コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

昭和26年生まれ

羽生結弦はけん玉大使、昭和26年生まれはマグマ大使

羽生結弦に「けん玉大使」就任のうわさ

先日、フィギュアスケート男子シングルのスーパースター・羽生結弦がプライベートではまっているのが「けん玉」という記事を目にしました。

私は昭和26年(1951年)生まれであり、小学生の頃にちょっと触ったくらいの記憶があります。
当時は遊びが限られましたが、私自身は退屈に感じ、熱中できませんでした。
そして、いまでは見向きもされない昔の遊び道具になってしまったと思い込んでいました。

ところが、そのけん玉が世界的な大ブームだそうです。
(正直、いま一つ信じられません。)
羽生結弦は「超フリーク」として知られます。
「日本けん玉協会」の認定品で漆黒の「オールブラック」を持ち歩き、フィギュアスケートに負けないウルトラ技を会得しているようです。

同協会の堤早知子事務局長は「テレビで拝見しましたが、ほんとうに上手ですね。羽生選手がオールブラックを使ってくれたおかげで、『同じものがほしい』というお客さんが続出しています」とうれしい悲鳴を上げました。
「国民栄誉賞」を受賞したことも関わるのでしょうか、羽生結弦のけん玉はすでに拝見する次元に到達しているようです。

さらに「ぜひとも『けん玉大使』になっていただきたい」とラブコールを送りました。
アンバサダーに就任するなら、けん玉協会認定の「羽生モデル」や「フィギュアスケートバージョン」などの発売も望めます。
「羽生モデル」は言葉のままですが、「フィギュアスケートバージョン」はイメージがわきません。
回転 やGOE(出来栄え点)を競うのでしょうか。

けん玉はリラックス効果と集中力養成効果が得られることから、トップアスリートにも愛好者が少なくないとか。
集中力を高めつつ、ひざを含めた体全体を使って行います。
柔道や剣道の道場で使われたり、プロ野球選手のトレーニングに取り入れられたりしています。
(正直、いま一つぴんと来ません。)
けん玉が羽生結弦の演技に好ましい影響を及ぼしているかもしれません。

日本けん玉協会では羽生結弦がGPファイナルで金メダルを獲ったら、認定品の「プレミアムゴールド」をプレゼントしたいと意気込んでいました。
しかし、その夢はけがによる欠場(棄権)で叶わず、肩を落としていることでしょう。

とはいえ、近い将来、けん玉グランプリ(GP)シリーズ⇒けん玉GPファイナルが開催される可能性はわずかに残されています。

強く麗しい「マグマ大使」の姿に重なる

大使と聞き、私は「マグマ大使」が思い浮かびました。
羽生結弦の強さと麗しさを合わせ持った姿は、天空を見つめる「マグマ大使」とどこか重なります。

というわけで、マグマ大使をウィキペディアで調べてみました。
原作は手塚治虫の漫画です。
テレビドラマとしては、フジテレビで1966年から1967年まで放送されていました。
私が中学3年生から高校1年生にかけてです。
小学生高学年の頃と勘違いしていました。
内容自体の記憶がほとんどないのも当然です。
年齢的に、こうした番組を見なくなっていました。
マグマ大使(巨人)がロケットに変形することはまるで忘れていました。

羽生結弦はデビュー時、少女コミックの世界から飛び出してきたような印象がありました。
マグマ大使も羽生結弦も金色に輝くヒーローです。

category:羽生結弦ブログはこちら。

◆書き加え(11月29日)

この記事はおそらく1週間から10日前ほどの書き溜めです。

羽生結弦がGPファイナルを欠場することが判明しました。
けがをした直後の診断よりも深刻(重症)になっています。
GPシリーズ第5戦「ロシア杯」フリースケーティング(FS)に強行出場したことが悪化させたのかもしれません。
私は一日も早い回復を祈りますが、全日本選手権は棄権してほしい。
選手生命が終わってしまいます。

