私は年齢のせいか、各国や各地の自然と風土、風物と暮らしなどに触れられる番組が好きになってきた。
観光地などの旅番組に限らず、ドキュメンタリーに近い番組も気になる。
昨秋以降、世界を紹介する番組を何本か見た(ながら視聴)。
それぞれ美しさに満ちていた。
しかし、せっかく地球に生まれながら、どこにも行っていないことに気づいた。
私はまったく知らない。
それだけでない。
日本に住んでいながら、日本をほとんど知らない。
私は出張や講演などで主要都市をおおよそ訪ねたが、現地の印象が残っていないのだ。
駅とホテル、ホテルと講演会場、講演会場と駅の間をたいていはタクシーで、ときどき徒歩で移動しただけ。
そういえば、12年近く暮らす横浜もほとんど知らない。
ふと思った。
その土地を知るとは、自分の足で歩くということでないか。
なるべく幾度も…。
私がとことん歩いたのは、生まれ故郷の新潟・直江津。
直江津小学校6年生まで暮らした。
かなり歩いたのは、長野・伊那。
伊那中学校3年生の10月中旬まで暮らした。
いずれも、これといった目的もなく…。
直江津に対する愛着は格別、伊那に対する愛着もそれなり。
それ以降、私はほとんど歩かなくなった。
土地の思い出が薄く、したがって土地への思い入れがない。
歩いたとしても、移動が目的だった。
交通手段を用いることで活動範囲を広げられるが、それにより失うものも大きい。
人はゆっくりゆったり歩くことで、周囲と向き合える。
そして、周囲にそのときどきの考えや気持ち、ときに人生を投影しているのでないか。
それが自分と土地との“一体感”を育む。
自然や風土、風物や暮らしについて、私の心に深く刻まれている感動は、かならずといっていいほど歩きをともなう。
思い出した。
しばらく歩かなかった私が再び歩くようになったのは、20代前半だ。
東小金井〜武蔵境、吉祥寺〜西荻窪の界隈。
前の妻とどれくらい歩いたことか。
歩いてばかりいた。
20代半ばで結婚してからというもの、生活に追われた私は仕事で走っていた。
もしくは、タクシーで動いていた。
私は長い間、まったく歩いていない。
Copyright (c)2009 by Sou Wada
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昨秋以降、世界を紹介する番組を何本か見た(ながら視聴)。
それぞれ美しさに満ちていた。
しかし、せっかく地球に生まれながら、どこにも行っていないことに気づいた。
私はまったく知らない。
それだけでない。
日本に住んでいながら、日本をほとんど知らない。
私は出張や講演などで主要都市をおおよそ訪ねたが、現地の印象が残っていないのだ。
駅とホテル、ホテルと講演会場、講演会場と駅の間をたいていはタクシーで、ときどき徒歩で移動しただけ。
そういえば、12年近く暮らす横浜もほとんど知らない。
ふと思った。
その土地を知るとは、自分の足で歩くということでないか。
なるべく幾度も…。
私がとことん歩いたのは、生まれ故郷の新潟・直江津。
直江津小学校6年生まで暮らした。
かなり歩いたのは、長野・伊那。
伊那中学校3年生の10月中旬まで暮らした。
いずれも、これといった目的もなく…。
直江津に対する愛着は格別、伊那に対する愛着もそれなり。
それ以降、私はほとんど歩かなくなった。
土地の思い出が薄く、したがって土地への思い入れがない。
歩いたとしても、移動が目的だった。
交通手段を用いることで活動範囲を広げられるが、それにより失うものも大きい。
人はゆっくりゆったり歩くことで、周囲と向き合える。
そして、周囲にそのときどきの考えや気持ち、ときに人生を投影しているのでないか。
それが自分と土地との“一体感”を育む。
自然や風土、風物や暮らしについて、私の心に深く刻まれている感動は、かならずといっていいほど歩きをともなう。
思い出した。
しばらく歩かなかった私が再び歩くようになったのは、20代前半だ。
東小金井〜武蔵境、吉祥寺〜西荻窪の界隈。
前の妻とどれくらい歩いたことか。
歩いてばかりいた。
20代半ばで結婚してからというもの、生活に追われた私は仕事で走っていた。
もしくは、タクシーで動いていた。
私は長い間、まったく歩いていない。
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