コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

倉本聰

浅田真央に連覇の期待…世界フィギュア2011東京大会

女子フィギュアスケート界は、浅田真央とキム・ヨナ(金妍兒)の対決を軸に回ってきた。
ところが、オリンピックシーズンに大差がついた。
低迷する浅田真央に対し、キム・ヨナは劇的に成長した。
浅田真央は2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)惨敗直後、カメラの前で大粒の涙をこぼした。
インタビュアーにマイクを向けられても、言葉にならなかった。

浅田真央は、2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)へ向けて基礎的な滑りの修正、そして得意のジャンプの見直しに着手した。
重点は、ジャンプの前後を含めた一連の運動の再構築である。
その過程で浅田真央のなかにちょっとした混乱が起こり、さまざまな迷いが生じて、これまで難なくできたことまで壊れてしまった。
フィギュアスケートがいかにデリケートなスポーツか分かる。

私は浅田真央の重大な決意が分かるだけに、1〜2年は結果を求めてはいけないと自分に言い聞かせていた。
選手が頂点を目指してスケーティングの矯正に取り組むとしたら、応援する側に必要なのは辛抱である。

バンクーバーオリンピックの余韻を引きずるなかで行われた「世界フィギュアスケート選手権2010(トリノ大会)」。
モチベーションの上がらないキム・ヨナは、浅田真央に敗れた。
かたや、浅田真央は勝ったという実感が乏しかった。
表彰台の頂上で見せた表情は非常に硬かった。

そして、シーズン終了後、二人は対照的な道を歩んだ。
矯正期間中にもかかわらず大会に出つづけ、ぶざまな姿をさらした浅田真央。
プロ転向の決断を保留し、リンクから遠ざかったキム・ヨナ。
これもまた苦悩の現れか。

3月、「世界フィギュアスケート選手権2011(東京大会)」が行われる。
浅田真央は昨年12月、ラストチャンスの全日本フィギュア選手権で代表の座をつかんだ。
となると、世間の期待は連覇へ向かう。
う〜ん。
彼女にとり、これがいい方向に働くかどうかは来シーズンを見なくては判断がつかない。

私自身は、浅田真央が納得するまで矯正に専念してほしかった。
世界フィギュアで結果を望むのは早い。
彼女の姿を見られれば十分でなかろうか・・・。

余談。
浅田真央は、負けても大勢を感動させられる、まれなアスリートだ。
また、彼女の笑顔には媚びがない。
いずれもスターの条件である。

以下に、「浅田真央がかいた汗の量」と題する2010年12月11日のブログを収める。

                      ◇◆◇

以前のブログ「浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断」で、私は次のように締め括った。

アスリートは私たちに素晴らしい感動を与えてくれる。
感謝の気持ちを忘れないことだ。

⇒2010年11月29日「浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断」はこちら。

これに少し書き足したくなった。

北海道・富良野に在住する人気脚本家・倉本聰(聡)が語った言葉は非常に印象的だった。
相手は、サッカーワールドカップ(W杯)でサムライブルーを率いて戦い終えた岡田武史監督。
「役者はスポーツ選手の感動にどうしても負けちゃう。かいた汗の量が違うからかなぁ…」(言葉はうろ覚え)。
鋭い指摘だ。
岡田武史監督に対するねぎらいでもあり、賛辞でもあった。
心憎い配慮といえる。

むろん、演劇なども感動を与えてくれるだろう。
しかし、スポーツ競技の極限の感動に叶わない。
私もそう思う。

2006年トリノ冬季五輪(オリンピック)で荒川静香が金メダルを獲得した。
前評判が決して高くなかったので驚きが大きく、したがって喜びもひとしおだった。
また、私がそれまでに見たなかでもっともエレガントなスケーティングだった。
私は魅せられ、すっかり感動してしまった。

代表選手は多くの汗をかいている。
人知れず涙を流しているかもしれない。

ところで、浅田真央。
私が応援しているせいもあろうが、彼女は負けても大きな感動を与えてくれる数少ないアスリートである。
格別の存在。

                       ◇

きのうから中国・北京でグランプリ(GP)ファイナルが行われている。
日本勢は過去最多の6選手が出場。
この成績は、来年3月に東京・代々木で開かれる2011年世界フィギュアスケート選手権の代表選考の有力な判断材料になる。
今季調整中の浅田真央に精神的な焦りが出なければよいが・・・。

うん?
冷静に考えると、前年の世界女王は無条件で出場できてもよさそうだ。
どうなのか・・・。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート女子・浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年12月4日「浅田真央、惨敗後インタビューの残酷と地獄」はこちら。

