コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

港北ニュータウン

白河中華そば…普通においしい素朴な味

私は先だって、教育指導の長期出張から久しぶりに自宅に戻った。
連日の酷暑のなか、立ちっ放し、しゃべりっ放しに加え、各地を転々・・・。
無性に、しょっぱくてつゆっぽいラーメンが食べたくなった。

そして、家族で初めて訪れたのが港北ニュータウンの「白河中華そば」だった。
会津若松出身の妻に「福島県白河市」の「白河」だと教えられた。
当地の「とら食堂」一門であり、東京圏進出1号店らしい。

「白河中華そば」は立地が悪い。
横浜市営地下鉄ブルーライン・仲町台駅から10分ほど歩いた住宅街の一角にある。
遠いうえに分かりづらい。
が、妻によれば、行列ができる。
長い間、港北ニュータウンでトップクラスの人気を保ってきた。
店構えはお世辞にも立派といえず、店内はテーブル席なしのカウンター席。

味は、あっさり系の2種類である。
「中華そば」は鶏がらだし。
「支那そば」はそれに魚介だしがブレンドされる。
客は先にいずれかを選ぶ。
「白河中華そば」という店名からも、初回は「中華そば」にするのが無難か。

スープは、きれいに透き通っている。
が、うまみがちゃんと出ている。
また、醤油の風味がよく利いている。
このスープは飲み干しても、あとで喉が渇かない。

麺は、手打ちである。
平打ち、太めの縮れ麺。
やはり福島の喜多方ラーメンとつながりを感じる。
もちもちとした食感で、食べているうちに延びてもあまり気にならない。
自家製麺とスープが絡まり合う。

「ざる」と呼ぶ、つけ麺タイプもある。

さて、子はオールトッピングの「白河スペシャル」。
味は「支那そば」を選んだ。
2種類のチャーシューがうまいとのこと。
炭焼きだろう。
メンマを含め、具材は薄めの味付け。
子は巨大なラーメンどんぶりをぺろりと平らげた。
が、スープはさすがにいくらか残した。

妻は当然「会津スペシャル」と思ったが、つけ麺でないほうがいいと「中華そば」。
私は「支那そば」。
二人とも懐かしさを楽しむように完食。

「白河中華そば」は、つくり手の主張を押しつけない、普通においしい「中華そば」と「支那そば」だった。
いたって素朴な味である。
女性や高齢者にもやさしく、とても食べやすい。
実際、当日は多かった。

続きは、あすのブログ「個性の強いラーメンは飽きやすい」にて・・・。

                      ◇◆◇

港北ニュータウンと横浜のラーメン店に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年11月15日「青森煮干しラーメンがうまい…センター北あいたい」はこちら。

⇒2010年11月17日「富山ブラック2年連続日本一…東京ラーメンショー」はこちら。

⇒2010年11月5日「富山ブラック麺家いろは…東京ラーメンショー」はこちら。

⇒2009年9月19日「老麺魂…港北一押しラーメン店」はこちら。

⇒2008年12月31日「佐野実『支那そばや』の一途」はこちら。

⇒2008年5月5日「支那そばやと刺身定食」はこちら。

⇒2008年4月30日「老麺魂、くじら軒」はこちら。

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誕生日のプレゼント…勉強嫌いの61歳

私はGW以降、家を長く留守にすることが多い。
父の日も誕生日も不在だったので、まったく忘れていた。
それを思い出させてくれたのは、中学3年生の子どもだった。

父の日に「エビスビール」や「サントリー ザ・プレミアム・モルツ」などのロング缶6本をプレゼントしてくれた。
誕生日に港北ニュータウンのケーキ屋「RER」のタルトなどをプレゼントしてくれた。
実際は自宅に戻った日に・・・。

⇒2012年5月8日「RERのケーキが一番おいしい…港北ニュータウン」はこちら。

ケーキはともかく、ビールはそれなりの出費になる。
子どもに最低限のこづかいしか渡していないが、少しずつ残して貯めたようだ。
計画性を欠く私には驚きだ。
こづかいはいくらあっても足りない年頃なのに・・・。

