コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

平井伯昌コーチ

寺川綾⇒鈴木聡美⇒加藤ゆか⇒上田春佳、絆の銅メダル

私がロンドン五輪でもっとも熱くなったのは、競泳女子と競泳男子の400mメドレーリレー決勝だった。
どちらも最終泳者が猛追をかわしたレースだった。
日本はチームとしての結束力と総合力でメダルをつかんだ。

4選手はレースを振り返った。
鈴木聡美は「予選は伸びなかったので、決勝は渾身の力を振り絞った」と語った。
寺川綾は「自己ベストに及ばなかったが、メダルを取れたのでこんなに嬉しいことはない」と語った。
加藤ゆかは「チーム力は日本が一番と思っていたので、諦めずにつないだ」と語った。
上田春佳は「どきどきした。前の3人がいいところを出してくれたので、メダルを持ち帰りたいと思っていた」と語った。

                       ◇

ロンドン五輪競泳女子400mメドレーリレーで日本は3分55秒73で銅メダルを獲った。
2000年シドニー五輪での銅メダル以来。

1人目の背泳ぎは100m銅の寺川綾。
2位でつないだ。
2人目の平泳ぎは200m銀、100m銅の鈴木聡美。
3位でつないだ。
3人目のバタフライは加藤ゆか。
前半から果敢に攻めて米国と豪州に食い下がり、3位でつないだ。
4人目の自由形は上田春佳。
一時は4位に落ちたが後半に盛り返し、ロシアと中国を振り切った。

加藤ゆかと上田春佳がプレッシャーを跳ね返し、チームは日本記録を更新した。
皆が抱き合い、喜びをかみしめた。

とくに印象的だったのは、寺川綾。
涙ぐみながら満面の笑顔で、スタンドに「ありがとう」と繰り返した。

                       ◇

寺川綾は2月の合宿中に個人種目を100m一本に絞った。
日程からメドレーリレーに支障が生じるのを避けた。
個人で頑張るより、皆でメダルを目指したかった。
加藤ゆかと上田春佳は同じ平井門下生である。

日本は絆と執念で他のチームをしのぎ、タイムの不利を補った。
メドレーリレーで勝つために、鈴木聡美を加えた4人で話し合いを重ねてきた。

                       ◇

ところで、競泳日本代表の平井伯昌ヘッドコーチは任期満了にともない、ロンドン五輪で退任する。
今大会で銀3個と銅8個の計11個のメダルを獲り、2004年アテネ五輪の計8個を上回り、戦後最多となった。

以下に、「北島康介に後輩が用意した花道…メドレーリレー銀メダル」と題する2012年8月9日のブログを収める。

                      ◇◆◇

私がロンドン五輪でもっとも熱くなったのは、競泳女子と競泳男子の400mメドレーリレー決勝だった。
どちらも最終泳者が猛追をかわしたレースだった。
日本はチームとしての結束力と総合力でメダルをつかんだ。

レース後の松田丈志のインタビューがすべてを物語っていた。
「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにいかないぞと、部屋の3人で話していた」。

入江陵介は個人のレースが終わった直後から、競泳代表27人が一つのリレーをすると語っていた。
北島康介はみんなのおかげと、感謝を口にした。
藤井拓郎は自分たちのレースができたと語った。

                       ◇

ロンドン五輪競泳男子400mメドレーリレーで日本は3分31秒26で銀メダルを獲った。
銀以上は男女を通じて初。
2004年アテネ五輪、2008年北京五輪の銅メダルに続き、3大会連続のメダル。

1人目の背泳ぎは200m銀、100m銅の入江陵介。
2位につけた。
2人目の平泳ぎは北島康介。
8選手でただ一人の58秒台をマークし、米国のブレンダン・ハンセンを抜いて首位に躍り出た。
3人目のバタフライは200m銅の松田丈志。
米国のマイケル・フェルプスに抜かれたが、2位でつないだ。
4人目の自由形は藤井拓郎。
豪州の必死の追い上げを振り切った。

日本は史上最多の金メダルを獲ったマイケル・フェルプスを擁する米国に引けを取らない泳ぎを見せた。
互いに抱き合い、両手を突き上げて喜びを爆発させた。
感動的なシーンだった。

