わが家のアメリカンショートヘア「チビ(♂)」が7月22日、金曜日朝6時半頃、妻のベッドで力尽きた。
1997年2月16日生まれ。
14年5カ月強、生きた。
性格は至って穏やか。
犬みたいに人懐こい、ちょっと変わった猫だった。
人間に対する警戒心がまったくなく、初対面でもいきなり打ち解ける。
訪問客が戸惑うくらい・・・。
チビは立派な血統証明書付きのブラックスモーク。
毛が細かく柔らかく、全身真っ黒。
強い直射日光が当たったとき、アメリカンショートヘア特有の模様がいくらか浮かび上がる。
うちで飼った猫のなかでは一番高価だった。
渋谷・松涛の賃貸マンションに暮らしていた頃、信頼の置けるペットショップにわざわざブラックスモークと指定して探してもらった。
毛並みがいかにも高級だったが、足と尻尾が極端に短い。
どこかユーモラス。
チビは生後40日程で買ったときに小さかったのでチビ。
幼い猫という意味であり、他と比べて小さいということでない。
また、洋画に登場する黒人のチビッコギャングみたいな顔立ちだったことも名づけの理由。
すぐに、わりと大きく育った。
やがて、わが家は横浜・港北ニュータウンに引っ越してきた。
7〜8歳の頃だったか、チビは具合が悪くなり、妻が動物病院に連れていった。
そして、肥大化した脾臓の緊急手術を勧められた。
開腹したら爆発寸前の状態で手術を施せず、同時に風船のように膨らみ、何とか腹を縫い合わせた。
獣医はさじを投げた。
だが、諦められない妻は、ガンなどによく効くとされる高価な水を与えつづけ、チビは一命を取り留めた。
後日、獣医がどうしても信じられないと首を傾げた。
いつしか脾臓は周囲の内臓に取り込まれたのか、フィルム(?)上で消えていた。
とはいえ、チビは重病だったので体調が完全に戻ることはなかった。
しかし、それなりに元気に生きていた。
2年程前だったか、妻はチビが飲む水の量が急に増えたことを不審に思った。
動物病院で腎不全と判明し、寿命が短いと診断された。
妻がずっと気にかけてきた。
こまめな世話を決して怠らなかった。
が、6月下旬、容体が急変した。
私は一晩持てばと思った。
しかし、妻が付きっ切りで面倒を見た。
1日中自分のそばに置き、スプーンで幾度も流動食を与え、しばしば水分を取らせ、ときどきトイレに連れていく。
1カ月近くずっと看病・・・。
妻がグロッキー。
私はチビもつらいのでないかと思い、妻に安楽死を勧めた。
が、それを決めるのはもちろん私でない。
だれよりも深い愛情を注いできた人間だと考えていた。
妻は、チビは生きようと頑張っており、命が尽きるまで生きてほしいと言った。
ならば、私が口を挟むべきでない。
チビはこの1カ月弱の闘病期間、たいてい横たわっていた。
幾度か人間のボケに近い状態になった。
ほとんど歩けないはずなのに、よたよたしながら部屋や廊下を歩き回った。
徘徊に当たる。
また、幻覚や幻聴だったのだろう、驚いた表情で目を開け、空中の一点をずっと見ていた。
こうしたときは、家族が話しかけても聞こえないみたいだった。
チビはもうダメかなと思うとわずかに回復するという繰り返しだった。
死ぬ2〜3日前から水さえ取れなくなった。
流動食はまったく・・・。
妻もさすがに観念した。
限界の闘病生活でやせ細り汚れきった全身を優しく拭いてやり、きれいにしてやった。
チビは毎日かならず妻のベッドで眠った。
布団のなか、そして妻の頭や顔、体に張り付くように…。
妻は暑い暑いと、満更でもなさそうだった。
猫の体温は高い。
金曜日朝6時半頃、チビは妻に付き添われ、見守られて息を引き取った。
何という幸せ者。
最後まで懸命に生きた。
私はチビを褒めてやりたい。
◇
ところで、チビと一緒に暮らしていたのが、アメリカンショートヘア「キイ(♀)」である。
シルバータビー。
こちらは横浜・港北ニュータウンのペットショップで購入した。
2005年3月14日生まれ。
キイは若くて活発であり、チビが反撃しないのをいいことによく襲いかかった。
チビがいくらか元気なときは、まれに本気で怒った。
しかし、チビが明らかに衰弱し、生命がぎりぎりになってから、キイは急に静かになった。
チビとともに妻の部屋で暮らし、妻のベッドで眠っていたのに、廊下、そして玄関や洗面所の前に独りいる時間が長くなった。
元気も失った。
チビと妻に遠慮しているようだった。