子どもは小学5年生くらいから勉強に打ち込みはじめた。
おそらく平日は4〜8時間、休日は8〜16時間。
勉強以外はしない日が長期間続くことがある。
1年を通じて朝が非常に早くて正確であり、登校前にかなりの勉強を済ませている。
しかも自力で起きる。
意志が恐ろしく強い。

私自身は勉強にきわめて不熱心だった。
明治大学も5年中退である。
子どもは妻の血を引いているのかもしれない。
妻は母親に育てられ、家が極貧だった。
大学へ進めなかった無念の思いを50歳近くになっても引きずっている。

私は子どもが勉強ばかりしていることが気になり、ブレーキをかけようとしてきた。
幼少期から青年期まで遊びが第一という思いが強い。
大人になったら、まして結婚に踏み切ったら、家族を食べさせるのに精一杯になる。
私は狂ったように働いたが、それでも5人の食い扶持に追いつかなかった。
どうかいまのうちに遊んでほしい。

ところが、本人は勉強が好きで楽しいと言う。
そう返されると、無理にやめさせるわけにいかない。
子どもは私の理解が及ばないところにいる。
確かに、勉強時の凄まじい集中力はそれを裏付ける。

私にとり勉強は退屈そのものだ。
すぐに飽きてしまい、長く続けられない。
私はせめて行動(仕事)を通じて学びを得たいと頑張ってきた。

あっという間に61歳を迎えていた。

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アメショーの火葬・納骨を行う…ペットは家族の一員

わが家のアメリカンショートヘア「チビ(♂)」が7月22日、金曜日朝6時半頃、妻のベッドで力尽きた。
チビ1997年2月16日生まれ。
14年5カ月強、生きた。
性格は至って穏やか。
犬みたいに人懐こい、ちょっと変わった猫だった。
人間に対する警戒心がまったくなく、初対面でもいきなり打ち解ける。
訪問客が戸惑うくらい・・・。

チビは立派な血統証明書付きのブラックスモーク。
毛が細かく柔らかく、全身真っ黒。
強い直射日光が当たったとき、アメリカンショートヘア特有の模様がいくらか浮かび上がる。
うちで飼った猫のなかでは一番高価だった。
渋谷・松涛の賃貸マンションに暮らしていた頃、信頼の置けるペットショップにわざわざブラックスモークと指定して探してもらった。
毛並みがいかにも高級だったが、足と尻尾が極端に短い。
どこかユーモラス。

チビは生後40日程で買ったときに小さかったのでチビ。
幼い猫という意味であり、他と比べて小さいということでない。
また、洋画に登場する黒人のチビッコギャングみたいな顔立ちだったことも名づけの理由。
すぐに、わりと大きく育った。

やがて、わが家は横浜・港北ニュータウンに引っ越してきた。
7〜8歳の頃だったか、チビは具合が悪くなり、妻が動物病院に連れていった。
そして、肥大化した脾臓の緊急手術を勧められた。
開腹したら爆発寸前の状態で手術を施せず、同時に風船のように膨らみ、何とか腹を縫い合わせた。
獣医はさじを投げた。
だが、諦められない妻は、ガンなどによく効くとされる高価な水を与えつづけ、チビは一命を取り留めた。
後日、獣医がどうしても信じられないと首を傾げた。
いつしか脾臓は周囲の内臓に取り込まれたのか、フィルム(?)上で消えていた。
とはいえ、チビは重病だったので体調が完全に戻ることはなかった。

しかし、それなりに元気に生きていた。
2年程前だったか、妻はチビが飲む水の量が急に増えたことを不審に思った。
動物病院で腎不全と判明し、寿命が短いと診断された。
妻がずっと気にかけてきた。
こまめな世話を決して怠らなかった。
が、6月下旬、容体が急変した。
私は一晩持てばと思った。

しかし、妻が付きっ切りで面倒を見た。
1日中自分のそばに置き、スプーンで幾度も流動食を与え、しばしば水分を取らせ、ときどきトイレに連れていく。
1カ月近くずっと看病・・・。
妻がグロッキー。
私はチビもつらいのでないかと思い、妻に安楽死を勧めた。
が、それを決めるのはもちろん私でない。
だれよりも深い愛情を注いできた人間だと考えていた。
妻は、チビは生きようと頑張っており、命が尽きるまで生きてほしいと言った。
ならば、私が口を挟むべきでない。

