コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

王貞治

北島康介、ロンドンオリンピック金メダルへの不安材料

2012年ロンドン五輪(オリンピック)が迫ってきた。
会期は、7月27日から8月12日まで。

私の一番の注目は、日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介である。
2004年アテネ五輪(オリンピック)と2008年北京五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
合計4冠。

北島康介はオリンピックを節目に「進化」を遂げてきた。
4年後を見据えた、勝つための周到な準備において突出している。
それを強固な意志でやり遂げた。
年齢的に厳しいロンドンオリンピックだったが、表彰台の頂点を目指してきた。

                       ◇

北島康介の最大のライバルと目されたのが、ノルウェーのアレクサンドル・ダーレオーエンである。
友人でもある。
ところが、突然の訃報・・・。

ダーレオーエンは合宿中のアリゾナ州フラッグスタッフで急死した。
標高2100メートルの高所トレーニングの名所。
バスタブに寄りかかるように倒れているところを発見された。
死因は心臓発作と見られる。

ダーレオーエンは北京オリンピックの百メートルで銀メダルを獲得した。
2011年上海世界選手権では4位の北島康介に1秒32の大差を付けて圧勝した。
北島康介がダーレオーエンを追いかける立場になっていた。

もっとも気の毒なのは本人と家族、そして彼を支えてきた関係者である。
しかし、ダーレオーエンとの闘いを念頭に大舞台へ向けて調整を進めてきた北島康介にも気の毒な出来事だった。
互いに最高の勝負をしたいと考えていた。
高速水着を着用しないで59秒を切ったのは2人だけだ。

実は、私は北島康介がロンドンオリンピックでダーレオーエンを破り、金メダルに輝くと予想していた(科学的な根拠はない)。
本番にぴたりと照準を合わせ、自らの力を爆発させる術を身につけている。
無類の勝負強さが光る。

ダーレオーエンの不在は、北島康介にとり不利に働くように思う。
最大のモチベーションが直前に失われてしまった。
金メダルへの不安材料である。
はたして結果はいかに・・・。

以下に、「北島康介、無類の勝負強さ、怪物から化け物へ…ロンドン五輪」と題する2012年4月8日のブログを収める。
一部を抜粋し、いくらか手を加えた。

                      ◇◆◇

オリンピック4冠の北島康介。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。

⇒2011年6月9日「北島康介、ロンドンオリンピックへの苦闘と挫折」はこちら。

北島康介は、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪に続いて2012年ロンドン五輪の日本代表になった。
私は代表選考会を兼ねた日本選手権をスポーツニュースで見た。
百メートルは余裕のゴール。
得意の2百メートルは立石諒に追い上げられたものの逃げ切った。
これにより日本の競泳選手では史上初の4大会連続出場を決めた。
素晴らしい。

北島康介は依然として男子競泳平泳ぎの第一人者だった。
強じんな意志を持ち、壮絶な努力をいとわない。
また、自らを客観的に眺め、オリンピックで勝つための戦略を定めて計画を立てられる。
4年に一度の大舞台での無類の勝負強さはそこから生まれる。

⇒2010年12月14日「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」はこちら。

北島康介はとうにピークを過ぎた29歳。
ロンドンオリンピックで金メダルが獲れればもちろんうれしいが、私は決勝に進出するだけでも快挙だと思う。
百メートルか2百メートルで3連覇を達成することがあれば「怪物」を通り越して「化け物」と表現するしかない。
これまで大きな勇気と感動を与えてくれた北島康介には、ロンドンオリンピックを存分に楽しんでもらいたい。

⇒2011年6月30日「北島康介の勝負脳、浅田真央の脱皮計画を応援しよう!」はこちら。

名選手が名コーチになると限らない。
しかし、北島康介は間違いない名コーチになると考える。
オリンピックで結果を残せる選手を育ててほしい。

私は、北島康介と高橋大輔が互いの活躍に刺激され、オリンピックへの情熱を再燃させたことを思い出した。
実績十分の二人は、台頭著しい若手のなかに身を投じて厳しい戦いに挑む。
いや、それどころか若手を引っ張っている。
「人間力」が突出する。

