私は腰と背中の激痛に苦しんでいる。
日常の動作がままならない。
すべてが恐る恐る…。
ここまで悪化すると、ホテルの自室に呼ぶ指圧マッサージでは苦しみが和らがない。
むしろ症状を悪化させる可能性がある。
出張中とあっては医者にもかかれない。
ひたすら耐えるのみ。

いまのところ講師を務めているときは腰痛ベルトを外している。
おそらくきょうも…。
見た目が悪いのはともかく、参加者に申し訳ない。
が、あすはどうだろう。

実は昨晩、博多で新鮮な料理をいただくはずだった。
しかし、どうにもならず予約をキャンセルした。
私の頭の中にあるのは、1週間の出張を何とか乗り切ること。
主催者に迷惑をかけられない。

ところで、私は先日のブログから、職業人の学び方、仕事に関わる読書などについて述べている。
厳密なシリーズでないが、一連の記事である。
きょうは第4回。

⇒第1回/2010年5月10日「因果関係の追究…職能強化の基本」はこちら。

⇒第2回/2010年5月11日「著者と出版社のカモ…ご愁傷さま」はこちら。

⇒第3回/2010年5月12日「正しい読書法…本は読後勝負である」はこちら。

以下に、「それで本から学んだと言えるか」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年6月号の巻頭言3である。
その原稿にいくらか手を加えた。

◇◆◇

私は講演などで「本は読み終えてからが勝負となる」と述べている。
仕事に関わる読書においては、読むことで満たされると、学ぶことから遠ざかりやすい。
また、読むことで満たされると、やがて読むことが学ぶことだという勘違いが起こりかねない。

きのう述べたのは私の流儀なので置いておくとして、職業人生でいくらかでも成功をつかもうとする人が肝に銘じたい読書に関する時間配分がある。
メドは、「読む」に1、「考える」に2〜3、「行う」に3〜9。

行うにはいろいろ含まれるが、ここではその一つの「まとめる」に絞り、分かりやすい話をしよう。
一冊、本を読む。
そうしたら、そのテーマなり内容なりについて引きずりつづける。
そもそも読書のきっかけは問題意識だったはずで、それを簡単に手放してならない。
なぜなら、成長の芽なので…。
そして、じっくり考える。
そのうえで、やおらまとめる。

さて、それが自分の考えをきちんと表していたら、本から学んだことになる。
著者の知識をおおよそなぞっていたら、本から知ったことになる。
知ったと学んだは次元が異なり、知ったを学んだと思うのは致命傷である。
それは、本を読んでいるわりに血にも肉にもならず、職業人生があまり代わり映えのしない人の共通項だ。

念を押したい。
本は“読後勝負”である。
考えること、まとめる(行う)ことにエネルギーを注げ。

読む、考える、行う。
このうち、もっとも楽なのは読むである。
本に逃げない。

誤解が生じないよう、説明を補いたい。
私は何も本を読むことを否定しているわけでない。
大事なのは、本とどうつきあうかだと主張している。
本をせっかく読むのだから、本からよりよく学んでほしいと願う。

ところで、本から正しく学べない人が犯しがちな最大の過ちは、持っている知識の多寡で人の価値を判断することである。
それは、持っているモノの多寡で人の価値を判断することと変わりがない。
どうです、皆さんの周りにいませんか?
そうした人はもっとも下品な部類に属する。

◇◆◇

なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。

⇒2007年5月31日「それで本から学んだと言えるか」はこちら。

Copyright (c)2010 by Sou Wada

人気ブログランキング←応援、よろしく!