シンガーソングライター・山下達郎は一曲、一曲、実に丁寧につくり込んでいる。
「完全主義」という言葉は彼に捧げたい。
さて、師走になると決まって流れるのが、山下達郎の「クリスマス・イブ」。
この曲は1983年リリースのアルバム「MELODIES(メロディーズ)」から1986年にシングルカットされ、ミリオンヒットになった。
私はかつて渋谷・松涛に住んでいた。
1990年代半ばを過ぎた頃、渋谷・円山町の「クラブ三条」のホステスからアルバム(CD)をプレゼントされた。
なぜか紛失してしまい、それが「MELODIES」かどうか不明。
曲の大半もしくは過半がクリスマスソングだったと記憶している。
幾度か聞いたが、絶句する完成度!
入魂の出来栄えだった。
私は音楽に疎く、どうやってレコーディングしているのかとても不思議だった。
ひょっとして自分一人でつくっている?
山下達郎の世界が結晶した美しさがあり、しびれた。
私は、初めて山下達郎の楽曲に触れたときを思い出した。
1980年、「RIDE ON TIME(ライド・オン・タイム)」。
反体制的なフォークや四畳半的なフォークをさんざん聞かされた耳に、このポップスは新鮮というよりも衝撃だった。
開放的なリゾートソングに聞こえた。
当時、学生や若者の間にブルジョアを忌み嫌う空気が残っていた。
思想性などの息苦しさを笑っているようで、同じ日本人がつくった楽曲とはとても思えなかった。
自分は自分の音楽世界を切り拓くという純粋さが心地よく伝わってきた。
その山下達郎がアルバムをリリースすると同時に後悔の念にとらわれると、どこかで述べていた。
私は次元がまったく違うが、本を出すと同時に後悔の念にとらわれる。
あの天才にしてそうなのかと、救われた気分になった。
凡人の私では当たり前だった。
以前、深夜のテレビ番組で、山下達郎の「クリスマス・イブ」のピッチを変えていくと、竹内まりやが歌っているのと区別がつかなくなることを知った。
二人は夫婦であり、私は鳥肌が立った。
◇
かたや、竹内まりや。
以前、NHKの「SONGS」に登場した。
同番組は2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響により休止していた。
そして、4月6日に再開した。
「歌にこめた祈り」と題して被災者へ、竹内まりや、山下達郎、森山直太朗、美輪明宏が歌を送った。
竹内まりやは「人生の扉」。
山下達郎は「希望という名の光」。
森山直太朗は「さくら」の合唱。
美輪明宏は「花(すべての人の心に花を)」。
PVの山下達郎を除く3人は同番組の過去の放送分。
竹内まりやは第1回(2007年4月11日)放送分。
それぞれが被災者へのメッセージを添えた。
ファンから選ばれた竹内まりやの曲は、3位が「元気を出して」、2位が「人生の扉」、1位が「駅」。
もともと「元気を出して」は薬師丸ひろ子に、「駅」は中森明菜に、彼女が作詞・作曲家として提供した。
竹内まりやは力みがない。
声も歌唱も明るく軽やかで、温かく優しい。
しかも“華”がある。
彼女の歌を聞いていると、やわらかな陽射しに包まれるような、幸せな気分に浸れる。
心が癒されたり、ときに心が弾んだりする。
竹内まりやは、自分の歌がファンの人生のところどころで慰めになったり、思い出になったりすることに喜びを感じ、今日まで歌いつづけてきたと語った。
ところで、竹内まりやは1955年、島根県出雲市(旧大社町)生まれ。
旧大社町長、出雲大社正門前の温泉旅館「竹野屋」主(あるじ)の父が世界で通用するようにとの願いを込めて「まりや」と名付けた。
なるほど、当時としては画期的な命名である。
竹野屋はいまも存在し、創業百三十年の老舗。
竹内まりやは慶應義塾大学に入学して音楽活動を始めるが、両立できずに中退した。
デビュー当初、ルックスを買われてアイドルソングを歌ったが、すぐに自分がやりたいこととのギャップに気づいた。
この頃アレンジャーとして現れた山下達郎と1982年に結婚する。
竹内まりやは作詞・作曲家として歌手に楽曲を提供した。
育児と家庭を優先して自身のライブ活動を控えたが、夫のサポートを得ながらシンガーソングライターとして多くのヒット曲を送り出した。
山下達郎と竹内まりやは仲のいい夫婦であり、互いにバックコーラスに回ったり、ゲストとして歌ったり、しばしばステージをともにしている。
竹内まりやは夫を尊敬している。
山下達郎も妻を尊敬しているのでなかろうか。
薬師丸ひろ子が東日本大震災の直前だったか、やはりSONGSで「元気を出して」を歌った。
ファンから「いい曲ですね」と言われるらしい。
しかし、とても難しい楽曲で、歌うのは久しぶりとのことだった。
つまり、避けている。
⇒2011年3月24日「薬師丸ひろ子、セーラー服と機関銃の快感」はこちら。
竹内まりやは作詞・作曲を手がけたとはいえ、この曲をさらっと歌う。
本職の実力か。
山下達郎は明治大学を入学直後に中退している。
二人は行動が潔い。
おそらく、自分の情熱と才能に対する自信が背景になっている。
明治大学中退といえば、北野武を思い出す。
私は5年間ずるずる在籍した挙句、中退した(実際は除籍か)。
そこに明確な目標も意思もない。
二人と圧倒的な差がついてしまった。
◇
きょうのブログは、2010年12月21日「山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度」と2011年5月26日「竹内まりやを聞く…やわらかな陽射しに包まれる幸せな気分」を統合して再編集したものである。
⇒2010年12月21日「山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度」はこちら。
⇒2011年5月26日「竹内まりやを聞く…やわらかな陽射しに包まれる幸せな気分」はこちら。
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「完全主義」という言葉は彼に捧げたい。
さて、師走になると決まって流れるのが、山下達郎の「クリスマス・イブ」。
この曲は1983年リリースのアルバム「MELODIES(メロディーズ)」から1986年にシングルカットされ、ミリオンヒットになった。
私はかつて渋谷・松涛に住んでいた。
1990年代半ばを過ぎた頃、渋谷・円山町の「クラブ三条」のホステスからアルバム(CD)をプレゼントされた。
なぜか紛失してしまい、それが「MELODIES」かどうか不明。
曲の大半もしくは過半がクリスマスソングだったと記憶している。
幾度か聞いたが、絶句する完成度!
