私はポップスをほとんど聞きません。
それでも「竹内まりや」はいいなぁと思います。
詞も、曲も、歌も、とてもやさしいですが、べとつきません。
さらっと聞けてしまうところが気に入っています。
その竹内まりやは、出雲大社正門前の温泉旅館「竹野屋」が実家ということはよく知られています。
父は、大社町(現出雲市)町長。
私は昨秋、山陰合同銀行(ごうぎん経営者クラブ)の講演で山陰地方を訪れた際、出雲大社と竹野屋まで足を延ばすつもりでした。
実際、出雲市駅前の「ツインリーブスホテル出雲」に宿泊しました。
しかし、仕事のやりくりがつかず、2泊の予定を急きょ1泊に変更し、寝台特急「サンライズ出雲」で帰ってきてしまいました。
とても残念・・・。
今週は仕事が猛烈に押しています。
きょうのブログはごめんなさい。
2011年5月26日「竹内まりやを聞く…やわらかな陽射しに包まれる幸せな気分」をそのまま収めます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
以前、NHKの「SONGS」に竹内まりやが登場した。
同番組は2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響により長らく休止していた。
そして、4月6日に再開した。
「歌にこめた祈り」と題して被災者へ、竹内まりや、山下達郎、森山直太朗、美輪明宏が歌を送った。
竹内まりやは「人生の扉」。
山下達郎は「希望という名の光」。
森山直太朗は「さくら」の合唱。
美輪明宏は「花(すべての人の心に花を)」。
PVの山下達郎を除く3人は同番組の過去の放送分。
竹内まりやは第1回(2007年4月11日)放送分。
それぞれが被災者へのメッセージを添えた。
ファンから選ばれた竹内まりやの曲は、3位が「元気を出して」、2位が「人生の扉」、1位が「駅」。
もともと「元気を出して」は薬師丸ひろ子に、「駅」は中森明菜に、彼女が作詞・作曲家として提供した。
竹内まりやは力みがない。
声も歌唱も明るく軽やかで、温かく優しい。
しかも華がある。
彼女の歌を聞いていると、やわらかな陽射しに包まれるような、幸せな気分になれる。
心が癒されたり、ときに心が弾んだりする。
竹内まりやは、自分の歌がファンの人生のところどころで慰めになったり、思い出になったりすることに喜びを感じ、今日まで歌いつづけてきたと語った。
◇
ところで、竹内まりやは1955年、島根県出雲市(旧大社町)生まれ。
旧大社町長、出雲大社正門前の温泉旅館「竹野屋」主(あるじ)の父が世界で通用するようにとの願いを込めて「まりや」と名付けた。
なるほど、当時としては画期的な命名である。
竹野屋はいまも存在し、創業百三十年の老舗。
竹内まりやは慶應義塾大学に入学して音楽活動を始めるが、両立できずに中退した。
デビュー当初、ルックスを買われてアイドルソングを歌ったが、すぐに自分がやりたいこととのギャップに気づいた。
この頃アレンジャーとして現れた山下達郎と1982年に結婚する。
作詞・作曲家として歌手に楽曲を提供した。
彼女は育児と家庭を優先してライブ活動は控えたが、夫のサポートを得ながらシンガーソングライターとして多くのヒット曲を送り出した。
山下達郎と竹内まりやは仲のいい夫婦であり、互いにバックコーラスに回ったり、ゲストとして歌ったり、しばしばステージをともにしている。
竹内まりやは夫を尊敬している。
山下達郎も妻を尊敬しているのでなかろうか。
薬師丸ひろ子が東日本大震災の直前だったか、やはりSONGSで「元気を出して」を歌った。
ファンからいい曲ですねと言われるらしい。
しかし、とても難しい曲で、歌うのは久しぶりとのこと。
つまり、避けている。
⇒2011年3月24日「薬師丸ひろ子、セーラー服と機関銃の快感」はこちら。
竹内まりやは作詞・作曲を手がけたとはいえ、この曲をさらっと歌う。
本職の実力か。
余談だが、山下達郎の「クリスマス・イブ」はピッチを変えると竹内まりやの歌になる。
彼女が歌っている。
区別がつかない。
私は鳥肌が立った。
山下達郎は明治大学を入学直後に中退している。
二人は行動が潔い。
おそらく、自分の情熱と才能に対する自信が背景になっている。
私は明治大学に5年間ずるずる在籍した挙句、中退してしまった(実際は除籍か)。
そこに明確な目標も意思もない。
還暦近くになりツケが回ってきた。
とほほ・・・。
以下に、「山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度」と題する2010年12月21日のブログを収める。
いくらか手を入れた。
◇◆◇
師走になると決まって流れるのが、シンガーソングライター・山下達郎の「クリスマス・イブ」。
この曲を聞いて切ない気持ちになるうちは、どこかに青春が残っている。
いつまでもそうでありたい・・・。
以下は、ウィキペディアなどの情報を交えて記した。
「クリスマス・イブ」は、1983年リリースのアルバム「MELODIES(メロディーズ)」から1986年にシングルカットされ、ミリオンヒット。
私はかつて渋谷・松涛(松濤)に住んでいた。
1990年代半ばを過ぎた頃、渋谷・円山町の「クラブ三条(表記は不確か)」のホステスからアルバム(CD)をプレゼントされた。
なぜか紛失してしまい、それが「MELODIES」かどうか不明。
収められた曲の過半もしくは大半がクリスマスソングだったと記憶している。
幾度か聞いたが、絶句するほどの完成度!