⇒2010年12月2日「浅田真央のリップサービス…マスコミ対応」はこちら。

⇒2010年12月1日「浅田真央はソチ仕様に工事中、勝てなくて当然」はこちら。

⇒2010年11月29日「浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断」はこちら。

⇒2010年11月28日「惨敗・浅田真央は輝きを取り戻せるか?」はこちら。

⇒2010年11月27日「浅田真央、得意なジャンプが壊れる恐怖」はこちら。

⇒2010年11月25日「浅田真央を引き受けた佐藤信夫コーチの胸中」はこちら。

⇒2010年11月23日「浅田真央、ソチ五輪栄冠への長いトンネル・・・」はこちら。

⇒2010年11月21日「浅田真央が流した悔し涙の価値とは?」はこちら。

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大杉漣と松下奈緒、ゲゲゲの親子が紅白再会か

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
このドラマでヒロイン・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)の実の父・飯田源兵衛を演じたのが、大杉漣(おおすぎ・れん)である。
以前のブログ「大杉漣、演技への怒涛の情熱とエネルギー」に続いて…。

⇒2010年11月13日「大杉漣、演技への怒涛の情熱とエネルギー」はこちら。

大杉漣は、青林堂の長井勝一が手がけた『月刊漫画ガロ』を創刊から読んでいた世代である。
水木しげるの漫画も読んでいた。
それゆえ、「ゲゲゲの女房」への出演を光栄に感じた。

さて、「ゲゲゲの女房」の公式サイト(番組ホームページ)に大杉漣のインタビュー記事が載っていた。
役づくりへの考え、そして飯田源兵衛への思いが率直に語られており、とても興味深かった。
以下は、そこから。

役者はさまざまな役柄を演じる。
しかし、自分でも気づかないうちに、類型のようなものをインプットされている。
大杉漣は、この役柄はこう演じるはずだという観念を少しでも外そうとしている。
役柄よりも「人間」のほうを追求する。
演じる前に“素っ裸”にしてみるそうだ。

大杉漣は「ゲゲゲの女房」のシナリオを読み、飯田源兵衛の父親像に共感した。
きちんと愛して演じられる人物だと…。
彼の頑固さの裏に、家族に対する大きな“熱”を感じた。
本気で案じ、本気で怒り、本気で喜ぶ…。

昔は、なぜこんなに怒っているのだろうという人が近所にいた。
私も直江津小学校の頃(昭和30年代)を振り返り、思い当たる。
怖い大人がよその子を平気で叱った。
だから、やんちゃでも真っ直ぐに育つ。

飯田家は、家長・源兵衛を立てる妻・ミヤコがおり、それに家族が従う構図になっている。
絶大な力を持つのは源兵衛だが、ミヤコが案外、飯田家をコントロールして一つにまとめている。

⇒2010年9月22日「大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係」はこちら。

貧しいと、ぎりぎりの知恵を生み出せる。
また、人と人のつながりを大切にする。
昔は、貧しさをエネルギーに変え、たくましく生きていった。
私の結婚後の生活もそうだった。

「ゲゲゲの女房」には、どんなに苦しい状況に陥ろうと、自ら選んだ道を進んでいく力、喜びを見出す力、幸せを感じる力があふれている。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

大杉漣は役者であるかぎり、捨てたり拾ったり、積みあげたり崩したりする作業を続けていくと語っている。
この辺りは、私がこのブログで幾度か述べた「破壊と創造」につながる。

⇒2009年12月23日「創造への挑戦、成功への失敗」はこちら。

先頃、「ゲゲゲの女房」で親と娘を演じた大杉漣と松下奈緒が「ベストフォーマリスト2010」に選出された。
蝶ネクタイにタキシードの大杉漣はツーショットに照れ臭そうだった。
私と同学年なのに若いし、かっこいい。

⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。

大みそか恒例の「NHK紅白歌合戦」の紅組司会を務める松下奈緒。
「ゲゲゲの家族」が応援に駆けつけるらしい。
となると、大杉漣もやって来よう。
再び対面…。

⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。

◆書き加え1(12月21日)

このブログは思い出せないくらい前に書いた。
「〜はこちら」のブログもたいていは書き溜めた原稿である。
自分でも時間の前後が分からなくなる。
申し訳ない。

いよいよ今夜は「第61回NHK紅白歌合戦」。
私は約半世紀ぶりに同番組に触れる。

⇒2010年12月25日「松下奈緒の謎、目と表情に違和感…紅白司会」はこちら。

⇒2010年12月26日「松下奈緒…第61回NHK紅白歌合戦紅組司会」はこちら。

この2本の原稿もかなり前に書いた。
しかも、いくらか時間が取れると、アップの直前に原稿を手直ししたりする。
古い記事に新しい情報が混ざるわけで、私は頭のなかがごちゃごちゃになる。

