たまたまBS2にチャンネルを合わせたら、「日本のフォーク&ロック大全集」という、視聴者のリクエストに応えて昔のVTRを流すナマ番組をやっていた。
一部、生演奏も…。
私は音楽に興味が乏しく、したがって知識を持たない。
そのジャンルさえ、ろくに分かっていない。
歌手もメロディも歌詞も知らない私は、カラオケをやらないのでなく、やれない。
顧客とのつきあいが必須の“営業”としては失格といえる。
ただ、私にも「青春時代」はあったわけで、街をうろついていても、酒に溺れていても、音楽が流れてきた。
シャワーのように全身に降り注いだ。
さて、1951年(昭和26年)生まれの私が、音楽以前に存在自体に衝撃を受けたミュージシャンがいる。
過去最大のインパクト!
それは「荒井由実」という不可解なシンガーソングライター。
「こんな曲をつくってしまっていいのか。まして歌ってしまっていいのか・・・」。
勇気?
それとも、鈍感?
私は、荒井由実のあっけらかんとした図太さに仰天した。
当時、地方出身者がフォークを引っ張っていた。
「東京で一旗揚げる」。
「故郷に錦を飾る」。
そんな高揚した気分がまだいくらか残っていた。
実際には、若者が大学に入ったり仕事に就いたりするため、つまりサラリーマンになるため、続々と上京した。
都会に反発しながら、都会に吸い寄せられるという矛盾がせめぎ合っていた。
私は狭い意味の「団塊の世代(1947年〜1949年)」を2年外れている。
それでも高校までは1クラス50名くらいで、教室の後ろに空きスペースがなかった。
東大入試が中止になった翌年、私は明治大学に入学した。
明大前の泉キャンパスでは学生運動に冷ややかな視線が注がれ、ほどなく無関心の風が吹いた。
若者のエネルギーが新たなはけ口を求めた結果が、フォークの隆盛でなかったか・・・。
とはいえ、フォークは時代の空気を敏感に察知し、既成社会との「距離感」にこっけいなほどこだわっていた。
それが主張(メッセージ)となり、装い(ポーズ)となって、“かっこよさ”につながったのだから当然である。
どの歌手も「アイデンティティ」を打ち出そうと必死だった。
当時の規範や幸福観を拒む、極私的な楽曲まで現れる。
また、音楽を聞く側も、メッセージやポーズといった拠りどころを欲していた。
荒井由実の楽曲が耳に入ると、私は冷や冷やした。
「時代の空気が許さない…」。
居心地が悪いのでなく、居心地がない楽曲!
社会に収まり場所を見つけられない。
アルバイト先での同世代の雑談で、だれかが彼女の名前を出した。
しかし、一人も呼応せず、完全に無視されたことを覚えている。
私を含め、男は肝っ玉が小さい。
バカにされるのが怖いのだ。
荒井由実は存在がいまわしく、話題がはばかられた。
彼女は能天気なのか自信家なのか、イデオロギーに対して“無防備”であり、まるで気負いがなかった。
都会の思春期の子女のたわいない生活のシーンやエポックを、「絵日記」みたいに切り取っただけの音楽・・・。
荒井由実は、当時のいかなる異端よりも異端だった。
反社会でぶつかるにしろ、非社会で背を向けるにしろ、それは時代への思い入れがあればこそ。
戦後の高度成長により、国民の多くが経済的な豊かさを手に入れた。
都市部で中産階級が膨張する。
同時に、社会への関心が急速に失われていく。
力んだメッセージや気取ったポーズが敬遠されはじめた。
やがて荒井由実は大衆に支持され、時代の先端を疾走するように…。
文字どおり、音楽界の頂点にのぼり詰めた。
彼女は1976年、松任谷正隆と結ばれ、「松任谷由実」にあっさり変えてしまった。
世間に認知された荒井由実という名前を捨てることに、何の躊躇も未練もなかったのだろうか。
あまりの潔さに、私は愕然とした。
「恋人がサンタクロース」と歌ったのも彼女。
この頃から「彼氏や彼女がいないクリスマスはありえない」とされ、皆がイブに向けて仕込む風潮が生まれた。
また、真正の恋人同士なら、イブにホテルやマンションでエッチするルールが固まった。
若者のライフスタイルに、これほど大きな影響を与えた歌手はほかにいない。
なお、「明日へのヒント」で、松任谷由実の信じられない言葉(歌詞)を取りあげ、コメントを加えている。
⇒「和田創 明日へのヒント 第17号 松任谷由実」はこちら。
「日本のフォーク&ロック大全集」では、番組の終わりにリクエストが一番多かった楽曲が披露された。
吉田拓郎の「落陽」。
初めて聞いたなぁ…。
ちなみに、私が衝撃を覚えた歌手の順番。
荒井由実、美空ひばり、山下達郎。
知ったとき、いずれも容認できなかった。
私の体というか、生理が受け付けなかったのだ。
いまはどうかって?
恥ずかしいから言わない。
うふっ。
◇
きょうのブログは、2011年6月4日「松任谷由実の無防備、能天気なのか自信家なのか・・・」にいくらか手を加えたものである。
⇒2011年6月4日「松任谷由実の無防備、能天気なのか自信家なのか・・・」はこちら。
◇◆◇
クリスマスに関するブログは以下のとおり。
⇒2011年12月20日「名作CM…深津絵里JR東海クリスマス・エクスプレスの逢瀬」はこちら。
⇒2011年12月21日「山下達郎と竹内まりや…夫婦のクリスマス・イブの鳥肌」はこちら。
Copyright (c)2011 by Sou Wada
←応援、よろしく!
