コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

美空ひばり

日本人女性ポピュラー歌手ランキング

日本人の女性ポピュラー歌手のランキングを示します。
私は詳しくありませんし、とくに好きということもありません。
むしろポピュラーにうといです。
しかし、65歳まで生きている間にいろいろな楽曲が耳に入ってきました。
正直、10人の歌手の名前を洗い出すだけでも1時間がかかりました。

歌手の好き嫌いで選んだというわけでありません。
歌のうまさで選んだというわけでありません。
人気の高さで選んだというわけでありません。
評価の高さで選んだというわけでありません。

明確な基準や根拠はありません。
要は、私的ランキングですが、それでも3時間ほど考えました。
頭に置いたのは、人々の記憶に長く残りそうかどうかです。
それが当たるか外れるかも分かりません。

1.美空ひばり
2.松任谷由実
3.ザ・ピーナッツ
4.山口百恵
5.石川さゆり
6.薬師丸ひろ子
7.中島みゆき
8.ピンク・レディー
9.矢代亜紀
10.松田聖子

淡谷のり子、本田美奈子、笠置シヅ子、都はるみ、倍賞千恵子、中森明菜、久野綾希子、平原綾香、森山良子といった名前も思い浮かびました。

ちなみに上位に置いた歌手ほど迷いませんでした。
また、シンガーソングライターでなければ、楽曲に恵まれるかどうかで左右されます。

選ぶ過程で思ったのは、プロは歌のうまさが決め手にならないということでした。
本人が辞めたり亡くなったりした後も、聞きたい人がどれくらい出てくるかでしょう。
声質や歌い方が特徴的で、なおかつメロディーや歌詞がシンプルでないと、四半世紀も経たないうちに陳腐化してしまいます。

自分では歌と関わりの薄い人生を送ってきたつもりでした。
しかし、歌からさまざまな力を受け取りながら生きていたということに気づかされました。

歌は偉大です。

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クリスマス・イブのエッチは真正の恋人の証明…松任谷由実

たまたまBS2にチャンネルを合わせたら、「日本のフォーク&ロック大全集」という、視聴者のリクエストに応えて昔のVTRを流すナマ番組をやっていた。
一部、生演奏も…。

私は音楽に興味が乏しく、したがって知識を持たない。
そのジャンルさえ、ろくに分かっていない。
歌手もメロディも歌詞も知らない私は、カラオケをやらないのでなく、やれない。
顧客とのつきあいが必須の“営業”としては失格といえる。
ただ、私にも「青春時代」はあったわけで、街をうろついていても、酒に溺れていても、音楽が流れてきた。
シャワーのように全身に降り注いだ。

さて、1951年(昭和26年)生まれの私が、音楽以前に存在自体に衝撃を受けたミュージシャンがいる。
過去最大のインパクト!

それは「荒井由実」という不可解なシンガーソングライター。
「こんな曲をつくってしまっていいのか。まして歌ってしまっていいのか・・・」。
勇気?
それとも、鈍感?
私は、荒井由実のあっけらかんとした図太さに仰天した。

当時、地方出身者がフォークを引っ張っていた。
「東京で一旗揚げる」。
「故郷に錦を飾る」。
そんな高揚した気分がまだいくらか残っていた。
実際には、若者が大学に入ったり仕事に就いたりするため、つまりサラリーマンになるため、続々と上京した。
都会に反発しながら、都会に吸い寄せられるという矛盾がせめぎ合っていた。

私は狭い意味の「団塊の世代(1947年〜1949年)」を2年外れている。
それでも高校までは1クラス50名くらいで、教室の後ろに空きスペースがなかった。
東大入試が中止になった翌年、私は明治大学に入学した。
明大前の泉キャンパスでは学生運動に冷ややかな視線が注がれ、ほどなく無関心の風が吹いた。
若者のエネルギーが新たなはけ口を求めた結果が、フォークの隆盛でなかったか・・・。

とはいえ、フォークは時代の空気を敏感に察知し、既成社会との「距離感」にこっけいなほどこだわっていた。
それが主張(メッセージ)となり、装い(ポーズ)となって、“かっこよさ”につながったのだから当然である。
どの歌手も「アイデンティティ」を打ち出そうと必死だった。
当時の規範や幸福観を拒む、極私的な楽曲まで現れる。
また、音楽を聞く側も、メッセージやポーズといった拠りどころを欲していた。