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浅田真央がかいた汗の量

以前のブログ「浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断」で、私は次のように締め括った。

アスリートは私たちに素晴らしい感動を与えてくれる。
感謝の気持ちを忘れないことだ。

⇒2010年11月29日「浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断」はこちら。

これに少し書き足したくなった。

北海道・富良野に在住する人気脚本家・倉本聰(聡)が語った言葉は非常に印象的だった。
相手は、サッカーワールドカップ(W杯)でサムライブルーを率いて戦い終えた岡田武史監督。
「役者はスポーツ選手の感動にどうしても負けちゃう。かいた汗の量が違うからかなぁ…」(言葉はうろ覚え)。
鋭い指摘だ。
岡田武史監督に対するねぎらいでもあり、賛辞でもあった。
心憎い配慮といえる。

むろん、演劇なども感動を与えてくれるだろう。
しかし、スポーツ競技の極限の感動に叶わない。
私もそう思う。

2006年トリノ冬季五輪(オリンピック)で荒川静香が金メダルを獲得した。
前評判が決して高くなかったので驚きが大きく、したがって喜びもひとしおだった。
また、私がそれまでに見たなかでもっともエレガントなスケーティングだった。
私は魅せられ、すっかり感動してしまった。

代表選手は多くの汗をかいている。
人知れず涙を流しているかもしれない。

ところで、浅田真央。
私が応援しているせいもあろうが、彼女は負けても大きな感動を与えてくれる数少ないアスリートである。
格別の存在。

                       ◇

きのうから中国・北京でグランプリ(GP)ファイナルが行われている。
日本勢は過去最多の6選手が出場。
この成績は、来年3月に東京・代々木で開かれる2011年世界フィギュアスケート選手権の代表選考の有力な判断材料になる。
今季調整中の浅田真央に精神的な焦りが出なければよいが・・・。

うん?
冷静に考えると、前年の世界女王は無条件で出場できてもよさそうだ。
どうなのか・・・。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート女子・浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年12月4日「浅田真央、惨敗後インタビューの残酷と地獄」はこちら。

⇒2010年12月2日「浅田真央のリップサービス…マスコミ対応」はこちら。

⇒2010年12月1日「浅田真央はソチ仕様に工事中、勝てなくて当然」はこちら。

⇒2010年11月29日「浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断」はこちら。

⇒2010年11月28日「惨敗・浅田真央は輝きを取り戻せるか?」はこちら。

⇒2010年11月27日「浅田真央、得意なジャンプが壊れる恐怖」はこちら。

⇒2010年11月25日「浅田真央を引き受けた佐藤信夫コーチの胸中」はこちら。

⇒2010年11月23日「浅田真央、ソチ五輪栄冠への長いトンネル・・・」はこちら。

⇒2010年11月21日「浅田真央が流した悔し涙の価値とは?」はこちら。

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貧しさのなかに幸せが息づく…昭和30〜40年代

先だって「貧幸(ひんこう)」について述べた。
北海道・富良野で自然とともに暮らす脚本家・倉本聰(聡)が実感を込めて語った言葉である。
人生哲学といってよい。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

私は、物質的な豊かさが増すにつれ、精神的な豊かさを感じにくくなったように思う。
昔は、後者をあえて意識することも追い求めることもなかった。
貧しさのなかに幸せが息づいていた。

なかでも日本人が敗戦から立ち直りつつあった昭和30年代〜40年代。
うろ覚えだが、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が描いたのは、この辺りが中心でなかったか。
あっけらかんとした社会だったと記憶している。

⇒2010年11月19日「松下奈緒が茶の間に届けた『ゲゲゲの貧幸』」はこちら。

叶わないと知りつつ、あの頃に戻りたいと思うことがある。
私が単に年を取っただけの話?

ところで、このブログは書き溜め記事が主体になる。
私はときに1〜2年前の走り書き(素材)を仕上げてアップする。
以下は、それ。

                       ◇

食べるものにも不自由する貧乏はつらい。
だれだってそうした状態は避けたい。
生活に苦労はないに越したことはない。

が、長い人生では厳しい時期が訪れる。
人により幾度も…。

私自身はちょっとしたことでも幸せを感じられる貧乏は嫌いでない。
確かに困りはする。
しかし、心が落ち着く。

幸せとは大げさなものでなく、ささやかなものだ。
幸せとはめったに得られないものでなく、いつもそばにあるものだ。
自分がそれに気づけるかどうか。

貧しいとき、幸せは現れやすい。
心が澄んでいるからか。

豊かなとき、幸せは霞みやすい。
心が濁っているからか。

おそらく幸せはだれにもほほ笑んでいる。
気づく機会が多いのが貧しい人。
そう考えると、老後にいくらか希望が湧いてくる。

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松下奈緒が茶の間に届けた「ゲゲゲの貧幸」

きのうのブログで、倉本聰(聡)がつくった「貧幸」という名言を取りあげた。
半生を振り返り、これほど自分の実感にぴったりする言葉はない。
貧しくても幸せな暮らしのすがすがしさ…。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