⇒2011年6月24日「北島康介と高橋大輔、五輪への思い再燃…現役続行」はこちら。

私にとり、浅田真央とイチローは「畏敬」の対象である。
見ているとつらくなるが見てしまう。

⇒2012年4月1日「浅田真央、ライバルと戦う前に自分に負ける…世界選手権」はこちら。

⇒2009年9月15日「イチロー、心が折れる」はこちら。

北島康介と王貞治は「尊敬」の対象である。
憧れの気持ちが混ざる。

高橋大輔は「親愛」の対象である。
要は、好きだ。
世界フィギュア選手権後、世界フィギュア国別対抗戦での主将に任命された。
日本チームをまとめ、優勝へ導いていくはずだ。

⇒2012年3月31日「高橋大輔は別格、芸術性の高い熟練の演技で魅了」はこちら。

ちなみに、長嶋茂雄は別格。
選手時代から監督時代まで、突き抜けた存在でありつづけた。
私が子どもの頃の世相を明るく照らした太陽(おひさま)であり、まぶしかった。
多分に神格化されているが、そうでなければ戦後最大のヒーローは生まれなかった。
スーパースターとは、そういうもの。

⇒2009年9月25日「ONの時代…両雄並び立つ奇跡!」はこちら。

                      ◇◆◇

北島康介に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年4月8日「北島康介、無類の勝負強さ、怪物から化け物へ…ロンドン五輪」はこちら。

⇒2011年6月30日「北島康介の勝負脳、浅田真央の脱皮計画を応援しよう!」はこちら。

⇒2011年6月24日「北島康介と高橋大輔、五輪への思い再燃…現役続行」はこちら。

⇒2011年6月9日「北島康介、ロンドンオリンピックへの苦闘と挫折」はこちら。

⇒2010年12月14日「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」はこちら。

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北島康介、無類の勝負強さ、怪物から化け物へ…ロンドン五輪

私は、それほど重くない仕事とはいえ、月曜日の締め切りを3本抱えており、間に合わせるのに必死。
頭から湯気が昇っている。
連日、夢のなかでうなされ、すぐに目が覚めてしまう。
今年は遅咲きの桜も、見ないうちに終わりそう・・・。

私はすっかり世相に疎くなっているが、そろそろダルビッシュ有が登板するはずだ。
現役時代を知る投手でナンバーワンと考える。
お気に入り。

ところで、オリンピック4冠の北島康介。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。

⇒2011年6月9日「北島康介、ロンドンオリンピックへの苦闘と挫折」はこちら。

北島康介は、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪に続いて2012年ロンドン五輪の日本代表になった。
私は代表選考会を兼ねた日本選手権をスポーツニュースで見た。
百メートルは余裕のゴール。
得意の2百メートルは立石諒に追い上げられたものの逃げ切った。
これにより日本の競泳選手では史上初の4大会連続出場を決めた。
素晴らしい。

北島康介は依然として男子競泳平泳ぎの第一人者だった。
強じんな意志を持ち、壮絶な努力をいとわない。
また、自らを客観的に眺め、オリンピックで勝つための戦略を定めて計画を立てられる。
4年に一度の大舞台での無類の勝負強さはそこから生まれる。

⇒2010年12月14日「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」はこちら。

北島康介はとうにピークを過ぎた29歳。
ロンドンオリンピックで金メダルが獲れればもちろんうれしいが、私は決勝に進出するだけでも快挙だと思う。
百メートルか2百メートルで3連覇を達成することがあれば「怪物」を通り越して「化け物」と表現するしかない。
これまで大きな勇気と感動を与えてくれた北島康介には、ロンドンオリンピックを存分に楽しんでもらいたい。

