いまから半世紀以上前の小学生時代、私がときどき楽しんだのがバドミントンでした。
家にラケットと羽根(シャトル)がありました。
私の相手はおもに父や母でしたが、大人同士ということも…。
バドミントンは日本古来の羽根突き(羽子板)よりたやすく、ラリーが長続きします。
戦後でしたので、西洋の雰囲気も好まれたのかもしれません。
ただし、スポーツでなく、気軽な遊びでした。
当時はときどき卓球も楽しみました。
こちらは競技性がいくらかあったように思います。
わりと熱くなったりしました。
ウィキペディアによれば、バドミントンは1992年バルセロナ五輪から、卓球は1988年ソウル五輪から正式競技になっています。
昔を知る私にはどちらもちょっぴり不思議です。
さて、リオデジャネイロ五輪、バドミントン女子ダブルスの準決勝で高橋礼華・松友美佐紀組(タカマツペア)が韓国ペアを下して銀メダル以上を確定させました。
日本勢の決勝進出は2大会連続です。
2012年ロンドン五輪では藤井瑞希・垣岩令佳組(フジカキペア)が中国ペアに敗れて銀メダルに終わりました。
タカマツペアは世界ランキング1位、優勝候補の筆頭とか。
日本バドミントン界にとり悲願の金メダルに手が届きそうです。
二人の最高の笑顔を見たいですね。
◆書き加え(8月19日)
決勝で高橋礼華・松友美佐紀組が世界ランキング6位のデンマークのリターユヒル・ペデルセン組を破り、日本バドミントン界初の金メダルを獲得しました。
私は余裕で勝てるのでないかと思っていましたが、試合が始まるとそうでありませんでした。
1ゲーム目を18−21の接戦で落としました。
しかし、2ゲーム目を修正して21−9の大差で制しました。
3ゲーム目を大ピンチから5連続ポイントを挙げて21−19の逆転で制しました。
16−19になったところで、私は負けたと思いました。
タカマツペアは猛烈な粘りを見せ、劇的な勝利を収めました。
高橋礼華は19−19で並んでからは記憶がないそうです。
それだけ試合に集中できていたのでしょう。
2人がペアを組んだのは仙台市の聖ウルスラ学院英智高で高橋礼華が2年生、松友美佐紀が1年生のときでした。
やがて松友美佐紀が好機をつくり、高橋礼華が豪快に決めるという役割分担が固まりました。
松友美佐紀は冷静さとセンス、高橋礼華は積極性とパワーが光ります。
柔と剛という理想の相性を備えたパートナーは結成10年目に最大の目標を叶えました。
タカマツペアは表彰台で君が代が流れると涙が止まらなくなりました。
金メダルの重みを感じながら、女子バドミントンの歴史つくった小椋久美子・潮田玲子組(オグシオペア)、末綱聡子・前田美順組(スエマエペア)、藤井瑞希・垣岩令佳組(フジカキペア)への思いと感謝を口にしました。
おめでとう!
2020年東京五輪でもタカマツペアはおおいに期待できそうです。
◆書き加え(8月20日)
松友美佐紀は1992年2月8日生まれの24歳。
高橋礼華は1990年4月19日生まれの26歳。
タカマツペアでは、同じ高校の1学年違いの後輩と先輩という関係が絶妙なコンビネーションを生んだ一因になっています。
適度に秩序が保たれ、なおかつ変な遠慮がありません。
私は決勝の映像を改めて見て、そもそもの攻撃性は松友美佐紀のほうが強いのでないかと思いました。
大胆に揺さぶり、ときに果敢に切り込む勝負師です。
性格もきつく、どんどんいきたがる?
高橋礼華の存在が大きいのでないでしょうか。
Copyright (c)2016 by Sou Wada
←応援、よろしく!
家にラケットと羽根(シャトル)がありました。
私の相手はおもに父や母でしたが、大人同士ということも…。
バドミントンは日本古来の羽根突き(羽子板)よりたやすく、ラリーが長続きします。
戦後でしたので、西洋の雰囲気も好まれたのかもしれません。
ただし、スポーツでなく、気軽な遊びでした。
当時はときどき卓球も楽しみました。
こちらは競技性がいくらかあったように思います。
わりと熱くなったりしました。
ウィキペディアによれば、バドミントンは1992年バルセロナ五輪から、卓球は1988年ソウル五輪から正式競技になっています。
昔を知る私にはどちらもちょっぴり不思議です。
さて、リオデジャネイロ五輪、バドミントン女子ダブルスの準決勝で高橋礼華・松友美佐紀組(タカマツペア)が韓国ペアを下して銀メダル以上を確定させました。
日本勢の決勝進出は2大会連続です。
2012年ロンドン五輪では藤井瑞希・垣岩令佳組(フジカキペア)が中国ペアに敗れて銀メダルに終わりました。
タカマツペアは世界ランキング1位、優勝候補の筆頭とか。
日本バドミントン界にとり悲願の金メダルに手が届きそうです。
二人の最高の笑顔を見たいですね。
◆書き加え(8月19日)
決勝で高橋礼華・松友美佐紀組が世界ランキング6位のデンマークのリターユヒル・ペデルセン組を破り、日本バドミントン界初の金メダルを獲得しました。
私は余裕で勝てるのでないかと思っていましたが、試合が始まるとそうでありませんでした。
1ゲーム目を18−21の接戦で落としました。
しかし、2ゲーム目を修正して21−9の大差で制しました。
3ゲーム目を大ピンチから5連続ポイントを挙げて21−19の逆転で制しました。
16−19になったところで、私は負けたと思いました。
タカマツペアは猛烈な粘りを見せ、劇的な勝利を収めました。
高橋礼華は19−19で並んでからは記憶がないそうです。
それだけ試合に集中できていたのでしょう。
2人がペアを組んだのは仙台市の聖ウルスラ学院英智高で高橋礼華が2年生、松友美佐紀が1年生のときでした。
やがて松友美佐紀が好機をつくり、高橋礼華が豪快に決めるという役割分担が固まりました。
松友美佐紀は冷静さとセンス、高橋礼華は積極性とパワーが光ります。
柔と剛という理想の相性を備えたパートナーは結成10年目に最大の目標を叶えました。
タカマツペアは表彰台で君が代が流れると涙が止まらなくなりました。
金メダルの重みを感じながら、女子バドミントンの歴史つくった小椋久美子・潮田玲子組(オグシオペア)、末綱聡子・前田美順組(スエマエペア)、藤井瑞希・垣岩令佳組(フジカキペア)への思いと感謝を口にしました。
おめでとう!
2020年東京五輪でもタカマツペアはおおいに期待できそうです。
◆書き加え(8月20日)
松友美佐紀は1992年2月8日生まれの24歳。
高橋礼華は1990年4月19日生まれの26歳。
タカマツペアでは、同じ高校の1学年違いの後輩と先輩という関係が絶妙なコンビネーションを生んだ一因になっています。
適度に秩序が保たれ、なおかつ変な遠慮がありません。
私は決勝の映像を改めて見て、そもそもの攻撃性は松友美佐紀のほうが強いのでないかと思いました。
大胆に揺さぶり、ときに果敢に切り込む勝負師です。
性格もきつく、どんどんいきたがる?
高橋礼華の存在が大きいのでないでしょうか。
Copyright (c)2016 by Sou Wada
←応援、よろしく!