コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

浅田舞

浅田真央が一番のライバルを明かす

対決の構図に世界が注目

浅田真央が年明けにTBS番組「バース・デイ 1時間スペシャル」に出演しました。
大晦日にやはりTBS番組「KYOKUGEN」に出演し、姉・浅田舞にこれまでの感謝の気持ちをスケートの演技で伝え、ファンの間で話題になっていました。

テレビ視聴率もそれなりに取らなければなりませんから、本人は曲やプログラム、衣装にかなりこだわったはずです。
スーパースターの浅田真央はファンの期待に懸命に応えようとしてきました。

キム・ヨナ(金妍児)の存在の大きさ

MCの東山紀之が浅田真央にキム・ヨナ(金妍児)の存在について尋ねています。
浅田真央は正直に「大きかったです」と語っています。
15歳頃からは「対決の構図」としてとらえられ、世界の注目が集まりました。

当時は「負けたくない」という気持ちのほうが断然強かったようですが、20代くらいからは「自分も頑張ろう」という思いが出てきました。

キム・ヨナがいまは滑っていないことに「残念だな」と感じているようです。
浅田真央はそれぞれに道、考え方があると言葉を補っています。

私自身は大舞台でひりひりする緊張感と闘いながら滑る選手を見るのが好きなので、アイスショーに関心が薄い。
しかし、キム・ヨナはバンクーバー五輪の金メダリストですので世界中で滑っていると思い込んでいました。

浅田真央は二人で滑る機会を望んでいます・・・。

「お姉ちゃんに勝ちたいと思っていた」

また、浅田真央は一番のライバルとして姉・浅田舞の名前を挙げました。
「お姉ちゃんにずっと勝ちたいと思っていた」と明かしました。
互いに小さい頃から練習に励んできましたので「負けたくない」という気持ちが強く働いたのでしょう。

学習成績(受験勉強)でもそうした切磋琢磨はあり、兄弟全員が競い合うように有名大学に合格している家庭は珍しくありません。
身近な存在に競争心や対抗心が芽生えます・・・。

真に闘うべきは自分のなかの弱い自分

東山紀之が語った「ライバルは自分のなかにいる弱い自分」に対し、浅田真央は即座に同意しています。

私は営業の教育指導にも当たっており、かつては営業の現役でもありました。
口癖のように「闘うべきはライバル(競合他社)でも、まして顧客でもない。営業活動の過酷な現実から逃げ出したがる弱い自分」と説いています。
営業成績は面談相手の財布の中身で決まりますので、決定権者(社長)への働きかけを求めていますが、低迷者や不振者は面談の申し入れさえ避けます。

浅田真央が現役引退を決断した理由

番組では「自分が楽しんで滑っていないと観客に伝わる」という趣旨の発言をしています。
このブログでも述べましたが、近年の浅田真央の演技からは楽しさが伝わってきませんでした。
本人が何よりも分かっているはずで、現役引退を決断した大きな理由かもしれません。

◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2017年1月16日「浅田真央は抱き合い、泣き合う」はこちら。

⇒2017年12月16日「浅田真央はどこへ向かおうとしているのか」はこちら。

⇒2017年10月18日「浅田真央に浮いた噂、フランス人の彼氏」はこちら。

⇒2017年10月17日「浅田真央に関するニュース」はこちら。

⇒2017年9月13日「美しき氷上の妖精 浅田真央展・・・衣装、スケート靴も」はこちら。

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浅田真央は抱き合い、泣き合う

浅田舞と仲よし姉妹

私は滅多にテレビを見ませんが、浅田真央がときどき登場しているようです。
フィギュアスケート界に留まらずスポーツ界のスーパーヒロインでしたから、マスコミが放っておきません。
キー局からさまざま企画が彼女のもとに持ち込まれていることでしょう。

感謝の気持ちを滑りに込める

浅田真央は引退後に全国を回り、ファンに感謝の気持ちを伝えています。
大晦日にTBS番組「KYOKUGEN」に出演し、一番身近な姉・浅田舞に「自分の気持ちをスケートで伝えたい」と生演技を披露しました。

自らプログラブ構成や衣装選びを行い、2か月前から練習を重ねました。
選曲は、歌詞に姉妹が歩んできた人生が投影されているとの理由でKiroroの「未来」でした。
Kiroroは沖縄から駆けつけて生歌唱を披露しました。