荒井由実の楽曲が耳に入ると、私は冷や冷やした。
「時代の空気が許さない…」。
居心地が悪いのでなく、居心地がない楽曲!
社会に収まり場所を見つけられない。

アルバイト先での同世代の雑談で、だれかが彼女の名前を出した。
しかし、一人も呼応せず、完全に無視されたことを覚えている。
私を含め、男は肝っ玉が小さい。
バカにされるのが怖いのだ。
荒井由実は存在がいまわしく、話題がはばかられた。

彼女は能天気なのか自信家なのか、イデオロギーに対して“無防備”であり、まるで気負いがなかった。
都会の思春期の子女のたわいない生活のシーンやエポックを、「絵日記」みたいに切り取っただけの音楽・・・。

荒井由実は、当時のいかなる異端よりも異端だった。

反社会でぶつかるにしろ、非社会で背を向けるにしろ、それは時代への思い入れがあればこそ。
戦後の高度成長により、国民の多くが経済的な豊かさを手に入れた。
都市部で中産階級が膨張する。
同時に、社会への関心が急速に失われていく。
力んだメッセージや気取ったポーズが敬遠されはじめた。
やがて荒井由実は大衆に支持され、時代の先端を疾走するように…。
文字どおり、音楽界の頂点にのぼり詰めた。

彼女は1976年、松任谷正隆と結ばれ、「松任谷由実」にあっさり変えてしまった。
世間に認知された荒井由実という名前を捨てることに、何の躊躇も未練もなかったのだろうか。
あまりの潔さに、私は愕然とした。

「恋人がサンタクロース」と歌ったのも彼女。
この頃から「彼氏や彼女がいないクリスマスはありえない」とされ、皆がイブに向けて仕込む風潮が生まれた。
また、真正の恋人同士なら、イブにホテルやマンションでエッチするルールが固まった。
若者のライフスタイルに、これほど大きな影響を与えた歌手はほかにいない。

なお、「明日へのヒント」で、松任谷由実の信じられない言葉(歌詞)を取りあげ、コメントを加えている。

「和田創 明日へのヒント 第17号 松任谷由実」はこちら。

「日本のフォーク&ロック大全集」では、番組の終わりにリクエストが一番多かった楽曲が披露された。
吉田拓郎の「落陽」。
初めて聞いたなぁ…。

ちなみに、私が衝撃を覚えた歌手の順番。
荒井由実、美空ひばり、山下達郎。
知ったとき、いずれも容認できなかった。
私の体というか、生理が受け付けなかったのだ。

いまはどうかって?
恥ずかしいから言わない。
うふっ。

                       ◇

きょうのブログは、2011年6月4日「松任谷由実の無防備、能天気なのか自信家なのか・・・」にいくらか手を加えたものである。

⇒2011年6月4日「松任谷由実の無防備、能天気なのか自信家なのか・・・」はこちら。

                      ◇◆◇

クリスマスに関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月20日「名作CM…深津絵里JR東海クリスマス・エクスプレスの逢瀬」はこちら。

⇒2011年12月21日「山下達郎と竹内まりや…夫婦のクリスマス・イブの鳥肌」はこちら。

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松任谷由実の無防備、能天気なのか自信家なのか・・・

私は先月半ば頃から一段と仕事に追われるようになった。
それまで井上真央主演の朝ドラ「おひさま」はなるべく見てきたが、このところずっとご無沙汰している。
ストーリーがどう展開したか気になっている。
このブログにも時間をほとんど割くことができない。
書き溜め記事もだいぶ前に底を突いた。

私は来週、5日間の福岡出張であり、それまでに終えなくてならない仕事が山積みになっている。
連日、時間と壮絶な格闘を繰り広げている。
体はヘロヘロ、ときどき目が回る・・・。

ところで、ユーミンこと、松任谷由実は東日本大震災の被災地へ“歌の千羽鶴”を届けると、NHK「SONGS」とのタイアップにより「(みんなの)春よ、来い」プロジェクトをスタートさせた。
壮大なムーブメントの仕掛けだ。
大勢の巻き込みは順調に進んでいるのだろうか。
私はその後の経過を知らない。