入魂の出来栄えだった。
私は音楽に疎く、どうやってレコーディングしているのかとても不思議だった。
ひょっとして自分一人でつくっている?
山下達郎の世界が結晶した美しさがあり、しびれた。
私は、初めて山下達郎の楽曲に触れたときを思い出した。
1980年、「RIDE ON TIME(ライド・オン・タイム)」。
反体制的なフォークや四畳半的なフォークをさんざん聞かされた耳に、このポップスは新鮮というよりも衝撃だった。
開放的なリゾートソングに聞こえた。
当時、学生や若者の間にブルジョアを忌み嫌う空気が残っていた。
思想性などの息苦しさを笑っているようで、同じ日本人がつくった楽曲とはとても思えなかった。
自分は自分の音楽世界を切り拓くという純粋さが心地よく伝わってきた。
その山下達郎がアルバムをリリースすると同時に後悔の念にとらわれると、どこかで述べていた。
私は次元がまったく違うが、本を出すと同時に後悔の念にとらわれる。
あの天才にしてそうなのかと、救われた気分になった。
凡人の私では当たり前だった。
以前、深夜のテレビ番組で、山下達郎の「クリスマス・イブ」のピッチを変えていくと、竹内まりやが歌っているのと区別がつかなくなることを知った。
二人は夫婦であり、私は鳥肌が立った。
◇
かたや、竹内まりや。
以前、NHKの「SONGS」に登場した。
同番組は2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響により休止していた。
そして、4月6日に再開した。
「歌にこめた祈り」と題して被災者へ、竹内まりや、山下達郎、森山直太朗、美輪明宏が歌を送った。
竹内まりやは「人生の扉」。
山下達郎は「希望という名の光」。
森山直太朗は「さくら」の合唱。
美輪明宏は「花(すべての人の心に花を)」。
PVの山下達郎を除く3人は同番組の過去の放送分。
竹内まりやは第1回(2007年4月11日)放送分。
それぞれが被災者へのメッセージを添えた。
ファンから選ばれた竹内まりやの曲は、3位が「元気を出して」、2位が「人生の扉」、1位が「駅」。
もともと「元気を出して」は薬師丸ひろ子に、「駅」は中森明菜に、彼女が作詞・作曲家として提供した。
竹内まりやは力みがない。
声も歌唱も明るく軽やかで、温かく優しい。
しかも“華”がある。
彼女の歌を聞いていると、やわらかな陽射しに包まれるような、幸せな気分に浸れる。
心が癒されたり、ときに心が弾んだりする。
竹内まりやは、自分の歌がファンの人生のところどころで慰めになったり、思い出になったりすることに喜びを感じ、今日まで歌いつづけてきたと語った。
ところで、竹内まりやは1955年、島根県出雲市(旧大社町)生まれ。
旧大社町長、出雲大社正門前の温泉旅館「竹野屋」主(あるじ)の父が世界で通用するようにとの願いを込めて「まりや」と名付けた。
なるほど、当時としては画期的な命名である。
竹野屋はいまも存在し、創業百三十年の老舗。
竹内まりやは慶應義塾大学に入学して音楽活動を始めるが、両立できずに中退した。
デビュー当初、ルックスを買われてアイドルソングを歌ったが、すぐに自分がやりたいこととのギャップに気づいた。
この頃アレンジャーとして現れた山下達郎と1982年に結婚する。
竹内まりやは作詞・作曲家として歌手に楽曲を提供した。
育児と家庭を優先して自身のライブ活動を控えたが、夫のサポートを得ながらシンガーソングライターとして多くのヒット曲を送り出した。
山下達郎と竹内まりやは仲のいい夫婦であり、互いにバックコーラスに回ったり、ゲストとして歌ったり、しばしばステージをともにしている。
竹内まりやは夫を尊敬している。
山下達郎も妻を尊敬しているのでなかろうか。
薬師丸ひろ子が東日本大震災の直前だったか、やはりSONGSで「元気を出して」を歌った。
ファンから「いい曲ですね」と言われるらしい。
しかし、とても難しい楽曲で、歌うのは久しぶりとのことだった。
つまり、避けている。
⇒2011年3月24日「薬師丸ひろ子、セーラー服と機関銃の快感」はこちら。
竹内まりやは作詞・作曲を手がけたとはいえ、この曲をさらっと歌う。
本職の実力か。
山下達郎は明治大学を入学直後に中退している。
二人は行動が潔い。
おそらく、自分の情熱と才能に対する自信が背景になっている。
明治大学中退といえば、北野武を思い出す。
私は5年間ずるずる在籍した挙句、中退した(実際は除籍か)。
そこに明確な目標も意思もない。
二人と圧倒的な差がついてしまった。
◇
きょうのブログは、2010年12月21日「山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度」と2011年5月26日「竹内まりやを聞く…やわらかな陽射しに包まれる幸せな気分」を統合して再編集したものである。
⇒2010年12月21日「山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度」はこちら。
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