私は以前、テレビ番組で知った。
「マネジメントの父」「現代社会の哲人」と呼ばれるピーター・ドラッカーの関連図書がブームになっていた。
火付け役は異色のビジネス書。
書名は、もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら。
恐ろしく長い。
ドラッカーの代表作『マネジメント』を平易に解説した入門書らしく、大ヒットを記録した。
高校の野球部の女子マネージャーがドラッカーの言葉と出合い、それを教えに弱小チームを甲子園へ導く青春小説。
ドラッカーの魅力をだれにも分かりやすく伝えた。
ビジネスパーソンはもとより主婦や学生など幅広い層に読まれている。
ところで、私は先日のブログから、職業人の学び方、仕事に関わる読書などについて述べている。
厳密なシリーズでないが、一連の記事である。
きょうは第5回。
⇒第1回/2010年5月10日「因果関係の追究…職能強化の基本」はこちら。
⇒第2回/2010年5月11日「著者と出版社のカモ…ご愁傷さま」はこちら。
⇒第3回/2010年5月12日「正しい読書法…本は読後勝負である」はこちら。
⇒第4回/2010年5月13日「知識の多寡で人の価値を判断する」はこちら。
以下に、「あなたはドラッカーから学んだか?」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年7月号の巻頭言2である。
その原稿に思い切って手を加えた。
◇◆◇
経営学者「ドラッカー」の著作はほとんどがベストセラーやロングセラーになっている(本人は社会生態学者と名乗る)。
世界中の経営者やエグゼクティブに愛読されてきた。
日本にも“信奉者”が少なくない。
学者の著作だから、読むには相当な理解力が必要だろう。
売れやすい本とは思えない。
にもかかわらずダイヤモンド社から刊行された単行本や選書だけで4百万部を超えるとか…。
私は不勉強だから一冊も読んでいない。
したがって、その思想・学説・人物に関して不明だ。
しかし、若い頃に頭と心に深く刻まれたドラッカーの言葉がある。
いつ頃か、何の雑誌か、まるで記憶にない。
うろ覚えなので不正確。
「企業の内部にはコストしかない。プロフィットはすべて企業の外部にある」。
ドラッカーに無知の私が一節を取りあげて言及するのは不適切かもしれない。
だが、今日に至るまでこの言葉を引きずっている。
実際、私の仕事と人生を変えた最大の教えである。
誤解が生じないように説明を補いたい。
この言葉が“気づき”のきっかけになったという意味である。
私はフリーランスのプランナーだったので、職場で上司や先輩などから教わる機会がなかった。
この言葉に照らして働き方や生き方を問い、考え、定め、律していった。
したがって、自分の解釈が妥当だと主張しているわけでない。
さて、私がこの言葉から学んだこと。
「自らは放っておけ。周りに尽くせ」。
自分や自社に向かう時間を減らし、周囲や世間、顧客に向かう時間を増やす。
とくに自らに関する堂々巡りの思考を排する。
例えば、仕事では顧客の繁栄や幸福を案じ、それを追い求めることに徹する。
私が講演などで強調する「顧客志向」とはこれ。
「得ることを考えるな。与えることを行え」。
私は昔、キャリアプランやライフプランなどをつくった。
が、まったくズレていた。
勉強でも仕事でも人生でも自分が得る目標を定め、得る計画を立てていた。
愚の骨頂。
個人も企業も周りに与える目標を定め、与える計画を立てればよい。
そしてひたすら行う。
人間社会ではどの道、得ようとしても得られない。
皆が得たいと望んでいるのだから。
得ようとして得られるなら、私たちはとっくに豊かさと幸せをつかんでいる。
自分や自社が周囲や世間、顧客に何を与えられるかを追い求めることに徹する。
私が講演などで強調する「価値提供」とはこれ。
「商談をやめよ。相談に乗れ」。
私は、顧客が欲する商品を売らない。顧客に役立つ商品を売っている。
販売や受注に興味がなく、貢献にしか関心がないのだ。
当然、顧客の要望やニーズをしばしば拒む。
自社の営業担当者の立場を離れ、顧客の購買コンサルタントの役割に徹する。
したがって、商談はやらない。相談に乗るだけだ。
それにより、大勢のなかの一業者と見なされず、かけがえのないパートナーと認められる。
営業活動の苦労が消える。
私が学んだことは際限がない。
こうした気づきの結果の一つが、1995年2月に立ちあげた「営業実践大学(後にNPO法人化)」である。
今日まで公開セミナーを継続してきた。
社長など経営層を含めた営業関係者の能力開発を通じて営業の地位向上に寄与したいとの一念だった。
私の憶測にすぎないが、この言葉は頑張っているのに恵まれない職業人、儲からない経営者に対するドラッカーの忠告でないのか。
