コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

小塚光彦

小塚崇彦不調、ジャンプ崩壊…佐藤信夫コーチ怖い?

全日本フィギュア2012(フィギュア全日本選手権2012)男子シングルフリー。
ショートプログラム(SP)3位の小塚崇彦は世界フィギュア2013(フィギュア世界選手権2013)の代表切符をかけて演技にのぞんだ。
しかし、4回転はもちろん、ほとんどのジャンプが崩壊。
本人もあまりの不出来に顔面が蒼白・・・。
私はここまで乱れた小塚崇彦を知らない。
思い切って勝負をかけたからなのか。

小塚崇彦は生真面目な性格ということが分かっているだけに、私は気の毒で演技を最後まで見られなかった。
もっともオリンピックは来シーズンであり、どん底に落ちてしまえば後は浮上するしかない。

と思ったら・・・。
約1週間前の練習で右足甲を痛め、MRI検査を受けるほど重傷だったらしい。
が、佐藤信夫コーチが、オリンピックで骨折しながら戦いきった柔道の山下泰裕(やました・やすひろ)を引き合いに出し、小塚崇彦を奮い立たせてリンクに送り出した。
怖い指導者である。
小塚崇彦は大会の公式練習でもあまりジャンプを跳んでいなかったようだ。
SPは何とかごまかしたが、時間が長く要素が多いフリーは乗り切れなかった。

                       ◇

NHK総合に「ファミリーヒストリー」という夜遅い時間帯の番組がある。
私は仕事をしながらつけっ放しにしていた同番組で、「小塚崇彦〜五輪の夢・小塚家3代の挑戦」をちらちら見た。
小塚崇彦はそういわれるのが嫌だと語っていたが、やはりフィギュアスケート界のサラブレットの家系だった。
父・小塚嗣彦(こづか・つぐひこ)は1968年グルノーブル冬季五輪(オリンピック)フィギュア男子シングルの日本代表。
全日本フィギュアで3連覇。
母・小塚幸子(旧姓・坂野)はアイスダンスの選手。

小塚崇彦は、2011年に亡くなった祖父・小塚光彦(こづか・みつひこ)の人生を聞けなかったことが心残りだった。
小塚光彦は戦前の満州でフィギュア好きの中村公正と出会って練習に励み、現地で二人は優れた成績を収めた。
そして、1940年札幌冬季五輪(オリンピック)を目指したが、戦争で中止になった。
小塚光彦は、戦死した中村公正が自分に残した「夢を諦めてはいけない。子や孫をオリンピックに・・・」という言葉を胸に刻んだ。
戦後に愛知スケート連盟を立ち上げ、名古屋を今日のフィギュア王国に育てあげることに心血を注いだ。
「愛知フィギュアスケートの父」と呼ばれる。
その情熱を、小塚崇彦も受け継いでいる。

                       ◇

小塚崇彦は不調から抜け出せず、世界フィギュア2013出場を逃した。
事実上、今シーズンが終わった。
しかし、私はオリンピックシーズンにかならず復調すると考えている。
もともと猛烈な負けず嫌いだ。

小塚崇彦は全日本フィギュア2012で敗れ、自分の底力を使ってもう一度やり直すと口にした。
この底力という言葉にDNA(遺伝子)への意識、そして矜持(プライド)が見てとれる。
「ファミリーヒストリー」を通じて知った事実が彼をさらなる練習に突き動かし、2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)へ駆り立てる。
頑張れ!

                      ◇◆◇

小塚崇彦に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月21日「高橋大輔、『どうだ! 小塚君!』…全日本選手権で一蹴」はこちら。

⇒2011年11月27日「羽生結弦、小塚崇彦先輩を置いていく…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月15日「高橋大輔と小塚崇彦の比較…スケーターの特性と演技」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

