フィギュアスケート女子シングルの浅田真央。
2014年ソチ五輪シーズンの終了後、1年間の休養を取りました。
最初のうちは気ままに時間を使える楽しさに浸ることができました。
フィギュアスケート一筋の自分がそれまでに味わったことのない自由でした。
次第に引退へ傾いていき、そのメッセージを何度か書き直しました。
自らの公式サイトで2度、それを掲載する寸前だったようです。
ところが、そうした当たり前の暮らしに飽き、ものたりなさを感じはじめました。
スポーツに限らず、高い目標を掲げ、懸命に努力を続けてきた人はそうでしょう。
この間、引退か現役かで心が揺れ、会見で語った「ハーフ・ハーフ」は流行語にもなりました。
「まだできる」「もうできない」を行ったり来たりしていたのでしょう。
浅田真央はソチ五輪でコストナーが27歳で銅メダルを獲ったことも励みになりました。
結局、現役続行を決め、2018年平昌五輪への出場を目指すことを誓いました。
フィギュアスケートは選手としてのピークが20代前半か20歳前後なのかもしれません。
したがって、他の競技と単純な比較はできません。
しかし、レスリング女子では伊調馨や吉田沙保里が頑張っています。
さらに、スキージャンプ男子では葛西紀明が頑張っており、レジェンドと敬われています。
いずれも常識的な年齢をかなり超えています。
たいてい限界を設けるのは自分です。
なかでも年齢を理由にすることに、私は違和感を覚えます。
◇
・・・浅田真央は競技生活に戻りました。
気の毒にも、GPシリーズ第1戦の「中国杯」で優勝してしまいました。
これにより、ファンなどの周囲だけでなく自分自身に対する期待が高まりました。
しかし、ブランク明けにすぐに結果を出せるほど甘い世界でありません。
GPシリーズの「NHK杯」で3位に終わり、さらにGPファイナルで最下位の6位に沈みました。
浅田真央は昨年末の全日本フィギュアスケート選手権で再び引退か現役かで迷います。
出場を取りやめようと考えましたが、けじめをつけようと思い直して出場に踏み切った経緯があります。
そして、ショートプログラム(SP)で精彩を欠いて5位と大きく出遅れました。
その夜、姉の舞にフリースケーティング(FS)を観てほしいと伝えました。
引退を決意したからでした。
私は、選手が試合や競技の直後の興奮状態のなかで、重大な意思決定を行うべきでないと考えます。
浅田真央は結果に舞い上がったり、落ち込んだり、一喜一憂が激しすぎます。
私は、彼女の一番の課題は精神面だと思っていますが、その不安定さは依然として克服されていません。
浅田真央は「ファンの期待に応えたいけれど応えられない自分が悔しい」と語っています。
が、復帰後に苦戦が続くのは当たり前でしょう。
そうでなければ、地道な練習の継続はほとんど無意味になります。
浅田真央は進退をかけたFSで序盤にジャンプのミスを犯しましたが最後まで気持ちを切らさず、魂の演技を見せました。
フィニッシュ後の噛み締めるような表情に苦悩の深さが表れていました。
何とか巻き返して3位に食い込み、世界フィギュアスケート選手権の代表切符をつかみました。
そして7位入賞を果たし、翌シーズンの日本女子出場3枠の確保につなげました。
この結果が得られ、引退から現役に翻意しました。
浅田真央はやはり心の揺れがあまりに激しい。
◇◆◇
浅田真央に関するブログは以下のとおり。
⇒2016年10月11日「浅田真央はGPシリーズで落ち込む」はこちら。
⇒2016年10月10日「浅田真央は井の中の蛙・・・世代交代」はこちら。
⇒2016年10月9日「浅田真央、振り付けのアイデア」はこちら。
⇒2016年10月8日『浅田真央「リチュアルダンス」世界観の演じ分け』はこちら。
⇒2016年9月22日「浅田真央、ジャパンオープン回避と視聴率」はこちら。
⇒2015年12月28日「浅田真央は生きた心地がしない」はこちら。
⇒2015年12月27日「浅田真央は「魂」をなくしたのか」はこちら。
⇒2015年12月26日「浅田真央、最高難度の無謀と動揺」はこちら。
⇒2015年12月12日「浅田真央評価…努力は報われない」はこちら。
⇒2015年11月29日「浅田真央はあんなもの」はこちら。
⇒2015年10月10日「浅田真央、GPシリーズ2015へ」はこちら。