姉との間にあつれきが生じる

浅田真央がトップ選手に上り詰める過程で浅田舞との間に軋轢(あつれき)が生じました。
本人によれば、16歳から20歳まで関係が悪かったそうです。

互いに小さい頃からフィギュアスケートに打ち込んできたはずで、妹一人に注目が集まると姉は嫉妬も感じますし、置いていかれたという寂しさも感じるのは当然のことです。
姉の側はもちろん妹の側も接し方が難しかった・・・。

関係修復は母の他界がきっかけ

しかし、2011年11月に母が他界し、それをきっかけに仲よし姉妹に戻っています。

浅田真央は心を込め、浅田舞の顔をずっと見ながら滑っていたそうです。
脳裏には二人で頑張ってきた光景や表情などが思い浮かんだのでないでしょうか。

滑り終えて氷上で抱き合い、泣き合いました。
浅田舞は「未来は母が亡くなったときに聞いていた」と語り、この選曲にうれしいと涙を流しています。
姉妹の絆(きずな)はさらに強くなりました。

TBSは、最後に感謝の手紙を読むという大晦日の番組にふさわしい感動を演出しました。

2018年もファンに感謝の滑り

浅田真央はホノルルマラソンに出場して完走しました。
浅田舞はスケジュールをやり繰りして1泊で応援に駆けつけました。
このときも二人で抱き合い、泣き合いました。

浅田真央は2018年も各地でファンに感謝の滑りを見せます。

◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2017年12月16日「浅田真央はどこへ向かおうとしているのか」はこちら。

⇒2017年10月18日「浅田真央に浮いた噂、フランス人の彼氏」はこちら。

⇒2017年10月17日「浅田真央に関するニュース」はこちら。

⇒2017年9月13日「美しき氷上の妖精 浅田真央展・・・衣装、スケート靴も」はこちら。

⇒2017年7月3日「浅田真央は大事なときにかならず転ぶ」はこちら。

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浅田真央はどこへ向かおうとしているのか

今年4月に現役を引退したフィギュアスケート女子シングルの浅田真央の記事をまれに見かけます。
練習漬けだった青春時代を取り戻すかのように楽しんでいます。
同時に、これから向かう道を探っているようにも映ります。
人気者ですから多忙を極めているはずで、心と体のエネルギーを持て余しているということはないでしょう。

浅田真央はオリンピックの金メダルと縁がありませんでしたが、世界選手権とGPファイナルで計7度の優勝を収めています。
残した成績(記録)も立派ですが、それ以上に「記憶」に残るアスリートでした。
ちなみに、彼女に続くスーパースターが現れていないことは、主要大会のTV視聴率の低迷にはっきりと示されています。

その浅田真央がホノルルマラソンに出場しました。
現役生活の終盤に痛めた左膝は練習を開始した9月には問題がありませんでした。
ところが、11月に痛みがぶり返し、あまり練習を積めなかったそうです。
目標タイムの4時間30分に及びませんでしたが、4時間34分13秒で完走しました。
最後まで諦めない姿勢がファンの共感を呼んでいます。

浅田真央は2010年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した後、いまは亡き最愛の母を含む家族旅行でハワイを訪れました。
7年ぶりのこの地は思い出が詰まっていたのです。
しかも、レース前日の9日は母の命日だったそうです。
スケジュールをやり繰りして1泊で応援に駆けつけた姉・浅田舞と抱き合い、涙を浮かべています。
「きっと母も一緒に見ていたと思う」と語っています。

浅田真央は長く考え抜いたうえで引退した「現役」について未練はなさそうです。
フルマラソンへの初挑戦を終えたばかりなのに「ホノルルのゴールが次へ向けてのスタートになる」と先を見据えました。
私はその内容をまったく知りませんが、進行中の「プロジェクト」のことを指すのでしょうか。

ホノルルマラソンは、彼女のなかで何か一区切りをつけたくて参加したようにも受け取れます。



だいぶ前ですが、浅田真央が指導者への関心を明かしたことがあります。
「子どもが大好きなので、いずれは教えたい・・・」。
確かに子どもの指導はとてもよく似合いそうです。

すでに、12月のアイスショーに出演する姉の依頼を受けて「振付」を担当しています。
自分の引き出しを増やそうとしているのでしょう。

浅田真央はこれからも立ち止まらず、全力で人生を走りつづけます。
どこへ向かうのかは、走りながら定めていくはずです。
決め込んでいく過程そのものが大きな楽しみでしょう。

面白いのはきっと30代です。

◆書き加え(12月13日)

浅田真央が13日に大阪高島屋で開幕した「美しき氷上の妖精 浅田真央展」を訪れました。
その際に記者からロシアの出場停止について問われ、選手の立場で「皆が平等に出場できることを願っています」と語っています。
幼少期からオリンピックを目標にして厳しい練習を積んできた選手を思いやりました。