北島康介は集大成として臨んだ4度目の五輪で、3連覇に期待が集まった。
しかし、個人種目でメダルなしに終わった。
最後の400mメドレーリレーでのチーム一丸の結果を、心の底から喜んだ。

北島康介の背中を追いかけてきた後輩が最高の花道を用意してくれた。

                      ◇◆◇

2012年ロンドン夏季五輪(オリンピック)に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年8月9日「北島康介に後輩が用意した花道…メドレーリレー銀メダル」はこちら。

⇒2012年8月7日「日本競泳メダルラッシュ…浅田真央エアウィーブが貢献」はこちら。

⇒2012年8月5日「石川佳純はかわいい…日本卓球女子」はこちら。

⇒2012年8月4日「鈴木聡美は健康お色気系、寺川綾はセクシー系…競泳美女」はこちら。

⇒2012年8月3日「寺川綾と松下奈緒、身長と美貌を比べるなっ!」はこちら。

⇒2012年8月2日「三宅宏実と三宅義行…重いものを持ち上げるだけ」はこちら。

⇒2012年8月2日「内村航平、安全策の金メダル…ロンドン五輪・体操個人総合」はこちら。

⇒2012年8月1日「松本薫は猿か、人類か…柔道女子57kg級金メダル」はこちら。

⇒2012年7月27日「ロンドンオリンピック…日本金メダル予想」はこちら。

⇒2012年7月26日「なでしこジャパン、余裕の初戦勝利…ロンドン五輪」はこちら。

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寺川綾と松下奈緒、身長と美貌を比べるなっ!

先だって競泳女子背泳ぎ100mで寺川綾(てらかわ・あや)が58秒83の日本新記録で銅メダルを獲った。
私はテレビをつけっ放しにして朝まで仕事をしていた。
その手を止め、寺川綾の決勝戦に見入った。
彼女に続き、競泳男子背泳ぎ100mで入江陵介が、競泳女子平泳ぎ100mで鈴木聡美が銅メダルを獲った。
中継放送での感動は格別である。

27歳での快挙。
寺川綾は心の弱さを克服した。
さらに、勝つためのどん欲さと冷静さを身につけた。
すべての練習と鍛練はロンドン五輪(オリンピック)での表彰台へ向け、着実に進められた。

私は寺川綾が前半を5位で折り返し、厳しそうだと思った。
ところが、後半の残り半分から猛然と追い上げた。
この4年間の思いがこめられているようだった。
日本にとりシドニー五輪以来、12年ぶりの背泳ぎ100mのメダルである。
しかも、27歳は、2008年北京五輪200m背泳ぎ銅の中村礼子の26歳を抜き、日本競泳女子史上の最年長だった。

決勝のレース展開は、平井伯昌(ひらい・のりまさ)コーチと決めた作戦どおりだった。
前半はリラックスして大きく泳ぎ、ラスト15mでスパート。
そのプランを決勝戦の大舞台できちんと守ることにより3位という成果に変えた。

寺川綾は19歳の2004年アテネ五輪、背泳ぎ200mで8位入賞の結果を残した。
しかし、メダルを期待された2008年北京五輪では代表入りを逃した。
年齢的に引退と思われた。
が、どん底に落ちた結果、負けず嫌いの性格に火が付いた。

寺川綾は名伯楽・平井伯昌コーチの指導を仰ぐ決意を固めた。
そこで、勝つための準備の周到さ、勝つためのレースの戦略があることを知った。
目標タイムを58秒60〜70に設定し、それを叶える計画を立てたうえで努力を積み重ねてきた。
ときに平井伯昌コーチと激しく衝突し、悔し涙を流しながらも過酷なトレーニングに耐え抜いた。

寺川綾はロンドン五輪を集大成と決め、100m一本に絞ってのぞんだ。
引退の危機を乗り越え、悲願の表彰台に立った。

競泳初日、男子個人メドレー400mで萩野公介が銅メダルを獲り、日本競泳陣に勢いをつけた。
寺川綾はメドレーリレーに出場する。

                       ◇

ところで、寺川綾は長身の美少女スイマーともてはやされた。
私は昔を知らないが、とても美しいと思う。
1984年11月12日、大阪府大阪市生まれの27歳。
身長173cm、体重60kg、血液型O型。