「いい加減、目を覚ませ」。
何が凄いといって、先の短い言葉に包含された真理の大きさと深さ、そして普遍性だ。
著名な学者や経営者などの名言はすでに大勢に行き渡っている。
それを知っていても優位に立てるわけでない。
しかし、それに学べたならば豊かさや幸せに近づける。
自分の仕事や人生が一変するだろう。
私は、ドラッカーの一節と巡り合うことで百冊分は学んだ気がしている。
膨大に授かった。
運命が別物に…。
40歳からコンサルタントを目指したのも、私のどこかにドラッカーへの憧れがあったせいでないか。
そうした経験はなく、勝算はなかった…。
人は平坦な道ばかり歩めるわけでない。
わが身を顧みて、見晴らしのいい丘に立てたことはほとんどない。
たいていが谷伝いだった。
幾度かどん底を味わった。
とても苦しいとき、さらにひどくつらいときがあった。
働き方や生き方に揺れる私を支え、迷いを振り払う拠りどころとなったのが先の言葉である。
小銭を数えながら考えたことがある。
「かすみを食べて生きていけたらどんなにいいだろう」。
だが、現実には住む家、着る服、食べる物が必要になる。
これはどうにもならない。
結局、人は周りによってしか生かされない。
自分が苦しいとき、つらいときでさえ、周囲や世間、顧客の幸せと豊かさに尽くしていく気持ちを忘れないようにしたい。
それにしてもドラッカーの教えはがっかりするほどシンプルである。
だれも突けない核心をずばり突いているからだろう。
無限の知恵が込められており、それらは私たちの気づきをいまかいまかと待っているかのようだ。
あやふやな記憶に基づいて書き進めてきて、ふと思った。
先の言葉がドラッカーでないとしたら、私は大バカである。
あるいは、ドラッカーの一節に接し、勝手にそう受け取っただけかもしてない。
そのときはどうか笑ってください。
そして許してください。
「ドラッカー学会」が存在するらしい。
うかつなことを書くと、大目玉を食らいそうだ。
◇◆◇
なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。
⇒2007年6月11日「職業人生を変えたドラッカーの言葉」はこちら。
⇒2007年6月12日「あなたはドラッカーから学んだか?」はこちら。
Copyright (c)2010 by Sou Wada
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「マネジメントの父」「現代社会の哲人」と呼ばれるピーター・ドラッカーの関連図書がブームになっていた。
火付け役は異色のビジネス書。
書名は、もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら。
恐ろしく長い。
ドラッカーの代表作『マネジメント』を平易に解説した入門書らしく、大ヒットを記録した。
高校の野球部の女子マネージャーがドラッカーの言葉と出合い、それを教えに弱小チームを甲子園へ導く青春小説。
ドラッカーの魅力をだれにも分かりやすく伝えた。
ビジネスパーソンはもとより主婦や学生など幅広い層に読まれている。
ところで、私は先日のブログから、職業人の学び方、仕事に関わる読書などについて述べている。
厳密なシリーズでないが、一連の記事である。
きょうは第5回。
⇒第1回/2010年5月10日「因果関係の追究…職能強化の基本」はこちら。
⇒第2回/2010年5月11日「著者と出版社のカモ…ご愁傷さま」はこちら。
⇒第3回/2010年5月12日「正しい読書法…本は読後勝負である」はこちら。
⇒第4回/2010年5月13日「知識の多寡で人の価値を判断する」はこちら。
以下に、「あなたはドラッカーから学んだか?」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年7月号の巻頭言2である。
その原稿に思い切って手を加えた。
◇◆◇
経営学者「ドラッカー」の著作はほとんどがベストセラーやロングセラーになっている(本人は社会生態学者と名乗る)。
世界中の経営者やエグゼクティブに愛読されてきた。
日本にも“信奉者”が少なくない。
学者の著作だから、読むには相当な理解力が必要だろう。
売れやすい本とは思えない。
にもかかわらずダイヤモンド社から刊行された単行本や選書だけで4百万部を超えるとか…。
私は不勉強だから一冊も読んでいない。
したがって、その思想・学説・人物に関して不明だ。
しかし、若い頃に頭と心に深く刻まれたドラッカーの言葉がある。
いつ頃か、何の雑誌か、まるで記憶にない。
うろ覚えなので不正確。
「企業の内部にはコストしかない。プロフィットはすべて企業の外部にある」。
ドラッカーに無知の私が一節を取りあげて言及するのは不適切かもしれない。