◆書き加え(12月15日)

浅田舞がアイスショー「クリスマスオンアイス2017」に出演し、浅田真央が振付を行った「All I Want for Christmas」を披露しました。
高橋大輔や村上佳菜子も出演しています。

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浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2017年10月18日「浅田真央に浮いた噂、フランス人の彼氏」はこちら。

⇒2017年10月17日「浅田真央に関するニュース」はこちら。

⇒2017年9月13日「美しき氷上の妖精 浅田真央展・・・衣装、スケート靴も」はこちら。

⇒2017年7月3日「浅田真央は大事なときにかならず転ぶ」はこちら。

⇒2017年5月8日「浅田真央、五輪金メダルは悲願のまま」はこちら。

⇒2017年4月24日「真央から舞依、真凜へ、マママの系譜」はこちら。

⇒2017年4月12日「浅田真央、現役引退のたった一つの理由」はこちら。

⇒2017年4月12日「浅田真央に国民栄誉賞を贈るべきか?」はこちら。

⇒2017年4月11日「浅田真央が現役引退・・・寂しいかぎり」はこちら。

⇒2017年3月30日「浅田真央が背負った期待は重圧どころか恐怖」はこちら。

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浅田真央が初詣で引いたおみくじ

フィギュアスケート女子シングルの浅田真央。

経験豊富、実績十分のベテラン選手といえども練習をやらないと勝てません。
が、練習をやったからといって勝てるわけでもありません。

真面目な人ほど、とくに自分を追い詰めやすい人ほど、練習にのめり込みたがる自分を適度に抑えることが不可欠となります。

浅田真央は世界フィギュアスケート選手権の代表を逃しました。
これは左ひざの痛みが悪化していた彼女にとり幸いでした。
2018年平昌五輪(オリンピック)のプレシーズンに無理を重ねる必要がなくなったのです。

その浅田真央は今シーズンの残りは国際B級大会などの試合に出ません。
私は来シーズンへ向けて心身ともに備えるのが最良だと思っていました。
いたずらにライバルと戦う意識を高めるのは賢明でありません。

⇒2016年10月10日「浅田真央は井の中の蛙・・・世代交代」はこちら。

浅田真央は年末年始に本格的なトレーニングを行わず、休養に当てたとか・・・。
正月には姉の浅田舞とくつろいだ時間を過ごしました。

私は浅田真央が浅田舞と「初詣」に出かけたかどうかを知りません。
スーパースターの彼女が現れれば人だかりができ、さらに混雑がひどくなります。
なかには感激のあまり、涙を流しながら彼女を拝むファンまで出てくるでしょう。

⇒2012年3月29日「浅田真央、半伽思惟像のほほえみ…世界フィギュア選手権」はこちら。

もしも浅田真央が初詣でおみくじを引いたとしたら、「中吉」や「小吉」だったのではないでしょうか。
「ちょっと休みなさい」といったニュアンスです。
ベテラン選手は周りに惑わされず、マイペースで調整を進めたらいいのです。

⇒2012年6月23日「浅田真央と弥勒菩薩、清楚な慈愛…心の平安への祈り」はこちら。

◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2017年1月8日「浅田真央は平昌五輪で勝とうとしている」はこちら。

