きのうまでのブログ「袋麺ナンバーワンはイトメン・チャンポンめん」「チャンポンめん地域別調理法…イトメン」「チャンポンめん…とびっこグッズ・着ぐるみ」に続いて・・・。

⇒2013年7月17日「袋麺ナンバーワンはイトメン・チャンポンめん」はこちら。

⇒2013年7月18日「チャンポンめん地域別調理法…イトメン」はこちら。

⇒2013年7月19日「チャンポンめん…とびっこグッズ・着ぐるみ」はこちら。

イトメンが製造・販売する超ロングセラーの即席麺「チャンポンめん」。
私は、富山県立魚津高校に在籍した1年半(2年生の8月〜3年生の2月)の間、この「チャンポンめん」にずいぶんお世話になった。

父は東洋紡績をやめ、母の両親(私の祖父母)が営む東京の下町の零細工場を継いだ。
ところが、祖父母に受け入れられず、生まれ故郷(富山)に戻らざるをえなくなった。
家計はどん底、家庭はほとんど崩壊の状態だった。

私は富山に引っ越し、そこで「チャンポンめん」を知った。
このブログで3日間にわたり取りあげてきた。
すでに述べたとおり、袋麺の最高傑作と考えるからだ。
しかし、単にうまいだけでなく、母の面影と重なっていることに気づいた。
だから、大好きなのだ。

母はときどきつくってくれるくらいで、私は小腹がすいたときに自分でつくった。
インスタントラーメンはたいていそうした食べ方をする。
にもかかわらず、私は「チャンポンめん」に、母の味に通じる懐かしさを感じる。
母の味とは、おふくろの味というより温もり、つまり母の愛情なのだろう。

私は明治大学進学を盾に、父の慰留を振り切って富山(入善)を飛び出した。
当時の家庭の重苦しい雰囲気に耐えられなかった。
上京して解放されたかった。
そして、中野で住み込みの新聞配達、そしてアルバイトをしながら東小金井で間借り。
収入と住まいが保障された新聞配達をやめてから、赤貧の生活をずっと送った。

ときどき田舎から仕送りが届いた。
段ボールの荷物のなかに「チャンポンめん」5食パック(5食入)を見つけたときの喜びといったら・・・。
白いコメのほかに食べるものがまったくない状態で、跳びあがるほどうれしかった。
私にとり、「チャンポンめん」は主食でなくおかずである。
心身ともに痛んだ両親がそれでも懸命に働いて買ってくれたものだ。

結局、父と母は、泊(一時避難)、入善(貸家⇒持ち家)、滑川(持ち家)と、私が17歳〜49歳まで30年以上、富山に住みつづけた。
私は、横浜に両親を呼び寄せるという念願を叶えることができた。

母は亡くなったが、「チャンポンめん」はその面影と重なる。

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