チビ2チビはこの1カ月弱の闘病期間、たいてい横たわっていた。
幾度か人間のボケに近い状態になった。
ほとんど歩けないはずなのに、よたよたしながら部屋や廊下を歩き回った。
徘徊に当たる。
また、幻覚や幻聴だったのだろう、驚いた表情で目を開け、空中の一点をずっと見ていた。
こうしたときは、家族が話しかけても聞こえないみたいだった。

チビはもうダメかなと思うとわずかに回復するという繰り返しだった。

死ぬ2〜3日前から水さえ取れなくなった。
流動食はまったく・・・。
妻もさすがに観念した。
限界の闘病生活でやせ細り汚れきった全身を優しく拭いてやり、きれいにしてやった。

チビは毎日かならず妻のベッドで眠った。
布団のなか、そして妻の頭や顔、体に張り付くように…。
妻は暑い暑いと、満更でもなさそうだった。
猫の体温は高い。

金曜日朝6時半頃、チビは妻に付き添われ、見守られて息を引き取った。
何という幸せ者。
最後まで懸命に生きた。
私はチビを褒めてやりたい。

                       ◇

ところで、チビと一緒に暮らしていたのが、アメリカンショートヘア「キイ(♀)」である。
シルバータビー。
こちらは横浜・港北ニュータウンのペットショップで購入した。
2005年3月14日生まれ。
キイは若くて活発であり、チビが反撃しないのをいいことによく襲いかかった。
チビがいくらか元気なときは、まれに本気で怒った。

しかし、チビが明らかに衰弱し、生命がぎりぎりになってから、キイは急に静かになった。
チビとともに妻の部屋で暮らし、妻のベッドで眠っていたのに、廊下、そして玄関や洗面所の前に独りいる時間が長くなった。
元気も失った。
チビと妻に遠慮しているようだった。

私の部屋(書斎)で暮らすアメリカンショートヘア「フウ(♀)」。
チビの約7カ月後、1997年9月11日生まれ。
まもなく14歳を迎える。
ブラックスモークに近い。
生活のリズムがチビやキイと異なり、なかでも食事がごく少量で非常に高頻度なため、一緒に置いておけない。

幸い、わが家は二世帯用の広いマンションであり、チビとキイは妻と子どもがいる母屋(?)に暮らし、フウは私がいる離れ(?)に暮らす。
生活のエリアは区切られているが、曇りガラスの玄関ドアを挟んで、チビの異変を何となく感じているようだった。
この子は心が優しく、しかも繊細・敏感である。

私は講演やセミナー、研修などで長期出張が珍しくない。
この間、書斎(部屋)に閉じ込めておくのはかわいそうなので、妻がときどきフウを行き来させてやっていた。
フウは穏やかなチビと気が合った。

闘病期間、これが見納めと思い、私はフウを抱いてチビのもとに連れていったことが2度程ある。
しかし、フウはすぐに離れた。
何か耐えられないといった様子だった。

チビが死んだ後の日曜日(きのう)、フウが行き来できるように曇りガラスの玄関ドアをしばらく開放していたが、大好きな妻の部屋へ行こうとしない。
私が抱いて連れていくと、フウはきょろきょろして落ち着かない。
あぁ、懸命にチビを探しているのだ。
私はフウにショックを与えていけないと思った。
臭いが残っており、頭のいいフウはチビを覚えている・・・。
気の毒なことをした。

残ったフウはいまのところ病気一つ見つからない。
高齢だが、1日でも長く生きてほしい。

チビの火葬は金曜日、納骨は土曜日。
妻と子どもがきちんとやってくれた。

ペットは家族の一員。
わが家では横浜・港北ニュータウンにささやかなペットの墓を構えている。
アメリカンショートヘアのモモ(シルバータビー♀)とクロ(ブラックスモーク♂)、トラ(ブラウンタビー♂)が眠り、そこにチビが加わった。
4匹はあの世で思い出話に花を咲かせているのでないか・・・。

モモとクロの間に、私の渋谷・松濤の部屋で生まれた5匹の1匹がフウである。
気立ての優しさは母親譲り、顔を含めた姿格好は父親譲り。

ちなみに、妻はすべての猫の誕生日と死亡日を覚えている。

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元日の初詣…センター北・杉山神社(横浜市都筑区)