⇒2017年1月6日「表現者・浅田真央としての新境地」はこちら。

⇒2017年1月3日「平昌代表へ、浅田真央の2017年が幕を開ける」はこちら。

⇒2016年12月27日「浅田真央惨敗・・・挑戦と無謀は違う」はこちら。

⇒2016年12月25日「浅田真央が勝てない理由・・・全日本フィギュア」はこちら。

⇒2016年12月23日「浅田真央が全日本フィギュア視聴率を救う」はこちら。

⇒2016年12月22日「浅田真央と宇野昌磨、二人の全日本フィギュア」はこちら。

⇒2016年12月22日「3回転を跳べない浅田真央は勝てるのか」はこちら。

⇒2016年12月20日「浅田真央は世界選手権代表へ・・・全日本選手権」はこちら。

⇒2016年12月18日「浅田真央を弾き飛ばす若手の勢い」はこちら。

⇒2016年12月15日「愛する浅田真央へ」はこちら。

⇒2016年11月18日「浅田真央ファンは指の隙間から全日本選手権を見る」はこちら。

⇒2016年11月15日「浅田真央に「頑張れ」は禁句・・・選手生命の危機」はこちら。

⇒2016年11月14日「浅田真央、全日本選手権での早まった決断」はこちら。

⇒2016年11月13日「浅田真央は世界選手権への代表切符を逃すのか」はこちら。

⇒2016年11月12日「浅田真央、いまは我慢するしかない」はこちら。

⇒2016年10月30日「浅田真央と佐藤信夫コーチの食い違い」はこちら。

⇒2016年10月28日「浅田真央は楽しむ気配が伝わってこない」はこちら。

⇒2016年10月26日「浅田真央はスタミナ切れ」はこちら。

⇒2016年10月23日「浅田真央はメンタルが弱いのか」はこちら。

⇒2016年10月22日「浅田真央と高梨沙羅の限界…五輪メンタル」はこちら。

⇒2016年10月21日「浅田真央は緊張に負け、重圧につぶれる…東大受験」はこちら。

⇒2016年10月13日「浅田真央は基本が分かっていない」はこちら。

⇒2016年10月12日「浅田真央、引退か現役かで心が揺れる」はこちら。

⇒2016年10月11日「浅田真央はGPシリーズで落ち込む」はこちら。

⇒2016年10月10日「浅田真央は井の中の蛙・・・世代交代」はこちら。

⇒2016年10月9日「浅田真央、振り付けのアイデア」はこちら。

⇒2016年10月8日『浅田真央「リチュアルダンス」世界観の演じ分け』はこちら。

⇒2016年9月22日「浅田真央、ジャパンオープン回避と視聴率」はこちら。

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浅田真央優勝、天上の母へ金メダルのクリスマスプレゼント

きのうのブログ「浅田真央、全日本選手権感動大賞(女子部門)決定!」に続いて・・・。

⇒2011年12月25日「浅田真央、全日本選手権感動大賞(女子部門)決定!」はこちら。

「全日本フィギュアスケート選手権2011」。
来年3月にフランス・ニースで開催される「世界フィギュアスケート選手権2012」の日本代表が選出された。
やはり、波乱は起こらなかった。
しかし、ドラマは生まれた。

男子シングルは、高橋大輔、小塚崇彦、羽生結弦。
女子シングルは、浅田真央、鈴木明子、村上佳菜子。

⇒2011年12月23日「浅田真央の調子…全日本フィギュア選手権5度目の優勝へ」はこちら。

また、第1回全日本選手権感動大賞は、男子部門が羽生結弦、女子部門が浅田真央に決定した。
選考委員長と選考委員は予算不足のため、不肖・和田創。
SPとフリーの演技を踏まえて選考する。
しかし、浅田真央については特例としてSPが終わった段階で彼女しかいないと固めた。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

羽生結弦は東日本大震災により未曾有の被害を受けた地元に大きな勇気を届けた。
彼は、長い四肢の伸びやかな動き、しなやかな滑り、情感豊かな表現が魅力だ。
そこにゆとりある4回転ジャンプが加わる。

⇒2011年12月25日「羽生結弦、気迫の表情、渾身の演技…全日本フリー最高得点!」はこちら。

浅田真央は天国の母・匡子さんに表彰台の頂点に立つ晴れやかな姿を届けた。
これ以上のものはないというクリスマスプレゼントになった。
最愛の母を亡くした悲しみを乗り越え、2年ぶり5度目の優勝で復活の一年を締め括った。

その母は自宅の隣の空き家を買い求めていたらしい。
浅田舞と浅田真央が将来結婚し、家族全員でくつろぐ場所がほしかったのかもしれない。
二人の娘に自分のすべてを捧げた人生だった。
ご冥福をお祈りする。

⇒2011年12月15日「浅田真央、全日本選手権2011出場…母・匡子さんへの供養」はこちら。

全日本選手権の出場選手と大会関係者の皆さま、お疲れさまでした。
大きな感動をありがとうございました・・・。

                       ◇

女子シングルのフリースケーティング(FS)が終わった。
浅田真央が1位、鈴木明子が2位、村上佳菜子が3位だった。

1位 浅田真央 184.07点
2位 鈴木明子 179.27点
3位 村上佳菜子 172.69点

                       ◇

SP3位の鈴木明子は冒頭のトリプルルッツを伸びやかに決めた。
安定感があり、美しい。
ダブルアクセルはシングルになったが、後にトリプルトゥループをつけた。
3連続を含めてループは2つとも決めた。
後半のルッツがシングルになった。
フリップは回りすぎ?
例のステップは軽やかだった。
滑り終え、残念そうな表情を隠さなかった。
固くなったのか、演技全体がやや重い印象…。