美しい女性が長身だと、それがさらに際立ち、華がある。
私が思い出したのは音楽家の松下奈緒(まつした・なお)だった。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主演女優だ。
1985年2月8日、奈良県生駒市生まれの27歳。
寺川綾とは3カ月違い。
身長174cm、血液型AB型。

年齢も身長も美貌も魅力もほぼ互角である。
が、二人を比べてならない。

                      ◇◆◇

2012年ロンドン夏季五輪(オリンピック)に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年7月26日「なでしこジャパン、余裕の初戦勝利…ロンドン五輪」はこちら。

⇒2012年7月27日「ロンドンオリンピック…日本金メダル予想」はこちら。

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⇒2012年8月2日「内村航平、安全策の金メダル…ロンドン五輪・体操個人総合」はこちら。
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⇒2012年8月2日「三宅宏実と三宅義行…重いものを持ち上げるだけ」はこちら。

                      ◇◆◇

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⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。

⇒2010年9月20日「松下奈緒と向井理の魅力と伸び代、居場所」はこちら。

⇒2010年9月21日「長女村井藍子・青谷優衣、次女喜子・荒井萌」はこちら。

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⇒2010年9月24日「ゲゲゲ松下奈緒から、てっぱん瀧本美織へ」はこちら。

⇒2010年9月24日「水木しげる夫妻(武良茂・布枝)の自然体」はこちら。

⇒2010年9月25日「ゲゲゲの女房エンディング…松下奈緒&向井理」はこちら。

⇒2010年9月26日「ありがとう『ゲゲゲの女房』アゲイン(全記事)」はこちら。

⇒2010年9月27日「涙にくれた一日・・・『ゲゲゲの女房』完結」はこちら。

⇒2010年9月28日「松下奈緒が『ゲゲゲの女房』を振り返った」はこちら。

⇒2010年9月29日「松下奈緒と向井理、ゲゲゲの女房の演技に思う」はこちら。

⇒2010年9月30日「松下奈緒主演『ゲゲゲの女房』完全再放送を望む」はこちら。

⇒2010年11月2日「吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ」はこちら。

⇒2010年11月5日「松下奈緒の紅白司会、水木しげるの文化功労者」はこちら。

⇒2010年11月13日「大杉漣、演技への怒涛の情熱とエネルギー」はこちら。

⇒2011年7月18日「井上真央と松下奈緒、プライド激突、視聴率一騎討ち!」はこちら。

⇒2011年10月12日「松下奈緒、朝ドラ視聴率・朝ドラ人気回復に最大の貢献!」はこちら。

⇒2011年10月18日「松下奈緒・瀧本美織・井上真央・尾野真千子…朝ドラヒロイン素顔」はこちら。

⇒2012年4月10日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、堀北真希・梅ちゃん先生の人気」はこちら。

⇒2012年6月1日「松下奈緒『ありがとう』ピアノソロ演奏…SONGS」はこちら。

⇒2012年6月9日「松下奈緒、『青空』をしっとりとセクシーに歌う」はこちら。

⇒2012年6月10日「松下奈緒、結婚・転身へ…ドラマチックなAB型」はこちら。

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北島康介の勝負脳、浅田真央の脱皮計画を応援しよう!

私が尊敬する北島康介。
2012年ロンドン夏季五輪(オリンピック)に挑んでいる。
まずは日本代表に選ばれること。
が、彼の場合はその先を目指しており、表情台にのぼること、さらに金メダルを獲ること。
年齢を考えると、勝ち目の厳しい戦いだ。
ゆえに、彼の偉大さが一層際立つ。

北島康介は大勝負に滅法強い。
もっとも苦しい準備段階を含めたメンタルは驚異的といってよい。
平たく言えば「勝負度胸」がずば抜けている。
これが競泳男子平泳ぎで奇跡の4冠をもたらした。

が、その彼がかつてゴール前に失速するという失敗を繰り返していた。
そこで、「勝負脳」を鍛えた。
この概念を提唱したのは、脳外科の第一人者・林成之教授。
氏は、北京オリンピックの日本代表競泳チームに脳の専門家として参加した。

世界のトップアスリートは、肉体や技術の強化はもちろん、精神の鍛錬に努めている。
これが今日の常識、「メンタルトレーニング」「脳トレーニング」。
自分の能力を最大限に発揮する脳の活用法を知っていないと表彰台、とくに頂点に立てない。

氏によれば、人は「ゴールが目前」と思った瞬間、失速する。
したがって、何か挑戦を行っているとき、ゴール自体を目標に設定するのでなく、その先をゴールに設定する。
北島康介に対する処方箋は、結局これだった。
ゴールにタッチし、電光掲示板の数字をしっかりと確認すること!