元日、家族と自宅の近く、横浜市営地下鉄センター北駅前の「杉山神社」へ初詣に出かけた。
横浜・港北ニュータウンは21世紀に入って人口が急増した。
ここに引っ越してきた頃は人出がまばらだった。
しかし、やがて参拝客の行列ができ、それが年々長く延びていった。

⇒2016年1月2日「杉山神社に合格祈願…センター北初詣」はこちら。

私はNHK紅白歌合戦の直後を予定していたが、仕事に追われていて並ぶ時間が惜しい。
そこで元旦に変更しようとしたが、それでもかなり待たされる可能性がある。
安全策(?)を取り、午後に…。

結局、参拝までに30分近くかかった。
きのう知ったが、「卯年(うどし)」。
私はうさぎ年生まれなので、当たり前か…。
初詣に気合い(?)が入った。

このブログで幾度も述べたとおり、「還暦」を機にサードキャリアに挑む。
新しい講演の開催、そして初めての教材の発売が控える。
今年は勝負の年。
妻と相談し、帰りに「破魔矢(はまや)」を買い求めた。
表記から分かるように、もとは魔除けの矢。
いまは正月の縁起物。
一年の好運を射止められる。

いよいよ職業人生の最終ステージへ。
私は家族の協力と応援を得て、一段目をのぼろうとしている。
子どもはその決意を感じ取っており、見守る顔が心配そう…。

⇒2010年12月31日「紅白歌合戦が終わり明治神宮へ初詣…参拝客日本一」はこちら。

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土日・祝日・年末年始など無休診療病院(横浜都筑)

私は講師という仕事柄、風邪を引けない。
仮にどんなに高熱が出ても絶対に休めない。

先日、横浜市営地下鉄センター南駅前のシティクリニック(横浜市都筑区)でインフルエンザの予防接種を受けた。
今年は、A型(季節性)とA型(新型)とB型(季節性)の混合ワクチン。
1回2千円。
通常より安い?

日曜日だったが、いや日曜日だからか、待合室はマスクをした患者であふれんばかり…。
すでにインフルエンザがはやっているようだ。

ここは個人病院だが、原則として年中無休である。
五十嵐力院長は超人。
わが家がもっとも頼りにする医者だ。
この辺りの住民はかなり助かっているのでは…。
シティクリニックはジェネリック医薬品を処方するなど、患者の経済的な負担の軽減に力を入れている。

今年も年末年始は休まないようだ。
この時期は病院が閉まり、年により風邪が広まる。
とりわけ小さな子どもがいる家庭に、シティクリニックの存在は非常に心強い。

以下に、「24時間急患受け入れシティクリニック…センター南」と題する2010年8月21日のブログを収める。

                      ◇◆◇

私は疲労と猛暑で抵抗力が弱った。
もとはといえば、加齢と不摂生で体力が落ちたこと。
そのせいでアレルギー性鼻炎を発症し、これが原因の咳が2カ月近く続いている(自己診断)。
鼻汁が気管のほうに流れ込む。

体が温まると、ダメみたいだ。
眠りに就こうとすると激しく咳き込む。
毎日のことなので、極端な睡眠不足が続いている。
また、アルコールを少量楽しむだけで咳き込む。
私は自宅やホテルで寝酒くらいしか飲まなくなったが、いまは絶っている。
それでも眠りに入れない。

…というわけで、さらに抵抗力が低下する悪循環にはまり、長く抜け出せないでいた。

私は妻に叱られ、ついに医者へ行くことを決意した。
家族が世話になっている横浜市営地下鉄センター南駅前の「シティクリニック」。
内科・小児科・循環器科、そして人間ドッグがある。
院長は東京大学医学部卒業の五十嵐力先生。

わが子が小学4年生のとき、頭の激痛に苦しんだ。
もの凄く我慢強いのに、静かに涙を流している。
よほどつらいのだ。
立派な大学病院で異常なし。
あんなに苦しんでいるのに、それはない。
要は、診断をつけられない。
ところが、五十嵐力先生はあっさりと原因を突き止めた。

