コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

墓場鬼太郎

ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
松下奈緒(まつした・なお)と向井理(むかい・おさむ)が難しい役どころを好演している。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

ドラマは早いもので、半ばを過ぎた。
このところ、2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会や第22回(2010年)参議院議員通常選挙に隠れ、影が薄れがちだった。

水木しげるは1964年、長井勝一が創刊した「ガロ」で商業誌デビューを果たした。
斜陽の貸本漫画家からようやく抜け出せそう。
が、生活は依然として苦しいまま…。

ところが、講談社の漫画雑誌「少年マガジン」では、編集部の一員が水木しげるの漫画を載せようと骨を折っていた。
発行部数は当時、すでに40万部(ほどなく百万部突破)。
番組で最初に使われたのは、実際の建物と社内の映像か?
メジャーデビューが迫っていた。

水木しげるは少年マガジンでの連載により「妖怪漫画」の第一人者と称えられ、妖怪ブームを巻き起こした。
番組では村井茂(向井理)も村井布美枝(松下奈緒)もまだそれを知らない…。

自伝はほとんどが著名人に関するものであり、ドラマにした場合に結末がおおよそ分かっている。
私が、夫婦の苦労にはらはらしながら、どこかで安心してドラマを見ていられるのはそのせいだ。

1964年といえば、戦後にエポックを画した「東京オリンピック」が開催された。
東京を中心に主要なインフラ整備が進み、国中が沸き立っていた。
私は生れ故郷・新潟県直江津市(現上越市)を離れて長野県伊那市に移り、伊那中学校の1年生だった。
世間の空気は明るく、日本人は自信を取り戻しつつあった。

                      ◇◆◇

「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

◆書き加え1(7月10日)

ここまでは数日前に「中小企業大学校広島校」の講師宿泊室で記した。
なかなか快適な研修施設である。
その後、ドラマは進展…。

1965年、少年マガジンの編集者が調布の水木家を訪れた。
「別冊・少年マガジン」に、宇宙を舞台にしたSF漫画を描いてほしいとの依頼である。
ロケットによる月探査が活発になり、子どもたちの間に宇宙に対する関心と夢が大きく膨らんでいた。

編集者は、貸本漫画家・水木しげるの作品に早くから注目していた。
編集会議で幾度か反対されたが、皆を説得して乗り込んできた。
が、水木しげるは断ってしまった。

絶句する妻に、「注文は気乗りせんのだ」。
長女が小学校に上がると、カネがかかるようになる。

水木家は貧しさのあまり、新聞も取れず、テレビも買えない。
漫画の注文を受けても、時代ものについていけない。
そうした事情を察し、自分のミシンを質入れしてテレビを買おうと持ちかける妻に、水木しげるは「仕事のことに口を出すな!」と激高した。

実は、編集者と相対しながら、水木しげるは敗者復活戦のない大勝負と考えていた。
これまでに貸本漫画家が漫画雑誌に描いては消えていった。
「苦手なもので勝負したらかならず失敗する」。
この編集者は断っても、もう一度やってくる。
水木しげるはそう思ったのだ。

◆書き加え2(7月12日)

そして梅雨の初めの蒸し暑い日、編集者が再び訪れた。
水木しげるの直感は当たった。

夏の特大号、読み切り32ページ(不確か)。
テーマは自由。
ただし、「テレビより面白い、インパクトのある作品を描いてほしい」。

この若い編集者は編集長に昇格することが決まっていたようだ。
部数日本一を目指してライバル誌にない魅力をつくり出そうと、新しい漫画家と作品を探していた。

何を描くかは任せる。
これは水木しげるにとり厳しい注文である。
力量を試されているのだ。
実は、別冊での読み切りは本誌での連載への登竜門だった。
そこで評価を得られれば、レギュラーになれる。

◆書き加え3(7月14日)

編集者からテレビより面白い作品を描いてほしいと言われたが、水木しげるはテレビそのものをほとんど知らない。
そこで、馴染みの質屋で有り金をはたいて中古のテレビを買った。
一晩中画面に見入るうちに、現実の世界とテレビの世界を自由に行き来する「テレビくん」を描こうと思いついた。
子どもの夢を作品にしよう…。