◇◆◇

羽生結弦に関するブログは以下のとおり。

⇒2018年11月21日「羽生結弦はフィギュアスケートの神なのか」はこちら。

⇒2018年11月20日「羽生結弦に奇跡の復活は期待できない」はこちら。

⇒2018年11月19日「羽生結弦は棄権するわけにいかない」はこちら。

⇒2018年11月18日「羽生結弦にほれぼれ、ため息の出る美しさ・・・」はこちら。

⇒2018年11月5日「羽生結弦は演技構成を変更、飽くなき向上心と挑戦」はこちら。

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直江津小学校同窓会…半世紀振り

2014年の今年は東京五輪(第18回夏季オリンピック)開催から50年が経ったということで、テレビで特集番組が組まれたり、ちまたで記念イベントなどが催されたりしている。
それにより、1951年(昭和26年)生まれの私が直江津小学校(新潟県)を卒業したのは、その東京オリンピックが行われた1964年だったことに気づいた。
自分のなかで卒業と五輪開催の年が一致しなかったのだ。
あくまで伊那中学校1年の出来事だった。

私は前日に父の転勤にともなって伊那市(長野県)に引っ越したため、卒業式に出られなかった。
このときの無念はいまだに引きずっている。

⇒2010年8月13日「直江津小学校卒業式…半世紀の無念とは?」はこちら。

という事情もあり、かねてより同級会、それが無理なら同窓会に参加したいと思っていた。
今年が卒業半世紀の節目に当たることは早くから気づいており、ひそかに期待していた。

私は直江津小学校で1〜2年は加藤先生、3〜4年は渡辺先生、5年は高山先生、6年は小林先生が担任だった。
2年単位だが、6年になるときに高山先生が他校へ移られた。

私はその後、転校と引っ越しを繰り返し、すべての卒業証書や卒業文集、卒業アルバム、そしてすべての記念写真やスナップ写真などをなくしており、半生の記憶がかなり消えた。
にもかかわらず、直江津小学校の担任だけは名前を覚えている。
よほど学校生活が楽しかったのだろう。

高等学校(高校)は同窓会や同級会が行われるところもある。
しかし、中学校はほとんど行われない。
まして、小学校は行われるところはないのか。

私は、半世紀振りの同級会でクラスメイトと再会を果たすという願いが叶わなかった。
薄情で申し訳ないが、名前を思い出せるのは1人になっている。

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おひさま脚本家・岡田惠和、庶民の幸せを描く手腕に感心

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」。
締め切りをたくさん抱える私は、人気漫画家並みに時間に追われている。
人気でなく、「忙しさ」の話…。
連日、自分との闘い。
仕事を頑張るのは当然として、日々どこまで睡眠を削れるかの勝負である。
お気に入りの「おひさま」はほとんど見られない。

この朝ドラを振り返り、脚本家の岡田惠和は見事だった。
戦争が終わり、視聴者にほっとした安心を与えたうえで戦争の悲惨さに切り込んだ。
朝ドラという特性を踏まえたストーリー展開に、私はなるほどと唸った。
岡田惠和が手がけるホームドラマのシナリオは実力が安定している。
朝ドラ50年(半世紀)の節目の作品に起用されたわけだ。

「おひさま」では、終戦から5年経ち(昭和25年)、松本の「丸庵」はようやく客に“本物のそば”を振る舞えるようになった。
そうだったのか・・・。
昭和26年生まれの私は戦後の状況がいくらか呑み込めた。
私が物心ついた昭和30年代初頭には、まだ貧しかったものの、白い飯を食えないということはなかった。

岡田惠和は庶民の幸せの描き方がうまい。
淡々というのでなく、ささいなこと、たわいないことを楽しく見せる手腕に感心させられる。
どうすれば視聴者の心をつかめるか、知り尽くしているようだ。
ムリに“事件”を仕込まなくても、ちゃんと引っ張っていける。
お茶の間に不安を感じさせたり、心配をかけたりしない。
岡田惠和が大切にする作法というか「流儀」なのだろう(私はこの朝ドラのほかの作品を知らない)。
視聴者は井上真央が演じる「須藤陽子(丸山陽子)」が成長するプロセスを温かい気持ちで見守れる。