どのようにレコーディングを行っているのか不思議だった。
山下達郎の世界が結晶したかのような美しさがあり、しびれた。
私は、初めて山下達郎の楽曲に触れたときを思い出した。
1980年、「RIDE ON TIME(ライド・オン・タイム)」。
反体制的なフォークや四畳半的なフォークをさんざん聞かされた耳に、このポップスは衝撃的だった。
リゾートソング?
何という明るさ。
何という解放感。
当時、学生や若者の間にブルジョアを忌み嫌う空気がいくらか残っていた。
時代を突き抜けており、同じ日本人がつくった楽曲とはとても思えなかった。
余談…。
山下達郎はアルバムをリリースすると同時に後悔の念にとらわれると、どこかで述べていた(不確か)。
私は次元がまったく違うが、本を出すと同時に後悔の念にとらわれる。
あの天才にしてそうなのかと、救われた気分になった。
凡人では当然である。
◇
山下達郎は、私より2歳下、早生まれで1学年下。
明治大学法学部中退。
明大中退といえば、北野武を思い出す。
私は明治大学経営学部中退。
二人とどうしてこんなに差がついたのか?
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それでも「竹内まりや」はいいなぁと思います。
詞も、曲も、歌も、とてもやさしいですが、べとつきません。
さらっと聞けてしまうところが気に入っています。
その竹内まりやは、出雲大社正門前の温泉旅館「竹野屋」が実家ということはよく知られています。
父は、大社町(現出雲市)町長。
私は昨秋、山陰合同銀行(ごうぎん経営者クラブ)の講演で山陰地方を訪れた際、出雲大社と竹野屋まで足を延ばすつもりでした。
実際、出雲市駅前の「ツインリーブスホテル出雲」に宿泊しました。
しかし、仕事のやりくりがつかず、2泊の予定を急きょ1泊に変更し、寝台特急「サンライズ出雲」で帰ってきてしまいました。
とても残念・・・。
今週は仕事が猛烈に押しています。
きょうのブログはごめんなさい。
2011年5月26日「竹内まりやを聞く…やわらかな陽射しに包まれる幸せな気分」をそのまま収めます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
以前、NHKの「SONGS」に竹内まりやが登場した。
同番組は2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響により長らく休止していた。
そして、4月6日に再開した。
「歌にこめた祈り」と題して被災者へ、竹内まりや、山下達郎、森山直太朗、美輪明宏が歌を送った。
竹内まりやは「人生の扉」。
山下達郎は「希望という名の光」。
森山直太朗は「さくら」の合唱。
美輪明宏は「花(すべての人の心に花を)」。
PVの山下達郎を除く3人は同番組の過去の放送分。
竹内まりやは第1回(2007年4月11日)放送分。
それぞれが被災者へのメッセージを添えた。
ファンから選ばれた竹内まりやの曲は、3位が「元気を出して」、2位が「人生の扉」、1位が「駅」。
もともと「元気を出して」は薬師丸ひろ子に、「駅」は中森明菜に、彼女が作詞・作曲家として提供した。
竹内まりやは力みがない。
声も歌唱も明るく軽やかで、温かく優しい。
しかも華がある。
彼女の歌を聞いていると、やわらかな陽射しに包まれるような、幸せな気分になれる。
心が癒されたり、ときに心が弾んだりする。
竹内まりやは、自分の歌がファンの人生のところどころで慰めになったり、思い出になったりすることに喜びを感じ、今日まで歌いつづけてきたと語った。
◇
ところで、竹内まりやは1955年、島根県出雲市(旧大社町)生まれ。
旧大社町長、出雲大社正門前の温泉旅館「竹野屋」主(あるじ)の父が世界で通用するようにとの願いを込めて「まりや」と名付けた。
なるほど、当時としては画期的な命名である。
竹野屋はいまも存在し、創業百三十年の老舗。
