NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
ヒロイン花子を吉高由里子が演じる。
「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の半生に基づく。
実話が土台ということで、私はときどき見ていた。
「花子とアン」が面白いのは認める。
初回視聴率が21.8%、最高視聴率が7月5日の25.9%、8月25日までの期間平均視聴率が22.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
申し分のない数字が絶大な人気と評価を物語る。
朝ドラは楽しければいいと思わないわけでない。
しかし、私が期待していたリアリティが乏しい。
松下奈緒主演の「ゲゲゲの女房」のように感情移入ができないのだ。
(フリーランスの経験が長かった私は、この作品が一番身近に感じられた。)
⇒2014年8月27日「松下奈緒、富士山頂の妻が似合うわけ」はこちら。
「花子とアン」が見応えのあるドラマになるうえで、大切なものが欠けているように思う。
しかし、私はじっくりと考える時間をつくれず、原因を突き止められない。
こんなに面白いのに何が不満なのかと自分でも不思議である。
「花子とアン」は、きれいなつくりものを見せられているという気分になる。
キャスティング(主演)、シナリオ(脚本)、演出のいずれか、もしくはすべてに問題がありそうだ。
ヒロインが非の打ちどころがない優等生ということに加え、全体のまとまりがよすぎる。
偏りや綻びがなく、バランス感覚のなかで物語が進んでいく。
それを整った美女の吉高由里子が演じるから、さらに完璧になり、親しみが湧きにくい。
尾野真千子主演の「カーネーション」のような欠点や愚かさがいとおしい。
(朝ドラ史上最高傑作と信じる。)
また、本来は豊かな登場人物の個性がほとんど伝わってこない。
皆、影が薄いのだ。
対照的な葉山蓮子(仲間由紀恵)でさえ、結局、村岡花子と同化してしまう。
そもそも、なぜ二人は馬が合うのかも腑に落ちない。
描写に奥行きがない。
そして、美輪明宏の何とも絶妙な「ごきげんよう。さようなら」が、各回の内容をきれいに包み込んでしまう。
やわらかで安心感があるので、すべてよしという雰囲気になる。
これだけの大物を起用するなら、美輪明宏が登場人物に突っ込むか、物語を引っ掻き回すほうが面白かったと思う。
朝ドラの脚本家は地獄を味わうらしい。
中園ミホも同様に骨を折っているだろう。
しかし、取材が浅いのでないかと疑いたくなる(そんなはずはない)。
私は、この朝ドラに大きな感動を覚えないのはおかしいと自分を責めてきた。
「花子とアン」は視聴率ありきで、そこから逆算して優れたパーツをかき集め、ドラマを組み立てたという印象が強く残る。
そのパーツが互いに弱め合っている。
となると、プロデュースに問題がある。
それが事実でないとしても、そうした勘繰りを与えてしまうのはどうか。
「花子とアン」はつくりが薄味である。
朝は健康第一と言われているようでもある。
私はときどきだが、これからも料理をいただく。
⇒2014年8月29日「嘉納伝助は世間の笑いもの…花子とアン」はこちら。
⇒2014年8月23日「花子とアン平均視聴率の驚異」はこちら。
Copyright (c)2014 by Sou Wada
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ヒロイン花子を吉高由里子が演じる。
「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の半生に基づく。
実話が土台ということで、私はときどき見ていた。
「花子とアン」が面白いのは認める。
初回視聴率が21.8%、最高視聴率が7月5日の25.9%、8月25日までの期間平均視聴率が22.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
申し分のない数字が絶大な人気と評価を物語る。
朝ドラは楽しければいいと思わないわけでない。
しかし、私が期待していたリアリティが乏しい。
松下奈緒主演の「ゲゲゲの女房」のように感情移入ができないのだ。
(フリーランスの経験が長かった私は、この作品が一番身近に感じられた。)
⇒2014年8月27日「松下奈緒、富士山頂の妻が似合うわけ」はこちら。
「花子とアン」が見応えのあるドラマになるうえで、大切なものが欠けているように思う。
しかし、私はじっくりと考える時間をつくれず、原因を突き止められない。
こんなに面白いのに何が不満なのかと自分でも不思議である。
「花子とアン」は、きれいなつくりものを見せられているという気分になる。
キャスティング(主演)、シナリオ(脚本)、演出のいずれか、もしくはすべてに問題がありそうだ。
ヒロインが非の打ちどころがない優等生ということに加え、全体のまとまりがよすぎる。
偏りや綻びがなく、バランス感覚のなかで物語が進んでいく。
それを整った美女の吉高由里子が演じるから、さらに完璧になり、親しみが湧きにくい。
尾野真千子主演の「カーネーション」のような欠点や愚かさがいとおしい。
(朝ドラ史上最高傑作と信じる。)
また、本来は豊かな登場人物の個性がほとんど伝わってこない。
皆、影が薄いのだ。
対照的な葉山蓮子(仲間由紀恵)でさえ、結局、村岡花子と同化してしまう。
そもそも、なぜ二人は馬が合うのかも腑に落ちない。
描写に奥行きがない。
そして、美輪明宏の何とも絶妙な「ごきげんよう。さようなら」が、各回の内容をきれいに包み込んでしまう。
やわらかで安心感があるので、すべてよしという雰囲気になる。
これだけの大物を起用するなら、美輪明宏が登場人物に突っ込むか、物語を引っ掻き回すほうが面白かったと思う。
朝ドラの脚本家は地獄を味わうらしい。
中園ミホも同様に骨を折っているだろう。
しかし、取材が浅いのでないかと疑いたくなる(そんなはずはない)。
私は、この朝ドラに大きな感動を覚えないのはおかしいと自分を責めてきた。
「花子とアン」は視聴率ありきで、そこから逆算して優れたパーツをかき集め、ドラマを組み立てたという印象が強く残る。
そのパーツが互いに弱め合っている。
となると、プロデュースに問題がある。
それが事実でないとしても、そうした勘繰りを与えてしまうのはどうか。
「花子とアン」はつくりが薄味である。
朝は健康第一と言われているようでもある。
私はときどきだが、これからも料理をいただく。
⇒2014年8月29日「嘉納伝助は世間の笑いもの…花子とアン」はこちら。
⇒2014年8月23日「花子とアン平均視聴率の驚異」はこちら。
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