後半にジャンプミスが続き、得点を伸ばせなかった。
調子は下降気味だった。
SPは59.60、フリーは119.67、合計は179.27。
表彰台の頂点を意識して臨んだ今回、SPでは相当な緊張を感じたようだ。
フリーの得点は浅田真央を上回ったが、優勝は叶わなかった。

鈴木明子は涙も見せたが、この出来では仕方がないと気持ちを整理し、世界選手権での活躍を誓った。

⇒2011年12月4日「鈴木明子、フィギュア人生の仕上げ…摂食障害が彼女を強くした」はこちら。

                       ◇

SP2位の浅田真央は冒頭のダブルアクセルを決めた。
ゆとりがある。
続くトリプルフリップ−ダブルループを流れるように決めた。
トリプルルッツをきれいに決めた。
後半、ダブルアクセル−トリプルトゥループを決めた。
ここまではほぼ完璧…。
が、トリプルサルコウが2回転になった。
最後の得意のトリプルループが2回転になり、しかもバランスを崩した。
ステップは楽曲にふさわしく、しなやかだった。
例のスパイラルはホント、美しい。
滑り終え、両腕で体を包み込んだフィニッシュポーズのまま、しばらく天上(天井)の一点を見詰めていた。

そして、できることはやったとでもいうかのように、ふぅーと深い息を吐いた。
非常に感動的なシーンだった。
母への約束を果たし、自らの重圧を解いた。
おめでとう!!!

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

浅田真央の表情はおだやかでやわらかだった。
なみはやドームの会場全体がみるみる安どの空気に包まれていった。
皆がほっとしたのだ。
私は彼女の人気の大きさを改めて感じさせられた。

浅田真央はブランクの影響か、終わりのほうで疲れが出た。
調子としてはいま一つだったのはムリもない。
しかし、演技全体はとても落ち着いていた。
また、スケーティングはとても伸びやかだった。
SPは65.40、フリーは118.67、合計184.07。
結局、SPでスピードを抑え、慎重に滑る作戦が功を奏した。

浅田真央は「愛の夢」を笑顔で伸びやかに華やかに滑りたいと語っていた。
そのとおりの演技を見せた。
私は彼女の精神力の強さにただただ感服するしかない。
また、普段の地道な努力の積み重ねがあればこそ…。
演技を終えた浅田真央を見守る佐藤信夫コーチは懸命に涙をこらえているようだった。
私は好々爺の様子にぐっときた・・・。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

浅田真央は練習ではトリプルアクセルを4回のうち3回決めた。
しかし、本番では避けた。
試合のたびにジャンプ全体の安定度が増している。
私としては、来年3月の世界選手権で頂点に立つために取っておくといった気持ちでいいと思っていた(実は、再来年の世界選手権でいいと考えている)。
ソチオリンピックまで間があり、トリプルアクセルを外して勝つ得点構成を追い求めてほしい。
そこに、彼女の得意技を加えるなら敵なしだ。

浅田真央は競技後の記者会見で「一番近くにいるような感じで、何も報告しなくても分かっていると思う」と語った。
母に最高の色のメダルを持ち帰った。

⇒2011年12月24日「浅田真央、明るい受け答え…笑顔に隠す深い悲しみ」はこちら。

                       ◇

SP1位の村上佳菜子は冒頭のトリプルルッツをきれいに決めた。
続くトリプルループは1回転に抜けた。
自分に呪文をかけるので、前日に苦手と口にすべきでない。
トリプルフリップを決めた。
後半のトリプルループからダブルアクセルを決めた。
続くトリプルフリップは両足着氷になり、ダブルアクセルにつなげられなかった。
トリプルトゥループを決めた。
が、ステップで転倒した。
これは気の毒だった。
最後の3連続ジャンプは決めた。
滑り終え、泣き出しそうな顔…。
あるいは、自分の不甲斐なさに呆れているのか。

SP1位で迎えたフリー、しかも最終滑走が影響したのだろう。
鈴木明子と浅田真央の得点は高くなかったが、それでもプレッシャーになった。
演技開始時はもちろん直前練習時、非常に緊張した面持ちだった。
SPは65.56、フリーは107.13、合計172.69。
ノドがからからだったのでないか。

確かに転倒は不運だったが、それも緊張が影響している。
「頭が真っ白になっちゃいました。どこから始めればいいか分からなかった」と振り返った。
昨季と同じ銅メダルに終わった。
しかし、序盤の不調から立ち直り、笑みを浮かべた。

