Facebook(FB)の「友達」にはリアルの友人や知人が含まれる。
むしろ、こちらが基本になる。
しかも、相手により交流の度合いがマチマチ。
FBのウォールでは、ウェブ上の友達を含め、さまざまな人々とのやり取り(コミュニケーション)が混在する。

記事にコメントをいただくのはありがたい。
が、正直なところ、閉口し困惑することがある。

コメントを行う際にもっとも大事なのは、その言葉がどのような人(人々)に対し、どのような意図で発せられたかを考えることだ。
言葉(やり取り)の背景に対する「洞察力」と「イマジネーション」が不可欠である。

清水の舞台から飛び下りる力を持つのにためらっている知人がいれば、「飛び下りるべきだ」。
骨折や失命が避けられそうもないのに飛び下りようとする知人がいれば、「飛び下りていけない」。
私は、言うことが“逆”になる。
そうした事情を理解しようとせずに言葉の表面に反応し、杓子定規に自分の意見を書き込む。
とくに対応のしようがないのは、リアルの友人や知人とのやり取りに、それを解しようとしない人が無神経に割り込んできて、一方的な主張を押し付ける。
自分が正しいと思い込んでいる人に珍しくない。

                       ◇

そもそもFBの書き込み欄に記されているとおり、それは「近況」である。
「今なにしてる?」。
友人や知人に自分の様子や状況を知らせることが基本である。

こうしたFB(SNS)のメディア特性をわきまえない人がいて、頓珍漢なコメントを寄せてくる。
「忙しい」「疲れた」「つらい」「腹減った」…。
たわいない内容に、むきになって反応する。
他人の近況は評価、まして批判の対象でない。

用途は自由なので、自分の主張を掲載するなど、やりたい人はどんどんやったらいい。
おおいに結構。
読み応えがあり、ときに学べる。
が、他人もそうだと考えるのは間違い。
自分の尺度でしか周りを見られない人がいる。

かくいう私も近況を中心にしているが、ときに意見や信念など「考え」を述べることがある。

私は時間的にコメントを寄せることが難しい。
しかし、もし行うなら、ウォールの書き込みを見極めたうえでと考えている。

気の利いたコメントができる人は、かなりの力の持ち主だろう。

                       ◇

実は、ブログでも、講演(セミナー)でも、現実の会話でも、こうした経験をさんざん味わってきた。
人を理解しようとせずに言葉の表面、全体を理解しようとせずに断片にとらわれ、ヒステリックに反応する人が増えた。
コメントのレベルがあまりに低く、がっかりする。
ここにも戦後教育の弊害を見て取れる。

が、こうした現象は若い人に留まらない。
社会全体に及んでいる。

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