以下に、「フォーク&ロック大全集」と題する2007年12月30日のブログを収める。
誤字の訂正も含め、記事にいくらか手を入れた。

                      ◇◆◇

たまたまBS2にチャンネルを合わせたら、「日本のフォーク&ロック大全集」という、視聴者のリクエストに応えて昔のVTRを流すナマ番組をやっていた。
一部、生演奏も…。
12月22日、土曜日、夜10時頃のこと。

私は音楽に興味が薄く、したがって知識を持たない。
そのジャンルさえ、ろくに分かっていない。
歌手もメロディも歌詞も知らない私は、カラオケをやらないのでなく、やれない。
「営業失格」といえる。
ただ、私にも「青春時代」はあったわけで、街をうろついていても、酒に溺れていても、音楽が流れてきた。
聞こうとしなくても、シャワーのように全身に降り注いだ。

さて、1951年(昭和26年)生まれの私が、音楽以前に存在自体に衝撃を受けたミュージシャンがいる。
過去最大のインパクト!

それは「荒井由実」という不可解なシンガーソングライター。
「こんな曲をつくってしまっていいのか。まして歌ってしまっていいのか・・・」。
勇気?
それとも、鈍感?
私は、荒井由実のあっけらかんとした図太さに仰天した。

当時、地方出身者がフォークを引っ張っていた。
「東京で一旗揚げる」。
「故郷に錦を飾る」。
そんな高揚した気分がまだいくらか残っていた。
実際には、若者が大学に入ったり仕事に就いたりするため、つまりサラリーマンになるため、続々と上京した。
都会に反発しながら、都会に吸い寄せられるという矛盾がせめぎ合っていたように思う。

私は「団塊の世代」を1年外れている。
それでも高校までは1クラス50名くらいで、教室の後ろに空きがなかった。
東大入試が中止になった翌年、私は明治大学に入学した。
泉キャンパスでは学生運動に冷ややかな視線が注がれ、ほどなく無関心の風が吹いた。
若者のエネルギーがはけ口を求めた結果が、フォークの隆盛でなかったか。

とはいえ、フォークは時代の空気を敏感に察知し、既成社会との「距離感」にこっけいなほどこだわっていた。
それが主張(メッセージ)となり、装い(ポーズ)となって、“かっこよさ”につながったのだから当然である。
どの歌手も「アイデンティティ」を打ち出そうと必死だった。
当時の規範や幸福観を拒む、極私的な曲まで現れる。
また、音楽を聞く側も、メッセージやポーズといった拠りどころを欲していた。

荒井由実の曲が耳に入ると、私は冷や冷やした。
「時代の空気が許さない…」。
居心地が悪いのでなく、居心地がない曲!
社会に収まり場所を見つけられない。

アルバイト先での同世代の雑談で、だれかが彼女の名前を出した。
しかし、一人も呼応せず、完全に無視されたことを覚えている。
私を含め、男は肝っ玉が小さい。
バカにされるのが怖い。
荒井由実は存在がいまわしく、話題がはばかられた。

彼女は能天気なのか自信家なのか、イデオロギーに対して“無防備”であり、まるで気負いがなかった。
都会の思春期の子女のたわいない生活のシーンやエポックを、「絵日記」みたいに切り取っただけの音楽・・・。

荒井由実は、当時のいかなる異端よりも異端だった。

反社会でぶつかるにしろ、非社会で背を向けるにしろ、それは時代への思い入れがあればこそ。
戦後の高度成長により、国民の多くが経済的な豊かさを手に入れた。
都市部で中産階級が膨張する。
同時に、社会への関心が急速に失われていく。
力んだメッセージや気取ったポーズが敬遠されはじめた。
やがて荒井由実は大衆に支持され、時代の先端を疾走するように…。
文字どおり、音楽界の頂点にのぼり詰めた。

彼女は1976年、松任谷正隆と結ばれ、「松任谷由実」にあっさり変えてしまった。
世間に認知された荒井由実という名前を捨てることに、何の躊躇も未練もなかったのだろうか。
私は愕然とした。

「恋人がサンタクロース」と歌ったのも彼女。
この頃から「彼氏や彼女がいないクリスマスはありえない」とされ、皆がイブに向けて仕込む風潮が生まれた。
また、真正の恋人同士なら、イブにホテルやマンションでエッチするルールが固まった。
若者のライフスタイルに、これほど大きな影響を与えた歌手はほかにいない。