⇒2011年6月30日「北島康介の勝負脳、浅田真央の脱皮計画を応援しよう!」はこちら。

名選手が名コーチになると限らない。
しかし、北島康介は間違いない名コーチになると考える。
オリンピックで結果を残せる選手を育ててほしい。

私は、北島康介と高橋大輔が互いの活躍に刺激され、オリンピックへの情熱を再燃させたことを思い出した。
実績十分の二人は、台頭著しい若手のなかに身を投じて厳しい戦いに挑む。
いや、それどころか若手を引っ張っている。
「人間力」が突出する。

⇒2011年6月24日「北島康介と高橋大輔、五輪への思い再燃…現役続行」はこちら。

私にとり、浅田真央とイチローは「畏敬」の対象である。
見ているとつらくなるが見てしまう。

⇒2012年4月1日「浅田真央、ライバルと戦う前に自分に負ける…世界選手権」はこちら。

⇒2009年9月15日「イチロー、心が折れる」はこちら。

北島康介と王貞治は「尊敬」の対象である。
憧れの気持ちが混ざる。

高橋大輔は「親愛」の対象である。
要は、好きだ。
世界フィギュア選手権後、世界フィギュア国別対抗戦での主将に任命された。
日本チームをまとめ、優勝へ導いていくはずだ。
故障の羽生結弦に代わり出場する小塚崇彦に頑張ってほしい。

⇒2012年3月31日「高橋大輔は別格、芸術性の高い熟練の演技で魅了」はこちら。

ちなみに、長嶋茂雄は別格。
選手時代から監督時代まで、突き抜けた存在でありつづけた。
私が子どもの頃の世相を明るく照らした太陽(おひさま)であり、まぶしかった。
多分に神格化されているが、そうでなければ戦後最大のヒーローは生まれなかった。
スーパースターとは、そういうもの。

⇒2009年9月25日「ONの時代…両雄並び立つ奇跡!」はこちら。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
私が考えていた以上の快挙である。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年4月5日「溺れる浅田真央は内村航平をもつかむ…立て直しのヒント」はこちら。

⇒2012年4月4日「浅田真央抜き視聴率…フィギュア国別対抗戦放送予定」はこちら。

⇒2012年4月1日「浅田真央、ライバルと戦う前に自分に負ける…世界選手権」はこちら。

⇒2012年3月29日「浅田真央、半伽思惟像のほほえみ…世界フィギュア選手権」はこちら。

⇒2012年3月25日「浅田真央は頂点へ…世界フィギュア選手権2012放送予定」はこちら。

⇒2012年2月12日「浅田真央、ソチオリンピックで金メダルはムリ・・・」はこちら。

⇒2012年1月11日「浅田真央、女王復活のシナリオ…世界フィギュア選手権2012」はこちら。

⇒2011年12月28日「浅田真央、視聴率の化け物…日本唯一のスーパースター」はこちら。

⇒2011年12月26日「浅田真央優勝、天上の母へ金メダルのクリスマスプレゼント」はこちら。

⇒2011年12月25日「浅田真央、全日本選手権感動大賞(女子部門)決定!」はこちら。

⇒2011年12月24日「浅田真央、明るい受け答え…笑顔に隠す深い悲しみ」はこちら。

⇒2011年12月23日「浅田真央の調子…全日本フィギュア選手権5度目の優勝へ」はこちら。

⇒2011年12月15日「浅田真央、全日本選手権2011出場…母・匡子さんへの供養」はこちら。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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北島康介と高橋大輔、五輪への思い再燃…現役続行

先だって、このブログ(ライブドア版)の読者がメッセージ機能を用い、丁寧な感想を寄せてくれた。
それが女性なので、私は余計にうれしい。
仕事で接することがほとんどない。
日本とくに日本企業は依然として「男社会」である。
私は筆箱(古い?)にラブレターを見つけた気分・・・。

