コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

ハンカチ王子

斎藤佑樹は1軍キャンプで滅多打ち、プロで通用?

あっ、しまった。
いつの間にか「斎藤佑樹」が「斎藤祐樹」に変わっていた。
昨年11月のブログは大丈夫だったが、12月に入って間違いはじめた。
ホント、恥ずかしい。
言い訳にもならないが、私の妹は「祐子」。
過去にさかのぼって文字を直すことにした(妻に直してもらう)。

日本ハムファイターズのドラフト1位ルーキー・斎藤佑樹投手は2月1日から25日まで沖縄県名護市で行われる1軍キャンプに帯同する。
対外試合が組まれるので、実戦デビューを果たしそうだ。
私は非常に楽しみ。

本人は、「KOされたい」という趣旨の発言を行った。
プロの打者のレベルを体感しておきたいのだろう。
つまり、斎藤佑樹は開幕1軍と心に決めている。
頼もしいこと!

新人は入れ込み、キャンプで飛ばす。
1軍の切符がかかっているから当然だ。
が、斎藤佑樹は落ち着いており、しかもクレバーである。
私はプロで十分に通用すると見る。

名護キャンプでは、首脳陣からマイペース調整を許されている。
斎藤佑樹が見据えるのは公式戦登板だ。
名護キャンプでは練習試合も7試合行われる。

おそらくセ・パ12球団のキャンプインは2月1日(私はうとい)。
今年は新人、とくに投手に逸材が揃っており、初日からマスコミとファンがヒートアップするはずだ。
開幕が待ち遠しい。

◆書き加え1(1月29日)

千葉・鎌ケ谷での新人合同自主トレーニングが終わった。
この間、大勢のファンが訪れた。
斎藤佑樹は軽めの練習後、沖縄・名護キャンプへ向けて荷造りを行い、荷出し。
スーツケースたった1個。

31日には沖縄入りだ。

以下に、「斎藤佑樹、期待の重圧…プロでの実力と活躍」と題する2010年12月15日のブログを収める。

                      ◇◆◇

NHK総合テレビで「“ハンカチ王子”と戦った4年間」が放送された。
私は仕事をしており、ときどき聞く程度。
早稲田大学野球部の斎藤佑樹投手に関するドキュメンタリー番組。
本人へのインタビューも含まれる。
ハンカチ王子と戦ったとは、期待の重圧と戦ったという意味だった。

私は大きな期待をかけられたことがない。
半世紀前を振り返れば、直江津小学校(新潟県直江津市)の高学年の頃はそれなりに活躍(?)した。
児童会長、鼓笛隊隊長、勉強、絵…。
60年近い人生で一番輝いていた。
親の期待をいくらか感じた。
しかし、それを面と向かって私に示さなかった。
うれしそうにしていた。
立派である。
ただし、親戚にはかなり自慢したらしい。

私は世間の注目を集めたことがなく、それがどれくらい大変か分からない。

2006年夏の甲子園決勝戦。
前評判が高くなかった早稲田実業・斎藤佑樹は、大会ナンバーワンの呼び声が高かった駒大苫小牧高校・田中将大とぶつかった。
2日連続の死闘を一人で投げ抜き、しかも田中将大に投げ勝った。
マウンド上で額の汗をぬぐったのがハンケチ。
端正なルックス、知的で清潔な雰囲気…。
「ハンカチ王子」の愛称がつけられ、一躍脚光を浴びた。

⇒2010年11月3日「斎藤佑樹は輝かしいスター、大舞台が似合う」はこちら。

斎藤佑樹は語った。
自分の名前が独り歩きし、イメージがどんどん膨らんでいった。
いわゆる「人気」。
それが早稲田大学野球部に在籍した4年間、ずっとついて回った。
周りからこれでもかと期待を寄せられた。

私は、斎藤佑樹がドラフトに不安を感じていたと知り、驚いた。
プロ野球の自分に対する評価を図りかねていたのだ。
当日、4球団の1位指名に笑みがこぼれた。
そして、運命の抽選くじ(当たりくじ)を引いた球団が日本ハムファイターズだった。

斎藤佑樹は群馬県で生まれ、高校から東京で暮らした。
ゆえに、在京球団、とくに東京六大学野球で活躍した神宮球場を本拠地とするヤクルトスワローズを願う気持ちがいくらかあったかもしれない。
しかし、彼は日本ハムの指名権獲得を心の底から喜んでいるように見えた。
いい男だ。

⇒2010年12月10日「斎藤佑樹は日ハムのユニフォームでいいのか?」はこちら。

番組で、斎藤佑樹は苦悩が深いほうだと知った。
表情をあまり崩さないので、これは意外だった。
汗用と思ったハンカチは涙用だった?