脳と心のメカニズムは科学的に解明されていない部分が多いが、私は自分自身に思いが及んだ。
仕事の締め切りに追われていて、これで何とか間に合いそうだと胸をなで下ろしたらエンジンブレーキがかかることは無数に経験している。
知的生産性ががくっと落ちてしまうのだ。

私はここ数年、自分商品の開発など、新たなタスクに挑んできたが、何一つやり遂げられなかった。
自分商品とは、営業コンサルタントとして試行錯誤の末に確立した収益向上・業績拡大のセオリーとメソッドを教材にブラッシュアップすること。
つまり、職業人生の集大成の一つ。
私は仕事をさぼったわけでない。
すべて息切れし、中途半端な状態で止まってしまった。

これは昨夏、ひょんなことから「更年期障害」が原因と判明した。
女性に特有の病気と勘違いしていた。
しかし、それだけでない。
タスクの終盤の胸突き八丁で挫折し、ゴールテープを切ることができなかったのだ。
私も「勝負脳」の考え方を取り入れることにした。

これまでは新商品を完成にこぎ着けることをゴールに設定していた。
そうでなく、発売記念パーティで挨拶に立つことや、自分へのご褒美である休暇(旅行)を楽しむことをゴールに設定すべきだった。

人は、顕在意識で鞭を入れても、潜在意識で達成間近を感じていたら失速するようにできている。
要は、頭と心が緩む。

半生を振り返り、和田創は緩々・・・。

私が畏敬する浅田真央は2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で栄冠をつかむべく、スケーティングの脱皮計画を実行に移している。
今シーズンも苦しみそうだ。
温かく見守っていこう。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
私が考えていた以上の快挙である。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート・グランプリ(GP)シリーズ&ファイナルに関するブログは以下のとおり。

⇒2010年12月11日「村上佳菜子は僅差3位、織田信成は後退2位」はこちら。

⇒2010年12月9日「真央二世・村上佳菜子、安藤美姫と頂点を競う」はこちら。

⇒2010年12月8日「安藤美姫はエロい大輪を咲かせよ…神秘的セクシー」はこちら。

⇒2010年12月7日「高橋大輔は心に訴えない…内臓を揺さぶる泥臭さ」はこちら。

⇒2010年11月28日「イケメン小塚崇彦に足りないもの…GP圧勝」はこちら。

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北島康介、ロンドンオリンピックへの苦闘と挫折

私は北島康介の面構えが好きだ。
高い目標を胸に秘めているからだろう、何かに取り組むとき、何かを語るとき、目が強い光を放ち、キラキラ輝いている。

北島康介はこれまで夏季五輪(オリンピック)を目指し、かならず挑戦の期間を設けてきた。
それは苦闘と挫折を意味する。
私には、北島康介が意図的に自分を“どん底”に突き落としているように思える。
失敗がもっとも成功に近い。
彼は挫折なくして表彰台の頂点に立てないと考えている。
その結果が五輪4冠である。

28歳の北島康介は2012年ロンドン五輪(オリンピック)への挑戦を明言した。
頭が下がる。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
快挙だ。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

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北島康介、ロンドンオリンピックへの進化

年末にパソコンが破損し、データが消滅した。
書き溜め記事が中心のこのブログは実質休止。
私は仕事がパニック状態…。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
私が考えていた以上の快挙である。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート・グランプリ(GP)シリーズ&ファイナルに関するブログは以下のとおり。

⇒2010年12月11日「村上佳菜子は僅差3位、織田信成は後退2位」はこちら。

⇒2010年12月9日「真央二世・村上佳菜子、安藤美姫と頂点を競う」はこちら。

⇒2010年12月8日「安藤美姫はエロい大輪を咲かせよ…神秘的セクシー」はこちら。

⇒2010年12月7日「高橋大輔は心に訴えない…内臓を揺さぶる泥臭さ」はこちら。

⇒2010年11月28日「イケメン小塚崇彦に足りないもの…GP圧勝」はこちら。

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浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
私が考えていた以上の快挙である。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート・グランプリ(GP)シリーズ&ファイナルに関するブログは以下のとおり。