私は村上佳菜子のSPの滑りに成長を感じて驚くとともに、表現を含めた演技に感動を覚えた。
天性のショーマンシップを備えており、会場を巻き込むことができる。
が、緊張に非常にもろい。
世界の大舞台で戦ううえで課題となる。

村上佳菜子は結果として、尊敬する先輩の逆転優勝を引き立てる役回りになった。
今回はよしとしよう。
来季は金メダルをつかめ。

⇒2011年11月18日「村上佳菜子と山田満知子コーチ、ソチ五輪への本気」はこちら。

                       ◇

本大会で天才少女がシニアデビューを果たした。
13歳の宮原知子。
SPで緊張のあまり実力を発揮できなかったが、それがほぐれたフリーで完璧な演技を行い、潜在能力の高さを示した。
最初にトリプルルッツ−トリプルトゥループを決めた。
続いてトリプルループ、トリプルフリップ、トリプルサルコウを決めた。
後半にダブルアクセル−トリプルトゥループを決めた。
トリプルルッツからの3連続ジャンプを決めた。
高難度ジャンプをまったく苦にしない。

観客はスタンディング・オベーションで宮原知子を称えた。
SPは47.06、フリーは116.79、合計は163.85。
15位から6位へ。
フリーの得点は村上佳奈子が107.13、浅田真央が118.67、鈴木明子が119.67。
メダリストと遜色がない。

宮原知子はこれから体の成長期を迎えるので未知数だが、村上佳菜子の次世代のホープになるかもしれない。
女子シングルの新鋭、いや新星である。

きょうはエキシビション「All Japan メダリスト・オン・アイス」が行われる。

◆フジテレビ系列での放送予定は以下のとおり(確認のこと)。

◇12月26日(月) 19時〜20時54分 エキシビション(EX)
All Japan メダリスト・オン・アイス

                      ◇◆◇

羽生結弦に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月25日「羽生結弦、気迫の表情、渾身の演技…全日本フリー最高得点!」はこちら。

⇒2011年12月23日「羽生結弦は強気…高橋大輔と小塚崇彦を制し全日本初優勝へ」はこちら。

⇒2011年12月13日「羽生結弦トップ3波乱…全日本フィギュア選手権表彰台へ」はこちら。

⇒2011年11月27日「羽生結弦、小塚崇彦先輩を置いていく…GPファイナル2011」はこちら。

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月25日「浅田真央、全日本選手権感動大賞(女子部門)決定!」はこちら。

⇒2011年12月24日「浅田真央、明るい受け答え…笑顔に隠す深い悲しみ」はこちら。

⇒2011年12月23日「浅田真央の調子…全日本フィギュア選手権5度目の優勝へ」はこちら。

⇒2011年12月15日「浅田真央、全日本選手権2011出場…母・匡子さんへの供養」はこちら。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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浅田真央、全日本選手権2011出場…母・匡子さんへの供養

きのうのブログ「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」に続いて・・・。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

このブログの記事はたいてい書き溜めである。
先日、浅田真央に関して動きがあった。

浅田舞・真央が所属するマネジメント会社IMGは、姉妹の母・匡子さんの葬儀が名古屋市内で近親者のみで執り行われたこと、二人が年末年始の活動を予定どおり行うことを発表した。

浅田真央は12月23日開幕の「全日本フィギュアスケート選手権2011」に出場する。

私は驚いた。
浅田真央は練習に集中するどころか、その時間を確保することもままならない状態と推察されるからだ。
しかし、佐藤信夫コーチと相談しつつ、2年ぶり5回目の優勝を目指して地元で練習を再開する。
年明けのアイスショーにも出演する。

本人もマネジメント会社を通じてコメントを発表した。
グランプリファイナルの欠場により関係者やファンに迷惑と心配をかけたことを詫びた。
このところ名古屋を離れるときにはこれが最期になるかもしれないと思っていた。
母はぎりぎりの闘病生活を続けており、浅田真央は覚悟ができていたようだ。

                       ◇

GPファイナルのフリーから一夜明けた高橋大輔は、「僕たちは何もしてあげることができないけど、温かく見守ってあげたい」と、最愛の母を亡くした浅田真央を気づかった。
そのうえで、「絶対にまた試合に出てほしい。スケート好きのお母さんもそれを望んでいると思う。僕も浅田選手のスケートを見たい」と話した。

さらに、「次に会ったときにどうしてあげればいいのか考えてしまう。みんなで一緒にいて忘れているほうがいいのかもしれない」と、なるべく浅田真央の近くにいて心の支えになりたいと語った。
高橋大輔はやさしくあたたかい。