なお、「明日へのヒント」で、松任谷由実の信じられない言葉(歌詞)を取りあげ、コメントを加えている。

「和田創 明日へのヒント 第17号 松任谷由実」はこちら。

「日本のフォーク&ロック大全集」では、番組の終わりにリクエストが一番多かった曲が披露された。
吉田拓郎の「落陽」。
初めて聞いたなぁ…。

ちなみに、私が衝撃を覚えた歌手の順番。
荒井由実、美空ひばり、山下達郎。
知ったとき、いずれも容認できなかった。
私の体というか、生理が受け付けなかったのだ。

いまはどうかって?
恥ずかしいから言わない。
うふっ。

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松任谷由実、春よ、来い…被災地へ届け、歌の千羽鶴

先だってNHK総合テレビの番組「SONGS」に松任谷由実が2週にわたって登場した。
代表曲「守ってあげたい」「春よ、来い」などを披露した。
私はおやっと思った。
松任谷由実がいつもより力を込めて歌っている印象を受けたからだ。

後で知ったのだが、松任谷由実は「東日本大震災チャリティー企画」をスタートさせた。
ユーミンとNHK「SONGS」のタイアップ。
題して、「(みんなの)春よ、来い」プロジェクト。
代表曲「春よ、来い」のコーラスに大勢に参加してもらい、皆が元気になる新バージョンを制作する。
それを全世界へインターネットで配信し、その収益を全額被災地に寄付するという壮大なムーブメント。

具体的には、「春よ、来い」のコーラスを歌った動画を募集する。
途中随時、新バージョンを制作する。
そして来春、投稿者全員の歌声を乗せた最終バージョンを完成させる。
だれが思いついたのか、言い出したのか、壮大なプロジェクトである。
公式サイトには、ユーミンからの歌唱アドバイス、有名人が歌ったサンプル動画などが掲載されている。

松任谷由実によれば、“歌の千羽鶴”を被災地へ届けるとのこと。
なるほど・・・。

以下に、「フォーク&ロック大全集」と題する2007年12月30日のブログを収める。
誤字の訂正も含め、記事にいくらか手を入れた。

                      ◇◆◇

たまたまBS2にチャンネルを合わせたら、「日本のフォーク&ロック大全集」という、視聴者のリクエストに応えて昔のVTRを流すナマ番組をやっていた。
一部、生演奏も…。
12月22日、土曜日、夜10時頃のこと。

私は音楽に興味が薄く、したがって知識を持たない。
そのジャンルさえ、ろくに分かっていない。
歌手もメロディも歌詞も知らない私は、カラオケをやらないのでなく、やれない。
「営業失格」といえる。
ただ、私にも「青春時代」はあったわけで、街をうろついていても、酒に溺れていても、音楽が流れてきた。
聞こうとしなくても、シャワーのように全身に降り注いだ。

さて、1951年(昭和26年)生まれの私が、音楽以前に存在自体に衝撃を受けたミュージシャンがいる。
過去最大のインパクト!

それは「荒井由実」という不可解なシンガーソングライター。
「こんな曲をつくってしまっていいのか。まして歌ってしまっていいのか・・・」。
勇気?
それとも、鈍感?
私は、荒井由実のあっけらかんとした図太さに仰天した。

当時、地方出身者がフォークを引っ張っていた。
「東京で一旗揚げる」。
「故郷に錦を飾る」。
そんな高揚した気分がまだいくらか残っていた。
実際には、若者が大学に入ったり仕事に就いたりするため、つまりサラリーマンになるため、続々と上京した。
都会に反発しながら、都会に吸い寄せられるという矛盾がせめぎ合っていたように思う。

私は「団塊の世代」を1年外れている。
それでも高校までは1クラス50名くらいで、教室の後ろに空きがなかった。
東大入試が中止になった翌年、私は明治大学に入学した。
泉キャンパスでは学生運動に冷ややかな視線が注がれ、ほどなく無関心の風が吹いた。
若者のエネルギーがはけ口を求めた結果が、フォークの隆盛でなかったか。

とはいえ、フォークは時代の空気を敏感に察知し、既成社会との「距離感」にこっけいなほどこだわっていた。
それが主張(メッセージ)となり、装い(ポーズ)となって、“かっこよさ”につながったのだから当然である。
どの歌手も「アイデンティティ」を打ち出そうと必死だった。
当時の規範や幸福観を拒む、極私的な曲まで現れる。
また、音楽を聞く側も、メッセージやポーズといった拠りどころを欲していた。

