コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

村井藍子

松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
「・・・好きでした」。
きのうの「スタジオパークからこんにちは」で、松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた。
どのような意味合いで口にするにせよ、勇気のいる言葉だ。
私は年甲斐もなく、ドキドキ…。

さて、村井絹代(イカル。竹下景子)は夫・村井修平(イトツ。風間杜夫)が一人取り残されても生活に困らないよう、料理など家事の特訓を行った。
自分が先立つと信じて疑わなかった。
が、自分が置いていかれた。

⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。

絹代は、水木しげる(村井茂)の母・飯田ミヤコ(古手川祐子)に、修平が生きているうちは文句ばかり言っていたと振り返った。
そして、夫がいなくなったさみしさは、子どもでも孫でも埋められないと涙をこぼした。
イカルの嵐みたいなエネルギーを受け止められたのは、どこか頼りないイトツゆえだ。
柳に風。

私は、前の妻も、いまの妻もそうだが、夫婦の“取り合わせ”は不思議だとつくづく思う。
それは連れ添った当人にしか分からない。

長女・村井藍子は家から通える小学校の3年生の学級担任になり、充実した日々を過ごしていた。
娘も父も大喜び。

⇒2010年9月16日「村井藍子は教員、松下奈緒はスタジオパーク」はこちら。

NHK番組「スタジオパークからこんにちは」に松下奈緒が出演した。
何度目?
高視聴率を誇るだけに、通路は大変な人だかり。
熱烈な拍手で迎えられた。

松下奈緒によれば、「ゲゲゲの女房」は8時に皆でオンエアを見てから撮影へ。
なるほど、すーっと入っていきやすい。
向井理とは、ドラマでの夫婦関係の深まりとともに親しみが増していった。
当初は、村井茂と村井布美枝が結婚に至った経緯を踏まえ、他人行儀な雰囲気が漂うよう、会話を交わすことも控えた。
二人の隔たりを大切にした。

松下奈緒は「向井さん」でなく「お父ちゃん」と呼んでいたらしい。
“収録期間”という断りがついたが、「向井さんが好きでした」。
そこまでドラマにのめり込んでいた。
また、子役を含め、ほんとうの家族のような“絆”が育まれていった。
さらに、夫婦を支えてくれた周囲の人たちとも…。
山本むつみのシナリオの魅力がそれくらい大きく、すべての出演者を虜にした。
元を辿れば、武良茂と武良布枝の半生が波乱万丈であり、しかもそれを乗り越えて漫画史上に立派な功績を残したからだ。
夫婦はどのような苦難に直面しても、決して勇気と誇りを失わなかった。

松下奈緒は視聴者の質問に答え、好きな男性のタイプも教えてくれた。
キャーッ。

なお、番組では「ゲゲゲの女房」の思い出の名場面がいくつか紹介された。
向井理も映像で出演し、松下奈緒が右腕を取った感触がいまだに残っていると明かした。
力がこもっていたのだ。
私がこの朝ドラでもっとも感動した例のシーン。
実は、向井理も感動していた。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

松下奈緒が村井布美枝と一体化し、しかも村井茂と本物の夫婦になった瞬間である。
夫を守ろうとする凄まじい気迫が伝わってきた。
交際なし、見合い直後の結婚から始まった二人だったが、互いの信頼と愛情は揺るぎないものへ…。

番組では、テーマソング(主題歌)「ありがとう」のピアノバージョンが披露された。
彼女は作曲家、ピアニストだ。
ちなみに、肩書は「女優・アーティスト」だった。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

                       ◇

「ゲゲゲの女房」が終わると、私は気が抜けてしまいそう。
毎日見られないが生活の張り、心の支えになってきた。
朝ドラに限らず、私が見たすべてのドラマのなかでもっとも印象に残っている。
私の半生の苦闘に通じるところが多く、胸に響いた。

大きな楽しみを失い、途方に暮れる人が大勢現れるのでなかろうか・・・。

◆書き加え1(9月17日)