私が期待をかけられなかったということは、私が成果を上げなかったということ。
注目を浴びる立場になれなかったことにさみしさを感じた。

期待は人を変える。
おそらくよい方向へ導く。
問題は、大きな期待がかかったときだ。
それを重圧と感じ、逃げ出したくなる、押し潰される…。
本物や一流になるには、周囲の期待を自分のエネルギーに変えられなければならない。

なお、斎藤佑樹の目標は、子どもたちの目標になること(言葉は曖昧)。
やさしさが伝わってくる。
彼は人間として素晴らしい何かを持っている。

                       ◇

このブログで斎藤佑樹を幾度か取りあげた。
私は野球に限らず、スポーツに関する専門知識がない。

裏づけのない直感にすぎないが、斎藤佑樹はプロ野球で活躍する。
ダルビッシュ有が抜けるだろう再来期、日本ハムのエースに育っている。

現時点での実力は、読売ジャイアンツのドラフト1位指名・沢村拓一のほうがだいぶ上だ。
しかし、すでに投手として成長しており、ほぼ完成品。
それに比べ、斎藤佑樹はかなり伸び代が残っているのでは…。

乱暴を承知で、このブログで述べた。
開幕一軍などとケチくさいことを言わず、開幕投手に起用してほしい。

⇒2010年11月6日「斎藤佑樹エースナンバー18番で開幕投手へ」はこちら。

プロ野球人気に陰りが出て久しい。
それくらいのファンサービスが用意されてもよい。
なぜかパ・リーグが注目選手をどんどん引き当てている。
セ・リーグと人気が逆転する日が近い?

⇒2010年11月12日「沢村拓一は巨人の開幕投手、即沢村賞も…」はこちら。

あくまで直観だが、沢村拓一はそれくらいの実力を持っている。
当然、新人王。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

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斎藤佑樹、勇翔寮出世部屋404号室へ…新人合同自主トレ

北海道日本ハムファイターズのドラフト1位投手、早稲田大学の斎藤佑樹が千葉・鎌ケ谷の二軍施設内にある「勇翔寮」に入寮した。
大勢のファンが待ち構え、黄色い歓声を上げた。
むろん、報道陣の数も半端でない。
日本テレビでは入寮の様子を“生中継”した。
信じられない・・・。

斎藤佑樹は早速、404号室へ。
推定年俸5億円のダルビッシュ有がかつて使っていた。
大物新人それも黄金ルーキーの“出世部屋”とされており、球団はVIP待遇で迎え入れた格好。

斎藤佑樹は12日から始まる「新人合同自主トレ」でプロ野球選手としての第一歩を踏み出す。
3勤1休ペースらしい。
「開幕一軍を目指して頑張りたい」と意気込みを語った。

このブログでスター斎藤佑樹を幾度も取り上げた。
日本ハムは斎藤佑樹を開幕投手に選ぶべきだ。

それが難しいというなら、本拠地・札幌ドームでの初戦登板を望みたい。
天井を突き破るほどの大声援が沸き起こるだろう。

以下に、「早慶優勝決定戦、斎藤佑樹と大石達也は登板?」と題する2010年11月3日のブログを収める。

                      ◇◆◇

プロ野球ドラフト会議で史上初めて投手3人が1位指名を受けた早稲田大学野球部。
ハンカチ王子・斎藤佑樹、大石達也、福井優也。

端正なマスクの斎藤佑樹は人気が突出している。
日本ハムファイターズの本拠地・札幌ドームは大フィーバー(古い?)が巻き起こりそう。
野球に興味のない若い女性も球場に足を運ぶかもしれない。

