シンクロナイズドスイミングはオリンピックの正式種目になって以来、日本のお家芸とされてきました。

しかし、井村雅代(いむら・まさよ)ヘッドコーチが2004年アテネ五輪後に中国代表コーチへ移ると、どんどんレベルが落ちました。
中国は2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪で連続してメダルを獲得する大躍進を見せました。

それに対し、日本はロンドン五輪でデュエット、チームともに5位に終わり、初めてメダルを逃しました。
井村雅代の突出した選手育成の手腕がはっきりと証明される結果になりました。
そこで、日本は2014年に井村雅代に再生を託することにしました。

さて、リオデジャネイロ五輪、シンクロナイズドスイミング。
デュエットのフリールーティンの決勝で日本は25歳の乾友紀子(いぬい・ゆきこ)・22歳の三井梨紗子(みつい・りさこ)ペアが合計で銅メダルに輝きました。
テクニカルルーティンで3位のウクライナに僅差の4位につけており、何とか引っ繰り返しました。
北京五輪以来、2大会ぶりに表彰台に上りました。

井村雅代は8月16日が誕生日でしたので、最高のプレゼントになりました。
3人で肩を抱き合い、涙を流して喜びました。

また、8人チームのフリールーティンで日本は合計で銅メダルに輝きました。
テクニカルルーティンで4位のウクライナに僅差の3位に立っており、何とか守り抜きました。
といっても、デュエットもそうでしたが、練習で培ってきたすべてを出し切る攻めの演技です。
アテネ五輪以来、3大会ぶりに表彰台に上りました。

日本のシンクロの短期間での再生を可能にしたのが、井村雅代の代名詞となったスパルタ式の猛特訓です。
食べる、寝る、トイレ以外は練習、正月以外は練習で、時間が長いだけでなく中身も濃いとのこと。
つらさに耐えられずに選手が泣き出したり、代表候補が離脱したりしました。

しかし、厳しさだけではだれもついていくはずがありません。
選手にどうしてもメダルを獲らせてあげたいという熱さと温かさが根っこにありました。
それを信じ、地獄の練習についていった選手だけが表彰台に上れるのでしょう。

リオ五輪で日本のシンクロは復活を果たしました。
それでも2位の中国、1位のロシアとはかなりの差があります。
銀メダル、金メダルを手にするのは至難です。
ここから上に行くには、さらに科学的・技術的なアプローチが欠かせません。

1950年生まれの井村雅代は2020年東京五輪で70歳に達します。
そこでの成績がコーチ人生の集大成になるのでないでしょうか。

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井村雅代に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年8月24日「井村雅代をヘッドコーチに…リオ五輪シンクロ立て直し」はこちら。

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