株式会社水木プロダクションのマネジャー、村井光男(永岡佑)がくしゃみをした瞬間にぎっくり腰になった。
私は吹き出してしまった。

実は15年程前、深いソファーから立ちあがりかけた中腰の状態で大きなくしゃみをした。
直後、身動きがまったくできなくなった。
全身に激痛が走り、脂汗が流れた。
重いぎっくり腰だった。

記憶が曖昧になってきたが、1週間は寝たきり。
もちろんトイレに行けない。
また、手先にまで痛み(しびれ)が出た。
ハシを使えない。
パジャマのボタンをかけられない。
ホント、ひどかった。
確か、通常の生活に戻るのに半月近くを要した。

私は懐かしく(?)思い出した。

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水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
私があまり見られないうちに何年か経過していた。
長女・藍子(あいこ)は大学に進学し、二女(次女)・喜子(よしこ)は中学3年生になっていた。
かわいい子役二人が去った。
微妙な小学生(藍子)を演じた女の子は光った。

                       ◇

さて、株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)に異変が起こった。
あれほど殺到していた仕事がパタッと途絶えたのだ。
設立以来、最大の経営危機を迎えていた。
放っておけば倒産…。

アシスタント2名が去ったが、人員を補充する必要がなくなった。
しかし、水木しげる(村井茂。向井理)も妻(村井布美枝。松下奈緒)も、またすぐに忙しくなると思っていた。
切迫感がまるでない。

私は、彼らにしてそうした認識なのだと安心した。
人の子。
だれしも好調期には、それが当たり前になる。
好ましい状態が永久に続くと勘違いしやすい。

広い意味の作家は大変だなぁ。
歌手や俳優、タレント(芸能人)などはもっと。
華やかな人気商売ほど、生活が不安定だ。
彼らの大半は猛烈な嵐に幾度も見舞われる。
大衆は飽きやすく、すぐに関心や嗜好が移ろう。
それをつなぎとめるのは至難である。
また、当人もマンネリに陥りやすい。

私は人気商売でないので、仕事の極端な変動は経験していない。
なかでも急激な落ち込み。
水木しげるが感じたスランプとも無縁である。
それでも40歳までのプランナーもそれ以降の講師も本質的に個人商売であり、それなりに波があった。
潮の満ち引きのように、緩やかに仕事が増えたり減ったり…。

私は根が楽観的なせいか、3年も仕事が好調だと危機感を失ってしまう。
不調をきれいに忘れる。
人は、いいときにしか悪いときに備えられないというのに…。

水木家は再び「貧乏神」に取り付かれるのか?
二人の子どもはカネがかかる年頃だ。
夫婦がかつかつ食べていければいいというわけにいかない。
昔と異なり、身内を含めた社員も抱えている。
非常に大変だ。

水木家に“悪夢”がよみがえろうとしていた。

                      ◇◆◇

「人生山あり谷あり」に関するブログは以下のとおり。

私の半生の実感、「人生は谷ばかり」を綴った。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

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2010年9月公開講座

妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(村井茂。向井理)は原則として仕事を断らない。
来る日も来る日も締め切りとの戦いだ。
漫画家などの作家はもとより、広く創造に携わるフリーランスは似た状態に陥りやすい。
村井布美枝(松下奈緒)は、夫はやってもやっても仕事を終えられないと溜め息をついた。
体を案じると、水木しげるは鉄板並みに強いから大丈夫と取り合わない。
先の見えない極貧生活からやっと抜け出し、家庭を顧みる余裕がなかった。

プランナーだった私は軌道に乗ってからは仕事を選んで受けていたが、それでも水木しげるに負けないくらい多忙を極めた。
時間をかけるほど企画の品質が向上するため、ピリオドを打てないのだ。
実際には、ほぼできあがってしまうと、さらに踏ん張ったところでわずかしかよくならない。
だが、いくらかはよくなる。
これで十分ということがない職業である。
また、顧客(クライアント)の期待水準を超えてこそ、次の依頼が舞い込む。
売れっ子のフリーランスとて、どこかで失業の恐怖を抱えている。