さて、東京六大学野球秋季リーグ、早稲田大学は優勝がかかった神宮球場の早慶戦1回戦、2回戦に1位指名組を起用した。
が、打ち込まれるなどして敗戦。
私は、どちらかの試合での勝利は間違いないと思っていた。
3投手は注目度が飛躍的に高まり、いいところを見せようと力んでしまったのか。
それとも、ドラフト会議で脚光を浴びなかった慶応大学の選手が意地を見せたのか。
実はこれが最終戦だった。

両校が並んだため、きょう優勝決定戦を行うことになった。
ちなみに、1960年秋季リーグの「早慶6連戦」以来。
このときは優勝決定戦が2試合連続引き分け再試合、第3戦で早稲田大学が慶応大学を下した。
大学野球史上に残る名勝負だった。

半世紀ぶりの早慶優勝決定戦。
福井優也は難しいとしても、斎藤佑樹と大石達也は投げるのだろうか。
文字どおりの“大一番”であり、2投手は登板せざるをえないのでは…。
おそらく本人もそれを望んでいる。
11月3日は文化の日(祝日)なので、両校の学生とOBはもちろん一般人も神宮球場に詰めかける。
この寒さでも徹夜で行列するファンが続出しそうだ。
神宮の杜は両校の校歌がこだまするのか。

                       ◇

ところで、3投手と同学年の広島東洋カープ・前田健太が先発完投型投手の最高栄誉「沢村賞」を贈られた。
セ・リーグで最優秀防御率、最多勝、最多奪三振の「投手3冠」に輝いた。
セ・リーグの投手の選出は2004年の中日ドラゴンズ・川上憲伸以来らしく、パ・リーグの投手の優位が続いたことになる。

楽天イーグルス・田中将大も同学年である。
あまりにも有名な2006年夏の甲子園大会の決勝戦。
早稲田実業・斎藤佑樹と駒大苫小牧高校・田中将大は2日間にわたって壮絶な戦いを繰り広げた。
高校野球史上に残る死闘だった。

決勝戦は1−1、延長15回で決着がつかなかった。
翌日の再試合は4−3で早稲田実業が駒大苫小牧高校を下した。
斎藤佑樹は9回を投げ抜いて優勝投手となり、史上1位の投球回数と投球数を記録した。
化け物のようなスタミナを持つ。

私は、田中将大が三振に打ち取られて最後の打者になったシーンが印象に残っている。
両雄、持てる力を出し尽くした。

闘志むき出しの楽天イーグルス・田中将大。
スマートでクールな日本ハムファイターズ・斎藤佑樹。
が、ともにクレバー。
同学年の二人の投げ合いは滅茶苦茶盛り上がるだろう。
パ・リーグは興行面でもセ・リーグをしのぐ勢いである。

◆書き加え1(11月3日)

私は、野球選手の能力や技術、そして可能性を判断できない。

斎藤佑樹は早稲田大学に進学して素晴らしい結果を出したが、学年が上がるにつれて成績を落とした。
専門家のなかにはプロ野球での活躍を疑問視する向きもある。

しかし、今後の成長に太鼓判を押す向きもある。
伸び代の大きさを評価しているのだ。

◆書き加え2(11月7日)

福井優也は1年の浪人期間があった。
前田健太や田中将大と同学年と呼べない。

◆書き加え3(2019年1月6日)

ドラフト1位の吉田輝星(よしだ・こうせい)が鎌ケ谷の「勇翔寮」へ入寮した。
大勢のファンとテレビカメラを含むマスコミに出迎えられたようだ。
夏の甲子園で金足農業高校のエースとしてチームを大阪桐蔭高校との決勝戦へ導いた。
斎藤佑樹、松井裕樹と並び、4試合連続二桁奪三振を記録している。
昨年11月23日の入団会見で背番号はエースナンバーの「18」に決まった。

吉田輝星に宛がわれたのはかつてダルビッシュ有や大谷翔平が過ごした「 404号室」。
出世部屋とされているが、斎藤佑樹は叶ったとはいえない。
隣室は1年前のドラフト1位の清宮幸太郎らしい。
ちなみに初詣で引いたおみくじは「末吉」だったと明かしており、正直な選手である。

