私は「脳」について、基礎的な事柄さえ分かっていない。
ネットで調べるのは後日行うとして…。
脳はいくつかの部分から成り立っているはずだが、仮に1つのボール状だとする(えらく乱暴)。
おそらく古い記憶は中心部に蓄積される。
そして、新しい記憶は外縁部に書き込まれる。
2003年頃だったか、父の痴呆がどかんと進んだ。
目つきが一変し別人、生活が不能になった。
父を横浜・港北ニュータウン、昭和大学横浜市北部病院に連れて行った。
そして、脳のMRI写真(?)を見た。
委縮が深刻だった。
それにともない、新しい記憶から失われていった。
私は再婚である。
父は最初に、食事の世話などをしていた妻のことが分からなくなった。
あっ、その前に子どものこと。
やがて、いつも気にかけていた妹のことが分からなくなった。
私と10歳程違う。
母は末期がんで同病院の緩和ケア病棟に入っていた。
いよいよ先が短くなった。
特別養護老人ホームの職員の助けを借りて面会させた際、父はごく短時間ながら母と分かった。
声は聞き覚えがあったのか、母の呼びかけにいくらか応じた。
私には父の表情が和んだように思えた。
自宅で暮らしていたとき以来だ。
後日、やはり助けを借りて霊安室の棺のなかの母と対面させた際、「すまんことをした」とつぶやいた。
奇跡が起こった。
事態を飲み込んだ。
私は父が流す涙を初めて見た。
夫婦の愛、そして絆が一瞬、父に正気を取り戻させた。
感情の起伏の激しい母は父に当たったり、父がボケてからは怒鳴ったりすることが多かった。
しかし、長い目で見れば、とても仲のいい夫婦だった。
父は20〜30秒後、いつもの無表情に戻った。
父は私のことを最後まで覚えていてくれた。
母が亡くなり、2人兄弟だから当然か。
それもいまは・・・。
◇
私はやがて脳が縮みはじめる。
すでに物忘れがひどくなった。
そうなると、真っ先に分からなくなるのが、再婚後の子ども。
中学校に進学したばかり。
私が46歳の年に生まれた。
したがって、早く大きくなってほしいとの気持ちが働く。
同時に、小さいままでいてほしいとの気持ちも…。
次いで、妻。
ほどなく前妻の3人の子ども。
そして、前妻。
20年近く前、ガンで亡くなった。
私は「自分だけは死ねない」という思いが頭を離れなかった。
片親が考えることは同じはずだ。
そう誓っても、人は死ぬときは死んでしまう。
最後は、妹、両親…。
私は、残された時間が多くないと焦っている。
頭がしっかりしているうちに話しておきたい。
が、難しい年頃なので迷惑そう。
私は「ボケるわけにいかない」という思いが頭を離れない。
子どもはまだ小さいのだ。
そう誓っても、人はボケるときはボケてしまう。
そこで、ブログに雑文を綴っている。
私がこの子を忘れるのは、いつか?
⇒2010年9月23日「陽気に『グッド・バイ』…尊厳死と安楽死」はこちら。
きょうのブログと関連性がある。
◆書き加え1(9月21日)
ブログを書き終えて数日後、恥ずかしくなった。
「脳」に関する記述はあまりに危ない。
少しは調べるべきだった。
「おそらく古い記憶は中心部に蓄積される。そして、新しい記憶は外縁部に書き込まれる。」。
「委縮が深刻だった。それにともない、新しい記憶から失われていった。」。
私は写真を見て、脳の委縮が外縁部で起こった印象を持ったが、中心部で起こった可能性がある。
どちらでも? それとも、どちらかで?