⇒2008年2月22日「シティクリニック、五十嵐力院長」はこちら。

さて、シティクリニックは2009年12月、センター南の駅前広場(ロータリー)にビルを新築した。
設備も機器もかなり整備された。
土日も祝日も、年末年始休暇やゴールデンウイーク(GW)、お盆休みも無休で診療してくれる病院はありがたい。
港北ニュータウンは平均年齢が若く、小さな子どもを抱えた世帯が多い。
それと、診察もそこそこに薬を出したがる医者と違い、対応が丁寧かつ親身である。
地域社会のホームドクターだ。

私は、流行の「百日咳」が疑われたが、アレルギー性鼻炎による咳でないかと診断された。

シティクリニックで処方された薬は、頑固なアレルギー性鼻炎と咳を鎮める即効性があった。
3日程で症状が和らいできた。
これまで市販薬を用いてきたが、なかなかよくならなかった。
もっと早く医者にかかるべきだった。
健康保険が使えるので結局、安い。
なぜだろう、右の手の平のアトピーも症状が軽くなった。

ただし、同じビルに入居する「スマイル薬局」の薬剤師に指摘されたとおり、薬を飲むと猛烈な眠気に襲われる。
以前、妻が似た症状で一部同じ薬を処方されたが、眠くなることはなかったという。
人により副作用(?)は違うようだ。
私は頭に幕がかかり、意識がぼんやりとする。
仕事にならず、とても困っている。
はたして完治はいつか。
服用を一日も早くやめたいが…。

                       ◇

シティクリニックは長年、24時間急患受け入れを謳ってきた。
365日緊急診療対応。
とはいえ、すでに述べたとおり、基本は個人病院。
院長も最近はさすがに疲れるとみえ、休診日をまれに設けるようになった。
看護婦(看護士)たちが先生はどうやって睡眠を取っているのか不思議、倒れないのが不思議と言っていた。
私もそう思っていた。

「シティクリニック」。
あらかじめホームページ(HP)や電話で確かめてから訪れてほしい。
HPには診療時間のほか、休診日などが記されている。

◆所在地
神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎中央51−10
横浜市営地下鉄センター南駅前

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ついにボケたか…位置と方向が不明で迷子

おととい夜、センター南の「PCデポ港北本店」で故障したパソコンの無料診断をやってもらっている待ち時間、駅の周辺で簡単な夕食を取ることにした。
急いでいたので、近道・・・。

ところが途中、自分がどこへ向かってどこを歩いているか、さっぱり分からない。
1〜2年前までよく歩いた場所だ。
道のつながりが頭のなかで混乱し、位置と方向が不明。

妻に何度説明を求めてもピンと来ない。
子どもは呆れ顔。
家族が一緒でなければ迷子になった?

私は、これってボケだろうかと思った。
恐れていた「アルツハイマー」が始まっているのか。
かなりやばいかもしれない。

港北ニュータウンは区画整理が行われ、ややこしい道路は一本もない。

私は、いまは特別養護老人ホームに入所する父が十年近く前に迷子になったことを思い出した。

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キンタマ・シンポジウム…率直・真剣・比較

猛暑は一向に衰える気配がない。
が、私のなかでは、きょうは秋の始まりである。
この際だから「下ネタ特集」を組むことにした(意味不明)。
毎日でなく、数回に分けて…。
おもに過去の好評ブログから。

きょうの内容は、時間を持て余す女どもによる白熱・衝撃の「キンタマ・シンポジウム」である。
私は静かに拝聴したが、異様な盛りあがりだった。

私は思う。
男よ、女に負けるな、もっと肉を食いなさい。

以下に、「キンタマの正しい姿!」と題する2009年9月11日のブログを収める。
かなり手を加えた。

                      ◇◆◇

先だっての話。
時刻は午後2時半頃。
場所は横浜・港北ニュータウンの住宅街。
開発段階で多くの小公園が組み込まれており、その一つ。
砂場で小さな子どもが戯れている。

私は近所に出かけた帰りに腰痛がひどくなり、ベンチに座り込んだ。
幼稚園の迎えに来た母親だろう、3人が立ち話。
頼みもしないのに、声がだんだん大きくなってきた。

「うちの子はタマの大きさが違うの。重いほうが垂れている」。
30代半ばの女性が声を絞り出すように訴えた。
見るからに線が細く、心配症。
軽いほうが垂れていたら事件である。
この人は旦那の金玉をよく見たことがないのか?
たまに手に取るべきだ。