私はプロ野球での活躍を期待するが、はたして・・・。

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斎藤佑樹、期待の重圧…プロでの実力と活躍

NHK総合テレビで「“ハンカチ王子”と戦った4年間」が放送された。
私は仕事をしており、ときどき聞く程度。
早稲田大学野球部の斎藤佑樹投手に関するドキュメンタリー番組。
本人へのインタビューも含まれる。
ハンカチ王子と戦ったとは、期待の重圧と戦ったという意味だった。

私は大きな期待をかけられたことがない。
半世紀前を振り返れば、直江津小学校(新潟県直江津市)の高学年の頃はそれなりに活躍(?)した。
児童会長、鼓笛隊隊長、勉強、絵…。
60年近い人生で一番輝いていた。
親の期待をいくらか感じた。
しかし、それを面と向かって私に示さなかった。
うれしそうにしていた。
立派である。
ただし、親戚にはかなり自慢したらしい。

私は世間の注目を集めたことがなく、それがどれくらい大変か分からない。

2006年夏の甲子園決勝戦。
前評判が高くなかった早稲田実業・斎藤佑樹は、大会ナンバーワンの呼び声が高かった駒大苫小牧高校・田中将大とぶつかった。
2日連続の死闘を一人で投げ抜き、しかも田中将大に投げ勝った。
マウンド上で額の汗をぬぐったのがハンケチ。
端正なルックス、知的で清潔な雰囲気…。
「ハンカチ王子」の愛称がつけられ、一躍脚光を浴びた。

⇒2010年11月3日「斎藤佑樹は輝かしいスター、大舞台が似合う」はこちら。

斎藤佑樹は語った。
自分の名前が独り歩きし、イメージがどんどん膨らんでいった。
いわゆる「人気」。
それが早稲田大学野球部に在籍した4年間、ずっとついて回った。
周りからこれでもかと期待を寄せられた。

私は、斎藤佑樹がドラフトに不安を感じていたと知り、驚いた。
プロ野球の自分に対する評価を図りかねていたのだ。
当日、4球団の1位指名に笑みがこぼれた。
そして、運命の抽選くじ(当たりくじ)を引いた球団が日本ハムファイターズだった。

斎藤佑樹は群馬県で生まれ、高校から東京で暮らした。
ゆえに、在京球団、とくに東京六大学野球で活躍した神宮球場を本拠地とするヤクルトスワローズを願う気持ちがいくらかあったかもしれない。
しかし、彼は日本ハムの指名権獲得を心の底から喜んでいるように見えた。
いい男だ。

⇒2010年12月10日「斎藤佑樹は日ハムのユニフォームでいいのか?」はこちら。

番組で、斎藤佑樹は苦悩が深いほうだと知った。
表情をあまり崩さないので、これは意外だった。
汗用と思ったハンカチは涙用だった?

私が期待をかけられなかったということは、私が成果を上げなかったということ。
注目を浴びる立場になれなかったことにさみしさを感じた。

期待は人を変える。
おそらくよい方向へ導く。
問題は、大きな期待がかかったときだ。
それを重圧と感じ、逃げ出したくなる、押し潰される…。
本物や一流になるには、周囲の期待を自分のエネルギーに変えられなければならない。

なお、斎藤佑樹の目標は、子どもたちの目標になること(言葉は曖昧)。
やさしさが伝わってくる。
彼は人間として素晴らしい何かを持っている。

                       ◇

このブログで斎藤佑樹を幾度か取りあげた。
私は野球に限らず、スポーツに関する専門知識がない。

裏づけのない直感にすぎないが、斎藤佑樹はプロ野球で活躍する。
ダルビッシュ有が抜けるだろう再来期、日本ハムのエースに育っている。

現時点での実力は、読売ジャイアンツのドラフト1位指名・沢村拓一のほうがだいぶ上だ。
しかし、すでに投手として成長しており、ほぼ完成品。
それに比べ、斎藤佑樹はかなり伸び代が残っているのでは…。

乱暴を承知で、このブログで述べた。
開幕一軍などとケチくさいことを言わず、開幕投手に起用してほしい。

⇒2010年11月6日「斎藤佑樹エースナンバー18番で開幕投手へ」はこちら。

プロ野球人気に陰りが出て久しい。
それくらいのファンサービスが用意されてもよい。
なぜかパ・リーグが注目選手をどんどん引き当てている。
セ・リーグと人気が逆転する日が近い?