新しい記憶から失われていったという件(くだり)もあやふやである。
父は痴呆が進むにつれ、私が知らないくらい古い話をするようになったので、そう思った。
ならば、「古い記憶は中心部に、新しい記憶は外縁部に…」という件もちんぷんかんぷんである。
何もかも疑わしく、記述は信憑性がない。
脳についてはご自分で調べていただきたい。
Copyright (c)2010 by Sou Wada
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ネットで調べるのは後日行うとして…。
脳はいくつかの部分から成り立っているはずだが、仮に1つのボール状だとする(えらく乱暴)。
おそらく古い記憶は中心部に蓄積される。
そして、新しい記憶は外縁部に書き込まれる。
2003年頃だったか、父の痴呆がどかんと進んだ。
目つきが一変し別人、生活が不能になった。
父を横浜・港北ニュータウン、昭和大学横浜市北部病院に連れて行った。
そして、脳のMRI写真(?)を見た。
委縮が深刻だった。
それにともない、新しい記憶から失われていった。
私は再婚である。
父は最初に、食事の世話などをしていた妻のことが分からなくなった。
あっ、その前に子どものこと。
やがて、いつも気にかけていた妹のことが分からなくなった。
私と10歳程違う。
母は末期がんで同病院の緩和ケア病棟に入っていた。
いよいよ先が短くなった。
特別養護老人ホームの職員の助けを借りて面会させた際、父はごく短時間ながら母と分かった。
声は聞き覚えがあったのか、母の呼びかけにいくらか応じた。
私には父の表情が和んだように思えた。
自宅で暮らしていたとき以来だ。
後日、やはり助けを借りて霊安室の棺のなかの母と対面させた際、「すまんことをした」とつぶやいた。
奇跡が起こった。
事態を飲み込んだ。
私は父が流す涙を初めて見た。
夫婦の愛、そして絆が一瞬、父に正気を取り戻させた。
感情の起伏の激しい母は父に当たったり、父がボケてからは怒鳴ったりすることが多かった。
しかし、長い目で見れば、とても仲のいい夫婦だった。
父は20〜30秒後、いつもの無表情に戻った。
父は私のことを最後まで覚えていてくれた。
母が亡くなり、2人兄弟だから当然か。
それもいまは・・・。
◇
私はやがて脳が縮みはじめる。
すでに物忘れがひどくなった。
そうなると、真っ先に分からなくなるのが、再婚後の子ども。
中学校に進学したばかり。
私が46歳の年に生まれた。
したがって、早く大きくなってほしいとの気持ちが働く。
同時に、小さいままでいてほしいとの気持ちも…。
次いで、妻。
ほどなく前妻の3人の子ども。
そして、前妻。
20年近く前、ガンで亡くなった。
私は「自分だけは死ねない」という思いが頭を離れなかった。
片親が考えることは同じはずだ。
そう誓っても、人は死ぬときは死んでしまう。
最後は、妹、両親…。
私は、残された時間が多くないと焦っている。
頭がしっかりしているうちに話しておきたい。
が、難しい年頃なので迷惑そう。
私は「ボケるわけにいかない」という思いが頭を離れない。
子どもはまだ小さいのだ。
そう誓っても、人はボケるときはボケてしまう。
そこで、ブログに雑文を綴っている。
私がこの子を忘れるのは、いつか?
⇒2010年9月23日「陽気に『グッド・バイ』…尊厳死と安楽死」はこちら。
きょうのブログと関連性がある。
◆書き加え1(9月21日)
ブログを書き終えて数日後、恥ずかしくなった。
「脳」に関する記述はあまりに危ない。
少しは調べるべきだった。
「おそらく古い記憶は中心部に蓄積される。そして、新しい記憶は外縁部に書き込まれる。」。
「委縮が深刻だった。それにともない、新しい記憶から失われていった。」。
私は写真を見て、脳の委縮が外縁部で起こった印象を持ったが、中心部で起こった可能性がある。
どちらでも? それとも、どちらかで?
新しい記憶から失われていったという件(くだり)もあやふやである。
父は痴呆が進むにつれ、私が知らないくらい古い話をするようになったので、そう思った。
ならば、「古い記憶は中心部に、新しい記憶は外縁部に…」という件もちんぷんかんぷんである。
何もかも疑わしく、記述は信憑性がない。
脳についてはご自分で調べていただきたい。
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