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⇒2010年12月8日「安藤美姫はエロい大輪を咲かせよ…神秘的セクシー」はこちら。

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浅田真央のリップサービス…マスコミ対応

きのうのブログ「浅田真央はソチ仕様に工事中、勝てなくて当然」の続き。

⇒2010年12月1日「浅田真央はソチ仕様に工事中、勝てなくて当然」はこちら。

フィギュアスケートは日本人がもっとも注目する競技の一つである。
なかでも女子フィギュア。
大会前、主催者や放映権者(テレビ局)は当然、前評判を高めたい。
ついては人気選手を引っ張り出し、世間への露出度を増やすのがもっとも有効である。

浅田真央はそれを痛いほど分かっていて、マスコミの取材に対して「リップサービス」を行う。
事前の期待を盛りあげる大役を笑顔で務めることが多い。
好調期ならともかく、気の毒だ。
とくに今季の浅田真央にとり…。

これがなぜ問題かというと、結果として自分を追い詰めるからだ。
本人は「調整」していると考えているのに、周囲は「失敗」したと思ってしまう。
実際、浅田真央は6種類のジャンプを一から見直しているところと語っていた。
いまは結果を出せない段階であり期間である。
注目の集中は負担や苦痛にしかならない。
フィギュア選手は皆、美しい自分を見てほしいと願っている。

また、それにより佐藤信夫コーチへの風当たりがさらに強くなるからだ。
重大な覚悟のうえで浅田真央を引き受けたとはいえ、あまりにつらい。
コーチは世界最高峰の選手を指導するとき、おそらく自らも悶絶しかねない。
競泳平泳ぎ・北島康介をオリンピック2大会連続金メダルへ導いた平井伯昌コーチがそうだった。
佐藤信夫コーチは本職(指導)の苦労に加え、心ない非難をしょい込む。

浅田真央は、エースとして日本のフィギュアスケート界をもり立てていかなくてはという思いを抱く。
恩返しという気持ちも…。
それゆえのリップサービス。

しかし、浅田真央が2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)の栄冠を目指して練習にじっくりと取り組むにはマイナスである。
自身の環境、コーチの立場を悪くしかねないのだ。
マスコミをうまくコントロールすることも勝利の条件になるのでなかろうか。

このブログで幾度か述べたが、浅田真央はすでに十分に国民を楽しませた。
私も存分に楽しんだ。
今後はもうちょっと“自分本位”になってもらいたい。

なお、6種類のジャンプとは、難度の低い順序に並べれば、トウループ (Toe loop)、サルコウ (Salchow)、ループ (Loop)、フリップ (Flip)、ルッツ (Lutz)、アクセル (Axel) 。
ウィキペディアによった。

                       ◇

念のため。
私は「リップサービス」という言葉を用いた。
しかしながら、浅田真央がそれを望んで行っているかどうかは別である。

成功者になるほど“広告塔”として、自分が所属したり活動したりする分野や団体などの利益を代表しなければならない。
まして、浅田真央は人気が断トツ。
周りが放っておかない。

もう一つ。
浅田真央は、自分をとことん追い込んでいく。
成功者に共通しているが、彼女は顕著。
逃げ道を断ち、言い訳を封じ込めちゃう。

マスコミを通じた大会前の公言は、周囲へのやさしさ(気配り)と自らへの厳しさという両面が関係していそう。

続きはあさって、「浅田真央、惨敗後インタビューの残酷と地獄」のブログで…。

                      ◇◆◇

フィギュアスケート女子・浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年12月1日「浅田真央はソチ仕様に工事中、勝てなくて当然」はこちら。

⇒2010年11月29日「浅田真央、ジャンプの修正か改造かの判断」はこちら。

⇒2010年11月28日「惨敗・浅田真央は輝きを取り戻せるか?」はこちら。

⇒2010年11月27日「浅田真央、得意なジャンプが壊れる恐怖」はこちら。

⇒2010年11月25日「浅田真央を引き受けた佐藤信夫コーチの胸中」はこちら。

⇒2010年11月23日「浅田真央、ソチ五輪栄冠への長いトンネル・・・」はこちら。

⇒2010年11月21日「浅田真央が流した悔し涙の価値とは?」はこちら。

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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