ストレスは心が発するシグナル
ストレスとはメンタルチェッカーである。
とても大事だ。
精神面の健康のバロメーターであり、その状態や変化を知らせてくれる。
心が発するシグナルが「ストレス」なのだ。

人は生きるなかで、働くなかでストレスを抱える、頑張るほど…。
それを自覚するうちは、いくらか努力や行動をコントロールしようとする。
しかし、ストレスを感じないとしたら…。

私は講師という仕事柄、強い向上意欲、大きな自己実現欲求を持つ人と触れたり交わったりする機会が多い。
彼らは懸命な努力と行動を怠らない。

生きること、働くことはたやすくない。
人生は、たいていが頑張りどきである。
若い頃には、がむしゃらに突き進むことも必要だろう。
実際、そうした経験を経ずして成長らしい成長はもたらされない。
が、人により限界をはるかに超えてしまうことがある。
自分が壊れる。
自分が滅びる。

現代人は、心が発するシグナルに敏感でなくてならない。

以下に、「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」と題する2010年8月30日のブログを収める。
ついては数箇所を削った。
また、原稿にいくらか手を加えた。

                      ◆◇◆

私は60歳(来年)までの職業人生の集大成にしようと、本の執筆、そして自分商品の開発にちんたら取り組んでいる。
いくらかムチを入れているものの、ゴールはまだ見えてこない。
それは私そのものである。
満更でもない。

                       ◇

私たちは何事においても目標を持っていたい。
職業人生でも同じだ。
そして、そこに近づく努力を怠らない。
たいていは苦しい道のりである。
真面目な人ほどつらく感じるかもしれない。

あの人に耐えられることが、私には耐えられない。
あの人にやり遂げられることが、私にはやり遂げられない。
でも、他人をうらやまず、自分を責めない。
人は皆、強さが違う。

大切なのは、わずかでも目標に近づいていること。
届きそうもなければ、修正を施せばよい。
これを「いい加減」という。

人は人。
私は私。

が、己の客観視は容易でない。
だからこそ、ときどき歩みを止め、自分と冷静に向き合う時間をつくりたい。

とりわけ弱さ。
情けない私、愚かしい私…。
それらを受け入れることから、徐々に自分が見えてくる。
だれでもない、私の職業人生をようやく歩み出せるのだ。

凡人が強くなれるのは、弱さを認めたときである。

やめよう、自分を人に大きく見せるのは…。
やめよう、自分を私に大きく見せるのは…。

人は皆その程度でしかない。
私とはいまの私である。
それ以上ではない。
それ以下ではない。

より大事なのは、職業人生における目標設定でなく現状認識である。
だれしも現状を足場にして目標へ向かうので、後者を無視した前者は実現しない。
まれな例外は、強い人。

ところで、人はストレスを感じないとき、もっとも危うい。
自分を守るセンサーが作動していない状態である。
心のなかを覗き込み、問い掛けよう。
「大丈夫かい?」。

                       ◇

私は、アメーバブログで「和田創 人生の寺子屋」を展開している。
ふと浮かんだ人生の感懐を、ポエム調の短文に託している。
更新はまれ。

以下に、「自分を無事に走らせよう。」と題する2010年8月17日のブログを収める。

自分は弱いと感じている方にお読みいただきたい。
また、自分は弱いと思いたくない方にお読みいただきたい。

                      ◇◆◇

アクセルとブレーキ、
そしてハンドルが備わるから、
クルマを無事に走らせられる。
人も同じ。

職業人生は平坦でない。
長いデコボコ道が続く。

安全かつ確実に進むには、
アクセルを吹かすことと同じくらい、
ブレーキを踏むことが大事である。
また、障害を避けたり進路を変えたりするために、
ハンドルを操ることも大事である。

アクセルを吹かしっ放しだと、
クルマの負荷が大きい。
オーバーヒートや故障が起こり、
時を失いかねない。

アクセルを吹かしっ放しだと、
クルマの制御が難しい。
衝突や転落が起こり、
命を痛めかねない。

職業人生は遠く険しい。
息が上がらぬよう、
景色を眺めるもよし、
道草を楽しむもよし。

アクセルを吹かしたままでは、
ブレーキもハンドルも効きにくい。

速度をコントロールしながら、
方向をコントロールしながら、
自分を無事に走らせよう。

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