NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(武良茂。村井茂。向井理)は、「水木プロダクション創立20周年記念謝恩パーティー」を企画した。
これまで仕事で世話になった関係者を招待したのだ。
会場は都市ホテル。
引き出物も用意。
百名を超えるので、大変な出費だ。
1986年のことでないか。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

調布市の株式会社水木プロダクションはむろん水木しげるが代表取締役である。
会場には、後に社長を引き継ぐ長女・村井藍子(尚子。青谷優衣)、社員になる次女・村井喜子(荒井萌)の姿もあった。
夫婦そして家族が心を一つにし、力を合わせ、幾多の荒波を乗り越えてきた。

⇒2010年9月10日「調布・水木プロダクション社長…家族経営の幸せ」はこちら。

水木しげるは挨拶に立ち、オレンジジュースで乾杯!
酒が飲めないのだ。
私は、彼が自分の結婚式で無理をしてつきあい、引っ繰り返ったシーンを思い出した。

村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)は着物。
「けちけちせんで、ええのを新調せえ」。
せっかくの機会なので思い切っていいものをつくるように夫から強く勧められたが、島根・安来のおばば(祖母)が縫ってくれたピンクの和服に身を包んだ。
そして、後ろに束ねた髪に形見のピンクのかんざしを差した。
孫が縁に恵まれるように、しあわせになれるようにと握らせてくれたのだ。
おばばはえこひいきをしたわけでなかろう。
引っ込み思案、長身を案じたのか…。
布美枝はパーティ当日、家を出る前、自分に見とれる姉妹にそれぞれ譲ると告げた。

「けちけちせんで、ええのを新調せえ」。
水木しげるの気持ちが分かる。
私の妻は自分のことにカネを使おうとしない。
水木しげるは私と生活水準が異なるにしろ、布美枝もそうだったのでは…。

私が黙っていると、妻はTシャツさえ穴の空いたものを着ようとする。
化粧品は口紅一本、いつ頃のものか。
わが家に少しゆとりがあるときに、私はヴェルサーチやD&Gなどのブランド品を幾度かプレゼントした。
そうしたかったのだ。
スーツやジャケット、ジージャン、ジーンズ、小物…。
ささやかな気持ちである。
めったに着る機会がないので、はやりすたりの少ないオーソドックスなアイテムやデザインを一緒に選んだ。
妻はそれらを非常に大事にしている。
私はよく似合うと思う。

なお、青林堂「月刊漫画ガロ」の社長兼編集長・長井勝一は体調を崩してパーティに来られなかった。
朝ドラでは嵐星社「月刊漫画ゼタ」の深沢洋一(村上弘明)。
その代わり(?)、深沢洋一の経営方針に失望して会社を去った敏腕秘書・加納郁子(桜田聖子)が来た。
経理も広告営業も販売営業も編集も何でもこなす才媛だった。
株式会社水木プロダクションの法人登記を手伝った。
彼女は長井勝一の妻、香田明子である。
このとき、二人はまだ結ばれていなかったのか。

私にとり懐かしかったのは、会社創設時のアシスタント3名が揃ったこと。
点々の菅井伸(すがちゃん。柄本佑)は転々とせず、水木プロダクションに骨をうずめようとしている。
水木しげるの漫画作品の濃密な背景を長く支えた。
倉田圭一(窪田正孝)は立派に独り立ちした。
モデルは、漫画家(劇画家)の池上遼一。
小峰章(斎藤工)は各地を転々としているようで、謎が多い。
モデルは、漫画家・随筆家のつげ義春。
凄いメンバーが揃った。

水木しげるは、妻に緑色の餃子をつくってくれと頼んだ。
布美枝の餃子がないと始まらない…。
野菜と愛情がたっぷり。
これで徹夜の連続だった夫とアシスタントを力づけた。
ホテルの立食パーティに手づくり料理の持ち込みは、ホント凄い。
気合が入っている。
感謝がこもっている。

「ゲゲゲの女房」は残すところ2回の放送。
私が大好きないきものがかりの主題歌をもう聞けない。
この朝ドラとセットで…。
「ありがとう 竜田揚げ … 手洗いしてさ」。
私は、毎回じ〜ん。
吉岡聖恵のお茶目でやわらかであたたかな歌唱が視聴率にも大きく寄与した。
平成の名曲だ。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

                       ◇

鳥取・境港で育った水木しげるがときどき用いるのが、「だら」という言葉。
東京なら「ばか」。
関西なら「あほ」。
愚かという意味だが、いろいろなニュアンスで使われる。
まま愛情を含む(ママでない)。

私は魚津高校時代、富山(朝日、入善)で1年半ほど暮らした。
富山は東日本と西日本の境目である。
が、言葉は西寄り、味覚もやや西寄り。
地元紙(北日本新聞?)のだいぶ前の県民意識調査では、西日本と考える人のほうが多かった。
余談ながら、北陸新幹線が開通すれば結果もいくらか違ってこよう。

⇒2007年5月15日「イトメン・チャンポンめん」はこちら。

⇒2009年11月22日「絶品、イトメン・チャンポンめん」はこちら。

私が意外だったのは、魚津高校で関西方面に進学するクラスメートが多かったことだ。
その年は京都大学や大阪大学、立命館大学や同志社大学に合格した(不確か)。

富山は西日本圏なのだ。
入善・椚山出身の父が一旗揚げようと出たのが大阪だった。
つらい書生暮らしを経験したようだ。
そう言えば、コクヨの創業者・黒田善太郎が1世紀以上前に出たのも大阪だった。

その富山で一番印象に残った方言が「だら」である。
私が生まれ育った隣の新潟(直江津)では耳にしたことがない。
とすると、この言葉は富山(北陸)から日本海沿いに山陰まで分布しているのか?

ちなみに、私は口にしていない。
コツがつかめなかった。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。
ただし、すべてではない。
詳しくは、このブログの左のサイドバー「ありがとう『ゲゲゲの女房』アゲイン(記事一覧))」を参照のこと。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

⇒2010年9月8日「水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!」はこちら。

⇒2010年9月9日「水木プロダクション爆笑アシスタント募集広告」はこちら。

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