「それでいいの。みんなそうよ」。
40代前半の女性が包み込むように諭す。
人生経験がかなり豊富そう。
昔染めっ放しにしたせいか、髪の傷みが目立つ。
皆とは何人を指すのか?
この手のリサーチでは標本数(サンプル数)が大事になる。

残る一人、30代後半の女性が乗り遅れまいと会話に割り込んだ。
ついにというべきか、やはりというべきか、「うちの主人も…」。
この人は判断材料に事欠き、旦那の金玉を引き合いに出した。
うちの子は女の子?
彼氏の金玉でなくて、ホッ。

戦後初、野党第1党による劇的な政権交代から1週間後、男子の金玉はいかにあるべきか、正しい姿が率直かつ真剣に話し合われる。
私がそばにいることさえ気づかない。
それとも男が終わった老人にしか見えないのか。

白昼、「金玉論議」はエスカレート・・・。
タマタマのバランスからタマの大きさへ、とどまるところを知らない。
うちの子やうちの主人が知ったら、たまげるぞ!
こうしてプチ富裕層の母親たちの1日は回っていく。

私は軽い目まいを覚えながら、小公園を後にした。
今夜風呂に入ったら、じっくりと検証してみよう。

余談だが、港北ニュータウンでは平日、それなりの店で3千円前後のランチを楽しむ専業主婦のグループが少なくない。
とにかく楽しそう。
旦那は案外、会社で3〜4百円のコンビニ弁当を食べさせられているということはないのか?

私の妻は自分にカネを使わず、つねに私と子どもを優先させている。
しかもフルで働く。
感謝しなくては…。

                      ◇◆◇

夏場のキンタマに関する深刻なブログは以下のとおり。
グッドラック!
あなたの幸運を願う。

⇒2010年8月24日「ガマの油並みの効用…オロナインH軟膏の実力」はこちら。

⇒2010年8月27日「君の股間がかゆい…デリケアエムズ池田模範堂」はこちら。

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ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた

時代は変わった。
かつて、不況に強いとされる業種や商売が少なからずあった。
いまや、それさえ不振を極める。

大衆食のラーメン店も例外でない。
売り上げをかなり落としているのだ。
次々と趣向を凝らした新店が登場するので人気を保つのは至難だとしても、最近まで行列や満席が当たり前だった名店がすんなりと入れるようになった。
主は元気がない。

私が暮らす横浜・港北ニュータウンも状況は同じだ。
プチ富裕層とて支出を切り詰めている。
天候次第で、書き入れ時に店内ががらんとしていることも…。
客足が遠のく悪循環に嵌まると、立て直しが苦労だ。

私たちはラーメンを食べなくなったのか?
そうでなかろう。
おそらく支出を生ラーメンやカップ麺、袋麺などにいくらか、あるいはかなりシフトさせている。
一食に千円札を出したくない。

消費者は「小銭入れ」の中身を節約している。

今年に入り、景気が少しずつ回復してきた。
しかし、日本の財政、自分の雇用や所得、年金などに対する不安が消えたわけでない。
多くの有権者が期待を寄せた民主党政権への失望も広がった。
むしろ不安は膨らんでいる。

国民が先行きに明るさを感じられるようにならないと、消費抑制の姿勢は解かれないはずだ。

                       ◇

私はばたばたの状態が続いてろくに見られないが、「ゲゲゲの女房」が大変なことになっている。
フリーランスだった私の結婚直後も極貧だったが、村井茂と村井布美枝の生活ははるかにひどい。
私は少ない仕事を行いさえすれば、わずかばかりのカネを受け取れた。
しかし、村井茂はたくさん漫画を描いているのに、まともに原稿料を受け取れない。

働いた報酬を当てにできないとなると、生活は見通しがつかない。
まして子どもがいる。
私なら絶望的な気分になる。

いったん取りついた貧乏神を追い払うのは至難だ。
水木しげるが成功するまでにこれほどの苦難を舐めたとは…。
ゲゲゲの女房の最近の展開は、胸が締め付けられる。

Copyright (c)2010 by Sou Wada

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三菱UFJ(名古屋)

