新潟県の出身なのに、まったく知らなかった。
お恥ずかしい限り。
かつて人口最多は「新潟県」だった。
しかも長らく日本一の状態が続いていた。

私はSNSのアゴリアに登録している。
その事務局から平日毎朝、メールで「ディリー・ニュース」が送られてくる。
以下は、先日の内容の要約。

明治21(1888)年の人口調査では、1位は新潟県で 166万人、2位は兵庫県で 151万人、3位は愛知県で 144万人、4位は東京都で 135万人。
明治26年の調査でも、新潟県が1位。
明治36年に東京都が 188万人で1位となっている。
稲作に適した気候、そして大阪と北海道を結ぶ北前船航路が太平洋側の航路より豊かというのが主因らしい。
さらに明治8年、新潟県の新津油田で石油精製許可が申請され、本格的に操業が開始されている。
明治27年の日清戦争、明治35年の日露戦争で石油需要が増大し、大正時代には日本第3位の石油会社に成長している。
つまり、食料・エネルギー・流通航路基地として、三拍子揃っていた。
そうした新潟県が政財界に有力な人材を輩出しつづけてきたのも頷ける。

意外・・・。
しかし、思い当たる節がある。
私は全国を転々としたが、新潟県はとても自由な雰囲気だった。
自信に裏打ちされた、どこか突き抜けた明るさがあった。
人々はくよくよ考えたりしない。
その分、重さや深さに欠けるきらいが…。

新潟は北陸に含まれるようだが、富山・石川・福井と明らかに異なり、まして東北とまったく違う。
私が生まれ育った直江津について言えば、それほど方言や訛りがなかったように思う。
『自叙伝』を著した、大正期のアナーキスト、大杉栄は新潟県新発田市で育った。

田中角栄の自伝か何かに、以下のような趣旨の記述があると、だれかから聞かされた(うろ覚え)。
私は母の寝顔を見たことがなかった。
私が起きたときにはすでに田に出て働いていた。
私が寝るときにはまだ土間でわらを打っていた。
これは県民性の「勤勉」を見事に表している。
新潟県人は労働時間が長く、しかもそれを苦としない。
私もそう。

自信の背景は、稲作に適した気候に加えて土壌だろう。
信濃川など、日本海に注ぐ川が広い平野をつくっている。
肥沃な土地なので、まじめに働くなら食べていくのに困ることがなかった。
余談ながら、直江津在住のマイミク・池田秀敏さんが取れたてのコシヒカリを送ってくださる。おいしい。

私は不勉強で確かなことは分からないが、新潟はどこかに攻め込まれたり支配されたりした歴史がないのでないか?
少なくともそうした印象を持っている。

いまは「裏日本」という表現はなくなったらしい。
確かに冬場は雲に覆われ、雪に閉ざされた(子どもの頃は豪雪地帯だった)。
にもかかわらず開放的な風土だった。
私は暮らしていて、田舎の窮屈さとか息苦しさとかを感じなかった。

三波春夫、田中角栄。
新潟県人は自由闊達。

私が直江津で吸ったのは、そうした空気だった。

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