学生と社会人。
どちらがより「勉強」が必要だろうか。
親の保護下を離れ、自立しなければならない社会人に決まっている。
だから、勉強することは褒められてよい。
しかし、懸命に勉強しているのに、成果があまり上がっていない人も少なくない。
まして、豊かさや幸せを手に入れたという実感をほとんど持てない。
それどころか、勉強するほど、世間や周囲に対して“不満”を募らせるようになる。
社会は自分を分かってくれない。会社や上司は自分を認めてくれない。
苛立ちが顔つきや言動に現れる。
学んだ結果としては最悪だろう。
勉強が目指す、最終的な姿とは何か。
私は2点に尽きると考えている。
第1は、心が開いていること。
第2は、勇気を授かっていること。
すなわち、よりよい人生を切り開いていくうえで根本となる積極的な精神を獲得し、それが体質に昇華した状態にほかならない。
第1について。
心が開いていなくては、人が入ってこられない。
自分の努力は、他者を呼び込み、互いに認め合ってこそ、価値を生み出す。
つまり、努力は他者を触媒として成果に変容する。
そうでなくては努力が空回りし、自分が孤立してしまう。
勉強は、生まれつき持つことのない、この「度量」をもたらすものでなくてはならない。
世の中、出会いや縁を生かせない人であふれ返っている。
それもこれも心が開いていないためだ。
私のような凡人は人を助け、人に助けられるべきである。
どこまで人と広く深く関われるかは、己の心のありようで決まる。
第2について。
勇気を授かっていなくては、未知の行動を起こせない。
頭に取り込んだ知識は、勇気に励まされ、体を巻き込んだ挑戦へ結びつく。
つまり、知識は勇気を触媒として成果に変容する。
そうでなくては知識の実践につきまとう恐怖心に打ち克てない。
勉強は、生まれつき持つことのない、この「覚悟」をもたらすものでなくてはならない。
また、知識を得るには、費用と時間という相当な投資が必要になる。
その典型が「資格」である。
勇気がないと、支出がかさんで、実入りが少ない。
心が開いていること。
勇気を授かっていること。
言い換えれば、勉強が人生に豊かさと幸せをもたらす条件である。
必須の態度。
自分は正しい学び方をしているか、ときおり問いかけよう。
ちなみに、学ぶとは学び方を考えること。
きょうのブログは、2007年4月16日「勉強が目指す最終的な姿とは何か?」にいくらか手を加えたものである。
Copyright (c)2009 by Sou Wada
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どちらがより「勉強」が必要だろうか。
親の保護下を離れ、自立しなければならない社会人に決まっている。
だから、勉強することは褒められてよい。
しかし、懸命に勉強しているのに、成果があまり上がっていない人も少なくない。
まして、豊かさや幸せを手に入れたという実感をほとんど持てない。
それどころか、勉強するほど、世間や周囲に対して“不満”を募らせるようになる。
社会は自分を分かってくれない。会社や上司は自分を認めてくれない。
苛立ちが顔つきや言動に現れる。
学んだ結果としては最悪だろう。
勉強が目指す、最終的な姿とは何か。
私は2点に尽きると考えている。
第1は、心が開いていること。
第2は、勇気を授かっていること。
すなわち、よりよい人生を切り開いていくうえで根本となる積極的な精神を獲得し、それが体質に昇華した状態にほかならない。
第1について。
心が開いていなくては、人が入ってこられない。
自分の努力は、他者を呼び込み、互いに認め合ってこそ、価値を生み出す。
つまり、努力は他者を触媒として成果に変容する。
そうでなくては努力が空回りし、自分が孤立してしまう。
勉強は、生まれつき持つことのない、この「度量」をもたらすものでなくてはならない。
世の中、出会いや縁を生かせない人であふれ返っている。
それもこれも心が開いていないためだ。
私のような凡人は人を助け、人に助けられるべきである。
どこまで人と広く深く関われるかは、己の心のありようで決まる。
第2について。
勇気を授かっていなくては、未知の行動を起こせない。
頭に取り込んだ知識は、勇気に励まされ、体を巻き込んだ挑戦へ結びつく。
つまり、知識は勇気を触媒として成果に変容する。
そうでなくては知識の実践につきまとう恐怖心に打ち克てない。
勉強は、生まれつき持つことのない、この「覚悟」をもたらすものでなくてはならない。
また、知識を得るには、費用と時間という相当な投資が必要になる。
その典型が「資格」である。
勇気がないと、支出がかさんで、実入りが少ない。
心が開いていること。
勇気を授かっていること。
言い換えれば、勉強が人生に豊かさと幸せをもたらす条件である。
必須の態度。
自分は正しい学び方をしているか、ときおり問いかけよう。
ちなみに、学ぶとは学び方を考えること。
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