二番底でさくらや閉店、コンビニ閉店

猛烈な寒波が流通業やサービス業を襲っている。
製造業、なかでも輸出型製造業は、中国・インド・ブラジルなど新興国の好調に引っ張られて業績が持ち直しているが、それ以外は危機的な状況にある。
街角景気は昨年の晩秋以降、二番底。

新宿駅東口の大看板でお馴染みの「さくらや」。
家電・カメラ専門量販店。
それが2月末日で首都圏に展開する全15店舗を閉鎖する。
寂しさを感じるファンも多いのでは…。

同店に限らず、デフレが長期化・深刻化し、どうにもならないくらい経営体力が弱っているところが少なくない。
このブログで幾度も述べたが、潰れないのが不思議だ。

私が暮らす、人口流入の止まらない横浜市都筑区。
その港北ニュータウンでも商業施設は閑散としている。
客の姿がめっきり減った。

つい最近まで、業績下落の続く流通業界にあってわりと健闘してきたコンビニエンスストア。
ところが、港北ニュータウンで閉店が相次ぐ。
年明け、立地としては悪くない、駐車場付き大型コンビニエンスストアが姿を消した。
驚いた…。

むろん、他の店舗やテナントは閉店や撤退が止まらない。
しかも、その後がなかなか埋まらない。
「幽霊屋敷」と化す商業施設も現れた。

Copyright (c)2009 by Sou Wada

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相次ぐ駐車場の解約

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私が暮らす大規模団地では、今年に入ってから駐車場の解約が相次いでいる。
港北ニュータウンは生活利便性が高いものの、広大な緑地や公園があちこちに設けられている。
したがって、徒歩での移動はわりと大変。
クルマに頼らざるをえない場合もある。

川柳20080910-01にもかかわらず、クルマを手放す世帯が出てきた。
いわゆる生活防衛。
大勢が景気の冷え込みを実感しているのだ。
DIYなどでは自転車の売れ行きが絶好調だとか…。

政治の混乱も数年は収まらないはずで、この先は土砂降りから暴風雨へ?

Copyright ©2008 by Sou Wada

弁当箱と自転車の売れ行き

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私の地元、港北ニュータウンはいくらか裕福な世帯が多く暮らしている。
人気を反映し、マンション価格も決して安くない(ただし、いまは下降傾向がはっきりしてきた)。

そうした土地柄なのに、ちょっとした異変が起こっている。
総じて冴えない大型量販店にあって、弁当箱と自転車の売れ行きがとてもいいらしい。
私も2つ折り自転車を買った。見てくれは高そうだが、1万円台。
皆が生活の引き締めに走った結果だろう。

私は昔を思い出した。
弁当のご飯に丸美屋「のりたま」が…。

ふりかけ弁当を持ち、最寄り駅まで自転車で行く時代が近づいているのかもしれない。

Copyright ©2008 by Sou Wada

賞与、週末、晴天、人出の図式

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先だってのブログで、夏のボーナスが出たのに商業施設がガランとしていると書いた。
川柳20080702-02それは、間違い。
私はボーナスをもらった経験がなく、6月に支給されると思い込んでいた。
民間企業はだいたい7月初旬とのこと。
そうか、雇用者が従業員の帰省に小遣いを持たせたのが始まりという話を耳にしたことがある。
盆と正月の年2回。

きのうときょうは、梅雨の合い間の晴天!
久々に気持ちがよい。
港北ニュータウンの大型商業施設とその周辺は、人とクルマがあふれ返っている。
「賞与、週末、晴天、人出」の図式である。
北京オリンピックの観戦特需で、家電量販店の関連売場は大混雑だろうなぁ。

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どうするの? 大丈夫?

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スポーツクラブ「cospa(コ・ス・パ)港北」が9月初旬にオープンする。
港北ニュータウンは「みなも」という巨大施設を筆頭に、いわゆるフィットネスクラブだらけである。
新たにワンフロア千3百坪以上の大型施設が加わる。
斜め向かいに、このブログで何度か取りあげた「快活CLUB」がある。
こんなにつくってどうするの? 大丈夫?
川柳20080625-01私はただただ呆れるばかり。

施設もプログラムも料金もたいした差異が認められない。
スタジオやマシンジム、プールやスパゾーンを備える。
インドアのテニスやゴルフも…。
それに、フロントとロッカー・パウダールーム、プロショップ。
どれもお決まり。

