読売ジャイアンツの不動の4番打者、松井秀喜。
ファンの気持ちを何よりも案じながら、憧れのメジャーリーグへ渡った。
日米通算連続試合出場記録が1768試合で途切れる手首の骨折、そして膝の悪化に苦しみながらも、ニューヨーク・ヤンキースで7年間プレーした。
ジョー・トーリ監督に4番を任されることもあった。
これ自体が大変な快挙だ。

その松井秀喜がロサンゼルス・エンゼルスの主軸として初めてヤンキースタジアムを訪れ、古巣と対戦した。
私が感心したのは、概してシビアな向こうのファンの心を捉えたことである。
選手は消耗品、移籍が当たり前のように行われるメジャーリーグにおいて所属チームが変わっても愛されていた。
ニューヨークに根を張っていたのだ。

ヤンキースの本拠地開幕戦の主役は松井秀喜だった。
試合前、昨シーズンの「ワールドシリーズチャンピオンリング贈呈式(授与式)」が催された。
最後にキャプテンのデレク・ジーターが受け取ると、「ワールドシリーズMVP、ヒデキ・マツイ!」のアナウンス。
松井秀喜が三塁側のベンチを飛び出すと、だれよりも大きな拍手と歓声が沸き起こった。
27人のピンストライプのユニフォームに、ただ一人異なるユニフォーム。
ジョー・ジラルディ監督から優勝リングを受け取った。
直後、一二塁間に整列していたかつてのチームメートが一斉に駆け寄り、一人ひとりが抱擁するサプライズ…。
締め括りに、親友のジーターが祝福してくれた。
松井秀喜は顔がくしゃくしゃ、目がうるうる。

1回表の初打席では、超満員(約5万人)の観衆がスタンディングオベーションで迎えた。
鳴りやまない拍手と歓声に松井秀喜は戸惑いながらも、赤いヘルメットを軽く掲げて応えた。
試合後、記者会見で「感動した。一生忘れられない瞬間でした」と語った(うろ覚え)。
こんな幸せそうな表情を見たことがない。

実は、最初に渡されたリングは球団がファンに配るレプリカ(偽物)。
お茶目なジーターが仕組んだ悪戯だった。
本物は試合開始の整列の際に届けられた。
リングは数百万円の価値があるらしい。

余韻が冷めないうちに行われた試合で松井秀喜は5打数無安打に終わり、チームは7対5で敗れた。
しかも最後の打者となる屈辱を味わった。
守護神のマリアノ・リベラにバットを折られた。

私は思う。
球場新設の1年目にヤンキースを世界一に導いた勇姿を、ニューヨークの移り気なファンは忘れていなかった。
球団も立役者に取っておきの凱旋セレモニーを用意した。
それは松井秀喜にとり、ヤンキース時代との“決別”を意味しよう。
愛してやまないヤンキースを自ら去らざるをえなかった複雑な胸の内を拭えたのでは…。
これで闘争心にスイッチは入った。
エンゼルスの主軸として、ヤンキースファンから大ブーイングを浴びる活躍を見せてほしい(が、きょうも無安打)。

                       ◆

以下に、2009年11月5日「松井秀喜、MVPコールの感動!」と題するブログを掲げた。

おめでとう。
松井秀喜外野手がワールドシリーズMVPの栄冠を獲得した。
本拠地ヤンキースタジアムを埋め尽くした大観衆が、松井秀喜に最優秀選手選出を求める大声援を送った。
ヤンキースファンの熱烈コールに、胸が熱くなる…。

米大リーグのワールドシリーズ第6戦で、ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)がフィラデルフィア・フィリーズ(ナ・リーグ)を7対3で破り、通算3勝2敗で優勝を決めた。
9年振り27度目の制覇。
5番DHで先発出場した松井秀喜は、1960年のボビー・リチャードソン(ヤンキース)のワールドシリーズ記録に並ぶ1試合6打点をマークした。

第1打席、2回無死一塁で、先発のペドロ・マルチネス投手から右翼2階席へ豪快な先制2ランを打ち込んだ。
第2戦、第3戦に続く3本目のホームランでチームに勢いをつけた。
実は、マルチネスから第2戦で決勝本塁打を放っている。
文字どおりカモにした格好。
第2打席、2対1とされた直後の3回二死満塁で、中前へ2点タイムリー。
第3打席、5対1とした5回一死一、二塁で、代わったJ.A.ハップ投手から右中間フェンス直撃の2点タイムリー二塁打。
松井秀喜は、第6戦まで通算13打数8安打3本塁打8打点。
ワールドシリーズ、大暴れ!
MVPの受賞は当然だ。

マリナーズのイチロー外野手は、メジャー1年目の2001年に首位打者と盗塁王に輝き、ア・リーグのシーズンMVPに選ばれた。
また、2007年のオールスター戦で初のランニング本塁打を放つなどでMVPに選ばれた。

松井秀喜のワールドシリーズMVPは、日本選手初の快挙!
これで名前を残した。
注目を集める巨人で不動の4番打者として活躍した松井秀喜は、大舞台での“勝負強さ”が際立つ。
これは、ヤンキースのチームリーダー、デレク・ジーター遊撃手がいつも語っていること。

松井秀喜は、だれよりも巨人ファンの心情が分かっていた。
苦悩の末に、自分の希望を貫いてメジャー行きを決断した。
「ゴジラ」という愛称から、ファンはホームランの量産を期待したが、松井秀喜はそれに応えられなかった。
打点は当初まあまあ…。
だが、手首を折り、とくにひざを痛めてからは、イチローの偉大な記録の陰に隠れ、存在感がきわめて薄かった。
この間、自身の成績、そして故障を理由に、2度のWBCも出場を辞退せざるをえなかった。
悔しかったろう…。

テレビ報道などで彼の人柄が伝わってくるだけに、私は正直ホッとした。
シリーズMVPは、長くつらい努力、苦労、我慢が報われた。
松井秀喜にとり野球人生最高の一日となった。
また、ヤンキースファン、巨人ファン、松井ファンにとり感無量の瞬間となった。
もう一度言う。
おめでとう。

松井秀喜は入団7年目、4年契約の最終年にMVP。
新スタジアム完成年に悲願の世界一を、松井秀喜の目覚ましい活躍で成し遂げたヤンキースは、それでも放出するのか?
松井秀喜は試合後、「最高です。夢みたい。僕はヤンキースが好き」などと話した。
去就が気になる…。

⇒2009年11月5日「松井秀喜、MVPコールの感動!」はこちら。

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