⇒2015年10月9日「浅田真央、現役続行の条件」はこちら。
⇒2015年10月7日「浅田真央はピョンと跳び、チャンと降りる」はこちら。
⇒2015年10月5日「浅田真央、勝負師の宿命」はこちら。
⇒2015年10月3日「浅田真央が帰ってきた」はこちら。
Copyright (c)2016 by Sou Wada
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2014年ソチ五輪シーズンの終了後、1年間の休養を取りました。
最初のうちは気ままに時間を使える楽しさに浸ることができました。
フィギュアスケート一筋の自分がそれまでに味わったことのない自由でした。
次第に引退へ傾いていき、そのメッセージを何度か書き直しました。
自らの公式サイトで2度、それを掲載する寸前だったようです。
ところが、そうした当たり前の暮らしに飽き、ものたりなさを感じはじめました。
スポーツに限らず、高い目標を掲げ、懸命に努力を続けてきた人はそうでしょう。
この間、引退か現役かで心が揺れ、会見で語った「ハーフ・ハーフ」は流行語にもなりました。
「まだできる」「もうできない」を行ったり来たりしていたのでしょう。
浅田真央はソチ五輪でコストナーが27歳で銅メダルを獲ったことも励みになりました。
結局、現役続行を決め、2018年平昌五輪への出場を目指すことを誓いました。
フィギュアスケートは選手としてのピークが20代前半か20歳前後なのかもしれません。
したがって、他の競技と単純な比較はできません。
しかし、レスリング女子では伊調馨や吉田沙保里が頑張っています。
さらに、スキージャンプ男子では葛西紀明が頑張っており、レジェンドと敬われています。
いずれも常識的な年齢をかなり超えています。
たいてい限界を設けるのは自分です。
なかでも年齢を理由にすることに、私は違和感を覚えます。
◇
・・・浅田真央は競技生活に戻りました。
気の毒にも、GPシリーズ第1戦の「中国杯」で優勝してしまいました。
これにより、ファンなどの周囲だけでなく自分自身に対する期待が高まりました。
しかし、ブランク明けにすぐに結果を出せるほど甘い世界でありません。
GPシリーズの「NHK杯」で3位に終わり、さらにGPファイナルで最下位の6位に沈みました。
浅田真央は昨年末の全日本フィギュアスケート選手権で再び引退か現役かで迷います。
出場を取りやめようと考えましたが、けじめをつけようと思い直して出場に踏み切った経緯があります。
そして、ショートプログラム(SP)で精彩を欠いて5位と大きく出遅れました。
その夜、姉の舞にフリースケーティング(FS)を観てほしいと伝えました。
引退を決意したからでした。
私は、選手が試合や競技の直後の興奮状態のなかで、重大な意思決定を行うべきでないと考えます。
浅田真央は結果に舞い上がったり、落ち込んだり、一喜一憂が激しすぎます。
私は、彼女の一番の課題は精神面だと思っていますが、その不安定さは依然として克服されていません。
浅田真央は「ファンの期待に応えたいけれど応えられない自分が悔しい」と語っています。
が、復帰後に苦戦が続くのは当たり前でしょう。
そうでなければ、地道な練習の継続はほとんど無意味になります。
浅田真央は進退をかけたFSで序盤にジャンプのミスを犯しましたが最後まで気持ちを切らさず、魂の演技を見せました。
フィニッシュ後の噛み締めるような表情に苦悩の深さが表れていました。
何とか巻き返して3位に食い込み、世界フィギュアスケート選手権の代表切符をつかみました。
そして7位入賞を果たし、翌シーズンの日本女子出場3枠の確保につなげました。
この結果が得られ、引退から現役に翻意しました。
浅田真央はやはり心の揺れがあまりに激しい。
◇◆◇
浅田真央に関するブログは以下のとおり。
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⇒2016年10月10日「浅田真央は井の中の蛙・・・世代交代」はこちら。
⇒2016年10月9日「浅田真央、振り付けのアイデア」はこちら。
⇒2016年10月8日『浅田真央「リチュアルダンス」世界観の演じ分け』はこちら。
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