私の部屋(書斎)で暮らすアメリカンショートヘア「フウ(♀)」。
チビの約7カ月後、1997年9月11日生まれ。
まもなく14歳を迎える。
ブラックスモークに近い。
生活のリズムがチビやキイと異なり、なかでも食事がごく少量で非常に高頻度なため、一緒に置いておけない。
幸い、わが家は二世帯用の広いマンションであり、チビとキイは妻と子どもがいる母屋(?)に暮らし、フウは私がいる離れ(?)に暮らす。
生活のエリアは区切られているが、曇りガラスの玄関ドアを挟んで、チビの異変を何となく感じているようだった。
この子は心が優しく、しかも繊細・敏感である。
私は講演やセミナー、研修などで長期出張が珍しくない。
この間、書斎(部屋)に閉じ込めておくのはかわいそうなので、妻がときどきフウを行き来させてやっていた。
フウは穏やかなチビと気が合った。
闘病期間、これが見納めと思い、私はフウを抱いてチビのもとに連れていったことが2度程ある。
しかし、フウはすぐに離れた。
何か耐えられないといった様子だった。
チビが死んだ後の日曜日(きのう)、フウが行き来できるように曇りガラスの玄関ドアをしばらく開放していたが、大好きな妻の部屋へ行こうとしない。
私が抱いて連れていくと、フウはきょろきょろして落ち着かない。
あぁ、懸命にチビを探しているのだ。
私はフウにショックを与えていけないと思った。
臭いが残っており、頭のいいフウはチビを覚えている・・・。
気の毒なことをした。
残ったフウはいまのところ病気一つ見つからない。
高齢だが、1日でも長く生きてほしい。
チビの火葬は金曜日、納骨は土曜日。
妻と子どもがきちんとやってくれた。
ペットは家族の一員。
わが家では横浜・港北ニュータウンにささやかなペットの墓を構えている。
アメリカンショートヘアのモモ(シルバータビー♀)とクロ(ブラックスモーク♂)、トラ(ブラウンタビー♂)が眠り、そこにチビが加わった。
4匹はあの世で思い出話に花を咲かせているのでないか・・・。
モモとクロの間に、私の渋谷・松濤の部屋で生まれた5匹の1匹がフウである。
気立ての優しさは母親譲り、顔を含めた姿格好は父親譲り。
ちなみに、妻はすべての猫の誕生日と死亡日を覚えている。
Copyright (c)2011 by Sou Wada

14年5カ月強、生きた。
性格は至って穏やか。
犬みたいに人懐こい、ちょっと変わった猫だった。
人間に対する警戒心がまったくなく、初対面でもいきなり打ち解ける。
訪問客が戸惑うくらい・・・。
チビは立派な血統証明書付きのブラックスモーク。
毛が細かく柔らかく、全身真っ黒。
強い直射日光が当たったとき、アメリカンショートヘア特有の模様がいくらか浮かび上がる。
うちで飼った猫のなかでは一番高価だった。
渋谷・松涛の賃貸マンションに暮らしていた頃、信頼の置けるペットショップにわざわざブラックスモークと指定して探してもらった。
毛並みがいかにも高級だったが、足と尻尾が極端に短い。
どこかユーモラス。
チビは生後40日程で買ったときに小さかったのでチビ。
幼い猫という意味であり、他と比べて小さいということでない。
また、洋画に登場する黒人のチビッコギャングみたいな顔立ちだったことも名づけの理由。
すぐに、わりと大きく育った。
やがて、わが家は横浜・港北ニュータウンに引っ越してきた。
7〜8歳の頃だったか、チビは具合が悪くなり、妻が動物病院に連れていった。
そして、肥大化した脾臓の緊急手術を勧められた。
開腹したら爆発寸前の状態で手術を施せず、同時に風船のように膨らみ、何とか腹を縫い合わせた。
獣医はさじを投げた。
だが、諦められない妻は、ガンなどによく効くとされる高価な水を与えつづけ、チビは一命を取り留めた。
後日、獣医がどうしても信じられないと首を傾げた。
いつしか脾臓は周囲の内臓に取り込まれたのか、フィルム(?)上で消えていた。
とはいえ、チビは重病だったので体調が完全に戻ることはなかった。
しかし、それなりに元気に生きていた。
2年程前だったか、妻はチビが飲む水の量が急に増えたことを不審に思った。
動物病院で腎不全と判明し、寿命が短いと診断された。
妻がずっと気にかけてきた。
こまめな世話を決して怠らなかった。
が、6月下旬、容体が急変した。
私は一晩持てばと思った。
しかし、妻が付きっ切りで面倒を見た。