岡田惠和のシナリオは「おひさま」の高視聴率に大きく寄与しているはずだ。

                      ◇◆◇

朝ドラ「おひさま」と主演「井上真央」に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年7月18日「井上真央と松下奈緒、プライド激突、視聴率一騎討ち!」はこちら。

⇒2011年6月28日「井上真央と寺脇康文、おひさまに見る昔の父と娘」はこちら。

⇒2011年6月21日「井上真央、迷いを引きずった演技、おひさまに疑問」はこちら。

⇒2011年6月6日「井上真央、おひさまの陽子、八日目の蝉の恵理菜」はこちら。

⇒2011年5月24日「井上真央は演技に集中していない…おひさまヒロイン」はこちら。

⇒2011年5月21日「斉藤由貴のやかましさ、若尾文子のあでやかさ…おひさま」はこちら。

⇒2011年5月10日「おひさま感想…井上真央の演技、岡田惠和の脚本」はこちら。

⇒2011年5月9日「おひさまオープニング、視聴率を捨てる心地よさ」はこちら。

⇒2011年5月8日「おひさま、てっぱん、ゲゲゲの女房の視聴率比較」はこちら。

⇒2011年5月7日「井上真央と若尾文子、二人の須藤陽子の演技」はこちら。

⇒2011年5月4日「井上真央・おひさま、セーラー服と庶民顔」はこちら。

⇒2011年4月16日「井上真央おひさまの安全運転…朝ドラ視聴率低下」はこちら。

⇒2011年4月11日「おひさま陽子…伊那中・西駒登山、直小・妙高登山」はこちら。

⇒2011年4月9日「井上真央、謎めいた内面…おひさまヒロイン」はこちら。

⇒2011年4月8日「瀧本美織がおひさまヒロインを演じたら・・・」はこちら。

⇒2011年4月7日「八木優希のおかっぱ頭…おひさま陽子の子役」はこちら。

⇒2011年4月5日「おひさまの舞台、安曇野の自然の美しさ」はこちら。

⇒2011年4月4日「井上真央・おひさま、日本を明るく照らす」はこちら。

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吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
その主題歌は、男女混成3人のボーカルグループ・いきものがかりによる「ありがとう」。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

先日深夜、私がたまたま日本テレビにチャンネルを合わせたとき、「Music Lovers」という音楽番組をやっていた。
名曲ライブ。
そこで歌っていたのがいきものがかりの吉岡聖恵である。
朝ドラ主題歌は幾度も聞いたが、本人を見るのはおそらく初めて。
かわいい女の子が精一杯、心を込めて歌っている印象。

「ありがとう 竜田揚げ … 手洗いしてさ」。
吉岡聖恵は舌足らずなところがあり、よく聞き取れなかった歌詞がテレビ画面の下に流れていた。
このブログで幾度か述べたとおり、平成の名曲である。

⇒2010年9月23日「水木プロダクション創立20周年記念謝恩パーティー」はこちら。

いきものがかりは昔、オリジナル曲が乏しいこともあり、路上ライブでは世間に知れ渡った楽曲をカバーしていた。
その1番が小坂明子の「あなた」だったとのこと。
すると、中高年が足を止めて聞いてくれたらしい。

確かに、あなたの曲調は、このグループの持ち味である甘くて切なくて温かい歌唱とマッチしている。
いきものがかりはファンの年齢層が非常に幅広い。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵『ありがとう』」はこちら。

ライブ会場では、ゲゲゲの女房で飯田源兵衛役を演じた大杉漣が最前列からステージを見上げていた。
収録当時を思い出していたのでなかろうか。
私と同じ昭和26年(1951年)生まれだが、若々しくてかっこいい。
実は、中学校も高校も一緒。
男優なので当然ともいえるが、やはり生き方が潔かったからだ。

⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学校・城北高校出身」はこちら。

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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