徳川将軍家の剣の指南役、「柳生家」に有名な家訓がある。
江戸時代の初期に、家康、秀忠、家光の3代に仕えた柳生宗矩の言葉らしい。
徳川家が3百年の太平の礎を築くうえで、少なからず貢献した。

成功教本0230小才は、縁に出合って縁に気づかず。
中才は、縁に気づいて縁を活かさず。
大才は、袖すり合うた縁をも活かす。

剣術から武道へ―。
先の言葉には、敵をも味方に変えてしまう「活人剣」という深遠かつ高邁な思想が込められているそうだ。
剣を通じて自分を磨き、相手を高める…。
成功教本0231私には、敵を“縁”と見なすこと自体が驚きであり、それだけで「人生の達人」と呼ぶに値する。
だが、そうした時代背景は置いておき、一般的な縁という意味合いで解釈しても名言といえよう。
柳生家の家訓に触れ、私なりに考えを巡らせたので述べてみたい。

さて、それなりに学んでいるつもりなのに幸せにも豊かにもなれない社会人は、「出会い」を生かせていないのでないか。
成功教本0232会社、地域、社会…。
どれも人の集まりだ。
ここで成功を収めるには、人との“関係性”を掘り下げることが絶対条件である。

小才は、縁に出合って縁に気づかず。
学び方を間違えており、人を見る目が狂っているか備わっていないタイプだ。
概して自己評価が甘く、相手のよさに思い至らない。
目の前の縁が見えないので、ぶつけようのない不満や怒りの感情に苦しめられる。
ひとまず本を閉じ、きちんと人と相対する訓練を積んでいくしかない。
成功教本0233そして、相手の悪いところが先に飛び込んでくる状態が解消されたとき、中才に近づいたことになる。
当然だが、他人の弱点や欠点に捉われることほど、人間として孤独なことはない。
出会いを通じた成功と、永久に無縁である。

中才は、縁に気づいて縁を活かさず。
学び方を外しており、一番肝心な度量と度胸が備わっていないタイプだ。
つまらないプライドが邪魔し、相手の懐に飛び込めない。
目の前を縁が通り過ぎるので、言いようのない淋しさや虚しさの感情に苦しめられる。
成功教本0234進んで名刺を差し出し、じっくりと人と話し込む習慣をつけていくべきである。
そして、「私」をさらし、相手とくつろいだ時間を共有できたとき、大才に近づいたことになる。
当然だが、自分の弱点や欠点を覆い隠すことほど、人間として窮屈なことはない。
出会いを通じた成功と、相当な距離がある。

大才は、袖すり合うた縁をも活かす。
このタイプは凄すぎて、私には言及できない。
溜め息をつくばかりだ。
成功教本0235ただし、NPO法人営業実践大学の公開講座にゲストとしてお招きしたトップセールスパーソンのなかに、この言葉がぴったり当てはまる方がわずかにいらした。
また、営業コンサルタントとしてお会いした経営者、とりわけ創業社長のなかに、やはりわずかにいらした。
私はそのときの感動を覚えている。

ところで、わが身を振り返るなら、職業人生でほとんど縁を生かせなかった。
ごくまれな縁も、私がつかんだのでなく、相手から差し延べられたものだ。
言い訳がましいが、その理由の一つは「多忙」である。
成功教本0236文字どおり「心が亡ぶ」状態に陥っていた。
忙しさにより失いつづけてきたものの大きさに、私はようやく気づいた。
これまでの懸命な頑張りが、あまり報われないはずである。

私は思う。
人間にとり、第一の才能とは、人と人との間の縁を生かす、己の心のありようであろう。
成功教本0237それが人生で手にする幸せや豊かさをもっとも左右する。
「才能は心」なのだ。
気づくのが遅すぎた。
が、2011年の還暦を節目に、違った生き方、働き方を楽しんでみたい。

                       ◇

この柳生家の家訓だが、「中才」と「大才」の間に、もう一段階を設けてほしかった。
両者の距離が開きすぎており、リアリティに欠ける。
むろん、これは「中才」の私の嫉妬や愚痴にすぎない。

成功教本0238それと、「剣を通じて自分を磨き、相手を高める」と述べたが、剣を「営業」と置き換えられそうだ。
「営業を通じて自分を磨き、相手を高める」。
営業の仕事とは、そういうこと。
私たちは、“誇り”の世界で働いている。

きょうのブログは、2007年7月16日「才能とは、縁を生かす心のありよう」にいくらか手を加えたものである。

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