1日中自分のそばに置き、スプーンで幾度も流動食を与え、しばしば水分を取らせ、ときどきトイレに連れていく。
1カ月近くずっと看病・・・。
妻がグロッキー。
私はチビもつらいのでないかと思い、妻に安楽死を勧めた。
が、それを決めるのはもちろん私でない。
だれよりも深い愛情を注いできた人間だと考えていた。
妻は、チビは生きようと頑張っており、命が尽きるまで生きてほしいと言った。
ならば、私が口を挟むべきでない。

幾度か人間のボケに近い状態になった。
ほとんど歩けないはずなのに、よたよたしながら部屋や廊下を歩き回った。
徘徊に当たる。
また、幻覚や幻聴だったのだろう、驚いた表情で目を開け、空中の一点をずっと見ていた。
こうしたときは、家族が話しかけても聞こえないみたいだった。
チビはもうダメかなと思うとわずかに回復するという繰り返しだった。
死ぬ2〜3日前から水さえ取れなくなった。
流動食はまったく・・・。
妻もさすがに観念した。
限界の闘病生活でやせ細り汚れきった全身を優しく拭いてやり、きれいにしてやった。
チビは毎日かならず妻のベッドで眠った。
布団のなか、そして妻の頭や顔、体に張り付くように…。
妻は暑い暑いと、満更でもなさそうだった。
猫の体温は高い。
金曜日朝6時半頃、チビは妻に付き添われ、見守られて息を引き取った。
何という幸せ者。
最後まで懸命に生きた。
私はチビを褒めてやりたい。
◇
ところで、チビと一緒に暮らしていたのが、アメリカンショートヘア「キイ(♀)」である。
シルバータビー。
こちらは横浜・港北ニュータウンのペットショップで購入した。
2005年3月14日生まれ。
キイは若くて活発であり、チビが反撃しないのをいいことによく襲いかかった。
チビがいくらか元気なときは、まれに本気で怒った。
しかし、チビが明らかに衰弱し、生命がぎりぎりになってから、キイは急に静かになった。
チビとともに妻の部屋で暮らし、妻のベッドで眠っていたのに、廊下、そして玄関や洗面所の前に独りいる時間が長くなった。
元気も失った。
チビと妻に遠慮しているようだった。
私の部屋(書斎)で暮らすアメリカンショートヘア「フウ(♀)」。
チビの約7カ月後、1997年9月11日生まれ。
まもなく14歳を迎える。
ブラックスモークに近い。
生活のリズムがチビやキイと異なり、なかでも食事がごく少量で非常に高頻度なため、一緒に置いておけない。
幸い、わが家は二世帯用の広いマンションであり、チビとキイは妻と子どもがいる母屋(?)に暮らし、フウは私がいる離れ(?)に暮らす。
生活のエリアは区切られているが、曇りガラスの玄関ドアを挟んで、チビの異変を何となく感じているようだった。
この子は心が優しく、しかも繊細・敏感である。
私は講演やセミナー、研修などで長期出張が珍しくない。
この間、書斎(部屋)に閉じ込めておくのはかわいそうなので、妻がときどきフウを行き来させてやっていた。
フウは穏やかなチビと気が合った。
闘病期間、これが見納めと思い、私はフウを抱いてチビのもとに連れていったことが2度程ある。
しかし、フウはすぐに離れた。
何か耐えられないといった様子だった。
チビが死んだ後の日曜日(きのう)、フウが行き来できるように曇りガラスの玄関ドアをしばらく開放していたが、大好きな妻の部屋へ行こうとしない。
私が抱いて連れていくと、フウはきょろきょろして落ち着かない。
あぁ、懸命にチビを探しているのだ。
私はフウにショックを与えていけないと思った。
臭いが残っており、頭のいいフウはチビを覚えている・・・。
気の毒なことをした。
残ったフウはいまのところ病気一つ見つからない。
高齢だが、1日でも長く生きてほしい。
チビの火葬は金曜日、納骨は土曜日。
妻と子どもがきちんとやってくれた。
ペットは家族の一員。
わが家では横浜・港北ニュータウンにささやかなペットの墓を構えている。
アメリカンショートヘアのモモ(シルバータビー♀)とクロ(ブラックスモーク♂)、トラ(ブラウンタビー♂)が眠り、そこにチビが加わった。
4匹はあの世で思い出話に花を咲かせているのでないか・・・。
モモとクロの間に、私の渋谷・松濤の部屋で生まれた5匹の1匹がフウである。
気立ての優しさは母親譲り、顔を含めた姿格好は父親譲り。
ちなみに、妻はすべての猫の誕生日と死亡日を覚えている。
Copyright (c)2011 by Sou Wada