浅田真央は大会に出場することが母への一番の供養になると考えている。
悲しみを乗り越えてリンクに立つ姿を天国の母にどうしても見せたいのだ。
凄まじい気迫である。

浅田真央が5歳でスケートを始めてから練習や試合に付き添ってきた母。
バンクーバーオリンピックで銀メダルに終わり、浅田真央は2014年ソチオリンピックで金メダルに輝きたいと、佐藤信夫コーチのもとで再スタートを切った。
これまでの競技人生を命がけで支えてくれた母の魂を感じながら全日本選手権で滑る決意を固めた。

私としては、浅田真央に心身をいたわる時間を取ってもらいたかった。

                      ◇◆◇

浅田真央が12月12日に発表したコメントは以下のとおり。
660字に母への思いが綴られている。

                        ◇

応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへ

この度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。

最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。

帰る飛行機の中では、色々な事を考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。

しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。

それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。

でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。

この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。

私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。

生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。

皆さん、今後とも応援よろしくお願いします。

                   浅田真央

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出

私は、久し振りに好調な浅田真央の演技を見られると、非常に楽しみにしていた。
フィギュアスケートグランプリファイナル2011に出場した日本勢3選手はむろん健闘した。
高橋大輔と鈴木明子が銀メダル、羽生結弦が僅差の4位。
しかし、スーパースターの突然の不在は喪失感が大きかった。

浅田真央は名古屋市内の病院に直行したが、母・匡子さんはすでに息を引き取っていた。
最期を看取ることができなかった。
無念だったろう・・・。

浅田舞と浅田真央の姉妹。
フィギュア選手としての成長を支えようと、母はスケートを学び、もっとも身近なコーチとして寄り添った。
浅田真央が小学2年生のとき、母は体調を崩して入院した。
もともと丈夫でなかった。
当時、浅田真央が「スケートを頑張るから、早く良くなってね」と書いた手紙を母は宝物として持っていた。

浅田真央は母を煩わせるわけにいかないと、自立を心がけた。
昨季直前から佐藤信夫コーチの指導を仰ぎ、新幹線で新横浜まで一人で練習に通った。
母の送迎に頼らなくてすむように、今夏に運転免許を取って中京大学に通っている。
炊事も始めた・・・。

浅田真央は、世界フィギュア選手権2011モスクワ大会に気の毒なほどやせた状態で臨んだ。
すでに過酷な闘病生活を送っていた母を案じた心労も大きく影響したようだ。
そうした事情をまるで知らない私はウエイトコントロールの失敗が原因だと考えていた。
浅田真央は公開のインタビューや番組でそれを表情にも言葉にも表さなかった。
敬服に値する。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

私がほっとしているのは、滑りの矯正中だったとはいえ、昨季のどん底から脱し、GPシリーズNHK杯2位、ロシア杯1位、そして3季ぶりのGPファイナル進出の朗報を届けられたことだ。
2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)へ向けて進化する姿を見せられた。
母も少し安心したのでないか・・・。

                       ◇

来年3月開催の世界フィギュア選手権2012フランス大会への代表最終選考会を兼ねた全日本フィギュア選手権2011が12月23日から行われる。
浅田真央は欠場することになるかもしれない。

結婚後のほとんどすべての時間を娘の競技人生の成功に注ぎ込んだ母。
むろん、その母は浅田真央が全日本選手権に出場して優勝することをだれよりも望んでいる。

しかし、フィギュアスケートはメンタル面が出来を大きく左右する。
もしも気持ちの整理がつかないなら、遠慮なく全日本選手権を辞退したほうがよい。
心はいくらか落ち着きを取り戻したとしても、葬儀の後もさまざまな用事があり、練習に集中することは望めない。

浅田真央は実績からいって世界選手権への出場が約束されるのでないか。
日本のフィギュアスケートの人気の興隆にこれほど貢献した選手はいない。
私は日本スケート連盟の好意に甘えるのもよいと思う。
伊東秀仁フィギュア委員長が記者に対し、特例で選出する可能性を口にした。

浅田真央はGPシリーズからGPファイナルにかけ、調子が明らかに上向きだった。
私が懸念するのは、最悪のコンディションで全日本選手権に出場し、悪い結果で終わることだ。
そうなると、世界選手権の代表に彼女を選考しにくく、話がややこしくなる。

なお、来年の世界選手権の日本女子は3枠。
選考基準は、GPファイナルの日本勢上位3人、全日本選手権の3位以内、世界ランキングの日本勢上位3人。
いずれかを満たす選手という曖昧な表現ながら、全日本選手権の出場を必須としている。
ただし、過去の世界選手権で6位以内に入った選手に限り、ケガなどで条件を満たさなくても選考の対象に加えることがあると定めている。