企画はすんなりと通った。
悪戦苦闘の末に描きあげた「テレビくん」を、編集者はすんなりと受け取った。
そして、その場で「少年マガジン」本誌での16ページ(不確か)の読み切り漫画を切り出した。
月一本のペース。
水木しげるはメジャーデビューの関門を突破した。
編集者は作品に共感し、その出来栄えに満足したのだ。
私まで天に昇る気持ち…。

水木しげるは「墓場鬼太郎」を描きたいと申し出た。
実は、編集者もその言葉を待っていたのだ。
作品に惚れ込み、愛読していた。

なお、ウィキペディアによれば、「テレビくん」は講談社児童漫画賞を受賞し、一躍人気作家になった。
水木しげるは敗者復活戦のない大勝負を制した。

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ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート

NHK朝の連続テレビ小説。
新シリーズ「ゲゲゲの女房」に接したのは最近のこと。
画面から面白そうな雰囲気が伝わってきたが、私は仕事に追われて見られなかった。
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるの妻が主人公というのは分かった。
実は、私は新聞の4コマを除き、漫画をまったく読んだことがない。
恐らく子どもの頃に親しむ経験を持たなかったことが最大の理由。
結果として、漫画は食わず嫌いに…。

先だって、週末に1週間分を見る機会があり、私はこのドラマに惹きつけられた。
40年近く前の前妻との出会い、そして35年近く前の結婚生活の記憶が生々しく蘇ってきたからだ。
私が20〜21歳、そして25〜26歳か。

番組のホームページで調べたことを交えながら記す。
ヒロインの飯田布美枝は昭和7年、島根の商家に生まれた。
生来の引っ込み思案、背が高いことをからかわれた経験も影響して人目を気にし、何事にも消極的…。
おまけに背が高いとの理由で縁談を断られ、仕事も務まらず、落ち込みがち…。
…兄が結婚して嫁を迎え、家に居づらくなった。
婚期を外した28歳(当時は早かった)、縁談が舞い込む。
相手は村井茂という10歳年上の、東京在住の貸本漫画家だった。
戦地で爆撃に遭い、左腕を失っている。
そして、茂の屈託のない笑顔と素朴な人柄に惹かれ、結婚。

私が見たのは結婚直後の調布での生活から…。
昭和36年頃(私は10歳頃)。
期待と不安の入り混じる思いで上京した布美枝。
が、待ち構えていたのは、大都会の雰囲気がまったくないところに建つボロボロの一軒家。
絶句…。
茂はヒット作がなく、極貧の生活を送っていたのだ。
しかも貸本漫画はすでに斜陽…。

私は驚きっ放し。
まず、島根と東京に暮らす二人の結婚式が見合いから5日後だったこと。
相手を何も知らないのに、印象だけで生涯のパートナーを決めた。
即上京、夫婦生活が始まる。
女性は覚悟が凄い。

また、貸本漫画があったこと。
私が小学生の時代だったが、先に述べたとおり漫画を読んだことがない。
貸本漫画家とは、貸本屋の商品である貸し出し専門の漫画を描く職業である。
普通の漫画家の収入に遠く及ばず、ほとんど食べていけない。

さらに、布美枝は当然、茂の描く漫画を知らない。
最初に目にしたのが「墓場鬼太郎」。
仰天…。
私が布美枝の立場なら、ここで家に帰らせてもらう。
女性は肝が据わっている。

さらにさらに、初めてのデートが結婚後だったこと。
布美枝が茂に連れて行かれたのは、調布の深大寺だった。
何せ交際期間なし。

ところで、私が前妻と出会い、真っ先に行ったのは深大寺周辺のうっそうとした林だった。
小金井市東町2丁目の下宿から歩いて1時間前後でなかったか。
費用はゼロ。

布美枝は、超人的な努力でマンガと格闘する茂とともに生きていく決意を固めた…。

女は強い。
前の妻も、そしていまの妻も…。

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

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