⇒2011年10月22日「フィギュアGPシリーズ2011日程&出場選手…小塚と真央は?」はこちら。

⇒2011年10月3日「小塚崇彦、劇的成長の予感…自分が引っ張るしかない」はこちら。

⇒2011年9月30日「ジャパンオープン2011…安藤美姫、高橋大輔、小塚崇彦が出場」はこちら。

⇒2011年7月10日「小塚崇彦と浅田真央が初々しい…お似合いカップル」はこちら。

⇒2011年4月27日「小塚崇彦、金メダルへの距離…世界選手権」はこちら。

⇒2011年1月27日「浅田真央は小塚崇彦をどう思っているのか?」はこちら。

⇒2010年12月10日「高橋大輔を追う小塚崇彦に不安、村上佳菜子は自信」はこちら。

⇒2010年11月28日「イケメン小塚崇彦に足りないもの…GP圧勝」はこちら。

⇒2010年11月10日「安藤美姫と小塚崇彦、アベック優勝の注目度」はこちら。

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小塚崇彦、金メダルへの距離…世界選手権

世界フィギュアスケート選手権2011。
小塚崇彦は昨年のグランプリ(GP)シリーズで2勝、グランプリ(GP)ファイナルで3位と好成績を残し、年末の全日本フィギュアスケート選手権で初優勝を飾った。
もともとスケーティングの技術は一級であり、今季は弱点の表現を磨いてきた。
その甲斐あって才能が開花した。

小塚崇彦は、祖父・光彦がフィギュア王国・名古屋の礎をつくり、父・嗣彦が1968年グルノーブル冬季五輪(オリンピック)の日本代表選手に選ばれた。
彼はフィギュアスケート一家に生まれ育ったサラブレッドである。
選手になることを運命づけられていたがゆえに“苦悩”は深かった。
しかし、恵まれた環境に置かれていたがゆえに“甘え”が目立った。
最近の顕著な変化は、精神的な成長が背景である。
日本代表選手としての自覚が芽生え、やるしかないという覚悟が定まった。
小塚崇彦は家族や周囲への依存心を拭い去るため、カナダと米国で一人暮らしを味わった。
練習時間もコーチから指示されるのでなく、自分から申し出るように変えた。
私はちょっと遅すぎると思う。

小塚崇彦は体力をつけ、体幹を鍛えた結果、ジャンプが安定してきた。
仮に不十分だったとしても着氷時に踏ん張りが利き、大崩れがなくなった。
また、これまでは四肢を使うにしても伸びきらず、中途半端な状態で次の動作へ移りやすかった。
心のどこかにブレーキが働いたのだ。
こうした思い切りの悪さが観客や視聴者に伝わった。
それを、体を大きく使い切るように改めた。
さらに、これまでは大勢の観客をなるべく見ようとして視線がさまよった。
それを、ジャッジと目を合わせるように改めた。
視線の使い方を割り切ることで、目力が高まった。
小塚崇彦はさまざまな取り組みにより、表現の評価となる演技構成点を伸ばした。
今季を真のスタートと位置づけ、伸び代は残っていると語った。
決意の表れか。

小塚崇彦は生い立ちのせいか堅実である。
「スケートだったらジャンプもスピンもステップもできて、スケート以外でもどこでも通用する人になりたい」。
伸び盛りの時期に、現役引退後を考えている。
私に言わせれば面白みがないし、私はこうしたところに彼の限界を感じる。
しかし、人それぞれの人生。
自分の道を歩むしかない。

日本代表の男女6選手全員が勝ちたいとの気持ちを強くして世界フィギュアに出場する。
これまで温かい応援で支えてくれた人たちに、結果を出して恩返しをしたい。
アスリートの自分にできるのはそれくらい・・・。
まして小塚崇彦は全日本王者として臨む。
かなりのプレッシャーがかかっていることだろう。
今季培った実力を自信に変え、表彰台はもちろん金メダルを狙う。

                       ◇

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で日本男子のエースとなりそうな小塚崇彦。
私は金メダルに手が届く資質を備えていると思う。
が、得点はともかくとして、表現では高橋大輔ときわめて大きな差がある。
身近に最良の手本がいるうちに、しゃにむに吸収せよ。
「貴公子」ということはとりあえず忘れて・・・。

小塚崇彦は、抑制の利いた美しさや洗練された身のこなしが魅力である。
しかし、私は彼の演技を見るたびに物足りなさを感じる。
会場の反応もそれを裏付けている。

小塚崇彦には自分の殻を叩き壊し、ソチオリンピックへ向けてレベルアップした独自の世界を築きあげてほしい。
平たく言えば、私たちをもっと大きな感動で包み込んでほしい。

⇒2011年4月24日「高橋大輔は2位じゃダメなんでしょうか」はこちら。

表現者としての内なる“熱”がこちらに伝わってこない・・・。

◆書き加え1(4月26日)