以下に、その全文を紹介しよう。
実は、本人には木曜日のブログで取りあげると連絡を差しあげたが、私が仕事に忙殺されて今日にずれ込んだ。
お詫びしたい。

                       ◇

はじめまして。
いつも和田さんのブログを楽しみに読ませていただいています。
多岐にわたる好奇心と、それぞれの事象へのバランスのよい分析を読みたくて・・・。
また、今回はどんな分野の解析をされているのかとワクワクしながら開いています。

最近のブログで印象に残ったのは、少し前の東電だけが悪者になることへの違和感。
それと、北島康介選手のロンドン五輪挑戦の記事でした。

東電については、私の兄が同社の技術者として福島第一・第二原子力発電所(原発)の建設にかかわりました。
その後、廃棄物処理の先進国である南アフリカで視察中に交通事故に合い、亡くなっています。
東電原発事故への私の考えは身びいきからのものだと思っていました。
しかし、和田さんからも自分に近い意見をお聞きすることができ、溜飲を下げました。

東電(会社)の事後対応に関しては歯がゆい気持ちで見守っていますが、現場で命がけで処理に当たる方たちへは心からエールを送りたいと考えます。

そして、北島選手のこと。
私も彼の挑戦するまなざしに魅力を感じているのですが、もう一人注目しているのがフィギュアスケートの高橋大輔選手です。
以前、CSで二人が対談したとき、北島選手は高橋選手の活躍を見て五輪への思いを再燃させたと語っていました。
また、北島選手の金メダルを見た高橋選手が子どものように羨ましがっていたのが印象的でした。

先頃の世界フィギュアスケート選手権でのエッジ・アクシデントを受けてソチ五輪までの現役続行を表明した高橋選手。
私は、あのときの金メダルへの思いが再び植えつけられたのだと思いました。

バレエの熊川哲也さんとの対談では、同じけがをした人の言葉として、1年後もっと進化した自分がいるはずと言われていました。
そうした考えの土壌があり、世界選手権のアクシデントがきっかけとなって、ソチへの思いが芽生えたのだと思いました。

つねに原点から自分を進化させていく北島選手。
若手の台頭目覚ましい男子シングルであえて厳しい闘いに臨もうとしている高橋選手。
私はお二人から目が離せません。

はじめてのメールで長々と失礼しました。
これからも楽しみにしています。

                       ◇

以上。
心より感謝したい。

彼女の東電原発事故に関する思いは非常に複雑だ。

さて、文面から力量が伝わってくる。
こうした読者は、きのうのブログ「浅田真央の肉球、アメショーのトリプルアクセル」(ライブドア版)のようなタイトルに眉をしかめているのかもしれない。
正しくは、「アメショーの肉球、浅田真央のトリプルアクセル」。
が、そもそもタイトルになっていない。
皆さん、ごめんなさい・・・。

私はブログで幾度も述べているが、人の好き嫌いをなるべく表明しないように努めている。
「嫌い」と思った瞬間、その人のいいところまで見えなくなってしまうのが怖いし、またそれでは自分もつまらない。
どんな人にもいいところと悪いところがある。
逆に言えば、私は好き嫌いが極端に激しい。
自分への戒めである。

浅田真央とイチローは「畏敬」の対象である。
見ているとつらくなる。
でも、見てしまう。
二人はいまもがいている。
北島康介と王貞治は「尊敬」の対象である。
憧れの気持ちが混ざる。
高橋大輔は「親愛」の対象である。
要は、好きだ。
お気に入りなので、ブログでつい称賛してしまう。

私は彼らを応援している。
とくに現役続行を選んだ北島康介と高橋大輔を・・・。

ちなみに、長嶋茂雄は別格。
私の気持ちを表す言葉が見つからない。
多分に神格化されているが、でなければ戦後最大のヒーローは生まれなかった。
スーパースターとは、そういうもの。
長嶋茂雄は選手時代から監督時代まで、つねに突き抜けた存在だった。

NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)は半世紀の節目を迎えた。
現在、井上真央主演の「おひさま」が放送されている。
戦後の世相を明るく照らし出したのが、長嶋茂雄という太陽(おひさま)だった。
まぶしかった。