だが、今日に至るまでこの言葉を引きずっている。
実際、私の仕事と人生を変えた最大の教えである。
誤解が生じないように説明を補いたい。
この言葉が“気づき”のきっかけになったという意味である。
私はフリーランスのプランナーだったので、職場で上司や先輩などから教わる機会がなかった。
この言葉に照らして働き方や生き方を問い、考え、定め、律していった。
したがって、自分の解釈が妥当だと主張しているわけでない。
さて、私がこの言葉から学んだこと。
「自らは放っておけ。周りに尽くせ」。
自分や自社に向かう時間を減らし、周囲や世間、顧客に向かう時間を増やす。
とくに自らに関する堂々巡りの思考を排する。
例えば、仕事では顧客の繁栄や幸福を案じ、それを追い求めることに徹する。
私が講演などで強調する「顧客志向」とはこれ。
「得ることを考えるな。与えることを行え」。
私は昔、キャリアプランやライフプランなどをつくった。
が、まったくズレていた。
勉強でも仕事でも人生でも自分が得る目標を定め、得る計画を立てていた。
愚の骨頂。
個人も企業も周りに与える目標を定め、与える計画を立てればよい。
そしてひたすら行う。
人間社会ではどの道、得ようとしても得られない。
皆が得たいと望んでいるのだから。
得ようとして得られるなら、私たちはとっくに豊かさと幸せをつかんでいる。
自分や自社が周囲や世間、顧客に何を与えられるかを追い求めることに徹する。
私が講演などで強調する「価値提供」とはこれ。
「商談をやめよ。相談に乗れ」。
私は、顧客が欲する商品を売らない。顧客に役立つ商品を売っている。
販売や受注に興味がなく、貢献にしか関心がないのだ。
当然、顧客の要望やニーズをしばしば拒む。
自社の営業担当者の立場を離れ、顧客の購買コンサルタントの役割に徹する。
したがって、商談はやらない。相談に乗るだけだ。
それにより、大勢のなかの一業者と見なされず、かけがえのないパートナーと認められる。
営業活動の苦労が消える。
私が学んだことは際限がない。
こうした気づきの結果の一つが、1995年2月に立ちあげた「営業実践大学(後にNPO法人化)」である。
今日まで公開セミナーを継続してきた。
社長など経営層を含めた営業関係者の能力開発を通じて営業の地位向上に寄与したいとの一念だった。
私の憶測にすぎないが、この言葉は頑張っているのに恵まれない職業人、儲からない経営者に対するドラッカーの忠告でないのか。
「いい加減、目を覚ませ」。
何が凄いといって、先の短い言葉に包含された真理の大きさと深さ、そして普遍性だ。
著名な学者や経営者などの名言はすでに大勢に行き渡っている。
それを知っていても優位に立てるわけでない。
しかし、それに学べたならば豊かさや幸せに近づける。
自分の仕事や人生が一変するだろう。
私は、ドラッカーの一節と巡り合うことで百冊分は学んだ気がしている。
膨大に授かった。
運命が別物に…。
40歳からコンサルタントを目指したのも、私のどこかにドラッカーへの憧れがあったせいでないか。
そうした経験はなく、勝算はなかった…。
人は平坦な道ばかり歩めるわけでない。
わが身を顧みて、見晴らしのいい丘に立てたことはほとんどない。
たいていが谷伝いだった。
幾度かどん底を味わった。
とても苦しいとき、さらにひどくつらいときがあった。
働き方や生き方に揺れる私を支え、迷いを振り払う拠りどころとなったのが先の言葉である。
小銭を数えながら考えたことがある。
「かすみを食べて生きていけたらどんなにいいだろう」。
だが、現実には住む家、着る服、食べる物が必要になる。
これはどうにもならない。
結局、人は周りによってしか生かされない。
自分が苦しいとき、つらいときでさえ、周囲や世間、顧客の幸せと豊かさに尽くしていく気持ちを忘れないようにしたい。
それにしてもドラッカーの教えはがっかりするほどシンプルである。
だれも突けない核心をずばり突いているからだろう。
無限の知恵が込められており、それらは私たちの気づきをいまかいまかと待っているかのようだ。
あやふやな記憶に基づいて書き進めてきて、ふと思った。
先の言葉がドラッカーでないとしたら、私は大バカである。
あるいは、ドラッカーの一節に接し、勝手にそう受け取っただけかもしてない。
そのときはどうか笑ってください。
そして許してください。
「ドラッカー学会」が存在するらしい。
うかつなことを書くと、大目玉を食らいそうだ。
◇◆◇
なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。
⇒2007年6月11日「職業人生を変えたドラッカーの言葉」はこちら。
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