フジテレビに「料理の鉄人」という料理をテーマとしたバラエティ番組があった。
終了後かなり間が空き、「Iron Chef(アイアンシェフ)」として再スタートを切った。
こちらは視聴率が取れなかったせいか、半年足らずで消えてしまった。
好きな番組の一つだったので、私は残念だった。
「料理の鉄人」は、レギュラーで出演する鉄人とゲストで登場する挑戦者が特設のキッチン・スタジオで腕を競う。
頂点を極めた料理人同士が繰り広げる真剣勝負、そして極限状況で発揮されるクリエイティビティは見応えがあった。
「料理の鉄人」で初代の「和の鉄人」として9割近い驚異的な勝率を収めたのが銀座「ろくさん亭」主人の道場六三郎(みちば・ろくさぶろう)だった。
和食の常識にとらわれない料理を創作し、「日本料理界の異端児」と称された。
「料理の鉄人」では、審査基準となるテーマ食材を知らされてから瞬時にメニューを考え、短時間で何品もつくらなくてならない。
即興のコース料理なので至難である。
道場六三郎はいつも筆で和紙に「お品書き」を記してから取りかかった。
これには助手に調理の方向を示すとともに、挑戦者を呑み込むとの意図もあったようだ。
私は、道場六三郎の「お品書き」の儀式に大きな学びを得た。
これを元旦に行えば、まったく違った一年になると・・・。
年初、取り組みの誓いを手帳に大書する習慣は揺るぎないものになった。
再開された放送では、「和のアイアンシェフ」は湯島「くろぎ」店主の黒木純(くろぎ・じゅん)だった。
「日本料理界の牛若丸」と称される。
81歳の道場六三郎は、34歳の黒木純に挑んだ(年齢は不確か)。
高齢まで向上意欲を持ち、精進を続ける生きざまに、私は心を打たれた。
しかも、この放送では与えられた時間が通常より短かったはずだ。
にもかかわらず、道場六三郎は「お品書き」に相当な時間を割いた。
私は調理が間に合わないのでないかと、はらはらした。
忙しいからこそ、最初に自分に気合を入れ、お客に心を込めて「お品書き」を認める。
その姿勢に感服した。
Copyright (c)2013 by Sou Wada
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こちらは視聴率が取れなかったせいか、半年足らずで消えてしまった。
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頂点を極めた料理人同士が繰り広げる真剣勝負、そして極限状況で発揮されるクリエイティビティは見応えがあった。
「料理の鉄人」で初代の「和の鉄人」として9割近い驚異的な勝率を収めたのが銀座「ろくさん亭」主人の道場六三郎(みちば・ろくさぶろう)だった。
和食の常識にとらわれない料理を創作し、「日本料理界の異端児」と称された。
「料理の鉄人」では、審査基準となるテーマ食材を知らされてから瞬時にメニューを考え、短時間で何品もつくらなくてならない。
即興のコース料理なので至難である。
道場六三郎はいつも筆で和紙に「お品書き」を記してから取りかかった。
これには助手に調理の方向を示すとともに、挑戦者を呑み込むとの意図もあったようだ。
私は、道場六三郎の「お品書き」の儀式に大きな学びを得た。
これを元旦に行えば、まったく違った一年になると・・・。
年初、取り組みの誓いを手帳に大書する習慣は揺るぎないものになった。
再開された放送では、「和のアイアンシェフ」は湯島「くろぎ」店主の黒木純(くろぎ・じゅん)だった。
「日本料理界の牛若丸」と称される。
81歳の道場六三郎は、34歳の黒木純に挑んだ(年齢は不確か)。
高齢まで向上意欲を持ち、精進を続ける生きざまに、私は心を打たれた。
しかも、この放送では与えられた時間が通常より短かったはずだ。
にもかかわらず、道場六三郎は「お品書き」に相当な時間を割いた。
私は調理が間に合わないのでないかと、はらはらした。
忙しいからこそ、最初に自分に気合を入れ、お客に心を込めて「お品書き」を認める。
その姿勢に感服した。
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