このブログで、21世紀に入って衰退の速度を増す「マスコミ業界」について幾度か触れた。
とくに昨秋来、雑誌など“紙媒体”の不振が相次いで表面化している。
出版社を取り巻く環境は一段と厳しさを増そう。
3年後、5年後、10年後、生き残れるところはそれほど多くないのでは…。
さて、私は「日本経済新聞」を購読しつづけている。
といっても、個々の記事を読むのでなく、紙面全体を眺めるくらい。
結局、私は“見出し”を拾うために毎月、新聞購読料を払ってきた。
後悔はない。
新聞はそうしたつきあい方で十分だと思う。
で、日経を眺めていて、いくつか気になることがある。
なかでも子会社の「日経BP社」の年間予約購読誌の広告が激減したこと。
いわゆる“全5段”で毎日のように載っていた時期がある。
だが、大きな部数を誇る「日経ビジネス」の広告さえほとんど見かけなくなった。
それ以前に、これでもかというほど送られてきた同社のダイレクトメールが消えてしまった。
勝ち組の日経BP社とて、出版業界に吹き荒れる構造不況の嵐にあおられているのだ。
私は以前、展示会やセールスプロモーション(販売促進)の情報誌「日経イベント」で2年弱、連載を行った。
毎月5ページ前後のスペースを割いてくれた。
連載は幸い読者から絶大な支持を受けたが、雑誌自体は残念ながら休刊(廃刊)に追い込まれた。
私が講師として同誌で行った企画力養成のための公開セミナーは高額にもかかわらず、北海道から九州まで大勢の読者などが押し寄せてくれた。
日経BP社の紀尾井町会場を埋め尽くす大盛況となり、雑誌の威力を思い知らされた。
終了後、当時の編集長に講義を褒められ、駆け出しだった私は自信を得ることができた。
私はすでに講師をときどき引き受けていたが、これが本格的な講師稼業につながっていく。
日本経済新聞社の「日経ビジネススクール」で企画と営業の分野を中心に講師を務めた。
多い年は数回の開催。
つきあいは恐らく7〜8年間に及んだ。
評価の厳しい受講者を前にし、さらに経験を積むことができた。
そして、「プレジデントセミナー」「読売経営セミナー」などの他社主催の公開セミナーへ広がった。
また、40年程前に日本経済新聞社の奨学生として、高円寺南専売所で新聞配達の業務に携わっていた。
「日経ビジネス」が創刊されるということで、読者獲得のために頑張った。
所長に命じられたわけでも、報酬をもらったわけでもない。
タダ。
顧客との触れ合いが楽しく、進んで外へ飛び出した。
これが、私が初めて経験した「営業活動」。
今日の営業講師と営業コンサルタントの道を歩む第一歩となった。
とても懐かしい思い出だ。
当時は日経BP社でなく「日経マグロウヒル社」だった。
私は、職業人生を振り返り、日経グループに少なからずお世話になっている。
会社にも媒体にも素晴らしい勢いがあったから、私もその恩恵に浴することができた。
感謝の気持ちで一杯である。
しかし、いまや出版業界は地殻変動の真っ只中。
日経BP社にとっても行く手は険しいはずだが、どうか力強く勝ち残ってほしい。
以下は、私の一連のブログ。
⇒11月20日「書籍・雑誌・新聞、紙媒体消滅へ」はこちら。
⇒11月23日「新聞・テレビ・広告は構造不況業種」はこちら。
Copyright (c)2009 by Sou Wada
←応援、よろしく!
とくに昨秋来、雑誌など“紙媒体”の不振が相次いで表面化している。
出版社を取り巻く環境は一段と厳しさを増そう。
3年後、5年後、10年後、生き残れるところはそれほど多くないのでは…。
さて、私は「日本経済新聞」を購読しつづけている。
といっても、個々の記事を読むのでなく、紙面全体を眺めるくらい。
結局、私は“見出し”を拾うために毎月、新聞購読料を払ってきた。
後悔はない。
新聞はそうしたつきあい方で十分だと思う。
で、日経を眺めていて、いくつか気になることがある。
なかでも子会社の「日経BP社」の年間予約購読誌の広告が激減したこと。
いわゆる“全5段”で毎日のように載っていた時期がある。
だが、大きな部数を誇る「日経ビジネス」の広告さえほとんど見かけなくなった。
それ以前に、これでもかというほど送られてきた同社のダイレクトメールが消えてしまった。
勝ち組の日経BP社とて、出版業界に吹き荒れる構造不況の嵐にあおられているのだ。
私は以前、展示会やセールスプロモーション(販売促進)の情報誌「日経イベント」で2年弱、連載を行った。
毎月5ページ前後のスペースを割いてくれた。
連載は幸い読者から絶大な支持を受けたが、雑誌自体は残念ながら休刊(廃刊)に追い込まれた。
私が講師として同誌で行った企画力養成のための公開セミナーは高額にもかかわらず、北海道から九州まで大勢の読者などが押し寄せてくれた。
日経BP社の紀尾井町会場を埋め尽くす大盛況となり、雑誌の威力を思い知らされた。
終了後、当時の編集長に講義を褒められ、駆け出しだった私は自信を得ることができた。
私はすでに講師をときどき引き受けていたが、これが本格的な講師稼業につながっていく。
日本経済新聞社の「日経ビジネススクール」で企画と営業の分野を中心に講師を務めた。
多い年は数回の開催。
つきあいは恐らく7〜8年間に及んだ。
評価の厳しい受講者を前にし、さらに経験を積むことができた。
そして、「プレジデントセミナー」「読売経営セミナー」などの他社主催の公開セミナーへ広がった。
また、40年程前に日本経済新聞社の奨学生として、高円寺南専売所で新聞配達の業務に携わっていた。
「日経ビジネス」が創刊されるということで、読者獲得のために頑張った。
所長に命じられたわけでも、報酬をもらったわけでもない。
タダ。
顧客との触れ合いが楽しく、進んで外へ飛び出した。
これが、私が初めて経験した「営業活動」。
今日の営業講師と営業コンサルタントの道を歩む第一歩となった。
とても懐かしい思い出だ。
当時は日経BP社でなく「日経マグロウヒル社」だった。
私は、職業人生を振り返り、日経グループに少なからずお世話になっている。
会社にも媒体にも素晴らしい勢いがあったから、私もその恩恵に浴することができた。
感謝の気持ちで一杯である。
しかし、いまや出版業界は地殻変動の真っ只中。
日経BP社にとっても行く手は険しいはずだが、どうか力強く勝ち残ってほしい。
以下は、私の一連のブログ。
⇒11月20日「書籍・雑誌・新聞、紙媒体消滅へ」はこちら。
⇒11月23日「新聞・テレビ・広告は構造不況業種」はこちら。
Copyright (c)2009 by Sou Wada
←応援、よろしく!