竹内まりやは慶應義塾大学に入学して音楽活動を始めるが、両立できずに中退した。
デビュー当初、ルックスを買われてアイドルソングを歌ったが、すぐに自分がやりたいこととのギャップに気づいた。
この頃アレンジャーとして現れた山下達郎と1982年に結婚する。
作詞・作曲家として歌手に楽曲を提供した。
彼女は育児と家庭を優先してライブ活動は控えたが、夫のサポートを得ながらシンガーソングライターとして多くのヒット曲を送り出した。
山下達郎と竹内まりやは仲のいい夫婦であり、互いにバックコーラスに回ったり、ゲストとして歌ったり、しばしばステージをともにしている。
竹内まりやは夫を尊敬している。
山下達郎も妻を尊敬しているのでなかろうか。
薬師丸ひろ子が東日本大震災の直前だったか、やはりSONGSで「元気を出して」を歌った。
ファンからいい曲ですねと言われるらしい。
しかし、とても難しい曲で、歌うのは久しぶりとのこと。
つまり、避けている。
⇒2011年3月24日「薬師丸ひろ子、セーラー服と機関銃の快感」はこちら。
竹内まりやは作詞・作曲を手がけたとはいえ、この曲をさらっと歌う。
本職の実力か。
余談だが、山下達郎の「クリスマス・イブ」はピッチを変えると竹内まりやの歌になる。
彼女が歌っている。
区別がつかない。
私は鳥肌が立った。
山下達郎は明治大学を入学直後に中退している。
二人は行動が潔い。
おそらく、自分の情熱と才能に対する自信が背景になっている。
私は明治大学に5年間ずるずる在籍した挙句、中退してしまった(実際は除籍か)。
そこに明確な目標も意思もない。
還暦近くになりツケが回ってきた。
とほほ・・・。
以下に、「山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度」と題する2010年12月21日のブログを収める。
いくらか手を入れた。
◇◆◇
師走になると決まって流れるのが、シンガーソングライター・山下達郎の「クリスマス・イブ」。
この曲を聞いて切ない気持ちになるうちは、どこかに青春が残っている。
いつまでもそうでありたい・・・。
以下は、ウィキペディアなどの情報を交えて記した。
「クリスマス・イブ」は、1983年リリースのアルバム「MELODIES(メロディーズ)」から1986年にシングルカットされ、ミリオンヒット。
私はかつて渋谷・松涛(松濤)に住んでいた。
1990年代半ばを過ぎた頃、渋谷・円山町の「クラブ三条(表記は不確か)」のホステスからアルバム(CD)をプレゼントされた。
なぜか紛失してしまい、それが「MELODIES」かどうか不明。
収められた曲の過半もしくは大半がクリスマスソングだったと記憶している。
幾度か聞いたが、絶句するほどの完成度!
どのようにレコーディングを行っているのか不思議だった。
山下達郎の世界が結晶したかのような美しさがあり、しびれた。
私は、初めて山下達郎の楽曲に触れたときを思い出した。
1980年、「RIDE ON TIME(ライド・オン・タイム)」。
反体制的なフォークや四畳半的なフォークをさんざん聞かされた耳に、このポップスは衝撃的だった。
リゾートソング?
何という明るさ。
何という解放感。
当時、学生や若者の間にブルジョアを忌み嫌う空気がいくらか残っていた。
時代を突き抜けており、同じ日本人がつくった楽曲とはとても思えなかった。
余談…。
山下達郎はアルバムをリリースすると同時に後悔の念にとらわれると、どこかで述べていた(不確か)。
私は次元がまったく違うが、本を出すと同時に後悔の念にとらわれる。
あの天才にしてそうなのかと、救われた気分になった。
凡人では当然である。
◇
山下達郎は、私より2歳下、早生まれで1学年下。
明治大学法学部中退。
明大中退といえば、北野武を思い出す。
私は明治大学経営学部中退。
二人とどうしてこんなに差がついたのか?
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