⇒2010年11月12日「沢村拓一は巨人の開幕投手、即沢村賞も…」はこちら。

あくまで直観だが、沢村拓一はそれくらいの実力を持っている。
当然、新人王。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

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早慶優勝決定戦、斎藤佑樹と大石達也は登板?

プロ野球ドラフト会議で史上初めて投手3人が1位指名を受けた早稲田大学野球部。
ハンカチ王子・斎藤佑樹、大石達也、福井優也。

端正なマスクの斎藤佑樹は人気が突出している。
日本ハムファイターズの本拠地・札幌ドームは大フィーバー(古い?)が巻き起こりそう。
野球に興味のない若い女性も球場に足を運ぶかもしれない。

さて、東京六大学野球秋季リーグ、早稲田大学は優勝がかかった神宮球場の早慶戦1回戦、2回戦に1位指名組を起用した。
が、打ち込まれるなどして敗戦。
私は、どちらかの試合での勝利は間違いないと思っていた。
3投手は注目度が飛躍的に高まり、いいところを見せようと力んでしまったのか。
それとも、ドラフト会議で脚光を浴びなかった慶応大学の選手が意地を見せたのか。
実はこれが最終戦だった。

両校が並んだため、きょう優勝決定戦を行うことになった。
ちなみに、1960年秋季リーグの「早慶6連戦」以来。
このときは優勝決定戦が2試合連続引き分け再試合、第3戦で早稲田大学が慶応大学を下した。
大学野球史上に残る名勝負だった。

半世紀ぶりの早慶優勝決定戦。
福井優也は難しいとしても、斎藤佑樹と大石達也は投げるのだろうか。
文字どおりの“大一番”であり、2投手は登板せざるをえないのでは…。
おそらく本人もそれを望んでいる。
11月3日は文化の日(祝日)なので、両校の学生とOBはもちろん一般人も神宮球場に詰めかける。
この寒さでも徹夜で行列するファンが続出しそうだ。
神宮の杜は両校の校歌がこだまするのか。

                       ◇

ところで、3投手と同学年の広島東洋カープ・前田健太が先発完投型投手の最高栄誉「沢村賞」を贈られた。
セ・リーグで最優秀防御率、最多勝、最多奪三振の「投手3冠」に輝いた。
セ・リーグの投手の選出は2004年の中日ドラゴンズ・川上憲伸以来らしく、パ・リーグの投手の優位が続いたことになる。

楽天イーグルス・田中将大も同学年である。
あまりにも有名な2006年夏の甲子園大会の決勝戦。
早稲田実業・斎藤佑樹と駒大苫小牧高校・田中将大は2日間にわたって壮絶な戦いを繰り広げた。
高校野球史上に残る死闘だった。

決勝戦は1−1、延長15回で決着がつかなかった。
翌日の再試合は4−3で早稲田実業が駒大苫小牧高校を下した。
斎藤佑樹は9回を投げ抜いて優勝投手となり、史上1位の投球回数と投球数を記録した。
化け物のようなスタミナを持つ。

私は、田中将大が三振に打ち取られて最後の打者になったシーンが印象に残っている。
両雄、持てる力を出し尽くした。

闘志むき出しの楽天イーグルス・田中将大。
スマートでクールな日本ハムファイターズ・斎藤佑樹。
が、ともにクレバー。
同学年の二人の投げ合いは滅茶苦茶盛り上がるだろう。
パ・リーグは興行面でもセ・リーグをしのぐ勢いである。

◆書き加え1(11月3日)

私は、野球選手の能力や技術、そして可能性を判断できない。

斎藤佑樹は早稲田大学に進学して素晴らしい結果を出したが、学年が上がるにつれて成績を落とした。
専門家のなかにはプロ野球での活躍を疑問視する向きもある。

しかし、今後の成長に太鼓判を押す向きもある。
伸び代の大きさを評価しているのだ。

◆書き加え2(11月7日)

福井優也は1年の浪人期間があった。
前田健太や田中将大と同学年と呼べない。

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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