話を戻して・・・。
私は女性読者からお褒めの言葉をいただいたものの、年明け以降、なかでも1〜2カ月はブログにエネルギーを割けない。
もともと「分析」は得意でないが、ましていまは「解析」と呼べるレベルにまったく達していない。

昨今の政治の混迷と政治家の堕落、東日本大震災後の復興、エネルギー政策の見直しなど、社会的な関心事項について私なりに思うところがないわけでない。
しかし、ブログで取りあげるには、それなりに考える時間が必要であり、現状では不可能である。

私は来月還暦を迎え、それ以降を「サードキャリア」と位置づけている。
数年がかりで準備もいくらか重ねてきた。
今年度の下期以降、新テーマの講演やセミナー、研修が徐々にデビューする。
また、来年度以降、それらが急速に広まっていくと思われる(希望的観測)。

多忙な状態は現役を引退するまで続くはずだが、とくに2012年3月までがコンテンツ作成のピークとなる。
長丁場だ。
すでに素材はおおよそ揃っており、おもに編集と加工によりブラッシュアップを図る。
が、何事も“仕上げ”が一番大変である。
マラソンにたとえれば35キロメートル地点を過ぎて上り坂に差しかかる辺り。
登山なら胸突き八丁。

ここでの頑張り次第で、講演やセミナーの出来が極端に左右される。
講師自らが苦闘を乗り越えてこそ、参加者(受講者)や主催者(事務局)に大きな満足を与えられる。
私は、なるべく感動を与えたいと欲張っている。

                       ◇

余談。
現役復帰後のクルム伊達公子は心の底からテニスを楽しんでいる。
試合に出場できること自体がうれしそう。
それが表情にも全身にも、インタビューなどの言葉にもはっきりと表れている。

こうした心境にたどり着くまで、選手として人間としてどれほどの苦難を味わってきたのだろう。
私は、クルム伊達公子に突き抜けたすがすがしさを感じる。

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原辰徳監督がサイン攻め…巨人軍はスター不在

先週金曜日、博多駅で「のぞみ」に乗車するために12番線のホームを歩いていたら、通行に支障を来たすほどの人ごみができていた。
それは、読売巨人軍(ジャイアンツ)の原辰徳監督を囲む大勢のファン(?)だった。
皆、お目当てはサイン。

そうか、「日本生命セ・パ交流戦」。
巨人は前日までヤフードームで福岡ソフトバンクホークスと2連戦だった。
今季絶好調、とくに交流戦はほとんど負け知らずのホークスに敗れ、巨人は4連敗。
しかも、ホークスに4戦全敗。
原辰徳監督がサイン攻めに合っているということは、選手らも一緒のはずだ(主力は新幹線と飛行機に分乗?)。

巨人は松井秀喜が2003年シーズンにメジャーリーグ(ニューヨーク・ヤンキース)へ移籍して以来、人気と実力を兼ね備えたスター選手がいない状態が続いている。
かつて打者では長嶋茂雄、王貞治、原辰徳など、投手では江川卓など、多くのスター選手がいた。
とはいえ、そこにいるだけで華のあるスター選手は長嶋茂雄など、ごくわずかだ。
両リーグを見渡しても、めったに現れないのかもしれない。

私は原辰徳監督がファンに囲まれる様子に、球界の盟主の凋落を感じた。
もっとも長嶋茂雄は監督在任中に脳梗塞で倒れるまで、巨人軍どころかプロ野球界で最大のスターでありつづけた。
その人気は突出しており、現役選手をまったく寄せつけなかった。

巨人はくじ運に自信がないせいか、ドラフトで人気選手の指名を避けてきた。
それもスター不在の一因だろう。
近年、高校卒に逸材が多いが、入団後の活躍に未知数な部分が大きく、育成に時間もかかりやすい。
巨人は即戦力になりそうな大学卒や社会人出に的を絞っている。
安全牌のドラフト指名選手を育成出身選手で補うとのチーム方針か。
しかし、このところ目覚ましい活躍を見せているのは高校卒だ。