荒井由実の曲が耳に入ると、私は冷や冷やした。
「時代の空気が許さない…」。
居心地が悪いのでなく、居心地がない曲!
社会に収まり場所を見つけられない。

アルバイト先での同世代の雑談で、だれかが彼女の名前を出した。
しかし、一人も呼応せず、完全に無視されたことを覚えている。
私を含め、男は肝っ玉が小さい。
バカにされるのが怖い。
荒井由実は存在がいまわしく、話題がはばかられた。

彼女は能天気なのか自信家なのか、イデオロギーに対して“無防備”であり、まるで気負いがなかった。
都会の思春期の子女のたわいない生活のシーンやエポックを、「絵日記」みたいに切り取っただけの音楽・・・。

荒井由実は、当時のいかなる異端よりも異端だった。

反社会でぶつかるにしろ、非社会で背を向けるにしろ、それは時代への思い入れがあればこそ。
戦後の高度成長により、国民の多くが経済的な豊かさを手に入れた。
都市部で中産階級が膨張する。
同時に、社会への関心が急速に失われていく。
力んだメッセージや気取ったポーズが敬遠されはじめた。
やがて荒井由実は大衆に支持され、時代の先端を疾走するように…。
文字どおり、音楽界の頂点にのぼり詰めた。

彼女は1976年、松任谷正隆と結ばれ、「松任谷由実」にあっさり変えてしまった。
世間に認知された荒井由実という名前を捨てることに、何の躊躇も未練もなかったのだろうか。
私は愕然とした。

「恋人がサンタクロース」と歌ったのも彼女。
この頃から「彼氏や彼女がいないクリスマスはありえない」とされ、皆がイブに向けて仕込む風潮が生まれた。
また、真正の恋人同士なら、イブにホテルやマンションでエッチするルールが固まった。
若者のライフスタイルに、これほど大きな影響を与えた歌手はほかにいない。

なお、和田創「明日へのヒント」で、松任谷由実の言葉を取りあげ、コメントを加えている。

「日本のフォーク&ロック大全集」では、番組の終わりにリクエストが一番多かった曲が披露された。
吉田拓郎の「落陽」。
初めて聞いたなぁ…。

ちなみに、私が衝撃を覚えた歌手の順番。
荒井由実、美空ひばり、山下達郎。
知ったとき、いずれも容認できなかった。
私の体というか、生理が受け付けなかったのだ。

いまはどうかって?
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石原裕次郎と木村拓哉、孤独の宿命

スターが役者を務めるうえでもっとも邪魔なのは、自分自身の圧倒的な存在感だろう。
容易に打ち消せるものでない。
それが共演者の持ち味を飲み込む。
ときにシナリオのよさをぶち壊す。

自分だけ目立てばよいアイドル映画やアイドルドラマならともかく、それでは「作品」と呼べるレベルに達しない。
演技の努力よりも、素の個性や魅力のほうがまさった結果である。
観客や視聴者は、作品を見ているのでなく、スターを見ている気分になる。
その出演作品は、どれも代わり映えがしない「一本調子」という批判にさらされる。

私は映画が好きだ(1951年生まれ)。
小学生時代と日本映画(邦画)の黄金期がほぼ重なる。
当時は年に何度かは家族で映画館へ行った。
何せ「娯楽の殿堂」と呼ばれていた。
大学進学で上京して今日までは仕事に追われっ放しだった。
それでも、ときどきスクリーンで、わりとテレビ画面で楽しんできた。
「映画ファン」と名乗る資格はないが…。
私は昔からスターの映画が好きになれなかった。
何かの折に目に入ったものを除き、ほとんど見ていない。

当時はスターのために映画を量産しても、映画館を観客で埋め尽くすことができた。
その代表格が「石原裕次郎」だった。
押しも押されもせぬ戦後最大のスター。
いまだに全国にファンどころか信奉者がいる。
石原裕次郎がスクリーンで自分のかっこよさを表現できることが興行的に大事だった。
例えば、存分に暴れられるシーンをつくれば、観客は酔いしれた。

