直江津市)の高学年の頃はそれなりに活躍(?)した。
児童会長、鼓笛隊隊長、勉強、絵…。
60年近い人生で一番輝いていた。
親の期待をいくらか感じた。
しかし、それを面と向かって私に示さなかった。
うれしそうにしていた。
立派である。
ただし、親戚にはかなり自慢したらしい。

私は世間の注目を集めたことがなく、それがどれくらい大変か分からない。

2006年夏の甲子園決勝戦。
前評判が高くなかった早稲田実業・斎藤佑樹は、大会ナンバーワンの呼び声が高かった駒大苫小牧高校・田中将大とぶつかった。
2日連続の死闘を一人で投げ抜き、しかも田中将大に投げ勝った。
マウンド上で額の汗をぬぐったのがハンケチ。
端正なルックス、知的で清潔な雰囲気…。
「ハンカチ王子」の愛称がつけられ、一躍脚光を浴びた。

⇒2010年11月3日「斎藤佑樹は輝かしいスター、大舞台が似合う」はこちら。

斎藤佑樹は語った。
自分の名前が独り歩きし、イメージがどんどん膨らんでいった。
いわゆる「人気」。
それが早稲田大学野球部に在籍した4年間、ずっとついて回った。
周りからこれでもかと期待を寄せられた。

私は、斎藤佑樹がドラフトに不安を感じていたと知り、驚いた。
プロ野球の自分に対する評価を図りかねていたのだ。
当日、4球団の1位指名に笑みがこぼれた。
そして、運命の抽選くじ(当たりくじ)を引いた球団が日本ハムファイターズだった。

斎藤佑樹は群馬県で生まれ、高校から東京で暮らした。
ゆえに、在京球団、とくに東京六大学野球で活躍した神宮球場を本拠地とするヤクルトスワローズを願う気持ちがいくらかあったかもしれない。
しかし、彼は日本ハムの指名権獲得を心の底から喜んでいるように見えた。
いい男だ。

⇒2010年12月10日「斎藤佑樹は日ハムのユニフォームでいいのか?」はこちら。

番組で、斎藤佑樹は苦悩が深いほうだと知った。
表情をあまり崩さないので、これは意外だった。
汗用と思ったハンカチは涙用だった?

私が期待をかけられなかったということは、私が成果を上げなかったということ。
注目を浴びる立場になれなかったことにさみしさを感じた。

期待は人を変える。
おそらくよい方向へ導く。
問題は、大きな期待がかかったときだ。
それを重圧と感じ、逃げ出したくなる、押し潰される…。
本物や一流になるには、周囲の期待を自分のエネルギーに変えられなければならない。

なお、斎藤佑樹の目標は、子どもたちの目標になること(言葉は曖昧)。
やさしさが伝わってくる。
彼は人間として素晴らしい何かを持っている。

                       ◇

このブログで斎藤佑樹を幾度か取りあげた。
私は野球に限らず、スポーツに関する専門知識がない。

裏づけのない直感にすぎないが、斎藤佑樹はプロ野球で活躍する。
ダルビッシュ有が抜けるだろう再来期、日本ハムのエースに育っている。

現時点での実力は、読売ジャイアンツのドラフト1位指名・沢村拓一のほうがだいぶ上だ。
しかし、すでに投手として成長しており、ほぼ完成品。
それに比べ、斎藤佑樹はかなり伸び代が残っているのでは…。

乱暴を承知で、このブログで述べた。
開幕一軍などとケチくさいことを言わず、開幕投手に起用してほしい。

⇒2010年11月6日「斎藤佑樹エースナンバー18番で開幕投手へ」はこちら。

プロ野球人気に陰りが出て久しい。
それくらいのファンサービスが用意されてもよい。
なぜかパ・リーグが注目選手をどんどん引き当てている。
セ・リーグと人気が逆転する日が近い?

⇒2010年11月12日「沢村拓一は巨人の開幕投手、即沢村賞も…」はこちら。

あくまで直観だが、沢村拓一はそれくらいの実力を持っている。
当然、新人王。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

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斎藤佑樹エースナンバー18番で開幕投手へ

けさのブログ「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」の続き。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

早稲田大学野球部のドラフト1位トリオ(3投手)に、指名球団の幹部が次々と挨拶に訪れた。
東京都西東京市の早大硬式野球部合宿所。

まず、広島カープ・福井優也は大学時代と同じ背番号「11番」が提示された。
同球団には同学年のエース、いまやセ・リーグを代表するピッチャーに成長した前田健太がいる。
先発完投型投手の最高栄誉「沢村賞」に輝いたばかり。
二人は切磋琢磨が見込まれる。

次いで、西武ライオンズ・大石達也は宮崎秋季キャンプから緊急帰京した渡辺久信監督の訪問を受けた。
これはうれしい。
自分は6球団重複指名という実感が湧いたはずだ。
この監督がくじを引き当てた。

取りは、やはり斎藤佑樹。
事前に3球団で訪問順が話し合われていたのか。
日本ハムファイターズ・斎藤佑樹は、いきなりエースナンバー「18番」を背負う。
本人の可能性の大きさ、球団の期待の大きさ、ファンの人気の大きさを考えれば当然か。
私は違和感を持たない。

斎藤佑樹は臆することなくエースナンバーを受け入れた。
自覚は十分、立派な態度である。
「北の大地で君の力が必要」と梨田昌孝監督が書き添えた当たりくじを、山田正雄GM(ゼネラルマネジャー)から手渡された。

さらに、ダルビッシュ有が2008年まで4年間使った後は空けておいた千葉・鎌ケ谷の合宿所「勇翔寮」の 404号室をあてがう。
大物新人それも黄金ルーキーの“出世部屋”とされており、球団はVIP待遇で迎え入れる。
斎藤佑樹にとり最高のプレゼントになった。
彼は先輩エースのダルビッシュ有に学びたいと語っていた。

斎藤佑樹がオープン戦で実績を残して開幕投手に選ばれるなら、札幌ドームは天井を破るほどの大歓声が沸き起こるはずだ。
ダルビッシュ有はプライベート問題とメジャー移籍という事情を抱えており、その可能性がないと言いきれない。
また、そうしたチーム状況なれば、日本ハムファイターズは来シーズンの優勝候補の筆頭に挙げられる。

斎藤佑樹の「18番」は、「15番」の読売ジャイアンツ・沢村拓一にいい刺激となった。
公家に後れを取るものか、武士の負けん気をメラメラ燃やしそう。
沢村拓一には、学生時代に一番厳しいトレーニングに耐えたのはオレだという自負とプライドがあるだろう。

早大のドラ1トリオは全員が先発要員である。
学生時代はチーム事情で抑えに回っていた大石達也がとくに喜んでいるのでないか。

なお、東京六大学野球秋季リーグを慶応大学との半世紀ぶりの優勝決定戦の末に制した早稲田大学は、13日開幕の「明治神宮野球大会」に出場する。
このため、3投手が金銭など具体的な条件提示を受けるのはそれ以降。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

⇒2010年11月3日「斎藤佑樹は輝かしいスター、大舞台が似合う」はこちら。

⇒2010年11月3日「早慶優勝決定戦、斎藤佑樹と大石達也は登板?」はこちら。

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福井優也は1年の浪人期間があった。
前田健太と同学年と言えない。

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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