江戸時代からの言い伝えでは、「妖怪いそがし」に取り付かれると、仕事ばかりやるハメになる。
水木しげるがそれだった。
そして、私も…。

水木しげるは自宅兼仕事場だったので、押し寄せる締め切りの嵐に家族を巻き込んだ。
布美枝は眠っていても気の休まる暇がなかったろう。
ドラマでは、仕事の片付かない夫に遠慮し、台所のテーブルによく突っ伏している。
しかし、どうせ朝まで仕事を続ける…。

一つ屋根の下に暮らしながら、布美枝は夫とろくに会話を交わせない。
普通の家庭の一家団欒や外出の機会がまるでなかった。
それが藍子(長女)と喜子(次女)の成長に影を落とした。
さらに、人気漫画家の娘ということで興味の的になっていた。
布美枝は小学生の藍子の心情にようやく気づいた。

私は結婚直後、フリーランスの駆け出しだった。
収入が微々たるもので、しかも不安定。
三鷹に小さな和室二部屋を間借りし、そこで仕事をこなした。
妻は外で働くことにストレスを感じるらしく、長女の出産を機に家庭に入りたいと言ってきた。
おのずと役割分担がはっきりした。
それまでは妻の収入を当てにしていたが、生活費は私が稼ぐしかなくなった。
覚悟が決まり、働き方が豹変した。
もっと驚いたのは妻だった。
狂気の頑張りを目の当たりにし、友人らに私が早死にするとよく言っていた。

私は、ふすま一枚を隔てた隣室で徹夜の連続になった。
食事は、アイデアを考えながらほんの数分間。
いつも神経が高ぶり、ピリピリしていた。
やがて仕事が増え、アシスタントに来てもらうように…。
すべてを締め切りに合わせるため、時間が滅茶苦茶になり、昼も夜もなくなった。
さながら戦場・・・。
体の決して強くない妻(前妻)が参ってしまった。

私は家族の生活を壊さないよう、都心に仕事場を構えた。
妻は混乱と喧騒から解放され、胸をなで下ろしたことだろう。
しかし、そうしたら私が自宅(三鷹)に戻れなくなった。
妻との同棲が長かったので、それはそれで寂しかった。
食事も弁当か至近距離の食堂やファーストフードで済ませるので、丼物やハンバーグ、カレー、チャーハン、ラーメンなど同じメニューの繰り返しになった。
めったに家族と顔を合わせられない。

…子どもが3人に増え、長女が小学校へ。
私は家族が離れて暮らす事態を打開しようと、住まいを移すことを持ちかけた。
実際、徒歩数分の賃貸マンションをいくつか当たった。
が、妻は東京のど真ん中で暮らすことをためらった。
三鷹と異なり、子育てにまったく向かない環境である。
東京女子大学の友人が周辺にいたこともあり、中央線沿線の西荻窪駅から東小金駅辺りの雰囲気を愛していた。
そして、何よりも仕事場の近くで暮らすことを嫌った。
あの頃の強烈な体験が妻の脳裏に焼き付けられ、それが消えなかったのだ。
互いを知り尽くしたうえでの結婚とはいえ、意思の疎通が滞りがちになった。

亡くなる直前、「お父さんの言うとおり、都心に引っ越せばよかった」とつぶやいた。
私は、この件が妻の心にずっと引っかかっていたことを知った。

共働きが今日ほど一般的でなかった。
そこにフリーランスという特殊な条件が加わり、妻に家庭のことを任せっ放しにした。
家事だけでなく子育ても…。
戦後の高度成長を牽引した会社人間もそうだったのかもしれない。
家族が食べていくことにエネルギーの大半を奪われた。

ゲゲゲの女房は他人事でない。
私は半生を振り返るとともに、家庭のあり方について考えさせられる。

                      ◇◆◇

「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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