私は驚いた。
原辰徳監督は9号車だったが、コーチなどを含めた10人程が10号車に乗った。
いまは喫煙ルームが設けられているが、もとは喫煙車両である。
ヘビースモーカーの私はずっと10号車であり、地元の神奈川県横浜市では犯罪者みたいに扱われている。
スポーツ選手がタバコを吸うという理由で非難されるのはどうかと思いながらも、意外。
私の後方におそらく小笠原道大、阿部慎之介、久保裕也などがいた。
いずれもチームの主力である。

巨人の選手らは負け疲れのせいか、眠り込んでいる。
移動時間に体を休めるのは悪いことでない。
この間、周囲の視線も気にしなくて済む。
皆、熟睡・・・。
やがて新大阪駅で降りた。
9号車か8号車か、沢村拓一がホームを歩いていた。
横顔が引き締まっている。
スーツを着ていても、鍛え抜いた筋肉が伝わってきた。

余談。
阿部慎之介はでかい。
サングラスをかけているが、まるで似合わない。
キャッチャーはどっしりとした安定感が必要なのかもしれないが、もう少し体を絞ったほうがよいのでは…。
重いとケガが増える。

                      ◇◆◇

プロ野球今季(2011年シーズン)のルーキー(新人)に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年6月8日「斎藤佑樹、復帰戦は変化球主体の投球から脱却?」はこちら。

⇒2011年6月7日「澤村拓一の面構えとオーラ…真っ向勝負の魅力!」はこちら。

⇒2011年4月21日「澤村拓一、巨人黄金伝説の扉を開ける」はこちら。

⇒2011年4月19日「牧田和久サブマリン…手玉に取る頭とテンポ」はこちら。

⇒2011年4月17日「斎藤佑樹のハラハラ、浅田真央のドキドキ…日本の至宝」はこちら。

⇒2011年2月12日「沢村拓一は伝説の投手になれ…城之内邦雄」はこちら。

⇒2011年2月11日「沢村拓一に開幕投手テスト…巨人原辰徳監督」はこちら。

⇒2011年2月7日「沢村拓一が宮崎牛に舌鼓…巨人1軍キャンプ」はこちら。

⇒2011年2月4日「沢村拓一15番、斎藤佑樹18番…実力はどちら?」はこちら。

⇒2011年2月3日「勝ち星予想…沢村拓一・斎藤佑樹・大石達也」はこちら。

⇒2011年1月31日「斎藤佑樹は1軍キャンプで滅多打ち、プロで通用?」はこちら。

⇒2011年1月30日「斎藤佑樹、日本ハム新ユニフォームを名護で披露」はこちら。

⇒2011年1月24日「スター斎藤佑樹…満員札止めの大舞台」はこちら。

⇒2011年1月11日「斎藤佑樹、勇翔寮出世部屋404号室へ…新人合同自主トレ」はこちら。

⇒2010年12月15日「斎藤佑樹、期待の重圧…プロでの実力と活躍」はこちら。

⇒2010年12月10日「斎藤佑樹は日ハムのユニフォームでいいのか?」はこちら。

⇒2010年11月14日「東海大・菅野智之は巨人、興南・島袋洋奨は中央大」はこちら。

⇒2010年11月12日「沢村拓一は巨人の開幕投手、即沢村賞も…」はこちら。

⇒2010年11月11日「一二三慎太は投手か打者か…阪神タイガース」はこちら。

⇒2010年11月6日「斎藤佑樹エースナンバー18番で開幕投手へ」はこちら。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

⇒2010年11月3日「斎藤佑樹は輝かしいスター、大舞台が似合う」はこちら。

⇒2010年11月3日「早慶優勝決定戦、斎藤佑樹と大石達也は登板?」はこちら。

⇒2010年8月22日「夏の甲子園、決勝の残酷…東海大相模・一二三慎太」はこちら。

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スターと役者…木村拓哉に思う

スターと役者は違う。
スターは、“人気(度)”を表す言葉。
夜空に煌めく星であり、陽光に輝く華である。
ミスター・ジャイアンツ、ミスター・プロ野球と称された長嶋茂雄を例に出すまでもなく、斯界で頂点に立っていなくてならないが、最高のプロでなくてもよい。
スターという職業はない。
それは“存在”だ。