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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浅田真央、母・匡子さんの願い「娘よ、悲しみを乗り越えて…」

カナダ・ケベックで開催されるフィギュアスケートグランプリファイナル2011(GPファイナル2011)。
私は3季ぶりに進出した浅田真央の演技を楽しみにしていた。
このブログで幾度も取り上げている。

浅田真央は滑りの矯正中でどん底だった昨季の状態から抜け出し、復調の兆しがはっきりと見えていた。
スケーティングが格段によくなり、それにともないジャンプも安定度が徐々に増していた。
本人も期するところが非常に大きかったと思われる。

                       ◇

ところが、現地での初の公式練習後に母・匡子(きょうこ)さんが危篤という知らせを受け、佐藤信夫コーチとともに急きょ帰国の途に就いた。

9日早朝、母親は肝硬変のため、名古屋市内の病院で亡くなった。
今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していた。
48歳の若さだった。
せめてもう数年、娘に連れ添っていたかったことだろう。

浅田真央は気の毒なことに、最期に間に合わなかった。
ひとことでもいいから、言葉を交わせられたなら・・・。

母・匡子さんは最大の理解者として、長女・舞と次女・真央のスケート姉妹の競技生活を後押しした。
始まりは、舞が7歳、真央が5歳のときのスケート教室。
母は自身のバレエ経験も生かし、アドバイスを与えることがあった。
そして、名高い山田満知子コーチに頭を下げ、トップ選手へ育つ道筋を切り拓いた。

浅田真央は2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)で宿命のライバル、韓国のキム・ヨナに敗れた。
母は、悔し涙が止まらない娘に「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていてはダメ」と諭した。
浅田真央は、真っ先にだれに銀メダルを見せたいかと問われ、「お母さんです」と答えた。
いつも「ママ」と呼んでいる?

母・匡子さんは、娘の幼少期からわりと最近まで、ほとんど付きっきりだった。
スケート場で練習する娘を毎日のようにクルマで送迎していた。
浅田真央がオフに自動車教習所に通って免許を取ったのは、母親に頼れないという決意からだった。

熱しすぎる母に、成長した浅田真央が反発した時期があった。
また、試合の本番だけは会場に来させなかった。

バンクーバーオリンピック後、母親のほうが燃え尽きてしまったようだ。
もともと体が丈夫でなかったらしい。
昨季の全日本フィギュアスケート選手権に娘のマッサージ師(?)として現れた。
それ以来、人前に姿を見せなくなっていた。

母親は特別な存在だ。
二人の絆は非常に強い。
匡子さんがいなければ、おそらくフィギュアスケーター・浅田真央は生まれなかった。
ご冥福をお祈りする。

                      ◇◆◇

・・・浅田真央がGPファイナルの出場を取りやめるのはよくよくのことでないか。
私はそう考えていた。
なぜなら、娘のスケート人生を献身的にサポートしてきた母・匡子さんがそれを望むはずがない。

浅田真央はカナダを発つ前、周囲に気丈に振る舞っていたという。
覚悟ができていたのかもしれない・・・。

私は若いときに前妻を全身がんで亡くしている。
3人の子どもがいた。
逝く親の気持ちも、残される子の気持ちも、いくらか分かる。

今年も命日の12月14日が近づいてきた。
大学病院から呼び出され、担当医師から余命3カ月と宣告されたのが9月14日である。
しかし、前妻は頑張った。
正月は自宅で過ごしていいという許可が出た。
妻は、入院後に引っ越した渋谷・松涛の自宅(マンション)を知らない。
家族の暮らしぶりを案じていた妻にそれを見せることができると、私はちょっぴりほっとしていた。
娘と早目のクリスマス・ツリーを病室に届けたら喜んでくれた。
そのわずか数日後だった。

私はいまの妻と再婚した。
だいぶ時間が経ってから、誕生日が12月14日と知り、跳びあがるくらい驚いた。

                      ◇◆◇

浅田真央と浅田匡子。
娘は母と二人三脚でここまで歩んできた。
ショックは大きく深い。

が、浅田真央はかならず悲しみを乗り越える。
それは母親がもっとも願っていることだ。
もちろん、彼女を支えてきた多くの関係者、さらに大勢のファンも・・・。

昨季直前から浅田真央を預かった佐藤信夫コーチは訃報に、「一日も早く乗り越えて立ち直り、お母さまの情熱、遺志を継いでほしい」と静かに語った。

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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