2016年リオデジャネイロパラリンピックが始まりました。
夏が終わり、私は出張が続いています。
銀座のノートパソコン、そして持ち歩くノートパソコンではテレビ放送を流せません。
が、いまはインターネットで動画を見られる時代です。
また、ホテルでは早朝や深夜に実況やダイジェストに触れています。
オリンピックは最高のフィジカルとコンディションを築いた選手が最大のパフォーマンスを発揮して競います。
スポーツの本来の醍醐味といえます。
それに対し、パラリンピックは自らの意思に反してハンディキャップを負ってしまった選手がさまざまな制約や条件のなかで競います。
彼らの意識においてもオリンピックと違いがあるように思います。
パラリンピックの開催には人間の良質な心の働きと知恵が投影されています。
社会との接点回復と社会での活躍の機会として、何より身体障害者とその家族、周囲に希望をともします。
実際に出場できるのはごく一部ですが、自立の象徴としての価値はきわめて大きい。
私は社会的な意義も頭の隅に置き、順位や勝敗にあまりこだわらずに応援しています。
とりわけインタビューの受け答えに感じるところがあります。
彼らは受け入れがたい己の現実を受け入れたうえで頑張っており、同情の目で見られることを望んでいません。
(そこに至るまでの葛藤はどれほどだったでしょう・・・。)
かつてはプランナーだった私が「なるほど」と感心させられるのは、パラリンピックならではの創意と工夫です。
優れた発案者や考案者がいたのでしょう。
用具を含めて既存の競技をアレンジするだけでなく、障害者向けに新規の競技を開発しています。
ボランティアの付き添いが必要になる種目も設定されています。
おそらく実施と検証により粘り強くブラッシュアップを重ねてきました。
部位や程度が異なる障害者が出られるように、なおかつスポーツとしての公平性が保たれるように、参加条件や運営ルールを細やかに定めています。
なかでも団体競技の設計は考え抜かれています。
パラリンピックには後天的な身体障害者が大勢参加しています。
現代社会ではだれしも事故や事件などの危険にさらされながら生きています。
生命の傷つきやすさを知るとともに無事に過ごせるありがたみに思いが及びます。
さらに生命のたくましさを目の当たりにし、感動と勇気を与えられます。
せめて国民一人ひとりがもうちょっと番組を見て視聴率がいくらか高まるだけでも、パラリンピックの盛り上がりが出てくるはずです。
オリンピックみたいに我を忘れるほどの熱狂は得にくいとしても、関心がいささか低すぎるのでないでしょうか。
私は数日分、ときに十数日分の記事をまとめて書きます。
内容が古かったり順序がおかしかったりするのはそのせいです。
この記事は荒っぽかったので時間をかけて見直しました。
Copyright (c)2016 by Sou Wada
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銀座のノートパソコン、そして持ち歩くノートパソコンではテレビ放送を流せません。
が、いまはインターネットで動画を見られる時代です。
また、ホテルでは早朝や深夜に実況やダイジェストに触れています。
オリンピックは最高のフィジカルとコンディションを築いた選手が最大のパフォーマンスを発揮して競います。
スポーツの本来の醍醐味といえます。
それに対し、パラリンピックは自らの意思に反してハンディキャップを負ってしまった選手がさまざまな制約や条件のなかで競います。
彼らの意識においてもオリンピックと違いがあるように思います。
パラリンピックの開催には人間の良質な心の働きと知恵が投影されています。
社会との接点回復と社会での活躍の機会として、何より身体障害者とその家族、周囲に希望をともします。
実際に出場できるのはごく一部ですが、自立の象徴としての価値はきわめて大きい。
私は社会的な意義も頭の隅に置き、順位や勝敗にあまりこだわらずに応援しています。
とりわけインタビューの受け答えに感じるところがあります。
彼らは受け入れがたい己の現実を受け入れたうえで頑張っており、同情の目で見られることを望んでいません。
(そこに至るまでの葛藤はどれほどだったでしょう・・・。)
かつてはプランナーだった私が「なるほど」と感心させられるのは、パラリンピックならではの創意と工夫です。
優れた発案者や考案者がいたのでしょう。
用具を含めて既存の競技をアレンジするだけでなく、障害者向けに新規の競技を開発しています。
ボランティアの付き添いが必要になる種目も設定されています。
おそらく実施と検証により粘り強くブラッシュアップを重ねてきました。
部位や程度が異なる障害者が出られるように、なおかつスポーツとしての公平性が保たれるように、参加条件や運営ルールを細やかに定めています。
なかでも団体競技の設計は考え抜かれています。
パラリンピックには後天的な身体障害者が大勢参加しています。
現代社会ではだれしも事故や事件などの危険にさらされながら生きています。
生命の傷つきやすさを知るとともに無事に過ごせるありがたみに思いが及びます。
さらに生命のたくましさを目の当たりにし、感動と勇気を与えられます。
せめて国民一人ひとりがもうちょっと番組を見て視聴率がいくらか高まるだけでも、パラリンピックの盛り上がりが出てくるはずです。
オリンピックみたいに我を忘れるほどの熱狂は得にくいとしても、関心がいささか低すぎるのでないでしょうか。
私は数日分、ときに十数日分の記事をまとめて書きます。
内容が古かったり順序がおかしかったりするのはそのせいです。
この記事は荒っぽかったので時間をかけて見直しました。
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