役者は、“職業(度)”を表す言葉。
自分に宛がわれたシナリオの登場人物になりきる職人である。
演じるなかで、素の自分はかき消される。
王貞治は最高のプロとしてホームランを量産する打者に徹した。
ついに本塁打の世界記録を更新した。
役者という存在はない。
それは“評価”だ。

スターに対し、役者を期待するのは筋違いである。
それをはみ出してしまう、超えてしまうから「スター」なのだ。
スターは、役目や役割といった枠に収まりきれない、厳しい宿命を負う。

長嶋茂雄も王貞治も現役を退いた後、「監督」に就いた。
王貞治は苦悩の末、選手を捨て、監督に変わった。
自分が演じるべき、新たな役目と役割に気づいたのだ。
ついに名監督へ。

長嶋茂雄はスターを捨てられなかったし、ファンのためにも捨てるつもりはなかった。
極論すれば、現役時代も「選手」でなかった。
長嶋茂雄は半生を通じ、選手でも監督でもなく、スターでありつづけた。

                       ◇

芸能界にあえて飛び込む人は、だれもが持っている目立ちたいとの願望が突出して強いのが普通である。
そうでなくては、熾烈極まりない競争社会の現実に弾き返され、すぐに挫折する。

俳優も同じ。
世間から「役者」と認められるには、どれくらい血と汗を流さなければならないだろう。
まして、「スター」と呼ばれるには…。
全身、努力の塊。

しかし、スターに努力は必須だが、努力はスターを保証しない。
そこにいるだけで放つ、オーラのようなものを身にまとうことが条件だ。
先天的な資質が絡むのでないか。

活躍の時代は異なるが、石原裕次郎と木村拓哉がそれ。

続きは、あした。

以下は、木村拓哉に関する私の一連のブログ。
⇒11月28日「木村拓也と木村拓哉の名言に感動」はこちら。

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2009年12月公開講座

ONの時代…両雄並び立つ奇跡!

経営と人生の名言0224NHKスペシャル「シリーズ ONの時代 第1回 スーパーヒーロー 50年目の告白」が20日午後9時から約1時間にわたり放映された。
戦後最大のヒーロー、ONが誕生したのが半世紀前、昭和34年(1959年)だった。
日本は高度成長期に突入し、週刊誌が創刊され、テレビが普及しはじめた。

経営と人生の名言0225Oとは、王貞治(おう・さだはる)。
Nとは、長嶋茂雄(ながしま・しげお)。
プロ野球界の盟主、読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の中軸打者。
王貞治が3番、長嶋茂雄が4番を打つことが通例だった。

経営と人生の名言0226私は昭和26年(1951年)生まれ。
レジャーらしきものがほとんどなく、男はおとなも子どもも野球が大好きだった。
私が直江津小学校時代の遊びといえば、雪の深い冬を除いて近所の仲間との野球が中心である。
地方のせいか民放は1局、テレビ中継は人気が全国区の巨人戦のみ。
経営と人生の名言0227それもONに集中。
国民は二人に対し、残酷なまでの期待を寄せた。
ONはその重圧とどのように闘い、その苦悩をどのように乗り越えていったのか?