石原裕次郎の持ち前の個性が前面に出てくるので、映画を見たい私は退屈だった。
子ども心に“大根役者”だと思った。
歌はもっと退屈だった。
これからというところで亡くなったが、私は80年代に入り、テレビドラマを通じてようやく好きになった。
映画「太陽の季節」(1956年)で始まり、テレビドラマ「太陽にほえろ!」(〜1987年)で終わった。
まさに「昭和の太陽」。

「美空ひばり」は石原裕次郎と双璧だった。
国民的なアイドルであり、歌手だけでなく役者としても大活躍を見せた。
愛称は「御嬢(おじょう)」。
私はやはり映画に面白さを感じられず、苦手だった。
その延長で、歌まで嫌いだった。
ところが、晩年のわずか2曲で美空ひばりが大好きになった。
「愛燦燦」(1986年)と「川の流れのように」(1989年)。
石原裕次郎と同じ、満52歳での他界。
多忙な芸能活動で心身を酷使したのだろう。

二人にやや遅れて登場したのが、清楚なイメージの「吉永小百合」だった。
可愛さと聡明さにあふれていた。
文芸物を志向しており役者らしかった。
1960年代、浜田光夫とのコンビによる純愛&青春映画は大ヒットを巻き起こした。
「青い山脈」「愛と死をみつめて」など。
だが、私はアイドル映画の退屈さを感じていた。
吉永小百合はまぶしいほどの華があり、出演作品は彼女のためにあった。
しかし、いつしか姿が消えた(私の目に触れなくなった)。
かなりの間があって再登場したとき、スターとしての存在感に役者としての円熟味が加わり、美しくなっていた。
私は感動し、大好きになった。

こうしたスターと趣が異なったのは「高倉健」。
生まれは1931年と、一番早い。
どの出演作品でも「健さん」であり、スターだ。
しかし、素の存在感を漂わせながらも、高倉健は役者として主人公を演じきった。
私は彼の名を知らしめた“ヤクザ映画”を見ておらず、1970年代後半の映画から。
ゆえに、先の三人とは比べられないか…。
高倉健は40代半ばを過ぎていた。
不器用な男の役が多かったが、演技は巧みだった。
私は映画そのものを楽しめた。

恐らくスターにはスターならではの苦悩がある。
そもそもスターはきわめて頭がよい。
映画とは何かを理解しているはずだ。
が、できあがった作品に、当人は言葉を失う。
監督やスタッフ、俳優(共演者)と力を合わせてつくったつもりなのに、自分の映画になってしまっている。
役者として“演技”を行ったのに、それを自分の“オーラ”が覆い隠しているでないか。
スターが背負う宿命だ。
それゆえに、スターの熱狂的なファンが生まれる。

ファンがつくるスターには、おのずと限界がある。
スターがファンをつくるのだ。

スターは自分の努力では何ともしがたい苦い経験を味わってきた。
したがって、かならず周囲への“気配り”の人となる。
その根っこに負い目がある。
「孤独」の深さは、想像が及ばない。
スターの代償。
だれが長嶋茂雄の孤独を理解したろうか。
それをいくらか察していたのは、王貞治。

                       ◇

スターは偉大だ。
とはいえ、スターのために映画をつくって成功が保証される時代はだいぶ前に終わった。

役者の活躍の舞台がテレビへ移り、その背景が都会の日常生活へ置き換わったとき、自然なたたずまいで登場したスターがほかならぬ「木村拓哉」だった。

こう述べると、木村拓哉を石原裕次郎と比べるなど、とんでもないと叱られるかもしれない。
「木村拓哉は粒が小さい」。
当たり前だ。
なぜなら、昔のスターと今のスターはファンの人数がまったく違う。
それは当人の問題というより、私たちの価値観や嗜好が多様化し細分化した結果である。

俳優でも歌手でもスポーツ選手でも、かつてのお化けのようなスターはもはや生まれない。
粒が小さいのでなく、世の中が変わったのだ。

私は、木村拓哉は現代のスターだと思う。

続きは、後日。

以下は、木村拓哉に関する私の一連のブログ。
⇒11月28日「木村拓也と木村拓哉の名言に感動」はこちら。
⇒12月4日「スターと役者…木村拓哉に思う」はこちら。

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なお、ブログによりぎりぎりのジョーク、成人向けの内容が含まれます。
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プロフィール
wada01











和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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