その大切さを改めて気づかせてくれたのがNHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」である。
私にとり人生の教科書だった。
ありがとう。

島根・安来の娘が、言葉を交わしたこともない男といきなり東京・調布で結婚生活を始める。
しかも、収入のほとんどない極貧状態。
家財道具などはことごとく質札に変わっていた。
そのうえ、夫は不気味な妖怪漫画を描いている。

ヒロイン・武良布枝は地獄のような暮らしを運命として受け入れ、愚痴一つこぼさず、仕事に打ち込む夫を支えつづけた。
食べ物にも不自由する毎日…。
世間的な常識では、これ以上の不幸はないように思える。
しかし、水木しげる(武良茂)との半生は喜びと誇りに満ちていた。
夫婦は笑いながら生きていった。

⇒2010年11月5日「松下奈緒の紅白司会、水木しげるの文化功労者」はこちら。

この難しい役どころを、キャリアの浅い松下奈緒と向井理のフレッシュコンビが好演した。
二人は結局「貧幸」を茶の間に届けて視聴者の共感を呼び、国民的な人気を博した。
ついにNHK紅白歌合戦の紅組の司会者に抜擢された。

⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。

⇒2010年9月18日「紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?」はこちら。

⇒2010年11月11日「ずばりテレビの買い時…紅白・松下奈緒が見たい」はこちら。

以下に、「頑固親父とちゃぶ台」と題する2009年6月6日のブログを収める。
わずかに手を加えた。

                      ◇◆◇

私は昭和26年(1951年)生まれ。
「頑張れば豊かになれる」。
戦後の高度成長と軌を一にして生きてきた。

まもなく58歳。
人生の夕暮れに差しかかり、遅きに失した感は否めないが、今回の空前の不況(リーマンショック)はとりわけ「消費」を見詰め直すとてもよい機会になった。
そう、要らないものにどっぷりと浸かっている自分がいた。

思い起こせば50年前、新潟県直江津市の生家にはちゃぶ台とたんすくらいしかなかった。
近所も同じで、生活は貧しかった。
大半の家庭では最低限の衣食住がようやく揃ったにすぎないが、だれも不便や不満を感じていなかった。
あの頃がとても懐かしい。

昔、マンガやアニメ、ドラマなどで、頑固親父がちゃぶ台を引っ繰り返すシーンが出てきた。
あながちつくり話でなかろう。
これには2つの時代背景があったのでないか。
第1に、怒りをぶつけるにも家のなかにモノが少ない。
第2に、怒りを伝えるには大事なものを滅茶苦茶にするのがよい。
となると、壊れにくく、しかもインパクトの大きいちゃぶ台。
何せ皆いつも腹を空かしており、食事の時間を待ち望んでいた。
それは、家長がときどき自分の権威を家族に誇示するための儀式だったのかもしれない。

…やがて、国民所得の上昇と歩調を合わせるように、いろいろなものが登場する。
私たちの身の回りにモノ、とくに家電製品があふれはじめた。
文明の利器。
そして、それらが徐々に家族を遠ざけ、さらに友人や知人を遠ざけた。
人類を幸せにするはずだった豊かな社会の実現が、人同士の距離をどんどん押し広げていった。
それが私の戦後にほかならない。

いまや自宅や自室に時間をつぶせる環境が整った。
私たちは一日、だれかとじかに接しなくても、モノといくらでも過ごせる。
退屈しない。
昨今はパソコンなどを通じ、人とふれあった錯覚まで楽しめるようになった。

私は、当時のがらんとした“すがすがしさ”を大切にしたいと思う。
それに近い環境だったのが、上京後しばらくして始めた東小金井での一間暮らし。
文字どおりの「赤貧」。
敷きっ放しの煎餅布団以外、何もなかったといってよい。

…そして、私に出会いがあった。
彼女は大家の目を忍んで通ってきた。
すぐに半同棲へ…。

部屋が狭いうえに隔てるものが何一つなかったから、じかにふれあえる。
一緒にいるときは話をするか、エッチをするか、どちらか。
いつもくっついて暮らしていた。

無人島で二人きりだと、人は愛しあうしかない。

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このブログは、おもに長期出張の移動時や宿泊時などに数日分〜1月分の記事を書き溜め、それを家族に更新してもらっています。
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なお、ブログによりぎりぎりのジョーク、成人向けの内容が含まれます。
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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