経営と人生の名言0228番組は、ONの久し振りの再会から始まった。
二人に言葉はいらない。
私はいきなりジーンとくる。
集中して番組を見たいのだが、仕事が片づかず、“ながら視聴”になる。

プロ野球界に時を同じくして登場した両雄(長嶋茂雄は立教大学から1年前に入団し、いきなり大活躍)。
経営と人生の名言0229マスコミは、派手で天才肌の長嶋茂雄、地味で努力家の王貞治と、大衆に分かりやすく区分けしてみせた。
対照的な性格づけだ。
そして、それが二人自身のプレースタイルはもとより、野球人生さえも大きく左右していくことに…。

成功教本0199長嶋茂雄はファンの期待に応えるためなら、どんな努力も惜しまなかった。
王貞治を含め、長嶋茂雄の記録を超える選手は数多く現れたが、「記憶に残る」という点において抜きん出ている。
自分の持ち味を土台に、マスコミがつくり、ファンが描いたイメージをどんどん膨らませていった。
とりわけ「天才」という夢を裏切らないよう、人目を避けて練習に励んだ。

成功教本0200プロ野球を愛してやまない選手はON以外にも大勢いる。
が、長嶋茂雄はだれよりも純粋にそれを愛した。
「ミスタープロ野球」の称号は、必然のご褒美だ。

ファンを魅了すること!
長嶋茂雄は、ここに野球人生のすべてを傾けた。
グランドであれほど晴れやかな表情で華やかにプレーする選手は永久に現れないのでないか。
成功教本0201唯一の「スーパースター」。

王貞治は最初から努力家だったわけでない。
早稲田実業から破格の契約金で入団したが、シーズンが始まるとすぐに「三振王」とからかわれるようになった。
3年間はパッとした成績を残せなかった。
だが、その才能を見抜いていた川上哲治監督は、教育係として荒川博に白羽の矢を立てる。
成功教本0202技術的な指導もさることながら、結果を出せず、練習に身の入らなかった王貞治の精神面の立て直しを託した。
荒川博打撃コーチのもと、王貞治は真剣を用いた練習を取り入れ、一本足打法を築きあげた。

4年目、三振王はホームラン王に生まれ変わった。
初のタイトル獲得により、王貞治は周りから羨ましがられ敬われる喜びに浸るとともに、努力の大切さに気づいた。
成功教本0203高まるファンの期待にバッティング、それもホームランで応えようと、自ら進んで猛練習に明け暮れるようになった。
やがて、だれも寄りつけない「修行」の域へ…。

王貞治は本塁打を量産し、ついに世界記録を樹立する。
成功教本0204「国民栄誉賞」の初の受賞者となった。
しかし、バッティングの奥義を究めたはずの王貞治にして途中、幾度も大スランプに陥った。
それはときに40〜50日に及んだ。
長嶋茂雄は、王貞治が限界まで苦しみ抜く姿に「凄さ」を感じていた。
その王貞治は、長嶋茂雄が独り抱える孤独の深さに「恐れ」を感じていた。
二人にしか分からない世界である。
成功教本0205
長嶋茂雄は2004年3月に脳梗塞で倒れ、言葉と手足が不自由になった。
当人のイメージが壊れるからと、テレビに露出することを止めようとする人が少なくない。
だが、長嶋茂雄は、ファンにそうした自分をすべて見てもらいたいと語った。
王貞治は福岡ソフトバンクホークスの監督を務めていた2006年7月に悪性腫瘍が見つかり、胃の摘出手術を受けた。
日本プロ野球の黄金期を支えた両雄はさすがに老けた。
成功教本0206
・・・番組を見ての感想。
イチローもそうなのだが、この世に天才など存在しない。
あるとすれば、底なしに努力する才能。

                       ◇

成功教本0207NHKスペシャル「シリーズ ONの時代 第2回 スーパーヒーロー 終わりなき闘い」は27日午後9時から約1時間にわたり放映される。
第1回はONの選手時代だったのに対し、第2回はONの現役引退後にスポットライトを当てている。
栄光に彩られた二人は、恐らく自身も想像していなかった大きな試練に見舞われることに…。

成功教本0208◆書き加え1
このブログは月曜日の執筆。
私は火曜日、王貞治が胆のうの摘出手術を受けたことを知った。
幸い、胃ガンの転移は見られなかった。
長い間、心身を酷使し、あちこちが傷んでいるのだろう。
プロ野球界のためにも1日も早い回復を祈る。

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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