「ヤワラちゃん」の愛称で親しまれた女子柔道の夏季五輪(オリンピック)金メダリスト、谷亮子(たに・りょうこ)が現役を引退した。
35歳。
先ほど記者会見で発表した。
さまざまな思いが交差し、一気に込み上げてきたはずだが、気丈にも涙を見せなかった。
20年近く「日の丸」の期待を背負い、世界の大舞台で戦いつづけてきた。
私が声をかけられるとしたら、「お疲れさまでした」。

谷亮子は2010年7月、参議院議員通常選挙の比例区に民主党から立候補して初当選した。
当時「2012年ロンドン五輪を目指す」と、政治家の活動と柔道家の競技を両立させることを明言した。
しかし、それは困難との判断に傾いた。
政界進出のきっかけを与えてくれた小沢一郎元代表と、今後の身の振り方を含めて相談した模様。

私は、今回の決断は遅すぎたと思う。
小沢一郎は彼女を担ぎ出す以上、引退を条件とすべきだった。
有権者に対し、失礼な話。

負けん気が強く、努力は人一倍、実力が抜群の彼女だから、オリンピックなどで輝かしい戦績を残してきた。
だれも超えられないほどの…。
私は尊敬を通り越し、「畏敬」の念を抱いている。
その彼女をもってしても両立は不可能だった。
国会議員の仕事が片手間で務まっては、国民の政治に対する不信と絶望を募らせるばかり…。

有名人なら、なおさら引き際が大事だ。
2012年ロンドン五輪から柔道代表の選考方法が変わったこと、そして世代交代が進んだことも背景。
ぎりぎり許せるタイミングだった。

⇒2010年10月3日「田村亮子の名言と人生に学ぶ(講演)」はこちら。

                       ◇

谷亮子(旧田村亮子)は強豪がひしめく柔道女子48キログラム級において、長らく第一人者の地位に君臨した。
人気の柔道漫画「YAWARA!」の主人公から取った「ヤワラちゃん」のニックネームで国民的な人気を博した。

田村亮子は、1992年バルセロナ五輪、1996年アトランタ五輪は銀メダル。
2000年シドニー五輪は金メダル。
結婚して谷亮子で臨んだ2004年アテネ五輪は金メダル。
第一子を出産して臨んだ2008年北京五輪は銅メダル。
怪我や故障がつきもの、体力勝負の格闘技なのに、5大会連続メダリスト。
呆れてしまう。
世界選手権でも1993年〜2003年、6大会連続金メダル。
2007年、金メダル。
全日本選手権優勝14回。
競技生活を通じ、どれくらい栄冠を戴いたか。

谷亮子は現役時代、ファンへの感謝、さらにサービス精神を忘れることがなかった。
それは、テレビの前で自らの逃げ道や退路を断つことでもあった。
しかも、有言実行!
「超人」と呼ぶしかない。
日本女性で文句なくナンバーワン・アスリート。
私は彼女と肩を並べる選手を思い浮かべられない。

谷亮子は名言が多く、シドニー前に「最低でも金」、アテネ前に「谷亮子でも金」、北京前に「ママでも金」。
己を極限状態に追い込み、闘志に火を付けた。

夫は読売巨人軍(ジャイアンツ)の谷佳知(たに・よしとも)外野手。
二人が結婚直前、のぞみグリーン車で新神戸駅へ向かう際、私はすぐそばの席にいた(おそらく喫煙車両だったはずで、とても不思議…)。
深い帽子を被った両人は、田舎の子みたいなリンゴのほっぺ。
私はほほえましくて、くすくす…。
実は、社内販売の女性も笑いを懸命にこらえており、これはいかん。

マスコミは「谷亮子、二足のわらじを断念」と報道。
これは間違い。
国会議員では珍しくなかろう。
オリンピックの頂点は目指せないということ(現実には出場がムリ)。

谷亮子は参議院議員に当選直後、公務の優先を約束した。
ようやくすっきり…。
金メダルから金バッジへ。
どうか国政に専念してほしい。

本人は記者会見で「競技生活の第一線から退く」という表現を用いた。
生みの親、小沢一郎も同席した。
「議員でも金」はなくなった・・・。

谷亮子選手の姿を見られないオリンピックはホント、さみしい。

◆書き加え1(10月17日)

あのときはグリーン車が珍しく混んでいた。
私が8号車か9号車の禁煙車両にいたのか。

アスリートの両人はタバコを吸わないのでなかろうか。
どうだろう?

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