一部、生演奏も…。
私は音楽に興味が乏しく、したがって知識を持たない。
そのジャンルさえ、ろくに分かっていない。
歌手もメロディも歌詞も知らない私は、カラオケをやらないのでなく、やれない。
顧客とのつきあいが必須の“営業”としては失格といえる。
ただ、私にも「青春時代」はあったわけで、街をうろついていても、酒に溺れていても、音楽が流れてきた。
シャワーのように全身に降り注いだ。
さて、1951年(昭和26年)生まれの私が、音楽以前に存在自体に衝撃を受けたミュージシャンがいる。
過去最大のインパクト!
それは「荒井由実」という不可解なシンガーソングライター。
「こんな曲をつくってしまっていいのか。まして歌ってしまっていいのか・・・」。
勇気?
それとも、鈍感?
私は、荒井由実のあっけらかんとした図太さに仰天した。
当時、地方出身者がフォークを引っ張っていた。
「東京で一旗揚げる」。
「故郷に錦を飾る」。
そんな高揚した気分がまだいくらか残っていた。
実際には、若者が大学に入ったり仕事に就いたりするため、つまりサラリーマンになるため、続々と上京した。
都会に反発しながら、都会に吸い寄せられるという矛盾がせめぎ合っていた。
私は狭い意味の「団塊の世代(1947年〜1949年)」を2年外れている。
それでも高校までは1クラス50名くらいで、教室の後ろに空きスペースがなかった。
東大入試が中止になった翌年、私は明治大学に入学した。
明大前の泉キャンパスでは学生運動に冷ややかな視線が注がれ、ほどなく無関心の風が吹いた。
若者のエネルギーが新たなはけ口を求めた結果が、フォークの隆盛でなかったか・・・。
とはいえ、フォークは時代の空気を敏感に察知し、既成社会との「距離感」にこっけいなほどこだわっていた。
それが主張(メッセージ)となり、装い(ポーズ)となって、“かっこよさ”につながったのだから当然である。
どの歌手も「アイデンティティ」を打ち出そうと必死だった。
当時の規範や幸福観を拒む、極私的な楽曲まで現れる。
また、音楽を聞く側も、メッセージやポーズといった拠りどころを欲していた。
荒井由実の楽曲が耳に入ると、私は冷や冷やした。
「時代の空気が許さない…」。
居心地が悪いのでなく、居心地がない楽曲!
社会に収まり場所を見つけられない。
アルバイト先での同世代の雑談で、だれかが彼女の名前を出した。
しかし、一人も呼応せず、完全に無視されたことを覚えている。
私を含め、男は肝っ玉が小さい。
バカにされるのが怖いのだ。
荒井由実は存在がいまわしく、話題がはばかられた。
彼女は能天気なのか自信家なのか、イデオロギーに対して“無防備”であり、まるで気負いがなかった。
都会の思春期の子女のたわいない生活のシーンやエポックを、「絵日記」みたいに切り取っただけの音楽・・・。
荒井由実は、当時のいかなる異端よりも異端だった。
反社会でぶつかるにしろ、非社会で背を向けるにしろ、それは時代への思い入れがあればこそ。
戦後の高度成長により、国民の多くが経済的な豊かさを手に入れた。
都市部で中産階級が膨張する。
同時に、社会への関心が急速に失われていく。
力んだメッセージや気取ったポーズが敬遠されはじめた。
やがて荒井由実は大衆に支持され、時代の先端を疾走するように…。
文字どおり、音楽界の頂点にのぼり詰めた。
彼女は1976年、松任谷正隆と結ばれ、「松任谷由実」にあっさり変えてしまった。
世間に認知された荒井由実という名前を捨てることに、何の躊躇も未練もなかったのだろうか。
あまりの潔さに、私は愕然とした。
「恋人がサンタクロース」と歌ったのも彼女。
この頃から「彼氏や彼女がいないクリスマスはありえない」とされ、皆がイブに向けて仕込む風潮が生まれた。
また、真正の恋人同士なら、イブにホテルやマンションでエッチするルールが固まった。
若者のライフスタイルに、これほど大きな影響を与えた歌手はほかにいない。
なお、「明日へのヒント」で、松任谷由実の信じられない言葉(歌詞)を取りあげ、コメントを加えている。
⇒「和田創 明日へのヒント 第17号 松任谷由実」はこちら。
「日本のフォーク&ロック大全集」では、番組の終わりにリクエストが一番多かった楽曲が披露された。
吉田拓郎の「落陽」。
初めて聞いたなぁ…。
ちなみに、私が衝撃を覚えた歌手の順番。
荒井由実、美空ひばり、山下達郎。
知ったとき、いずれも容認できなかった。
私の体というか、生理が受け付けなかったのだ。
いまはどうかって?
恥ずかしいから言わない。
うふっ。
◇
きょうのブログは、2011年6月4日「松任谷由実の無防備、能天気なのか自信家なのか・・・」にいくらか手を加えたものである。
⇒2011年6月4日「松任谷由実の無防備、能天気なのか自信家なのか・・・」はこちら。
◇◆◇
クリスマスに関するブログは以下のとおり。
⇒2011年12月20日「名作CM…深津絵里JR東海クリスマス・エクスプレスの逢瀬」はこちら。
⇒2011年12月21日「山下達郎と竹内まりや…夫婦のクリスマス・イブの鳥肌」はこちら。
Copyright (c)2011 by Sou Wada
←応援、よろしく!