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快活とスポーツオーソリティ(続)

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ちょっと前の話になってしまうが…。
スポーツオーソリティ10日のブログ「快活とスポーツオーソリティ」に対し、マイミクのげらっち氏からコメントが寄せられた。
そこで、「快活」について補いたい。

自宅のすぐそばの「快活CLUB横浜北山田店」は、わりと最近まで「スーパーキッズワールド」として営業を行っていた。
赤ちゃん用品と子ども用品を扱う大型店である。

私が引っ越してきた10年前には、これといった商業施設はほとんどなかった。
そのなかでスーパーキッズワールドは、港北ニュータウンに流入する若い世帯に支持された。
この辺りは立派な道路が整備されているが、週末や祝日には北山田交差点付近が渋滞するくらい繁盛していた。
私も妻の買い物や子どものプレゼントによくつきあったものである。

しかし、ライバルがこうした状態を見逃すはずがない。
ほどなく全国展開の専門量販店が進出してきて、同店はあっという間に衰退した。
「アカチャンホンポ港北東急店(赤ちゃん本舗)」「トイザらス港北ニュータウン店」などである。
やはり、特化した企業に敵わない。

ここの快活は、コストを切り詰めた改装により誕生した施設なので、中途半端という印象を拭えない。
アオキの事情で急ごしらえしたものだから…。
格安な利用料に見合った価値しか認められない。
フィットネスに特化した企業と比べるのはムリ。

流通業界は生き残り競争が激しい。紳士服量販店も経営は大変なのだろう。
港北ニュータウンに横浜本社がある。
私はその前をときどきマイカーで通る。
1〜2階が「AOKI横浜港北総本店」になる。
もちろん、何回か利用した。
どうか頑張ってほしい。

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毛筆で味わう

背中合わせの快感

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私は50代後半の今日まであちこちに住んだが、この港北ニュータウンがもっとも気に入っている。
GW、家族と近所を散策する機会が何度かあり、改めてそう思った。
渋谷・松涛から引っ越してきたのは、運命のいたずらにすぎない。
川柳20080423-03いくつかの偶然が重なり、それが幸運に働いた。
都心の書斎やリゾート地の別荘を将来持つことになったとしても、自宅と本社は生涯動かしたくない。

港北ニュータウンは、1994年に横浜市港北区緑区の再編成により誕生した都筑区の中央部に位置する。
横浜市営地下鉄ブルーラインの駅でいうと、仲町台からセンター南、センター北、中川まで。
先ごろ開業したグリーンラインの駅でいうと、都筑ふれあいの丘からセンター南、センター北、北山田まで。
住宅都市整備公団が30年以上の歳月をかけ、手つかずの丘陵地帯を切り開いて造成した。
当初から公園や緑地、歩行者専用道路などが整備計画にしっかりと組み込まれていた。
都市に自然が散りばめられているというより、都市と自然が背中合わせになっている。
日常生活から半歩踏み出すと、そこは自然…。
したがって、住民にとり、こうした理想的な環境が永久に保障される。
最高の宝物だろう。

都筑区に隣接する青葉区の美しが丘は、最寄り駅が東急田園都市線のたまプラーザである。
ここは富裕層や著名人が住み、気品に満ちた街並みが形成されている。
第一級のブランド地で、何もかもが洗練されている。
しかし、港北ニュータウンのような視野の広がりと奥行きは得られない。

私が散策で感じたのは、目線の自由度だった。
おおらかにのんびりと目を遊ばせることができる。
ゆえに、心が解き放たれる。
そして、それは豊かな自然が残され、なおかつ空間のゆとりが織り込まれていなければ実現しない。
余談だが、私が暮らす団地は容積率を大幅に余して建設されている。
マンションの常識ではありえない。
この開放感が何よりうれしい。

                      ◇

いまふと思った。
たまプラーザの住民は、別荘を所有していたり、アウトドアライフを満喫していたりする。
地元には目の保養程度に自然があればよいのではないか。
港北ニュータウンは、セダンとRVの両方を1台で欲張ったミニバンのようなものなのかもしれない。
金持ちを思い起こしたが、彼らはミニバンを買わない。
ここに来ると同時に、私はオデッセイを買った。
我ながら妙に納得。

ミニバン和田、万歳!

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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