小塚崇彦は2月の四大陸選手権で4位に終わり、日本選手ではただ一人、予選から出場しなければならなかった。
とはいえ、レベルの違いを見せつけてトップで通過した。

冒頭の4回転は回転不足に加えて手をついたが、その後のジャンプはすべて決めた。
小塚崇彦は体力的に不利な予選出場を、「1回滑った経験は大きい」と前向きに捉えた。

佐藤信夫コーチは、小塚崇彦について「まあまあだと思う」。
何とか及第点を与えられる仕上がりか・・・。

◆書き加え2(4月26日)

日本男子の3選手、高橋大輔と織田信成、小塚崇彦はモスクワで公式記者会見に応じた。
東日本大震災の影響で開催時期と開催場所が二転三転して「精神的につらかった」。
小塚崇彦は「3月に向けて練習してきたので、4月末まではとてももたない。一度落として、大会前に再び持ち上げた」。

◆書き加え3(4月26日)

世界フィギュアの表彰台の頂点は日本の高橋大輔と織田信成、小塚崇彦、そしてカナダのパトリック・チャンの争い?
高橋大輔は昨季の世界王者だが、挑戦者のつもりで臨むはずだ。
織田信成は練習ではもっとも調子がよさそうだ。
小塚崇彦は年明けから調子が下り坂だ。

それに対し、パトリック・チャンは絶好調だ。
世界フィギュアでは2年連続2位に留まり、1位しか眼中にない。
今季、SPとフリーに4回転ジャンプを取り入れて決めた。
演技のよさに、技術の高さが加わった。
日本勢にとり難敵である。

◆書き加え4(4月28日)

私は、カナダのパトリック・チャンがSPで圧巻の演技を見せ、しかも隙がなかったので、日本勢の逆転は可能性がゼロに近いと思っていた。
最終組の最初(19番目)に登場し、SPに続いてフリーも歴代最高得点をマークし、この時点で金メダルは決まった。
驚異の 280点超え!

パトリック・チャンはきのうと違い、表情も動きも硬さが感じられた。
しかし、貯金を背景に、余裕を持って滑った。
結局、2位と得点差を広げた。
2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)における韓国のキム・ヨナがそうだった。
ぶっちぎり!

SP2位の織田信成は20番目に登場した。
パトリック・チャンの直後で非常に滑りにくかっただろう。
とてもよかった。
が、また跳びすぎをやらかした。
この時点でメダルがするりと逃げた。
何ともったいない・・・。
これではファンが離れてしまう。
織田信成は情緒が不安定で、感情の起伏が激しい。
デリケートなフィギュアスケートでは相当なマイナス要因である。
例えば、滑走順を決める抽選での反応でさえそうだ。
一喜一憂しすぎる。
彼が上を目指すうえで最大の課題でなかろうか。

SP3位の高橋大輔は22番目に登場した。
が、冒頭の4回転ジャンプを踏み切ろうとして中断した。
スケートシューズのかかとのビスが抜け、エッジが外れた。
ベテランにして世界の舞台で信じられないアクシデントが起こった。
この時点でメダルは厳しくなった。
高橋大輔は途中からやり直し、最後まで滑り切った。
前年の世界王者、日本のエースとしてのプライドと意地、そして自分を応援してくれるファンへの責任感だ。

SP6位の小塚崇彦は23番目に登場した。
日本勢の2人がメダルから脱落した直後なので、想像を絶するプレッシャーがかかったのでないか。
小塚崇彦は冒頭の4回転ジャンプを決めて勢いに乗った。
ほぼノーミスで終えた。
彼にしては珍しく感情をあらわにして佐藤信夫コーチと抱き合った。
コーチも我を忘れていた。
佐藤信夫は根が熱血なのでは…。

小塚崇彦は日本全体の期待、さらに織田信成と高橋大輔の無念も背負って滑った。
演技に魂がこもっていた。

私は正直、諦めかけていた。
が、小塚崇彦は銀メダルをつかんだ。
そして、日本に唯一のメダルをもたらした。
よくやった!
全日本王者がフロック(まぐれ)でないことを証明した。
何より小塚崇彦はたくましさが備わってきた。

インタビューでは「来年は金メダル・・・」と、明確な目標を口にした。
これまでの彼に見られなかった積極性である。
日本のエースになれ。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート男子・小塚崇彦に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年12月10日「高橋大輔を追う小塚崇彦に不安、村上佳菜子は自信」はこちら。

⇒2010年11月28日「イケメン小塚崇彦に足りないもの…GP圧勝」はこちら。

Copyright (c)2011 by Sou Wada

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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